主体は“母乳育児三部作”なのですが、医師会事務局担当者が上記論文名を書き、本作は“外”扱いになったことは残念でした。
しかし、“母乳育児三部作”は、後年WHO・ユニセフの母乳育児推進に係る「Baby Friendly Hospital (BFH 赤ちゃんにやさしい病院)に鳥取県立中央病院が全国の自治体立病院中、最初に認定されたことで評価をえることになりました。
実は、第一回鳥取医学賞も受賞しています。当時、保険診療対象外であったのですが、県からの許可も出て、国立がんせんたーの支援も得て取り組んだ自家造血幹細胞移植(当時は、自家骨髄移植の表記)を小児の難治性腫瘍(びまん性肝転移を伴う膵芽腫)において成功することが出来て、がんセンターからの評価も受けて、間もなくがん助成基金を得て発足した同臨床応用に係る研究班の、何と班員にもなったのです。当時の国立がんセンター小児科医長であった故・大平睦郎先生の強いお誘いを受諾してのことでした。
当時、小学1年生であった上記の方は、大学を卒業し、現在、コンピュータ関係のお仕事を続けておられます。いついつまでも元気でと願うばかりです。('10/8/29 記)

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