いなばにあん 時々嘘つかないTOPへ

いなばろぐ「べんとーさん忘れてもかーさん忘れるな」の,雨と無知との遭遇いなばにあんいのの日記。

2008年3月31日(月)ガソリンが下がったら
 ガソリンをあまり使いたくないのに,氷ノ山の裾野まで車を走らせるのが今日の業務である。
 助手席の,さる業界に詳しい人が,取り締まり関係のみなさんも今日は人事異動で忙しいから絶対大丈夫ですよと励まして?くれるけれど,まっ,エコドライブで行きまっしょい。のんびりと。
 裾野のリフトの一部は稼働していて,スキーを楽しんでいる人もいらっしゃる。うらやましいなあ,平日に。助手席の方は,カナダまで滑りに行ったという上級者なので,来シーズンはみんなで滑りに行きたいねえ,などと話しながらドライブしたのだった。
 しかし,スキー場脇のキャンプ場へ続く道路は,30cm以上の積雪があって通行不可だった。みぞれは降るし,見上げれば山の方は雪が降っている。外へ出れば寒い。ここに比べれば,里は初夏である。職場に帰ったら,寒いなどと文句は言わないようにしようと思ったのだった。
 で,業務を終えて職場に戻ったら,持っていったカメラを忘れたのに気づいた。なんと,またドライブをしなくてはいけないらしい。忘れることが多くなってきたな。
 とりあえず,ガソリン料金が下がってから行くことにしよう。エコはどうなったのかね。

2008年3月30日(日)いつか
 「このみちをいつかはこばれゆくわたしきつと風にも虹にもならぬ」という歌が他人様の口から出るのを聞いて驚いた。年賀状にくっつけた歌のひとつである。よく覚えてくださっていますねえと感心したら,「いや,癌になってな。」とおっしゃる。
 「えっ?」
 お聞きすれば,ご入院中なのだそうだ。
 「全身にまわっとってなあ。」
 「ええーっ?」何と言えば良いのか,言葉が浮かばない。
 「薬が合っただろうやー。」血液検査も問題がなかったので,外出許可をもらわれたのだとか。
 で,正月のボクの歌が頭の片隅に残っていて,励ましに来ていただいたらしい。
 「あんたらしいなあと思ったわ。」そんなことで声をかけていただき,ありがとうございます。
 これから精力的にやろうとされていることを,笑いながら話される。一生懸命に。殊の外お世話になった方である。対立もしたけれど。どんな顔でお聞きすればよいのか分からない。とりあえず,真っ直ぐ顔を見ながら聞かせてもらった。お考えのことが実現できるといいですね,本当に。
 覚悟されて,日々お過ごしなんだろうな。ボクはまだそんな覚悟がなくて,詠んだ歌ほどには深刻に考えていない。何だか,しょんぼりと夜を過ごしている。

2008年3月29日(土)絵も歌も
 子ども絵画教室を主宰していらっしゃる門脇裕子さんの5回目の個展が,「ギャラリーあんどう」ではじまった(4/2まで)。車を遷喬公民館の駐車場に駐めて見せてもらいに行った。
 具象と抽象の間というか,半具象絵画である。豊かな想像力で鑑賞する絵画だ。とはいえ,表現されたものの中に風景や生きものを想起するのはそう難しいことではない。
 作品タイトルは,ほとんど『即興』である。タイトルによってイメージが限定されることを回避する目的だろうか。
 きれいな花を前にすると,本物には勝てないと思ってしまわれるらしい。フェイクしたり,イメージだけで表現することによって豊かな作品にしようとしていらっしゃるのかも知れない。説明が過ぎたり,分かりすぎる短歌がちょっと面白くないのと似ているような気がする。ボクの歌のことであるが。
 締切(展示日)間際に作品が生まれるともおっしゃる。いずこも同じようだ。
 キャンバスに向かって色を塗っていくうちに,最初は考えていなかった作品になっていくのだとも。ボクの場合も,ろぐや短歌は,PCに向かって言葉をつなげていくうちに何だか形が出来上がってくる。最初から書く内容が決まっていてはき出すのではなく,言葉を探していくうちに,そうかこんなことを表現したかったのか,ということに気づくのである。絵画も似ているのだった。
 作品価格は大変リーズナブル。将来のお店のディスプレイ用にいただくことにした。って,飾る日がくるのかね。

2008年3月28日(金)春の空気は
 通勤に使っている車のガソリンが残り少なくなった。そろそろ給油してもよい頃である。お世話になっているGSの前を通る時,給油するかと一瞬考えたのだが,25円ほど価格が下がるというのは大きい。週末はつれあいの軽自動車を借りることにして,通勤車の給油は見送ることにした。
 通勤車の前オーナーはハイオクを補給していらっしゃったらしい。手に入れた最初はハイオクを補給していたのだが,ここのところの高騰で,セルフ,プリカ,レギュラーの三点セットになってしまっている。まっ,気持ちはエコ・ドライブなので,レギュラーでもまったく問題はないのである。
 さて,ガソリン価格はどうなるのか。法律の期限が切れても,衆議院の再議決で再び税率が元に戻るのだろうか。たった1ヶ月間だけガソリンが25円ほど安かったで終わるのか。それはそれで,政局が動きそうだが。
 4月の最初に給油して,下旬にもう一度給油することになるのかも知れない。排気ガスが増え,いつもより空気の汚れる春だね,きっと。

2008年3月27日(木)菓子パンひとつ
 ランチはゆっくり外で食べることができるだろうと思い,弁当を持たずに出かけた。これがまったく見込み違いで,今年度の業務の整理と次年度の準備や訪問客が重なってしまい,12時30分を過ぎても13時開始の会議資料が完成しない。こりゃあ,食事抜きである。
 イメージしていた資料にはならなかったけれど,とりあえず12人分の資料をプリントアウトし終えた12時50分過ぎ,近くの席のお嬢さんが,「食事されていないですよねえ?よかったらどうぞ。」と,ご自分が昼食用に買ってきたと思われる菓子パンのひとつをさりげなく机においてくれた。コーヒー・メーカーのコーヒーもついでに注いでくれる。
 ご存じの通り日頃から遠慮深い方なので(いや,ホンマですよ),滅多なことで他人様の食事の一部をもらうようなことはしないのだが,珍しく黙々と仕事をしていたボクを見てくれていた人がいたのかとうれしかったので,ありがたく頂戴することにした。時間がなく,ゆっくり味わって食べることができなかったのが少し残念である。
 彼女の隣の同僚は,「愛情がこもったパンですねえ。」と茶化す。愛情はさておき,菓子パンひとつで幸福になることもあるのだった。おかげで,19時までつつがなく仕事を続けられた。ありがとね。いい職場である。会議は難航したけれど。

2008年3月26日(水)木香薔薇
 本年度の決算?が終わり,今日から実質新年度の始まりである。想定外の業務を命じられたので,何をして良いんだか分からなかったが,朝からよく働かせていただいた。ほぼノンストップで17時45分まで。
 で,18時からは,花山さんの歌集を読む会なのである。遅刻してしまいました。
 みなさん,ボクより予習をしっかりして来ていらっしゃるので,読みが深い。こんな田舎の片隅で,『木香薔薇』を丁寧に読んでいるグループがあることを花山さんがお知りになったら,喜んでいただけるのではないだろうか。
 日常のさりげない場面を歌にする力量や,助詞のアグレッシブな使用,何気ない場面のシニカルな切り取りなど,ボクにはとても真似ができない表現である。とても勉強になりましたよ。ご参加のみなさん,ありがとうございました。
 それにつけても,佐佐木さんは生涯あの下品な文章の責任を負うてお過ごしにならなくてはいけないのかと思うと,お気の毒なことだなあと思うのである。文章はクールな状態で書かなくてはね,と改めて思ったのだった。

2008年3月25日(火)エラーをしても
 晴天だった昨日と変わり,荒れた天候である。稲妻と雷鳴の中,車はヘッド・ライトを点けて走行している。15時30分頃の職場界隈の光景だ。昼間なのに,すでに夕方になっていた。
 こんな日は早く帰れば良いのだが,送別会などがあって夜の街に出かけていた。八頭高ご出身の同僚もいらっしゃるので,盛り上がった会であった。まずは,いなばの高校の勝利に乾杯である。ファイン・プレーもあったらしい。
 すでに負けたチームの中には,エラーでサヨナラだったところもあったそうな。人のやることにミスはつきものなんだから,深刻に考えないようにね。って,我が子だったらどうしただろう。我が子が野球をしていなくてよかった。キャッチボールをロクにしてやらなかったおかげである。感謝してもらいたいものだ。
 ところで,そんなエラー経験のある同僚がいる。彼によると,しばらくは誰からも声をかけられたくなかったんだそうだ。エラーはほっとくのがいちばんらしい。で,年月が経ってメンバーが集まると,いつもその話になるんだよね,とこぼしていたのだった。
 とはいえ,それはそれで豊かな物語なのかも知れない。ミスはたくさんあるが,残念ながら,ボクには何年経っても語り続けてもらえる面白いネタがないのだった。
 さて,明日も夜の街へお出かけである。何か物語が生まれるだろうか。

2008年3月24日(月)ブルーノート・クラブ
 カメラを持って近所をぶらついてみた。
 土手にはよく太ったつくしがたくさん伸びていて,すっかり春だ。採集しようと思ったのだが,近くにブドウ畑があるせいか,農薬の匂いが結構漂っている。つくしにも影響がありそうだ。摘むのはやめて,プラスティックのベンチの向こうを通り過ぎる人達を観察した。
 犬と散歩している人や自転車で通り過ぎる人や中学生など。みなさんが,カメラを持った不審者がいると思われたことだろう。それでも,知らない顔で前を向いて歩いてくださる。シャッター音も聞こえただろうに。滅多にないことだが,短歌のフレーズまで浮かんできた。みなさん,ご協力ありがとね。
 ブルーノート・クラブからPR誌が届いていた。今回の「ブルーノート私の3枚」の1位は,『サムシン・エルス』である。こんなことでもないと聴かないので,『枯葉』から流してみた。
 クレジットはキャノンボール・アダレイさんが最初だが,リーダーはマイルスさんである。ミュートもテンポも大変気持ちよい。マイルスさんのライブでは,アップテンポの『枯葉』や『SO WHAT』が多いのだが,いちばんボクが落ち着くテンポの『枯葉』である。秋もいいねえ。って,春がはじまったばかりなのに。

2008年3月23日(日)カルチャー・クラブ
 久しぶりにおもちゃの耕耘機を使った。エンジンのかかりも良くて快調である。わが家から150歩ほど離れた猫の額のジャガイモ用地をほぼ耕したころ,つれあいがやって来て,ご近所のおばあさんが,「あの音はなんだいな」と言っているのが聞こえてきたわよとご注進である。
 失礼いたしました。静かな住宅地に騒音をまき散らしていたようだ。
 畑のそばのおうちに,スカイラインの改造に余念のないお兄さんがいて,ぶろんぶろんと音をさせていたから安心していたのだった。空冷2サイクルエンジンの音の方が遠くまで響くらしい。
 そんなわけで,ジャガイモのタネ芋を植える準備はできたのだけれど,天候が良くないので植え付けはやめた。とりあえず,自然薯と,アピオスというカルシウムや鉄分が多く含まれているというマメ科のイモの一部を植え付けるだけにしておいた。
 イモオヤジである。
 そんな夜は,カルチャー・クラブの『DO YOU REALLY WANT TO HURT ME』を聴きながら,宿題に取り組んでいるのだった。

2008年3月22日(土)SPACE ODYSSEY
 ゆっくり目覚めた朝に,なぜか『ラプソディ・イン・ブルー』が聴きたくなった。もちろん,バーンスタインさん等の演奏ではなく,デオダートさんである。30年以上前の演奏なので,ちょっとスカスカしているけれど,休日のテンションをあげるのには良さそうだ。
 で,どうして『ラプソディ・イン・ブルー』が思い浮かんだのだろうと思ったのだが,今朝の新聞のアーサー・C・クラークさんの追悼記事を読んで思い出した。『2001年宇宙の旅』のことをいつか書こうと思っていたのである。
 スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』といえば,クラシックが効果的に使われていた映画でもある。いちばん印象的なのは『ツァラトゥストラ』だろう。
 ロックとジャズしか聴いていなかったボクにとって,『ツァラトゥストラ』といえばデオダートさんなのである。で,何となくデオダートさんが頭に住みついていたらしい。最初から『ツァラトゥストラ』を思い浮かべれば良かったのだが,ボクにとってのデオダートさんは『ラプソディ・イン・ブルー』だったというわけである。回路が屈折しているのかも知れない。
 それはさておき,クラークさん原作の『2001:A SPACE ODYSSEY』は,当時いなばでも上映されていたのだろうか。ボクは東京へ行くまで見たことがなかった。とはいえ,1970年代前半,東京でもなかなか見ることができなかった映画だったと思う。
 100円だった「ぴあ」が150円になったころ,毎年のように,もう一度見たい映画である「もあテン」の第1位は,『2001年宇宙の旅』だった。「ぴあ」のおかげで,何としても見ておかなくていけない映画になってしまったのだった。
 サルがヒトになる時の映像や,宇宙船の中で万年筆が浮かんでいる映像,声紋認証など,初めて見た時にはずいぶん感銘を受けたものである。ドラマティックな音楽の使い方も。 
 しかし,後半のお話がよくわからなくて,えーどうしてみんなこの作品を一番に推すんだろう,ボクは理解力が悪いのかもと落ち込んだ覚えがある。その後,ビデオで見ることができるようになってもなかなか理解できなくて,あれこれ映画本を読んで,何とか自分なりの解釈ができるようになったのだった。
 ということで,自分の理解力に疑問をもつきっかけになった映画なので,ボクには大切な作品なのである。って,もちろん理解できない映画は他にもたくさんあるのだけれど。
 それにして,この映画で表現されていることの中には,現在,土井さんがされているような映像もたくさんある。アーサー・C・クラークさんの想像力のすごさを改めて感じたのだった。

2008年3月21日(金)送別の日に
 送別会だった。業務が急に入ったので,1時間以上遅れての参加である。
 ボクが送別されるのもそんなに先のことではない。酔った勢いで,若者に,ボクの時はこんなことやあんなことやそんなこともやってほしいなあと頼んでおいた。アーチはやめてね。髪が薄くなってきているので。
 若者達は,安心してくださいバッチリやりますと,大変元気に,かつうれしそうに快諾してくれた。もしかしたら,ボクが早く辞めることを若者は期待しているのかも知れない。うっ,つらい。
 酔っぱらって帰ったら,つれあいは天誅殺の日だったらしい。これやあれやそれと,次々降りかかった不幸をお話になる。大変なことでしたなあ。そりゃあ,ボクの3倍くらい気の毒な一日だったね。プレスコードがあるので,具体的な内容が書けないのが残念である。
 とはいえ,「探偵!ナイトスクープ」を見ているうちに元気になったらしい。まっ,それで忘れらるんだから,まだ幸せな一日だった方じゃないかな。本物の試練はこれからであるよ,きっと。

2008年3月20日(木)墓参
 信仰心は薄いのに,何故か墓参りだけは欠かさず行っている。
 そんな墓参りの日であっても各種イベントは行われていて,つれあいは朝からお出かけである。ボクよりさらに信仰心の薄い方々が企画されているのだろうか。
 そんなわけで,墓参りは夕方になった。ありがたいことに,ホームセンターのお彼岸用の花は半額で,雨も上がっていた。線香を立てることもできたのだった。線香を立てるのが墓参りにおけるボクの仕事なのである。役に立ってよかった。
 わが家の先祖の墓のそばには大きなイチョウの木がある。どなたも拾われないようで,一面の銀杏の実だ。もったいないな。その銀杏の実の中にはフキノトウもたくさん出ている。日当たりが良いのだろう。残念ながらその場所のフキノトウは花が咲いていた。
 途中の道端には山桜も咲いていて,つくしが出ているところもあった。しつこく地面を探していたら,花の咲いていないフキノトウも発見。5つほど採取させていただいた。あっ,キンカンも少々。
 今シーズン初めての花見とつくしとフキノトウの採取ができたのだった。
 何をおいても,お彼岸の墓参りはきちんとやらないといけないのである。特に春は。

