雑感) 日本小児科学会学術集会での発表のために久しぶりの上京に際して・・・
全国学会で発表(口演)することには、常にプレッシャーがあります。「慣れ ダレ 崩れ 去れ!」は劇団四季の団員が心しているあり方です。
自身、過疎地病院の一人小児科医ですが、“井の中の蛙”に陥らず、かつ、劇団四季に習い「慣れ ダレ 崩れ(〜安易な医療・資料作成等各種の発表)に陥らないように」心しています。
そして、仮に、良い意味での発表等に係る緊張感が失われた際には、智頭病院を去ること(=小児科医を辞すこと)も内心、考えているのです。幸い、日々の診療で、子どもたちとの出会いがあるので、きっと、大丈夫だとは思いますが・・・。しかし、心身の健康が土台にあることも承知しています。還暦を過ぎた身であり、この観点からのチャレンジもアレコレやと・・・。
学会では、自身の至らなさ・未熟さを圧倒的に感じます。学会となれば、先進・先端の基礎研究・臨床研究がキーワードになり、小生の医学知識・実践が乏しいことを体感研修するのです。
とはいえ、日々の臨床を丁寧にすること、このことから、今回の発表機会にも通じているわけです。
発表後、細菌性腸炎の部門が終了してから、学会の質疑では話せないこと、つまり、「よくぞ、詰めたものだ」・「国立感染研の(世界的な・わが国の権威である)荒川先生との連動がどうして出来たのか」など、称賛・羨望的な私的会話がありました。
鳥取県立中央病院時代、指令を受けて、全く専門外の造血幹細胞移植に係る1か月間の研修を兵庫医科大学で受けたことが端緒となり、某る学童例の主治医となった経緯から、国立がんセンター中央病院小児科医長 故・大平睦朗先生の支援を受けて、同センターの手術室での自家骨髄幹細胞採取に参加させていただき、さらに、発足した研究班員に迎えられたことがありました。
 或いは、病院の感染対策マニュアル作成に際して、結核編を執筆する際には、結核予防会理事長 故・青木正和先生のご支援を得ることが出来たこと〜青木先生は「(結核専門病院、沖縄を除くと、)一般病院で結核対策指針を書いてくれたのは初めてだ」と、お喜びになられ、某誌用の原稿(校正原稿)をも提供していただいたこともありました。
 SARS禍の際には、鳥取県の指定病院となったこと、院内感染対策の責任を担っていたことから、上京した際に、看護師等の被感染を守る観点から、国立感染症情報センター長 岡部信彦先生と(厚労省が出していた指針の先読み・深読みに関して、)あり方論を協議させてもらったり・・・。
 閉じないで、“井の中の蛙”に陥らないように、自ら実践すると共に、研修医に対して、「閉じないで、教科書と異なる等々“これは!”という症例・事象は、論文執筆者・わが国の第一人者と連携をとって臨むこと」を指導してきました。
自戒しつつ、一例一例を大切にした結果ということになりますが、今回の発表「新規O血清群 Aeromonas hydrophila (O101)感染による腸炎の3歳幼児例」に至ったわけです。
 国立感染症研究所 荒川英二先生に深謝いたします。
蛇足) 母親に話したら、ある意味で“世界初の新種発見”を喜んでいました。が、稀な細菌の遺伝子解析が小生に出来るわけではありません。単に、(大胆にも?)臨床経過を届け、細菌の解析をお願いし、了解を得て、細菌の送付をさせていただいた経緯であり、小生の役割は微々たることです。
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鳥取空港⇒富士山と大積乱雲⇒羽田空港 〓 つぶやき 〓
2011/ 8/11-14 グランドプリンスホテル高輪での3連泊