いなばにあん 時々嘘つかないTOPへ
my foolish heart

「べんとーさん忘れてもかーさん忘れるな」,雨と無知との遭遇いなばにあんいのの日記。

2010年9月30日(木)こうしてはいられないので
 夕方の空がきれい。東に向かって雲が拡散している。なんという名の雲なのだろう。好きな雲は何ですかと問われて,ちゃんと答えられるようになりたいなと思った今日の雲だった。
 閑話休題,サルスベリというのは相当強い木らしい。過日,枝を切り落とされていた通勤路のサルスベリが,2軒とも再び桃色の花をつけている。おばあさんは,またまた毎日ホウキで歩道を掃いていらっしゃるのだった。ごくろうさま。花の少ない夏に延々と咲き続けるのだから,ありがたい木だと思わないとね。楽しんでいる通行人もいるんです。
 そのうちの1軒のサルスベリは,夾竹桃の花かと思うほど濃い赤。淡いピンクは見慣れているけれど,あまりの濃さに,ついつい枝を2〜3本厚かましくもいただいたのだった。挿し木の時期としてはちょっと遅いようだが,根が出るかどうかこの秋の楽しみということにしてみた。ついでに落ちている花や種ももらった。こちらは春の楽しみである。
 どんなことであれ,先の楽しみや希望が少しくらいはあった方がおもしろい。ということで,朝のやる気のない気分を取っ払い,発泡酒も飲まずにちょっと集中してみた。結果がほぼみえているから大した楽しみではないけれど。まっ,冬場にもなにかないとね。

2010年9月29日(水)科名にはイネ科とありぬ
 らっきょうの芽が出ている。10cmほどに伸びたものもあった。とはいえ,さっぱり芽の出ていない列もあるから,出そろうにはもう少し時間がかかりそうだ。肥料をやろうと思ったが,ちょっと様子をみることにした。
 小さいころから,あまり詰め込みすぎたりむち打って育てても,つぶれてしまうかも知れない。欲している側と与える側のタイミングを考えないとね。といいつつ,ほとんど自分の都合で相手をしているところが,わが家の甘さというかいい加減なところである。そのあたりがプロとアマの違いということだろう。
 せっかくである。草を抜くことにした。雨のおかげですたすた育っている。タデのたぐいとか。その他,コニシキソウやスズメノカタビラやエノコログサが現在の成長株。もうしわけないが,コスモスも雑草扱い。みんな抜きやすいのがかわいい。ゴメンねゴメンねー。

2010年9月28日(火)レイドバックにまいっておりぬ
 今日はエリック・クラプトンさんの新作輸入盤が到着。タイトルは『CLAPTON』。ジャケットもご本人の大写し。しかも正面。自信がおありなのは,ギタープレイだけではないのであろう。タイトルもジャケットもベストアルバムかと思うような芸のない作りである。まっ,クラプトンさんのジャケットにそれほど期待しているわけではないけれど。
 とりあえず,14曲収録されているアルバムの最後におかれた『枯葉』をセレクトした。ギターとピアノの音がしたあと,すぐにかすれたボーカルが登場。5分ほどの演奏である。ストリングス入り。地味。渋い。緩い。温い。
 最初から流してみる。ハードロックのサンタナさんと対照的に,くつろいだ大人のギターである。1945年生まれの65歳。カルロス・サンタナさんの2歳上らしい。枯淡の境地というか,アンプラグド系をもう1枚作っておこうということか。
 早弾きギターはほとんどないボーカル中心のアルバムだが,レイドバックしている分だけサンタナさんのアルバムよりは飽きがこないような気がした。ギターの安売りはしない。抑えることによって際だたせる。枯山水のようなアルバム。さすがである。