2008年3月19日(水)南京にて2
 彼らは,実に丁寧に,時間をかけ,一枚一枚を食い入るように写真を見つめている。もちろん,写真だけでなく,埋まっていた白骨がガラス越しに見えるようになっているところもある。
 ボクは,ヒロシマやナガサキの資料館であんなにじっくりと展示品を見て歩いただろうか。静かな館内のゆっくりした人の流れの中で,ひとりボクの歩調は早くなっていったのだった。ゆっくり歩くと,涙がこぼれそうだったのである。
 玉佛寺の美しい仏像に感激したことも,天童寺で道元を偲んだことも,寧波の港で遣唐使の気分に浸ったことも,何だか色褪せたものに感じられた。
 トインビーの,「我々は過去の歴史にも責任を負わなければならない」という言葉が思い浮かんだ。少なくともボクは,70人を超す中国人の中で責任をとらされていたのだと思った。
 記念館を出て落ち込んでいるボクに,入場券売り場夫婦の7歳になるという女の子が近寄って微笑んでくれた。ぶら下げていたカメラに興味を持っているようだ。「写真を撮ってもいい?」と尋ねると,周囲の大人達は笑顔で,撮ってもらいなさいと言っているようだった。ファインダー越しに女の子の笑顔を見ている内,少しだけ明るい気持ちになった。
 記念館の外で待ってくれていた37歳のタクシードライバーに,日本人をどう思うか尋ねた。「日本の老人はあまり好きではないが,君たち若者は好きだ。戦争は不要!」と紙に書いてくれた。複雑な気分だったが,「謝謝」と答え,彼が差し出した右手を精一杯の力を込めて握った。この時までにボクが交わした握手の中で,最も力を込めた握手だった。
 記念館の最後のコーナーには,大きな文字で次のように書かれている。
 「前事不忘 后事之師」

 周恩来さんの言葉の,「師」の字は本当はちょっと違う字です。タイの戦争博物館の「Forgive, But Not Forget」と似たような精神ですね。当事者やその身近な人は,簡単にForgiveできないとことだと思いますけれど。たとえばヒロシマの人達も。
 チベットから変なところへ飛んでしまいました。すごく昔の作文でした。失礼いたしました。

2008年3月18日(火)南京にて
 駅前で1時間のヒューマン・ウォッチングが今日の業務。というか,ちょっとだけティッシュやカットバンを道行くみなさんにお配りもした。通行人が少ないので,かつて山手線駅前で鍛えたビラ配りのテクニックを使うまでもなかったのが残念である。
 昨日は,チベット寄りのコメントを書いてしまったが,別に中国が嫌いというわけではない。漢字も使っているし,南京には2回行った。とはいえ,元々チベットは独立国家である。自由にさせてあげないとね。鉱物資源があるから手放したくないんだろうけれど。
 さて,南京虐殺はでっち上げだという人もいらっしゃる。最近新しくなったらしい虐殺記念館に2回入場したことがあるので,その意見に与する気にはならない。そういえば,若かりしころの作文があったはずだ。引っぱり出してみた。タイトルは「南京にて」である。懐かしいね。一部抜粋してみることにした。

 日本軍侵華南京大虐殺殉難同胞記念館(現地の漢字表記は違う)に,入場券売り場の方から入ると,中国語・日本語・英語の三カ国の言語で,1937年の日本軍の南京での様子が書かれた一文が掲げられている。ちょっとやるせない文章である。(文章は長文につきカット)
 読み終え,左側の入り口から入ろうとすると,髭を伸ばしていたボクの顔で日本人と分かるのだろう,三人の若い女性係員が一斉にボクの方を見た。冷ややかである。大体,南京の駅に着いた辺りから,人々の視線は冷たく感じられたのだけれど。ここへ来たことを少し後悔した。彼女たちは日本人をどう思っているのだろうと思いながら,小さな声で「ニーハオ」と挨拶をし,そう広くない展示室へ入った。
 日本刀や機関銃も展示されているが,展示の中心は7つのコーナーに分けられた130点ほどの白黒写真である。
 日本刀を振り上げ,首を切り落とす寸前の日本兵。さらされているいくつもの首。切り落とした首を手にぶら下げポーズをつける日本兵。お腹をさかれた女性。生きたまま油をかけられ真っ黒に焦げた死体。長江に投げ捨てられた夥しい死体。百人斬り競争のふたりの日本人少尉の活躍ぶりを報じている日本の新聞。
 大学時代に見ていた写真もあるから,初めて見てビックリしたというわけではないけれど,同じ写真であっても,虐殺の現地「南京」で見ると別物である。何しろ,その時館内にいた70人以上の中国の人の視線を感じながら見る写真なのだ。つづく

2008年3月17日(月)空の青い日は
 2階から窓の外の大通りを眺める業務だった。まっ,嘘ですけどね。よそ見をしていただけです。日中は,部屋の窓を開けても暖かい陽気だった。空も青いし。
 窓の外は,コートを着ている人もいらっしゃるが,運転席側のウィンドウが下りている車も多い。自転車のみなさんも,目的地に急いでいるというより,のんびり陽気を楽しみながらペダルをこいでいる感じ。
 自転車といえば,後ろに小型リヤカーを牽いているクロネコヤマトさん(の色合いに見えた)の自転車も見かけた。そんな配達もあるとは聞いてはいたけれど,坂の多いわが家界隈では見かけたことがなくて,初めての眺めだった。身体にはよさそうだ。時間効率はどうなのだろう。
 何にも増して,乳母車を押している若い女性が通りゆくのを眺めていると,冬が終わっったんだなあとか,平和なことであるなあと思うのであった。って,チベットのみなさんのことを思えば,勤務時間にそんな光景を眺めている男がいちばん平和ボケしているのかも知れない。
 これでも,ダライ・ラマ14世さんが早くチベットへ安全にお帰りになれることを願っているのである。

2008年3月16日(日)晴れた日は
 家の中でじっとしていてはいけないような良い天気が続く。タマネギに肥料をやったり,草取りをしたり,ジャガイモ植え付け場所の土を掘り起こしたり,タイヤ交換をしているうちに休日が終わった。
 正月や2月に積雪があったけれど,シーズンが終わってみると,今年もスタッドレス・タイヤが役に立った記憶があまりない。タイヤ交換をしなくてもよい冬がそのうちやってくるのだろうか。
 逆に,暖かいせいか,今年は雑草が多い。
 オオイヌノフグリは,小さいのからブルーの花をつけているのから大量に繁っている。かわいそうなネーミングに同情するのは一瞬で,ひたすら抜いた。花の形で名前をつけてやれば良いのにと思うのだが,あちこち繁殖する元になる種が,昔の人もうるさかったのかも知れない。
 さて,種ジャガイモは,男爵やメークイン以外に,ノーザンルビーとシャードークイーンという,外側だけでなく中まで紫や赤の種芋を買ってみた。まだ芽が出揃わないので,今日もたっぷり太陽に当ててやった。天気の良い日は疲れるね。

2008年3月15日(土)夕凪の街
 『夕凪の街』を読みました,というご連絡をいただいた。サイトを覗いてくださるだけでなく,書き散らかした内容に反応してくださるとは,まっこと恐縮なことである。
 こうの史代さんの絵を最初見た時は,何だか赤塚不二夫さんの線が思い浮かんだ。トーンを使っていないし,一昔前のコミックを読んでいるような気分になる作品が多い。
 わが家は,夫婦でこうの史代さんにはまっていて,『さんさん録』,『長い道』,『この世界の片隅に』,『ぴっぴら帳』,『街角花だより』などがある。
 百合モノ(ガールズラブ)を描こうとされていたのだそうだが,ちょっと意外である。どちらかというと,ほのぼのペーソス系の作風なのである。
 とはいえ,子ども達の動きや小鳥の動きなどの細かい表現がリアルで,観察力の鋭い人なんだろうなあと感じさせる。で,いろいろ書きたいのだが,またここにある作品を買われる人がいたりするとご迷惑をおかけするので,やめておきます。
 若い人には『長い道』,ちょっと歳を取った男性には『さんさん録』はどうだろう。って,やめてないじゃん。

2008年3月14日(金)ブルーデイ
 朝,出勤している人々を1時間ほど眺めるのが仕事だ。ってどんな仕事やねん。
 今朝は,通りを,MAMAIKUKOやデポの大きな袋を持った男性や,不自然にふくらんだ旅行用の黒いスポーツバッグをぶら下げている大黒様のような男性も歩いていらっしゃった。みなさんご苦労さま。手ぶらの人もいたけれど。手ぶらがいいね。
 女性の中には,いつもより大きめのバッグを抱えて出勤されている方もいたのだろうか。
 ボクは,選りすぐりアイテムを入れた小袋に,渡す人の名前を書いた付箋を貼って大袋に入れて出かけたのだが,貼っていた付箋が自転車のカゴの中ではがれてしまっていた。真っ青。
 どれが誰に渡す袋なのかわからない。見当をつけて最初に渡した人の袋が別の人に用意していた袋だったことが判明し,その後の展開がぐじゃぐじゃになってしまった。ちょっと前のお嬢さんに,今のお嬢さん用のグッズが渡ってしまったかも知れない。付箋の上からテープを貼っておけばよかった。まっ,これで来年は手ぶらで出勤できそうである。
 そんな長閑で間抜けでブルーな白い一日だった。

2008年3月13日(木)朝はロックで爽やかに
 朝のテレビから,馴染みのあるロックのメロディが流れてきた。いやあ懐かしい。良く聴いた曲である。わが家にレコードかCDがあるはずだ。で,何という曲だっけ。フレーズを頭の中で繰り返して思い出そうとしていたら,1分も経たないうちに,また馴染みのメロディーが流れてきた。あんれえ,こっちは何という曲だっけ。
 後から流れてきた曲のフレーズを何度も何度も繰り返しているうち,「あっ,ジミヘンじゃん。『ブードゥー・チャイルド』。朝からすごい音楽を流すもんだねえ。」と感心した。
 ところで,その前のロックはどんなメロディだったっけ?
 思い出そうとするのだが,フレーズを忘れてしまっていた。そんなことが増えてきた今日この頃。朝の忙しい時間に,新聞も読まずに集中し,やっとメロディがよみがえってきた。
 で,メロディは思い出したのだが,こちらの曲名はなかなか出てこない。カップラーメンがとっくにできあがっているくらいは集中して,やっと思い出した。
 曲は,ロッド・スチュワートさんの『アイム・セクシー』だった。こちらも朝から元気のよいことだ。どちらも1970年前後(幅があるけれど)の作品なのに,古さをほとんど感じさせない名曲である。しかも,ちょっと元気のでるフレーズだ。
 CM制作のみなさんもボクと同じような年代の方々で,高校時代から大して成長していないのだろうか。それとも今のロックにはCMに使えそうな曲が少ないのか。
 何はともあれ,海馬やらニューロンやらがかなり劣化しているらしいということがよくわかった朝だった。

2008年3月12日(水)25or6to4
 おくやみ欄に,同僚の高校時代の同級生の名前があったようだ。高校生の時によく遊びに行ったお友達らしい。そのころを思い出してみると,今の自分と大して変わらないような気がするとおっしゃる。
 あら,あんさんもですか。ボクもですねん。何だか,高校生のころと大して変わっていないのに,歳だけ重ねてしまったような気がするんだよね。髪が白くなって,お腹が出てきただけの人生というか。
 短歌を作るなどと,高校時代には考えつかなかったことを時々することを思えば,ちょっと遠くへ来たような気もするのだが,「大人のロックVol.14」を買って帰ったおかげで,今夜は高校時代に聴いていた音楽を聴いている。相変わらず,高校生のころのような過ごし方なのである。ほとんど成長していないのではあるまいか。
 ということで,聴いていたのは,『クエスチョンズ67/68』や,『いったい現実を把握している者はいるだろうか?』というタイトルの曲だ。懐かしいね。シカゴ。
 クエスチョンズの答えも現実の把握もあやふやなまま,『長い夜』を聴いて眠ることにしたのだった。難しいことを考えるのが苦手なのは,高校生のころから変わっていないのである。

2008年3月11日(火)回想しーん
 大東町のついでに,回るイカでお馴染みのポート赤崎にも寄った。同行のみなさんによると,土曜日はメバルが安かったという情報だったのである。
 新鮮なメバルでモノが良いせいか,あるいは日曜日のせいなのか,意外に高い。イカも良く活きていたけれど,価格的にはスーパーとそれほど変わらないとつれあいが言うので,メバルもイカも買うのをやめた。土の焼き物が予定外の出費なのであった。
 とはいえ折角である。何か安いものを。探して。買った。
 アカエイと赤崎もんば。
 地元産アカエイの切り身が山盛りで格安である。買う人はそう多くないらしい。売り場のお兄さんは,食べたことがないのだとか。あきまへんなあ,そんなことでは。
 煮付けたり唐揚げで二日間食べたけれど,まだ残っている。クセがなくやわらか。軟骨もコリコリと食べることができる。煮こごりも弾力があっておいしい。
 もうひとつの赤崎もんばは,岩場からこそぎ採ったような海藻のかたまりである。醤油で食べる生も良いけれど,おすましに入れると,他の海藻では味わえないような強烈な海の香りがする。ミネラルなどの成分的なことはどうでも良くなるくらい,身体の中が海になる感じ。人気商品になると困るので人に教えたくない絶品海藻だ。なら書くなよ,である。忘れてください。
 大東町のおかげでおいしい海藻に出会えたのだった。いい町である。って,赤崎町のおかげか?

2008年3月10日(月)閉館時間は
 大東町のついでに,島根県立美術館へ寄った。
 ちょうど,「パリ−ニューヨーク 20世紀絵画の流れ」という,府中市美術館等全国5会場を巡回する特別展が始まったばかりである(5月11日まで)。松江の美術館が最初の会場というのがうれしいね。
 NYにあるヴァッサー大学の付属施設フランシス・リーマン・ロブ・アート・センターのコレクションだそうだ。19世紀フランスの風景画やハドソン・リバー派,前衛美術,ポップアートなど86作品が展示されている。
 数は少ないけれど,ピカソさんやシャガールさんやリクテンスタインさんといった方々の作品もあるので,素人もちょっと安心なのだった。って,何が安心やねん。
 ウィスコンシン生まれのジョージア・オキーフさんという方が描かれた「青い朝顔、ニューメキシコU」などを見ると,「おお,これはノーリアンズ・ブラックではあるまいか。」などと親近感を覚える作品もあったのだった。
 前衛系では,ハンス・ホフマンさんの「春に」という作品がストリート・ミュージシャンの奏でるジャズのようにも見え,持って帰りたいと思った作品である。飾る場所がないけれど。
 宍道湖や松江市街の眺望が美しい美術館だ。鑑賞後に,つれあいは波打ち際で戯れていたように見えた。良い光景である。望遠で1枚。あとで聞いたら,シジミを探していたらしい。...。殻しかないと思うよ。
 3月から9月の閉館時間は,日没の30分後という美術館である。いいなあ,太陽と連動した生活。次回は日没まで滞在したいな。

2008年3月9日(日)大東町の楽しみ方
 雲南市大東町の夜をたっぷり楽しませていただいた。山芋ステーキチーズ焼きも,チーズもんじゃも,みそだれギョーザもおいしくて,印象深い食べ物でした。感謝。
 泊まったのは,創業が明治21年という老舗の旅館である。門限は22時30分だそうだ。ボクとつれあいは真面目なので23時過ぎには帰ったのだが,お友達のみなさんは,0時を過ぎても帰ってこない。宿のご主人が部屋に電話をかけてきて,そろそろ玄関に鍵をかけたいんですけれどとおっしゃる。
 すみませんねえ,連絡してみますんでもう少し待ってやってください。
 ということで,みなさん急いでタクシーでお帰りになったらしい。ボクはその頃もう寝ていましたけどね。
 洗面所のレバーは冷水側を押すとお湯が出てくるとか,食堂のテーブルは2つだけとか,部屋にゴミ箱がないとか,5年ぶりくらいのお客さんじゃないのなどと失礼な会話が続く,お土産話満載の味のある旅館であった。父娘で切り盛りしていらっしゃるようだが,また行けるといいな。
 旅館を出た後,奥出雲ワイナリーでゆっくコーヒーを飲み,みなさんと別れ,大東焼の窯元のひとつに夫婦で立ち寄った。
 店番をしていたお嬢さんが大変面白い。よかったらどうぞとコーヒーが出てきて,里芋の煮付けを食べさせてもらい,ふきのとう味噌まで出してくださる。味のしみ込んだ里芋も甘めのふきのとう味噌もとてもおいしい。最後に煎茶。おかわりも。
 作品の話はほとんどされず,旅館の料理はおいしかったですかとか,子どもさん(焼き物の作者である)が遊び好きで困っているとか,何だかお友達になってもらいたい出雲弁のかわいいお嬢さんだった。ところで,旅館の料理は地元で評判なのだろうか。どういう点が有名なのか。朝食しか食べなかったのが残念である。
 どちらから何をしにこんなところまでというような話をしていたら,もしかするとその大東町に帰ってきた男性は同級生じゃないかしらという話になった。えっ,お嬢さん,お若く見えますのになあ。
 「頭の良かったけんじさんじゃないかしら?」「けんじさん帰っているの?」「けんじさんのお父さんは議員さんだった」等と話が尽きない。頭が良かったんですの?けんじさん。生徒数が多かった割には,記憶に残っていらっしゃるらしい。45年前の同級生の名前がすぐに出てくるというのはすごいぞ。人違いのけんじさんだろうか。
 「そういえば,3月で閉めるお店を誰かが買ったという噂話を聞いたことがあるわ。」
 ふーん。
 何はともあれ,大東町の夜が賑わうと面白いな。
 桜の季節のコーヒーに相応しいような淡い水色のカップ等を買った。窯の名前は「詠山窯」。お嬢さんのご長男の本名が「詠司」さんらしい。「詠」の字が使われているのもうれしかったりして。そんなわけでちょっとPRをしてみたのだった。
 同行のみなさん,マスターお世話になりました。おつかれさま。大東町はいいところでしたよ。居酒屋も旅館も窯元も。それ以外のことは知らないけれど。

