いなばにあん 時々嘘つかないTOPへ

いなばろぐ「べんとーさん忘れてもかーさん忘れるな」の,雨と無知との遭遇いなばにあんいのの日記。

2009年9月30日(水)積もりたる枯葉を踏みて
 つかれた。水曜日にして1週間分のつかれである。珍しく忙しい。発泡酒を飲む気がおこらないほどである。業務の一部をメールでも対応するようにしているので,フリー・メール系の返事だけで6本分の文章を書いたのだった。五十肩ではないが,結構肩が凝っているようだ。目にはVロートクールをたらしてやった。
 とはいえ,こんな涼しくて快適な夜に音楽を聴かずに眠るのももったいない。秋だというのに,エヴァンスさんの『You Must Believe In spring』を聴きながら過ごしているのだった。
 今夜は泥のように爆睡できそうである。

2009年9月29日(火)叶う日のくる気がしない
 左肩が五十肩らしい。あれ,最近まで右肩が五十肩なんじゃなかったの。
 「そうよ,7〜8年ほど」
 「7・8ねーん,じゃあもう50は大幅に超えているんじゃない」と思ったりしたが,そこは突っ込むところが違っていそうだ。ぐっと我慢して,今夜は肩もみや足のマッサージをさせていただいたのだった。
 食洗機がないので,皿を洗わせていただいている。マッサージチェアが我が家にくるまで,ボクはマッサージ男のままだ。ああ,マッサージチェアがほしい。5万円くらいで買える日が早くこないだろうか。
 と思ったが,どこに置くのかねという声が聞こえる。困った。マッサージチェアを置くところから考えなくてはいけないらしい。当分,歩くマッサージ男である。

2009年9月28日(月)がんばらないで生きていく
 遠くのお友達から「大地と光の贈り物」が届いていた。ありがとね。声を聞いてみた。
 「久しぶりでんなあ。どうやねん最近は」
 「いやあ,下の子が高校生だから大変さあー。まっ,でもあんまりがんばらないようにはしてるんだよねえ。年金でどうやって暮らそうか考えているんさー」
 「うらやましいねえ,高校生との同居。でも楽しめるのは,あとちょっとだね」
 長電話はしないタチというかできない方だが,珍しく話が弾んだ。
 「そのうち毎日がシルバーウィークになったら車で行くよ。15時間も走れば到着するよね?」などと話して電話を切った。
 すっかり声と年賀状だけのつきあいになったというのに,流されずに生きている彼との会話で,ちょっと元気がでた。お互い遠く離れた地方住まいである。よほど気合いを入れて会おうとしなければ接近が難しい。近くに住んでいれば,もっと相談が出来たかもと思うのだが,遠くだったから良好な関係が続いているのかも知れないとも思ったりしたのだった。

2009年9月27日(日)まぶしけり秋の緑の
 久しぶりにカメラを持ってでかけた。緑を撮ったら,緑とあまり縁のないところに住んでいるので緑がまぶしいという女の子が写っていた。勝手にアップしてみた。 帰りに,スーパーに寄った。入り口付近に住宅屋さんの看板があって,住みたい地域のアンケート結果が掲載されていた。湖山32票,駅周辺12票の次に,我が家界隈の地名があった。
 どんなアンケートやねん。ここがどれくらい不便なところか知ってますのんか?などと突っ込みを入れてみたが,坂道を上がった我が家近辺ではなく,もっと買い物の便利な場所のことかも知れない。
 それとも選択肢が3つしか用意されていないアンケートだったのだろうか。

2009年9月26日(土)転げ続ける石のごと
 お気に入りだった土曜日朝のラジオ番組が最終回だった。土曜日に勤務があったころはライブで聴いていて,遅く起きるようになった土曜の朝はMDに録音して聴いていた。メイン・パーソナリティは伊津野さん。いちばん楽しかったのはれん子さんがお相手だったころだ。朝だというのに夜ネタだったり,ゆるゆるのトークがボクのつぼにピッタリだったのである。
 今日は,今までの関係者に電話をかけるコーナーがあって,4年ぶりにれん子さんの声をお聞きした。相変わらずのボケ加減が気持ち良い。その他の関係者にも打ち上げのお誘いをされていたが,中には「誘っていただけるなら」という方もいらっしゃった。誘われなくても行きまっせと答えるのが大人の対応だろうと思ったけれど,一緒に仕事をしていても関係性に問題のあった人もいたのだろう。
 終了の予告は数週間前にされていた。それでも何だか突然のような気がする。何かあったのだろうか。楽しい番組なのに。それとも,ボクのツボは世間とずれているのか。そういえば4年前のれん子さんの降板も突然だった。世間にはいろいろな事情があるのだろう。
 物事の終わりはいつかやって来る。とはいえ,自分の最後までは転がり続けるようにしたいなと,最後の放送を聴きながら改めて感じたのだった。

2009年9月25日(金)ゴーヤーはゴミの袋に
 彼岸を過ぎたというのに,昼間は少し汗ばむ暑さ。たった2日しか働かない週だったけれど,なんだかよく働いた気がするのだった。片付けても片付けても次々と公私の業務があって,これからどうやって片付けるかちょっと途方にくれている週末である。
 通勤時にお会いしたご近所のひとり暮らしのおばさんは,ゴーヤーを抜いて可燃ごみにだされたらしい。
 「あんたがおいしいっちゅうけえ,うちげも作ってみただがあ」
 それはそれは。わが家のゴーヤーには3本ほど実が成っているんです。この暑さで,もう少し大きくならないかと期待しているんですわ。採りたては歯ごたえもよくておいしいですよねえ等と会話が弾む。
 ゴーヤーだけでなく,胡瓜も2本が成長中だ。トマトに至っては,落ちた実の種から苗ができ,現在黄色い花をいくつもつけている。そんなこぼれ種で実ができるほど世の中甘いのだろうか。ちょっと楽しみにしている。

2009年9月24日(木)訪問客の帰ったあとで
 砂丘には連休中2回行った。よく混んでいたので,とりあえず遠くから眺めるだけである。最終日の5時に残っている観光客はそれほどいないだろうと思ったのだが,広島ナンバー2台とすれ違うし,馬の背にはまだお客さんが見える。拡大して数えれば49人もいらっしゃった。最終日の砂丘の夕陽を楽しめるのは地元の人間だけではなかったのだった。
 そんな馬の背を見ようとゴルフ場の駐車場に車を駐めていたら,管理されている方が近づいて来た。
 「きれいにのっとられますなあ」
 「あっ,ありがとうございます。でも,いつ止まるかわからないんです」
 「20年前くらい?」
 「いや,30年前です」
 という,よくある会話が続いた。
 部外者立入禁止という無粋なことを言いそうな方ではなかったが,それでもジョアンナでなければ話しかけてはこなかっただろう。「きょうの砂丘はよー混んどりましたでー」などと,いろいろなお話ができた。
 ちょっと大きくて手のかかるやつだ。それでもありがたいコミュニケーション・ツールだなあと思ったのだった。

2009年9月23日(水)連休の最終日には
 我が家の1本下の道路は,地元の人は誰でも知っている砂丘へ抜ける脇道である。こんな時期は,県外車も交通量も多い。事故もよくある。今日も,我が家の前の道と砂丘へ抜ける道路がクロスしているところで車の衝突があった。我々が通りかかった少し前のできごとだったようだ。ご近所のみなさんがお集まりである。
 砂丘方面から走ってきたオレンジのMOVE LATTEが,飛び出してきた黒のパジェロミニにぶつかり,さらに民家のブロック塀に激突されたらしい。車は自走できないほどの大破である。ブレーキ痕もないしスピードが出ていたのではとおっしゃるのは,我が家の前で詳しく様子を教えて下さったご近所の女性。
 シルバーウィーク最終日の午後4時ころにも落とし穴は仕掛けてあるのだった。砂丘観光は危険なのである。自宅に帰り着くまで気を抜かないようにね。って,自戒である。

2009年9月22日(火)やむを得ず左折をすれば
 夜のうちにお湿りがあったらしい。控えていた残りのラッキョウ1kgを植えた。
 「もうちょっと降りゃあええのになあ」と作業をしていた苗屋のおじさんがおっしゃっていたが,夜も少し雨が降っている。ありがたい。
 昼間はバイパスの車の流れがよかった。恐る恐る砂丘方面へ車を走らせてみた。渋滞はトンネルを出たところが最後尾。前進はやめて左折にした。護国神社界隈は路上駐車が多数。秋の例大祭らしい。ゴルフ場の駐車場から馬の背を眺めてSWの観光旅行ということにしておいた。
 駐車場の隣にとまった「つくば」ナンバーのイプサムの小さな女の子に手を振って砂丘を後にしたのだった。
 日の落ちるころ,リバーサイドのバイパスを中央病院側終点へ向けて走っていたら,右折しかできないところを左折して逆走しようとする車があった。ブレーキを踏みつつパッシングの連続である。姫路ナンバーのクラウン。地元の人間にはよくわかっている左折禁止場所だが,知らない人には夕方の標識はわかりにくいのだろう。良くあることなのか,レアケースなのか。絶対に左折出来ないような対策を講じておいた方がいいと思うな。

2009年9月21日(月)渋滞の会話はやがて
 墓参りをすればあとは自分の時間かと思っていたのだが,今日は敬老の日らしい。お年寄りのサービスもしなくてはいけなかった。
 そんなわけで,朝と夕方に世間の渋滞とは逆コースを南や西に走った。地元ナンバーの少ないこと。熊本ナンバーや群馬ナンバーのみなさんご苦労さま。お気をつけてどうぞ。
 午前中は鳥取道を南に向かった。用瀬のパーキングは大混乱だった。もっと広い駐車場にしておかないとGWやSWには対応できないと思うな。自販機も置いてないし,パーキングを作る際の想像力が足りないような気がした。
 夕方は,R9バイパスの砂丘トンネル手前合流点から西に向かって走った。渋滞を見ながら逆に走るのは申し訳ないけど気持ちが良い。「ちよ志」が渋滞の最後尾だった。って,地元の人しかわからない話である。
 帰りは漁り火が見えるころ向こうを出発した。渋滞はないだろうと海岸を走っていたら,酒ノ津トンネルから車の流れが悪い。夕方から砂像のライトアップがあるからそのお客さんじゃないの,と助手席からの声。対向車のみなさんは,さぞ気持ち良く走られていたことだろう。

2009年9月20日(日)間引くのが少し苦手で
 ほぼ想定通りの,連休ではない2日間が終わった。ということで,やっと明日からが本格的な自分の時間である。
 とはいえ,業務以外にもいろいろと取り組むことができた。業務上も個人的にも少し前進したのである。後半が少し楽になったのではないかと思われるのだった。
 そんな今日は,ご近所のおばさんが紫蘇の穂をたくさんくださった。「テンプラにしんさいな」とのこと。ありがとうございます。香りのきつい食材はおいしい。
 実は我が家にも紫蘇やバジルやミントは雑草のごとく生えている。種が飛びまくっているのである。最近は,朝顔と猩猩草も雑草の仲間入りをしはじめた。敷いている石の間からも生えてくるのだからたくましい。明日は,自宅の紫蘇の穂のテンプラやジェノベーゼソースの晩ご飯になりそうだ。
 住人も庭の草花も雑草化しているようである。

