いなばにあん 時々嘘つかない

いなばろぐ「べんとーさん忘れてもかーさん忘れるな」の,雨と無知との遭遇いなばにあん日記。

2006年12月31日(日)除夜の鐘
 除夜の鐘をつれあいと突かせてもらいに行った。市内の森福寺という曹洞宗のお寺だ。わが家は,蓮如系寺院の檀家だが,ひょんなことから永平寺に3回泊まったことがあって,修行中の雲水さん達のセクシーさや,朝の勤行の豪快なライブ・パフォーマンスにすっかり魅せられ,坐禅用の坐蒲を買って帰ったくらいである。家族の反対で宗旨替えはできなかったけれど。そんなわけで,道元禅師系のお寺は嫌いではないのである。
 ボク達がお邪魔した時は,他のお客さんがいらっしゃらなくて,二人で7〜8回つかせてもらった。ゆっくりと突いている内にお客さんがいらっしゃったので交代したけれど,交代の際に回数が一回ずれてしまったような気がする。ご近所の方の中には,今年は回数がひとつ多いなあなどと思われた方もいらっしゃったかもしれない。ボクの煩悩が多いせいです,すいません。
 僧堂にも入らせてもらい,実際に坐禅も組ませてもらった。24人が楽々修行できるスペースがある。詰めれば,60〜70名の坐禅は可能だとか。魚鼓(ほう)もつり下げられているし,これだけの整った修業の場を持っていらっしゃる曹洞宗寺院は,いなばにはそうないだろう。
 坐禅をしている時の姿勢は,背筋が伸びていてとても気持ちがよい。腰痛にも良さそうである。幼稚園や,ガールスカウトや,バスケ部の合宿などにどうだろう。落ち着いた若者が育つのではないか。
 突き終えて,小豆雑煮をごちそうになり,お箸などのお土産までいただいてしまった。ありがとうございました。

2006年12月30日(土)地雷除去作戦
 ネットの注文にちょっとしたミスをしてしまい,おつれあいさまのご機嫌が悪い。形勢不利。大体,年末年始は一緒に過ごす時間が増えるので,地雷原を走っているようなものでもある。ゴロゴロしていたり,のんびりと本や音楽を聴いていたりするととりわけ危ない。が,そこはそれ,長いつきあいで,地雷の設置場所も大体検討がつく。ということで,地雷除去作業。
 まずは,IT炊飯器を物色した。ヤマダさんには鳥取のつかない三洋電機製品しか置いてなかった。他社製品に安いものがあったが,1年使えば1日100円だよねということで,三洋電機さんにちょっとだけ貢献した。さて,どんなおいしいご飯かと期待したのだが,初めて炊いたのは,玄米だった。なんだよ。以前の炊飯器とどう違うのかよくわからなかったぞ。明日は,白いご飯にしていただきたい。
 買い物の荷物持ちにもつき合わせてもらったが,イオン北店は大変な混みようである。誰かに遭うと面倒なので,床を見ながら歩いた。もち米やら,重たい箱物を運んで任務完了。
 さて,日付が変わる頃だというのに,次の作業は,物置状態になっている子ども部屋の掃除である。明日,子ども達3人が帰ってくるらしい。PCに長時間向かっていると,スカッド・ミサイルが飛んでくることもあるので,速やかに2階に上がることにした。撤去作業にどれくらいかかるのか見当がつかなくなった。

2006年12月29日(金)シュルレアリスム
 やっと年賀状作成に取りかかった。とはいえ,29日が終わるというのに,まだ一枚も完成していない。どんな画像を使うかも決まっていないし。30日に投函すれば,市内は元日に間に合うだろうか。小笠原の父島には松の内には到着しないかもしれないな。ということで,ろぐを書いている余裕はないのである。書くなよ。
 なのだが,書き始めてしまったので,アマゾンから届いた『石田徹也遺作集』のことをちょっとだけ書いておこうと思う。karaさんから紹介していただいた画集である。名前を聞いてもあまりピンと来なかったのだけれど,ページをめくると,何点か見たことのある作品があった。10ページにある『めばえ』とか。
 表情のない表情というか,どちらかというと悲しみに近い「無表情」が,次々現れる。彼はどこを見つめているのだろう。何を考えているのだろう。現実をこんな風に切り取ることのできる人がいらっしゃったんだなあと,ビックリした。
 描かれたイシダさんのメッセージを十分読み取れていないかもしれないし,そのコンテクストがボクとは重なっていないかもしれないが,想像力の凄みを感じることのできる作品群だ。シュールで斬新である。好みは分かれるだろうけれど,見た人に,自分も何か表現してみたいというような気持ちを起こさせる作品のような気がする。31歳で亡くなられたのだそうだ。ため息が出る。
 というわけで,これから年賀状を作成するのだが,もっと早い段階でこの遺作集を見ていれば,できあがる年賀状も違うものになっていたことだろう。残念である。

2006年12月28日(木)Off Course
 これからが稼ぎ時という方もたくさんいらっしゃるのだろうが,とりあえずボクは今日が今年最後の業務である。休日勤務分の代休があるので,次の出勤は1月5日だ。といっても,今年の仕事が全部完了したというわけではなく,業務一時停止状態というだけのことなので,休みが長い分,正月明けが怖い。
 そんな夜に,白ハタやカレイや親ガニをもって来てくださる方があった。ありがとうございます。何の見返りも期待できないのにね。もっとおいしい利権を期待できる人に届けた方が効果があると思うのだけれど。せいぜい,つれあいの作ったケーキを食べてもらうくらいである。頼んでみるからね。
 何しろ,今日は小田和正さんのコンサートが放映されているので,つれあいの機嫌がすこぶる良い。ティーンエイジャーのころ,新宿の「ルイード」で,2人だったオフコースを聴いて以来のファンなのである。『2度目に行った「ルイード」では,売れる前のユーミンとオフコースのジョイントだったのよ』とか,『たくろうのコンサートの前座に出てきたアフロヘアの井上陽水の「傘がない」にはびっくりしたわ』などと,昔話を語らせると,つれあいは熱い。
 そんなわけで,ロックとジャズしか聴かなかったボクは,オフコースとハイファイセットのライブにつき合わされたこともあるのだった。アコギに意識を集中してなんとかしのいだのも懐かしい。それから30年経ち,今日は真夜中の小田さんの番組につき合わされている。何だか,誰かに設定されたコースを生きてきたのかもしれないなと思ったりした。 

2006年12月27日(水)『Whisper Not』
 日本のジャズレーベルであるスリー・ブラインド・マイスから,名盤シリーズとして,1970年代の日本のジャズアルバムが再発されている。今月発売分は,山本剛さんの『Live At The Misty』や,後藤芳子さんの『DAY DREAM』など10枚である。
 力強い山本剛さんのピアノやしっとりした後藤芳子さんのヴォーカルも良いのだが,これらのアルバム・ジャケットの写真は,ボクの写真の師匠であった相見明さんの撮影である。機材をかついで,防衛庁そばのmistyにはよく連れていってもらった。後藤さんのジャケットなどの写真は,新宿の地下駐車場やアオイ・スタジオで撮影されたものだ。
 中根や六本木に,「ウィスパー・ノット」という会社を作り,後藤さんのジャケットのレイアウトは仲間のひとりの杉崎さんがされた。りえさんやじゅんさんは,今もお元気なのだろうか。そういえば,相見さんはボクをNYに連れていってもくれた。もちろん,タダである。おかげで,建国200年で盛り上がっている1976年の7月4日のNYを体験することができたのだった。
 その師匠は,裏切っていなばに帰ってしまったボクの結婚式にやってきてボク達の写真を大量に撮ってくれたあと,再びNYへ渡った。そして,その3年後に,ブルックリン橋での事故で亡くなってしまった。32歳。ボクより5つ年長で,穏やかな笑顔の,本当に格好いいカメラマンだった。若い頃のボクの性格にどこかいいところがあったとすると,その半分くらいは相見さんを見習っていたおかげだと思っている。
 『Whisper Not』という遺作集には,ジャズ・ミュージシャンだけでなく,B.B.キングさんやボブ・マーレィさんやジミー・クリフさんなどの写真もあって,NYで活動範囲を広げていた様子がうかがえる。チャレンジングだった相見さんに比べ,結局,安定を選んだ結果が,今のボクの生活である。人生は選択の連続だ。このままでいいのだろうか。どうしたらいいのか,誰かささやいてくれるとありがたいのだけれど。 

2006年12月26日(火)『張込み』
 今日は印刷所で大半を過ごした。市報なども完全入札制になり,昨年末より仕事量が減っているのだとか。印刷屋さんも大変である。
 で,業務多忙年末現実逃避映画鑑賞会は,200円で買った野村芳太郎さんの『張込み』のビデオである。1958年のモノクロ映画だ。冒頭,横浜から佐賀へ行くのに7分がかりという,時間がゆっくり流れる地味な作品である。タイトルが登場したのは,開始12分後だった。BGMは,ベースの良く効いたセロニアス・モンク・オーケストラ風のジャズで,ヌーベルバーグっぽい雰囲気。
 それにしても,時間の経過とともにアップになる,見張られ側の高峰秀子さんは美しい。昔,高峰秀子さんという女優を知った時は,いいおばさんだと思っていたのだが,今見れば,いい娘さんである。なんてこったい。昔からおばあさんだと思っていた菅井きんさんだって若いのだった。時間は残酷である。
 東京は欲しいモノが何だってあるんだけれど,キミはいないのだ。ふるさとは大事らしい。やり直そうと思った時から道が拓けるという映画だ。佐賀で仕事を終えた刑事は,女性観も変わって,自分もやり直そうと思うのである。
 さて,いつまでも現実逃避をしていないで,そろそろ年末の業務をやり直した方がよさそうである。

2006年12月25日(月)祝CATV
 帰宅したら,「いつでもいいですよ」とお願いしていたCATVの工事が完了していた。10月14日の工事依頼だから,なかなか長閑なことである。天井へ上がる場所がよく分からなくて,工事は大変だったらしい。
 多チャンネルのはずだが,わけあってCSデジタル放送の一部が映らないのだとか。後日,詳しい説明があるようだ。とりあえず,チャンネルをあれこれ変え,「報道ステーション」を見たら,古舘伊知郎さんの顔が随分険しくなっている感じがした。ちょっと,つまらんな。つれあいは,相変わらずNHK教育の料理番組を見ていたし。
 結局,テレビはやめてDVDを見ることにした。あらくれにほんかいさんご推薦の,『コーチ・カーター』。バスケット映画かと思っていたら,少年が大人になる話だった。ちょうど,『下流同盟』のアメリカ・ファスト風土化などの話を読んでいたので,階層社会の下の方に浸かってちゃあだめだぜというメッセージがよくわかる。西原理恵子さんの,字が読めたら世の中が分かる,商売ができる,ごはんが買える,家族が一緒にいられるという,『うつくしいのはら』とも通底するところのある映画だった。
 テレビの見過ぎもワーキング・プアへの近道であろう。あぶないあぶない。映らないチャンネルがあることを感謝した方がいいのかもしれない。

2006年12月24日(日)かにんしてね
 松葉ガニをいただいた。2枚も。どちらも1000gを超えていた。今シーズンは,解禁時に食べたきりで終わりだろうと思っていたのに,カニしゃぶなどで2日間も楽しませていただいた。ありがとうございました。
 初日のご飯はカニ味噌のおにぎり。2日目はカニ雑炊にした。
 松葉ガニは,年末年始に向けて値段が上がる商品らしい。いなばに住んでいても,この時期に自分で買う気にはなれない。こんな時期にいただけるというのは,まっことありがたいことである。高価なんだろうなあ。
 ところで,5枚が500円だった親ガニだが,漁期は1月10日までだ。漁場の人なら,こっそりといつでも食べることができるのかもしれないけれど,ボクのような素人はあと2週間ほどしか食べることができない。ということで,漁期の短い親ガニも今のうちなのである。
 小さな子どもがいないと,オモチャ屋さんに行くこともなければプレゼントを包んで準備することもない。カニを食べた後は,『県庁の星』を見て,イブは終わってしまったのだった。謝ることと,教わることと,仲間が大切らしい。こんなクリスマスでいいんかに。 

2006年12月23日(土)口先男
 休日だというのに,朝の8時30分から労働者のイベントのお手伝いをした。午前中は肉体労働である。ボクがふたり組でやっている力仕事を,ひとりで軽々とこなされている方がいらっしゃった。うすうす感じていたことだが,世間の「男の仕事」の座標軸の中では,非力で役に立たないという地点に立っているということがよくわかった。
 そんなわけで,午後は,100円の「大根と白菜のセット」と,5枚で500円という親ガニの販売を担当した。が,イベントの集客力が弱いということもあって,タイムサービスなのに行列もできない。なかなか完売しないので,メインストリートの歩道に立って客引きをした。狂言を見に行く人や,病院のお見舞い帰り,部活帰りの高校生に,八百屋さんや魚屋さんのノリで声をかけたのである。
 口だけの仕事は楽である。ボクにはこちらの方が向いているようだ。歌舞伎町辺りでもいい仕事ができるような気がする。とはいえ,いなばのメインストリートの場末は通行人が少ない。狂言を見に行く人が買うわけもないし,結局,どちらのセットも売れ残り,スタッフが買わされるはめになったのだった。 

2006年12月22日(金)がんばれパートナー
 そんなこんなで,今日は職場の忘年会である。幹事は,今日はすべてを忘れてなどとおっしゃるが,忘れられないことも多いのだ。つらいことや忘れられないことが多いから,物語は豊かになるのである。しらんけど。
 ということで,今日は朝から管理者にひとこともの申した。若手を大事にしていただきたいなどと。我慢する量の多いのは,若手なのである,多分。ストレートに生きている人間は,自分の言ったことや,周りに対して気配りをしているのだ。分かっていただきたい。という,部外者の皆さまにはさっぱりわけのわからない一日がそこここにあるのではないだろうか。
 さてさて,そんなわけで,今日は喧嘩をしてくるかもなどと宣いながら家を出た。つれあいは,求人誌を買って待っていたらしい。とはいえ,この歳になると大人の対応もできるのだよ,わがパートナー。
 がんばっているのはろうきんさんだけではないのだった。

2006年12月21日(木)がんばれろうきん
 「ろうきん」さんが,いなば地区などの店舗統合をされるそうだ。そんな会議に参加させていただいた。予定の終了時間より,10分早く終了。さすがである。会議はこうでないとね。
 で,職場のそばにある店舗も消えるらしい。近くて便利だったのだが,駐車場は狭い地下にあり,店舗は階段を上がった2階にあるという,かたぎの金融機関とは思えないような,今時珍しい時代錯誤な店舗である。消えるのもやむを得ないかも知れない。
 それにしても不便になる。ろうきん側は,渉外担当者を増員し,訪問活動や現金の配達などをすることによって,利便性をキープされるのだとか。
 現金は,4km離れたわが家にも配達してもらえるのだろうか。歳を取って車が運転できなくなった時に,毎日2000円持ってきてくださいなどというのも頼めるのかな。
 元々,営利を目的としない勤労者の福祉金融機関なので,車のローン金利なども低かった。結構お世話になった,ありがたい金融機関なのである。リストラクチャリングの最中のようだが,これからもいいサービスの提供をお願いしたい。
 会議が終わって議案書の裏を見たら,「お疲れさまでした」とさりげなく書いてある。いい仕事をしていると思うな。

2006年12月20日(水)友だっち
 クラプトンさんのオーディエンス録音盤は,何種類あるのかわからないほどたくさんある。今回のツアーも,おそらくすべてのステージがCDで売られているのではないか。きりがない。そんなあまたあるプライベート盤の中で,『Journeyman』が発売された1989年頃のモノを物色していたら,オランダのハーグでのライブ盤が届いた。オーディエンス録音にしては悪くない音質で,観客のノリもすごくいい。聴衆が大声で一緒に歌っている曲も多い。クラプトンさんが,多分人生を大事にし始めて,本気になり出した頃の熱いライブである。
 そんなノリのいい国の人達を「オランダ人」という呼び方をしているのは,日本だけらしい。ホラント地方が江戸時代の日本ではオランダになってしまったのだそうだ。
 もちろん英語にはDutchもある。しかし,やや蔑みのニュアンスで使われることが多いようで,訳の分からないことを言うことが「Double Dutch」だったり,「To go Dutch」が割り勘にするだったり。値を下げるオークションやたたき売りは,「Dutch auction」だとか。東インド会社でアジアの貿易を競っていた頃から,イギリスはよほどネーデルラント嫌いだったのだろう。そんなライバルだった国同士の子孫もライブではとても仲良く楽しそうである。ということで,鎖国中もお付き合いのあった国である。オランダやDutchより,現地の人達が親しんでいる「ネーデルラント」と呼んであげたらどうだろう。
 「オランダには友達がおらんだ」というようなオヤジギャグが言えなくなるけれど。

2006年12月19日(火)尻軽男
 年末調整の還付金をもらった。別にありがたがってもらうこともないお金だけれど,「野口さんが3枚だけだった」という若手新人とか,「900円を逆に徴収された」という同僚に比べると,ちょっとうれしい。ボクの隣席の同僚には福沢さんのクローンが5人もきたらしい。うらやましい。どうせ,弥生町に落とすんだから,返さない方が痛風を患っている彼の健康のためにはいいと思うんだけどな。余計なお世話だが。
 ボクには福沢さん3人分だけだった。何しろ,つれあいの知らない現ナマなので貴重である。ああ,キミをもう離さないからなどと思ったりして大事にお尻にしまったのだけれど,帰りに電気屋さんに寄ったら,おひとりボクから去っていった。たった数時間のお付き合いの,行きずりのような恋。ボクのお尻にはとどまるだけの値打ちというか,魅力がなかったようだ。
 まっ,福沢さんがするいいお仕事というのは,1カ所に長期滞在しないということなのであろう。デラシネの人生というか,さよならだけが人生なのである。お札にはなりたくないモノだ。もっと腰を落ち着けた生き方をしてもらえないだろうか。少なくともボクとつき合う時は。

2006年12月18日(月)缶詰
 午後は,職場からちょっと離れた建物の1室に監禁され,缶詰生活だった。といっても,ひとりだけではなく1室に7名もいるので,仕事を真面目にするか,「プリテンディング」するしかない。
 根が真面目である。誰も言ってはくれないけれど。日本公演1曲目だったクラプトンさんの『プリテンディング』のようにはできないので,集中してよく働いた。ような気がする。まっ,どちらにせよ週の立ち上がりから過酷な業務だった。
 そんなわけで,早く帰ることにして6時40分には帰宅した。クラプトンさんでも聴いてゆっくりくつろごうと思ったら,買い置きの灯油がないらしい。疲れた身体でGSに向かい,セルフで5缶分90リットルを詰めてきた。1缶あたり1129円。1か月前より1缶85円ほど安くなっているようだ。その後も,あれこれ命ぜられる業務を3種類こなして,やっと『プリテンディング』を聴いた。
 職場でも家でも「缶詰」ライフである。自由というのは,缶詰の中というか,不自由の中にしか存在しないものなのだろうということがよく分かった。

2006年12月17日(日)海幸山幸
 晴れ間もあって夕焼け空が見えたけれど,怪しげな鉛色の雲もでてきて夕方は冷え込んできた。こんな日の皆さんのおうちの晩ご飯はどんなメニューなのだろう。わが家は,今シーズン2度目のばばちゃん鍋にした。カニ漁で海に転落したおばあさんが海底で生活していたので,「ばばあ」とよばれるようになった魚なのだとか。何だかなあというネーミングである。
 ということで,外見はそんな魚だ。切り身は,タラに似た白身である。しかし,タラほど臭味がなくてあっさりしている。わが家では地物のアンコウ鍋の人気にかなわないが,タラよりは人気者だ。あっさりしている割に,鍋にいれると脂がたっぷり浮かんで,スープにコクがでる。
 さて,そんなばばちゃんを食べたあとに鍋に入れる具は,すりおろした山芋である。自分で掘ってきたのではないのがちょっと残念。美作でおじいさんから値切って1本2000円ほどで買った。もちろん,すりおろして生でも食べる。これでも十分おいしい。長芋はすりおろして鍋に入れれば悲惨なことになるが,山芋は,モチのように形が残り,出汁を吸い込んで大変美味。鍋後半は,山芋の団子鍋というわけである。
 ばばちゃんとじじちゃんのおかげできょうもおいしい晩ご飯だった。海と山に感謝。

2006年12月16日(土)継続はタワー・オブ・パワー
 いなばに「みずたまり」という表現集団がある。指導してくださる方も良いのだが,集まるメンバーも良くて,今日は60回目の会合だった。
 60というと,なぜか昭和64年が思い浮かぶが,これは長く生きていれば何とかなる数字である。しかし,「みずたまり」は,経年だけでは60になるはずもない。晴天が続けば干上がる「みずたまり」なのだ。続けようという意思や,具体的な編集作業や,メンバーの絶え間ない?表現活動によってここまでやってくることができたのである。メンバーの皆さんの中には,今や全国区レベルもいらっしゃるし。思えば遠くへきたものだ。ホント,いい集団になって,皆さんに感謝なのである。
 そんな中で,ボクはいい加減にやってきたかもしれんなあと,珍しく今日は少し反省した。出てくる有名人の名前も知らないし。それはたとえば,ジャズを聴きながらセロニアス・モンクを知らないようなモノである,多分。ロックが好きと言いながら,ブラインド・フェイスを知らないようなものかもしれない。そんなわけで,NHKの月刊誌だけでなく,角川さんなどの月刊誌も真面目に読もうと思ったのであった。
 何はともあれ,才能は続けることによってしか見えてこないのではないか。継続は縁の下の力持ちなのである。