2010年9月27日(月)有名なリフもつ曲に
 カルロス・サンタナさんの新譜が到着。セカンド・アルバム『ABRAXAS』と同じバンド名のロゴである。なつかしい。とはいえ,ジャケットのできは『ABRAXAS』に遠く及ばない。1970年制作のアルバムの方が断然きれい。
 さて『GUITAR HEAVEN』である。いきなりZEPの『WHOLE LOTTA LOVE』ではじまる。原曲をそれほど崩さない演奏で,官能のサンタナさんのわりにハードロックである。ストーンズの曲をはさみ,3曲目はクリームを意識したと思われる『SUNSHINE OF YOUR LOVE』だ。アフリカンなリズムも刺激的。中学生のころに聴いていた曲は,こうやってロックのクラシックになっていくのだろう。
 ジョージ・ハリソンさんの『WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS』には,ヨーヨー・マさんの弦が挿入される。セクシーなバラッド。デフ・レパードのあとにAC/DCの名曲がきて,次はドアーズ。オルガンはレイ・マンザレクさん。
 ディープ・パープルの『SMOKE ON THE WATER』もあって,ジミ・ヘンさんもある。1970年前後にロック小僧だったみなさんが狂喜乱舞されていることだろう。ロックは団塊相手の商売もできるのだ。そんなのはロックじゃないというロケンローラーもいらっしゃることだろうが。
 なにはともあれ,ボクは長い会議の疲れが少し落ちたような気がしたのだった。

2010年9月26日(日)もっと上手な嘘つきに
 大阪在住の,リアルに現在がお嬢さんのお話。先日,奈良へ車で行かれたそうな。観光地の駐車場の長い列に並んで待っていたのである。ノロノロと車を進めていると,ひとりのおじさんが接近。
 「向こうに渋滞なしの500円の駐車場があるけど,どう?」
 「ラッキー,ほならお世話になりますわ。」列から離れ移動。案内された駐車場に到着。
 「どうもおおきに。じゃあ,500円。」
 「いゃあ,こちらこそすんませんなあ。」
 ということで,ゆっくり見物を済ませて帰ってきたらびっくり。駐車場は正規の有料駐車場ではなく,休日のため空いていた月極の駐車場かなにかだったようだ。そんなふうに小銭を稼いでいる人も世の中にはいらっしゃるらしい。大阪のお嬢さんがカモになることもあるのだ。まっ,こうやっておばちゃんになっていくのだと思うけれど。環境が人を育てるのである。
 そういえば,ボクが市内に借りている駐車場の前を休日に通ると,車が駐められていることがある。近所のラーメン屋さんなどに使われているように思われる。まさか,だれかがお金を取って案内しているわけではないとは思うけれど。

2010年9月25日(土)ラブホ帰りにハンバーガーを
 大阪出身のお嬢さんは,いなばに30年住んでも関西弁が抜けない。出会った頃はほとんどお嬢さんだったのである。今は少しおばちゃんが入っているけれど。
 「なあなあ,ラブホって知っとる。」
 「知っとるよ,行ったことはないけど。」
 「昔はそないな言い方せんかったやん。いつからそんなふうに言うようになったんやろ。」
 「結構前から言うとったよ。」
 「そんでな,誰にも顔あわせんでもええラブホもあるんやてな。なら,金払わんでもええやんって娘に言うたら,お金払わんとドアが開かんのやと教えてくれたわ。」
 「ふーん。」
 「だけどな,なんでうちの娘はそんなことを知っとるんやろ。」
 てゆうか,なんで母と娘でそんな話になりますの。さすが,大阪育ち。まっ,お嬢さんも大阪でひとり暮らしなんやから,そんなところに探検に行くこともあるかも知りまへんなー。

2010年9月24日(金)あしたの雨のさみしさを
 PCの液晶を見ていた目が疲れ,閉じれば目の中に稲妻が走るらしい。しばらくすると稲妻がもう一本。クモ膜下とか脳梗塞の前兆に違いないとおっしゃる。そりゃあ大変。とはいえ,ちょっと横になって様子をみたら。ということで,横になること約30分。徐々に稲妻は遠くなり,晴れ間が戻ってきたようだ。
 そんなわけで,念のため本日は病院にお出かけである。待合室は似たような症状の方がたくさん。担当は優しい女医さん。問診やレントゲンを撮ってもらったり。
 「今日いらっしゃっている患者さんの中ではいちばんきれいな頭でしたよ。」というのが診断結果だ。どういう意味なのだろう,きれいって。喜んで良いのだろうか。さっぱりすっきりしていて皺も少ないということなのではないか。それはそれで心配なことのような気もしたのだった。まっ,猛暑だった今年の夏の疲れがでてきたのではないかということにした。
 外も内も薄くなりつつあるボクの頭も,相当きれいなのではないかと思っているのだけれど。