2008年3月8日(土)ジャズを聴きに
 トリオセンスの新作が発売された。ここのところの読書のBGMのひとつである。もちろん,読書はコミック。良いコミックは,もはや侮れないのだ。
 トリオセンスはドイツのピアノ・トリオである。ピアニストは,ベルンハルト・シューラーさん。『when you come home』というのが3作目のタイトルである。ヘビーでありながらアーシーで美しい曲が多い。初期のキース・ジャレットさんがお好きな人にはフィットするトリオだろう。ECM好きの方にもお薦めである。
 そんなヨーロッパ系のジャズを聴く毎日だったこともあり,今日は,いなばの夜にジャズを流し続けた酔族館のマスターにお会いするため,帰郷されている雲南市大東町へ行くことにした。ヨーロッパ系ジャズ聴きの達人である。
 さて,大東町ではどんなジャズが流れているだろう。

2008年3月7日(金)桜の開花を待ちながら
 わが家限定「新藤兼人フェスティバル」はまだ続いている。途中に,『エリザベス』や『クロムウェル』や,岡崎京子さんの『東方見聞録』や『秋の日は釣瓶落とし』や『ハッピーハウス』をつまみ食いしながら。
 今月に入ってからは,『原爆の子』や『第五福竜丸』を鑑賞した。
 『原爆の子』はボクが生まれる前の作品で,『第五福竜丸』は,1954年3月1日のビキニ海域での水爆実験に遭遇した船のお話だ。
 どちらも原爆の悲惨さをストレートに伝える作品である。GHQが撤退する前にプレスコード(GHQによる書物・新聞等に対する検閲)が解除され,制作することのできた作品だ。原爆モノとしては最初期の作品らしい。出品されたカンヌ国際映画祭では,アメリカが圧力をかけたという話も残っている。
 新藤監督はヒロシマご出身である。当然,原爆に特別な思いがおありだ。新藤さんがおっしゃるように,戦争は個人の破壊なのである。誰かもっと早くボクにこの作品のことを教えてくれていたらよかったのにと思ったのだが,ボクの世界は狭かったらしい。とりあえず,たどり着いただけでも良かったと思うことにした。
 映画の後は,こうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』を読み直した。ほのぼのタッチの静かで優しいコミックだが,原爆への向き合い方が新鮮である。
 平和であるだけでなく,表現されたたくさんの良質作品を楽しむことができる。ボクはなんと間のいい時代に生まれ合わせたのだろう。今年の桜は去年と少し違って見えるかも知れない。

2008年3月6日(木)朝帰り
 なんやいつもの時間に更新されてないやないか,というご指摘もおありかもしれないが,ちょっと夜遊びをしていたのでした。帰宅したのは,朝の4時30分。すでに新聞はポストに投函されていた。新聞を配達される方は早いんですねえ。お世話さま。
 帰る途中の道路も,たくさんの方が工事に携わっていらっしゃった。真夜中の,人知れない労働によってボクの生活は成り立っているということがよく分かった。それにしても,相変わらず年度末の道路工事が多いな。
 朝まで遊んでいて仕事は大丈夫なのかねとご心配される方もおありかも知れないが,よく働いたので,明日はボクはゆっくりしても良い日なのである。
 そんなよく働いた今日は,倉吉に行ったり,仲間の祝賀会に出席したのだった。
 祝賀会では,お祝いのスピーチに立つ人達が,祝賀されるべき人の暴露話をして,誰も誉めようとしない。普通なら失礼な話なのだが,ご本人も周囲も盛り上がり,笑いに満ちた大変楽しい祝賀会だった。
 祝賀の席で本人を前にして軽口がたたけるというのは,よほど本人のキャラが良いということである。懐が深いというか。揶揄するとすぐに顔色を変えるような人にはとても軽口は言えない。
 スピーチの際に軽口をたたいてもらえるような人間を目指すのが良いのかもしれないと思ったのだった。なかなか難しそうだけれど。

2008年3月5日(水)黄金の国
 岡崎京子さんの新刊が発売されているらしいよとつれあいが教えてくれた。早速,アマゾンへ注文。もちろん新作ではない。1987年ころに連載されていた作品である。
 1996年に交通事故に遭われて以来,岡崎さんの新作を読むことができなくなった。コミック業界の流行のサイクルも早いから,忘れられてしまっているおひとりかも知れない。時々は思い出そうねということで,新藤兼人フェスティバルに加え,新たに岡崎京子フェスティバルも開催してみた。あっ,新藤さん祭はまだ続いているんですん。
 さて,新刊の『東方見聞録』は,たわいもない1980年代の東京の名所巡りである。スクリーントーンの貼り方はまだズレが少なくて,ちょっと岡崎さんらしくない。登場人物やストーリーも不思議な設定である。ハワイから来た女の子が,東京で男の子と一緒に記念写真を撮って,53枚集まるとおばあさんの遺産がもらえるのだそうだ。銀座や国会議事堂や原宿や神田などで。なんやねんそりゃあ,である。
 とはいえ,東京でデートをするたびに道行く人にシャッターを切ってもらうというのは,結構面白い企みかも知れない。東京にいた間にやっておけばよかったなと思ったりしたのだった。そんなわけで,春から東京暮らしをするような人には,ガイドブックの一冊としてどうだろう。
 何はともあれ,目的意識を持って市中を眺めると,どんな街でもそれなりに絵になる光景はあるものだ。何しろ,西洋人には憧れの国ジパングに住んでいるんだから。時には,いつもは通らない通勤路を使ってみることにしよう。

2008年3月4日(火)欲考えよー
 職場のご近所のビルに,健康食品を販売するという店ができていた。13時ころに通りかかったら,お年寄りがゾロゾロと店舗内へご入場である。店の外には15台ほどの自転車も並んでいる。ご近所だけでなく,周辺地域からもお集まりのようだ。
 窓に貼ってあるポスターを見ると,開店前日は卵2パックとペーパー12ロールで100円,オープン当日はこしひかり2kgが100円などとある。安い。けれど,世の中に,他人のボクのためにそんな良いサービスをしてくれる人がいるわけがないのだ。景気も悪いのに。
 アーモンドだったか,ベルモンテだったか,「世界」という意味があるような店舗名だった。パーティションで区切られていて外からは奥の様子が見えないし,客引きのやり方が典型的なSF商法である。一度入ると簡単には帰してくれないはずだ。
 このビルの1階は以前はレストランだった。その後携帯電話屋さん等になったけれど,すぐ空き店舗になった。店賃を払ってくれる人なら商売の中身は問わないということなのだろう。
 とはいえ,上階には新聞社やテレビ局の支社も入居されている。メディアは,騙されるかもしれないお年寄りがいても知らん顔である。年金生活者の自己責任かね。被害がでてから報道するのではなく,事前に警告してあげれば良いのに。とりあえず,近所に住んでいらっしゃる顔なじみのおばあさんを訪ね,2か月くらいでなくなる店だから近寄らないようにねと話しておいた。
 まっ,招き入れる人だけでなく,入る側にも欲があるから成り立っている商法だ。店舗に入って行くお年寄りも,わしはだまされたりせんけんねと思っているのだろう。さてどちらが上手なのか。
 健康によい布団の購入契約の返済を考え,かえって眠れなくなったというようなことがないことを願うばかりである。

2008年3月3日(月)ひなまつり
 先週は割合よく働いた。昼食を抜いて働いた日もある。そんなわけで,いつもは弁当なのだが,今日はゆっくりランチを食べることにした。ひなまつりの日なので,お嬢さん方をお誘いして。
 が,最初に行ったお店は,高校の卒業式後のお集まりで満席。住宅地のカフェに変更して,メニューにあった「のんびりランチ」をいただいた。デザートとコーヒーがついたランチである。
 さらにティラミスやパフェも注文し,のんびり喋りながら食べたので,イタリアのみなさんのような昼食だった。時間も量も。とはいえ,ぼく達より先に来ていて,ぼく達が帰る時にもまだ楽しいお喋りをしていた4人組の女性グループがあったから,まだまだ修行が足りないらしい。
 住宅地のカフェは,首から名札ケースをぶら下げたビジネスマン・グループが1組ある以外は,ほとんど女性客だ。カウンターで文庫本を読んでいる女性や主婦のみなさんと思しきグループなど,まっ,どこでも最近よく見かける光景である。
 そんな光景に眉をひそめるような男性もいるのかもしれないが,女性が楽しそうにランチを食べながら何時間もおしゃべりに興じているというのは,平和の証である。夫の弁当が昨日の残り物の詰め合わせでも文句は言わず,女性には豊かなランチを食べてもらった方が家庭も世界も平和なのだ,多分。毎日ひなまつりでも良いくらいである。
 さて,明日のボクの弁当が楽しみである。

2008年3月2日(日)卒業式
 卒業式の季節だ。わがやのおつれあいさまも,卒業することにしたらしい。
 ケーキ教室の話である。通学期間は18年間。何回留年したんねん。
 教室ができて5年目に入学した生徒で,もちろん在学期間は最長である。先生の成長ぶりがよくわかっている目障りな生徒だったのかも知れない。とはいえ,つれあいだけでなくボクも仲良くしていただいたので,感謝しているんですよ。ありがとうございました。
 ケーキは糖分が多い。手作りの良さのひとつが,糖分を自由にコントロールできることだ。そんなわけで,わが家のケーキは市販のものよりかなり糖分は少な目にしてある。
 同級生の中には,1年習っただけですでにお店にケーキを並べている人がおありだとか。そのことを思えば,18年も通ったんだからそろそろケーキで稼いでいただいてボクを養ってもらえないだろうか。ボクの仕事の卒業もそんなに先のことではなくなったしね。それとも,本人は卒業と言っているけれど,中途退学だったのかね,出来が悪くて。
 そんな今日は短歌会だった。良い歌が多かったという声があった。ボクは相変わらずなのだけれど。いつまでも卒業式は来ない世界である。

2008年3月1日(土)苦味
 近所にふきのとうを探しに行ったが見つからなかった。ないとなると食べたい気持ちがつのるもので,人の採取されたものでもいいやと思い,JAのお店へ行ってみた。
 10個入りが200円もしなかった。そんなわけで,今晩は今シーズン初めてのふきのとうのテンプラである。丸ごとをパクリ。今年も早春を楽しむことができた。春は苦味とともにやってくるのだった。
 ところで,そのお店の隣の花屋さんには,小さな鉢植えのふきのとうが売ってあった。雨に打たれたせいか,値札のインクが落ちてしまっていて値段が読み取れない。お店のお嬢さんにお聞きしたら,一鉢525円だそうだ。小さなふきのとうが2〜3個植えてある鉢がである。ナント,お嬢さんは,「安いでしょ?」ともおっしゃる。
 つれあいと,高すぎだと思うでなあと話ながらお店を離れたけれど,間違っていただろうか。ふきのとう本体以上に苦味の利いた値段だと思うな。

2008年2月29日(金)WANTED
 知り合いの方から,mixiはまだやっていらっしゃるんですか?と尋ねられた。熱心にmixiをやっていらっしゃる方で,そういえば以前,ボクもmixiに入れていただいたんですという話をしたことがあった。
 いやあ,ほとんど顔を出していないんですうと言ったら,何回か探し出そうとしたんですけど,見つかりませんねとおっしゃる。アリャ,何かのキーワードでボクを発見しようとしていらっしゃるんですの。どんなキーワードで検索をされたのだろう。あぶないあぶない。
 何も書いていませんし,諦めてくださいと言っておいたのだが,HPもやっていらっしゃるということでしたねえなどともおっしゃる。うーん,ボクなんかに関心を持たないでくださいね。何も面白いことはありませんから。
 そんな今日のニュースに,ちょっとインサイドな情報をmixi内に書き込んだ保健所の人が,守秘義務違反でおしかりを受けたというニュースがあった。33人のメンバーの中に情報提供された方があったのだろうか。オープンなネットの世界よりは少しは安全なのかと思っていたのだが,どんな場所にも,困った人を見るのが楽しいという人がいるようだ。
 人との関係はいつも一定というわけではないから,無防備というわけにはいかないのである。そんなわけで,とりあえず世界は両手で持てるくらいでいいんです。卓上地球儀くらいの。くれぐれも探さないでね。

2008年2月28日(木)危険地帯
 わが家近辺の「パトロールマップ」というA3のプリントが郵便受けに入っていた。
 小中学校の保護者やパトロール員のみなさんが気づかれた,道路の危険箇所や注意を要する魚釣りの場所や河原の遊び場などが枠で囲ってある。枠がたくさん書いてあって,この界隈は危険箇所だらけである。子ども達は,集団の登下校以外は外に出ないようにね。
 その地図のわが家の近所には,「イノシシ出没」とか,「サル出没」とか,「アライグマ出没,気性荒く危険」などという吹き出し文字も書かれている。
 どんなところに住んでんねんとお思いの方があるだろうが,県庁から4kmほど離れた砂丘の外れに住んでいるのである。新宿の都庁から4kmといったら,武蔵野方面へ向かって行けば中野あたりだろう。わが家は中野のようなものなのである。って,違うか。
 一応,道路は舗装されているんです。コンビニだってあるんです。バスだって走っているんです。ピザも配達してくれるぞ。頼まないけど。
 ボクはイノシシもアライグマも一度も見たことはないので,それほど危ない場所だと思わないんだけどな。たまには遊びに来てください。
 とはいえ,そういえばわが家の裏にはタヌキの家族が住みついていたことがあるな。5匹も。昔,廊下をヘビが走っていたこともあるし。うーん,どんなところやねん,鳥取砂丘界隈。
 まっ,自然がいっぱいということで。
 イノシシが捕まってボタン鍋でもできそうな時はご案内しますよ。って,勝手に猟をしてもいいのかね。

2008年2月27日(水)BIG WAVE
 ここのところ,毎週中部へ行く仕事が入っている。吹雪の中,エコドライブの車で倉吉へ行った。
 日本海も東郷湖もビィーッグウェーブである。海岸付近は白い波が広がっていて,コルトレーンさんのシーツ・オブ・サウンドが思い浮かんだ。車の中は,リー・モーガンさんだったけれど。
 先日,エンタメ系文学賞を受けられた米子出身の方の出身校の方にお会いした。祝賀会でもあるんですかとお聞きしたら,いゃあそれが,受賞以前の「ウィキ」には出身校が書いてあったんだけど,その後消されていて,あまり母校のことには触れられたくないようですわ。出身校だとアナウンスするのも控えているくらいで,祝賀会なんてとてもとても,とおっしゃる。
 そういえば,学校の先生に,「きみは絶対に小説家なんてなれない。」と言われたというようなご本人のコメントを読んだことがあった。よほど母校がお嫌いなのだろうか。お気の毒なことである。
 そんな言葉に発奮して頑張れたかも知れないのになと無責任に思ったりするのだが,誉められていれば,もっと早くビィーッグウェーブにお乗りになることができたのだろうか。教育というのはなかなか難しい営みのようだ。

2008年2月26日(火)学習食堂
 要請書を提出するその他大勢のひとりとして県庁へ行った。それぞれの長にお会いしたが,答弁がお上手である。そういうポストにつけばそれなりになるものだろうか。それとも,そういう人だからそれなりのポストに就くのだろうか。
 終了後,急遽記者会見もやろうということになって,記者クラブへ。7社の記者のみなさんがお揃いになり,あれこれ突っ込んだ質問をされる。こちらはもうボロボロ。プリント1枚ではなく,きちんと数字を並べて記者のみなさんを納得させるような物語が必要なのであった。その他大勢だったけれど,30分間いい勉強をさせていただいた。
 記者会見のあと,反省会も兼ねて県庁食堂へ上がった。時間は15時40分。こんな時間に食事をしている人はそういないだろうと思ったのだが,制服を着た高校生がたくさんいた。その数,約30名。広いテーブルの上に参考書などを散らかして勉強をしている。県立図書館では学習させてもらえないので,県庁食堂のテーブルで勉強しているようだ。
 厨房の方にお聞きしたら,食べ物や飲み物を注文しなくても,閉店時間の18時まで自由にテーブルを使えるらしい。良い県に生まれたね,みんな。しっかり勉強して,税金や年金を納める大人になってもらいたいものである。答弁も上手な大人になるようにね。
 よく見たら,そんなありがたい学習机で会話にふけっている男女もあった。こらっ,ちゃんと勉強しろよ。と思いつつ,羨ましかったのである,おじさんは。