2006年12月15日(金)被支配人
 改定教育基本法の成立とか,松阪投手レッドソックス61億円というにぎやかなニュースの陰で,ボクは締切をひとつ落としてしまった。自分に都合の良い締切時間のところだけを見ていたのだった。ご迷惑をおかけしました。宿題が終わっていない夏休み最終日の夜の,途方に暮れていた少年時代をまたも思い出しておりました。何だか最近余裕がなくて,泣きたい気分の少年のようになることが多い。困ったことである。
 さて,新教育基本法によると,国を愛する態度を学校で養うようになるらしい。ボクを愛するようにとわがつれあいを教育するより,ボクが愛される人間になるよう心がけることが大事なような気がするのだが。難しいことだけれど。無理矢理愛することを求めるような嫌われることをしてどうするんだよ。と思うけれど,まっ,そう思うボクの方が少数者なのかもしれない。
 さてさて,ここ数年野球中継というのを見ていない。選手の顔と名前も分からなくなってきた。けれど,松坂投手だけは別格である。彼が甲子園で頑張っていた頃,彼の好きな言葉が,「目標がその日その日を支配する」と聴いてビックリしたことがある。すごいな18歳のころの松阪くん。そのころ,ボクには目標もなければ,目標に生活が縛られることもなかったのだった。おじさんは若者から教えられたのでしたよ。心を入れ替えたのだ,キミのおかげで。
 ただし,支配するのは目標ではなく,「締切がその日その日を支配する」なんだけどね,ボクの場合は。

2006年12月14日(木)一寸一服
 組合の役を受けると,自動的に外部団体の「充て職」を3つばかり引き受けることになる。そんなわけで,職場の会議だけでも大変なのに,ここのところ週一のペースで,6時ころから外部の会議にお付き合いしている。今日は職場で3本の会議をしてから,8時前まで労働者の会議にお付き合いである。
 金融関係が会議の世話役の場合は,議案書もしっかりしていて終了時間も早い。けれど,単組の集まりや産別の集まりでまわしている場合は,早く終わろうという意識が低いように思える。一応今日の議題は以上ですけれど,と言ったあとからもダラダラ話が続いたりする。「以上です」と言ったら,早く終わろうね。
 それにも増して不思議なのは,これらの会議では喫煙が当たり前のことだ。風邪気味の身にはとりわけつらい。禁煙の企業が多いと思っていたのだが,社内や会議中の喫煙はまだ結構行われているのだろうか。それとも,会社では吸えないので,外の労働者の会議の時だけでも自由に吸えるようにという配慮だろうか。そんなことではいつまで経っても労働者は労働者だ。そうじゃなくても大概労働者のままだけど。
 労働者はタバコを吸うのが当たり前というような思考ではなく,労働者こそ賢くなろうぜという組合にしてもらいたいものである。今日のところは黙って大人しくしていたけれど,いつまで我慢できるかちょっと自信がないなと思ったりした会議だった。
 そう焦ってイライラせず,ちょっとタバコをした方がいいのだろうか。

2006年12月13日(水)砂を見に
 雨の上がった砂丘へ行き,11月18日から始まっている「砂の美術館」を見てきた。砂像彫刻家の茶圓勝彦さんと,レオナルド・ウゴリニさんという方の作品群である。『受胎告知』・『小椅子聖母』・『ピエタ』などの作品があって,一番奥に『サンピエトロ大聖堂』が置かれている。
 砂丘の砂が使われているらしいが,砂遊びでトンネルくらいしか造れなかった人間には,ちょっと驚きの完成度の高さだ。寒いのに,見物客も絶えない。砂の造形が長持ちするわけもないのではかない作品だけれど,命の短い表現活動だから美しいのだろうか。滅びるモノに美が宿る,といったところか。
 ライトアップは午後5時から10時まで。12月22日からは恒例の「砂丘イリュージョン」が始まるから,見物客が増えて道路も混みそうだ。渋滞が嫌な人は,今のうちが良さそうである。
 とはいえ,作品の近くに電柱や電線があったり,作品数ももう少しあるといいなあと砂をかむようなところもあって,何だかいなばらしい。というようなことは考えず,すなおに見るようにね。とりあえず,美術館の開館は1月3日までだそうだ。

2006年12月12日(火)締切
 今日は締切が3つ。10時と13時と17時10分である。10時から葬儀があるので,10時締切分は朝のうちに送信完了。睡眠時間を削ってミューズを待ったけれど,ボクには微笑んでくれなかったようだ。
 13時の締切分は,文書8枚を13時ジャストに提出。17時10分の締切分は,3分遅れで提出完了である。内容はさておき,頭の中のことが具体的になるというのは,ひとえに「締切」さまのおかげだ。締切は偉大なのである。「締切は万物の根源」なのかも。
 10時からは,叔母さんの葬儀だった。終日お付き合いしないといけないのだが,午後の締切2本は重要案件なので,明日に延ばせば職場の皆さんに大変迷惑がかかる。式への参列だけにさせてもらった。斎場のゆっくり流れる時間の中にいればリセットできそうだし,お亡くなりの方が引き合わせてくださったご縁で関係性が広がっていくことだろう。それができなかったのが,ちょっと残念である。
 97歳と7か月の命だったとか。弟であるボクの父親の3倍も長生きである。おつかれさまでした。
 さてボクの人生の締切はいつになっているのだろう。もう少し先のことだとありがたいのだけれど。

2006年12月11日(月)万物の根源
 楽しいことのあとには,苦しいことが待っているのである。
 今日は,朝から忙しかった。先週から予定されていた面会に加え,急に2件の面会が飛び込んできたり,営業?に行ったり,会議をしたり。もちろん,通常業務で勤務時間の半分は過ぎる。そのあとも,お付き合いがあったので,帰宅は夜の10時5分だった。明日締切の,未処理の仕事のテイクアウトつき。
 何もない時であれば,仕事を片付け,酒でも飲んで明日に備えれば良いのだが,明日の朝は,創造の女神というか,万物の根源というか,泣く子と地頭と同じように怖ろしい,「締切」なのである。昨日は昼間から酔っぱらっていたし,提出するろくな作品がない。今年最後だというのに,しかも60回記念だというのに,まずい。
 ということで,ろぐをゆっくり書いている時間がないのだった。今日は,これにて。
 ミューズが,瞬間的にでもお姿を見せてくれるとうれしいのだけれど。

2006年12月10日(日)いのしし鍋
 今日は,チームとさきさん等が製作されたログ・ハウスでしし鍋を食べる会に連れて行ってもらった。ログ・ハウスは,環境大学の学生さん達と4年がかりでお建てになったそうだが,広いスペースで,ロフトや囲炉裏つきの快適な建物である。
 とさきさんご提供のイノシシさんは,ほどよく脂がのって,柔らかい。いくらでも食べることができた。ゴボウや椎茸等のたくさんの野菜やコンニャクもあったので食べきれるのかと思ったけれど,お肉もうどんも雑炊も完食だったのである。いゃあ,ホントよく食べた。あらくれにほんかいさん等との会話も楽しくはずんだし。出汁等ご提供のマスターとか,皆さんありがとうございました。とりわけ,お酒を飲まずに運転担当だったシゲちゃん,ゴメンね。感謝です。
 「ローマ人は食べるために吐き,吐くために食べる」とか。吐きながら延々と食事を続けたローマ帝国の方々には及ばないが,今日の昼食は12時頃から3時過ぎまで食べ続けたのだった。ボクの昼食時間最長記録である,多分。
 途中,5羽の鶏をしめるという場面にも遭遇した。逆さにされ首を切られたあと,絶命の前に狂ったように羽をバタバタさせる姿は切ない。子どもの頃はよく見たけれど,最近はなかなか見ることのできない光景である。一部始終を撮影させてもらった。ご覧になった方が吐き気をもよおされても困るので,アップはしないけれど。
 何気に食べている食材がボクの口に入るまでには,似たようなプロセスがあるのだ。普段は意識したことはないが,生きものの命をもらっているのだなあということをあらためて感じた一日だった。

2006年12月09日(土)笑うシニア
 ケチで有名な吉本興業さんが,無料で動画を配信されはじめたらしい。吉本興業は,500人ほどのNSC(吉本総合芸能学院)の入学者からひとりあたり40万円を集め,その中からプロになる1%ほどをタレントとして所属させて稼いでもらうという,とてもおいしいシステムになっているということを,ワッハ上方の事務所の方に以前お聞きしたことがある。
 そんな吉本さんが,100本のネタを無料で配信するというのである。タダでも面白いのかどうか,サインアップしてのぞいてみた。サイト名は,『よしもと笑うシニア.com』である。
 芸人一覧には,70以上がリストアップされている。とりあえず,以前ワッハで見たことのある,矢野・兵動やサバンナを見てみた。わけあって,矢野・兵動にはステージからいじられたこともある。彼らの舞台が5本もアップされていた。サバンナは3本。高橋くんは役者である。タダでも,十分笑える。
 サイト名にあるように,団塊世代を笑わせてお金を使わせようというのが吉本の作戦のようだ。音楽でもお笑いでも,団塊世代の財布はおいしいらしい。
 2007年1月に開設予定というコーナーも多いし,動画数もこれからさらに増えるとか。楽しみである。とはいえ,相手はしっかり者の吉本さんである。口をあけて笑っても,財布の口はしっかり締めた方がよいかも。

2006年12月08日(金)炊飯器を買うんじゃー
 ボーナスが出たら,ルミナリエに夫婦で行くとか,車を買い換える予定とか,職場の皆さんはお楽しみがあるようだ。わが家にも楽しみがある。古くなった炊飯器を買い換えるぞ,という野望である。
 たまたまめくっていた今週の週刊誌に,最近の「通販生活」で満足度の高かった商品が,鳥取三洋電機製の圧力沸騰炊飯器と紹介されていて,かまど炊きに近いとある。かまどのご飯を食べさせてもらっていたのは40年ほど前なので味はよく覚えていないけれど,おいしそうだ。
 何しろ,ただの三洋電機ではなく,「鳥取」がつくのである。三洋電機のヒット商品とか,得意分野というのは電池以外はよく知らないけれど,めったにない話ではないか。地元の人間としては,地場の企業をちょっと応援してみたい。
 そこで,価格ドットコムで炊飯器を検索してみた。ナント,炊飯器の人気メーカーに三洋電機は入っていないし,ベスト10にも三洋製品はランキングされていなかった。ちょっと心配。「かまど味」は,それほどヒットしていないのだろうか。
 国内で8000人程度の人員削減をされる予定とか,携帯電話の電池が発熱・破裂とか,株価の低迷など,あまりいいニュースのない三洋電機さんであるが,おいしいご飯が炊けて皆さんに喜んでもらえるというのは,モノを作る企業としても何よりの喜びであろう。
 「爆発的」では困る?かもしれないので,クリーン・ヒットが何本か続くとよいな。三洋電機さんのみならず,関連企業の皆さんの生活のためにも。

2006年12月07日(木)零余子
 お友達からムカゴをいただいた。1個だけ。
 とはいえ,これが結構大きなムカゴだ。イチョウの葉っぱが超小さいのかと思われるかも知れないが,普通以上に大きな葉っぱである。
 ムカゴは,直径7cm,重さは103gもあった。こんな大きなムカゴが自然にできるとは思えないので,どこで収穫されたのかをお友達にあらためて尋ねてみた。
 岩美の農家が栽培されているらしい。九州から種イモを取り寄せられたのだとか。この辺りでは珍しいと思うのだが,九州では当たり前の大きさのムカゴなのだろうか。暖かい地方は,ゴキブリもカメムシもムカゴも知事などの態度も大きくなるのかもしれない。零余子という漢字表記のかわいらしさとは少しかけ離れているような気もするけれど。
 何はともあれ,自然薯のようなねばりがあれば土を掘る手間がはぶけてありがたい。空中山芋である。さて,この1個だけのムカゴをどう料理すればいいのだろう。スライスしてソテーか?

2006年12月06日(水)Back Home
 エリック・クラプトンさんはまだ日本滞在中である。当初の予定では今日が最後の公演だったけれど,ウドーさんが2日間の追加公演を入れられたので,9日が最後だ。そんな今日の武道館でのライブに,江戸にいる3人の子どもたちが行って来たというメールが届いた。
 『ワンダフル・トゥナイト』『レイラ』『コカイン』で終わり,アンコールに『クロスロード』というセットは,大阪も東京も同じようだが,最初や途中の曲は結構違うらしい。
 娘によると,空席もあったし客の年齢層は高そうとのことだったが,とても盛り上がっていたようだ。
 かわいそうなことに,わが家の子どもたちは,小さな頃からオヤジの流しているジャズやロックを無理矢理聴かされて育った。その割には,ボクと同じ趣味ではないのだが,それでも同じ日のクラプトンさんの演奏を姉妹弟で共有してくれたというのは,親としてはとてもうれしい。バラバラになってしまっている家族だけれど,同じモノを見たり,同じ時間を過ごすことができることこそが至福なのだ,ということにいつか気づいてくれるとさらにうれしいと思っている。
 友人の妻を奪って別れたり,クスリをやったり,子どもを死なせたりだから,どこか壊れたところもあるのかも知れない。全盛期は過ぎているのだろう。けれど,少し前に発表された『Back Home』というタイトルが何となく身近に感じられたりもする。そんなクラプトンさんと,わが家の家族が同じ演奏や雰囲気を共有することができたことに感謝である。

2006年12月05日(火)質より量な会議
 今日は11時から6時30分まで会議の連続だった。会議は5種類。こんなことは,勤務してから初めてのことのような気がする。昼食時間も飛んでしまって,思わぬダイエットまでさせていただいた。
 会議の連続というと疲れることが多いのだが,今日の会議はいずれも定例会ではなく,どれも目的が明確な会議だったので,割合ストレスは少ない。報告だけだったり,上司が喋ってばかりの会議でもないし,会議場所も3カ所を転々としたので,気分転換になったのかもしれない。会議はみんなから意見が出てなんぼだ。質より量が大事,ということも時々ある。
 とはいえ,会議だけで給料をくれる会社があるわけもない。自分の抱えている業務はまったく片付かず,会議中に新たな業務が飛び込んできたので,帰宅後もサービス残業である。ということで,今日は「ろぐ」より残業優先なのであった。
 うーん,働き者である。誰も言ってくれないので,せめて自分だけでも言ってやらないと。

2006年12月04日(月)ギター疲労
 『Rockin'on』等を届けてくれた書店の方が,こんなのはもう買われましたかと,『大人のロック!vol.9』と『ギターヒーロー黄金時代vol.2』を持ってきてくださった。これが1980円というような雑誌なら買わないのだが,880円だったりするとつい手が出てしまう。「まだ買っていないんですう」というわけで,2冊とも買ってしまった。クラプトンさんの大阪公演のレビューも掲載されているし。
 岩波書店の本ではなく,こんな雑誌を持っていけばボクが食いつくだろうという判断をつけるのは,仕事のできる外商さんなのである。売りたい本だけでなく,ボクを賢くするために読ませたい本も持ってきてくださるともっとうれしいのだけれど。
 それにしても,どちらの雑誌も団塊狙いみえみえである。巻末には,「オヤジの目にやさしいギタースコア」があったりする。曲は,ヴァン・ヘイレンやMSGのヒット曲だとか,『スモーク・オン・ザ・ウォーター』である。泣かせる。
 ギターやエフェクターも大量に紹介してある。CD屋さん系だけでなく,楽器店等とのセットで,オヤジの財布からお金をはき出させようという作戦のようだ。「ギターを持っているだけの老眼オヤジにやさしいスコア」というのも作っていただけたら,定期購読しますぜ。ということで,久しぶりにコードの練習をしてみた。疲れるだけだった。弦は2本で十分である,ボクには。

2006年12月03日(日)美術展
 労働者の美術展が今日から市内の施設ではじまった。午後1時から5時まで,受付と作品監視をひとりで担当するというヘビーな時間を過ごすことになった。53回目だそうだが,もちろん当番に割り当てられた今回が初参加の展覧会だ。
 部門は,写真と洋画と日本画と書道部門である。県内の事業所などにお勤めの方をはじめ,自営業の方も農家の方もアルバイトもパートの方も出品できる。できないのは,各部門専門家や大資本家,バイトもしないお気楽な学生さんくらいか。
 4部門の中で出品数の多いのは,36点の出品があった写真部門である。そのうち,無鑑査の方の作品や審査員の作品もあるので,実質30作品ほどがコンテストの対象らしい。10作品が知事賞などに入選である。
 写真雑誌の月例コンテストは多いし,県内でももっと大規模なコンテストがある。腕に自信のおありの方や,すごく良い写真が撮れた方はあまり出品されない美術展のような感じがしたけれど,ちょっとイイ写真かもという作品がある方は出品されると入選しやすそうだ。出品料はタダで,副賞もつく。中身は何だか知らないけれど。例年,10月末あたりが締切らしい。念のため。
 主催者の事務局長さんに,来館者には,温かく,親切,丁寧に対応してくださいと注意を受けて真面目に働いたのだけれど,4時間の入場者数は56名だった。もう少し笑顔を振りまくつもりだったのに,残念なことである。

2006年12月02日(土)親がに丼
 今週はイレギュラーに業務が飛び込み,よく働いた。おかげで,今日も午前中は職場へサービス出勤である。ということで,ご褒美に弥生町のお店でランチを食べることにした。メニューは,親がに丼である。
 親がに丼の中身は,カニの身の他に,生の内子,外子醤油漬け,内子塩ゆで,蟹味噌和えなどである。味噌汁には,親がにが2枚使われていて,茶碗蒸しにもカニ味噌がのせられている。一人前には,10枚の親がにが使われているのだそうだ。カニはご夫婦でさばかれるようだが,一日に200枚が限度なのだとか。たっぷりの生の内子の入った丼はとても贅沢で,おいしい。幸せを感じることのできるランチだった。ごちそうさま。
 店内には値段表示がなかったので,食べながら,いくらだったら喜んで払えるかなあと思ったりしたのだが,まあそんなもんかなあという値段だった。何しろ,カニ10枚分である。とはいえ,毎日は食べられないな。
 さて,お愛想はいくらだったでしょう。

2006年12月01日(金)生きてるだけで親孝行
 今日は想定外の仕事がふたつ飛び込んできて,5時まで自分の仕事ができなかった。というか,想定外分もボクの仕事といえば仕事なのかもしれないけれど。おかげで,明日も職場へ行くことになった。今日飛び込んできた仕事のひとつはJRの駅に行く業務だったのだが,その帰りに同級生から声をかけられた。
 子どもさんを不幸な形で亡くされたと伝え聞いていた同級生である。そのことに触れずに済ますのが大人の対応なのかも知れないが,世間話だけで別れるわけにいかないので,お悔やみを言った。
 ちょうど,今朝息子さんのことを考えていたのだそうだ。同じ身内でも,親が亡くなるのとは全然違うんだよねと彼は話す。今でも,亡くなる直前の携帯のメールを時々読んでは,あれこれ考えるのだとか。どこからやり直せば,死ななくてもよかったのかと夫婦で考えることもあるのだろう。
 東北方面へ行っているらしい下の弟さんは,好きなようにさせてやろうと思っているのだとか。生きていればこそだよと,彼にしんみり言われた。
 子どもがやってはいけないことは,親より先に死ぬことだ。それでも,子の葬儀を出さなくてはいけない親は,毎日どこかにいらっしゃるのである。子に先立たれた親はどのように生きればいいのか。ボクにはとても想像することができない。お互い頑張ろうぜ,などというつまらない挨拶しかできない自分がちょっと情けなかったりしたのだった。

2006年11月30日(木)べんざエース
 新築の小さな会館で会議があった。会議の前にトイレに入って,驚いた。個室に入ったら,洋式トイレの便座のフタが自動的に上がるんだもン。職場に帰って話したら,結構電気代かかるんですよねとか,空港とか多いですよねえなどと皆さんおなじみのようである。自動便座フタ上げ機能付きトイレ初体験のボクの生活は,皆さんよりかなり遅れているようだ。
 つれあいに話したら,「アラッ,初めてだったの。空港だけでなく,デパートなんかのトイレも最近はすごくきれいよ」などと,家でも時代遅れだった。
 フタは自動的に上がったが,水を流すのは手動である。手洗いの水道も手動だ。考えてみたら,何だよフタだけかよである。
 両手に荷物を持った時にも便利そうだが,男性の「小」の場合はそれでどうするねんという感じ。上のフタだけ開いても何の役にも立たない。男性の「小」を感知して,便座部分まで上がるとすごいな。長生きをすると,ファスナーを自動的に開けてくれる機能や,おろしたズボンを上げてくれる機能付きのトイレを体験できるかもしれない。楽しみなことである。
 どれかひとつを自動にするんだったら,自動手洗いセンサーが一番ありがたいような気がするのだけれど。

2006年11月29日(水)ねずみの仕事
 今月と来月,three blind mice の1970年代の作品が,ソニーミュージックダイレクトから紙ジャケで発売される。ちょうどボクが江戸に滞在していた頃の作品なので,懐かしい。今月分には,中本マリさんや山本剛さんや鈴木勲さんの作品がある。
 ベース好きの方には,鈴木勲さんの『BLOW UP』がよい。情念のチェロ演奏3曲と,日本人離れしたぶっといベースの音がブンブン響く演奏が詰まっている
 元々,TBMは,「自然で力強く」録音することで有名な,日本の先駆的ジャズ・レーベルだ。今回の再発ではDSDマスタリングが施されてあるので,演奏者のガッツがよく伝わってくる。
 収録時間が30分ちょっとしかないのが残念であるが,33年前の演奏とはとても思えないほど,今聴いても新鮮に感じる作品だ。いい仕事をされていると,年月が経っても全然色褪せないのである。

2006年11月28日(火)マイ・バック・ページ
 59回目の短歌会。なのに予習が不足していました。反省です。11月はことのほか業務に追われる日々だったのでした。「手紙」という題詠も難しかったし。
 で,会合や二次会が終わって帰ったのが0時を過ぎていたのだけれど,とりあえず,今晩のアルバムである。古野光昭さんの「伊勢」というアルバムが届いていた。ボブ・ディランさんの『マイ・バック・ページ』が収録されている。古野さんは,来年正月に60歳になるベーシストだ。いきなりベースでメロディが紡ぎだされる。これがいかにも切なそうで,色々ありました私の歴史っぽい。
 もちろん,『マイ・バック・ページ』といえば,キース・ジャレットさんだ。が,いつまでもキースさん頼みでもないのだろう。新たなジャズ・バーションも生まれているのだった。
 古野さんというベーシストはそんなに有名ではないかも知れない。けれど,ボクの学生時代にフィル・ウッズさんと東京で共演されている。ジャパニーズ・リズムマシンの一員なのだ。今年,そのアルバムも初CD化された。ボクの大好きなフィル・ウッズさんと,一緒に演奏されたというとても貴重な方だ。
 ということで,日記や物語を豊かにするのはベースやドラムスだったりするのだなあと思った夜だった。