2009年9月19日(土)赤いランプが点灯す
 この時期の今年と同じ連休は6年後のことらしい。そのころになると,毎日がシルバーだかゴールドだかプレミアム付きの連休だったりするかも知れん。まっ,存在していればであるが。
 117のフューエルランプが赤く点き始めた。経年変化でメーターが当てにならなくなることもあるのだとか。ランプが点いたと思ったらすぐガス欠になったり。どこに行く当てもないけれど,とりあえずGSでガソリンの補給をしておいた。
 「レギュラーでよかったですか?」
 「灯油でもいいよ」
 「30年でしたっけ40年でしたっけ?きれいだから,売ってくれと言ってくる人がいるんじゃないですか?」
 「だれもそんなことを言ってくれませんわ。スタンドで展示して,売ってよ」
 「30万くらいですかねえ?」
 「...」
 などと与太話をしながら,連休の初日が終わったのだった。

2009年9月18日(金)迂回路を探して走る
 「明日は朝が早いのでお先に失礼します」
 「いいねえ,どこ行くの」
 「ちょっと東の方へ」
 「ETCを使って?」
 「今のうちに使わないと意味ないですもんね」
 「.....」
 南西方面へ行く人もいらっしゃった。いいなあ,ボクはせっかくのETCを使う予定がない。
 とりあえず,明日はみなさんが行かない北へ向かってみようかなと思ったりした。ナビやETCがなくても,鳥取砂丘か海にたどり着けそうである。

2009年9月17日(木)棒で叩いて折りたることも
 めっきり涼しくなった。今朝は鉢植えの曼珠沙華が咲いていた。そろそろ彼岸である。ボクの通勤路では見かけることのできない曼珠沙華で,そこここのたんぼの畦などは赤く彩られていることだろう。
 血の色を想起しがちでもあるし,死者を葬った側に植えられることもあったとか。おばあさんが生きていれば,手折って帰っただけでも叱られそうだ。昔の人には,死がイメージされる花なのだろう。
 そんな舌曲がりとよばれた曼珠沙華を庭で育てているんだから,おばあさんは呆れるに違いない。農家育ちでないつれあいは,そんなことにはまったく頓着せず,その色や形を楽しんでいるのだった。鉢で育てているおかげで,花のあとで曼珠沙華の葉っぱの形がわかるようになったのである。

2009年9月16日(水)大粒を口にふくめば
 何かお返しをしないといけないわよねえということがあって,なにしろご町内のことにつき,二十世紀梨というわけにいかない。適当なものが思い浮かばないので,自家製の梅干しの他に時々注文している紀州の梅干しということにしてお届けした。
 それから2週間ほど経ったころ,何とそちらのおばあさんが紀州の梅をお持ちになった。えっ,どういうこと。うちが取り寄せている梅の方がおいしいぜということだろうか。なかなか挑戦的である。
 おそるおそる封を切った。大粒である。ひとついただく。我が家取り寄せのハチミツ漬けよりはちょっと酸味が強い感じ。ボクはいつも食べている方が好きなのだが,つれあいの舌では,引き分けよねということらしい。
 いやあ,それにしても迂闊なものはあげられないのであった。

2009年9月15日(火)顔文字の7個使わる
 離れたところからはつまらぬことをおっしゃっているような声も聞こえたけれど,今日は概ねよいことばかり続いた。帰宅時間が9時を過ぎていてもまったく苦にならないくらい,ハッピー・ゴー・ラッキーだった。
 とりあえず自分の近くにいる人達とは楽しく過ごしたいのである。それにみなさんが応えてくださるので,思った以上の一日になった。かわいいメールも4通。満足,満足。
 こんな幸せなことは滅多にないかも知れないと思って帰宅すれば,いただきものも数多。明日は何か悪いことが起こるかも知れないと,ちょっと心配している。とりあえず,残っている今日の業務2種がちょっとヘビーなのが気の重いところである。

2009年9月14日(月)ビニールのカバーで覆いたる
 アマゾンでもらった布製の文庫サイズのブックカバーがちょっと古くなった。文庫2冊を買えばブック・カバーを角川さんがあげるというキャンペーンをやっている。2冊くらいは読みたくなる文庫本があるだろう。
 と思い,以前本屋さんへ行ったのだが,たくさんの本が並んでいるにもかかわらず,キャンペーンの帯が付いている角川文庫には欲しいと思える本が1冊もなかった。というか,どの本が読みたいのか自分でさっぱりわからない。文庫本を選ぶ力がなくなっているらしい。いゃホント,自分でも驚いた。
 結局,無理矢理2冊を買ってシールを送った。そんな苦労をしたブックカバーが,本日届いていた。フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』。さてどの本にカバーをかけようか。またまた悩ましいことである。とりあえず新潮文庫の1冊を挟むことにしたのだった。

2009年9月13日(日)種はここにもこぼれておりぬ
 ボクがヒゲを剃っているようなころにはすでに自転車でたっぷりの汗をかかれていらっしゃる方もいらっしゃるのだった。えらいなあ。
 今朝は,6時52分にちょっとヘンな訪問客がおありで,そのついでに江戸さんご出演の番組を鑑賞し,再び寝たのだった。7時30分から布団にもぐっても寝ることができる。すごい。「寝ぢから」がある内は若い証拠である。って,ただずぼらなだけかも。
 二度目の起床後,食事をとってコーヒーを飲みヒゲを剃っていた時間に,サイクリストのご登場だったのである。この違い。片やいつまでも強靱な体力がおありで,片やお腹のたるみ加減に困っているオヤジ。
 反省して,午後は鍬や唐鍬を使って畑仕事に取り組んだ。浸食している竹の根っこも随分掘り起こした。植え付け用のラッキョウが足りなくなるくらい畑を掘り返したのだった。

2009年9月12日(土)抗うことなく抜かれたる
 「ホッとしましたなあ」
 「さあさあ,ほんに」
 家庭菜園が趣味のみなさんの今日の午後のご挨拶である。
 太陽は出ていないし,蚊もいない。何より,雨上がりの畑は草が抜きやすい。地面がゆるんでいるから,晴天時の草取りの半分以下の力で気持ち良いほど抜ける。「雨上がりは草取りをしろ」というのを家訓に残しておくことにしよう。
 ロックを聴きにいらっしゃったみなさんにはZEPやジェフ・ベックさんのライブをご紹介したのだが,ブルー・チアーとかヤードバーズもご所望になる。ブルー・チアー!!そんな昔のバンドの作品はレコード盤しかありませんぜ,だんな。
 そんなわけで,久しぶりにプレーヤーを使い,『サマータイム・ブルース』を若いみなさんと聴いた。40年以上前の曲なのにほとんど違和感がない。ロックは,1960年代にひとつのピークがあったんだなとあらためて思ったのだった。

2009年9月11日(金)跡地には雨が降りたる
 インフルエンザのおかげで,日曜日に計画されていた行事が中止になった。今週は休日なしの予定だったのだが,ゆっくりできることになった。感染した人には申し訳ないことだが,他にやりたいことがあったので,ちょっとありがたかったりする。
 健康状態は人それぞれだ。身体の弱い人や免疫力の弱い人を想定して考えなくてはいけないのだろう。とはいえ,これからも計画されていることが簡単に流れていくのかと思うと,業務にもあれこれ不具合が生じそうで,ちょっと気が重くなる。適度なバランス感覚を保ちながら判断をしてほしいものである。
 仕事や学校にそれほど精勤に行かず,のんびりゆっくり休みながら人生を楽しもうぜという社会になってくれるのなら良いのだけれど。まっ,そんな社会にならなくても,そのうち自分の方から毎日がエブリデイになる日がくるのだった。エブリデイってなんやねん。

2009年9月10日(木)ギターのソロが短くて
 パンクやサイケなロックが聴きたいので,土曜日にバンドのメンバーで寄らせてくださいというお申し出があった。激しいドラムのある音がお好きらしい。ボクはメロディ重視のギター好きである。パンクは弱いから,うちに来ても多分つまんないような気もするよとお答えするのだが,ツェッペリンや初期のサイケなフロイドでもいいらしい。
 そんなことなら,おやすい御用である。ということで,「ロックでなければ何でもいいロック」というわけのわからないコンセプトで,ロックでないロックを聴くことになった。
 ご近所に迷惑な土曜になりそうだ。いちばんの問題は,座る場所の確保のような気もするけれど。

2009年9月9日(水)マージー河に夕陽は落ちて
 09.09.09 ザ・ビートルズが生まれ変わるらしい。新聞の1面を使って,EMIさんが大々的にビートルズのリマスター盤のご案内である。オジさんから稼ごうとしていらっしゃるのだろうか。早く1100円くらいで発売されるようになってほしいものである。
 というわけで今日はビートルズを聴く日らしい。EMIではおもしろくないので,ポリドール時代の作品にしてみた。『My Bonnie』とか。公式曲213曲の中には含まれない演奏だ。そういえば,西武デパート系列の会社が発売していたピクチャー・レコードがある。限定3000枚。ほんまかいな。我が家の番号は929番だ。The Beat Brothers時代の演奏である。初々しい。ビートルズだってバックバンドをやっていた時代もあるのだった。

2009年9月8日(火)若者が数えておりぬ
 日傘はもちろん帽子も被らずに若者はようやるなあと思っていたら,小雨が降っても合羽なしだった。降っても晴れてもあるがままになすがままにというLET IT BEが座右の銘なのかも知れぬ。
 今日は,結構大がかりな交通量調査実施日だったようだ。お勉強へ行く途中にも帰りの道にも,たくさんのアルバイトのみなさんが交差点等にいらっしゃった。おつかれさま。最近のこの種のアルバイトの時給はいくらなのだろう。
 学生時代にはいろんなバイトをやったけれど,交通量調査ではボクもあちこち行った。いちばん時給の良かったのは,24時間で24000円という,東名高速道路日本平付近でのそれだ。黒川さんの会社の下請けの調査会社にいた知人が,いつも交通量調査の仕事を紹介してくれたのである。35年ほど前のことだ。それはそれはありがたいアルバイトだった。不定期なので,本業にできないのが残念である。
 そういえば,あの頃は帽子も被らず傘もささなかった。若者だったことがあるのを思い出した。

2009年9月7日(月)退屈な駐車場には
 今日はつれあいと金融機関巡りである。「俺たちに金はない」のだった。ボニー・アンド・クライド。2番目に寄ったのは1階に屋内駐車場のある金融機関である。つれあいを車に残して中に入ったあと,守衛さんがジョアンナにお近づきになって話しかけられたらしい。歳は同年代か,ちょっと上。ボニー・アンド・クライドだと思われたのだろうか。
 「これは,外車ですかな?」
 「いえ,国産ですよ」
 「なんちゅう車ですねん」
 「じょあんなですん」
 「振り返られたりすることもありそうですなあ」
 「私は誰も振り返らないんですけどね」
 「....。」
 そこは,黙るところちゃいますやろ。というようなやりとりがあったのだとか。守衛さんもたまには話し相手がほしくなるようだ。じょあんなが退屈しのぎになることもあるらしい。