2008年2月25日(月)裸のジャケット
 中古レコードや中古LDを売っていらっしゃるお店へ寄った。
 レコード・ジャケットを見て,頭がクラクラというか,ちょっと悲しくなった。値札のシールが,セロテープでジャケットに直接貼り付けてある。ビニール袋に入れてないのだった。
 いくら105円の商品とは言え,あんまりじゃないの。中のレコードだけが商品ではなく,ジャケット買いする人間もいるんですぜ。
 お店の人にそのことを言ったら,テープはがしなどを使えばきれいにはがれると思いますよなどとおっしゃる。長い間貼り付けられたセロテープがそんな簡単にはがれるのだろうか。
 ハードがメインのお店で,古くなったソフトはジャンク扱いなのかも知れない。けれど,たとえサブカルチャーであったとしても,表現されたモノに敬意を表さないお店にたくさんの人が集まってくるとは思えないな。
 せっかくだから,何枚かLPを買って帰り,値札を爪でこすってはがしてみた。はがしたところが少しふくらんだようになったり,紙の地肌が天の川のように現れたジャケットもあった。ジャケットが台無しである。
 裸のままで売らず,服を着せてやってもらえないだろうか。

2008年2月24日(日)時効
 殊の外寒い朝だ。ファンヒーターをつけてもなかなか部屋が暖まらない。外は一段と寒い。身体を動かす気も起こらず,午前中は外の雪を眺めていた。ボクの先祖は,こんな寒い中,川で大根を洗ったり洗濯をしていたのかと思うと愛しいね。
 ボクが先祖の先祖だったら,ヒーターがあっても震えているような男なので,生きのびることができなっただろう。つまりボクの先祖は存在してなかったのである。当然ボクもいない。いやあ先祖の先祖でなくて良かった。
 さて,100年後に末裔がいるのかどうか知らないが,よくあんな経済的に苦しい時代にわが先祖は生きのびたものだと思ってくれるだろうか,あるいは断絶しているのだろうか。せめて,灯油くらいは買える子孫になってほしいものである。うーん,寒さのせいで何を書いているのかわからなくなったぞ。
 ところで,「ロス疑惑」についての報道があった。懐かしいね。「疑惑の銃弾」として報道の口火を切った週刊文春のみなさんなども大いに盛り上がっていることだろう。
 ニュースを聞いて,マイクル・コナリーさんの『終結者たち』を思い出した。
 主人公のハリー・ボッシュは,ロス市警のエリート部署である未解決事件班の刑事だ。LAで起こった事件は決して迷宮入りにならないことを世に示すのが,ボッシュの仕事である。殺人に時効はないのだ。
 事件のあった1981年がボッシュの担当年でなかったのが残念である。小説の中だけでなく,この50年間の9000件以上の未解決殺人事件に当たっている刑事さんたちが,LAには本当にいるんだなあ。すごいね。
 どうして日本は殺人に時効をつけているんだろう。ボクに何かあったら,子孫が続く限り犯人を追求してもらいたいね。子孫が続けばであるが。

2008年2月23日(土) 強風に吹かれて
 どこへも出かけたくないほど風の強い寒い一日だった。家にこもっていようと思ったのだが,灯油がなくなっているし届け物があったので,つれあいの軽自動車で出かけた。
 車高が高いから風に飛ばされそうだ。あるいは,飛んできた看板が車に当たってペチャンコになるのではないかなどと心配しながらエコドライブをした。重量が軽いと不安なこともあるのだった。
 さて,撮影した動画を15分番組に編集するという業務を持ち帰っている。幸い,撮影したのはボクではないので,映像に思い入れがない。スイスイと切り取った。思ったより短時間で完成したのだった。時には,他人に判断をつけてもらうことも大事なのである。
 ところで,東京の国分寺では山陰山陽フェアが行われていて,打吹公園だんごが販売されていたとkaraさんからお知らせをいただいた。購入もされたらしい。ありがとうございます。お口に合っただろうか。地元の物産の売り上げに貢献しているのかと思うとうれしいなあ。なーんちって。

2008年2月22日(金)BECK IS BACK
 エリック・クラプトンさん企画・主催の「クロスロード・ギター・フェスティバル2007」という12時間のイベントに,ジェフ・ベックさんが出演されている。
 三大ギタリストの中で,ボクはジェフ・ベックさんがいちばん好きだ。ボーカル曲が少ないので一般的なヒット曲があまりない人である。「哀しみの恋人達」というのは良く知られているのだろうか。クラプトンさんやジミー・ペイジさんに比べると,何だか地味なような気がする。
 けれど,ギターの表現方法を広げる努力をひたすら続けてきたチャレンジングなミュージシャンだと思うな。「ロック・ギタリストは2種類しかいない。ジェフ・ベックとジェフ・ベック以外だ」と評されたジェフ・ベックさんは,この時63歳。
 そのジェフ・ベックさんが殊の外カッコイイのが,このライブである。滅茶苦茶若い。いや,ほんま。で,その原因は共演のミュージシャンのせいではないかと思うのである。
 ベーシスト。女性である。21歳。タル・ウィルケンフェルド(TAL WILKENFELD)さん。ベースをはじめて4年!だとか。チック・コリアさんとも共演歴があるらしい。この孫のような女の子がまたノリノリのベースを刻むのである。
 「クロスロード」盤には2曲しか収録されていないのだが,探したらジェフ・ベックさんの当日の演奏約50分がまるまる収録されたDVDがあった。たっぷりとふたりの掛け合いを楽しませてもらい,若返ったような気がしたのだった。
 もしかすると,ジェフ・ベックさんは今がいちばんの盛りかも知れない。それくらいカッコイイのである。
 若さは周囲にとんでもないエネルギーを与えるんだなあとしみじみ思ったのだった。

2008年2月21日(木)エゴドライブ
 倉吉へ行く業務だった。久しぶりの中距離ドライブである。ここのところめっきり遠出をしなくなった。30年以上お世話になっているガソリン・スタンドのみなさんも,給油量がずいぶん減りましたねえと不審がっている。いやあ,遠出をしなくなったからねえと答えているのだが,実は時々セルフで補給しているんです。ごめんね。
 ガソリン代もバカにならない昨今なので,今日はエコドライブを心がけてみた。昔からアクセルをぎゅいーんと踏んで引っぱる走りだったのだが,スタート時に一番パワーがいるのでガソリンもたくさん消費するらしい。クリープを利用し,優しくアクセルを踏むことにした。直線はもちろん,カーブを曲がった後は早めにアクセルを踏むなど,速度にムラが出ないよう気をつけた。止まる時は早めにアクセルから足を離し,エンジンブレーキを使うようにした。すこぶる優しい運転で倉吉に着いたのだった。
 帰りも同じように運転しようと思っていたのだが,山陰道を走っていると,久留米ナンバーっぽいトラックが後ろから煽る感じ。ミラーで見たら,はよいかんとかー,こりゃあ。なにをもたもたしとるとねー,われー。という顔に見えた。まっこと,車を運転している時は人間性が出るものである。
 で,気の弱いボクは,慌ててアクセルを踏んで,びゅいーんと逃走したのだった。どがなー,ついてこれるだかいやー,われー。まっこと,車に乗ると人間性が明らかになるのである。
 エコドライブはどこへいったのかね。

2008年2月20日(水)LP盤
 ヤフオクに,ビル・エヴァンスさんの『ワルツ・フォー・デビー』のプロモ盤US モノラルLPが出品されていて,日付が変わるころに終了した。6000円スタートのオークションの落札価格は,216000円だった。
 参加していたIDは9つ。オリジナル盤コレクターはまだまだご健在のようだ
 ボクも収集癖(ガラクタ専門)があるので,他人様のことをとやかく言えないし,自分が持っているアルバムがお宝ということになるとうれしかったりする。それでもLP1枚が21万円というのは,なんのこっちゃいと突っ込みを入れたくなる値段である。もっと他に有効なお金の使い方がないんですの?
 とはいえ,最近エヴァンスさんのLPは割合良い値段がつくことが多い。ファンが多いということだ。セカンドショップで安いLP盤を見かけたら迷わず購入した方がいいかも知れない。
 ボクは,ハードオフで帯付きのきれいな『ワルツ・フォー・デビー』を980円で買ったことがある。もちろん国内盤だけれど。
 絵画がわりに部屋に置いてもいいと思うな。

2008年2月19日(火)朝の車内
 今朝は5分ほど早く出勤。車の流れはほぼ平常に戻っていた。ボクの前を走る車は,ニッサンのティアナ。後ろから見ると,なかなか落ち着いた大人の車である。
 その車の後部座席に座っている男性は,新聞を広げていらっしゃる。車の中で新聞を読む習慣なのだろうか。運転席にはショートヘアの女性。助手席に女子高生というラインナップである。ご夫婦とそのお嬢さんであろう。
 車が止まるたびに,運転席の女性は手ぶりを交えて助手席のお嬢さんらしき女の子と会話をされている。お父さんとおぼしき男性は,新聞を見ていて話に加わっているようには見えなかった。もったいないね。新聞なんか読まなくてもいいのに。
 わが家の娘達が高校生だったころ,雪で自転車に乗れない朝はいつもボクが学校まで送ったものだ。家ではあまり会話がなくなっていたから,車の中はそれなりに貴重な父と娘の会話の時間だった。車が渋滞に巻き込まれたらありがたいくらいである。新聞に書かれている世界より,車の中が世界のすべてだったこともあったのだった。
 車で新聞を読むのは,車内がご夫婦ふたりだけになってからで良いのではないかと思ったのだが,まっ,余計なお世話である。

2008年2月18日(月)雪の朝
 布団の中でゆっくりしたい寒い雪の朝だというのに,早く出かけないと渋滞に巻き込まれる。といっても,習慣を変えるのはなかなか難しいのである。急いだつもりだったのだが,いつもより8分早く家を出ただけだった。
 みなさんがそれくらいは織り込み済みなのだろう。結局,渋滞が早い時間からはじまっていて,車はのろのろ運転である。いつもの到着時間より10分遅れで職場に着いた。通常の二倍以上車に乗っていたのだった。雪国はつらいね。
 途中,幼稚園児くらいの大きさの雪だるまが作ってある家を見かけた。バケツは頭にかぶっていなかったけれど,顔もきれいに描いてある。昨日,家族で作ったんだろうな。
 せっかくの雪なのに,いつの間にか雪だるまを作ることもない大人になってしまっていた。今度雪が降ったら,わが家の前に雪だるまを作ってみようと思ったのだった。
 道行く中学生の話のタネになるような大きなやつを。やがて溶けて消えゆく姿を見てもらうために。

2008年2月17日(日)WINTER WONDERLAND
 雪だるまマークが続いた割に,海岸部はそれほど積雪がなかったのだが,今日は久しぶりの雪かきである。東京マラソンを見ることもなく,ちょうど良い運動ができた。プロが20kmくらい走る時間は外にいたけれど,ボクの運動量は1000m走ったくらいかも知れない。腰がちょっと痛む程度。
 それでも結構身体が温まったので,昼食時はご褒美にビールを飲ませてもらった。雪かきもでき,身体は温まって昼間からビールも飲める。雪が降ってくれるおかげである。ありがとね。
 とはいえ,警報がでたり,カミナリの落ちたおうちもおありのようで,迷惑しているみなさんもいらっしゃるとは思うけれど。喜ぶ人がいれば悲しむ人がいるのであるね,何事も。
 15時の積雪は,わが家の庭は31cmだった。庭の木々は,冷たい上に重たいものが乗っているから,拷問状態である。雪をどかしてやればいいのだろうが,ガラス越しに普段とは違う光景を楽しませてもらっているうち,夕方になってしまったのだった。ごめんね。そんな光景を眺める時のBGMは,レッド・ガーランドさんのコロコロとした『WINTER WONDERLAND』にしてみた。
 さて,明日の朝,積雪と腰痛はどうなっているだろう。

2008年2月16日(土)WISH YOU WERE HERE
 今日は講演会のための聴衆要員である。何回かお話を聞いたことのあるお医者さんの講演だ。雪のため15分ほど遅れてのご登場である。
 以前は患者さんネタで笑いをとることが多くてちょっと抵抗があったのだが,久しぶりにお聞きしたらそんなことが少なくなっていて,真面目な内容だった。私の身体は自分だけで作ったものではないとか。
 とはいえ,サービス精神たっぷりなので,笑わせながらの漫才のような話である。しかも,笑いのとり方が巧妙になっていて,さりげなく自虐も盛り込みながら,笑いのビィッグウェイブである。いゃあ,よく笑わせていただきました。
 ホスピス系の方なので,人の最後の場面の話が多いのだが,自宅で亡くなられる方は,最近の日本は7%で,アメリカが25%程度なのだとか。死ぬのも家の方がいいのにねとおっしゃる。うーん,ボクは病院のベッドでお願いしたいな。
 臨終までの家族の関わりというのは,死が腑に落ちる(という言い方があるのかどうか)というか,納得できるようなその人の最後の物語を完成させるための儀式なのだなと思った。残される側が刻んだ物語というか。できたら誰かにそばにいてもらって「さよなら」をするのがいいね。
 そんなことを書いていたら,ピンク・フロイドの『あなたがここにいてほしい』が聴きたくなった。臨終の立ち会いの歌ではないけれど。
 「僕らはつねに金魚鉢を泳いでいる哀れな魂」と歌いつつ,アルバムの最後のフレーズは「shine!」である。さて,輝く明日がくるだろうか。

2008年2月15日(金)チョコでいいんです
 規定に合致しているから紙切れをもらってあげるという話を上司が以前持ってきたのだが,あまりそういうものに興味がない。「結構です,絶対もらいませんからね。」と固辞した。済んだ話だと思っていたら,文書が回ってきて,決定したから2月末に紙切れを取りに参れとのこと。勝手に書類を提出していたらしい。
 本人が嫌がっても,悪いことではないのだから問題ないとお考えなのかも知れないが,紙切れを喜ぶ人間ばかりでもないのである。あれだけ固辞したのにどうして人の気持ちを考えてくれないのだろうと,暗い気分になった。
 急いでトップに辞退を申し出た。中間管理職とボクの話がついていたと思い,申請書類に判を押されたらしい。とりあえず気持ちを分かっていただき,事務局に連絡をしてもらって,取り消し完了。ご迷惑をおかけしました。
 チョコならどんな女性からでもいただくんですけどね。
 悪気はないのだろうが,人はそれぞれの物語で生きているのである。あなたが良いと思うことを,迷惑に感じる人間もいるのだ。そんな想像力を持たないとね。って,もちろん,ボクもやってしまいそうなことなのではあるが。
 自戒のための記録である。

2008年2月14日(木)義理の日
 今年もチェット・ベイカーさんを聴く日がやってきた。チョコレートを食べながら。トランペットも男性ヴォーカルも滅多に夜は流さないのに,今宵はアンニュイな音が流れているのだった。まっ,義理チェットというわけである。いゃホント,レイジーな雰囲気。
 元気を取り戻すため,マイルスさんも久しぶりに流してみた。ピアノがハンコックさんではなく,ビル・エヴァンスさんの時の『My Funny Valentine』。
 『KIND OF BLUE』が生まれる前年,1958年のザ・プラザ・ホテルでのライブである。硬く感じるピアノの音を聴きながら,当時のエヴァンスさんの気持ちを忖度してみたりした。あまり居心地のよいメンバーではなかったらしい。黒人の中に白人ひとりだけだったことなども気になっていたのだろう。クールなソロである。
 さて,そんな日の朝は,「日本だけですよー,女性から贈るなんてえ」というような会話もあったのだが,みなさん義理堅い。あるいは,ボクがすねると面倒なことになるので,とりあえず熱さまシートでも貼っておこうということなのだろうか。気を遣っていただき申し訳ないことである。一部のみなさんありがとうございました。
 要望があれば,組合員間には義理チョコ禁止令くらいは出せると思うのだが,「全然イベントに参加していない人もいるし,みなさんの好きにしたらいいんじゃないんですかね」というご意見もあったので,継続審議ということにしておいた。
 来月のことを考えるとちょっと気が重いのだけれど。