2006年11月27日(月)敗戦処理
 選挙が終わり通勤路も日常に戻ったと思っていたら,陸橋のある大きな交差点に,立候補されていた方が立っていらっしゃった。マイクは持たずに,ご夫婦だけで,静かに頭を下げていらっしゃる。選挙期間中も,毎朝同じ場所に立っていた方だ。朝の号外によると落選されていたはずである。念のため,ボクと同じ道路を通って通勤する同僚に確認したら,やはり落選された方のようだ。
 すごいなあ。当選された方がお礼に立つのなら分からないでもないが,落選されたのに夫婦で朝の挨拶に立つって。もちろん,それなりの計算や次回への布石ということもあるのだろう。当選できないなりの理由もあったのかも知れない。そんな簡単に騙されちゃあダメだぜ,という意見もありそうだ。
 しかし,仮にそんな計算の上に成り立っていることだとしても,ボクにはとてもできそうにない。落選ほやほやなのである。悔しいし,朝は9時でも10時まででも布団をかぶっているような気がするな,ボクなら。大体,つれあいは一緒に歩道橋の下で頭を下げてくれるだろうか。聴くのも怖い。尋ねる時が,食前か食後か,給料日前か支給日か,暮れか正月かなどによって架空質問へのつれあいの回答は違うような気もする。「残念だったわねえ。一緒に立ってあげる。」なのか,「職まで辞めて,明日からどうやって生活するのよ。ひとりでお立ち。」なのか。
 小さな選挙であっても,立候補された方にとってはたくさんのエピソードや豊かな物語ができたのだろう。落選の人にはことさら。負けた時や失敗した時の対応が大事なんだよな,と改めて感じた朝だった。

2006年11月26日(日)オリーブ
 岡山へ行ったついでに,近くの牛窓へ寄ってみた。雨も降っているし,海水浴シーズンでもないから,街はひっそりとしている。牛窓といったら,オリーブである。というか,それしか知らない。丁度,赤紫色の実をつけていたので,一枝いただいてきた。
 かじってみると,酸っぱい,渋い,酸味たっぷりでえぐい。ひとくちかじっただけなのに,歯に渋みがくっついて,胃がもたれる感じである。自己主張の固まりのような実だ。
 ブルー・ベリーなどと同様,オリーブも1本だけでは実をつけないらしい。とりあえず1本を切って2本にし,挿し木にしてみた。日照時間の少ないいなばであるが,ハトが咥えて行くくらいの枝ぶりになるとうれしい。
 オリーブの首飾も作ってみたいものである。そういえば,ポール・モーリアさんも今月お亡くなりになっていたのだった。演奏者はお亡くなりになっても,マジックのBGMとしてこれからも流れてくるのだろうか。

2006年11月25日(土)オールド・ディーバ
 ディーバとよばれる女性ヴォーカリストが次々登場するので,アニタ・オデイさんを聴くこともなくなっていたのだが,23日にお亡くなりになったらしい。87歳だそうだ。
 こんなことがないと聴くこともないという失礼な話である。とりあえず,アニタさんといったら,ノーグラン/ヴァーブ時代であろう。スリー・サウンズがサポートするアルバムを引っぱり出してみた。『WHISPER NOT』が流れている。音域はそう広くないけれど,クールなハスキー・ヴォイスである。
 アニタさんは,クラブの経営に失敗したり,スランプでアルコール中毒になったこともおありらしい。ノーマン・グランツさんとの出会いがなければ,その後のたくさんのアルバムは生まれなかったことだろう。もちろん,『THIS IS ANITA』も。
 この名作の3曲目のしっとりしたバラード『A NIGHTINGALE SANG IN BERKLEY SQUARE』を聴きながら一日を終えるというのは,ボクにとってはかなり幸せな部類である。そんなわけで,おやすみなさい,アニタさん。

2006年11月24日(金)クロス・ロード
 1日勤務すればまた休みが来るというありがたい週である。といっても,土曜日はボランティア勤務があるけれど。
 そんなのんびり過ごしている男とは別に,市議選に立候補している皆さんはお忙しそうだ。毎朝,交差点などに立って,ボクのために笑顔を振りまき,手を振ってくださる。8時前の,わずか4km10分間ほどの車での通勤だというのに,今日は5名の方をお見かけした。Tさんとか,Hさんとか,Iさんとか。
 駐車場から職場へ向かう途中,お年寄りの方に挨拶したら,呼び止められた。立候補しているHの母親なんです,よろしくお願いしますと言われた。ホントかどうかしらないけれど,ご本人はもちろんのこと,ご家族の皆さんも必死なのだろう。お母さん,ボクにはたった1票分しか割り当てがないんですよね。
 これだけ激しい選挙戦だと,どこかで選挙違反でもあるのかもしれないが,今のところどなたもボクに但馬牛のしゃぶしゃぶを食べさせてくれたり,松葉ガニを食べさせてくださる方はいない。選挙違反はないようだ。
 ところで,選挙の時だけ手を振ったり頭を下げるのではなく,当選されてからも,時々は四辻で手を振られてはどうですかね。次の選挙の「功名が辻」になると思うけどな。
 ということで,今日はクラプトンさんの『Crossroads』がBGMである。

2006年11月23日(木)ヒーターかな
 寒い。風邪をひきそうだ。電気ストーブでは部屋が暖まらないので,ファン・ヒーターの登場である。ここのところ灯油を買っているのは県外資本のGSである。18リットルが1214円だった。1リットルは約67円。もちろん配達ではなく,セルフ&プリカ料金である。昨年より,200円近い高騰だ。
 京都には,レギュラー・ガソリンの価格が140円と表示されているGSがあったが,いなばは130円を切っているところもある。県西部より安いらしい。灯油価格も全国平均に比べると安いのだろうか。
 中学生の頃,石油の可採年数は約30年だと教わった。しかし,その後の30年の間に石油は枯渇せず,可採年数は毎年のように増えた。2005年末の可採年数は,ナント49年になっているらしい。採掘技術が向上したということもあるのだろうが,かつてのセブン・シスターズなどの石油メジャーが可採年数を上手にコントロールし,価格安定を図ってきたのだろう。
 原油は,基本的にNYの取引所での価格が世界価格に反映する商品だ。テキサス産の原油が対象である。ブッシュ大統領にはテキサスなどの石油業界がバックについている。世界の原油価格を今以上にコントロールしたかったのだろう。石油の豊富なイラクを攻撃したくなるわけである。
 ということで,ファン・ヒーターのおかげで今日は温かい。久しぶりにスティービー・レイ・ボーン&ダブル・トラブルの『テキサス・ハリケーン』を聴いた。続いてジョニー・ウィンターとZZ TOPも。ブルースやロケンロールを過激に弾きまくるテキサス・ギタリストは,力強く豪快である。頭もホットになった。

2006年11月22日(水)教育の基本
 国会審議を拒否していた野党が審議に復帰し,改正教育基本法が今国会で成立する見通しだそうな。沖縄での敗戦がボディ・ブローで,拒否戦術はとれなくなったのだろう。教育の国の介入が強まると言いつつも,民主党も自民党案とそう変わらないところもあるし,反対はとりあえずのポーズだけかも。選挙だけでなく,法案の成否に関しても野党には期待できそうにない。
 どうしてこの時期に噴き出したのかよく分からない世界史未履修問題や,マスコミとタイアップのいじめ問題など,国民に教育問題を引き寄せるネタが続いたのも,何だか基本法改正の追い風になるようなタイミング加減である。地方が勝手なことをやっているから,文部科学省が管理しないといけないというような雰囲気が形成されたような気がするのは思い過ごしだろうか。あやしい。
 自殺は毎年3万人以上あるのだから,大きな問題である。自殺全体をとりあげるメディアがあってもよいと思うのだが,若者の命だけがことのほか大切なようだ。校長さんが自殺してみたってメディアは軽くお流しになる。ベタに毛の生えたような記事のこともあった。自殺なんかしない方がいいと思うな,校長先生。
 バウチャーによる競争原理の導入によって,経済格差や学力格差はますます広がる。それで愛国心を無理矢理育てようとしても,そのうちほころびが出るだろう。国が教育に介入しすぎるとロクなことにならなかったという学習をどうしてされないのか。統制より,全国の先生方が意欲的に教育に取り組むようになる方策を考えていただきたいものである。わが家のまだ見ぬ孫のために。

2006年11月21日(火)コラージュ
 ビートルズの『LOVE』が届いた。CDをかけていたら,つれあいが,「みんなうちにある曲じゃない」というので,ミキシングが違うんだよねと説明したが,理解してもらえなかったかもしれない。音楽がコラージュされているアルバムである。まあ,EMIのカモになっているような気もするけれど。
 『LOVE』というタイトルにふさわしく,とてもふくよかで柔らかい優しい音だ。ベースやドラムスのリズムの音質も,ビックリするくらい向上している。これから,オリジナル・アルバムのリミックス盤が作られるんだろうなと思わされるような高音質である。商売上手のEMI。
 音のコラージュというのは,『A Hard Day's Night』のギターではじまる2曲目の『Get Back』を聴くとよくわかる。『The End』のドラムスに『Sgt. Pepper's』の歓声がかぶさり,『Get Back』が出てくる。福袋を開けたような曲に仕上がっている。
 『In My Life』入りの『Strawberry Field Forever』とか,『Ob-La-Di,Ob-La-Da』入りの『Lady Madonna』など。無茶苦茶といえば無茶苦茶である。けれど,ビートルズをよく聴いたことのない人が聴くと,違和感なく耳に入ってきて,その人にとってはこれがビートルズのスタンダードになるに違いない。それはそれで面白そうである。
 もちろん,ビートルズ・フリークは,1曲の中に何曲の演奏が使われているのかというような聴き方をされるのだろう。スタジオ録音というのは何でもありだということがよくわかった。せっかくなので,ジャケットにももっとこだわってほしかったけれど。

2006年11月20日(月)巧言令色多矣仁
 水谷修さんという方の講演を聴くというのが今日の仕事の一部だった。夜回り先生とよばれている方だ。TVなどで有名のようだが,TVで見たことも本を読んだこともないので,ボクは詳しいことをほとんど知らない。講演をドタキャンされたニュースが思い浮かぶくらいだ。
 それにしても,話が大変お上手である。随分,講演慣れされている方のようだ。聞き手を飽きさせない話術は見事。具体的な例がたくさん盛り込まれているし,芝居がかった展開の仕方も,よどみなくスムースだ。
 シンナーやHIVで亡くなった10代の話だけでなく,大学のコンパで10代の学生が酒を飲むのを見逃した大学の先生を何人も懲戒免職にしたというような話もされ,徹底的にタバコの害も説かれる。ボクもタバコはやめた方が良いと思うけれど,それでも,タバコ好きの人が会場にいらっしゃったら,ちょっと肩身の狭い思いをされたのではないかと心配になる責められようである。そういえば,ボクは祭りの時に子どもにお酒を飲ませたこともあったし。
 倫理観や正義感の強い方なのだろう。それらの実践のための使命感に燃えていらっしゃるようだ。すばらしい。これからも元気に活躍していただきたい。妥協しながら適当に生きているボクには,とてもマネができない。
 たくさんの若者を「殺した」という悔恨もある内容なので,もう少しお話につまったりされていれば,よりリアリティを感じられるような気がした。

2006年11月19日(日)無党派層
 市議選が告示され,選挙カーからのアナウンスがにぎやかである。合併後初の選挙で,定員36に対し立候補者は53人だとか。随分以前から,休日の朝のチャイムにパジャマで出て見れば立候補予定の方だったりで,ちょっと迷惑していた。そんな朝早くから活動していらっしゃった最後の追い込みの1週間というわけだ。関係者の皆さんは必死なのだろう。ごくろうさま。
 小心な夫婦なので,頼まれれば断ることができず,自民党から民社党系,公明党まで,政党を超えて数名の方の支持者になっているらしい。同一政党の二人の方の支持者だったりもする。すいません,無党派層なんです。
 パンフを見ると,立候補された皆さんはボクと違っていい方ばかりだ。いなばのために身を投げ出そうという方が,こんなにたくさんいらっしゃるとは思わなかった。ボクは仕事と自分のことだけでいっぱいいっぱいである。当選されても,今くらい腰が低ければいいのだけれど。
 昨日は,身に覚えのない選対からの電話が2件かかってきた。組合の役員をやっていた時は,ボクも何回か電話による投票依頼をやったことがある。支持者カードを見ながらの電話かけは楽だが,電話帳のコピーを数枚手渡され,上から順番に電話をかけることもあって,これは結構きつい。
 大体,夕方から8時ころまでの電話なので,選挙の電話とわかると,皆さんは早く切ろうとされる。ガチャンと切られることも多い。「頑張ってください」と言ってくださるようなおうちにあたると,かなりうれしくなったりするのである。ティッシュやビラを配っている時に,「ありがとう」と言われるとうれしいのに似ている。
 そんなわけで,選挙の電話であってもなるべく丁寧な対応をしたいなと思っているのだが,何しろ候補者が多すぎである。夕方の家電は留守電にしておいた方がいいかもしれない。

2006年11月18日(土)タワーを見たわ
 『日本のみなさんさようなら』という変なタイトルの分厚い本をどこの書店で買ったのかよく覚えていないのだが,ジャンクなサブカル生活を送っていれば,いつか出あう本だったのかも知れない。リリー・フランキーさんという変わった作者名を知ったのもその本でだった。
 「これは映画評ではありません」という,B級?邦画の鑑賞記である。何しろ2本目に紹介されているのが,『ガンガー 俵万智イン・カルカッタ』である。なかなか目のつけどころが危ない。とても,後年『東京タワー』などというベタな作品でベストセラー作家になられるとは思わなかったのだけれど,ついついドラマ化されたTV放送を見てしまい,泣いた。
 本当に,♪東京へはもう何度も行きましたね♪なのである。ボクも江戸生活は貧しかったし。何しろ,池袋の3畳9000円の部屋に,酒屋さんから拾ってきたビール・ケースを置いてベッド代わりにしたのが,江戸生活のスタートである。テレビもないし,暖房は電気ストーブだった。思い出すだけで泣ける。
 「江戸のみなさんさようなら」をしてから30年近く経つ。あのまま江戸に残っていたらどんな人生だっただろう。とりあえず,U2のライブには行っているかもしれんな。
 いなばには高いタワーはない。市内が見渡せる久松山でも,高さだけなら東京タワーよりはるかに低い。負けている。それでも,雪が降った朝の久松山の水墨画のような美しさは,東京タワーには描けないだろうと思ったりする。江戸のみなさんにさよならした者の,ちょっと負け惜しみ。

2006年11月17日(金)ハートに火をつけて
 ランチを食べたお店のマスターが,「あまり情の深い女性も困ったもんですなあ。」とおっしゃる。何のことかと思ったら,4歳の子どもを殺害したという秋田の事件のお母さんのことである。マスターが仕入れた週刊誌情報によると,若い時に,消防士の恋人に会いたいので一日に5回放火をしたのだそうだ。八百屋お七のような女性が秋田にはいらっしゃったのである。すごいなあ。その後,何回か結婚をして,今回の事件になったらしい。
 かつては,小さな子どもがいれば,女性は女としてよりも母として生きるようにすり込まれてきたと思うのだが,子どもより自分の快楽や人生を優先する女性が増えてきているということなのだろう。男がやってきたように。子どもにお金や時間やエネルギーをかけるより,自分の生活や楽しみにそれらのリソースを使いたいという,少子化に向かう構造と同じである。
 ボクはそんな情の深い女性とお付き合いしたことがないのだけれど,経験豊富なマスターにおうかがいすると,「ほどほどがええですで。」らしい。女性の情が深いというより,火を付けるくらい男性がいい男だったということかも知れない。ボクは修行が足りなかったようだ。
 ドアーズの『Light My Fire』を聴きたくなるような話である。

2006年11月16日(木)ワインバーカー
 5時15分まで2時間近く職場で会議をした後,6時から外部の労働者の会議に参加した。今日の会議を設定された方は,ワインには関心がないのだろう。それぞれが何を優先して生きるかは自由である。世の中には,ワインより会議が好きな人の方が多いのだ,きっと。ああ,今日はワインを飲む日なので,それが最優先なんです。とても労働者の会議に出席しているわけにはゆきません,と言いたいが,もちろん気の弱いボクにそんなことはできない。
 おまけにつれあいの江戸行きの影響もあって,今日は外で飲むのを止めた。ここ20年くらいは,毎年どこかのお店で新酒をいただいていたのに,残念なことである。
 さて,そのワインに関係のない皆さまの会合は8時45分まで続き,帰宅したら9時を過ぎていた。何しろ,会議がお好きな方達なのである。笑いをとる突っ込みが入ったり,会議を盛り上げようと主題から少しはずれたうんちくネタをお話になる。おまけに,労働者なのにタバコをお吸いになる方が多い。税金を払うのがそんなにお好きなのだろうか。不思議である。煙が喉や目や服にしみるぞ。
 議論された内容の一部は,労働者のお祭りにどんなイベントを行うかとか,そのポスターをどうするかとか,それぞれどんな役割を分担するかなど,議案書がしっかりしていればもっと早く終わることのできる内容である。客寄せには親ガニ5枚で500円のタイムサービスなどとあったけれど,12月23日のイベントなので,カニが一番高い頃である。結構赤字になりそうだ。何しろ,今日の浜での親ガニのセリ値は90円から190円だったという基準で話が進んだりする。結局,500円では難しいだろうということになった。ポスターは「激安」などという表示にして,価格は当日発表らしい。
 会議終了後,「これからセンタイに行こうか」というような会話が飛びかっていたけれど,「戦隊」に入ればワインが飲めるのかも知れない。
 ボクは,会議後にワインを買って帰ろうと思っていたのだが,幸い,会議中につれあいから,「お友達が誕生祝いにワインを送ってくれました」というメールが届いた。ありがたいことである。HEDIARDの「BEAUJOLAIS−VILLAGES PRIMEUR」は,若くてフルーティなのに,渋みが少ないコクのある飲み頃のワインだった。おいしかったので,すべてワインに流すことにした。終わりよければすべてよし。いい一日だった。

2006年11月15日(水)右肩あがり
 ここのところ右肩が少し楽に感じられていたのだが,風呂上がりに試してみたら,左腕の95%くらいは振り回せる感じ。五十肩の卒業が近いのだろうか。先輩の皆さんから1年続くとか2年続くとご助言いただいていたのだが,ボクの場合はちょうど半年間である。ありがたいことだ。
 何はともあれ,右腕があがらなくなることがあることや,あがらない感じが自分で体験できたことは貴重である。
 土地価格が上がり続けるとか,企業の業績が前年度より永久に上であり続けるとか,給料がいつまでも上昇を続けるとか,日本の人口が右肩あがりで増え続けるということもあり得ないのだということが,身をもって想像できた。歳も右肩あがりだが,ある日その時点でストップするわけだし。
 バウチャー方式が採用されたり,あちらこちらで予算が削減されている。右肩あがりは高度成長に生きた人間の幻想だったのだろう。バブルの反動というわけではなく,どんなところにも,右肩があがらなく日が来るのだと自覚しておいた方がいいと思ったのだった。
 地球上の人間の数も,右肩あがりがいつまでも続けば人の重みで地球がどこかへ落ちてしまう。ドイツなどと同じように,日本が自然に少子化の道を歩んでいるというのは,ナント素晴らしいバランス感覚であろう。高齢者が増えた日本列島の子どもの数も,これくらいでちょうどいいのである。無理に出生率を上げようなどとしない方がいい。これだけ子どもの問題が発生すれば産む気にならない人が増えるのは当然であるし,自分の人生を楽しみたいと思うのが自然というものだ。日本も五十肩なのである,きっと。回復できるかどうか知らないけれど。

2006年11月14日(火)オチない話
 江戸行きの飛行機のチケットを購入したけれど行けなくなったので買わないか,という話をつれあいがもらってきた。11600円だそうだ。往路片道の料金だが,安い。せっかくなので,こっそりいただくことにして,早速復路のチケットをネットで予約した。
 ぎりぎり1週間前だったので,「特割7」を頼み,日付の変わる1時間30分前にローソンで支払いを終えた。21900円だった。平均すれば,片道17000円ほどだから,ラッキーである。
 と喜んでいたら電話があった。ネットで購入する際,いなばから江戸ではなく,江戸からいなばのチケットを頼んでいたのだそうだ。たまたま今日チケットを見て気づいたらしい。なんじゃ,そりゃあ。
 そんなわけで,わが家には江戸から帰ってくるチケットしかない。そんなものを持っていても仕方がないので,新たに江戸行きのチケットを買うことにした。「特割1」で予約したら,23000円である。
 おいしい話かと思っていたのに,江戸往復44900円の出費という,何だかなあということになってしまった。うまい話にゃ裏表参道。
 飛行機などという鉄のかたまりに乗るのはもちろんボクの話ではないけれど。という,オチのない方がよい話。