2009年9月6日(日)雲は静かに飛行機の行く
 少し欠け始めた月の右側を東京からの最終便が飛んでくる。我が家上空を大きな音で通過して行った。星もいくつか見えるきれいな空だ。砂丘界隈は明日も晴れらしい。休日の畑仕事をしているみなさんにお会いすれば,雨が降りませんなあというのが,挨拶の言葉である。
 雨水を溜めるために畑に置いているポリバケツもすべて空っぽ。自宅からポリタンクに入れた水を運ばなくてはいけない。お局もお疲れのようだ。そろそろひと雨降ってほしいものである。
 とはいえ,現在は,コンニャク,さつまいも,ヤーコン,アピオス,山芋といったイモ類中心なので,割合元気にしてくれている。山芋の零余子も随分大きくなっていて,今年は自家栽培モノを食べている。先端が赤くなっている桜の葉っぱもある。秋が来ている場所もあるらしい。

2009年9月5日(土)大半は水分である
 ご近所から冬瓜をいただいたらしい。とてもビーィグな冬瓜である。昨日は,なますとか豚肉と煮込んだ料理で,今日は鶏肉と煮込んであった。クセがないので食べやすい。まだたっぷり残っている。明日も冬瓜料理のようだ。ありがたいことである。
 冬瓜は,深い緑にたっぷりの栄養分が含まれているように見える。食品成分表を調べてみた。大半は水分で,少しの食物繊維と,ビタミンCくらいしか含まれていなかった。巨大さや濃い色の割には,謙虚な野菜である。ダイエットには良いのかも知れない。
 久しぶりに食品成分表をめくっていたら,桃も役に立ちそうな成分はほとんどなかった。それでも,あの桃の香りと甘さを味わうことができれば,幸福な気分になれる。当たり前だが,食べ物は栄養素だけの問題ではないのだった。

2009年9月4日(金)わたくし本日、未熟者
 ほとんどヴォーカルは聴かないと書いたが,そういえば中島みゆきさんもヴォーカルだった。ここのところ中島さんは,ECMのピアノの次くらいによく聴いている。いつの間にかアルバムも溜まってしまっていて,『夜会』のDVDも含めれば,ビル・エヴァンスさんやアート・ペッパーさんやフィル・ウッズさんに近づく枚数になっていた。
 さあがんばるぞという時には,『背広の下のロックンロール』や『本日、未熟者』や『土用波』や『ファイト!』を聴いている。『ファイト!』の2007年のライブ盤は,オリジナルより格段に完成度が高くなっているように思える。「闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう」などと映像付きで歌われると,ちょっと泣きそうになるのだった。毎年のようにレベルの高い新作を発表できる人は他にいないような気がするのだが,知らないだけか。

2009年9月3日(木)ハスキーなララバイ聴きつ
 クリス・コナーさんがお亡くなりになっていた。普段,ほとんどヴォーカルを聴かないので,久しぶりのハスキー・ボイスを聴かせてもらっているのだった。大口を開けた『バードランドの子守唄』のあと,アトランティック盤も。軽快にサラッと流れるボーカルは,結構安らぐ。日常的に聴いていれば良かったと,ちょっと反省した。
 そういえば今日の昼間,子守唄ではないただの『バードランド』が流れていた。スカスカの演奏だったので,帰宅後,クリス・コナーさんを聴いた後,『バードランド』のオリジナル盤とクインシーさんの演奏を聴いて『バードランド』のイメージを修復しておいた。いい曲だからといって,だれが演奏してもよいというわけではないのである。当たり前だが。自分の昔のことも思い出して反省しているのだった。

2009年9月2日(水)サイダーを飲む昼下がり
 「あら,これサイダーのゼリー?」
 「さいだす」
 「懐かしいわねえ,サイダー」
 「そういえば昔,あっちの方にサイダー工場があったわよね」
 「そうそう,戦争で社長さんが亡くなったあと,おかみさんが会社を継いだっていう工場でしょ」
 「結局,若い男に溺れてしまい,貢いでつぶれちゃったのよね」
 「あぁ,そんな若い男に溺れてみたいわねえ」
 というような会話が,今日のお昼ころにいなばの某所で行われていたのである。平和なことだ。
 ひとりでも生きられるけれど,だれかとならもっと楽しくなることも時にあるのだろう。若者は清涼飲料水らしい。

2009年9月1日(火)棚に並びしLP盤の
 引っ越しされるという方から,レコード盤を超安価で譲っていただいた。ロック・アルバムなので,あまり欲しがる方はいらっしゃらないのかも知れない。ポップなものからメタル系まである。
 そんな中に,ちょっとだけピクチャー盤があった。ジューダス・プリーストといったメタル系にもピクチャー盤があったらしい。
 ピクチャー・レコードを集めている人はそれほど多くないと思うのだが,そういえば我が家もいつの間にか中途半端で終わってしまっているなと反省した。数えてみたら53枚しかなかった。コレクションは100からである。と勝手に思い込んでいる。
 さすがに歳のせいか,最近は集めるものも少なくなってきている。とりあえず100をめざして中古屋さんまわりをしてみようと思ったりした。ゴミ探しのような気もするけれど。

2009年8月31日(月)明日も天気になればいいのに
 滅多にないことだが,月曜日の割によい一日だった。たまにはそんなこともないとね。真面目に働いていればよいこともあるらしい。
 そういえば,ここのところエプソンのプリンターの調子が悪かった。3年経たないのに買い換えかよ等とこぼしつつごにょごにょやっていたら,直った。「ふたつよいことさてないものよ」状態である。明日あたり何か悪いことがあるのかも知れない。
 ただし,純正品より3割ほど安いカートリッジをホームセンターで購入して取り付けたら,インク残量を表示しない。それだけでなく,このインクは純正品ではないと,いちいち画面にアナウンスがある。
 いやらしいプログラミングがしてあるものだ。純正品を使わなくても放っておいてもらいたい。とはいえ,プリントする度にそんなアナウンスをされると,次は純正品にした方が良いのかもと思ったりしているのだった。気弱なのである。

2009年8月30日(日)次に交代するまでに
 ちょっと早すぎなんじゃないの。いや当確の話。いなばは,投票を締め切ったと思ったら,すぐに当確のお知らせのテロップが流れていた。コツコツと開票作業をしていらっしゃる方もおありなんだから,出口調査の結果発表というのは締め切ってから1時間くらい待ってあげたらどうですの。せめて,最初の開票結果が出てからとか。
 大体,出口で調査された人も,そう正直に答えないで,少しメディアで遊んだらどうなんだろう。次回は,出口調査と開票結果が大きく違ってしまいメディアが訂正とお詫びをするような選挙速報にしてほしいものである。
 そんな中,ランニングを中継していらっしゃる局もあった。余裕である。まっ,そんな局もないとね。ボクは見ないけれど。
 昔は,選挙当日の昼間にゆっくり休息をして夜中まで速報を楽しんだものだ。今回は,21時を過ぎたらとりあえずテレビを消して自分の仕事をした。「見るべき程の事をば見つ」という平知盛が思い浮かんだのだった。時間を有効に使うことが出来た。ありがたい出口調査のおかげである。
 さて,賢い官僚のみなさまをどうコントロールされるのか。本当は,こちらの方が見ものなのだろう。

2009年8月29日(土)庭木にも業務のありて
 町内のおうちにお届け物ができた。いつもはあまり通らない方向へ3ブロックほど歩いた。建て替えられたおうちもあるが,大半は町ができたころの古いままだ。最近ほとんど顔を見ないおばあさんのおうちや,空き家を眺めながら歩いた。どの家にも,庭にその家を代表するような大きな木のあることに気づいた。ハナミズキの巨木,榎木,松,ヒマラヤ杉,金木犀など。それぞれのおうちのシンボルになるような育て方をしていらっしゃるように見える。
 我が家で一番大きい木はなんだったけと帰りに眺めたら,中途半端な大きさの栗と梅と花梨と金木犀が道路から見えた。実のなる木が多い。とはいえ,何を中心にしたいのかほとんど考えていないコンセプトのはっきりしない家だということがよくわかった。タラとかコシアブラもあるし。
 道路からは見えない高さだが,最近力を入れているのは紅色の木蓮である。紫ではなく真っ赤な花が咲く予定である。我が家で一番の巨木になるまで付き合うことができればよいのだが。

2009年8月28日(金)軽すぎる箱の届きて
 届けて下さった方も,あまりの軽さに,「本当に,中に何か入っているんですかね」とおっしゃられたそうだ。HMVのダンボール箱である。いや,ホント軽い。開けてみたら,CDが1枚だけ入っていた。しかも,紙ジャケット系のCDケースだ。軽いわけである。試しにCDを入れてみたら22枚も入るダンボールだった。もっと簡易包装にならないのだろうか,HMVさん。
 1枚だけだと送料を取られることが多いし,3枚買えばCDの単価が下がるから,複数枚注文した輸入盤の中の,入荷の遅れた1枚である。そういえば随分前にこんなジャケットのCDを注文したことがあったな。
 ちなみに届いた1枚は,TORD GUSTAVSENさんのピアノなどをバックに女性がボーカルをとっているノルウェー産の作品だった。1曲目は「きよしこのよる」だ。何と,夏に聴くクリスマス・アルバムである。通販なればこその素敵なズレ加減。
 とはいえ,2曲目以降に赤鼻のトナカイやサンタクロースが収められているわけではなく,静謐なボーカルと穏やかなピアノと控えめなトランペットの演奏が大半だ。疲れた夏の夜に心地よい演奏なのである。

2009年8月27日(木)シンプルなギターコードの
 GREEN DAYが,来年1月にいらっしゃるらしい。わざわざ有料会員になり,一般発売の前に先行チケットを入手したお知り合いは,今からハイ・テンションである。そこまでしなくても,チケットは手に入るような気がするのだが,まっ,いなかに住んでいるからチケット入手は心配なのだろう。
 今年発売された『21st Century Breakdown』は,パンクバンドとは思えないほどポップでメロディアスである。オヤジにも聴きやすいロックだ。去年から車の中で長い間聴いていたコールドプレイに取って代わったのは,GREEN DAYだったのだった。
 そういえばボクは,ここのところ,庭の雑木相手のGREEN DAYSだったなあ等と思いながら夜中に聴いていたら,お局が「ご近所に迷惑よ」といきなりボリュームをお下げになった。すいません,今日は終わりにします。

2009年8月26日(水)真っ直ぐにレンズを見つめ
 見出しのパティ・スミスという紹介がなければちょっとわからなかったけれど,新聞に掲載されている写真をよく見れば,『Horses』のジャケットのころの雰囲気と同じである。パティ・スミスさんの『ドリーム・オブ・ライフ』という映画の紹介である。
 『Horses』のジャケットは,ロバート・メイプルソープさんの撮影だ。ロックアルバムとは思えない静かなたたずまいでオシャレである。我が家でもジャケットが見えるように棚に並べている。そういえば,昨日の選挙公報の裁判官国民審査の判決例に,メイプルソープさんの写真集の税関での輸入阻止についての判断が記載されていた。どなたか,×をつけた方が良い人がいらっしゃるだろうか。
 というようなことはさておき,今日の新聞に掲載されていたパティ・スミスさんの記事は,東京では先週末の夕刊に掲載されたらしい。新聞の文化面や芸能面の記事は,東京版とは違っていたり遅れて掲載されるのだった。当地の週刊誌の発売も,新聞広告の翌日である。これだけ流通が発達したというのに,都市部と地方との発売日格差というのは,いつになったら解消されるのだろう。