2010年9月23日(木)雲低き空を見ながら
 いつも通りに起床。あちこちに寄りながら雨の中を中部へ。余裕をもって出かけたのだが,雨のせいか,みなさんゆっくり目の運転である。集合時間に2分ほど遅れた。さいわい,似たような状況とみえ,ボクより遅い方も三組ほど。開会の挨拶は到着5分後だった。
 できれば晴れているのが望ましいのだが,雨にも負けず業務に取り組む。午後3時に無事終了。なんと,帰る頃には晴れ間がのぞくというついてない一日だった。メンバーの中に行いの悪いのがひとりいるせいらしい。
 帰路の空にはさまざまな雲が浮かんでいた。その影もそこここに落ちていて山もきれいだ。豊かな表情の雲に誘われ,ついつい砂丘まで進んでしまったのである。砂丘では,怪しげな衣装を着た品川ナンバーの若者達が撮影をしていた。友人の結婚式のため,貸衣装を着て砂丘まで撮影にいらっしゃったらしい。ごくろうさま。
 さて,帰宅してネットにつなげば懐かしい顔があった。朝刊にも名前があったから,ちょっと心配していたのである。今日は東京らしい。天気はどうだったのだろうか。今日の空を見上げることができていればいいのだけれど。ボクは満月まで見せてもらったよ。

2010年9月22日(水)葉の萎えしマツヨイグサは
 毎日のほどよい降雨のおかげで,畑まで水を運んだり,植物に水をやる苦労が少ない。ありがたいことである。水やりは,ベランダの屋根の下に置いている胡蝶蘭やデンファレやデンドロやシンビジュームくらいだ。
 ナメクジにデンドロ等の新芽を食べられることも多い。今年は鉢を地面から遠ざけ,ことのほか丁寧に扱ってみている。胡蝶蘭もデンファレも順調に葉っぱが育った。さて,花芽をつけるだろうか。
 仲秋の月だそうだが,曇っていて月は見えない。ジジジジという虫の鳴き声があちらこちらから聞こえて来るのみである。ふた雨ほど降ってそろそろ涼しくなりそうだ。雨の夜は音楽のボリュームを上げることができる。夜好きには楽しみな季節の到来である。
 とはいえ,雨が降って喜んでいるのはボクや野菜だけでなく雑草もだろう。雨降って地固まったり草を取ったりである。

2010年9月21日(火)ひとりいてペンチ持ちたる
 ご近所のひとり暮らしのおばあさんに,夕方の挨拶をした。なにやら,玄関脇の水道の辺りで仕事をされている。
 「あんたちょうどいいところに。ちょっとこれみたってえなぁ。」と声をかけられた。「なんですの。」とお聞きすれば,水道に接続してるホースに穴があいて水が漏れる。修理しようと針金を外したら取り付けられなくなったとのこと。先日,家の修理に来た若者が壊したのだとか。もう腰が痛くなるほど取り組んでいらっしゃるらしい。そんなことなら簡単である。いいですよと屋敷内へ。
 「やっぱり年寄りのひとり暮らしはいけんなあ。若いもんがおらんと。」
 若いモンとも思えないけれど,相対的なものだろう。以前はご長男家族と暮らしていらっしゃったのである。よくある話のひとり暮らし。角地にお住まいで,隣はアパートだ。困りごとを頼む人もあまりいらっしゃらないのだろう。お安いご用である。
 と思ったら,穴の開いたホースは固い。針金も太くて異常に固い。か弱いボクのチカラでは何度やっても無理。結局,わが家から銅線を持ち出してなんとか作業終了。いたく喜んでくださった。
 毎日が敬老の日のようなものである,この辺りは。