2006年11月13日(月)有効利用
 わが家の畑地をもっと有効利用されませんかと,D建託の方がセールスにいらっしゃったらしい。アパートを建てないかという話のようだ。有効利用って,タマネギの苗が800本ほど植えてあるのが目に入らないのだろうか。ボクにとっては今のところ一番の有効利用なのだが。
 とはいえ,植えたきりでその後の成長を見ていない。成長が悪く,道路からは苗が目につかないのかもしれない。一度見てきた方が良さそうである。
 わが家の斜め横の,D建託が建てられたアパートには,長期間の空き部屋がある。こんなところに誰が住みたいと思うのよ,とつれあいが尋ねたら,「結構,若い人に人気があるんですよ」と答えが返ってきたとか。まったくいい加減なセールス・マンである。市内で飲んだって歩いて帰れないし,スーパー・マーケットだって歩いていく気にならないような距離である。急な坂道を自転車でこいで上がれば筋力がつくことと,砂丘で砂遊びができるくらいしかいいことが思い浮かばないぞ。
 「そこのアパートに空き部屋があるわよ」と話したら,借り手がいなくても家主さんには保証があると話されたのだとか。まったく,そんないい話は自分で乗っかられる方がよいね。
 有効利用に見えるよう,タマネギにたっぷり肥料をやっておいた方がよいようだ。

2006年11月12日(日)大きになのにちいさ麺
 太陽が時々顔をのぞかせたが,小雨も降ったりの肌寒い晩秋の京都を,祇園から京都駅までブラブラ歩いた。お世話になったタクシーの運転手さんの経験則だと,11月18日あたりが秋の観光客のピークらしい。この土日は,雨のせいで近隣からのマイ・カー観光客が少なく,渋滞も比較的少ないとおっしゃる。
 タクシーばかりに乗るのももったいない。午前中,市バス202系に乗ったら,九条車庫で全員降ろされた。乗務員交代だとか。お金は払わないので,そのまま乗り逃げ可能である。修学旅行で班行動中の北海高校の皆さんと,変わったバスだねえなどと会話が弾んだ。京都のことをよくしらないもので。
 この2日間,ミニ割烹料理やフランス料理を売りにしている小さなお店,居酒屋兼京うどんのお店に入った。「おおきに」という言葉がよく出てきて,お店の方の言葉は皆さん優しいのだが,何だか目が笑っていない。京の女ことばに気をつけろというのが,少し分かるような気がした。
 それにしても,ボクの口に合った京都のうどんは今回もなかった。大体,あんなひやむぎのような麺をうどんとよばないでもらいたいと思うのだが,まっ,昔の江戸のうどんよりはましかもしれない。

2006年11月11日(土)EC LIVE
 休日の土曜日なのに,早起きをし,エリック・クラプトンさんのDVDを見ながらメールをチェックするという生活である。ということで,今晩からクラプトンさんの来日コンサートが始まる。約1か月の長期ジャパン・ツアーだ。
 すでに,一昨日のリハーサル音源も公開されていて,『Wonderful Tonight』は,シンプルなギター中心の編曲になっていた。今回は,ギター3本のステージだ。シェアリングで楽をしようしていらっしゃるのか,激しいバトルを考えていらっしゃるのか。ツアー初日である大阪城ホールは,少しは緊張感のあるステージが期待できるだろうか。
 <列車移動>
 で,大阪城ホールに着いたのは,5時50分。3000円のパンフやECロゴ入りのキャップを買って(ウドーさんボロ儲け)入場すると,トイレには並ぶ気が起こらないような長蛇の列。我慢した。あっ,その前に,肩からぶら下げていたニコンD70は当然入り口で没収である。録音機能付きMDやボイス・レコーダー付きポータブル・メディア・プレーヤーは,同伴者のバッグの中でスルーだった。
 6時の開演予定が10分ほど遅れ,フランスのセット・リストと同じ『PRETENDING』で始まった。次は,『SO TIRED』かと思ったら,結構ハードな『I SHOT THE SHERIFF』だ。途中,ブルース中心のアコギ・セットを盛り込みながら,後半もブルース系中心のメニューである。
 たっぷり演奏してほしかった『WONDERFUL TONIGHT』はシンプルに終わり,いつもはイントロで気を持たせることの多い『LAYLA』は,いきなりLAYLAのメロディから始まった。
 デレク・アンド・ドミノス時代の作品など,古い曲が多いけれど,ギター3本それぞれのたっぷりのソロがあるし,時にバトルもあった。シェアリングして,休憩なしのノンストップで片付けようというのが,クラプトンさんのこのツアーのご計画のようである。
 演奏された曲は,クラプトンさんファンにはお馴染みだ。しかし,これがただの昔の名前で出ていますという演奏ではない。ボーカルも,昔に比べるとホント上手。声も,還暦超とは思えないほどよく通っている。ドラムスは力強くてタイトだし,2つあるキーボードのひとつもちょっとやばいのではないかと思うようなハードさだ。とりわけ,目を引いたのが,シャープなスライドギターの音を鳴り響かせたデレク・トラックスさん。デレクさんが加わったおかげで,『LAYLA』はかつてないほど美しく激情のあぶない『LAYLA』だったような気がする。『COCAINE』も,聴いたことがないほどベリー・ハード。
 それにしても,大阪のお客さんは意外におとなし目だった。二人連れで来ていた隣席の20代の女の子は,1曲も知っている曲がなかったらしい。一番良かったのは,キーボードだったとか。そんな方もいらっしゃったコンサートだった。ああ,武道館でも聴いてみたい。
 MCはほとんどなく,最初の「こんばんは」のあとに出てきたのは「どうも」ばかりだった2時間のノンストップ・ライブは,8時15分に終了した。演奏曲名は次のようだと思うが,間違っていたらご指摘いただきたい。
 1 PRETENDING
 2 I SHOT THE SHERIFF
 3 GOT TO GET BETTER IN A LITTLE WHILE
 4 OLD LOVE
 5 TELL THE TRUTH
 6 MOTHERLESS CHILDREN
 7 KEY TO THE HIGHWAY
 8 OUTSIDE WOMAN BLUES
 9 SAN FRANCISCO BAY BLUES
10 NOBODY KNOWS YOU WHEN YOU'RE DOWN & OUT
11 RUNNING ON FAITH
12 AFTER MIDNIGHT
13 LITTLE QUEEN OF SPADES
14 FURTHER ON UP THE ROAD
15 WONDERFUL TONIGHT
16 LAYLA
17 COCAINE
18 CROSSROADS(アンコール) 

2006年11月10日(金)苦あれば楽焼き
 今日は久しぶりにとても忙しい一日だった。朝から19時30分まで,ほぼノンストップで働かせてもらった。18時からは外部の会合に出席する予定だったのだが,抜け出すことができず欠席してしまった。「ろうきん」の皆さま,ご迷惑をおかけしました。
 明日はお楽しみがあるのだから,その前に,しっかり働きなという天の配剤だろうか。河合隼雄さんの,「ふたつ良いことさてないものよ」を思い浮かべた一日である。
 そういえば,河合さんが意識をなくされてから大分経つ。その後,快方に向かっているという報道を見ていないような気がする。まだ,意識は戻らないままだろうか。河合さんに,良いことのあとには悪いことも起こるということを教えてもらったけれど,当たり前だが,良いことの前にも悪いことはあるのだ。
 心理学業界の方々がかなりおいしい生活ができるようになったのは,河合さんのおかげであろう。受験した学科に心理学科があるくらい,ボクも若い頃は関心があった業界だ。しかし,結局,「人の心はわからない」ということがボクが河合さんから学んだことで,今になってみると,哲学や社会学の方が遙かに面白い世界だと思うようになったのだった。人の心がわからないということをわかるための学問というのも,それはそれで面白いのかもしれないけれど。
 ということで,今日のことを思うと,京都に泊まる明日はかなり良いことが期待できそうな一日なのである。 

2006年11月9日(木)影の力
 明日までに『ダ・ヴィンチ・コード』を見ておいた方が良いと思われる事情があって,アマゾンから届いていたDVDを,2時間30分かかって見終わった。ジーザス関連だとは聞いていたけれど,本当にべったりジーザス寄りの話で,期待していたダ=ヴィンチさんのことはあまり扱われていなかった。がっかりだよ。タイトルにダ=ヴィンチさんをつけないでほしいな。見終わって,ルーブルの映像が良かったことくらいしか思い出せない。
 ヴィンチ村で育ったレオナルドさんは,1500年前後に活躍した方で,スケッチは膨大だが,絵画は17点ほどしかない。ご本人は画家だとは思っていなかったのではないかというくらいの多才ぶりで,絵の中には,戦車やヘリコプターや自転車!があったり,筋肉や胎児のスケッチもある。葬式のあと,ろうそくやナイフや絵筆を持って墓場へ行って,死体を切り刻んでいたらしい。怖ろしい光景である。
 そんなダ=ヴィンチさんの,「影は光よりも力をもっている」という言葉がボクは好きだ。ボールを平面に描くときだけの話ではなく,写真を撮るときだけの話でもなく,光の当たっている部分より影になっている場所に,ついつい本当のところが溜まってしまったりするのではないかと思ったりするのである。
 今日は青空のきれいな小春日和だった。いちおう明るく振る舞っていたけれど,今週の疲れが蓄積しているような気がする。夕方の長い影に疲れが現れていたのを,誰か気づいてくれただろうか。そんなわけないな。 

2006年11月8日(水)来日記念盤
 今日は,クラプトンさんの新作CDとDVDの発売日である。22日にもDVDの発売が予定されている。来日記念盤の乱発である。日本での長期ツアーで,クラプトンさんだけでなく,それぞれの業界の皆さんがお稼ぎになるのだろう。まったく,今月はクラプトンさんネタが多くなるわけである。
 本日発売のDVDは,1988年のカリフォルニア・ライブ。クラプトンさんのCDやDVDは発売数が多いので,お付き合いするのは大変だが,このライブにはギタリストのマーク・ノップラーさんが参加している。ノップラーさんの,大人のシングル・トーン・ロック好きには外せない1枚である。
 いつものクラプトンさんの曲に混じり,ノップラーさんの『Money For Nothing』が収録されているのもありがたい。ノップラーさんは,なぜか日本ではあまり売れないようだが,エミルー・ハリスさんとの共演盤も発売されたから,少しは知名度が上がるだろうか。
 ところで,お馴染み『LAYLA』のテーマの前のイントロは,ベーシストのネイザン・イーストさんが,ウェザー・リポートの『A Remark You Made』(「お前のしるし」!)のメロディを演奏している。ベーシストには魅力的なフレーズなのだろう。ジャコ・パストリアスさんは,クラプトン・バンドにも影響を与えていたのである。
 さて,LAYLAさんはどんな「しるし」をおつけになったのだろう。 

2006年11月7日(火)初セリ
 今日のログは朝から決まっていた。賀露に今シーズン初めてやってくる松葉ガニの話である。落札価格はいくらになるのか分からない。賀露の松葉ガニの初セリなのだから高くなることもあるだろう。とりあえず,とさきさんに松葉ガニをたった一枚だけお願いした。ボクは勤務があって取りにいけないので,今日は比較的時間の都合がつきやすいつれあいにすべてを任せた。
 そのつれあいから,12時前にメールがあった。「一枚が6500円の予想外の高値だけれどどうしますかと言われましたが,俺たちに明後日はないので頼みましたよ。」とある。すばらしい。いつから,彼女はボクと同じ考え方になったのだろう。
 重さは,1016グラムの松葉ガニだった。生で食べ,たっぷりのミソを楽しませてもらい,しゃぶしゃぶや雑炊ですべてお命頂戴いたしました。名も知らぬキミのおかげで,ボクは明日も元気に働くことができるよ。ありがとね。感謝。ホントは気の小さいつれあいは,明日何か悪いことがあるのではないかとちょっと不安らしい。
 しかし,夫婦でこんな考え方をしていていいのだろうか。万にひとつ,長生きをしてしまったら老後が心配である。とりあえず明後日がきたら,粗食に耐えるしかない。 

2006年11月6日(月)クラプトン・ウィーク
 週末はクラプトンさんにお会いできる予定である。車の中でも家でもクラプトンさんを聴いている。今日は『unplugged』と,デレク・アンド・ザ・ドミノスの『IN CONCERT』を聴きながら,海外ミステリ。
 『アンプラグド』中の,『LAYLA』のスローテンポなアコースティック・ギターを久しぶりに聴いた。ブルージーで渋い演奏である。アコースティック・ギターといえば,朝ズバッ!の天気予報の時のBGMのギターもわが家のお気に入りだ。どなたの演奏なのだろう,ご存じの方はご教示いただきたい。
 つれあいは,クラプトンさんの曲の中では,『LAYLA』のピアノ・パート以降と,ロマンティックな『Wonderful Tonight』がお気に入りなのだそうだが,『beatleg magazine』12月号によると,『Wonderful Tonight』は,パーティに出かける前にパートナーに随分待たされ,怒りを込めて作った曲らしい。
 優しい気分の時に作ったから,優しい曲になるわけでもなく,いらついている時や鬼のような形相や心持ちになっている時に,美しくて優しい極上のメロディが浮かぶこともあるらしい。クラプトンさんは,「Do I look all right? Yes, you look wonderful tonight」というこの曲を大概のライブで演奏していて,とても甘い声で歌う。心の中は,かなり投げやりな,「今夜はとてもステキだよ」だったようだけれど。
 わが家では,オリジナルのスタジオ盤より,『ONE MORE CAR ONE MORE RIDER』の中の演奏が人気がある。ワンダフルでない夜であっても,この曲が流れれば少し優しい気持ちになれるような気がする。 

2006年11月5日(日)続短歌のお作法
 第35回鳥取県短歌大会が開催された。かすかな賞をいただいて,ステージに上がらせてもらったのだが,20名中男性はボクだけである。午後に行われた短歌大会の分科会場でも,司会やご助言の皆さんを除くと,女性18名に男性は2名だけ。一方,審査員は男性7名に女性が1名である。
 歌を詠むのは女性が多いのに,審査員はほとんど男性という,このジェンダー・バランスの悪さはどういう理由なのだろう。因伯には審査のできる女性が少ないのだろうか。女性の審査員が半分いらっしゃったら,選考も当然違った結果になっていたのに。
 それはさておき,この短歌会の目玉は,ボクでも名前を存じ上げている永田和宏さんの講演である。これから短歌をはじめようという方のために,その講演内容の一部をこっそり(どこが)お知らせしたい。何しろ,学生時代にもなかったほど,メモを真面目に取ったのである。
 作歌の際は,意味・情報・思いを詰め込まず,隙間のある単純な歌を詠むよう心がけること。結句で,言わなくても良いことの念押しをしない。一番言いたいことを言わないでおくことが一番伝わるのだとか。歌は放り出すのである。選歌では,一読して分かる歌からはねられるらしい。
 自分の歌に責任をもとうとせず,謎がある歌が魅力的なのだそうだ。いい加減に歌を作る呼吸が大切のようだ。鑑賞の余地を残し,あとは読み手に自由に読んでいただくということである。というようなセオリーには,当然逆もあって,やってはいけないことをやって面白くなることもある。ややこしいのである,短歌は。その時期にしか詠めない歌を詠んでおきましょう,というようなことも,お話のホンの一部だった。
 お話の趣旨はよく分かるし,普段から考えていることでもある。とはいえ,その言わずに放り出すことがなかなかできなくて,隙間をついつい埋めてしまい念押しをしてしまうのである,素人は。というか,ボクは。自分で思っている以上に責任感の強い男なのかもしれない。そのうち加減が分かるようになるといいのだけれど。
 ということで,明日は松葉ガニの解禁日。 

2006年11月4日(土)14番目の月のころ
 「オイ,休みがもう2/3終わったぞ,何をしてたんだよ。」というのは,かすかにボクの中に存在している善なる心の叫びである。タマネギの苗の植え付けやスナックエンドウの種まきをしているうちに,太陽が沈んでしまった。夜は,来週の業務の準備。明日は夕方まで拘束されるし,実質,文化の日記念3連休は終わった。短歌も詠まず,紅葉を見に行くこともなく。
 仕方がないので,わが家の南天が紅葉狩り代わりである。次々と小株が出てきてうっとうしい南天であるが,よく見るとこの時期は美しい。グラデーションもあるし,大山の紅葉だと思いこめば,これで紅葉狩りの代用になりそうだ。あの狭い大徳寺の大仙院の庭園も,見ようによっては大海原に見えるようなものである。枯山水紅葉狩り。
 その南天の下には,相変わらず朝顔が花をつけている。せっかく咲いているのだから,いつまで花をつけるのか観察してみることにした。雪をバックに朝顔が咲いている写真が撮れると面白いのだけれど。頑張れ,ボクの代わりに。 

2006年11月3日(金)農耕文化の日
 よく晴れたいい天気だった。午後,福部のラッキョウ畑に寄ってみた。あちこち道路が拡張されているし,現在も工事中で,車のすれ違いが楽になっている箇所が多い。作業者のための整備なのだろうが,ラッキョウの花を見物に行く者にとってもありがたいことだ。今日は,岐阜ナンバーの方もラッキョウ畑をドライブされていた。砂丘だけでなく,ラッキョウ畑もいなばの観光地として育てるとよいと思うよ。さすがに,11月なので花の盛りは過ぎていたけれど。
 その帰りに,ホームセンターでタマネギの苗を買った。1本約6円の猩々赤や1本約5円のソニックなどを,とりあえず500本。つるべ落としの晩秋である。日暮れまでに300本しか植え付けができなかった。けれど,ありがたいことに,作業を終えたと同時に雨になった。今日は,まったくボクに都合のいい天気である。
 カルチャー・デイというより,アグリカルチャーな一日だったけれど。 

2006年11月2日(木)木村伊兵衛写真展
 11月3日から湯所の「こぶし館」で木村伊兵衛写真展が開催される。ひょんなことから,特別に今日見せていただけることになった。お金を払って見に行くつもりだったのに,ラッキーである。ボランティアの方々などが展示の準備をされていた2時過ぎに,こぶし館へお邪魔した。
 こぶし館は,時に小さな展示スペースになることがある。今までに,ユージン・スミスさんや澤田教一さんや大石芳野さんや土門拳さんの写真展が開催されている。いなばの写真好きには,ちょっと有名な写真サロンになったりすることもあるスペースなのだ。
 木村さんの作品が35点ほど展示されるらしい。写真展のポスターにもなっている,登場人物の視線が全部バラバラで有名な『本郷森川町』や,筋肉質の男性の裸が輝いている『漁村の曙』などが,メイン・スペースにすでに展示されていた。
 木村さんは1901年生まれで,1974年にお亡くなりになった。土門拳さんと並んで写真のリアリズムを追究された方だ。お亡くなりになったのは,丁度「ニコンF2」を買ったボクの学生時代のできごとだった。今でこそ,植田正治さんの演出写真に抵抗がなくなったけれど,若い時は植田さんには興味がなくて,木村さんのような街角の風景写真も撮りたいと思ったものである。
 朝日新聞社などから作品集が発売されているが,高価なのでボクはちくま文庫の作品集しか持っていない。それも,4冊ある中の,『2 よみがえる都市』だけだ。戦後から,ボクが江戸へ行った頃までのモノクロ写真が180点以上収録されている文庫本である。そのころ東京で生活されていた人は,その懐かしい光景に思わず声が上がるだろう。というか,「おばけ煙突」が見える場所に住んでいたつれあいは,ページをめくるたびにうるさく騒いでいたのだった。 

2006年11月1日(水)ロッケン・ミステリ
 先週の朝日新聞の書評欄に,「トマス・H・クックを知らない人は小説ファンではない。トマス・H・クックを読まずして現代小説を語ることはできない。」という,池上冬樹さんの『緋色の迷宮』を紹介する「偏見」があった。こぼしたインクがジワジワ広がっていくような,じめっと暗い雰囲気が醸し出される作品もあるから,好き嫌いがでるような気がするのだが,確かにクックさんはうまい。「クックを読め」とおっしゃる池上さんのお気持ちはよくわかる。
 クックさんに限らず,海外ミステリには,読み始めるとはまる作品が多い。karaさんご推薦の,イアン・ランキンさんの『黒と青』が届いた。
 でるわでるわでロックやジャズの作品名が登場する。わずか100ページの間に,マイルスさんやジェスロ=タルやボブ・ディランさんの作品がのべ10曲以上登場する。やや古目の曲が多い。女性と酒を飲んでいる時に,「ピンク・フロイドの『おせっかい』のテープをいれた」という箇所に至っては,ナンダこの人はボクと同じ趣味じゃんという感じである。その次に流れる曲は『チューブラー・ベルズ』だ。もう参った。
 とりあえず,今晩のBGMはDIRE STRAITSの『on every street』にしてみた。マーク・ノップラーさんの心地よいギターとボーカルを聴きながらミステリを読むという,至福の晩秋の夜であった。
 ロック好きのミステリ好きは,「ランキンを読め」。 

2006年10月31日(火)国民文化祭
 第21回国民文化祭岩国市実行委員会から,「短歌大会」入選作品集が届いた。昨年は馬場あき子さんがかすかに選んでくださっていたのだが,今年は,佐佐木幸綱さんと原田俊一さんという方からかすかに選ばれていた。かすかにありがとうございました。
 30首,50首勝負というような本格短歌賞もあるけれど,1首ずつ投稿した歌の選であるから,交通事故のようなものだ。自動車を運転し始めた頃に,あちこちコツンとぶつけていたようなものかもしれんと思ったりした。ビギナーズ・ハッピー・ゴー・ラッキーである。
 運転に慣れた最近は,車をぶつけることなく過ごしているのだが,そのうち短歌も同じような運命をたどるのかもしれない。不安なことである。慣れない方が良いのだろうか。
 ところで,一般の部の最上位である文部科学大臣賞は,山口の方の「髪の毛に渦巻き二つ利かん気の生徒の短歌肩越しに読む」という歌だった。ふーん。 

