恐ろしいこと 今まで、かなり生命の危険を感じたときがあります。 1981年 7月13日 蒜山でのキャンプで豪雨に遭う中学校での集団キャンプでのことでした。 テントを張り終えた午後1時頃から激しい雷雨となり、「キャンプ場での宿泊は危険」とのことで下流の温泉地のホテルへバスで移動することになったのですが、道ががけ崩れや濁流でえぐり取られるなど寸断され、バスが立ち往生した上、夜中に300人での10kmの暗中行進をすることになりました。翌日も10km歩きようやく迎えのバスに乗れました。 後日新聞を見ると、1時間50mm前後の雨が4時間ほど降り続いたらしく、犠牲者もあったとのこと。私たち津山東中学校2年生(当時)も「被災者」として写真入りで出ていました。 あの寸断された道を思い出すと、少しでも早く移動開始していたら集団で巻き込まれたのではないかとぞっとします。 1977年 9月 3日 1時間93mmの豪雨に遭う土曜日の午後、いつものように小学校のグランドで草野球をしていると、2時頃から雷雨となりました。 最初は雨宿りをしていたのですが、雨・雷ともなかなかやまず、4時前くらいに少し小止みになったので無理矢理帰り始めると、急に空が暗くなり、猛烈な雨と雷に襲われました。とても自宅までは帰れず、友人の家に避難させてもらったのですが、しばらくは激しい雨と雷が続き不安でした。 記録によると、16時から17時の間に93mm、総雨量178mmで、幸い人的被害はなかったですが、床上浸水471、床下浸水3605(おそらく世帯数は当時25000くらい)、総被害額約11億円(当時)という大変な被害になりました。 学校のグランドは激しく砂がえぐり取られ、あのまま学校の軒下で雨宿りをしていたら、流されなかったにしても足は水に浸かる状態に長時間置かれていたと思います。 1989年 9月14日 私のアパートと実家の両方で集中豪雨に遭うその日の朝、兵庫県南東部・大阪府北部は激しい雷雨に見舞われました。どこかの雨量計で1時間100mmを超す豪雨だったようです。 私は大阪府池田市に住んでいましたが、雨が止んで大学に行ってみると食堂が浸水していたり、教官が出てこられなくなったりして機能がマヒしていました。 その日の夕方、津山市も激しい豪雨に見舞われました。1時間に85.5mm、総雨量152mmという上記の豪雨に匹敵するものでした。 離れた所に住みながら、実家と息子が同じ日に被災するというとんでもない日になりました。 私たちの学年は雨男・雨女の集団?私たち1967年生まれの学年は、小学校・中学校の入学式・卒業式・修学旅行など行事には全て雨に降られ、「雨男・雨女の集まりだ」と親の間からありがたくない評価をいただきました(^^; そして公立高校に行ってからも、入学式も雨に降られ、3月1日の卒業式の日には24cmの大雪(3月の最深積雪記録)で締めくくりました。 それからは特に雨男のことは意識したことはないですが、特別な時に雨が降ると小さい時を思い出します。 1995年クリスマスの大雪その年の秋、4週間周期で寒さが強くなっており、そのクリスマスの頃が最も寒くなりそうな様子でした。また、TVの週間予報でもクリスマス頃に雪だるまが連打されていたので、大雪になると確信し、2日前にスタッドレスタイヤに替えました。結局40cmの大雪でしたが、余りにもひどい雪なので車を出さず自転車で通勤しました(^^; ホームページに戻る |