2010年9月20日(月)渋滞の車の中で
 渋滞を楽しませていただいた。30kmの数珠つなぎらしい。右ルートを選んだのも失敗だったかも知れない。右を選ぶときは注意しようと思ったのだった。結局,待ち合わせの時間に1時間遅れた。
 ノロノロ走っている時に周りの車のナンバーを眺める。陸運局名のあとの車の用途を表す数字が2桁というのがなかなか見あたらない。ほとんど3桁。陸運局名もそのあとの数字もレアな車でがんばっていたのだった。
 それにしても,そこここの駐車場や拝観料が高い。1時間の駐車場代金が500円とか,1回1000円とか。階段を数段上るだけの拝観料も500円。川の上のタタミに座れば1500円なども。常連客は一見さんである。
 そういえば,ボクにはとてもおいしいと思えないような菓子類に行列ができていることもある。人口の多いところは常に一見さんが並んでいるのかも知れない。一見さんはどこでもカモらしい。
 帰りは渋滞に巻き込まれないように出発。快適に走ることができた。南で乗ってから最後の出口まで約2時間30分。工事中の箇所が完成すれば何分短縮できるのだろう。楽しみである。

2010年9月19日(日)この朝を畑にゆけば
 この夏の毎週日曜日,畑のお向かいで野菜市が開催されている。中部からガソリン代をかけてわざわざいらっしゃっている。それなりにお客さんがあるということなのだろう。最初は8時30分からの開催だったのが,ここのところ7時30分開始になっている。近所の早起きなひとり暮らしのお年寄りは,楽しみにされているらしい。
 畑に水をやった帰りに立ち寄ってみた。小学生がメモを持っておつかいである。買いに行かせる子どもがいれば休日の朝はゆっくりできる。うらやましい。小さな梨も売ってあった。5個で350円。進物には使えない。
 さすがに雪が降るような時期はお休みされるらしい。里にコンビニがあるけれど,車のない方や足腰の弱い人が喜んでいらっしゃるようですとおかみさんはおっしゃる。陸の孤島に流れ寄る椰子の実のようなものか。
 やがてやってくる寒い季節を生き延びるため,生きものも脂肪をつける時期だ。ボクはすでに準備万端。寒さがいつやってきても大丈夫な身体である。

2010年9月18日(土)陽ざし及ばぬ松の木の
 外出すると県外車が目につく。走っている車の量も通常の土曜日より多い感じ。三連休を行楽でお楽しみのみなさんも多いのだろう。
 薄暮の砂丘をドライブしてみた。クーペの三角窓もあけて。沖へ向かうイカ釣り船がちらほら。砂丘のキャンプ・サイトのテントは,満室状態である。京都や大阪や相模はさておき,函館ナンバーのウィングロードも駐車場に駐まっていた。おつかれさま。フェリーをお使いだったのだろうか。
 キャンプサイトから少し歩けば,グラデーションのかかった中国山地や,暖色と寒色のパステル色が混ざり合う美しい空が見える。火起こしに忙しかったり,食材を切り刻んでいらっしゃる方は,眺める余裕がないようだ。もったいないことである。まっ,楽しみ方はそれぞれである。よい思い出をおつくりいただきたい。
 それにしても,道路脇の松の枯れ具合がいちだんと進んでいるように見える。遠くの光景を見なかった人は,松枯れの砂丘が行楽の思い出になるのかも知れない。残念なことである。

2010年9月17日(金)振動は増幅されて
 「この人の趣味を聴いてあげてくださいよ。」とおっしゃる方がおありだ。「なんですの?趣味が悪いの?」
 「ジャズを聴くことなんです。」
 「ひょえっ,じゃずー?何を聴きますの?」
 「ジョン・コルトレーンとか。」
 「えっえっひょぇえええーん,こるこるこるとれーん。いつの時代の?」
 「インパルス時代とか。ヴィレッジ・ヴァンガードなんかの。卒論はチャーリー・パーカーにしようと思っているんですけどね。ビバップ等を勉強して。」
 「.....。」
 若い人なのである。今どき珍しい趣味の持ち主である。ちょっとびっくりしたのである。あるある大辞典。いゃあ,卒論にチャーリー・パーカーですぜ。どういう内容になるのだろう。書き終えたら読ませていただきたいものだ。
 ソロとアドリブがジャズの面白さであろう。その先駆者がパーカーさんだ。久しぶりに,暗闇の中で『52丁目のパーカー』を聴いた。ひどい音質である。ブチュッと音は切れる。けれど,ヒラヒラと飛ぶようなスピード感のある革新的フレーズの連続だった。さすがである。卒論が書けるような気がしてきた。
 それにしても,好きなことで次々と話が弾むというのは,なんと幸福な時間であることか。またお会いすることができればよいのだけれど。