2006年10月30日(月)「愛」は東芝EMIも救う
 朝日新聞に,ビートルズの”新作”『LOVE』が11月20日に発売されるという記事があった。ジャケット写真付きの気合いの入った記事である。今日の全国紙にビートルズの記事があったのは朝日だけだった(と思う)。昨年末もビートルズの秘話が連載されていたし,朝日新聞にはビートルズ好きのデスクがいらっしゃるのだろうか。それとも,東芝EMIと関係の深い方がいらっしゃるのか。
 ビートルズに関しては,東芝EMIはせこい商売をされていて,『LET IT BE... NAKED』はCCCDだし,デジタル・リマスター盤もなかなか発売されない。2000年に発売された『1』の音の良さに驚いた人は多いと思うのだが,東芝さんは,しっかり通常盤を売った後で,そのうちリマスター盤も買わせようと考えていらっしゃるのかもしれない。商売上手である。
 新作といっても,ビートルズの新録があるわけもなく,『LOVE』は,プロデューサーのジョージ・マーティンさんのリミックス盤である。クラプトンさんが,トム=ダウドさんの『LAYLA』のミキシングに感激したような編集ならよいのだろうが,メンバーが亡くなってから,あれこれいじくり回して曲を作り直すというのも何だかなあ,である。
 さいわい,収録26曲の中には,好きな曲がそう多くないので,あまり期待はしていない。とりあえず,怖いモノ聴きたさで安い通常版を予約している。ちなみに,『While My Guitar Gently Weeps』『A Day In The Life』 『Lady Madonna』などが収録されている。
 それにしても,「LET IT」の次の単語がビートルズは「BE」で,ストーンズは「BLEED」だ。知的カブトムシトッチャン坊やと,悪ガキ肉体派転石野郎である。どちらも好きなので困ってしまうのだけれど。 

2006年10月29日(日)無情の世界
 掲示板でkaraさんが紹介されたイアン・ランキンさんの『黒と青』という作品は,ローリング・ストーンズの1976年のアルバムと同じタイトルである。ランキンさんには,『LET IT BLEED』という作品もあるらしいから,ストーンズ好きの作家のようだ。『BLACK AND BLUE』は,ファンクやレゲエの入った,ストーンズっぽくない,やや地味めで脱力系の渋くて飽きのこないアルバムである。
 ところで,ボクがストーンズのアルバムの中で一番よく聴いたアルバムは,ランキンさんの作品にもある1969年の『LET IT BLEED』だ。ノリの良い1曲目の『GIMMIE SHELTER』や,続くバラードの『LOVE IN VAIN』,アコースティックな『COUNTRY HONK』ももちろん良い。
 しかし,何といっても,B面最後に突然現れる,ストーンズの曲とは思えない清々しい女性コーラスで始まる『YOU CAN'T ALWAYS GET WHAT YOU WANT』が一番のお気に入りだ。アクがあって泥臭いミック・ジャガーさんの声でなかったら,もっと有名な曲になったのではないか。失礼な話だが。
 女性コーラスをアル・クーパーさんのフレンチ・ホルンがつなぐ。「欲しいモノは簡単には手に入らないぜ」と何度も繰り返し,最後に,「でも試してみな。時には手に入るかもナ」というフレーズのこの曲に,高校生の時以来,何度もお世話になった。失恋した時とか,受験の時とか,麻雀で負けた時とか,ポルシェが買えない時とか,短歌が詠めない時とか,黒髪が抜ける時とか。
 「shelter」や「vain」という単語や,「what」の使い方を覚えただけでなく,生きていくことの厳しさや努力すればいいことがあるかもとストーンズから学んだのである。「トライしてみな」と努力を説くなんて,ただのロケンロールバンドではないのである,ストーンズは。そんなわけだから,ランキンさんもただ者ではないのだろう。 

2006年10月28日(土)歌集精読会
 今日は,『やさしい鮫』という歌集を読む会があって,夕方から4時間以上,短歌の勉強をした。ペラペラ歌集をめくることはあっても,最初から最後まで丁寧に歌集を読むということは滅多にない。『サラダ記念日』と,前回の『曳舟』くらいである。これが,丁寧に読んだ3冊目の歌集である。楽しみのために読書をするのだろうが,たまには,読書感想文を書くために本を読んでみるのも面白い。というか,勉強になるのだった
 ボクは,「理由あまた列挙してきみは辞めてゆくおそらく一番の理由は言わず」という歌が,好き。見えすぎであるという意見もあったけれど。
 自分が所属している集団から,何かのコメントを残して抜ける日が,そんなに遠い日のことではないような気が最近はしている。実際に,お別れの言葉を考えてみたりすることもある。けれど,仮にそんなことになったとしても,本当のところや2番目や3番目の理由は言わないだろう。自分側の理由であっても,誰かに責任転嫁をしようと思う場合であっても。おそらく,その周辺のいくつかを並べ立てて,核心をぼかすに違いない。自分や誰かを傷つけないために。もちろん,感情が言葉にすべて置き換えられるわけでもないし。
 みずたまりの皆さんや,すべてをセッティングしてくださったあらくれにほんかいさんに感謝である。 

2006年10月27日(金)酔生夢死
 今週3日目の酔街勤務である。0時を過ぎての帰宅なので,いつもに輪をかけて文章作成能力がありませんです。
 で,今日は労働組合の役員改選だった。2期4年やって一度終了。のんびり過ごしていた人間に,もう1回役員をやれという怖ろしい集団だ。若者がもっと頑張ってよね。この歳で労働組合はきついのである。元気な若者と一緒の遅くまでの深酒もつらい。目覚めて午前中に運転したらきっと酒気帯びである。
 伯耆の中学校の先生が,午前2時30分まで飲酒し,午後3時前に運転したら酒気帯び懲戒免職だったとか。飲み放題のワインやビールを飲みながら,「ボクらと大して変わらない人なんだろうにねえ」とか,「44歳と言えばお金がかかる時期なのに」というような話をしていたのだった。夜中に行われていることが多い飲酒の検問を,そのうち朝に実施するような時代がくるのだろうか。それとも,もう行われているのか。ちょっと困るな。そういえば,ボクは車を置いて帰っていたので,明日は自力で出かけることができない。夕方から,また酔街である。エライ。
 ということで,酔街まで迎えに来てくれるつれあいは毎日睡眠不足らしい。今日は夫婦それぞれの事情でふて寝である。たまにはそんな日も。 

2006年10月26日(木)マコモタケ
 岩美町で働いていらっしゃる方からマコモタケをたくさんいただいた。去年はじめて食べた食材で,少しはヒットするかと思ったのだが,今年もまだメジャーにはなっていないようで,地元のスーパーの売り場にたくさんあるらしい。おまけに,結構鮮度の落ちたモノもあるようで,切り口が少し茶色になっていたりする。
 その割に,袋に入っているのは2本だけで,値段は150円になっていた。昨年は,4本入って100円の袋もあったのに。都会並みの値段になっているようだ。いなばの皆さんはお買いになるだろうか。
 値段が高くなったお詫びでもないのだろうが,袋の中に付録がついている。いなばの中華料理店やホテルのシェフなどのマコモタケ・レシピである。
 マコモタケと大正海老の水晶炒め,田楽,ピリカラ煮込み,揚げ出しなど,11種類の料理が紹介されている。ご丁寧に,そのマコモタケ料理を盛る地元の窯元の器の紹介まである。頑張っているなあ岩美町。
 とりあえず,ボクはテンプラで良いのだけれど。
 

2006年10月25日(水)必修
 富山県で世界史必修問題が起こったと思ったら,岩手県にも飛び火していた。世界史は勉強しにくいということなのだろう。帰ってヤフーのニュースを見たら,さらに10県65校と一気に拡大である。まだ増えそうである。
 高校生の時,世界史も日本史も地理も習ったけれど,世界史は苦手だった。時間の流れだけでなく,地理的知識も求められるから大変である。
 世界のことも日本のことも学んだ方がいいに決まっているのだが,学校の授業時間は限られている。どちらかひとつということになると,日本という地域限定の日本史を必修にした方が良いような気がする。
 国際化社会やグローバリズムの時代である。世界を知ることが大切だというような理由で世界史が必修になったのだろう。しかし,自国の歴史を知らないというのもどうか。どこでも勢力争いはある。日本史業界と世界史業界の戦いの結果,世界史の教科書を書かれていた文部省に影響力のある人が,世界史を必修にした方が印税も入ってくるし歴史業界でも大きな態度をとることができる,というようなことを考えて決めたんじゃあないだろうな。
 そんな面倒な世界史を,受験シーズン直前の今頃に集中講義などで勉強する皆さんは大変である。70時間はやらないといけないらしい。お気の毒さま。入学先や人生が変わるだろうなあ。リークされた方の望まれるところなのだろうか。もっと早い時期に流せば良いのに。 

2006年10月24日(火)短歌のお作法
 今日は短歌会だった。鋭い詠みや読みができる皆さんなので学ぶことが多い。
 ということで,今日は,先日の小池光さんの短歌の作法の一部をご紹介してみたい。自分が詠む際に,振り返って参考にするために。
 定型を守る。リズムが命。シンプルに。歌の中の登場人物は二人まで。名詞は少なく動詞も少し。形容詞不可。接続詞や副詞を上手に使おうというお話だった。
 絵を描く際,画用紙というかキャンバスの全部を塗らないようにした方がいいというような内容である。
 短歌は音楽なので,リズムが命とも。これだけでも,短歌を作る際にはとても参考になると思うのであるが,皆さん歌が作れただろうか。
 ボクはお話通りにはなかなか詠めない。

2006年10月23日(月)プロのいじめ方
 倒れたアンテナを撤去してもらい,CATVの外回りの工事が終わった。とりあえず,今まで見ることができていた番組は視聴可能になった。相変わらずキャスターの皆さんは正義の使者なので,たたかれやすい教育界などは火だるま状態に見える。何しろ,すべての国民はそれなりに教育経験があるので,大人の数だけ教育論があるというわけだ。やっかいなことである。
 しかし,原因をひとりだけに収斂して,そこに攻撃を加えている今の様子って,まさにいじめの構図なんじゃないかなあ。詳しいことや細部はわからないけれど,ある結果の原因が複合的であることは多い。ボクの髪に白髪ができたのは,加齢だけでもなく,もちろんつれあいのせいだけでもない,多分。仕事や短歌を詠めないというようなことも関係しているのだろう。
 教育は時代の最先端を走り社会を引っ張る場ではなくて,社会の後追いである。政治や経済や社会システムのしばりの中で成り立つ社会だ。戦争を始めたら,子どもたちに鬼畜米英と教えたように。って,教えられた経験はないけれど。大人の社会で起こっていることが教育の現場に反映するものである。弱肉強食を目指す社会であれば,教室もそうなる危険性は高い。もちろん,メディアで放送されたものもマネをするのだ,子どもも大人も。
 いじめを正しているつもりが,自らがいじめる側になっていて,さらにいじめを助長しているかもしれないという自省は,メディアの皆さまはお持ちではないのだろうか。それにしても,寄ってたかってひとりだけを集中攻撃って,プロを敵にすると怖い。キャスターのお怒りになったコメントを聞いていると,何だかつられて見ているボクの性格の悪さにも拍車がかかりそうである。アンテナが倒れたままの方がよかったかも知れない。

2006年10月22日(日)あいだこいだ
 絶好の行楽日和である。全国スポレクも行われているせいか,道を走る車の数も多い。そんな今日は,キエフ・オペラ『アイーダ』のいなば公演である。つれあいは前売り13000円の席を買い求めて鑑賞してきたので,感想をあれこれ話したいようだ。「聞いて聞いて」状態である。県民文化会館の駐車場が一杯だったというようなところから。
 オペラはルネサンスが終わったあたりのフィレンツェで生まれたらしい。『アイーダ』は,スエズ運河開通を祝ってオープンしたカイロ・オペラ座のために作られたようだが,つれあいによると,アイーダより,王女アムネリスの出番が多くて目立っていたとのこと。ピアニシモ・パートもとてもよく響いていたらしい。
 休憩時間には,2階から飛び降りようとした?若者もあって,なかなか楽しめた公演だったようだ。何が起こるかわからないライブの醍醐味である。って,周りの迷惑を考えた方がいいと思うけれど。総勢210名が来られての公演だそうだが,スポレクもあるから,久しぶりにいなばのホテル業界はお喜びのことだろう。
 ボクは,境港で小池さんという方などのお話に耳を傾けていた。聞く人がいるから喋る人も精が出るというものであろう。という,今日は疲れるリスニングの一日だった。ご褒美に,小池さんから賞状をいただいた。ありがとうございました。

2006年10月21日(土)違反商品
 Yahoo!オークションからメールが届いていた。タイトルは「違反商品を削除しました」。本文中に,『あなたが入札したオークション「91333724」は削除されました』とある。「91333724」は,エリッククラプトンの2004 SUNRISE LIVEのDVDだ。2006年のフランスでのライブDVDも消えていた。結構,通報やチェックが入っているようである。ごくろうさま。
 ヤフオクで出品してはいけないモノは色々あって,法的制約のあるもの以外では,タバコや犬や臓器や海賊版なども禁止出品物である。そんな商品の入札に参加してはいけないのである。すいません。反省しました。
 当該オークションの出品者のIDの横には(停止中)という文字が入っている。入札に参加したオークションが削除されたというのは初めてのことなので,今後の参考のために,削除されたオークションの出品者に連絡をさしあげた。返事が楽しみである。評価はわずか13件の方なので,また別のIDで出品するというイタチごっこなのだろうか。今のところ何の返事もないけれど。

2006年10月20日(金)秋の女性ヴォーカル
 秋は時々ヴォーカルを聴きたくなることがある。それも若者の。オヤジの悪いクセである。といっても,ヴォーカルのコレクションが少ないので,結局,ノラ・ジョーンズさんあたりになってしまうのだが,ここのところ,フレドリカ・スタールさんという女性の歌を流している。『Fraction Of You』というアルバムである。
 日本盤CDは10月25日発売である。輸入盤はアマゾンでは扱っていなくて,タワーなどで買うしかない。
 優しそうな若い声である。22歳だそうだ。驚きの全曲オリジナルである。パリのスウェーデン人らしい。フランス語の歌もあって,おしゃれでベリー・クール。ギターやピアノの演奏は軽くてオシャレ寄りだけれど,それなりにジャズである。10月初旬には東京でライブがあったらしい。いいなあ首都は。
 最近のジャズ雑誌は,日本の女性ジャズ・ミュージシャンを売っていこうという流れが鼻についてちょっと嫌な感じ。まっ,ナショナリズムもよいけれど,日本人には醸し出せないクールな雰囲気のフレドリカさんの日本盤が発売されれば,ノラ・ジョーンズさんの時のようにブレイクするであろう。少なくともオヤジにはヒットするはずである。
 エイミー・リーさんといい,20代の女性は恐るべしである。もとい,歳に関係なく恐るべし。 

2006年10月19日(木)賀露の浜辺に上がりしカニかご
 賀露在住の人と話をしていたら,カニ漁船は現在6隻しかないということがわかった。カニを獲ってくる船はそんなに少なかったのかと,ちょっと驚いた。それでも,県全体の1/3のカニの水揚げがあるのだとか。カニさんには申し訳ないが,リーズナブルな値段になる程度の水揚げを期待したい。
 さて,そんな賀露に鳥ケ島という小島がある。賀露の皆さんにはお馴染みだ。この島名の由来は,吉備真備さんが関係している。遣唐使の真備さんである。遣唐使船がいなば近くを航海するわけもなく,もちろん嵐のせいで真備さんは賀露を漂流されていたのだった。漂流し,島に取りついて上がったから「取り上がり島」だそうな。何だか,ホンマかいなという気がしないでもないけれど。
 そんな真備さんが唐へ渡ったのは,717年。「三笠の山にいでし月かも」でお馴染みの阿倍仲麻呂の同期である。晋三さん,慎之助さんなど,「あべ」さんはそれぞれ違った漢字が使われるから,受験生は注意するようにね。なかなか帰してもらえなくて,唐で客死した仲麻呂さんと同じように,真備さんも優秀で,玄宗皇帝に可愛がられたらしい。囲碁も強かったとか。賀露の人と話をすると,カニの話ばかりというわけではなく,日本史や世界史の勉強もできてしまうのだった。
 ということで,松葉ガニの解禁は11月6日らしいというお知らせである。 

2006年10月18日(水)熊った
 たぬきやいたちはよく見るし,つれあいは猿も見たことがあるらしい。けれど,天然の熊は見たことがない。いなばの市街地に熊が出没するのだとか。熊ったことだ。
 映画「UDON」の中でも熊が出てきたが,狭い香川県は造成が進んでいて,実際は熊の生息する空間はないらしい。九州にもツキノワグマはあまりいないようで,絶滅したという情報もある。いなばにまだ熊がいるということは,住みやすい自然豊かな場所ということなのだろう。
 それにしても,この時期に人里近くまでやってくるということは,よほど山に食べ物がないということなのか。それとも,ひとのそばの方が簡単に食べ物が手に入ることを学習してしまったのか。境界が分からなくなっているのかもしれない。
 遭遇したら,興奮させないように速やかに熊を見ながら後退するのが良いようだが,いずれにせよ,熊ったのは人間だけではなく,熊の方も同様であろう。
 短歌の提出締め切りが10時間を切った今のボクが熊っているのは,もちろん熊のことではない。

2006年10月17日(火)『Layla』をミックスした男
 プロデューサー欄やレコーディング・エンジニア欄にトム・ダウドさんのクレジットのあるアルバムは,わが家にかなりある。『MY FAVORITE THINGS』などのアトランティック時代のコルトレーンさんのアルバムや,MJQの作品,『THE FILLMORE CONCERT』をはじめとするオールマン・ブラザース・バンドの諸作品やクリーム,レーナード・スキナードなど,そして何と言っても,デレク・アンド・ドミノスの『LAYLA』。
 そんなトム・ダウドさんのドキュメンタリーをDVDでやっと見た。
 はじまりは,『LAYLA』の途中のピアノ・パートからである。渋いはじまりだ。ミキシング次第で音楽はいくらでも変わることがよくわかった。90分の作品は,ダウドさんが30年ぶりに『LAYLA』をリミックスするシーンがハイライトである。とても楽しそうだ。名曲『LAYLA』は,楽譜なしでクラプトンさんやデュエイン・オールマンさんが思いつくまま演奏していて生まれたらしい。
 ドキュメンタリーの中で,オールマン・ブラザース・バンドのギタリストのひとりであるディッキー・ベッツさんは,作曲中は自分で曲の出来を判断できず,新曲を発表するときはいつも緊張していたと話すし,クラプトンさんも,曲作りにいつも不安を感じていて,自分の才能に疑問を持っていたと語る。
 神様とよばれた人達も,表現する時に,不安だったり自信がなかったりするんだなあと少し親しみを感じた。そんな彼らに,自信を持たせたのが,音楽が好きで音楽をよく知っていた,トム・ダウドさんだったのである。
 表現者だけでいい作品が生まれるわけではなく,彼らに自信を持たせたり,支えたり,誉める人達も大切なんだということを改めて感じたのだった。

2006年10月16日(月)かくかくしかじか
 いつか某国がミサイルを発射する可能性はあるんですかねえ,と質問される方があった。
 普通に考えれば,核は持っていることによってその効果が最大限に発揮されるものである。使うぞ,使うぞと脅しをかけることが,核兵器保有のいちばんの意味であろう。あくまでも,周辺を牽制する道具として利用するためのものである。
 したがって,使ってしまえばアウトだ。勝負の前半で切り札を出してしまったら,あとで困るだけだ。使った瞬間に,ほとんど全世界を敵にまわすことになる。核兵器を使用した国に,同害復讐を行っても,それを批判する国は少数のはずだ。だから,ボクの近所にミサイルが降ってくるのを心配するのは,天が落ちてくるのを心配するようなものなのではないかと答えたのだが,しかし,これはあくまでも相手が普通の人であるという前提に基づく仮説である。
 普通じゃない人の場合は,この限りではない。不治の病が判明してやけになったり,死期が近づいた時に,「周辺の連中も道連れにしてやるー。」とボタンをひと押しする可能性はある(ひと押しでいいのか?)。頼むから,いつまでも健康で長生きしてもらいたいものである。ん?
 それにしても,一国全体の経済は豊かとは思えないような国が核兵器を所有する時代だ。テロ組織が所有することだってありそうだ。大国の核独占による核抑止論が有効性をもたなくなっているということであろう。どうせなら,いっそ世界中に核兵器を配ってあげたらどうかね,大国さん。東ティモールにもバチカンにも,もれなく。みんな眠れなくなるぞ。不眠の果てに核廃絶,なんてことにはならないだろうか。
 そんなわけで,ほしいものがあったら今のうちに買っておいた方がよさそうだ。ということで,今日は靴とシングル・モルトを3本買ってきた。財布が空になった。給料日は週末だというのに。明日から無駄遣いはやめることにしよう。

2006年10月15日(日)強し子の母
 今朝の読売新聞1面に,「祖母,孫を代理出産」「50代,娘の卵子で」という大きな見出しがあった。社会面にも関連記事があって,「娘のため身を捨てる」とある。
 子宮摘出で子どもを産めなくなった30歳代の娘に代わって,体外受精させた受精卵を50歳代のお母さんに移植し,出産されたということだ。朝から,つれあいが熱心に読んでいて,50歳代って前半?それとも後半かしらと訝っていた。それって,大きいのかねえと聞いたら,「当たり前でしょ」とひと言。すいません。
 その後のニュースによれば,50歳代後半だそうだ。すごいな。つれあいは,後半だったらもちろんしないし,かろうじて前半の今でも多分しないと言う。先日の胃カメラも大変だったけれど,出産はあんなものではないらしい。ボクは,胃カメラだけで十分懲りた根性のない男なので,とても出産はできそうにない。もうしわけないが,男しかできぬ。
 とはいえ,わが家の娘が若くして不治の病にかかっていたりしたらわからんなあ,ともつぶやく。社会の一般的常識で語ることではなく,それぞれの家庭の事情があるだろうから,他人は何とも言えないわよねえ,医学も進歩しちゃったんだしなどと,「パーマネント野ばら」に集まる女性たちのような会話で終わった。何はともあれ,いい子に育ち,生まれてきて良かったという人生を送っていただきたいものである。
 そんなわけで,わが家の子どもたちはとりあえず母親には期待しないように。念のため。