2008年2月13日(水)対岸の家事
 積雪を覚悟して早起きをしたのだが,海岸部のわが家界隈はほとんど積もっていなかった。ありがたいね。山地側のニュータウンに引っ越された方の辺りはよく積もっていて,幹線道路に出るまでが大変だったらしい。居住地の選定を間違ったとこぼしていらっしゃったが,海岸部も多い時は多いんだよね。隣の芝生はよく伸びるである。違うか。
 さて,そんな朝の職場に,「家事検定公式ガイド」という書籍の置いてある机があった。「家事検定なんてのがあるの?」「あるんですよお。やってみますかあ?」どれどれ。
 「塩ひとつまみと塩少々はどちらが少ないですか?」
 えっ?何とまたレベルの高い問題であることよのう,備後屋。自信がないので,周りにいた同年代女性と未婚女性にふってみた。
 少々の方が少ないでしょうと同年代。ひとつまみかなと未婚女性。で,正解は,親指と人差し指でつまむのが「少々」で,親指と人差し指と中指でつまむのが「ひとつまみ」だそうだ。未婚女性の負けである。さすが同年代,年の功より亀の子タワシ。しかし,そんなことは家事の常識なのだろうか。ボクは家事検定危うしである。
 料理編,掃除編,洗濯編,家計管理編,収納編,マナー編,暮らしの手入れ編の7分野から100問が出題され,1問10点1000点満点中500点で,とりあえず☆1つの合格らしい。690点までが☆,890までが☆☆,900点以上が☆☆☆だそうだ。
 家事を社会的に認定し,家事の捉え方を一新したいのが狙いの検定だとか。そんな時代にまで成熟したというべきなのか,後退しているというべきなのか。蕨を摘みに行くおばばなら,何をいまさらくだらんことを言いそうだが,家事をするのは楽しくて大変なことだと,男性が認識するきっかけにはなるかもしれないと思ったのだった。
 第1回家事検定は3月16日に実施である。残念なことに,申し込みは2月8日までだった。

2008年2月12日(火)諸処の事情
 トリオ・アコースティックの新作を1200円で発売したタパスレコードが,2月9日に,トヌ・ナイッソー・トリオの『リラクシン・アット・ザ・ヴィールー』を1200円で発売するということだったので,アマゾンに予約した。同時に注文した他の商品はすでに届いているのに,『リラクシン・アット・ザ・ヴィールー』だけが送られてこない。
 発売延期にでもなったのかと思い,タパスレコードのHPへ行ったら,『リラクシン・アット・ザ・ヴィールー』は発売中止という2月5日付けのお知らせがあった。
 「大変遺憾ながら,諸処の事情から発売を中止せざるを得なくなりました」というガッツプロダクション代表取締役のコメントが掲載されている。
 諸処の事情というのは何なんですかねえ。すでにおいしい生活をしている方々が,既得権を守るために新たな闖入者を排除するという,いわゆるよくあるあれですかね。新しいことをする人はたたかれることが多い。新譜が1200円というのは,新譜通常価格の半値以下だもんね。
 さっぱり情報がないので,いい加減なことを言ってはいけないのだろうが,広瀬隆さんの『持丸長者』を読む(陰謀史観はさておき)と,江戸の昔から結局お金持ちが経済や芸術や戦争を仕切って来たことがわかるので,ついついお金持ちのみなさんがおやりになることに懐疑的になるのである。
 今回だけのイレギュラーなトラブルで,某EMI(えみと読む)さんなどが圧力をおかけになったりした結果ではないことを祈りたい。
 がんばってね,タパスレコードさん。

2008年2月11日(月)休日矢の如し
 夜更かしが過ぎるので,昼間が眠い。今日の夕方は,ニッキ・パロットさんのベースとヴォーカルを聴きながら本を読んでいたら,いつの間にか眠っていた。
 『ムーン・リバー』というアルバムの4曲目の『You'd Be So Nice To Come Home To』までは起きていたのだが,次に気がついたのは,10曲目の『Besame Mucho』だった。5曲ほどの間眠っていたようだ。結構音量は大きかったというのに。
 ジャズを聴きながら眠るというのはボクの理想で,至福の時間でもある。できたらよだれでも垂らしていると良かったのだが,よだれは出ていなかった。そこまでの快適なまどろみではなかったようだ。残念。
 とはいえ,チェアでよだれを垂らしている夫を見れば,つれあいはかなり不安になるような気もするけれど。まっ,垂らしたモン勝ちである。って,どんな勝負をしているねん。
 三連休もあっという間だ。映画を一本も見ていないので,久しぶりに新藤監督フェア。今夜は1962年の『人間』という作品にした。BGMは雰囲気のあるジャズ。
 漂流船に乗り合わせた4人の極限状態が描かれている。乙羽さんはこの作品でも体当たりである。最後まで。愛する女性なんだからもっと美しく描いてあげればと思うのだが,それが新藤さん流の愛の形なのだろうか。根性のないボクにはとてもできない。

2008年2月10日(日)もったいない
 先日,レーザーディスク・プレーヤーが壊れた。ソフトを入れてもトレイが勝手に出てくるのである。修理専門店に持ち込んだ。
 「何年前に買われたんですか。」「20年くらい前?」「ピックアップ(データの読み取り装置)も壊れていそうですから,部品があるかどうかわかりませんよ。部品があった場合は21000円になります。どうされますか?」
 ひょえー。修理代が21000円。驚いた。新品は35000円で買えるんですぜ。
 ヤフオクでは10000円くらいで出品されていますよね,と聞いてみたら,それらのデッキもピックアップが古くなっているでしょうから,そのうち交換しないといけなくなると思いますよとおっしゃる。ああ,とぅびーおあのっととぅびー。もったいないのは本体かお金か。
 結局,21000円を覚悟して修理を依頼した。
 そのレーザーディスク・プレーヤーが修理されて返ってきた。ありがたいことに,ピックアップはもう少し使えそうなので,トレイ部分のゴムの交換だけで済んだらしい。交換した証拠に黒いゴムが2本ほど本体に張り付けてあった。それでも,料金は当初予定の半額の10500円だとか。古いモノを大事にするのは大変である。
 2年間加療中の30年前生まれの117はどんなことになっているかちょっと不安になった。当初予定の半分で済めばよいのだけれど。

2008年2月9日(土)冬の飛行機
 一太郎が発売された。ここのところのヴァージョン・アップにお付き合いしていなかったのだが,安くしてあげるというメールに誘われ予約していたら,発売日の昨日届いていた。
 起床後にインストール完了。ハイブリットとかシュミレーションなどと打つと,間違いを教えてくれる。ソフトはどんどん賢くなって,ボクはお馬鹿になっても大丈夫なのである。使用者のクセをマスターし,単語を打ったら文章を作ってくれるようになってもらいたいものである。
 さて,三連休なので,正月に帰省していなかった娘が夕方の飛行機で帰ってきた。雪のせいで,飛ぶのかどうか心配したのだが,ちょうど天気が良かったようだ。大体,この時期に飛行機に乗るというのは,高所恐怖のボクの遺伝子が入っているとは思えない大胆な行動である。
 その娘の同級生のパイロットのお話だと,冬場の鳥取空港は,滑走路が凍ったり風向きが悪かったりで,結構,着陸が難しいらしい。寿命が少し縮んだかも知れないという天候もあったとか。
 慣れているのは発着回数の多い羽田で,比較的楽なのが気流のよい中部空港だそうだ。成田も,南風が吹くと気流が悪くて怖いこともあるらしい。
 それでも冬場の飛行機で帰るんだからエライね,きみは。飛行機嫌いで根性のないボクの娘とは思えないのである。つれあいの娘かもしれない。

2008年2月8日(金)八十にして
 肩が凝っている。スケジュールソフトを見たら,先々週も先週の休日も家にいなかったらしい。19日間も家でゆっくりと一日を過ごすことがなかったのか。ちょっと疲れ気味である。今日は,勤務時間終了間際にクレーム処理もあったり。ボクの直接担当ではなかったけれど。
 自己中な大人も多いねえなどと対応終了後に話していたら,そういえば一昨日の読売新聞の人生相談にもひどいおばあさんの相談がありましたなあという話題になった。
 離婚している80歳代の女性が,間もなく定年を迎える優しい息子と二人で暮らしたいという相談である。お好きにすればいいのだが,そうは言っても息子さんにはパートナーがいるんですぜ。息子の嫁とは暮らしたくないらしい。なんですの,それって。パートナーとは別れろということなのかな,私のために。
 男だって自分の子どもはかわいいけれど,女性にとっては自分が産みだした男の子は特別愛すべき存在ということなのだろうか。ちょっと怖いね。
 つれあいに聞いてみたら,あら結婚した時はあなたのお母さんにもそんなところがあったわよと軽く言われた。
 つれあいが,息子と暮らすからあなたは出ていってなどと言わないか心配である。疲れたので,明日はゆっくり休むことにしよう。。

2008年2月7日(木)初めての列車通勤
 今朝は,列車に乗って鳥取駅まで行くというのが仕事だった。といっても,わが家の近所に駅はない。車に乗って,列車が走っているところまで行かなくていけないのだった。
 乗車駅まで自分の車で行けば,車を置く場所もないし,勤務を終えて帰る時にも困ることになる。雪の降る中,朝早くつれあいに乗車駅まで送ってもらった。って,大体一番近い最寄りの駅は鳥取駅なのに,わざわざ車で遠いところまで行って列車通勤をするというのはどういうミッションなんですかね。疲れるぜ。
 それはさておき,いなばでは初めて体験する列車通勤である。ちょっと楽しみ。窓の外と温度差があるので,窓ガラスは曇って外が見えない。車内をキョロキョロ見回す。結構,通勤客や学生で混んでいた。文庫本を読んでいる人がいたり,メールをうっていたりというどこにでもありそうな光景である。
 『それでもボクはやってない』を見ていたので,左手は吊り皮に,右手はコートのポケットに手を入れていたのだが,周囲は男ばかりだった。なんでかね。というような余計な雑念がわくので,できたら車の中で音楽を聴きながら出勤する方がいいなと改めて思ったのだった。でも,明日の朝も列車通勤なんですう。

2008年2月6日(水)火曜はきみにチューすでい
 国営放送の21時のニュースは,冒頭から14分以上に渡って,アメリカ大統領予備選スーパー・チューズデイのご報告だった。こんなに長い時間,トップでアメリカの予備選のニュースを流す国が他にもあるのだろうか。
 民主党はどちらが指名獲得をされても「初の」という形容詞がつく。歴史的な闘いということもあるのだろうけれど,キャスターのおひとりはわざわざアメリカまで取材に行っていらっしゃるらしい。現地に派遣されているみなさんの情報収集だけでは役に立たないのかな。ご苦労様。受信料は大切に使ってね。
 それにしても,いい仕事をされましたなあ,黒船のマシュー・ペリーさん。あなたが,しつこくがんばったおかげだね。大砲(空砲だけど)まで使って。いつまでもあなたのご恩は忘れませんよ。大統領よりいい仕事されたんじゃないのかな。親書を持たせたフィルモア大統領なんて有名じゃないしね。大統領より現場が大事,という好例であるかも知れない。知らんけど。
 次のニュースは,お馴染み中国産食品についてだった。
 そういえば,つれあいのお友達が生協のビーフカレー辛口210g(レトルト)をくださったのだとか。記念にどうぞということのようだ。回収のお願い対象商品である。レアもの。ありがとうございます。大事にします。
 生産国などの表示はまったくない。販売者が「日本生活協同組合連合会」と書かれているだけだ。どうみても外国製とは思えないたたずまいである。食品を選ぶ力を養うのは結構大変なようだ。
 そんなわけで,わが家の「非情食」として保管させていただくことにした。悪いことが続いた時にでも食べてみることにしよう。

2008年2月5日(火)いや重け吉事
 今週は何だか良いことが少ない。感じの悪いことが3つくらい続いている。河合隼雄さんの「ふたつ悪きはさてないものよ」を信じているのだが,3つ悪いことも時々あるのだった。4つめが降りかかるとつらいな。
 とはいえ,滅多に雪の降らない地方の方々が,アイスバーンでスリップ事故などにあっていることを思えば,ボクの災難というのは蚊が口に飛び込んできた程度のレベルである。雪はもう嫌という人がそこここにいらっしゃるに違いない。
 傾斜のある高速道路では車が動かなかったらしい。ボクは,FR車でスキーへ行った時にそんな経験をしたことがある。緩やかな坂なのに,一度止まってしまったらスパイクタイヤでもまったく進まなかった。道路脇に車を下げ止め,娘と一緒に長い坂道をスキー板担いで歩いたのだった。もちろん,ハンドルが効かなくなってガードレールにコツンとやったこともある。雪が滅多に降らない地方のみなさんはそんな経験もなかなかできないから,加減がわからないのだろう。お気の毒なことである。
 それにしても,毎日雪だるまマークがついている割にはわが家界隈はさっぱり雪が降らない。ちょっとありがたい。って,これはボクに降り注いでいる良いことなのだろうか。

2008年2月4日(月)勝手広告
 YouTubeで「勝手広告」が話題というから,寄ってみた。特定の会社や製品のコマーシャルを,一般の個人が勝手に制作したものである。これが大変面白い。
 「日本赤十字」や「ヤマト運輸」なんかは,TVのCMでそのまま使えそうなレベルのような気がする。企業のみなさんは勝手広告を買ってあげたらどうでしょう。別にTVで流さなくてもいいのだけれど。
 庶民がメッセージを表現する手段は,かつてはそれほど豊かではなかったと思うのだが,言葉や絵や音楽だけでなく,映像の世界も拡大し続けているらしい。表現しなければ何も残らないけれど,表現されたメッセージによってその人の個性が明らかになっていくのが面白いところなのだろう。素人恐るべしである。
 電通や博報堂は業界では大きな力を持っているけれど,これからはこんなゲリラ的な映像をCMに使った方が,話題性もあって宣伝効果があるのではないか。プロも意外に焦っているのかも知れない。企業のみなさんは,一般の人達を対象のCM映像コンペをやったら,相当面白い作品が集まるんじゃないかな。
 「言葉にできない」はまだあるのかと覗いてみたら,ヴァリエーションが増えていた。YouTubeはどんどん面白くなっているようだ。

2008年2月3日(日)闘う男達
 労働者のみなさんの囲碁将棋大会のお世話のため,朝8時までに会場に集合という業務であった。私立高校の入試日らしく,界隈は大渋滞。集合時間に遅れた。
 大会にお集まりのみなさんは,全員男性である。20代風の3名以外は,ほぼボクと似たような年代の方だ。勝者も固定化しているし,年々参加者は減少中。人集めも大変らしいが,開催回数がボクの勤続年数より多いので,なかなかやめるわけにいかないらしい。伝統を守る人達は大変なのである。
 労働者には女性もいらっしゃるんだし,実力差がはっきりしているゲームではなく,運にも左右されるようなゲームにしてはどうでしょうと,支部長や事務局長にお願いをしてみたが,オセロやドンジャラや麻雀しか思いつかなかった。どうも採用されそうにない。来年も伝統維持に向け,同じことが繰り返されるのだろう。
 ボクは,「秒読み」などの業務をしながら,参加者のみなさんの観察をさせていただいた。勝負が終わってから相手の打ち方のどこがまずかったかを解説される勝者,頭を何度も下げ続ける敗者,部屋に響く大きな音で駒を打つ人,あきらめの悪い人などいろいろである。
 ボクが密かに応援していたのは,勝った時には胸の前でかわいく手をたたいて喜び,負けた時には笑顔で相手に拍手をしていた,人のよさそうな細身のおじさん。勝っても負けても何だか美しく見えた。友達になっていただけないだろうか。声もかけられなかったけれど。
 勝負事はもちろん勝ちたい。けれど,負けた時は笑顔でお礼が言えたり相手を賞賛できるくらいにはなりたいと思ったのだった。負けた時にこそ学ぶことは多いのである。

2008年2月2日(土)書くなら飲めよ
 酒を飲んで帰った後の文章はひどかあというご意見をいただいた。するどい。というか,素面の時も大したことはないんだけどね。いやホント,書きながら今日はやめた方がいいなあと思っているんだよね。
 で,やめればいいのだろうが,飲んだら書きな,食べたら書けよ,というスタンスというか,しばりを今のところかけているので,何でもいいから言葉をつなげているというわけなんです。
 そんなわけで,今日も飲んで帰った後に書いているのである。そんな文章なので,毎日訪問していただかなくても1週間に1回くらい覗いていただければ幸甚なんですう(殊の外,常体敬体混在文だな)。
 大体,生活の一部を切り売り(お金にはならないけれど)するようなことに否定的な方もいらっしゃるのだろうと思うのだが,23時ころには何もなかったのに,PCに向かってキーボードを触っていると,どんなものであれ形ができることを面白がっているのではないかと思っているのだった。
 もちろん,書かないこともたくさんある。大体,仕事ぶりも知られているのでえらそうなことは書けないし,つれあいも台所で時々チェックしているらしい。書くことは限られてくるのだった。実は,書かないことの方が多いのである,当たり前のことだけれど。