2009年8月25日(火)立候補する人達の
 今日の郵便物はこれだけと手渡されたのは,「選挙公報」だった。どれどれ,おじさんが読んであげよう。
 ナント,中国選挙区比例代表選の民主党名簿登載者のみなさんの年齢は,全員ボクより若い。年上のお兄さんがやっていたと思っていた高校野球は,あっという間に年下の高校生のゲームになったけれど,政治家のみなさんもいつの間にか年下になってきているらしい。
 消費税や相続税等をやめるとか,大阪からリニアモーターカーでいなばと結ぶという政党もおありだ。よくそんなことを思いつかれますなあ。楽しみなことだ。「公のために,どれだけ己を捨てられるか」という方もいらっしゃる。えらいね。ボクはさっぱり自分を捨てることができない物欲と煩悩のかたまりの男である。
 政治には向かない性格だということが選挙公報でよく分かったのだった。

2009年8月24日(月)それぞれが覗いておりぬ
 ちょっと探し物があって,ここのところオークションに入り浸っていた。たまたまたどり着いた方の他の商品群をみれば,えっ,なんでこんな値段なのと驚く価格設定である。もちろん寄ってくる人が多い。どの商品も,終了時間が何度も延長される。
 あまりにも安いので,お遊びで10点ほどの商品にエントリーさせてもらった。とはいえ,元が安いので一気に10倍くらいの価格になる。どうしても必要なものではないから,熱くならない程度で楽しませてもらったのだった。
 出品されている商品から推察するに,似たような趣味で似たような年齢の方のように思える。ボクは,とてもそんな大盤振る舞いはできないけれど,世の中には気前の良い方もいらっしゃるのだった。お友達にしてもらいたいものである。
 そんな中,スタート価格が高額な商品が2点あった。こんなものを3万円で買う人がいるのかねというような商品が,何度も延長を繰り返し3倍まで上がった。出品される方も入札される方も,ボクの理解を超えている。深淵っちゅうもんなのかも知れんなと思ったのだった。

2009年8月23日(日)落とし物の見つかって
 車の中でいいフレーズが浮かんだ。何回か自分に言いきかせ,これくらい繰り返しておけば忘れないだろうと思ったのだが,買い物をして家に帰ったら忘れていた。覚えていたのは,車の中でいいフレーズが浮かんでいたよねということだけである。思い出したいことが蘇ってこないというのは悲しい。昔からそういう物覚えの悪いタチだったのか,加齢のせいか。すぐ帰るつもりの買い物だったので,手帳も携帯電話も持たなかったのが失敗である。
 晩ご飯を食べながらひたすら思い出そうとした。
 出発前に,簡単なワックス掛けをしたんだよね。エーッと,エンジンをかけていったん駐車場から車を出し,オイル漏れの状況を確認したんだった。オイルの漏れる車なのである。その後,あの角を曲がって真っ直ぐ走った。最初のマーケットには欲しかったものがなかったんだった。そのあと通った道路は?となぞっていたら,急に断片が蘇った。ようこそようこそ。あきらめずにがんばってみるものである。
 その間,お局様からは,「何よ,機嫌が悪いの?感じ悪いわね」などと責められていたのであった。

2009年8月22日(土)百合も苺も胡桃にも
 近所の土手の胡桃が豊作である。道路から手を伸ばせば採れるような場所にたくさん実をつけているのに,どなたも採らないらしい。折角だから,採ってあげた。通過する車のみなさんは,あいつは何をやっているのかねと,不思議がられたかも知れない。
 そういえば,先日の会合で,沢胡桃と鬼胡桃の話題があった。川沿いに生えている胡桃は沢胡桃かと思っていたのだが,この胡桃とは別物らしい。川沿いにあっても鬼胡桃のようだ。
 小学生のころ,黒光りさせた2個の胡桃を持っているのが自慢だったことがある。上流域に住んでいる同級生は川沿いで採れたらしいが,ボクが住んでいた村の川には胡桃の木はなかった。大きな胡桃が欲しかったボクとその一味は,鋸を持って谷奥の胡桃の巨木を切り倒し,一生分の胡桃の実を収穫したのだった。切り倒された木は,大人のどなたかが処理をしてくれたのだろう。今なら,村で犯人捜しでも行われそうだ。おおらかな時代の子どもでよかったね。

2009年8月21日(金)愛はワカメの袋にもある
 韓国帰りの悦子さんからお土産をたくさんいただいた。ありがとうございます。韓国海苔だけでボクは十分なのに,コチジャンや誕生日の朝に食べるらしいワカメや唐辛子チョコレートもいただいた。
 我が家はもらうばかりだよね,たまにはお土産を買う側にもなりたいねえ。来月の連休にどこか行けないだろうかとお伺いをたててみたが,深い事情があってダメらしい。当分,お土産熱烈歓迎生活である。
 ところで,いただいたお土産の外袋の文字を見ると,ほとんどハングルが書かれている。ソウル・オリンピックのころは,新聞でも看板でも漢字交じりだったと思うのだが,ハングル専用化が急激に進んだらしい。
 ベトナムや韓国が漢字から離れていく中,最近のわが国のテレビには漢字力を問うようなクイズ番組が多い。漢文はかつての貴族の必修科目だ。昔も今も,漢字や英語等の外国語が好きな国民のようである。まっ,ひらがなとカタカナと英語だけになったら,漢検協会も困るだろうしね。
 乾燥ワカメには,ハングルの中に「愛」という漢字だけがあった。いちばん大きな文字である。愛は韓国でも特別らしい。

2009年8月20日(木)表紙に描かれしジャガイモの
 二度あることは三度目の正直ということもなく,今日はビッグな蜂の巣は発見できなかった。とはいえ,栗の木の高いところに何匹か飛んでいる。種の保存のため高所へ非難しているのだろうか。上からの攻撃には大丈夫なのかね。などと思いながら,今日も鋏を手にしてふた汗ほどかいた。
 そんな日に買った『週刊文春』はちょっと変わった表紙だった。仕切りの入った段ボール箱にたくさんのジャガイモが収められている,「すごいぞ!じゃがいも」という作品である。レミさん関係から届いたジャガイモを,和田さんが描かれたらしい。
 先日収穫したノーザンルビーやシャドークイーンやインカのひとみやインカのめざめ(多分)等,15種類のジャガイモが描かれている。マニアはこれくらい徹底して食べ比べをするのだろうか。参りました。
 お局は,使いやすい男爵やメークやキタアカリをご所望である。次回はジャガイモの原点にかえることにした。

2009年8月19日(水)堅牢なヘキサゴンには
 なんや,今日はまだ更新してないんかいな。画像をご覧になっただけだとそう思われるかも知れないが,これは今日のハニカムである。昨日の巣より小ぶりで,直径は9.1cm。
 昨日のことがありながら,まさかこんなところに巣はないだろうと,日没前の植木の散髪で汗をかいていたのだった。今日の散髪は,道路に面した目隠し用のカイヅカイブキである。鋏が巣の近くを刈り込んだらしい。一斉にお出かけモードである。いやあ,危なかった。すばやく防御の姿勢をとって難をのがれた。と本人は思っているのだが,意外にアシナガバチは友好的で,猫の額の雑木林の持ち主に危害は加えるつもりはなかったかも知れない。悪いね。クスリをふりかけたりして。せっかく作った建築物も取り壊してしまったよ。これからは,もっと友好的なおうちに建設するようにね。

2009年8月18日(火)アラベスク作られており
 庭木が伸び放題である。界隈で一番小さなジャングルではないかと思われる。そんなわけで,ここのところ日没前に刈り込み鋏で散髪をしている。夕食前にかなり汗をかくことになって,発泡酒もおいしく感じられるのだった。
 今日は,隣家との境界付近を刈り込んだ。実をつけた槙の枝が,脚立なしでは刈り込めないほど伸びている。愛用の鋏でばっさりと切りまくった。ザクザクザッ。
 と思ったら,ぶいんぶいんと羽音がする。頭の回りに飛んでくるものがある。アシナガバチである。ヒエー,人んちの巣を退治してないで,自分ちの巣を片付けろよ。幸いさされることもなく,殺虫剤攻撃を仕掛けた。15匹ほど撃沈。巣の直径は9.7cm。ちょっとした豪邸である。小さな卵から,大きな幼虫までそれぞれの部屋でお暮らしだ。散髪の前には消毒をした方がよさそうである。
 蜂は黒色に反応するということを聞いたことがある。白いものの多いわが髪であるが,まだ黒い髪も残っているということだったのだろうか。

2009年8月17日(月)玄関にゴーヤー1本
 起きたら,袋に入れられたゴーヤーが1本玄関に置いてあったらしい。
 「誰かしら,困るわねえ名前を書いてくれないと」
 「多分,昨日の蜂のお礼だよ」
 などと話をしていたら,くだんのおばあさんが玄関にいらっしゃった。ピンポーン。正解だった。ナント,朝から3回目の来訪なのだとか。
 「チャイムを鳴らしただけど,だれも出てきんさらんし」
 「すいませんねえ,チャイムからはちょっと遠いところに寝ているもんで,聞こえなかったようですわ」
 といいつつ,今の時間はまだ6時30分過ぎですぜ。もうすでに2回チャイムを鳴らしたって,おばあさんの朝というのは何時のことなんですの。勤務日だから今朝は早く起きたけれど,休日だったら10回くらい来ていただかないとお会いできないんじゃないかな。
 なにはともあれ,ひとり暮らしのお年寄りには,蜂の巣ひとつでも大変なことなのだなあと改めて思ったのだった。ゴーヤーは生でいただきました。ありがとうございました。

2009年8月16日(日)積乱雲は日を浴びて
 東の空に夏の白い雲がでている。中途半端だった夏も終盤らしい。そんな今日は,太陽が真上に来る前から畑仕事をした。草取りとか,遅れていたイモの収穫とか。畑までの途中,ひとり暮らしのおばあさんが植木にいた蜂に手こずっていらっしゃる。
 「いい人が通りかかったがー」
 などと言われながら,殺虫剤を借りて,玄関前の庭木の蜂退治である。フマキラーAがあれば怖いモノなしだ。蜂には機関銃か火炎放射器に思えたことだろう。悪いね。直径10cm以上の蜂の巣の中には,蜂の子もたくさんあった。
 「おばあさん,食べます?」
 「あんたが食べんさいな」
 というようなやりとりをしたあと,熱中症寸前まで働いた。麦わら帽子を被っても,夏の太陽の照り返しはすごい。先にボクの方が音を上げ,切り上げさせてもらった。女性はたくましいというか,お局は強いのであった。
 そんなわけで,今日は昼間からビールを飲んで,ことしの夏を惜しんだのだった。