2010年9月16日(木)実のついたとなりに白い
 ここのところキンカンが満開だった。花弁はミカン等とよく似た純白の5枚。清楚なたたずまいが好きという人もいらっしゃるのではないか。匂いはそれほどきつくないけれど,夜になるとナメクジがたくさん張り付いているところをみると,何らかの魅力を醸し出している柑橘系のようだ。
 そんなキンカンの満開は今回が初めてではない。もうすでに満開の時期が2回あった。1本の木が3回ほどにわけて白い花をつけるという変わった植物らしい。したがって,早く咲いたものの中には,すでに小豆大のキンカンの実をつけているものもある。
 一度に咲いて虫に食べられたりその時の気象状況で結実できないと困るから,何回かに分散して咲くのだろうか。リスク・ヘッジに長けているというか,セーフティ・ネット意識が高いのかも知れない。リスキーなボクよりしっかりした植物のようにも思えたりするのだった。

2010年9月15日(水)もう少し続くだろうと
 今夜はごちそうが作ってあるらしい。イガイご飯とかイガイのミソマヨ焼き等。さらに,いなば出身の若者が中野に出しているお店からの海鮮モノも届いた。健全な食生活をしようと思っているボクを妨害しようとするモノは,ちまたに溢れているのである。仕方がないので,帰宅後にウォーキング・ステッパーに励んだ。
 例によって,「飛躍だ,ここは飛躍だ,きれいな,かなしい飛躍だと思う。」というような短い文章を読みつつ。例によってBGMはフランク・ザッパさんで。
 今日のザッパさんは『HOT RATS』である。ロックとジャズをタライに放り込んでかき回してみましたというような作りのアルバムだ。快適。ページに落ちないよう,汗はハンカチで拭きつつ。気がついたら1012歩だった。時間は29分52秒。せっかくだからもう少し追加しておいたけれど。
 その後,畑のご近所の女性がどこかの機械を壊して捕まっただとか,砂丘で行われている早朝ロケを見学に行った方からお聞きした話なども肴にしながら,滅多にない贅沢な夕餉を食べさせてもらったのだった。

2010年9月14日(火)葉の裏にひそんでおりぬ
 出勤時に大粒の雨。ナイスである。濡れた人もいたかも知れないけれど。細々と息継ぎをしていた植物が生き返っている。サツマイモとか秋ナスとかピーマンとかゴーヤーとか。
 ご近所のおばさんは先日の日曜日に夏野菜の撤去作業をされていたが,欲たましいわが家は,すべての野菜がまだ放置されているのである。ほとんど枯れたキュウリはさておき。
 そんなわけで,今日はサツマイモのツルというか葉っぱの茎部分を,親指の爪を黒くしながら摘んだ。3cmほどに切りそろえ,アクだしをしてごま油で炒める。砂糖とお酒と醤油などを追加しつつ。コリコリと歯ごたえがよい。戦後の食糧難を思い出すぜ。って,イマジンである。それしかない時はおいしさを感じるどころではなかったことだろう。振り向く人の少なくなった時代に食べると,ちょっと豊かな気分を味わえるような気がするのだった。
 当分,秋野菜までの中継ぎとして活躍してくれそうな愛いやつである。

