日本シリーズ第4戦【阪神・ダイエー】10回裏、右越えにサヨナラ本塁打を放ち、星野監督と抱き合う金本:'03年10月23日 甲子園球場
<阪神>金本引退 星野・楽天監督「ナンバーワンの選手」
讃える新聞 9月12日(水)19時44分配信


2003年に阪神監督として金本とともにリーグ優勝を果たした楽天・星野監督は「いろいろな選手と一緒にやったが、ナンバーワンだった。あいつには良い思いをさせてもらった。」とたたえた。
2002年オフ、FA移籍で迷う金本を獲得するため、「俺と一緒に阪神を再生させよう。力を貸してくれ」と連日「ストーカーのように電話した」と笑う。
「勝負強いし、体も強い。金本の姿を見てみんなが学ぶと思った」と、成績だけでなく若手の手本としても期待し、「あいつが来てから試合前も、後も室内の打撃練習場からカーン、カーンという音が響くようになった。阪神の最大の功労者だよ」と振り返った。
今も時折、相談を受けており、この日の朝、電話を受けた瞬間に「ピンと来た」。「とりあえず、お疲れさまと伝えた。雑草の中からはい上がってきたし、きっと良い指導者になる」と愛弟子の今後に思いを寄せた。
阪神:引退表明の金本「8割しんどく、残りが喜び充実感」
阪神の金本知憲外野手(44)が12日、今季限りでの現役引退を表明した。
同日午後、兵庫県西宮市で会見した金本は、「10日くらい前に考え始め、本当の決断はおとといくらい」と話し、その後球団と話し合いの場を持ち、和田監督には11日に引退の決意を伝えたところ「もう決めたのか」と聞かれたという。
金本は引退を決意したことに「もう限界かな、と思った」と淡々と話したが、会見が進むにつれて感極まり最後は号泣した。
◇金本引退表明会見の主な一問一答
−−今の気持ちは?
◆ほっとした一面もある。悔いもある。さみしい気持ちもある。いろいろな気持ちがまざっている。
−−21年間の現役時代を振り返ると?
◆フルイニング出場という、つらい記録を作り、よく頑張ったなという思いはある。この3年間は惨めというか、みっともなくて。最初と最後の3年間は本当、こんな苦しい人生があるのかと思った。
−−思い出の場面は?
◆あり過ぎて一言では言えない。カープで優勝できなかったのは、すごく残念。タイガースでは2回も優勝できたのがいい思い出。タイガースの歴史の中で一番強くて、一番人気がある時にプレーさせてもらった。幸せな野球人生だった。
−−自分にとって野球とは?
◆長嶋(巨人終身名誉監督)さんじゃないが、人生そのもの。7、8割はしんどくて、残りの2、3割が喜びや充実感。その2、3割をずっと追い続けた。そんな野球人生だった。

◇金本引退 惜しむ声
長嶋茂雄・元巨人監督:打席で見せる鋭いスイングは、対戦相手として大いに脅威であり、その勝負強いバッティングで、何度も痛い目に遭わされました。一昨年の4月、金本君が私の本塁打記録(444本)を追い抜いた際、記念のバットに「サインを入れてほしい」と頼まれたことは忘れられません。たゆまぬ努力の大切さを、さまざまな形で後進に伝え、野球界の発展に尽くしてほしいと切に願います。
王貞治ソフトバンク球団会長:鉄人というか、本当によく頑張った。ハッスルプレー、全力プレーでファンが応援したくなる選手だった。しばらく休んで、また野球界のために頑張ってほしい。
野村克也・元楽天監督:わたしと同じで、もともと大きな期待を受けずにプロ入りし、誰にも負けない努力でここまでやってきた。努力家タイプの典型である好打者の引退は残念だ。努力と挫折を繰り返した者だからこそ、経験を生かした指導者になれるはずだ。
山本浩二氏(広島入団時の監督):昼ごろに引退すると連絡をもらった。入団当初は技術的にはまだまだだったが、一番大事な気持ちと闘争心がすごかった。
阪神の選手たちは「アニキ」の背中を思い返していた。弟分の新井貴は金本について問われ、「男」と表現。「姿を見ていれば言葉はいらない。それだけで勉強になった」と静かに語った。鳥谷も「後ろ姿を見て、ここまできた。逆に今度は自分たちがそういう選手にならなければ」と決意を口にした。藤川は「マスコミとファンの厳しい(視線の)中で、愚痴一つこぼさずにやったことに一番感銘を受ける。最後までチームの責任を一身に背負ってやってくれた。もっと楽にプレーできるようにしないといけなかった」と。
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