2006年10月14日(土)音楽LAN
 冬場の雪で斜めに傾いていたわが家のテレビ・アンテナは,台風やら強風ですっかり屋根に寝てしまって,ここのところ画像がほとんど映らない。「新婚さんいらっしゃい」以外に見たい番組がないので,ボクはそう支障ないのだが,朝の連ドラが好きなつれあいと,ご近所の,「あんたげはいつまでアンテナを倒しとくだいなあ」という声もあって,アンテナの要らないCATVを検討することにした。
 ネットで直接申し込むことができるようだが,ご近所の電気屋さんも大事である。そのうち,電球1個の交換さえ自分でできなくなり,交換のお願いをすることがあるかもしれない。コジマ電気さんも出店されるとか。価格競争はいいけれど,すべて大型家電屋さんになっても困るのだ。
 そんなわけで,つれあいは顔なじみらしい電気屋さんに来てもらった。30歳代くらいの好青年である。玄関先では何だしということで,部屋に上がってもらって説明を聞いたあとお茶を飲んでいたら,棚にあるレコードやCDの話になった。
 聞けば,音楽がお好きなのだとか。コアの部分はボクとは少し違うようだが,5〜6年前くらいからジャズも聞くようになったのだとか。お気の毒なことに,但馬牛に糸コンニャク状態である。高級すき焼きをおごっていただくようなものだ。カモネギともいう。音楽話をするのにちょうどいい塩梅の音楽歴である。電化マイルスさんがお好きなのかあ。それより,こっちはどうよマイルスさん。エバンスもあるよ。ロックだったら,オールマンだよねえ。ギターはディメオラとか。えーっサンタナも好きなの。じゃあ,『君に捧げるサンバ』をかけるね。
 契約書の説明だけの仕事なのに,2時間近くのご滞在だった。ご迷惑だったかもしれない。それにしても,好きなモノの話ができるって気持ちがよいのである。よい聞き役を演じていただき,ボクのかけるCDやDVDに嫌な顔を見せずつき合ってくれたおかださん,ありがとうございました。ケーブル接続の前に,無線音楽LANがつながったような気がしたのでした。感謝。工事よろしくね。

2006年10月13日(金)恋はパーマネント
 四方竹の高知といえば,西原理恵子さんである。高知県出身の西原さんは,『ユリイカ』7月号で特集されて,すっかりメジャーだ。それでも,ご本人は今以上のブレイクを求めていらっしゃる。5尺玉の花火を打ち上げたいらしい。強欲である。57ページから225ページまでの大特集だというのに。
 8月には『いけちゃんとぼく』,9月に『パーマネント野ばら』と単行本が立て続けに発刊されて,月刊西原状態である。
 『いけぼく』には,「せかい中で人よりはやく大人にならないといけない子供っているんだよ」とか,「わたしたちとても短い恋をしたの」とか,ちょっと泣かせるフレーズがある。子どもの頃は,みんな「いけちゃん」が見えていたのに,大人になると「いけちゃん」は見えなくなるらしい。
 「好きやずっとはどこにもないから 私はまいにちうそをつく」,「女の毎日でいるものは チョコレートと小さなうそ」,「男ははようにおらんなるにかぎるなー」,『パーマネント野ばら』に出てくるフレーズである。
 珍しく主人公は美しい。名作『うつくしいのはら』に登場したお母さんを連想する造形である。とはいえ,そこはサイバラワールドだから,もちろん下品である。超がつくかもしれない。けれど,ボクはこの作品を下品と投げ捨てる女性とは暮らせないだろう。ああ,そんなことだけで,西原さんのメッセージをくみ取ろうとしないのは,とてももったいないのですよ。「あなたにあいたい気持ちはタライに落ちた虫のようだ。」というほどの,切ない恋愛マンガである。それにしても,ホント女性はたくましい。子どもを産むからだろうか。男は勝てないのである。
 高知というのは,どうもすごいところのようだ。競馬場だけでなく,美しい漁港の辺りにも行っておけばよかったと,少し後悔している。

2006年10月12日(木)四方竹
 村上さんはダメだったようだ。まあそんな賞のイメージでもなさそうだけれど。本屋さんの村上コーナーの準備や,お祝いの準備などがそこここで行われていたのだろうに,残念なことである。
 そんなことはさておき,昨日四方竹をいただいた。たまたま,今シーズン最後と思われるイガイご飯もご近所のおばさんにいただいていたので,タケノコの煮付けは今日になった。もらってばかりで恐縮である。
 四方竹は,その名の通り,切り口が方形のタケノコである。高知産が有名だ。いなばのスーパーに並んでいるのを見たことはないので,都市部への出荷が中心なのだろうか。そんな珍しいタケノコを毎年食べることができるのは,ありがたいことである。
 肥料を与えれば太くなるようだが,自然に生えている天然物なので,1辺は平均2センチ程度である。鶏肉や牛肉と煮付けたりテンプラで食べるくらいしか食べ方はしらないけれど,味がよくしみ込んでシャキッとした食感は,貴重な秋の山菜の一品だ。これももらいものの薩摩産金粉入り芋焼酎のおつまみにさせていただいた。明日はテンプラの予定である。

2006年10月11日(水)あなた中部ボク東部
 著作権侵害問題があるので,近づきにくいYouTubeだが,米Googleが16億5000万ドルで買収するそうな。サービスはこれまで通り継続されるようだ。とはいえ,Googleが買収したことによって,日本版ができたり,従来の問題点が解消され,使いやすくなることを期待している。
 ネットにおける著作権の問題は,YouTubeに限らずやっかいである。ニュースの要約をしたり,ジャケットを掲載したり,このHPでも著作権違反は多分何カ所もある。ゴミということで大目にみていただけるとありがたい。
 アメリカの保護期間は,最初28年だったのが,42年,56年,75年と延長され,現在,法人は95年(個人作品は死後70年)である。ディズニー社の利権がらみで延長された,いわゆるミッキーマウス保護法である。死後50年のわが国の保護期間も,文化庁によってそのうちアメリカナイズされた期間になるのだろう。
 先祖が銭になる著作物を創作してくれなかったわが家にとっては,保護期間の延長でいいことは何一つない。大体,皆がまねてくれるってのはうれしいことなんじゃないのかな。自慢すればいいじゃん。ひ孫の代まで棚から著作権料にしなくてもいいのにと思うのは,まっ,ただのひがみである。しかし,著作権保護だらけになって表現が狭まると,新たな表現者はお困りにならないのだろうか。
 ネット・オークションには,コピーされた海賊版DVDをアカウント変更で対応しながら売っている人もいる。というか,買っている者がいる。ピンク・フロイドの1971年大阪公演CDとか,同年の箱根アフロディーテDVDを,この年になって聴いたり見たりすることができるとは思わなかった。著作権に目をつぶれば,思わぬものまで手に入ってしまうご時世である。著作権保護の期間延長にはとりあえず反対しておこう。
 ということで,URLを貼り付けるのははばかられるので,googleの検索で,「You Tube」「sushi」とか,「You Tube」「言葉にできない」などと入力すると,あやしいジャンクな世界を楽しむことができる。「あなたのTV」は,自己責任でどうぞ。

2006年10月10日(火)胡瓜が恋しいきゅうかんば
 新聞休刊日であるが,朝方,読売新聞の「特別号外」が大量に職場に届けられた。販売店従業員の皆さんは休刊日の休暇なので,社長さんみずからのお届けである。個別配達はできないが,会社や学校など人がたくさん集まっているところへ提供して読んでもらおうということのようだ。ありがたいことである。ごくろうさま。そんなわけで,自分の空き時間に,ゆっくりと活字で核実験のニュースを確認することができた。
 号外と言っても,全部で8ページある。テレビ欄はないけれど,「タカ逆転 札幌へ飛ぶ」などと,スポーツ面だってついている。最終ページは「THE DAILY YOMIURI」になっていて,見出しは,「DPRK conducts N-test」とある。英語の勉強もできる。そういえば,北朝鮮の国名は,Democratic People’sなのであった。Demosは大衆とか人民で,力とか支配というニュアンスのKratosとの合成語がデモクラシーだったと思うのだが,「Demoncratic」の間違いではないかと思えるようなここのところの支配層の所業だ。追加制裁が加わるであろう,Republic Of Koria のPeopleがお気の毒である。
 ところで,今日はどの新聞社も8ページ程度の号外を発行されたのだろうか。他社は関係なしで,読売さんが独自に発行されたのだとすると,これからも横並びの休刊日制度をやめ,各社独自の発行スタイルに変更されるきっかけにされてはいかがだろう。配達が大変なのであれば,駅や病院のスタンド売りでもいい。八百屋さんにもあるといいかも。胡瓜と一緒に買ったりして。

2006年10月9日(月)鯛食うの日
 日中首脳会談が行われたそうな。「日中,関係改善へ一致」などと新聞の見出しにある。ちょっと意外である。前首相と同じような歴史認識の方だと思っていたのだが,今回は,靖国より北朝鮮対策がメインだったようで,何の対策も講じない国と思われても困る中国と,拉致やら核実験で対策を求められているわが国との利害が一致したということなのだろうか。北朝鮮のことがなければ,靖国問題がもっとクローズアップされたはずだ。ラッキーな方である。とはいえ,翌日の韓国滞在中に核実験だから,「ふたつよいことさてないものよ」ではあるが。
 お祖父さんがA級戦犯容疑者だった方でもあるし,憲法改定などに関する今までの言動をみても,靖国参拝に関しては前首相と同じ方向性のはずだ。今のところ,公式には靖国参拝について明言されていないようだが,そのうち,それなりの理由をつけて参拝されるのではないか。
 靖国参拝を喜ぶのは,何も宮司さんやご遺族やライト感覚の方だけではない。多分,アメリカのお金持ちや軍産複合体関係の皆さんも同じようにお喜びのはずだ。アメリカは,常にアジアに緊張感があることを期待している国である。というか,世界のあちこちで紛争があることによって,自国製造の武器を売りさばくことができるという国だ。もちろん,「ローマの平和」と同じように,「PAX AMERICANA」の時代を築き,世界にその存在感を示したいということもあるに違いない。
 日本が,中国や韓国や北朝鮮と仲良くなってアジアが平和になると困るのである。困った国だ。そんな国の大統領から靖国詣でアジアに緊張感を持たせる「ういやつ」と可愛がられた人の後継なのだから,大統領の期待にも応えないといけないのだろう。
 まっ,もっと愛い国は,核兵器を開発し,アジアにより緊張関係を生み出そうとする国である。切り札を作ったと思っているのだろうが,アメリカが喜んでいるだけだ。これ以上アメリカを喜ばせないでほしいものである。困った国がそこここにある。そういえば,わが家のご近所には,班長をやりたくないからと町内会を抜けられたおうちがあったりする。このご家族はご自分からは挨拶をされないけれど,毎日楽しいのだろうか。余計なお世話だが。お付き合いは大変である。国の外交に限らず。
 ところで,メディアには途方もなくおいしいできごとなのに,明日はほとんどの新聞の休刊日である。新聞社の談合だ。販売店のご都合が大きいのだろうが,自分達の談合にもメスを入れ,そろそろバラバラにお休みされてはいかがだろう。明日,新聞を駅で売れば完売だと思うな。新聞を見るのが好きなので,年中無休でもいいけれど。大体,テレビに休送日はないぞ。というか,新聞社を見習ってたまには休んだらいかがだろう,テレビ局こそ。社員のためではなく,国民のために。いや,ボクのために。
 ということで,身体は昨日動かしたので,今日は頭の体育の日にしてみた。が,身体と同様,頭の基礎力や回転力がまだまだである。タイトルと全然関係ないし。知育の日という祝日も作っていただいた方がいいかも知れない。

2006年10月8日(日)秋夏
 気持ちのよい行楽日和である。砂丘もキャンプ場も子どもの国もたくさんの親子連れ等でにぎわっていた。こんな日は畑仕事日和でもある。もちろん,庭木や垣根の散髪にももってこいだ。おでんをつくるのにも最適である。
 そんなわけで,追肥などの畑仕事を終えた後,庭木と垣根の手入れをした。お勉強中だとかで,一日7350円の日当で庭木の手入れをされる方もおありだが,ボクはそのさらに半額の3500円にもならないような仕事ぶりである。終わってから垣根を見たら,上部が揃わず波打っていた。ビッグウェーブな垣根である。
 仕事を終え,腕を椅子のサイドにのせて手のひらを上にすると,左手が面白いほど震え続ける。何しろ五十肩である。剪定ばさみを持つ手にも気合いがはいらない。ということで,今日はお詫びにおでんをつくることによって,大人の男の一日を終わらせてもらうことにした。今シーズンの初おでん作りである。
 鍋の後はおでんというめっきりの秋で,畑のラッキョウもつぼみがついているというのに,わが家の玄関には訪問される方が驚くほど朝顔が咲いている。毎日のように薄めた液肥を与えているせいだろうか。朝は青だった花の色は,夕方から赤くなって夜中まで咲いている。
 畑には秋ナスがなって室内も秋,玄関だけが夏である,わが家は。

2006年10月7日(土)初鍋
 三連休の初日だというのに,業務である。楽しみは夜だけだ。
 晴れたり雨が降ったりの天候だったけれど,夕方7時頃に黒い雲の切れ目から丸い月が時々顔を出した。日付が変わる頃には,白い雲の中の丸い月も見ることができた。丁度,頭の上あたり。月の近くの雲は流れが速く見える。真夜中だというのに,あちこちにできた豊かな雲が真っ白で,月だけでなく雲も見応えのある中秋の頃である。黒い雲と白い雲の両方にかかる美しい月を見ることのできた一日だった。
 帰りに電気屋さんに寄ったら,無線LANのセットが8000円ほどである。安い。台所でもインターネットが使用できるようにした。設定に時間がかかってしまい,涼しくなったし準備が面倒ということで,夕食は今シーズン初めての鍋になった。
 家族が6人いた時には大きな土鍋だったのだが,半分になった今は,直径20cmちょっとの小さな土鍋である。それでも,まだ複数で食べている内はいいが,そのうちひとりで鍋を食べる日がどちらかにくるのだろう。というようなことを話していたら,何だか悲しい鍋になった。いつかひとり鍋をするためのふたり鍋である。
 春までに何回鍋を食べるのだろう,われわれは。

2006年10月6日(金)中秋の本
 中秋の名月だそうだが,雨で見えない。残念。
 夜が長くなってから和製ミステリーばかり読みふけっている。ボクの波長に合った順だと,『東京ダモイ』『名もなき毒』『一応の推定』『見えない貌』『なぜ紫の夜明けに』というような感じである。それなりに面白いのだが,「やられたあ」という感動はどれも薄くて,何だか横一線状態である。今年はどちらかというと不作なのだろうか,と勝手なことを。
 『名もなき毒』は,宮部みゆきさんの作品である。さすがにうまい。我々ひとりひとりが内包するまだ名前が与えられていない毒にネーミングをというコンセプトや,それぞれが経済格差の中で生きている切なさというのもわかる。しかし,人物造形が薄かったり濃かったりで,やや中途半端な印象をもってしまった。『一応の推定』は,保険業界のことがよく分かったけれど,米子が島根県だった。『見えない貌』は,夏樹静子さんがよく頑張られましたねえ,という作品だろう。『なぜ紫の夜明けに』は,スラスラ読み続けることができたけれど,主人公がもてすぎ。
 で,シベリア捕虜収容所の殺人事件が60年後に明らかになる『東京ダモイ』が,歴史の勉強にもなって,面白かった。俳句が謎解きに使われるところが,定型短文の読み取りが苦手なボクには少しきつかったけれど。よく工夫されていた。ちなみにダモイは帰還のこと。なんだかんだいいながらも,楽しませていただいたのだった。
 今日はこれから『毒』を読むことにとにする。

2006年10月5日(木)風に聞け
 ジャズを聴いていたおかげで,村上春樹さんという名前には割合早くに出会った。ジャズ喫茶のマスターご出身ということもあって,本が出版されれば何でも買ってしまうのだが,ボクよりつれあいの方がお気に入りになってしまった。多分つれあいは,村上さんのような方と一緒に暮らしたかったと思っていることであろう。
 そういう世間の女性のために村上さんは,「うちの奥さんは『沢木耕太郎さんってかっこいいわよねえ』と言うので,僕はそのたびに『じゃあ沢木と結婚すりゃあいいだろうよ!』と冷ややかにいいます。」とお書きになっていらっしゃる。真面目で優しいのである。
 ノーベル賞の話題でにぎやかな村上さんだが,最近,ナント村上さん関連のCDが発売された。『アメリカから届いた10のオマージュ』という作品である。村上さんの本のタイトルにちなんだ曲を,ジャズ・ミュージシャンなどが演奏しているアルバムである。プロデューサーは日本人だけれど,演奏には,マイケル・ブレッカーさんやチック・コリアさん,ロン・カーターさん等が参加していらっしゃる。
 曲目は,『中国行きのスロウ・ボート』,『エンド・オブ・ザ・ワールド』(世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド),『ノルウェーの森』,『神の子どもたちはみな踊る』,『ダンス・ダンス・ダンス』,『国境の南』などおなじみの10曲である。
 村上さんの小説を読むときの刺激になるかと思ったのだが,サックスやボーカルやキーボード多重録音,バックにオーケストラが入ったりで,ボクには少々散漫な印象だった。変化に富んでいるともいうのだろうけれど。
 とはいえ,全体的に優しい雰囲気が漂っていて,そんなところは村上さん的だ。同時代に村上さんの作品を読むことができてボクはとても幸せである。ボブ・ディランさんの『Born In Time』を思い出す。村上さんは,ディランさんの「友よ,答えは風の中にある」がお好きなようであるが。さて,ノーベル賞はどうか。

2006年10月4日(水)胃カメラ
 つれあいが「胃カメラ」をのんできた。初体験である。胃にしこりを感じるらしい。医院に予約を入れた先週末あたりから,衣服の整理をするなど,気分はもう重病人である。
 胃カメラ体験はボクの方が先輩だ。5年前の職場の検診の際,バリウムでひっかかった。職場の先輩からさんざん脅されていたので,根性のないボクは胃カメラをのむつもりは全くなかったのだが,つれあいが勝手にご近所の医院に予約を入れていた。
 うどんが少し太くなったようなものということだったけれど,ベッドに横たわって黒いスコープを見たら,ただのうどんではなく,手先の不器用な幼稚園児が作った手打ちうどんのような太さである。こんなものが嚥下できるわけがない。案の定3回失敗した。涙はでるし,吐きそうになるし,もう大変。病気でいいですから許してください,お代官様である。
 そんなボクの体験を知っているからか,つれあいは豊富なネットワークを使って,ことのほか胃カメラがお上手だという医院に予約を入れたらしい。夫婦は他人である。
 帰って聞けば,横になってしばらくしたらスコープが入っていたという凄腕のお医者さんのようだ。それとも,器械が良くなって,いいカメラなのか。診断の結果は,ちょっと炎症ができているだけで,今のところ全然問題なし。人騒がせなことである。
 結局,ボクの方がのみ込みの悪い男ということになってしまったのだった。くっそー,しこりができたような気がする。

2006年10月3日(火)ナップスター
 今日はナップスタージャパンが日本での音楽配信サービスを開始する日である。CDコレクターなので,深入りするつもりはないのだが,とりあえず,帰りにファミリー・マートでプリペイド番号通知票を購入し,22時の配信開始に備えた。PC上でのみ楽曲をダウンロードできるベーシックの1か月限定の代金は,1280円である。
 混み合っていますというような表示でも出るかと思いながら22時にアクセスしたら,最前までとは画面が変わり,いつでも配信可能な状態だった。順調な滑り出しのようだ。
 ナップスターアプリをダウンロードし,IDやナップスターコードを入力して再起動した。これで,曲のダウンロードが可能である。データはWMA形式。
 とりあえず,PINK FLOYDを検索した。アルバム・ジャケットがたくさん現れ,その下に曲名が表示されている。『WISH YOU WERE HERE』のライブ・ヴァージョンがあったので,ダウンロード。1分もかからない。PCからスカスカの音が流れてくる。クラプトンさんやマイルスさんなどを次々と検索していたら,もう今日が終わっていた。
 各アーチストの全アルバムが登録されているわけではないから,コレクターにはむかないだろうが,音楽を楽しむというだけであれば,毎月の1280円は格安である。当分,夜はナップスターで遊べそうだ。何しろ,190万曲ほどの楽曲が登録されているのだそうだ。HDDの容量を増量した方がいいかも知れない。

2006年10月2日(月)ひとなまにけさく
 隣席の同僚と,「人生二毛作」ってどういう意味よ,という話になった。二毛作は,同じ農地で一年の間に米や麦などを収穫することである。よくわからないけれど,一年を人の一生にたとえ,死ぬまでに2種類の仕事をしてお金を稼ぐことじゃないの,という結論になった。
 同僚は,今の仕事が終わったら夫婦でキャンピング・カーに乗って日本を回りたいので,もう働きたくないらしい。「人生一毛作」の方がいいようだ。あなたのパートナーは,「あんた一人で回って」とおっしゃるような気がするので,キミの夢は叶わないと思うよ。わが家と同じで。一毛や無毛より,毛の多い二毛の方がボクはいいけれど。
 ちなみに,演説でその言葉が出てくるのは,次の部分。
 『地方を支える農林水産業は、新世紀にふさわしい戦略産業としての可能性を秘めています。日本の農林水産物や食品は国内向けとの固定観念を打破するため、「おいしく、安全な日本産品」の輸出を、2013年までに1兆円規模とすることを目指します。「人生二毛作」の実現に向け、就業を促進する仕組みをつくります。』
 政治でも言葉は重要である。が,前後の文脈から判断して,どう読解していいのかわからない。就業を促進する仕組みと関係があるらしい。ボクが失業した後,国が何かお手伝いをしてくださるのだろうか。ありがたいことである。
 「子育てフレンドリーな社会」とか,「ライブ・トーク官邸」とか,あるいは,何度も登場する「再チャレンジ」って,美しい国のセンスの良い言葉なんですの。
 そんな美しい素敵な言葉の詰まった所信のおかげなのか,読売新聞だと70%,朝日新聞の調査だと63%の支持率だとか。読解力が弱く,何だか胡散臭い言葉が多いなと思ったりするボクのような髪の毛の抜けがちな「ぬけさく」は,美しい日本には少ないらしい。