2008年2月1日(金)鬼婆
 安い会費で飲み放題という宴会だった。ポテトや枝豆や冷凍野菜等は危ないかも,などと話しながらそれらの料理を食べたのだった。スーパーで国産野菜を買っても,コンビニ弁当や外食が多ければ意味がない。
 農家のみなさんは先刻ご存じのことだが,世に無農薬野菜というのはほとんどあり得ないというのは,自分で大根や白菜を作ってみればすぐにわかる。何しろ,昼間は土の中にいて,夜になると葉っぱを食べる虫がいるのだから,始末が悪い。
 懐中電灯を点けて虫をつまむ作業が,何十個も何百個もある白菜畑でできるわけがないのである。10個くらいしか育てていないわが家でも,プロの同僚に勧めてもらったオルトランを買ったくらいだ。1000倍に薄めても効果のある農薬というのはよほど強力なんだろうと思い,結局使用をやめたのだけれど。
 さて,新藤監督フェアなので,夜中の映画鑑賞である。今夜は,『鬼婆』。嫁と姑の闘いというか,生や性への執着なども描かれている。
 1964年の作品だ。東京オリンピックの年にこんな映画が上映されていたのかと,ちょっと驚く。いゃあ,鬼婆役の乙羽信子さんのすごさに,あらためて惚れ直したのであった。
 生きるためには食べ物の贅沢なんか言ってはいけないのである。とりあえず,免疫力をつけておくことも大事なので,時々は外食もしないとね,という映画だったのだろうか。

2008年1月31日(木)餃子
 わが家の餃子は,自慢ではないがいまひとつである。どうも,中華料理屋さんのような味や食感の餃子に焼けないのだ,昔から。わざわざアナウンスすることでもないのだけれど。
 あんの材料をあれこれ変えてみたり,刻み方を変えたり,量を変えたり,皮を自家製にしてみたりしてきた。それでも,全然餃子の理想形に近づけない。多分,冷凍餃子を使った方が,家族はみなおいしいと言ったのではないかと思う。
 それでも,つれあいは,冷凍モノに走ることなく,ここまで何度も餃子作りにチャレンジしてきた。チャレンジングである。そんなつれあいに感謝する日が,こういう形でくるとは思わなかったよ。いゃあ,ありがとね。贅沢は言いません。今のままで十分です。というような,餃子の話をした夜だった。
 会話の終わりに,今日は何の日か知ってるの,とつれあい。えっ,なんかの記念日だったっけ?「131」で,愛妻の日なのだそうだ。そんなわけで,連日地雷地帯にいるのであった。
 オリンピックは,もう少し年月を経てからの開催でも良かったんじゃないの。

2008年1月30日(水)悪女になるなら
 世界の三悪女というのは,西太后とエカチェリーナともうひとりは誰ですねんと尋ねる女性があった。すんませんなあ,世界三悪女などというのを知りませんでしたよ。ルクレチア・ボルジアさんやバートリ・エルジェーベトさんなども候補らしい。バートリさんは,若い娘の生き血が若さを保つという妄想を持った人だ。若い女の子には怖ろしい女性である。
 ところで,悪男というのもあるのかな。こっちは「わるお」だろうか。世界三悪男というのも聞いたことがないな。
 「悪男」でググってみたら47000件,「悪女」は1140000件だった。異常なほどの差である。悪女というのは男が作りだしたもんだね,こりゃあ。
 大体,悪女の定義というのはなんですのと聞いてみたのだが,権力を握って男を操ったり殺したりとかあ,などとおっしゃる。権力を握ったら,女性に限らずやりたい放題である。女性だけ責めるのはちょっと公平を欠くぞ。って,わが家も権力を握られているような気がするな。操られてもいるかも?悪女か?
 PCに入れている新明解国語辞典には,「男を色香で迷わしかねない女」とあった。色香があって何か問題があるのだろうか。そりゃあ,迷わされる男が駄目なんじゃないのかね,新解さん。というか,大概迷わされるぞ。わが家の場合は色香はあるのか?などと,今日はちょっと地雷地帯におりまする。危ない。
 「悪男」という言葉はほとんど一般的ではないが,男は悪いのが多すぎてというか悪いのが当たり前なので,今さら悪男などという分類をしなくてもいいということかも知れないな。で,男が女性だけを責めたりしているのだろう,多分。悪女は,女性に悪いことをしている男が女性を牽制するため作り出したものなんだよ,きっと。
 中島みゆきさんの「悪女」だったらボクは大歓迎である。月夜は素直になりすぎるから,やめた方がいいらしいけれど。

2008年1月29日(火)言葉にできない
 現在,新藤兼人監督祭が行われている。って,わが家だけのことなのだけれど。
 今日は1960年の『裸の島』だ。
 「よぉいしょ」とか泣き声があるくらいで,まったくセリフのない映画である。つれあいは,生協の注文をしながら見ようと思ったようだが,セリフがないから画面を見続けなくてはいけないのだ。残念だったね。
 とはいえ,見ていても,場面は,てんびん棒でひたすら水を運んだり,畑に水をやっていたり,船を漕いでいたりという映像の連続だ。
 島で暮らす親子4人のお話である。こんな家族に何事も起こらなければいいのにと思うのだけれど,それでは映画にならないのだろう。桶の水がこぼれるくらいでは済まないことが起こる。それでも再び黙々と桶の水を運び続けるしかないのである。つらいね。生きることは闘いなのだなあ。昔も今も。
 それにしても昔の子どもはよく走る。イラン映画とよく似ている。成長期の国の子ども達はよく走るものなのだろうか。
 CGを使ったりして昭和を懐かしむ映画も作られているけれど,昭和30年代に作られた映画の中にも,惰性に流れがちな日々を見直せる作品はあるのだった。
 ロードショーや都会でしか見られない映画を追っかけなくても,古い作品の中にヘビーで見応えのあるものはまだまだたくさんあるに違いない。そんなわけで,お祭りは当分続くのである。

2008年1月28日(月)HDDは突然に
 土曜の夜(というか日付がかわったころ),PCの仕事を終えデータを保存しようと思ったら,保存先ドライブが違うという表示。ん?どゆこと。
 えっえっ。えっー。データ保存用の外付けハードディスクの電源ランプが点いていない。
 いつの間に消えていたのだろう。悪い予感。HDDを手にとって,スイッチをカチカチやってもまったく反応がない。これが噂のクラッシュというものだろうか。
 120GBの外付けHDDのデータは,バックアップを取っていない。買ったのはいつだっけ?3年くらい前か?本体のHDDにはソフトを入れ,データ保存用に使っていたのが外付けHDDなので,頭がくらくらしてくる。45GBくらいしか使っていなかったと思うけれど,画像は全部パー?文書の日付を替えればすぐに使える夫婦の業務用ファイルもたくさんある。つれあいから,火曜日に使う文書を去年のフォルダから出しておいてと頼まれたばかりなのだった。
 冷静になって考えたら,来年度のために絶対になくてはいけない画像ファイルが1枚入っていることに気づいた。消えていたら,相当まずい。眠るどころではないのだった。
 とりあえず外箱を開けてみた。バッファロー製品だが,HDD本体にはハングルが書かれている。サムスン電子製品のようだ。箱は台湾製。ボクのPCライフは,韓国や台湾のお世話にもなっていたのであった。ああ,そんなこたあどうでもよか。クラッシュの原因はなんやねん。
 配線が焼けこげていれば素人にも見当がつくが,中はきれいで何もわからなかった。何しろ堂々の文系である。電球や蛍光管の交換ができるのと,各種電化製品のボディケースをドライバーで開けてそのまま放りだすというのが得意技だ。とはいえ,これは何とかせねばならぬのである。壊れたのは,HDD本体ではなく箱だろうと自分に信じ込ませ,新しい箱を入手することにした。
 HDDケースなどというマイナー部品をいなばの家電店が大量に扱っているとも思えないので,アマゾンに注文した。さすがアマゾン。今日帰ったら届いていた。
 で,堂々の文系オヤジが,HDDのリカバリーに取り組んだのだった。ドキドキである。
 購入した箱は,「玄人志向」の3.5型IDEハードディスク・ケースUSB2.0接続対応。
 幅3cmのスリムなアルミボディのケースを開け,HDD本体に2種類のコネクタを接続するだけである。たったこれだけ。ACアダプタとUSBを接続して,スイッチを押した。
 いゃあ,ブルーのパイロットランプが美しい。感動の復活である。ありがとね,「玄人志向」。急いで,本体のHDDに大事なデータをコピーしておいた。
 まったく前に進まないのに,元に戻るだけでうれしいことが世の中にはいろいろあるのだった。
 壊れるのはいつも突然らしいが,異常な発熱や遅延書き込みエラーがでたら注意した方がいいらしい。時々は,HDDに触って熱をみてやろうと思った。
 突然やってくるのは「ラブストーリー」くらいにしてもらいたいものである。って,くるわけないか。

2008年1月27日(日)甘い塩
 つれあいが新聞をもってきて騒がしい。なんやねん?と尋ねたら,コミックの新刊コーナーに,樹村みのりさんが取り上げられていたのだった。いやあ,うれしい。良かったですねえ。
 本屋さんのコミックコーナーは,大量の雑誌やコミックがあって,われわれの年代の人はよほどコミック好きでなければ近づかないのではないかと心配していたのだが,新聞を見て懐かしがる人もいそうだ。まっ,自社の刊行物だということもあるのかもしれない。
 そんな朝日新聞の先週のbeに,乙羽信子さんの,「好かない男が山ほどの砂糖を運んできても,好いた男の塩のほうが甘い」という甘い言葉があった。いいね。そういえば,買いっぱなしになっていた新藤兼人さんの中古ビデオが何本かあったと思い,とりあえず,今日は『午後の遺言状』を見たのだった。何だか,今年は老人映画を見る機会が多いな。
 女優二人と別荘管理人の年老いた3人が中心のお話である。会話しているふたりの横顔を撮った場面も多く,舞台が思い浮かぶ作品だ。乙羽さんの自然に思える演技がいいな。好きだったんです,米子市生まれの乙羽さん。ボクが子どもの頃はすでに40歳を超えていたらしいけれど。新藤さんの愛人生活をしていた乙羽さんの人生と重なるようなお話だ(のちに結婚されたけど)。男女のきれいきたないの関係は,それぞれが立っている側で違うのである。
 まっ,何はともあれ,遺言状はもう少しあとに書くことにして,「くたばるまでがんばろうぜ」という気分にはなったのだった。

2008年1月26日(土)私の彼は
 今日は休日出勤である。
 左利きの人が何人いるかを数える業務だった。って,どんな業務やねん。まっ,そんな業務があるわけないのだが,正規の業務以外に,左利きの人数をカウントする機会があったので数えてみた。
 99人中,8人がサウスポーだった。といっても,野球の入団テストに立ち会っていたわけではないんだけどね。って,当たり前か。
 ということで,8%の方が左利きなのである。調査人数が少ないから一般的な数字ではないかも知れないが,ほぼ10人にひとりはサウスポーのようだ。日本には1000万人のサウスポーがいらっしゃるということだ。すごいな。バッター・ボックスやマウンドに立った時と,マウスを操作する時の利き腕が同じとは限らないと思うけれど。
 朝青龍さんは左利きだそうだが,本当かね。明日の千秋楽をご覧になる予定の方は,利き腕が本当に左かどうか観察をしてみてはいかがだろう。相撲観戦の楽しみが増えるかもしれない,わけがないか。
 音楽業界では,右利き用ギターを逆さまにして左利きの構えで演奏するジミ・ヘンドリクスさんが有名だ。本当は右利きだったという噂もある。人のやらないことをやろうという強い意思の持ち主だったのだろう。
 サウスポーをカウントしたおかげで,真夜中にジミさんのアメリカ国歌を聴く夜になったのだった。人生は何があるかわからないのである。

2008年1月25日(金)虹の中
 ロックはどうなっているかというと,RADIOHEADの『IN RAINBOW』が第1位,ARCTIC MONKEYSの『FAVORITE WORST NIGHTMARE』が第2位,WHITE STRIPESの『ICKY THUMP』が第3位というのが,「rockin’on 2月号」のランキングである。興味のある方は少ないと思うけれど。
 ホワイト・ストライプスはややハードでうるさいが,あとの2枚はモダンなロッケンロールである。ボクには聴きやすい曲が多いように思えた。反抗期を終えた少年が青年期に向かっているというか。
 特にレディオヘッドのアルバムは,バラエティに富んではいるけれどロック・アルバムにしては全体的に穏やかである。攻撃性がかなり減って,美しいロックだ。彼らなりに目指した変化なのだろう。ロック史に残るようなアルバムではないかもしれないが,今とは別のところへ行こうとしている意思が明確に感じられる。自分を更新し続けるということは,ロックに限らず大事なことであろう。
 さて,虹の中に入ると向こうにどんな光景が見えるのだろう。

2008年1月24日(木)破壊的
 スイング・ジャーナルの上位2枚ということで,アレキサンダーさんに15点を入れたのだが,昨年発売のアルバムでボクがよく聴いているのは,実はトリオ・アコースティックの『GIANT STEPS』である。
 2007年の録音作が1200円である。コスト・パフォーマンスを考えたら,文句なしに金賞だ。2800円でもボクは買ったと思うけれど。トリオ・アコースティックは,10年ほど前に『桜さくら』を聴いて以来,新作が出れば無条件で購入するハンガリーのトリオなのである。
 それが,1枚1200円ってどういうわけですの?収録時間は1時間以上あって,ミニアルバムではないんですぜ。
 アップテンポとスローな曲がそれぞれ散りばめられているのだが,ピアノは,押さえられたキーが下がっていくのが目に浮かぶほどの重量感だったり,軽快なスピードで走り回ったりもする。ブンブンゴリゴリと太いベースも骨に響くようだ。ふたりは兄弟。ドラムスもライト&ヘビー。音も価格も破壊的なのである。
 日本ではインディーズ系のガッツプロが販売しているので,いなばの普通のCD屋さんでは取り寄せてもらえないことが多い。アマゾンなどの通販の方が早く手に入れることができる。
 発売元であるタパスレコードのタパスとは,スペインのバール(BAR)で酒を飲みながらつまむ小皿料理なのだそうだ。お手軽に各国の音楽を楽しんでねというコンセプトのようだ。応援したいレコード会社である。ヴィーナスさんも見習ってほしいね。無理だろうけど。

2008年1月23日(水)私のお気に入り
 スイング・ジャーナルの2007年度ジャズ・ディスク大賞の金賞は,昨年1月に白血病で亡くなられたマイケル・ブレッカーさんの『PILGRIMAGE』(邦題は『聖地への旅』)である。
 全曲マイケルさんのオリジナル作品で,ピアノはハービー・ハンコックさんとブラッド・メルドーさんが半分ずつお付き合いをされている。ベースもドラムスも力強くて,トリオだけの演奏も刺激的である。マイケルさんも,本当に最後の気力をふりしぼって,次々と豊かなフレーズを連発されている。評論家好みというか,金賞向きの作品である。
 とはいえ,マイケルさんのサックス音はコルトレーンさん系である。通常音域より高い音を出すフラジオが多かったり,屈折した?音が多いので,疲れた夜にくつろぐのはボクにはちょっと難しい。
 銀賞の1枚であるエリック・アレキサンダーさんの『My Favorite Things』の方が,ストレートによく歌っていて心地よいと思うのだった。録音も断然いいし,『As Time Goes by』も収録されている。激情プレイだってある。ストレートで素直すぎるところが物足りないのだろうか。
 そんなわけで,ボクが聴いた回数はアレキサンダーさんのテナー・アルバムの方が多いのである。
 ジャズの日をきっかけにジャズを聴いてみようかという女性には,アレキサンダーさんの方をお勧めしたいな。ということで,ボクは『My Favorite Things』に15点。

2008年1月22日(火)ジャズの日
 組合の元締めの新年会だった。途中,ショータイムがあって,映画の中のトム・クルーズさんのマネをされている5名で1チームのみなさんのパフォーマンスがあった。せっかく隣席の人と話をしていたのに,巨大なヴォリュームの打ち込みビートのせいで会話が成り立たない。音楽のストライクゾーンは広い方だと思うのだが,久しぶりに音楽がうるさいと感じた。ギャラが10万円という説と20万円という説があった。過日,ニューオータニでやってもらった時は20万円払われたのだとか。10分ほどで。労働者の貴重なお金をそんなことに使っていいのかね。衆議院議員選挙は大丈夫なのか,こんなお金の使い方で。
 ということで,帰宅したら今日はもうほとんど残っていなかったのだが,今日は何の日だったのかというと,JAZZの日だそうだ。JANUARYの「JA」と,22が「ZZ」に似ているのでオール・ザット・ジャズらしい。
 とりあえず,今年のスイング・ジャーナル誌の金賞のアルバムを流してみた。いいアルバムである。亡くなった人だからというバイアスが少しかかっているような気もするけれど。さて,何というアルバムだったかというのは,また明日。