2010年9月13日(月)愚かさと水素は宇宙に普遍的
 休みの日に問題があるらしい。よく寝てよく食べる。移動は車。身体を動かすのはラッキョウを植えることくらいだ。月曜の朝に大台超え寸前だった。
 帰宅後に,安物のウォーキング・ステッパーに乗って汗を流すことにした。足を動かすだけでは時間がもったいない。フランク・ザッパさんを聴きながら,短い読み物も読みながらにした。
 どこからこぼれたのかわからなかったが,3曲目の途中に汗がひと粒落ちた。『拷問は果てしなく』という恐ろしい曲。書籍の左ページに。アルバム名は『Zoot Allures』である。時間は12分あたり。あわてて指で汗を払いのけた。ページをめくれば右のページにしっかりと水滴のあとが残っていた。
 さらに歩き続ける。また汗がこぼれた。またも左のページ。14分経過していた。歩数は500歩。ゆっくり歩いているのである。顔の左が汗をかきやすい体質なのだろうか。って,どんな顔やねん。
 それにしても,「不乱苦雑派」さんのジャンクさというか節操のなさというかラディカルさというか真面目さはすごい。どなたにも紹介したことはないと思うが,ノーマルな人はあまり近づかない方が良さそうである。ボクはもう抜け出せないけれど。

2010年9月12日(日)たどりつきたる水際で
  回覧板が回ってきた。熊が出たらしい。他でもない当地に。ほんまかいな。
 当地とはいえ,わが家からは大分離れた場所である。砂丘のはずれ。河口付近の新しい住宅地界隈らしい。
 どこからやってきましたの。日本海を泳いできたのかね。あるいは,千代川の上流から流れ着いたのか。それとも,鳥取砂丘を東西に歩いたのだろうか。久松山とか摩尼山の辺りを歩いているうちに道に迷った可能性もある。基本的に夜行性だろう。夜を歩きつないでいるうちに,辺境にたどり着き,次に行く場所に悩んでいるのかも知れない。くまった。
 そんな騒ぎの昼過ぎに,トンビがピーヒョロと鳴いていた。「昼からトンビは雨が降る」とばあちゃんが言っていたのである。雨の降る前に急いでラッキョウを植えつけることにした。ご近所のおばさま方や苗屋のおじさんなどと世間話をしながら。雨が降らないので苗屋さんは種を蒔く気にならないらしい。
 「らっきょうかあ?」
 「いゃあ,ボクも若い頃はラッキョウを食べたいと思わなかったんですけどね。」
 「60過ぎると一日が早いでー。」
 「60過ぎんでも早いですけど。」
 無事植えつけ終了。トンビの天気予報はまだ当たらないけれど,タヌキも出るしイノシシやアライグマも住んでいる。買い物に不便な陸の孤島だと思っていたが,生き物の一部には意外に住みやすい楽園なのかも知れない。

2010年9月11日(土)坂道をゆく葬列の
 顔にむくみのある感じの目覚め。昨日のビールが身体から抜けきっていないらしい。帰宅はとっくに日付が変わっていたし。なにしろ,お隣に座られた方が,ビリー・ハーパーとかカーブド・エアとかフランク・ザッパとかピンク・フロイド等が好きとおっしゃるのである。いゃあ,それらのみなさんについて,ボクはすべて好きなアルバムや曲名が言える。ビリー・ハーパーさんはアルバムにサインをもらったし,ピンク・フロイドのライブにも行ったんです。語ると長くなりますよー。というオタクな夜を過ごしていたのだった。
 さて,そんな身体のキレの悪い今日の午前中はお葬式。結婚式に出席させてもらった,ご夫婦のどちらもよく知っているおうちだ。ホールの葬儀ではなく太陽の下での参列になりそう。半袖Yシャツの人もいることだろうが,長袖に礼服を着ることにした。姿勢正しくたっぷり汗を流そうと思ったのだった。
 葬儀は真言宗ふうに見える。棺と一緒に関係者のみなさんが庭をゆっくりとまわられる。最後は,霊柩車の停められている場所へ。
 久しぶりに美しい葬列を見せていただいた。最後もいい挨拶だったな。「もう一度,朝だよって声をかけてみたんですけど。」って。微笑むんだか泣けばいいのか困ってしまいましたよ。