2006年10月1日(日)驚異
 ピンク・フロイドの2枚組DVD『驚異』が届いた。1994年のライブの映像である。かつて,ビデオやレーザー・ディスクで『p・u・l・s・e』というタイトルで発売された映像なので,演奏部分を見るのは初めてではないけれど,特典映像がたっぷり入って5000円でおつりがくる。ライブ映像しかなかったLDより遙かにお買い得である。
 特典映像には,オーディエンス撮影のブートレッグ映像,ビデオ・クリップ,ツアーに密着のドキュメンタリー映像などが収められている。10年以上前のライブだが,今年の夏に行われた演奏だと言われても大概の人は信じるだろう。それくらい時代を先取りした驚異のパフォーマンスである。ステージの参考にされたミュージシャンは日本にも多いはずだ。
 アンコール曲でもあった『あなたがここにいてほしい』は,スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンさんと一緒にやっているヴァージョンも聴くことができる。「ロックの殿堂」授賞式での演奏で,かつてのメンバーだったシドさんもロジャー・ウォーターズさんもいない。まさに『Wish You Were Here』である。たくさんのメッセージを発信したバンドだが,このフレーズを伝えるために存在したバンドではないかと思いこんでいる。
 2005年の「Live8」で,瞬間的にロジャーさんが加わった4人の演奏が行われた。アフリカのためという大義があったからである。使い切れないほどのお金を稼いだ彼らだ。お金のために,4人で演奏することはもうないだろう。残念である。
 とはいえ,3人だけのピンク・フロイドでも,ボクは最優先でライブに駆けつける予定だ。何しろ,1971年の夏,人生で一番最初に体験したライブが彼らだったのである。人生最後のライブ体験がピンク・フロイドだったら,こんな幸せなことはない。

2006年9月30日(土)お礼投稿
 ジャズを聴きながらミステリーを読むのが秋の夜長の楽しみなのだが,今日は若山牧水青春短歌大賞等の締め切り日である。夕食後,昔の歌を引っぱり出して推敲してみた。2度も美味しい話があるわけもないので,とりあえず,延岡市まで行かせてもらったお礼のにぎやかしのようなものだ。
 去年までは,延岡市がどこにあるかさえ知らなかった。ところが,先月高校生が夜中に刺殺された五ヶ瀬川堤防の現場というのは,ボクの泊まったホテルの橋1本上流辺りのようだ。台風13号の竜巻で列車が脱線したのも延岡市だった。行かせてもらったおかげで,宮崎県を少し身近に感じることができる。ありがたいことだ。あちこち出かけて見るものである。
 ということで,3時間ほど推敲してみたが,歌が完成したからではなく,時間が11時に近づいたので,考えるのをやめて中央局へ向かった。半袖,短パンでは外は寒かった。ハガキに書いた歌のようだ。誰かあたためてください。
 そんなわけで,『東京ダモイ』はちょっと休憩。

2006年9月29日(金) アンコール5曲!
 キース・ジャレットさんの新作が届いた。『カーネギー・ホール・コンサート』という2枚組だ。1曲が長いケルン・コンサートなどと違って,3分台から10分に満たないパート1からパート10までの小品10曲と,アンコール5曲という構成である。
 テンポやメロディが即興で生まれているらしい。よくもまあ次から次とでたらめが,という演奏である。もちろん,何度も練習されているからできることなのだろうけれど。
 ソロ・ピアノだというのに,演奏はとてもうるさい。右手がよく動くのは当然だが,左手の力強く重たいスパイラルな和音がお腹に響く。神経を逆なでされる演奏で,仕事で疲れた身体をピアノ・ソロで癒そうと思っても多分無理であろう。つれあいは,1枚目の途中でイライラしてきたらしい。
 ボクは,そのうるさいアーシーな左手が好き。とはいえ,1枚目より2枚目の方が,メロディがスムースではっきりしており,より気持ちよく聴くことができる。とりわけ,アンコールで演奏された曲名のある5曲は,リラクシンで美しい。
 それにしても,1曲終わったら拍手が約2分である。拍手の収録時間が長すぎだと思うな。雰囲気が分かるとはいえ,これほど拍手の収録時間が長いアルバムをボクは知らない。
 2007年4月末に来日されるらしい。大阪は5月3日。スタンダーズ・トリオである。60歳を過ぎたキースさんへの拍手は日本でも長いことだろう。

2006年9月28日(木) オーバーフロ
 職場のボクの右隣はいつも音を出し続けるホットなやつなのだが,通称サーバーとよばれていて話相手になってくれない。正面は,チラチラ髪の毛が何本か見えるのだが,互いの机に積まれた本などのおかげで,声はしても顔は見えない。そんなわけで,ボクの話し相手はもっぱら左隣の同期の男である。
 その隣人宅の古い風呂用ソーラー・システムが壊れたらしい。漏水するのだとか。お風呂は,ソーラー・システムと灯油を組み合わせて使っているようだが,原油価格が高値安定なので,どうしたものかと思案している。
 そこで,例によって後ろの席や通りがかりの方を捕まえて,皆さんのご自宅の風呂のシステムの調査をした。
 1戸建てにお住まいの11名にお聞きしたら,電気温水器6名,灯油4名,ガス1名だった。そのうち,11月には灯油から完全電化にされるおうちが1軒。ガスと答えた同僚も,割高のような気がするので将来的には変更を考えているとか。
 思いの外,ガスは苦戦していた。まっ,ガスからITにされる人はいても,その逆は少ないだろうからなあ。いなばでこの数字なんだから,都市部では圧倒的に電気なのだろう。というまとめにしようと思っていたら,何と,うちは薪だよという方がいらっしゃった。さすがいなば。調査結果に,薪1名様追加である。
 わが家は,ボクが高校生のころ水を溜めずに空焚きをしたことがある。それ以来,電気温水器だ。空焚きするくらいだから,蛇口の締め忘れだってできる。タンク内のお湯がなくなって水風呂になり,風呂に入れなくなった子ども達に責められたことが数回ある。
 それにしても,そんな子ども達とお風呂に入っていたころが人生のいい季節だった。気づいたころには,子どもは一緒に風呂に入らなくなっていたけれど。オヤジは,娘にうっとうしがられることが多いようだが,一緒に入らなくなっても,オヤジのあとの風呂に入る娘達だったことを思えば喜んでもいいのかもしれないと思ったりした。というようなオーバー風呂話を皆さんとした一日だった。電気がいいんじゃないかな。

2006年9月27日(水)The Open Door
 3年前の春,タワー・レコード店内でかけられていた曲の数フレーズを聴いて,すぐに購入を決めたCDがある。名前も知らないバンドで,輸入盤が売り出されたばかりだった。EVANESCENCEの『FALLEN』である。ヘビーでブラックな演奏なのに,美しい旋律があって,高いキーやファルセット・ヴォイスの女の子が印象的なバンドだ。フリルがついているのに,色はブラック&ホワイトという,ゴスロリ系に分類されるのだろうか。当時,このアルバムを毎日のように聴いた。
 そのデビュー・アルバムは世界中で売れ,グラミー賞も受賞した。しかし,その後発売されるのは,『FALLEN』のライブ盤や渋谷音源の海賊盤などで,新作はなかった。入ってくるのは,ギタリストが脱退したとか,ベーシストが脱退したというようなニュースばかりである。一発屋で終わったバンドかと思っていたのだった。
 そのエヴァネッセンスの2作目の発売日が今日である。デビュー・アルバムは輸入盤に2か月ほど遅れて国内盤が発売されたと思うのだが,2作目の『The Open Door』は日本先行発売で,輸入盤の発売は10月3日らしい。安い輸入盤が待ちきれず日本盤を購入する人も多いことだろう。商売上手である。
 ドアを開けてみたら,25歳のエイミー・リーさんの歌唱は,デビュー作と変わらず可愛かったり迫力があって,うまい。しかし,ピアノやオーケストレーションが多用されているので,バックのヘビーさがボクには今ひとつだった。今回は「生」がアルバム全体のコンセプトらしいけれど,1曲ごとの仕上がりは,「死」をテーマにしたデビュー・アルバムの方がボクは好き。2作目の方が飽きは来ないかもしれないが。
 リスナーの中心は10代と思われるようなやかましい音楽である。そんなヘビーなロックをまだ聴くことができて,もっとうるさくても大丈夫と思っているのがちょっとうれしかったりした。つれあいは,ご近所の皆さんがうるさがっていると思うと,うるさい。一応,ドアは閉めているのだけれど。

2006年9月26日(火)地球にお灸
 温暖化防止やダイオキシン問題などのおかげで,近所で野焼きを見かけることは少なくなった。わが家の畑の近所の農家の方にお聞きすれば,煙を出せばすぐにパトカーと消防車が駆けつけるのだそうだ。わが住宅街の皆さんの中には,煙にうるさい方も結構いらっしゃるらしい。
 そんなわけで,この野焼きはわが家から車で20分ほどの田んぼで見かけた夕方の光景である。カエルが2匹,飛び上がりながら逃げていた。火が燃え広がるスピードは意外に速い。煙の向こうに飛んでいったカエルは無事逃げ切っただろうか。火傷をしなかっただろうか。
 懐かしい光景である。火を見るとなんだか落ち着く。大地のお灸だという話も聞いたことがあるが,カエルにとってはお灸では済まないかも知れない。
 全国の農家が野焼きをすれば,排出される二酸化炭素は膨大な量になるだろう。いなばでも,そのうち見ることができなくなるに違いない。
 野焼きは春の季語らしいが,消えゆく田園の風景を俳句などに詠まれてはいかがだろうか。ボクは,野焼きといえば,アゴ野焼きの方が思い浮かんだりするのだけれど。

2006年9月25日(月)史上最高のギタリスト
 5時30分に会議が終わって自分の机に帰ったら,袋に入れられた雑誌が置いてある。普段,本屋さんはそんな袋に入れてはくれないのだが,今回は人目をはばかるのである。「日本版プレイボーイ11月号」。買ってしまいました。
 だって,今月の特集が「史上最高のギタリストは誰だ?」なんだもん。読者アンケートをもとに50人をランキングとある。エレキ・ギターの音色のおかげでここまで生きてこれた人間としては,ちょっと覗いてみたい。
 で,最初に開いたのが,2位のジミ・ヘンのページだった。えー,ジミ・ヘンが2位なん。1位って誰よ,と思ってめくったら,エリック・クラプトンである。何だよ,来日公演を煽るための特集なんですかい。クラプトンは,ジミ・ヘンの才能に嫉妬していたらしいのに。まっ,いいけど。
 3位以下は,ジェフ・ベック
,サンタナ,ジミー・ペイジ,リッチー・ブラックモア,ウェス・モンゴメリーと続く。何だか団塊周辺好みの順位である。それぞれのギタリストが何票獲得したのかというような集計表はないので,編集部の恣意が入っているのだろう。以前は3大ギタリスト特集もあったし,「プレイボーイ」も実は「大人のロック!」化しているのかも知れない。グラビアだけで売れるはずもないし。いずれにせよ,年寄りのボクには,ランキングされているギタリストのみなさんは好きな方々ばかりなので,別に不満はない。ピンク・フロイドのデイブ・ギルモアさんが15位というのはちょっと納得しがたいけれど。
 わが家にはエレキ・ギターが何本かある。しかし,さっぱり弾けない。エレキ・ギターが弾けるというだけで,ボクには尊敬の対象,憧れの人である。もちろん,1950年代にレス・ポールやストラト・キャスターやテレ・キャスターをお作りになった方がいらっしゃればこそである。エレキ・ギターという楽器が存在しなかったら,ボクの高校生活はどんなことになっていたのか想像するだに怖ろしい。麻雀におぼれ,ヤクザなギャンブラー人生だったかも知れない。ギタリストの皆さんに感謝である。
 38位にランキングされていた,マーク・ノップラーを流しながら秋の夜は更けていくのだった。あなたももっと上位でもいいのにね。 (敬称略)

2006年9月24日(日)そばのそば
 お墓参りの季節はソバの花が見ごろだ。これでもソバの花が満開の様子である。白を強調してみようと,85oレンズの開放値から4つほど絞り,ピントは曼珠沙華だけに合わせてみた。そばで撮ったソバ。
 わが家の先祖が眠る村は4割減反だそうで,大量の耕地がソバの栽培にまわされている。村の耕地一面のソバの花である。今年は,昨年よりも出来がいいらしい。
 ソバは,お盆の頃に種を蒔き,10月には収穫できる。肥料は元肥だけ。2か月ほどで収穫できる育てやすい作物である。蒔く時や収穫期には鳥取市から補助金が出るらしい。ソバの実は1キロにつき約400円程度。ただし,稲に比べると,収益は少なくて,米の1/3くらいではないかとソバ畑にいらっしゃったおじさんはおっしゃっていた。
 そんなに簡単に栽培できるなら,自分で作ってソバ好きの皆さんに振る舞うのも面白そうだと思ったのだが,実を採ってから製粉にするまでの工程が結構大変なのだそうだ。唐箕や石臼があると便利らしい。そんな農機具等はわが家にはない。あるのはオモチャの耕耘機だけである。ソバには近づけそうにないな。

2006年9月23日(土)巨人の作品
 今日の朝日新聞の天声人語は,「マイルス・デイビスとジョン・コルトレーンは,いずれも20世紀のジャズを代表する巨人だ。」というフレーズで始まっていた。どうしちゃったのかと思ったのだが,今日がコルトレーンさんの誕生日らしい。最近の出来事と結びつけた内容のコラムではないので,ネタに困って「今日はどんな日」でもめくられたのか。
 このコラムを書かれた方は,コルトレーンさんの『至上の愛』を初めて聴かれた時,強く迫るものを感じられたのだそうだ。すごいな。ボクは17歳の時に,ウェザー・リポートのデビュー・アルバムと一緒に『至上の愛』を友人から貸してもらったのだが,深紫やZEPやピンク・フロイドを聴いていた身には,どちらも良さがよく分からなかった。そのころ音楽に求めていたのは,わかりやすいビートや美しいメロディやギターの音色だった。
 奔放なテナーや,「あらぶしゅぷりむ」が呪文のように繰り返される演奏を聴いて快適さを感じる人は少ないような気がするのだが,最初に聴かされたジャズがコルトレーンさんだったのでジャズが好きになった,という人もいるのだろうか。ボクは,『至上の愛』のおかげで本格的にジャズにのめり込むのが1年ほど遅れたのだった。そんなわけで,これからジャズを聴いてみたいという人にコルトレーンさんを薦めたことはない。
 そんな『至上の愛』を,今では最後まで聴くことができるようになった。時々,聴きたくなることもあるから不思議である。歳を重ねたり長い間ジャズを聴いてきたから,慣れてきたのだろう。「あらぶしゅぷりむ」の呪文の後に出てくる,ベースの後のするどいコルトレーンさんのテナーからは,確かに「決意」が感じられる。
 名作とか名盤とよばれる作品も,聴く側の若さや経験不足が理解の妨げになることもあるのだろう。今は嫌いだと思っているものの中にも,これからお気に入りができるのかもしれない。歳をとるのが楽しみである。わけがない。嫌いなものは嫌いでいいや。

2006年9月22日(金)お宝制作人
 誕生日のプレゼントに,高級額入り色紙をいただいた。自作短歌を筆で書かれた,世界に一枚しかないものだ。制作時間は2時間かかったそうだ。ボクのために2時間も人生の時間を割いていただいたのかと思うと恐縮である。ありがとうございました。いや,ホント。なかなか味わい深い。詠まれている歌や文字を披露できないが残念である。別に掲載禁止というわけではないとは思うけれど。簡単にお見せするわけにはいかないのである。
 つれあいも面白がって,作者が早く有名になられることを期待しているわと話している。わが家には,お宝になるようなものがない。これが今のところ,将来のお宝候補第一号である。孫が(って,いないけれど),入手経路などを紳助さん(の孫か?)に話せるよう,物語を記録しておいた方がいいかも知れない。思えば,ワインが始まりだったのだよ,まだ見ぬ孫よ。
 短歌という表現手段だけでなく,書の技法も習得されているとは恐るべしの,あらくれにほんかいさんである。
 さてどこに飾るか,今のところそれがちょっとしたわが家の悩みだったりする。

2006年9月21日(木)ゴミ製造工場
 ログを毎日書いてみようと決めて,ちょうど1年経った。夜11時前後になると,PCに向かう生活である。ネタに困れば適当に好きな音楽の話を書けばいいのだから,そう難しいことではないのだが,そうは言っても,すぐに書くネタが思い浮かぶ日と,何も浮かばない日ももちろんたくさんあった。面白い話が毎日転がっているわけもないし。とりわけボクはつまらない男なのである。
 散文でも短歌でも,表現しなければ何も存在しない。しかし,無理矢理にでも作れば,さっきまでなかったものが新たに生まれる。今日寝る前にはどんな文が紡がれているだろうというのが,PCに向かう時の楽しみだったのかも知れない。たとえそれが他の人にはゴミであったとしても。
 ゴミとお宝は紙一重だ。ボクが集めて宝のように大切にしているCDや本も,ボクがいなくなれば残った者にとっては邪魔なゴミである。捨てられるか,二束三文で売られるかだろう。サインCDやサイン本もあるので,値打ちモノもあると思うのだが,残念なことだ。
 というようなことはさておき,世の中には,形として存在しないで消えてしまった思いというのもたくさんあることだろう。もったいないことである。宝になるかもしれないのに。ボク達は何かを表現するために生まれてきたのだ,とボクは思いこんでいる。散文でも定型でも焼き物でも音楽でも枯山水でも水墨画でも。
 表現したモノを誰かに受け容れてもらったり誉めてもらえると,人はきっと生まれてきて良かったと思うものだと思うのである。たとえそれがたくさんの人からでなくても。

2006年9月20日(水)でたらめの美
 久しぶりのジャズ・ラボに参加させていただいた。人がジャズに求めるモノはそれぞれであろう。好みの楽器もあるだろうし。
 ボクは,くつろぎ感を求める時もあるし,刺激を受けたい時もある。力強い演奏が良い時もあれば,優しいのや怪しげで嫌らしいのを聴くのが好きなこともある。予定調和で安心することもある。何度も聴いているアルバムなのに新たな音がきこえてきたりすることもあったりする。
 ジャズといえば何といってもアドリブだ。つまり思いつきのでたらめの演奏ということである,たぶん。そのでたらめの中の美しさ。でたらめなのに心地よいフレーズが長く続く演奏がボクは好き。口からでまかせなのに,納得する理論というか。もちろん,そのためには普段から思考を続けて,豊かなフレーズを考えていることが必要なのであろう。
 ソロも良いけれど,演奏者相互が会話することもジャズには必要である。こう言えばああ言い,打てば響いて会話の世界がどんどん広がっていくのが面白い。関係性が大切な音楽である。今日は,ジャズを聴きながらあらくれさんとの会話で思考も広がったような気がしたのだった。
 というようなことを考えながら,わが家のCDラックにはないジャズを聴かせていただいた。おまけに,お土産つきである。ありがとうございました。次回も参加しようと思った。とりあえず,今日のところは。

2006年9月19日(火)早起きは二束三文
 7時10分からの早朝業務があった。家を6時50分くらいには出発しないといけないので,5時50分に起きた。5時台に起きたというのは,何年ぶりのことか思い出せないくらい久しぶりのことである。5時まで麻雀をやっていることはあっても。まっ,どちらにせよ,朝は苦手だ。良いことがあるとは思えない。
 そんな一日だったから,まだ10時だというのに,夏樹静子さんの『見えない貌』を読んでいると眠気が襲ってくる。コルトレーンさんを鳴らして,少し眠気を飛ばした。が,アルコールのせいか眠気が抜けない。どうせならいっそと思い,アルバート・アイラーさんの『Bye Bye Blackbird』を鳴らしてみた。前頭前野がかき回されるような演奏だ。今晩,アイラーさんを聴いている人は,日本にそうはいないだろうなあ。『Summertime』や『On Green Dolphin Street』の咆哮のころには目が覚めたぜ,アイラー兄貴。
 夏樹さんは1938年生まれの67歳なのだとか。この作品には,携帯メールや出会い系の掲示板の話なども出てくる。もちろん,ブレーンがいるのだろうが,それでも年齢を考えたらすごいことだ。職場には,貸与されているPCを使わないで,ワープロ専用機使用のボクより若い同僚がいるというのに。世界を広げる努力をしようね。
 ちなみに,アイラーさんというのは1936年生まれで,1970年にNYの川で射殺体となって発見されたSAX奏者である。夏樹さんと似たような世代だったんだなあと驚いた。生きていらっしゃれば,もっとたくさんのアルバムが生まれていたに違いない。長生きはするものだ。5時台だろうが4時台だろうが,目が覚めるうちは幸せなようである。
 とはいえ,明日の開票で2番目になるのは誰か。楽しみはこれしかないのだろうか,目覚めても。

2006年9月18日(月)一面の風紋
 風の強い一日だった。風に煽られ,木の葉の裏表が逆になっていた。葉裏が見えるせいで山が白っぽく見える。砂丘も風紋がきれいだろうと思い,日没前に寄ってみた。短パン姿で,いつもラクダのいる入り口付近に立ったら,砂が足や手に当たって痛い。砂小嵐状態である。
 砂はカメラにも大敵である。とりわけデジカメには良くない。とはいえ,折角なので,レンズに砂が当たるのを覚悟で,砂が飛んでくる方向にカメラを向けてみた。普段は足跡だらけの場所だが,人が歩いても,その足跡が2分ほどで消えて風紋ができる。今日の砂丘は風紋だらけである。明日の朝は,絶好の風紋撮影日和だろう。
 強風だから観光客はいらっしゃらないだろうと思ったのだけれど,5時30分頃に20人ほどの姿があった。風と戦いながら,スカートで馬の背へ向かっている若者もいる。こんな日にいらっしゃった人の方がかえって面白い砂丘体験ができたかもしれない。
 梨や稲には迷惑なことだったと思うけれど。