2008年1月21日(月)邦楽十六選
 ドリカムの『未来予想図U』を市民音楽祭で歌う人達がいるらしい。メンバーに元歌を知らない人がいるので,CDを貸してと頼む人がいらっしゃる。邦楽は聴かない人なのだとか。80分収録できるCDに1曲しか焼かないというのももったいないので,ご希望の曲をリッピングした後,数少ないわが家の邦楽流行歌を適当に詰め込んでみた。
 そんなわけで,今年はじめてたっぷり日本語の歌を聴いた夜だった。『ジュピター』とか,『ハナミズキ』とか,『夢であえたら』とか。スピッツ(!)の『14番目の月』や,つれあいお薦めの小田さんの『マイホームタウン』なども入れて,16曲入りアルバムのできあがり。
 「いつもブレーキランプ5回点滅ア・イ・シ・テ・ルのサイン」とか,「夢を失うことより悲しいことは自分を信じてあげられないこと」とか,「つぎの夜から欠ける満月より14番目の月が一番好き」とか,みなさん真剣に言葉を探したり推敲していらっしゃるのである。砥石で磨かれた言葉やいいフレーズは残っていくんですねえ。
 さて,このアルバムは気に入ってもらえるだろうか。
 『木蓮の涙』や『中央線』や『サムデイ』は,別のCDに入れておくことにしよう。

2008年1月20日(日)THE CLOSERS
 海外ミステリーなどをいつも紹介してくださる方から,マイクル・コナリーさんの『終結者たち(上・下巻)』という作品を紹介してもらって,年末年始に読んだ。『KIND OF BLUE』を聴きながら読むと良いかもしれない。ボクとほぼ同年代と思われるハリー・ボッシュがロス市警に復帰して活躍するお話である。そのボッシュの同僚にヴィッキー・ランドレスという女性が登場するのだが,ランドレスというのはよくある姓なのだろうか。
 ボクは,SONNY LANDRETHさんを思い浮かべたのだった。有名なギタリストではないかもしれないが,クラプトンさんやマーク・ノップラーさんを聴いていると,そのうち出会うことになるケイジャン・ミュージック系のミュージシャンである。
 ケイジャン・ミュージックというのはルイジアナ州に定住したフランス系移民のみなさんのダンス音楽。ランドレスさんは,ケイジャンばかりではなく,ブルースやロックも得意で,指に装着したスライド・バーとよばれる棒を弦に接触させてピッキングするスライドギターの名手である。テンポが良くてよくのびるギターの音色が気持ちよい。
 そんなわけで,ここのところサニー・ランドレスさんの『GRANT STREET』や『LEVEE TOWN』をよく聴いていたのだが,そういえば,ルイジアナの高校ではビリー・ホリデイさんの『ストレンジ・フルーツ』のような事件が起こっていたのも思い出した。「ジーナ6」である。
 サブプライムローン問題で借金返済のできない人がアメリカ各地で増加しているわけだから,格差社会はさらに拡大し,差別は保守的な南部だけで起こる問題ではなくなっているんだろうな。「憎悪犯罪」も。
 ボッシュ警部なら,木からロープをぶら下げるような白人高校生にどう対応して,どう終結させるのだろう。やっぱり物語は1冊だけでは片付かないのだろうか。

2008年1月19日(土)農作業を少し
 机に向かっていた受験生のみなさんには申し訳ないが,絶好の農作業日和である。外の方が暖かい一日だった。
 つれあいと,ジャガイモを掘ったり,タマネギに追肥したり,もう一本の柚子の実を取ったり,竹を掘り返したりという3時間の作業をして,すっかり汗をかいた。何かスポーツをしていますかと聞かれたら,「農作業を少し」と答えることにしよう。
 そんな夫婦に,「精がでますなあ。ボクの作った大根をいかがですか?」と声をかけてくださる方もあって,わが家では作ることのできないような,大きな大根と白菜をいただいた。ありがとうございます。
 「いいですなあ,お宅は夫婦ご一緒で。」と言われるから,農作業は共同作業のわが家は「えっ?」っと思ったのだが,お聞きすれば,パートナーはテニスの試合や卓球の練習でお忙しいのだそうだ。
 台所の流しに野菜から逃げ出たナメクジが這っていれば怒られるので,収穫してくるだけでなく,収穫後の野菜も全部ご自分で洗われるらしい。定年退職されている方なのだが,えらいなあ。
 おばあさんは街へテニスの試合へ,おじいさんは菜園へ大根を掘りに。ついでに野菜も洗って,という時代らしい。おばばよい,ボクはちょっと修業が足りないよ。

2008年1月18日(金)お祝い
 自分のことでないことを書くのは気がひけるのだが,掲示板で推薦図書を書かれたのだから,こりゃしょうがないよね。
 アマゾンから件の雑誌が届いていた。必読とあったので,どこが必読箇所なのかと探しながら読んでいたら,何とあらくれにほんかいさんの歌が道浦母都子さんに選ばれていたのだった。いやあ,おめでとうございます。ここが必読だよね?
 7年目にしてやりましたねえ。ホント,一緒にはじめた人間として,心からお祝いをいたしますよ。ご本人は,まだまだとおっしゃるんだろうけどね。
 「どうしようもなく独りが好きで,またどうしようもなく人恋しい」とか,「言葉を残すものがもっともよく生き延びる」という道浦さんの選というのがいいな。短歌を初めてから,ボクが最初に歌集を買って真面目に読んだのが『無援の抒情』だった。岩波文庫の奥付は2000年7月14日第1刷発行。まさにその年の5月11日がスタートだったんだよね。スプリンクラーからよくぞここまで。
 さてさて,人は目指したところ周辺にしかたどり着けないものだ。まだまだ遠くを見つめていらっしゃることだろう。走り続けないとね,スプリンクラーのように。背中が見えなくならない程度についていきたいと思っているのだけれど。

2008年1月17日(木)春になったら
 つれあいが,連日BS放送の映画を見て泣いている。あなたも見た方がいいわよなどと言われ,つき合わされているんです。
 介護のお話だったり,歳を重ねた夫婦のお話だったり。今日は『蕨野行』だった。
 25年前に鳥取東映で『楢山節考』を見た時,われわれは二人とも親を背負う側の人間として見ていたと思うのだが,60歳で蕨野行きという『蕨野行』を今見れば,もう,馬吉やレンの側に感情移入する歳になってしまっているのだった。次々と生まれては去っていくのであるなあ,人は。樹村さんの『柿の木のある風景』の通りである。
 死に行くだけの『楢山節考』とは違い,家族と離れ蕨野で生活するお年寄りは,結構生を楽しもうとするのだった。歳をとっても教わることは面白いらしい。切なくも人生を楽しもうとする姿が,高齢化時代に制作された映画という感じがするな。ボクは,あんなにたくましい過ごし方ができるのだろうか。ちょっと心配である。
 「おばばよい。何か思うことがありつるか」という風な古めかしい会話がおもしろいね。他の時代物の作品の会話も同じようにしてもらうと,いにしえの言葉がもっと身近に感じられるのにな。
 おばばよい。春になったらボクもワラビを採りに行くことにするよ。その日のうちに帰って来るつもりだけどね。とりあえず,「気を張れー」と,自分に。

2008年1月16日(水)食べ比べ
 KIHACHI銀座本店でパティシエールをされていた知り合いのお嬢さんが,出産のため退職されるということで,記念に焼き菓子セットを送ってくださった。ありがとうございます。
 以前食べた時には,ボクとはなんの関係もないお店の商品だったせいか,特別においしいと思わなかったのだが,今回食べたフィナンシェやダックワーズはとてもおいしく感じた。
 せっかくの機会だから,通勤途上にあるケーキ屋さん2店に寄って当該商品を買い,いなばと江戸を食べ比べてみた。いずれも1個が150円前後の焼き菓子である。
 知っている人がいたからという問題ではなく,3種類を食べてみて,圧倒的にキハチさんの焼き菓子がおいしいことがわかった。フィナンシェやダックワーズの,もっちりしっとりした食感や抑えた甘さは,いなばのケーキ屋さん製では感じることができなかった。深みが感じられなかったな,ボクは。使われているアーモンドパウダーの量もかなり違っていることだろう。いやあ,焼き菓子もあなどれないのであった。世界が広がりましたよ。
 川端をはじめとするいなば各所の銀座はさっぱり廃れてしまっているけれど,さすが本場の銀座である。ちょっと参りました。有名店に今さら感心するのも間抜けな話だが,いいものを知ることは大事であるね。焼き菓子のスタンダードがかなり上がったような気がするな。もちろん,上には上があるのだと思うが。

2008年1月15日(火)見送りの後で
 樹村みのりさんの単行本が発売された。奥付は1月30日だが,ボクのところには今日届いた。一昨年の文庫本化もうれしかったけれど,朝日ソノラマはもうなくなってしまったので,2種類の文庫本も古書で手に入れるしかない。複数買っておいてよかった。今回の単行本は子ども達用に3冊注文しておきましたよ。
 新刊のタイトルは,『見送りの後で』。2006年の表題作の他に,『星に住む人々』(『星に住む人びと』のリメイク),『風のささやき』,『また明日、ネ』『柿の木のある風景』の5作品が収録されている。
 母と娘の葛藤は樹村さんのテーマのひとつだったと思うのだけれど,歳を重ねられた樹村さんも,母に対する思いの変化というのがおありなのだろう。身近な方の葬儀を経験されたのかなという印象を受けるほど,葬儀前後の様子や母との関係の落としどころを探そうとする心の動きなどがリアルに描かれている。ボクも近年そんな葬儀がいくつも続いたので,喪失感や死者と自分との関わりを考えたりしたことがある。誰にも別れはつきものだというのが,より具体的にイメージできるようになってきたというか。
 昨日も書いたのだが,樹村さんの作品でも,「人生って短いわね」というフレーズが使われていた。『柿の木のある風景』も生死の繰り返しが扱われているし,『星に住む人々』もしかり。作者もファンもそんなことをしみじみ思う年齢になっているんですねえ。
 それにしても,1976年の『星に住む人びと』の全面リメイクはうれしい。当時は思い通りに描けなかったからだそうだ。扉絵さえ描き直されていて,細部を大事にされる樹村さんらしい。音楽ならいざ知らず,コミックでは滅多にないんじゃないかな。2冊並べて読むと違いがとても面白い。亡くなった女の子の「勝子」のふりがなさえ変わっているのである。
 とはいえ,郁子ちゃんの顔は,ボクは昔の作品の方が好き。あの頃の樹村さんの作品に登場する女の子がボクの理想だったんです。サコとか,お手伝いのたきちゃんなどと並んで。って,そんな告白をしても誰も聞きたくないと思うけれど。
 ということで,元々このHPは,樹村みのりさんが好きだということを告白するためのページからはじまったのである。樹村さんの新刊の紹介ができるというのは,望外の喜びだ。みなさん,買ってね。

2008年1月14日(月)20歳の減点
 成人の日である。全国135万人の若者のおかげでゆっくり過ごすことができた。ありがとね。
 ボクは大人になりたいと思っていなかったので,成人式に出席しなかったし,何の記憶も残っていないな。
 それでも,20歳のころどうしていたっけと思い出してみたら,代々木の6畳一間に住んでいたころだった。ご近所のおじさんやおばさんと麻雀をして,社会勉強をしていたころだ。怖い大人がたくさんいて,成人の日を迎える学生にも容赦なかったな,みなさん。減点人生まっただ中である。そういえば,灯油を買えなくて震えていたのを思い出した。考えてみれば,ボクは20歳のころはまだ立派なガキだった。今もか?とはいえ,大人がセッティングした式に出席して騒ぐほどのガキではなかったと思うけどね。
 今日は,ありがたい言葉が全国の式場で若者に贈られたり,誓いの言葉の披露があったりしたんだろうな。励まされるフレーズがあったことだろう。
 たとえば,ビートルズは『We Can Work It Out』(恋を抱きしめよう)の中で,「らいふぃずべりーしょーと」と歌っていた。ケンカなんかしている場合じゃないよと。「命短し恋せよ乙女」でもいいね。今夜は,ブランコに乗って『ゴンドラの唄』でも歌ってみてはどうだろう。泣けるぞ。と思うのは,歳をとった人間だけだろうか。
 あのころは,まだ先は長いと思っていたよ。髪はいつまでも太いと思っていたし。成人が楽しんだ今日は,ボクは灯油の買い出し。1缶1556円の灯油5缶をセルフで買える程度の大人になっただけかも知れんな。

2008年1月13日(日)WITH OR WITHOUT
 何の予定もない,3連休の中日である。家から一歩も外へ出なかった。こんな日は,たとえば短歌が何首か詠めたのかね,というようなことが心安らかに眠れるか後悔の夜になるかの分かれ道だったりする。
 で,まあ大体後悔するために生きているようなものなのである。昨日の夜は,明日になったら午前中から取り組もうと思っていたのに,結局,夕方に2つ3つ文字を31並べただけで終わってしまった。
 どうも聴いていた音楽が良くなかったらしい。ロックは短歌のBGMには向いていないようだ,ボクの場合は。ハード・バップもサックスも。ピアノトリオさえ。
 結局,ピアノ・ソロにした。とはいえ,エヴァンスさんはソロでもそれなりに自己主張が強かったりするので,ついついピアノに引き込まれる。
 だったら,音を止めて集中すればいいのだが,オールナイト・ニッポンやパック・イン・ミュージックの昔から「ながら族」だったのである。まっ,残り時間も短いので聴ける内に聴いておかないとね。
 で,聴き慣れたキースさんの「メロディ・アット・ナイト」を流しっぱなしにしているのだった。
 『THE MELODY AT NIGHT, WITH TANKA』ならよいのだけれど。

2008年1月12日(土)HARVEST
 夏に収穫したジャガイモを食べつくしてしまったらしい。9月の終わりに植えたジャガイモをまだ掘っていなかったので,十株ほど掘ってみた。植えた時期が1か月遅かったけれど,肥料は適当に与えていたから,色白の美しいジャガイモが育っていた。さすが二度芋である。
 「インカのまどろみ」だっけ,「アステカのいけにえ」だったっけと品種を思い出そうとしたがすぐに出てこない。しばらく考えて,ようやくただの「出島」だったということに気がついた。もう少しネーミングをオシャレにしてみてはどうですかね,「インカのめざめ」のように。「出島の夜明け」とか,「マドロスの恋」とか,「オランダ坂の吐息」とか。
 南米原産のジャガイモは,ジャガタラ経由で長崎に届いた。オランダだけでなく,16世紀に南米の侵略者だったスペインにも感謝した方がいいのだろうか。その後,明治期にアメリカから男爵やメークインが入ってきたのだとか。アメリカにも感謝である。お礼に石油をお届けします,イージス艦つきで。
 芋や豆は子どもの頃に一生分を食べさせてもらったような気がする(何しろおやつは毎日ふかし芋だった)。大人になってからはそれほど好んで食べてきたわけではないけれど,自分で栽培するようになってからは,直径1cmほどの芋でも捨てられなかったりするのだった。ハーヴェストを経験することは大切なのである。
 ということで,今日の夕食は,今どれをベイクド・ポテトとジャーマン・ポテトだ。焼いてバターをつけるだけなのに絶品なんです。今夜の音楽はニール・ヤングさんの『HARVEST』。「ボクは美しい心を求めて だんだん年老いていく」とニールさんが歌う。ハーモニカも泣けるな,『HEART OF GOLD』。
 テレビをつければおいしそうな食べ物番組は多い。高級食材を使うのだからそりゃあおいしいのだろうが,自分で作ったものを収穫したその日に食べるというのは,お金がかかっていない割に大変おいしいのだよ。レポーターのみなさんはあまりご存じないだろうけれど。

2008年1月11日(金)RETURN UNKNOWN
 仕事始めから7日連続の業務がやっと終わった。ベリー・ハードだった。今日の午後は会議3連発。その後は,外部の会議がふたつあって,どちらに行けばよいのか迷う。つながっているんだから,調整すればいいと思うのだが,それぞれがバラバラに計画を立てていらっしゃるようだ。よくあることである。まっ,選挙が近いという想定のお集まりなので,どうでもいいんだけどね。
 西宮へ出した年賀状が,「あて所に尋ねあたりません」というスタンプが押されて返ってきていた。えらい長旅でしたなあ。今年は,大阪や京都などから4枚も返ってきた。結婚で引っ越されたり,転勤で引っ越されたり,みなさん変化のある生活をされているようでうらやましい。ボクは,もう30年間引っ越しと縁のない生活である。物を買っても捨てないし,家の中が散らかりっぱなしで片付かない。動かないとよどんでしまうのである。
 と思ったのだが,そういえば葛飾北斎さんは部屋が散らかると引っ越しをしたという話を思い出した。もちろん,借金取りからの夜逃げもあったのだと思うが,90回以上引っ越しをしたらしい。1日に3回引っ越したこともあったとか。敷金や礼金は大丈夫だったのだろうか。って,江戸時代にそんなシステムがあったのかね。
 そんなわけで,わが家に北斎さんが住んでいればとっくに引っ越しをしたことだろう。残念ながら,ボクはそんな散らかったところに30年以上住んでいる。葛飾北斎さんになれないわけである。