2009年8月15日(土)きらわれる人をめざして
 涼しい朝である。土曜の割には早く起きて,よく働いた。とはいえ8月15日である。お仕事のあるみなさんには申し訳ないが,働くのは午前中だけにさせてもらい,お昼からはゆっくり過ごした。
 そんなお昼に再放送されていた『あの人に会いたい』は,加藤周一さんだった。9条は先進的。個人の自由な決断が大切。行動につながるのは情熱で,その引き金はひとりの人間。全体に流されず自分で考えることが大切。というようなお話をされていた。自分の備忘のために書き留めておくことにしたのだった。
 夜のテレビでは,核武装を熱く主張される方も結構いらっしゃった。抑止効果バツグンで世界中のみなさんが持ったら,あちこちで誤爆発の可能性が高まりそうだ。それとも,持つのは自分のところまでだよということなのか。大国の次に。なにはともあれ,持てば,自分が嫌がっている国と同じように嫌がられる国になれそうだ。憎まれっ子,世界にはばかり。長生き間違いなし。
 ところで,どこにそんな施設をつくるのだろう。きっと田舎なんだろうな。

2009年8月14日(金)シェルターはドアを壊して
 我が家のお寺さんのこの界隈の棚経が本日らしい。
 「去年は何時ころだったっけ?」
 「10時過ぎだったんじゃないの」
 という会話をしていたら,去年と同じような時間においでである。お経がはじまり,「往生安楽國」までは2分10秒。滞在は約6分。自家製水まんじゅうを食べていただき,感謝の意を表した。
 お坊さんがお帰りになったあと,BSの『風が吹くとき』がはじまった。延々と夫婦の会話が続くアニメだ。核兵器に対して無知だけれど,お互いをいつくしみあう夫婦。当時の一般的な市井の人達の姿なのであろう。
 BGMはロジャー・ウォーターズさん。久しぶりにロジャーさんのボーカルを聴いた。今日は,『死滅遊戯』や『ヒッチハイク』等,ロジャーさんの作品を聴く日にしてみた。そういえば,『海の上のピアニスト』のエンディングもロジャーさんが歌っていた。切なく悲しい歌声である。泣きのギターはヴァン・ヘイレンさん。
 原題の『LOST BOYS CALLING』というのは,住井さんが抱き続けた6歳の少女のようなものなのかも知れない。自分の中の少年を置き去りにせず,時々は思い出してやろうと改めて思ったのだった。

2009年8月13日(木)少年のころにつけたるトニックが
 昨夜,テレビに住井すゑさんが出ているわよとつれあいが教えてくれた。「あの人に会いたい」という番組の再放送である。
 6歳の時に感じた差別や不条理が,その後の住井さんの人生の中心に据えられたらしい。江戸時代だけでなく,近代にも考える力のついている6歳がいたのだった。6歳の記憶がほとんどないのはボクくらいなのだろうか。情けないことである。
 その後の人生で変節してしまったら6歳の時の自分に顔が立たない,生きている理由がない,というのが住井さんの創作活動の原点だったらしい。
 露さんやすゑさんの年より10年ほど遅れて世の中を少し考えるようになったけれど,その後の身過ぎ世過ぎのために変節や妥協を何度も行って来た。とはいえ,ちょっとくらいはあの頃の自分に恥ずかしくないような生き方をしたいなと時々思うこともある。どうせ残り少ないんだし,少しは骨のある生き方をしようとちょっとだけ思った。

2009年8月12日(水)いらんかね海鮮キムチ
 「チャンジャいかがっすかー」
 スーパーの店内に作られた屋台から若いお兄さんが声をかける。白菜のキムチや韓国スルメやチャンジャをお売りのようだ。
 「どこからきたの?」
 「大阪の鶴橋ですわ。食べたことあります?チャンジャ」
 いや,ありまんがな。しかもおいしいやつを。鶴橋キムチ市場産でっせ。春の山菜テンプラパーティに,大阪から参加される方が毎年のようにお土産として持って来てくださっていたのだった。
 ということで試食である。コリコリコリコリ。噛み応えがあって,辛い。発泡酒がおいしく飲めそうだ。100gが840円ほど。高すぎじゃない?と思ったが,通販の送料を払うことを思えば安いか,と思い込むことにした。
 「んじゃあ,200gくださいな」
 「300gだと,2300円になりまっせ」
 あんさん,商売上手でんなあ。という衝動買いチャンジャにごま油をかけて肴にしたおかげで,今日の発泡酒はいつもと変わらない味だった。ん?

2009年8月11日(火)少女の歌を読みながら
 まてしはしなきよのなかのいとまこいむとせのゆめのなこりおしさに
 5歳で亡くなったという露姫の歌である。鳥取市歴史博物館の「因幡地方の名品」という特別展で展示されている中の一品だ。母にあてた遺書だとか。歌の内容もさることながら,5歳とは思えないきれいなひらがなが書かれている。
 露姫は,鳥取城主池田家の分家に生まれた女の子だ。1822年に天然痘で亡くなった。数え年6歳。「6歳の夢」は名残惜しかったことだろう。
 それにしても,江戸時代の子どもは5歳でもこんなに豊かな言葉や表現力を持っていたのかと,ちょっと驚く。その10倍以上生きているオヤジはとても真似ができない。ついつい,「ほんまかいな」等とけしからん気持ちが芽生えてくるのを抑えながら見学していたのだった。

2009年8月10日(月)人工芝に降る雨の
 雨や雪の多い不便なところに住んでいると思っていた。海からの風もきつい。暴風雨や大雨の被害には大概お付き合いをしてもよさそうなものだが,どういうわけか,当地はここのところの大きな自然災害を免れているような気がする。今日の夕立にはちょっと驚いたけれど。
 佐用も宍粟も,山の向こうの近場だ。どちらにも家のたたずまいが思い浮かぶ知人がいる。川からはちょっと離れているので大丈夫だと思うが,自宅にいても安全ではない状況というのは厳しい。被害が大きくなりませんように。
 とはいえ,とりあえず今日までは大丈夫だったというだけで,いつか当地にも予想外の自然災害が起こることだろう。各自の車にシュラフは積んでいるのだが,それ以外の防災グッズも真面目に揃えておいた方がいいね,というようなことをニュースを見ながら話し合っていた夜だった。

2009年8月9日(日)三十秒で消えていく
 「花火買って」
 「そんな高いのは買わん」
 「じゃあこっちのは」
 「そんなん,30秒で終わるで。アホらし」
 「なんでわかるだー」
 「そこに書いてあるがな」
 ホームセンターの入り口には,セットの花火や単品の花火がたくさんぶら下げてある。約30秒持続と書いてあるのは,348円の火の玉という単品だ。4000円や3000円をちょっと下回ったセット価格のものも多い。入る時と帰る時に子どもにおねだりさせる効果も狙っていらっしゃるのだろう。それにしても,ちょび髭を生やした30歳前後のお父さんに花火を買わせるのは大変そうだ。がんばれ幼稚園児,無駄に思えることも時に大事だよね。
 30秒で終わるでアホらしというお父さんの話を聞きながら,圧縮すればボクも30秒のようなものかも知れんな等と少しメランコリー気分になっていたのだった。
 今日は鳥取市の花火大会である。この雨で今日は中止だろうねえと話していたのだが,いつの間にか雨は上がっていて,花火の音がする。そんなものに税金を使うなよとちょび髭のお父さんなら言うのだろうか。とりあえず,2階の窓から納税額分くらいの花火を見せてもらったのだった。平和に感謝しながら。

2009年8月8日(土)カーニバルはじまる朝に
 東京からわざわざしゃんしゃん祭を見物にいらっしゃった奇特な方がおありだ。祭がにぎやかくなるのは夕方からである。それまでに,出雲のそばを食べに行くことにした。とりあえず,縁結びは今のところ不要である。大社は鳥居だけのお参りにしておいた。
 蕎麦は「荒木」にしておけばよかったとちょっと後悔。それでも,蕎麦屋のおかみさんから,竹内まりやさんのご実家の旅館を教えてもらった。大社のすぐ近くの,歴史と風格を感じさせる大きな旅館である。
 フロントのお姉さんに竹内さんのグッズを譲ってもらおうと思ったのだが,なかなかガードが堅い。宿泊した人にしか販売しないのだそうだ。残念。とはいえ,通販のパンフを出してきて丁寧に説明してくださった。親切なお姉さんである。とりあえず,よい出会いをさせてもらったのだった。
 いなばの祭は,何とかラバーズ等の若者中心の連が楽しそうだった。祭は若者がいればこそである。リヤカーの山車や軽トラ利用の山車等を作るとか,幟を掲げるとか,傘以外の見所も増やしてはどうだろう。

2009年8月7日(金)すこしだけ人の恋しい雨の朝
 ロラン・バルトの,「人はつねに愛するものを語りそこなう」という言葉が何となく頭にすみついたのはもう随分前のことになる。好きな人のことや好きな音楽のことをとりあえず書いておこうと思った所以である。語りきれるわけがないのだけれど。
 語りそこなったことのひとつだが,酒井さんと言えば和歌子さんの方が頭に浮かぶし,「すこし愛して,ながく愛して」の大原さんを美しい人だなあと思っていたひとりである。レッドは卒業させてもらっていた年齢だったのが残念だ。何しろレッドにはロクな思い出がない。賀露の夜とか。あのCMでレッドの売り上げは上がったのだろうか。
 いずれにせよ,高円寺時代の友人の間でも人気度が高く,何度か話題にのぼった女性だったのを思い出す。消えていった時にしか思い出さないというのは,もちろん心から太く愛していたというわけではないからである。けれど,すこしは愛していたんです,もちろんレッドよりはるかに。

2009年8月6日(木)殻に残りし貝柱
 昨年の今日は高崎にいた。ひとりでゆっくり考える時間もなく,ヒロシマのことは夜になってから思い出したのだった。規則正しい生活を送っている今年は,朝から周りのみなさんとそんな話をしながらとりあえずの平和に感謝したのだった。核兵器を持たないことによる平和に感謝である。
 さて,週末の祭を見物するためお客さんがいらっしゃるらしい。無二念整理整頓令の発令である。当局は,DVDやCDを並べる棚を自分で作る等,気合い十分だ。横一列に並んだDVDがなかなか壮観なのだった。
 部屋の片付けの後は,食べ物の準備だ。この時期のおもてなし料理は,変わりばえのしない「イガイご飯」しか思い浮かばない。3パックを茹で,小さな貝の身を取り出す。その後,岩場にしがみついていたヒゲを庖丁で切り落とした。家内制手仕事である。我が家の平和の象徴「イガイご飯」を喜んでいただけると良いのだが。

2009年8月5日(水)サバンナのウンコにボクも
 自宅近くの駐車場の前に黒い固まりがある。側溝のふたの上が黒い。なんだかわからないけれど,とりあえず踏まないように車庫入れをする。車を降りて確認したら,例のモノだった。これが半端でないくらい大量である。いやほんま。象さんでも住んでいるのかと思うほどだ。お座敷にいるような動物の仕業ではなく,大型動物の仕業であることは間違いない。
 界隈を動物と歩き回られる方はたくさんいらっしゃる。小さいのや雑種系を連れた方が中心だ。シャベルを手にした方も多い。そんな中で,なんだか怪しいのが,大型動物に引っぱられ朝と夕方に界隈を歩いていらっしゃる年配男性。動物の大きさだけでなく,挨拶をしてもきちんと返されない人なので,なんとなくバイアスがかかっているのである。
 とりあえず,反省を促すため片付けずにそのままにしている。当分晒し刑である。まっ,反省する習慣のない人に反省を求めても無駄のような気もするけれど。それが必要な人ほどそのことに気づかないことはよくあることだ。って,自分のことか?