2006年9月17日(日)台風接近?
 せっかくの休日だというのに,朝から地区運動会の花火がパンパンとうるさい。広報車も回ってくるし。台風が近づいているのに運動会ができるのかと思ったのだけれど,夜12時になってもまだ本格的な暴風雨は来ていない。静かである。運動会を実施して正解だったようだ。
 今日は,地区運動会だけでなく,音楽日和とか,同僚のピアノ・リサイタルとか,車椅子マラソンとか,イベントがたくさん計画されていた。
 そのピアノ・リサイタルでは,演奏終了後のブラボー要員として依頼されていたのだった。しかし,そんなイベント多数の今日は,短歌会でもあった。午後1時から夜11時過ぎまで短歌漬けなので,会場は歌会場のすぐ近くだったのに,午後2時からのリサイタルに行けるわけもない。ああ,誰かボクの代わりにブラボー!と叫んでくれた人がいただろうか。行くと言っていたのに,ゴメンね。
 せめて花束だけでも届けてもらおうと思ったら,いつもの花屋さんは,配達要員が確保できないので配達は無理だとか。結局,つれあいに頼むことになってしまい,また借金ができてしまったのだった。歌会反省会終了後の11時過ぎに迎えに来てもらったし,ホント台風がこないかどうかちょっと心配している。 

2006年9月16日(土)ぐぐる
 14日にリリースされたという,グーグル・アース日本語版をインストールして遊んだ。グーグル・マップの航空写真でも楽しかったけれど,地球をクルクルまわしたり,宇宙から目的地に近づいていって,上空から地上の風景を眺めながらオートで移動するアースは,地図好きには格好の遊び道具であろう。
 わが家の辺りは,マップと同じような解像度なので面白くないが,つれあいは,自分の母校である調布3中や勤めていた幼稚園などを上空から眺めて,変わっていないとか,ビルが建っているなどと面白がっている。
 国内を一通り楽しんだ後は,「NY」と入力して自由の女神を見たり,グレニッチ・ビレッジに行ったり,「Paris」や「Roma」へ行ってみた。歩いている人の影の長さや日時から,身長なども割り出せそうである。北朝鮮にだって行ける。某金さんのおうちは分からなかったが。
 海外の地名は日本語対応になっていないようで,ハワイと入力したら鳥取県の海岸になった。パリと入力したら山口県に,ローマは長野県にあったけれど,無料でここまで遊べるというのはありがたいことである。地球儀屋さんや地図屋さんには打撃だろうなあ。 

2006年9月15日(金)EAT A CAKE
 9月15日は,かつて敬老の日でいつも休みだった。誕生日が休日というのはありがたいことだったのだが,ハッピー・マンデーのおかげで,もちろん今日は勤務である。
 昨日は,午後からイレギュラーな業務が続いて,面会に来てくださっていた方に失礼をしてしまったほどのついていない一日だった。
 というわけで,今日は,昨日の流れが続かないように祈りながら業務を行った甲斐があってか,朝からおめでとうございますと言ってくださったり,コロコロたまごマッサージをプレゼントしてくださる方があった。メールも何本か届いていた。皆さんありがとうございます。歳を重ねるのはうれしいことではないが,声をかけてもらったり,ボクのためにわざわざ買い物をしてくださる方がいらっしゃることはホントありがたいことである。受け容れてくれる人がいるかと思えば,仕事の意欲も湧いてくるものである。ような気がする。今日が祝日でなくてよかったのかもしれない。
 ポルトガルワインやシュークリームを送ってくれる娘や,あちこちのお店をのぞいて買ってきたらしいイガイのご飯を食べさせてくれるつれあいにも感謝である。死刑が確定した人もいるというのに。
 ということで,デクスター・ゴードンさんの哀愁の『チーズ・ケイク』を聴きながら,ベイクド・チーズ・ケーキを食べている。演奏はレア・チーズっぽいけれど。 

2006年9月14日(木)EAT A PEACH
 梨が出回るようになって,桃の季節がそろそろ終わりである。デザートの桃を食べながら聴くアルバムは,オールマン・ブラザース・バンドの名盤『EAT A PEACH』だ。オリジナルLP2枚組は1972年の発売である。CD時代に1枚にまとめられて発売されたのだが,今年になってからデラックス・エディションというCD2枚組が発売された。
 オールマン・ブラザース・バンドの愛聴盤といえば,『フィルモア・イースト・ライブ』か『イート・ア・ピーチ』のどちらかだ。ボクの中では,やや『フィルモア・ライブ』の方が勝っている。
 ところが,そのちょっと負けていた『イート・ア・ピーチ』に,スローテンポで優美な『エリザベス・リードの追憶』や,やや荒削りでエッジのたった『ステイツボロ・ブルーズ』,泣きのスライド・ギター20分の『ウィッピング・ポスト』などの未発表ライブ80分が加えられたのだから,『ピーチ』は『フィルモア・ライブ』に並んでしまったのだった。
 桃は聴いても食べても美味。 

2006年9月13日(水)EAT A UDON
 うどんを味わってきた。一緒に味わった人は14名。席は208名分もあるというのに。8時からのレイトショーの「UDON」である。大丈夫なのか,いなばの映画館。レディース・デイということもあるのだろうが,女性が10名である。女性の方がうどん好きが多いのかも知れない。
 つれあいは,何分間か眠っていたらしい。ボクは,もちろんビールが入っていたので寝た。にぎやかすぎるし,CGはわけわからないし。何だよキャプテンうどんって。主人公がうどんを打つのって,何のためでしたの。
 うどん好きである。うどんの映画は見ておかなくてはいけないだろうと思い,時間を割いて見に行ったのに,久しぶりにボクのツボにはまらない映画に出遭った気がする。入場料でうどんを食べた方が良かった。讃岐の皆さんには申し訳ないが,レンタルDVDで十分だと思うな。
 映画館を出たら10時30分近く。長すぎでもある。口直しにうどんでも食べようと思ったが,営業しているうどん屋さんが近くにはなかった。仕方がないので,帰ってから乾麺をゆでた。残念ながら,讃岐ではなく備中うどんだったけれど。
 うどんは見るより食べた方がいい。 

2006年9月12日(火)国民文化祭やまぐち
 第21回国民文化祭岩国市実行委員会から封筒が届いていて,文芸祭「短歌」応募作品に係る入選のお知らせという文書が入っていた。
 同祭の現代詩部門に作品を送っていた同僚には,8月終わり頃に,入賞なので確実に自作かどうかの確認を求める文書があったということだったので諦めていたのだが,ラッキー!である。
 例によって,国民文化祭は特別賞13賞が上位入賞であろう。入選と言っても,多分その数が多い。ありがたみはちょっと薄いのだが,選者のどなたがすくってくださったのかが楽しみである。講演には,河野裕子さんがおいでになるようだけれど。
 今年の応募作品は40000首だとか。昨年は24000首だったから,大幅に応募が増えているようだ。短歌人口が増えているのだろうか。人生は表現だと気づく人が増えるというのは良いことである。うまい人ばかりになるとちょっと焦るけれど。 

2006年9月11日(月)EAT A FINGER
 山梨土産にブドウをお届けくださる方がいらっしゃって,その中に「ビッテロ・ビアンコ」(レディス・フィンガー)というマスカット系の黄緑色をした珍しい品種が含まれていた。皮ごと食べるブドウである。バリボリと歯ごたえのある皮と甘い果肉で,次々と指に手が出てしまう。フィンガーというよりも,レイン・ドロップスでもいいような形である。
 砂地で水はけが良いので,かつてわが近所にはブドウ畑がたくさんあった。わが家の裏も数年前まではブドウ畑だった。ブドウ畑のおばさんが,いつも消毒で迷惑をかけているからと,巨峰などをくださったものである。豪雪時の雪の重みでハウスが倒れて以来,ブドウ畑も手放され,今ではわが家の裏には民家が建ち,風通しもすっかり悪くなってしまった。
 昨年の豪雪時にも,一大ブドウハウスがつぶれ,当地のブドウ栽培はほぼ壊滅状態である。
 ブドウの皮には、「ポリフェノール」が果肉よりもたくさん含まれているらしい。目に良いとかのブルーベリーと同じような成分とか。レディス・フィンガーはPCに疲れた目にもよさそうだ。農薬控えめで,ご近所の農家の方が作ってくださるとありがたいんだけどな。まっ,ブドウは飲むものという方も多いのだろうけれど。

2006年9月10日(日)なし
 二十世紀梨が旬である。毎年この時期に,遠くの友人や親戚に梨を食べてもらっているのだが,今年はもうすでに発送終了になってしまったお店が多いらしい。
 買い物のついでに梨発送コーナーを覗いたら,ジャスコ北店もトスク本店も,すでに新規の受付は終了していた。いい天気が続いていたし,台風で落ちたという話も聞かないので,甘い梨がたくさん収穫できたのかと思っていたのだけれど,春の低温,夏前の長雨と日照りで,玉太りが良くなかったのだとか。
 果物は一般的に大ぶりのモノの方が美味しいような気がしているので,なるべく2L以上を送りたいと思っているのに,今年は3Lは望むべくもなく,2L級でも貴重品のようだ。
 とりあえず,毎年発送をお願いしているところに大きめの梨を何とか手に入れてもらうように頼んでいるけれど,小さかったらごめんなさい。今年は,大きいのはなしということで。

2006年9月9日(土)クラプトンさんがやってくる
 午前中に2件,午後に2件,時間の制約を受ける業務などがあって,休日なのにちょっと忙しい。よりによってそんな日に,エリック・クラプトンさんの来日公演のチケットが発売される。インターネット予約の準備をしておこうと思ってもアクセスが集中しているようで,クレジットカード購入の登録ができない。10時の電話受付開始はつれあいに頼んだのだが,話し中でさっぱりつながらなかったらしい。
 仕方がないので,空いている時間にオークションの予約券を落としておいた。問題があるかもしれないし余計な出費であるが,チケット入手のための時間的余裕がなく,チケットぴあもない地域ではやむを得ない。
 ということで,ローソンのロッピー経由でチケットを入手した。11月にやってくる予定のクラプトンさんに少し近づいたのではないかと思われる。
 数年前に,ライブはやめたという宣言をされていたような気もするが,最近はライブもスタジオワークも熱心だ。1945年生まれだから,60歳を超えている。いつまでも現役で表現を続けることが大事だと思われたのだろうか。
 クラプトンさんを初めて聴いたのは今から40年前だ。ドラッグやアルコール地獄を彷徨われていた頃は離れた時期もあったけれど,歳を重ねてから,何だか男ぶりが上がったような気がして,ちょっと憧れるシニアである。クリームの頃にライブを聴きたかったけれど,枯れたクラプトンさんも滋味深いものがあるのだ,きっと。まっ,レイラやクロスロードをやるんだろうけれど。
 そういえば,境港の短歌の締め切りも今日だ。これから郵便局へ走ることにする。ワンダフル・トゥナイトである。

2006年9月8日(金)飲み会の帰りに
 先日海辺のパーティでお会いしたイスラエル青年に会った。はわゆ,あなたと海であったねえ,ラスト・マンス。どないでんねん,儲かりまっか。とフレンドリーに英語で話かけたつもりだが,彼は疲れ気味だった。「この辺りを通るのは毎日同じような奴やねん」「そんな人は彫金なんか買ってくれまへんねん」とおっしゃっているように聞こえた。外国人がいなばでお金を稼ぐのはなかなか大変そうである。
 その後,酔族館さんでサンマや海ぶどうをいただいた。いなばのようなところでも,新鮮なサンマが食べられるようになった。サンマの刺身に感動したのは,もう25年ほど前の仙台の居酒屋さんだ。東北や北海道でしか味わえないと思っていたのだが,流通の発達のおかげである。ホヤはあまり目にしないけれど。
 海ぶどうは,インターネットの通販でも手に入るのだろうが,江戸へ行かれる方から羽田で買ってきてもらわれるのだとか。ありがたいことである。ミネラルを補給したので,明日の休日出勤も何とかなりそうだ。
 イスラエルの青年も苦しそうだったが,お金を稼ぐのはお互い大変なんだよね。頑張ろうね。

2006年9月7日(木)文化祭
 職場のご近所で高校の文化祭が行われていた。昼食後に覗いてみた。ちょうど,吹奏楽部の演奏が始まるところだった。県のコンクールで金賞を受賞されたらしい。金管の元気はいいし,メリハリのある力強いシャープな演奏を聴くことができた。
 演奏も楽しかったのだが,客席の高校生のノリがまたすばらしい。司会者の呼びかけにも楽しそうに反応するし,3階席の男子生徒も手を挙げてリズムに合わせ身体を動かしている。
 で,もっと乗っていたのが学校の先生方である。マイクを持ち,カラではなく生オケをバックに,ジャニーズ・メドレーを熱唱というか,絶叫というか,音程ハズレというか。もう,すごすぎて吹奏楽部の演奏が聞こえないくらいだ。とてもいい学校である,生徒も先生も。多分。
 3階席の保護者のみなさんは,本当に身を乗り出してステージを見ていらっしゃった。お母さんが多かったけれど,ビデオ撮影のお父さんの姿も結構あった。お仕事を休まれたのかも知れないが,正解である。仕事はいつでもできる。
 見物されていた保護者のみなさんが,良い学校に入学してくれたなあと思われたに違いない。頑張っている高校生は斎藤くんや田中くんだけではないのである。

2006年9月6日(水)合コン
 職場の独身同僚が合コンへ行った。6時30分過ぎ,会場へ向かった同僚を,「目が輝いていたねえ」などと既婚者達は羨ましそうに見送ったのだった。30歳前後のメンバーで,そろそろ結婚をしてみたくなったらしい。職場内にも独身異性はいるのに贅沢なことである。残念なことに,ボクは合コン体験がない。20代で子どもが2人いたし。
 人は,一生の間に,素敵だと思う異性に何人くらい出会うのだろう。理想とする異性に出会う人もいるのだろうか。出会った瞬間にお互いが一目惚れし,同時に恋に落ちるというのもあるのかなあ。ボクは,素敵だと思った異性はつれあいには言えないほどたくさんいるが,お互いが一目惚れだったというような恋の覚えがない。今となっては,どんな異性が理想だったのかさえ思いだせない。
 大概,ボクの方が大事に育てたのに,花をつけることもなく根腐れしたり枯れることが多かった。というか,ただの思い込みで芽のでない種まきだけの恋もあった。相手もボクのことを知っていると思って電話したら,誰なのかすぐに顔を思い浮かべてもらえなかったとか。思い出しても悲しい。
 合コンでは,それぞれが自分のいいところを見せ合っているのだろうか。外見も大事なのかな。良いところばかりではなく,誰にもマイナス面はある。その辺りも少し出しておいた方が良いような気もする。ギャップが大きすぎると,あとの失望感も大きいし。
 まっ,多少の妥協も必要だよね。って,わが家の話か。

2006年9月5日(火)ポートレイト用
 職場でカメラの話になった。一眼レフ部門でシェアが3位に転落したというニコン派は,わが職場には4名しかいない。その中で一番のお金持ちで18−200mmのニコンレンズを使っているという羨ましい同僚が,人物を美しく撮るにはどうすればよいかとおっしゃる。
 そんなことが簡単にできれば,ボクの人生は違ったものになっていたのだよ,明智くん。
 ジャンルー・シーフさんのように広角レンズで女性を美しく撮ることのできる人は別だが,とりあえず85mmレンズを開放にして,逆光気味に撮られてはどうでしょうかねえくらいの話しかできない。お金持ちは,F1.4Dをお買い求めになるのがよろしいのではないかと思われる。ボケのすごさに感動するぞ,きっと。
 残念なことに,ボクにはF1.4Dはとても買えない。大体,ニコンのズームは18−70mmしかもっていないし,85mmはデジタルカメラのオートに連動しない30年前のものである。今日は何だか悲しい話だった。せめて,F1.8Dの85mm(値段はF1.4Dの半額以下)を買いたいと思った。という,わからない方にはわからないお話で,申し訳ないことです。
 ところで,85mmレンズで誰を撮ればいいのだろう,ボクの場合は。モデルが見あたらない。

2006年9月4日(月)マツムシソウ
 マツムシソウの花見に大山へ行った。夏山と紅葉の間の9月の大山はお客さんが少ない。お昼時だというのに,大山寺のそば屋さんの客はわれわれ二人だけだ。月曜日だからかと思ったのだが,昨日も人出は少なかったらしい。大野池も同様である。駐車場に車が止まっていたのは,みるくの里や桝水高原界隈だった。いなば市街は暑い一日だったようだが,さすがに標高700メートル前後の木陰は涼しい。
 マツムシソウは,20歳のころ最初に覚えた高山植物だ。好きな花は何かと尋ねられれば,マツムシソウということにしている。教えてくれた人の手前。葉は,タンポポのように横に広がって立ち上がらないロゼット葉である。ヒョロっとした細い首の先に,淡い青紫の花がついている。種類も多い。苗がホームセンターで売られるようになり市街地でも育てられるが,アカタテハが飛びかう高原の風に揺れているマツムシソウを眺めるのは格別である。夏の終わりを実感することのできる花だ。
 つれあいは,自分はマツムシソウの化身かもなどと言っているが,一般的に悲しみの色というとらえ方をされていることを知らない。もちろん花言葉を知っているわけもない。たぶん,違うと思うよ。

2006年9月3日(日)負けたら悔しいけれど
 日が短くなった。夕方6時30分過ぎの砂丘の向こう側である。イカ釣り船がもう操業を始めたようだ。
 昨晩の久しぶりの雀荘でビックリしたことがある。麻雀台のそれぞれの点棒入れ部分に,4名それぞれの持ち点がデジタルで表示されるのだ。点棒は以前のようなプラスティック製ではなく,金属製だ。磁石か何かで,点棒入れの中の点棒の合計が表示されるようになっているらしい。今までは,ラスト近くになると,互いの持ち点を聞きあった。中にはブラフもあったり。麻雀は一番を目指すゲームである。オーラスに何点で上がればトップになることができるか,残りのメンバーに聞かなくてもいつでもわかるというわけだ。麻雀台も進化している。機器は便利になるのに,わが職場にはそれを使う人が少ない。講習会が必要である。
 さて,引き際を知るということも大事だが,勝負事は負けたあとが大事だ。負けてニコニコできる人は少ない。口数が減ったり,言い訳をしたり,ついていなかったというグチを言ったりすることが多い。負けて余裕がなくなると,ついつい素がでてしまうものである。幸いわがメンバーは,負けても,遊んでくれてありがとうといえる皆さんである。一応,表向きは。って,表向きであってもなかなか難しいことなのだ,これは。
 というわけで,娘がつき合う男性とはぜひ麻雀勝負をしてみたいと思っている。とはいえ,ボクの方が負けてしまってボロがでると困るのだけれど。

2006年9月2日(土)レジャー・タイム
 最近ほとんどやっていなかった麻雀をした。かつては比較的簡単にメンバーが揃ったのだが,職場で麻雀のできるメンバーがいなくなり,長考もせず点数計算もすぐにできるメンバーは,現在たった4名。その4名も年々個々の業務が忙しくなり,今回は1年ぶり以上の貴重な名人戦である。
 ここのところ忙しかった業務が終わり,打ち上げで飲んでいるうちに,やろうかということになった。嫌いではないのだが,麻雀から遠ざかっている理由のひとつに,最初に約束した回数で終わらず,最後は体力勝負になってしまうことが多いということがある。わが麻雀愛好家連盟の最年長者には,夜中の2時3時にタバコの副流煙を吸い込みながらゲームを続けるのはちょっとつらい。
 予想通り,今回も最初に約束した回数では終わらない。結局,約束回数の3倍続けた。麻雀は勝負が終わった時点での持ち点数で順位がつく。上位の人にはさらにおまけが,下位の人には追い打ちのマイナスのおまけがつく。バランスよく勝利の女神が微笑んでくれればいいのだが,大概女神に見放される人がでてくる。4人が同時に勝負に納得できるというのはありえないことだ。
 ひとり勝ちの人間がやめようなどとは言い出せるわけがない。もうやめようという決定権は負けが込んでいる人に移行し続ける。なかなか終わろうと言い出すことのできないループは,経営者さえウトウトしている雀荘で日の出まで続いたりするのであった。
 勝っている側は,あなたの背後には貧乏神が見えるからおやめになればいいのにと思うのだが,負けている人間にそんなことは分からない。人は,いつも世界の中心である。周囲からはツキが全くないように思えても,本人は次はトップになるかもと思うのである。まっ,実際に勝つこともあるし。けれど,勝っていて余裕のある人間と,負けを取り返そうと焦っている人間とでは,麻雀の役を作るところや,危ない勝負は避けるという大事なところですでに大きな差がでているのだ。というのは,ボクの豊富な負けた体験からの学習である。そんなわけで,麻雀に限らず引き際は難しい。麻雀は引き際力を養う場なのかもしれない。
 最近の天中殺のような仕事ぶりに女神が同情してくれたんだか,珍しくボクは大きく勝っていて,誰もやめさせてくれなかった。みんなゴメンね。こんなことでなく,もっといいところにツキが回ってきてほしいものである。

2006年9月1日(金)ショー・タイム
 『探偵!ナイトスクープ』という番組のDVDが発売されていて,Vol.1&2には,『謎の爆発卵』とか,『マネキンと結婚したい!』が収録されている。バカバカしいミッションに真面目に回り道をしながら取り組む依頼人さんと探偵さんのお話である。
 どれくらいバカバカしいかというと,マネキンと結婚するのに親族を呼んで結婚式を挙げるというくらいバカバカしい。けれど,それが結構ほのぼのだったりもする。レンジで温めた卵が爆発する瞬間の出演者の顔も笑える。
 探偵を依頼する人達の脱力系の役にたちそうもない質問が関西らしい。母乳でケーキを作ろうとした人がかつていただろうか。食べたいとは思わないけれど。時には,こんな「アホやなー」という時間を過ごしたり,「アホやなー」という人達を見たりすることも必要なのかも知れない。
 ということで,疲れた夜のお笑いにどうぞ。

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