2008年1月10日(木)昔話
 車を置いている場所から家まで歩いて帰る途中に,金柑がたくさんなっているおうちがある。街灯の明かりの中でおいしそうだ。今は横浜で暮らしている同級生のうちなので,ふたつやみっついただいても,ひとり暮らしのお母さんは許してくださるだろう。
 大きい粒をつまんで口に入れた。
 ひえー,酸っぱい。
 いつまでも舌に残る強烈な酸っぱさだ。いつも加工した甘い金柑を食べているから油断したよ。
 そういえば昔,♪みかんキンカン酒の燗 嫁にもたせにゃ働かん♪というCMがあったなあなどと思いながら帰ったのだった。「嫁にもたせりゃ」だったかもしれん。どういう意味の歌だったのだろう。小学生だから嫁もいないし,水虫等になったこともなくて,お世話にならなかったのが残念である。
 ボクが昔お世話になったぬり薬は,「桃の花」だ。冬はシモヤケになりやすい体質だったのである。というか,昔の子どもには青ばなを垂らしたやつ(自分のことである)とシモヤケがうじゃうじゃいたような気がするのだが,なんでだろう。血の巡りは今も悪いけどね。
 洗面器に入れたお湯に手をつけ,その後ピンク色の「桃の花」をぬってもらったりしたものである。懐かしいな。今でもあるのだろうか,「桃の花」。今の子どももシモヤケになるのかね。
 などと昔のことを思い出していたら,松下やナショナルをやめて,パナソニックに統一するというニュースがあった。こりゃまた,♪あっかるーいナッショナール♪とか,「ナショナル・キッド」を思い出した。
 というような昔話を書くようになったら,人生下り坂をローリング・ストーンである。ということで,今夜はストーンズの『JUMPIN' JACK FLASH』。
 40年前の曲だった。

2008年1月9日(水)スパムめいる
 この年末年始,スパム・メールが急激に増えた。12月30日からの10日間に,スパム・フィルターでふり分けられたメールの1日の平均は,93通。元日が一番少なくて77通。多い日は105通もあった。それまでは30通前後だったのが,一体どうしたわけだろう。悪いことはしていないと思うのだが。
 届いたスパムのうち45%が日本語のメールで,残りは外国の友達がこんなにいたっけというような英語によるご案内だ。時間別に調べてみたが,どの時間帯であっても万遍なく送りつけられている。1時間に最大8件。削除する時間も無駄だ。
 件名は,「こんにちは。三恵です」とか,「コンプレックスがもてもて人生に」とか。「こんにちは。ゆみこです」とか,「こんにちは,のぶこです」だったら,おお懐かしい,とメールを開けてしまうかも知れないが,残念,三恵さんというちょっとレアっぽい名前の女性とは運命的な出会いがなかったと思うのである。もっと,ボクが喜びそうな名前にしてもらえないだろうか。
 フリーメールでは,ヤフーのアドレスにはスパムがほとんど入ってこないけれど,Gmailだと多い日は15通くらいが「迷惑メール」にふり分けられている。こちらはほとんどが漢字ばかりのメールだ。件名は,「全球最知名 Tiffany 飾品低價代購」とか,「男性壯陽保健聖品」など。漢文の勉強をしなさいってかね?日本にもアメリカにも中国にも悪いやつはいるのであるよ。
 メールサーバのリソースを奪われたりすると思うのだが,プロバイダさんは対策をきちんとやっていただいているのだろうか。まったく気が滅入る話である。

2008年1月8日(火)Dear New Stockholm
 10時から業務がはじまるというのはありがたいね。8時に起きるスローな朝である。職場へ出てからは,クイック,クイックだったけれど。
 羽海野チカさんの『ハチクロ』がテレビドラマになっていた。明日は小田ゆうあさんの『斉藤さん』で,週末は高橋留美子さんの『1ポンドの福音』と続く。お馴染み,コミック原作のテレビドラマ化である。いいねえ。バラエティ番組と,コミック原作のドラマが中心のテレビ放送になってくれると,わが家のテレビはほとんどDVD観賞用時のモニター箱になりそうだ。テレビをつけない分だけ,少し豊かな時間を過ごせそうである。夜の心はのどけからましだ。
 そんなわけで,今日はゆっくりとジャズを聴きながら読書である。
 新譜が発売されると,無条件で作品を購入するミュージシャンというのが幾人かいる。そのひとつが,e.s.t.だ。スウェーデンのピアノ・トリオである。ヨーロッパ系なのに,変化に富んだリズムやエフェクトをかけたベース音など,ロック・テイストな音作りである。ジャズの領域を拡大しようとしていることが伝わってくる演奏だ。
 砂丘でアンモナイトを探すような(あるのか?)輸入盤買いをしていたころに,彼らのデビューアルバムと遭遇し,以来マイ・フェイバリット・グループである。時々そんなことがあるんですねえ,運が良ければ。
 当時は3人とも貴公子のような雰囲気だったのが,徐々に凄みのある顔つきになり,今や『プリズン・ブレイク』に出演してもいいのではないかと思えるくらい迫力のある面構えだ。ジャケットだけだと,女性ファンは増えないような気がするな。まっ,今や日本でも結構有名グループになってしまったのが,少し寂しかったりもするのだった。
 『live in hanburg』という今度の新作も,ヘビーで攻撃的でメロディアスで,客席からの拍手がしつこい。マイルスさんのように電気でジャズを拡大しようとするのではなく,アコースティックにジャズの世界をひろげようとチャレンジングなライブ・アルバムだ。しかも,2枚組。当分楽しめそうである。

2008年1月7日(月)重役出勤
 まだ松の内だというのに,今日はよく働いた。勤務時間は90分延長され,さらにサービス残業2時間である。みなさんにお手伝いいただいたおかげで,何とか21時頃に帰宅することができた。ありがとね。
 そんなわけで,正規残業分は明日の出勤時間で調整することになって,ありがたいことに明日は10時までに出勤すればよいのであった。うれしいな,重役出勤。今晩は夜更かしできるのである。
 と思ったのだが,重役出勤というのは遅刻して出勤することだったかもしれぬ。あるいは,お迎えのハイヤーが来てくれるような出勤方法だったか。社長出勤と言った方がいいのだろうか。
 しかし,世の中の社長さんは本当に平社員より出勤時間が遅いのかな。それもちょっと感じ悪いな。そんな会社にいたら,モチベーションが高まらなくてボクは長続きしないかもしれない。
 まっ,何はともあれ,普段は勤務時間の30分ほど前から仕事をしているパシリ出勤なので,たまにはこんなこともないとね。日付が変わって1時間経つけれど,夜はこれからなのである。

2008年1月6日(日)軽薄短小
 ということで,休日出勤の今日のジャケットは黒の別珍にしてみた。今年初のネクタイつきである。おお,同じジャケットの人も。
 「いやあ,おそろでんなあ。」
 「お,お,おそろしいでんなあ。」
 というようなことは,寛容の黒を着ている人は言ってはいけないのだ。
 さて,熱帯夜に限らずネクタイイヤである。自分で自分の首は締めたくないのだが,世間と折り合いをつける道具だ。世渡りは妥協の不連続で乗り切らないとね。
 とはいえ,重たいネクタイは締めたくない。ボクは幅が6cm前後のスリム・タイが中心だ。最近の流行ではないので入手しづらいというか,選択肢が少ないのが難点。
 重さはスリム・タイが約42gで,幅9cmのネクタイは約60gである。半日首にぶら下げているんだから,少しでも軽い方がいいな。軽さ優先。軽ければ,柄はネックにならないのである。

2008年1月5日(土)白黒
 今日が今年の初出勤である。職場の雪かきという業務が待っていた。1日,2日とわが家近辺の雪かきをしたので少し腰が痛いのに,雪国はつらいね。
 出勤したみなさんにお聞きしたら,どうも今回の雪は海岸部が多かったようだ。とりわけ,わが家は降雪が多い。いや,ホント。雪の吹き出し口がわが家の上空にあるのではないかと思うくらいだ。周囲の建物との位置関係で,ちょうど吹きだまりになっているのかも知れない。たまるのが雪くらいというのが残念である。
 そんなわけで,庭にはまだたっぷり雪があって,きれいな「白」を楽しむことができる。いいね,白は。
 とはいえ,雪は本来透明で,すべての光を反射する雪の結晶のすき間にある空気に入った光が乱反射して白く見えるらしい。
 基本的にすべての光を反射するのが白で,すべての光を吸収するのが黒ということになると,黒の方が受容力のある色ということになるのだろうか。時々は,黒も身につけることにしよう。

2008年1月4日(金)初買い
 土産物などを買うという娘につき合って,ジャスコ北店へ行った。打吹公園だんごも売ってあるんです。今まで意識的に行かないようにしていたのだが,リニューアル後,初めて本格的に店内をぶらついた。「北ジャスぶら」である。
 いやあ,豊富な品揃え。鄙びた生活をしている我が身は,かつての銀ブラを思い出しましたよ,ってちょっとオーバー。自家用車も多いので,今まで止めたことのないような,店舗から遠く離れた場所に止めた。健康によさそうなモールだ。
 とはいえ,失礼なことだが,今やモールはパワーアップしたデストロイヤーである。食料品を扱っている地元のスーパーはさておき,アパレルや雑貨などを扱っている商店街のお店は,そこにしかないレア物を置かないと対抗できそうにない。そんな商品があるのかね。
 現在の駅前のメイン・ストリートは,早晩,朝夕に公務員や高校生が歩き,夜になると飲食店や風俗店などのネオンがにぎやかな街になりそうだ。
 ニッチな商品での生き残り策だけでなく,高齢者のために市内各所へ商店街利用者用無料バスを走らせるとか,商店街前道路の駐車を自由にする等の交渉を積極的に進められてはどうでしょう。まっ,マンション経営や駐車場経営をやっているとかで,実は豊かだったりするのかも知れないけれどね,商店街のみなさんは。
 何はともあれ,消費者も共存を考えたバランスの良い買い物を時々はした方がいいと思うな。ネオン明るい夜の街作り推進委員の方はさておき。
 さて,ボクが今度ジャスコ北店へ行くのはいつになるだろう。

2008年1月3日(木)初荷
 わが家の今年の初荷は,『恐怖のミイラ』だった。1961年にテレビ放送されたモノクロ・ホラー作品である。メディアはレーザー・ディスク。
 通常,中古レーザーディスクはいまや105円か210円くらいで売られているものが多いが,世の中には似たようなオヤジがいるのだろう。オークションではそれなりの値段がついていた。昔を思い出すには,それなりの出費が必要らしい。
 45年以上前にわずか3か月ほど放映されただけの作品だから,知っている人は少ないと思うのだが,同級生が集まって昔のテレビ番組話になると,必ずといっていいほど話題に上がる作品だ。
 そんなわけで,正月早々『恐怖のミイラ』を鑑賞している。
 「ああああー」恐怖のメロディである。
 当時,テレビのある家はまだ少なかった。家にテレビのない小学生は,テレビのあるおうちに集まって見せてもらっていたのだった。見ている時はもちろん,見た後の暗い帰り道もとても怖かったけれど,さすがにこの歳になってみると,荒唐無稽な話に見える。薬品を口から流し込んで,ミイラが生き返るんだもの。
 とはいえ,お子さま向けの割りには結構丁寧に作ってあって,当時,裏番組のジェスチャーしか見せてもらえなかったというつれあいとお楽しみなのである。
 正月からそんな作品を見ているという夫婦も恐怖かもしれんな。

2008年1月2日(水)ROUNDABOUT
 受け容れてもらったり認めてもらったりすると,体煩悩率の高いボクは大変うれしい。自分の方ばかりに関心がいっていると,なかなか他人を誉めるというのは難しい行為である。自分によほど余裕がないとできないのではないか。
 ありがたいことに,掲示板で新年早々お誉めの言葉をいただいた。まっ,ふくらまし粉入りだと思うけれど,滅多にないことなので素直に喜んでいるのである。もちろん,自分では日々ゴミの生産だと思っているんだけどね。
 大人の世界では,仕事はうまくやるのが当たり前だから,失敗を詰られることはあっても,いい仕事をして誉められることはあまりない。ボクのような年齢の人間は,職場で若者を誉める役割も果たさないといけないのだろうな,と思ったりしたのだった。余裕のある生活を送りたいものである,今年は。
 さて,帰省している娘は,わが家にあるコミックを読みまくっている。渡辺ペコさんの『ラウンダバウト』が気に入ったらしい。女子中学生が主人公のたわいないお話なのだが,自分の晩稲だった?中学生時代とかぶるところでもあるのだろう。何しろ,サンタを中3まで信じていたからなあ。娘の中学生活も回転木馬(ラウンダバウト)の日々だったのである。
 『Roundabout』といえば,昔のロック小僧にとっては,イエスの『FRAGILE』というアルバムの1曲目が思い浮かぶ。「回り道」とか,今町のロータリーのことだと覚えていたのだが,「回転木馬」という意味もあったのか。知らなかった。そんなわけで,懐かしの『Roundabout』を流したのだった。迂回なしで,一気に『危機』へたどり着くであろうというエネルギーに満ちあふれた名曲である。
 結局,1年の最後に聴いたのがイエスで,1年の最初に聴いた音楽もイエスだった。回り道も何も,ぐるぐる回っているだけの人生だなこれでは。どこか行き場所を決めておいた方がよさそうである。さて,どこにしたらいいだろう。

2008年1月1日(火)笑門来福
 謹賀新年。笑門来福。本年もよろしくお願いいたします。
 昨夜は,雪の降る中,除夜の鐘を突かせてもらった。つれあいは7回,ボクは10回くらい。ふたりで1回。手が滑った突き間違いの0.5回もあったりするので,今回も合計108回では終わらなかったような気がするな。
 もちろん,10回突いたくらいではボクの煩悩はなくならない。解脱して仏さんになるにはもう少しかかると思うのである。そんなわけで,今年も体煩悩率90%くらいでメタボ?まっしぐらだ。財布はスリムなのだけれど。
 さて,起床後,雑煮を食べる前の今年最初の仕事は,雪かき。ゆっくりしたい正月の朝に雪が降ることによって,不合理や理不尽はいつでもボクの身に降りかかるということを,今年の第一日目から自然は教えてくれているのである。お前が望むことは簡単には手に入らないよと。ありがたいことだ。
 雪はそのうち溶けるから放っておけばよい,という人もいらっしゃるだろうが,わが家のご近所には雪かきマニアが何人かおありだ。お付き合いをしないと,肩身が狭くなる。雪が降った時,町内の道路でほとんど雪がないところがわが家界隈なのである。
 昼になっても雪は降り続いている。庭にものさしを差してみたら,27cmまで入った。午後も雪かきだ。13時30分頃,郵便配達の方が歩きながら年賀状を届けてくださった。バス通りに車を止め,路地を歩いていらっしゃるのだそうだ。ごくろうさま。
 生産的な仕事ではないが,歩く人が少しばかり気持ちよくなってくれると雪かきのし甲斐があるというものだ。雪をかいている人は高齢化していて,若い人達はあまり雪かき仕事には価値をおいていないような気もするけれど。
 門の雪をかけば,福が来るかもしれないぞ。笑いながらやれば,さらに?

2007年12月31日(月)よい明日を!
 届けられた郵便物の宛先の横に,鉛筆で十字と小さな丸がつけてある。わが家の位置が記されているようだ。自転車に乗っているアルバイトの若者が配ってくれたのだろう。ありがとね。道路脇に郵便受けのある家ならいいのだろうが,わが家は自転車をとめて私設ポストまで足を運ばなくてはいけない。そんなことまで考えて家を建ててなかったよ。ごめんね。
 年賀状が終わったら部屋を片付けると言ってあったのだが,どこから手をつけていいのかわからなかったのでやめた。すまぬ。ボクの周囲をちょっとばかり小綺麗にするより,音楽を聴いて自分の中を清々しい身体にしておいた方がよいと思ったんだよね。...。地雷に注意。
 ということで,地雷を避けながら音楽を聴いたのだった。新しく封を切ったアルバムは,TIGRA HAMASYAN TRIOの『New Era』だけで,あとは馴染んだアルバムばかり。デビッド・ギルモアさんの『On An Island』や,クリムゾンの『Island』や,フロイドの『狂気』とか。それと,『Waltz for Debby』と,『Melody At Night, With You』。予定調和は気持ちがよいな。
 昨日聴いたイエスの『CLOSE TO THE EDGE』は,今日も聴いてしまった。最後はこんなフレーズで終わっていく。
 Seasons will pass you by.
 I get up.
 I get down.
 季節がうつろうということは,その人のよい時期も過ぎていくということだ。旬を大事にしないといけないのである。35年前にイエスが教えてくれていたはずなのに,忘れていたよ。ボクの旬は終わっているな(というか,あったのか?)。くっ,つらい。
 ということで,今年はこれでおしまい。おつきあいいただいたみなさまありがとうございました。これからもよろしくお願いします。ある日更新が止まっているかもしれないけれど。
 では,これから除夜の鐘をつかせてもらいに行ってきます。
 みなさま,よい明日をお迎えください。明後日のことはさておき。


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