2009年8月4日(火)果実をひとつネットにいれて
 そんなわけで,車を降りてから歩くルートが今までとちょっとだけ違う。ちょっとだけなのに,普段眺めたことのない光景は結構おもしろい。
 帰りは,通り道にある八百屋さんに寄ってみた。店頭に赤い桃が並んでいる。匂いをかいでみた。天国への階段のような香りだ。桃に弱いのである。レジのおじさんの愛想があまり良くないので,1個だけにした。笑顔があれば2個求めたのに。信州産だそうな。1個200円。袋に入れてくださろうとするが,ネットのままでいいと断り,桃の匂いをかぎながら車の置いてあるところまでゆっくり歩いた。贅沢な極楽への帰宅である。
 帰宅したら,お局もスーパーで桃を買っていた。「末期」にはくちびるに桃をもってきてくれと頼んである。桃を与えておけば大人しい男と思われているのだった。何かを隠すための桃かも知れない。地獄の入り口だろうか。

2009年8月3日(月)甲と乙とで交わしたる
 「片原に駐めていたの?」
 「そうなんですよ」
 「先月はお客さんが急に増えちゃってねえ」
 そりゃあ,よろしかったですなあと声にはしなかったけれど,こっちは大変迷惑してますねん。4階建て駐車場の閉鎖は,ちょっとした経済効果があったようだ。
 「あそこはどうするって言ってた?」
 「1年半か2年後にはまた駐車場になるというふうにおっしゃってましたけど」
 って,素人から情報収集してどうするねん。フレンドリーというか,なかなか馴れ馴れしい不動産屋さんの社長である。
 現在の月額料金より高くなるのは避けようと思っていた。福沢さんでお釣りがくる場所にこだわった結果,職場まではちょっと距離のあるところになった。それくらいの距離があった方が,クールに出勤できるというものだ。基本的に,広い土地をお持ちの方に余計なお金はなるべく払いたくないのである。
 できれば手数料も半分にしてもらえないだろうか,社長さん。片原は,屋根付きなのに手数料も取らないとっても良い駐車場なんですぜ。

2009年8月2日(日)ふた月のバリアー効果
 テラスで作業をしていたら何カ所も蚊にかまれた。虫除けプレートを洗濯棒に2つぶら下げている。蚊は来ないだろうと思い,短パン半袖姿の作業だったのである。
 ホームセンターで,一番安価な名前を知らない会社のものを買ったのがいけなかったのだろうか。
 試しに,ぶら下げているプレートの真下に立ってみた。10秒ほどで蚊がやってきた。もうひとつのプレートでも試した。こちらはやってくるのに1分ほどかかったが,ふくらはぎの周りを飛び回ってしつこい。
 プレートは設置1週間目である。性能は落ちていないはずだ。よほど他に食べ物がないのか。あるいはサラサラの血液にひかれたのか。それとも我が家近辺の蚊の中には命知らずが多いのか。住人に似て,場の匂いというか空気が読めない蚊も多いのかも知れない。

2009年8月1日(土)乱暴に括りしことの
 休日なのに早起きをしていろいろ片付けごとである。まずは駐車場の確保である。不動産屋さんに連絡をしたら,紹介料1ヶ月分を用意しなくてはいけないらしい。できるだけ安いところにしようと思っているのだが,そうすれば目的地から離れていってしまうのだった。なかなか駐車場探しも楽しい。
 その他もろもろを処理し,とりあえず午後からの予習にも取り組む。
 そんな午後に学んだことは,観念を先に出さないようにねとか,写実を大切にしようねとか,上下の補完関係を考えようねというようなことであった。
 枠を超えていくことと,そのことをわかってくれる人がいるかどうかということについても話し合いをした。そういえば,十把一絡げもやめようねということも学ばせていただいたのだった。
 すいません,時々乱暴に括ってしまうこともあるんです。

2009年7月31日(金)寿司を食むためではなくて
 久しぶりの回転寿司。外国人の若いアベックの隣に座らせてもらった。留学生のようだ。女性の方がバズーカ砲のように喋っていらっしゃる。
 「もっとわらかしてくれたらよかやのにねえ」
 「ほんまにまじめすぎでんなあ」
 なんだか,日本人の自己紹介があまり上手ではないという会話に聞こえたような気がした。
 カウンターの椅子を回して向かい合わせで喋りっぱなしだ。お皿はさっぱりお取りにならない。カウンターに積んであるのは,一番安い皿が女性の前に二皿と,男性の前にパイナップルの皮の乗った皿があるだけだ。無料のアラの味噌汁の椀もすでに空。
 トーキングを楽しまれるならもっと雰囲気のよい店が近所にあると思うのだが,考えてみればふたりで360円ほどの会計である。コーヒー1杯分にもならない金額で,お店の人の視線を気にしなれば,長時間滞在ができるのだった。賢い。
 ところで,回転しているお皿の上に,精巧に作られた「チョコバナナのパフェ」とか「抹茶アイスとミルクプリンのサンデー」とか「茶そば」等の食品サンプルがある。「サンプル」と書いてあるけれど,カタカナの読めない外国人はついつい手に取って食べてしまいそうだ。外国語でも「サンプル」と書いてあげた方が良いと思うな。それはそれで楽しい長時間会話のネタにしてしまうのかも知れないけれど。

2009年7月30日(木)お見舞いの言葉を選ぶ
 半年に一度,生存連絡のメールを送らなくてはいけないメーリングリストに入れてもらっている。1月と7月の月末がそれぞれの締切である。1月は新年のご挨拶で,7月は暑中見舞いということにさせてもらっているのだった。
 そんなわけで,暑中見舞いを書こうと思っているのだが,いつまで経っても梅雨が終わらない。このままでは,梅雨が明けるのは8月に入ってしまいそうだ。仕方がないので,長梅雨雨風嵐お見舞いにさせてもらい,締切ギリギリの生存メールということになってしまった。
 そんなよく降る雨のおかげで,雑草が殊の外元気だ。雨上がりには草取りを何度も楽しむことのできる夏である。困った夏だ。草取りついでにジャガイモを掘ってみるが,水分が少し多い感じもする。日照時間の少ない今年の梨や桃の甘さは大丈夫だろうか。秋も心配である。

2009年7月29日(水)受難の種をかみくだく
 パッションフルーツという得体の知れない食べ物に出会ったのは,もう25年ほど前のことだ。ふたつに割ってみて,どこを食べるねん種しかないやんと,我が家では不評の果物だった。初期のころは,周りの皆さんに結構提供していたような気がする。
 もちろん今では,トロピカルな香りと甘酸っぱさを楽しむことができるようになった。もったいなくていちどにはたくさん食べることができない。ちびりちびりと楽しませてもらっている。バキバキカリンと音を立てる種を味わうまでになった。
 それもこれも,高円寺時代の友人が小笠原の父島に移り住んだことにはじまる。彼のおかげでパッションフルーツを楽しむことができるようになった。けれど,そんな彼はもういない。それでも,奥様が今年も我が家にフルーツを届けてくださったのだった。ありがとうございます。
 パッションといえば情熱を思い浮かべてしまうけれど,この果実の花はイエスの十字架の姿に似ているらしい。「受難」という意味があることを教えてもらったのもこの果物によってだった。

2009年7月28日(火)定型を変速拍子で
 大西順子さんの新譜が発売されている。11年ぶりのことらしい。大手の会社からの発売だ。大々的にアナウンスもされているから,そこそこに売れることだろう。まずはめでたい。ジャケット写真は,原色の服でも着用されればよいのにと思うのだが,余計なお世話である。シックなファッションがお好きなのであろう。
 軽快なウォーキング・ベースとドラムスの会話に大西さんのピアノが絡んでくる演奏から始まる。アヴァンギャルドなエリック・ドルフィーさんの曲が3曲もある。久しぶりの復活盤だというのに,チャレンジングだ。常に新しく拡大していこうという意気込みが感じられる。
 スタジオの会話もいいけれど,ライブのバトルが凄い。ライブでは相変わらず電話帳をお尻に敷いて演奏されているのだろうか。そんなわけで,おまけに収録されている『SO LONG ERIC〜MOOD INDIGO〜DO NOTHIN' TILL YOU HEAR FROM ME 』がいちばんのお気に入りである。『SO LONG ERIC』が終わりメンバーを紹介したあとも,延々と演奏が続く。16分。ビレッジ・バンガード盤の冒頭曲だが,いちだんとこなれて滑らか,かつ密度の濃いバトルである。
 よく帰ってきてくださいましたねえ。『THE JUNGLAR』も聴かせていただきたいな。

2009年7月27日(月)中古で売らるレコード盤に
 中古屋さんから「卒業」のサントラ盤を買った。300円。ダスティ・ホフマンさんとミセス・ロビンソンさんの黒いストッキングの足が写っているジャケットである。演奏はS&Gだ。収録されている曲はS&GのCDに入っているのでどうでもよいのだが,ジャケットを包んでいるビニール袋がおもしろそうなので買ってしまったのだった。
 女子高生の卒業にあたり,知人男性3人がこのレコードをプレゼントしたようだ。卒業を祝すとか,なかなかの美人になれそうだねえなどとビニール袋に寄せ書きをしていらっしゃる。贈ったのは,「近衛ホール」の宿直3人組とある。全員,コメントとフルネーム入りだ。日付は1982年3月1日。
 45歳くらいになっていらっしゃると思うのだが,再生するプレーヤーがないのだろうか。あるいは,何か身辺に変化が起こったのか。レコードとして利用しなくても,ジャケットだけでも楽しめそうである。寄せ書きもあるのに,まったく興味のない男性達だったのだろうか。というような妄想が300円で楽しめたのだった。そういえば,ボクも若い頃は何枚かLP盤をプレゼントしたことがある。もう捨てられてしまっているのかも知れないな。切ない。
 それにしても,販売する時は,ビニール袋くらい新しいのにしてあげたらどうだろう。

2009年7月26日(日)ジャケットだけで買い求む
 閉店した電気屋さんの建物にできた中古屋さんの前を通りかかった。中古屋さんは大好きなのである。入店。ゲームや服等はさておき,CDやDVDの棚を見る。エクスペーンシブ。
 さらに奥に,LPやLDも置かれていた。ずんずん。
 ベリー・エクスペーンシブ。なんやねん,このLDの価格設定は。店員さんにお聞きしたら,入ってくる量が少ない商品ですのでとおっしゃる。買う人だって少ない商品なんじゃないの。それとも,LDコレクターがいなばにはたくさんいらっしゃるのだろうか,ボク以外にも。そんなボクでもまず買わない値段がつけられていたのだった。
 大して期待もせず,LPの箱へ移動。
 ジャズとか,洋楽,邦楽等に分けられていて,それなりに枚数はある。ジャズ盤には高価格のものもあるが,全般にLP盤は安いようだ。300円前後のものも多い。キース・ジャレットさんの3枚組ソロが1000円とか。マッコイ・タイナーさんやロリンズさんの作品も数がある。ジャケットのおもしろそうなものを少し購入してきたけれど,以前から商売をしていらっしゃる中古屋さんにはちょっとやりにくいお店のような気もする。それぞれを補完しあって共存していただけるとよいのだが。

2009年7月25日(土)今まさに引き金を引く
 伸びすぎた庭木を切らないと風通しが悪いわよ。お局様からのミッションである。切れ味の悪い刈り込み用のハサミでジョキジョキジョキ。松の枝もざっくり。と思ったら,松の中から蜂が出てきた。あぶないあぶない。何匹も出てくる。大きな巣があった。アースジェットで一網打尽である。蜂の子がお好きな方には貴重な食材かと思われるけれど,ボクは食べることができない。昇天していただいた。
 気分を取り直し散髪業務。ブルーベリーは小型の剪定鋏で,チョキチョキ。と思ったら,「うわっ,いててててっ」昔懐かしい強烈な痛みだ。子どものころ,ケーベージーと呼んでいた毛虫だ。イラガ(の幼虫)である。子どもは「メロンの虫」と呼んでいたけれど。
 親指と人差し指の間に腫れが出来ている。左手で患部を絞り水で洗い流した。効果があるのか?
 見れば,小さなブルーベリーの葉裏に6匹が密集している。他の葉っぱにも多数。復讐の鬼と化した。ピリピリと痛む右指でアースジェットふんむー。
 今日はたくさんの殺生をした。ヘタに庭木はいじらない方がよさそうである。

2009年7月24日(金)くるしいのはシュラフではなく
 ハードな生活を4日続けた。身体はぼろぼろである。珍しく肩凝りが激しい。何しろ,幅40cmのソファーにシュラフで眠るという修行生活である。マッサージチェアのある暮らしをしたいものだ。
 牛乳は飲めず,コーヒーも飲めない。おいしい魚もない。ついでに音楽もない。ひたすら業務である。コーヒーと音楽がないと,疲労がとれない身体だということがよくわかったのだった。
 今日は,浜村界隈の車線が絞られた場所で仕掛けが作られていた。あちらこちらで点数稼ぎに余念がないようだ。射殺事件の捜査はどうなっているのだろう。
 疲れて帰って最初に聞いたのは,中島みゆきさんの2007年ライブ盤『ファイト!』である。発表当時に比べて,格段によい曲になっていると思うな。ちょっと元気がでてきたのだった。

2009年7月23日(木)パッシングする人のある
 深山で修行中の身である。ちょっとイレギュラーなことがあって,R9をうろうろしていた。10時15分頃,米子方面へ向かっていると,風車が並んでいるあたりでトラックのパッシング。
 「ご親切にどうもどうも」
 ありがたいことである。
 とはいえ,それほどアクセルは深く踏んでいないので,そのまま直進。植え込みに斥候役の方が潜んでいらっしゃる。しばらく走ると街路樹に関係車両を隠しながら,呼び込み担当のみなさんも多数。
 その日のノリで実施が決まることも多いらしい。「さあ行こうぜ」と機材を積んで準備完了は午前10時頃で,午後は食後の14時頃からだろうか。よく晴れた平日のそんな時間は注意した方がよさそうだ。
 それにしても,「危険です」と危険を教えてくれる旧タイプ・レーダー検知器がまったく無口だ。どういうことだろう。新しいレーダー式測定器には対応していないのかも知れない。危険なことである。

2009年7月22日(水)この次はないのであろう
 たどり着いた先は,携帯電話も「圏外」であるが太陽も圏外だった。当該時間になっても,辺りは霧がかかっている。サングラスを準備していたのに。天の岩戸の話や007にも日食の話があったねえとか,地面にできる三日月も見たいねえなどと話していたのに。ボクの人生は今日のようなものなのかも知れんな。
 「次の日食はいつなんですかねえ」
 「26年後らしいよ」
 もう,縁がなさそうである。
 ピンク・フロイドの曲に『Eclipse』という曲があったなあ,というようなことを霧深い山の中で考えていたのだった

2009年7月21日(火)お知らせが貼られておりぬ
 いつもお立ち寄りいただきありがとうございます。
 今日から電波の届かないところでの生活に入ります。というか,書き込んだものをアップすることができません。しばらくスル−してやってください。
 ちょっと皆既日食を見にとか,バカンスで海外リゾートに,というようなことを書いてみたいものです。
 帰ってくるまでに銃を持って逃走している人が捕まっていますように。

2009年7月20日(月)丁寧に両足で描く
 砂丘の馬の背に,家族名らしきアルファベットを足で描いていた観光客がおありだったらしい。結構大きな落書きだったようで,担当者が現れ注意したのだった。
 描いていたひとりは小学生くらいの女の子だ。かわいそうに,砂丘の思い出は落書きをして注意されたことになってしまったのではないか。夏休みの物語ができたと思えば得難い体験だったかも知れないけれど,悲しい気持ちで砂丘をあとにしたことだろう。
 境港の営業努力に負けているんじゃないかな。砂丘のあとは,境港へ行くといいね。

2009年7月19日(日)土砂降りの雨の中でも
 並べられた「私の宝物」の中に,以前お届けしたDVDがあったらしい。喜んでいただいていたのかと思うと,少しうれしい。涙だけでなく,笑いも交えながらの式だったようだ。さすがである。
 そういえば,写真を撮ることやユージン・スミスさんもお好きだった。ご本人が真ん中にいる「楽園へのあゆみ」3人版が洋間に飾ってあったのを思い出す。
 短くても豊かな物語だったのだなあと改めて思うけれど,やっぱり50代というのはひどい。「わかれゆく命をかぞえながら だれかを守りたい私になる」という中島さんのフレーズが思い浮かぶ夜である。

2009年7月18日(土)同じ時代に生まれた人へ
 東京からのお客さんである。姫路経由でちょうど5時間。
 砂丘にはそれなりの観光客がいらっしゃる。
 ラッキョウ畑は砂ばかり。
 イカスミアイスを食べた後,城原海岸で水遊び。
 漁港のお姉さまと,一夜干しの値下げ交渉を楽しんでもらう。自らの買った一夜干しの方がおいしいと思うな。
 晩ご飯は,アゴとサザエの刺身と生牡蠣。
 一夜干しを焼いて,畑のトマトと雨滝の豆乳の豆腐。
 豆腐ちくわとアゴちくわ。
 イガイご飯。
 そんなものしかありませんでした。

2009年7月17日(金)よびすての距離を保ちて
 今年も慶弔事が多い。lここのところ慶弔かわりばんこである。というか,慶弔弔弔のペースだ。よそ者の割にボクより知人の多そうなお局は,今年二度目のお友達の訃報が入ってきた。県外ご出身の方だ。よそ者同士なので,そういうサークルを求めたり,サ−クル内で共感しやすいのかも知れない。
 ボクはそんなサークルの私設記録係をしているので,お亡くなりになった方に業務関係でご無理をお願いしたり,おうちにも上がらせてもらったりしたことがある。パートナーを呼び捨てで呼ぶ,仲の良いご夫婦に見えた。通常の葬儀をすれば,ちょっととんでもないことになりそうだ。近親者だけの葬儀にされるのだとか。若い「お嬢さん」達は近親者らしい。
 ボクよりちょっとだけ年上だ。まだお若いのにと思うのだが,若い人から見れば,もうボクも若くないのかも知れない。時は無駄にできない,と思いつつ無為徒食の日々である。
 合掌。

2009年7月16日(木)逆らえぬことのありたる
 この夏統合される会社の営業担当の方がご挨拶にいらっしゃった。ネットなどとの競合も大変なのだろうと思うのだが,「若い人はさておき,年配の方はそうでもないんですよ」とおっしゃる。いゃあ,ボクのような歳の者でもネットのお世話にもなっているんですけどね。
 責任者以外のみなさんは,統合先でお仕事が続くようだ。それでも,ちょっと肩身は狭くなるのだろう。なかなか営業熱心である。こんなのもありますよという話になって,それじゃあ明日の朝の雰囲気でというようなことになってしまった。さすがである。やられましたよ。あなたが来なかったら余計なお金を使わなくて済んだのに。逆境もプラスに変える営業のプロでんなあ。って,ボクがただのカモなのかも知れない。

2009年7月15日(水)すべてしっくりいかないような
 ご近所に引っ越されてきたご家族がおありだ。布団を干すのがお好きなご家族である。休日はもちろん,平日も干してある。なにしろ,太陽が沈むころにも2階の窓に布団がかかっているのを見ながらボクは帰宅するのだ。太陽が沈む前には取り込んだ方がよいと思うのだが,ちょっと不思議な干し方である。何はともあれ,夜は気持ち良くお休みなのだろう。
 今朝も干してあった。朝は暑かったし。しかし,ナント10時前から突然の土砂降りである。
 今日は,ご近所のみなさんが井戸端に集まる日だ。井戸端から見ていても,当該のおうちはさっぱり布団を取り込む気配がなかったのだとか。1階の窓にも2階の窓にも干してある布団が濡れていたのである。玄関は開いているのに誰もいらっしゃらない。植え込みも少なく道路からよく見えるおうちだから,施錠をされないのだろうか。
 ということで,井戸端のみなさんは庭先に入り,とりあえず1階の布団は窓から押し込んだのだった。2階の窓の布団はどうすればよいのだろう。

2009年7月14日(火)漁り火が夕陽の海に
 夕陽に向かって走る業務であった。というか,太陽が沈む方角に住んでいる人を訪ねるという業務である。オープンで走った。気持ち良い。イカ釣り船がたくさん出ている。まだ海岸から近くにあって,集魚灯がたくさん見える船もある。トンネルを抜けると,遠くの入江やイカ釣り船や緑あふれるたんぼが視界に広がってくる。豊かな風景である。わざわざ見るために出かけなくても,海や漁り火や緑のたんぼが業務のついでに見えるというのは,それがない人から見れば贅沢なことではないかと思ったりもした。
 帰りは,真っ暗である。漁り火の数は一段と増えていた。巻き込む夜風も一段と気持ち良い。車の中には,中島みゆきさんの『夜行』が流れていた。今日も豊かな夜だった。

2009年7月13日(月)こっそりと訪ねて来たる
 土曜から日曜にかけ,家の鍵がかかっていないところから,空き巣というか泥棒のような人が入ってきていたという話をお二人から聞いた。どちらも市内の田園地帯にお住まいだ。
 闇夜に一喝したら「ごめんなさい」と出ていったり,大声を出したら慌てて出ていったのだとか。あぶない道具を持っている人でなくて良かったねえ等と話したのだが,未だに鍵をかけないお家というのも田園地帯にはあるのだろうか。
 我が家は2回空き巣に入られたことがある。一度は子どもが入院していた時だ。昼間も締めていたカーテンの窓が割られ,みごとにロックが外されていた。以来,留守中や就寝時のロックだけでなく,カーテンの開け閉めにも注意するようになった。とはいえ,ベッドの横に知らない人が立っていたら腰が抜けるかも。とりあえず,長い棒をベッド脇に夫婦それぞれが置いて眠ることにしたのだった。

2009年7月12日(日)奥付は十年前の
 この夏砂丘に遊びにいらっしゃる方が,おありらしい。来週が第一陣である。お局様から,今日のうちに部屋の掃除をするようにときついお達しがあった。暑い中,クーラーもつけずに片付けをした。
 しかし,よくもこうガラクタばかり集めているものだと自分でも呆れている。それでも,自分から捨てるものはなにもない。大半は,目に付く邪魔モノをさらに奥地に撤退させるという作業である。この作業のあと,大事なモノがどこへ行ったかわからなくなるし,大事なモノがあったかどうかも忘れられていくことが多い。
 と思っていたら,すっかり忘れていた某店マスターの水彩画とか,某将来有望歌人の直筆色紙なども出てきた。これはこれでまた作品に見入ってしまい,作業が遅れるのだった。
 夜中まで片付けた甲斐があり,ちょっときれいになった。あとは床に並べているCDをどこに置くかである。とはいえ,これでまたモノが行方不明になってしまい,探し物に無駄な時間をつぶす生活になりそうである。

2009年7月11日(土)写メはやめてと言う人の
 黒い服を着るのはめっきり弔事のことが多くなったのだが,今年2回目の慶事での着用である。
 そんな会場で,久しぶりに同じ大学の後輩にあった。若い頃は,地元に帰ってきたみなさんの大学別野球大会で一緒に遊んでもらっていたのだが,もう声がかからないのだった。
 「体力を使わない大会を計画してくださいよ」
 「麻雀大会とか」
 「それいいっすね」
 それにしても,若者は元気がよい。中島みゆきさんの『糸』を歌う人もあったり,アントキの猪木さんらしき人やドラえもんらしきも呼んであれこれ笑いを取る工夫もしている。余興の出し物で盛り上がったこともあって,会場を出たのは20時を過ぎていた。最初からだとほぼ5時間。お幸せにどうぞ。
 とりあえず,「妻が幸せなら夫は仕合わせ」というお薦めをしてみたのだった。『糸』のフレーズを盛り込んで。

2009年7月10日(金)少し疲れてベランダの
 今週も疲れた。とはいえ,明日は久しぶりに朝がゆっくりできる土曜日である。真夜中にナメクジ探しをしたり,中島みゆきさんを聴いて夜遊びをしている。
 ベランダに置いているプランターのナスやキュウリの成長が早い。10本植えたプチトマトも今が最盛期である。スーパー等では夏野菜が一番安くなっている時期なのだろう。残念なことである。
 水やりついでにナスやキュウリを朝晩見ていると,気のせいか朝見る時の方が大きくなっているように感じる。昼間に光を浴びて,夜に成長するのだろうか。歴史もナスも恋も夜に育てられているのかも知れない。って,なんのこっちゃ。
 ログもすっかり日付が変わってからの書き込みである。夜がなければ続かないことだろう。夜あればこそである。なんだか眠るのがもったいない夜だ。昼間寝ておけばよかった。

2009年7月9日(木)生憎今日は完熟の
 「いくらにしますか?」
 「あぁ,ボクも聞こうと思っていたんだよね」
 「相場はどれくらいなんですかねえ」
 「そういうことにはさっぱり疎いんだわ」
 「両手とか片手とか親指人差し指中指とか?」
 「えぇーっ,両手?そういえば,この前の身内の時は片手だったよ」
 「じゃあ,その辺でいいですか?一応,足並みを揃えるということでよろしくです」
 「りょうかいっす,たいちょう」
 というような会話があって,資金調達に走ったのだった。

2009年7月8日(水)トンネルを数える子らは
 「ETCがかなりまとまって入荷しましたんで,今ならいつでもお付けしますぜ」と,越後屋さんが声をかけてくださる。
 「そうよのう,月末にちょっと県外へ行かねばならんしのう」
 「んじゃあ,分離式を1台キープしておきやすかね」
 「んー,ちょっと待ってよ。どうしょっかなあー。大体,選挙で政権交代がおきたら,そのうちETCはゴミになるんじゃないの?」
 「すぐの話じゃありませんって」
 越後屋,信じてもよいのかね。
 そのうち,ETCは無用の長物になるから今のうちに売りまくっておこうという魂胆ではないのだろうか。業界の方や天下りのみなさんが。とはいえ,高い料金を払うのもなんだかもったいないし。毎年のように東京まで行っていたころであれば,迷うことなく取り付けたんだけどな。

2009年7月7日(火)星の見えない夜半に聴く
 あいにくの天気であるが,とりあえず短めの笹を庭から切って,願い事をしてみた。願っている人の願いが叶いますように。叶えばよいのだが。
 今月発売のCDの中に,『I Loves You Porgy』が収録されている新作があった。トーマス・エンコさんというフランス出身のピアニストの作品だ。1988年生まれとある。ついこの間のお生まれらしい。録音時は20歳。自分が歳を取るわけである。
 ポーギーはなぜか『エチュード』につながっていくのだが,違和感のないスムーズさで,美しくも切ない展開である。今年も『サマータイム』の季節がやってきたなあと,ゆったりとしたポーギーのメロディや七夕飾りを見ながら思っているのだった。
 I の次の動詞にsがついているのは,貧しくて教育を受けられなかったポーギーやベスをさりげなく示しているという説もある。タイトルがすでに切ない。

2009年7月6日(月)折れ線グラフで示される
 机に検診結果在中という封筒が置いてある。健診の結果が返ってきていた。昨年数値をオーバーしていたのはLDLコレステロールだ。動脈硬化の原因となる悪玉コレステロールだそうな。さて,今年はどうか。
 昨年より10ポイント以上さがっている。いゃあがんばってるじゃん。と思ったのだが,基準よりまだ高いらしい。アスタリスクがついていた。
 その割には,今年の総合判定は「差し支えなし」である。昨年は要観察だったと思うのだが,今年は,「異常なし」と「要観察」の間の「差し支えなし」だった。
 体操や歩行などの有酸素運動を日常生活に取り入れるように,というご助言をいただいた。そりゃあどうも。発泡酒と食べ物だけで何とかならないですかねえ。

2009年7月5日(日)腕に蚊をまちうけて
 勉強会のみなさんと合流するためあっさり切り上げようと思っていたのだが,なかなかディープな業務宴会になってしまい,ズルズルと二次会三次会になってしまった。いや,昨晩のことである。
 そんな過ごし方をした次の日の午前中は何もやる気がおこらず,これまたズルズルと過ごした。ズルズルギリギリ人生である。
 結局,買い物などに行くこともなく,コンテナのジャガイモを掘ってみたり,蚊にかまれたり,野菜の収穫をしただけの休日である。
 魚も肉もないので,茄子と唐辛子の味噌炒め,野菜の漬け物,ラッキョウ漬け,そのまんまプチトマト&キュウリ,真竹の煮付けといった自給野菜生活だった。

2009年7月4日(土)ドクタードクター注射をしてよ
 やっと1週間が終わった。とはいえ,今日もいつも通りの出勤である。午後は勉強会や業務があって,最後はわれわれの結婚式に出ていただいた方がお亡くなりになったというお知らせもあった。
 結婚式に出席していただいた方のうち,もう何人がお亡くなりになったのだろう。というようなことを考えながら,夜の業務にお付き合いしていたのだった。
 先日お亡くなりになったまだお若い病院関係者の方と遭遇したこともあって,どういう順番で選ばれるんですかねえというような話を日付が変わってもしていた。
 話をしているうちに,鉄道コンテナで遊んでいらっしゃったドクターや,休日も患者さんのために出勤されるドクターの話になった。互いがちょっと涙ぐみながらの時間を過ごした。業界が全く違うのに,話がいつまでも続く。狭いところに住んでいるんだなあということを改めて思い知ったのであった。

2009年7月3日(金)ノイズで拡大されている
 ウッドストックから40年。40周年記念のアルティメット・コレクターズ・エディションというDVDが発売されるらしい。権利の関係でお蔵入りしていたライブ映像等170分が追加である。
 1969年はビートルズがアップルビルの屋上で最後のライブをやって,ツェッペリンのデビュー・アルバムが発売され,キング・クリムゾンの『宮殿』が発売された。ビートルズは『ABBEY ROAD』,ストーンズは『LET IT BLEED』を発表。ブラインド・フェイスがデビューし,『フィルモアの奇蹟』も作られた年だ。マイルスさんは『BITCHES BREW』を発表されている。何という年であろう,1969年。今でもこの年のアルバムにはよくお世話になっているのである。1969年に物心がついていたことは仕合わせなことだったと改めて思うのだった。シャロン・テートさんは死体で発見され,ジャック・ケルアックさんはお亡くなりになった年だけれど。
 『ウッドストック』は,今はなき鳥取映劇で観た。いちばん印象に残っているジミ・ヘンドリクスさんのノイジーな『星条旗』は,音楽を楽しむというか,その仕事ぶりに見入ってしまった演奏である。25周年盤のジミヘンさんの演奏を見ながら,40周年盤の発売を楽しみに待つことにする。

2009年7月2日(木)子どもと聴きしナハトムジーク
 今月お金を払って聴いてみたい新作ジャズアルバムは3枚ほど。余計な出費がなくてありがたいというか,寂しいというか。
 次々と女性ボーカリストの新作が発売されるけれど,なんだかジャズ・オヤジ向けのラフ・アンド・レディのような感じがして,レビューを読む気にもならない。コアなみなさんだけではマーケットが狭いから,マージナルなみなさんにも買っていただこうという作戦なのだろう。
 オヤジだけでなく,お子さまにも買ってもらおうというのが,その名も『ジャズ・フォー・チルドレン』だ。モチーフはお馴染みジブリ映画。トトロやナウシカやラピュタやハウルやポニョのメロディが次々と登場する。アルト入りのカルテットである。ポール・デスモンドさんを思い浮かべるような穏やかな音色なので,お子さまと和やかな夜を過ごしたい方とか,お孫さんをジャズの世界に引きずり込もうという方に最適である。
 ESTのようなトリオがどこかにないだろうか。。

2009年7月1日(水)終わる日は駐車場にも
 定期契約している市営駐車場の,出入り口のバーを上げ下ろししてくれるカードの交換時期である。定期契約の方には重要なお知らせがありますと掲示してある。いつものように,早くカードの交換に来るようにという案内かと思ったら,建物が老朽化したので7月いっぱいでもう駐めさせてもらえないらしい。困った。「代替駐車場は紹介してもらえないんですかあ」と聞いてみたが,してくれないそうだ。
 30年近くお世話になった,なかなかレアな屋根付きである。車が日光に当たらないだけでなく,場所確保のために冬場の雪かきが必要ないというありがたい駐車場だった。職場からもほどよい距離で,金木犀の香りが楽しめた通勤路だったのだが,コース変更になりそうだ。
 すべてのものに終わりがくるのであるなあ。

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