2010年9月10日(金)メンテナンスを終えたれば
 電子辞書の修理だけでなく,車検に出していた車がかえり,今日はピアノの調律が終わった。今週はメンテナンスの週である。4年目の辞書や13年目の車や30年ほど経過したピアノだ。それぞれ維持するための経費がバカにならない。車はほぼ10万円で調律は1万5千円の出費。金をかけても辞書や車の前途は暗いけれど,調律師さんによると,ピアノは手入れがよければまだまだ使えるらしい。
 身体のメンテナンスも進んでいて,今週は毎日体重を300g落とすことを目標にしている。大台を切るまで。なにしろ,ピアノよりも長く使っている身体なのである。現状をなるべくキープするため,こまめに体重計に乗ってみたのだった。身体も動かした。こんなに理性があったのかと思うくらい,ジャンクな飲み物や食べ物から距離をおいている。今朝までに,ほぼ目標に近い数値を落とすことができた。
 とはいえ,ピアノの寿命には勝てそうにないのがつらいところだ。まっ,どうせ限りのある身体。せっかく生きてるんだからと,今晩は夜の街に出ていたのだった。理性が長続きしないのが問題である。

2010年9月9日(木)健勝を祈ってもらう
 高いお金を払って直してもらった電子辞書の調子が悪い。矢印を押した際のレスポンスが遅い。キーボードの中には押してもまったく反応しないキーがある。RとかFとか。先日,シャープの窓口に再修理をお願いした。
 直ったという連絡をもらった。診断結果には「ご指摘内容に基づき検査させて頂きましたところ,キー効かずを確認しました。」とあって,修理内容に「メイン基板ユニットを交換させて頂きました。」とある。1か月前も基板ユニットの交換だった。そんなわけで修理代は無料。
 窓口の方はたいへん丁寧に接してくださる。が,購入した家電の中では,我が家はシャープ製品の修理依頼が高いような気がする。今の場所で営業される前の青葉町時代から結構お世話になった。ビデオデッキとか,ビデオカメラとか。安売りに,ついつい手を出してしまうのだった。
 もちろん,ソニーもサンスイもマランツも修理に出したことがある。電化製品はいずれ壊れる。とはいえ,どうも我が家の場合はシャープとの相性の悪さがいちばんのようだ。
 チャライ身体でシャープを求めるのが間違っているのかも知れない。末筆で再び健勝を祈っていただいたけれど。

2010年9月8日(水)われにまつわるように飛ぶ
 お買い物にお付き合い。本屋さんや酒屋さんやJAのお店や。物欲のかたまりだと思っていたのだが,珍しく欲しい物がない。100均も,へえこれがねえと思うのだが,まったく触手が動かない。淡泊な買い物である。おなかはでてきても欲望は枯れつつあるのだろうか。解脱の時が近づいているのかも知れぬ。
 遅い時間にJA店舗の野菜売り場で残っているのは,ピーマン系とナスとオクラくらいだった。大量に収穫できるということか。それとも人気が低いせいか。果物もイチジクや梨が残っている程度。
 ちょっと梨を物色してみた。一部の関係者のみなさんには,別ルートで2Lとか3Lを送らせていただいたけれど,自宅用には,器量が悪いらしい不揃い箱入り娘を購入してみた。外見がそれほど問題あるとは思わないし,冷やせば甘さも問題なし。ぐっじょぶ。
 それにしても,かつて梨は買うモノではなかった。ありがたいことに大量にくださるおうちがあった。1軒だけでなく。ことのほかおいしい梨を。それがいつの間にか値段を見比べながら買い求めるモノになったのだった。万物は二転三転七転八倒である。ちょっと哀しい。

2010年9月7日(火)迷路のような街並みを
 試合前のボクサーもこのようなものだろうかと思うくらい体重計に乗っている。昨夜も今朝も。夕食は軽くしないとダメだな。と思っていたのである。
 が,若者に焼き肉屋さんに連れて行かれた。ボクの邪魔をするのはボクだけでもないのだ。食べ放題である。BGMはジャズ。サックスの曲が多い。理性的に振る舞うのは無理というものである。本能のおもむくままに。おいでませ山口。ここは地の果てアルジェリア。明日はチュニスかモロッコか。
 若者はよく食べる。だけでなく,愛想がすこぶるよい。スタッフのみなさんがお肉を運んできたりお皿をさげるたび,笑顔を振りまき,おいしいですーと付け加える。わたしは客よ然としていれば通常のサービスだけだろうが,良質のサービスを引き出すレベルの高い客になりきっている。大人になったねえ。おじさんはうれしいよ。満足満足。満腹満腹。腹腹。
 そんな恐ろしい時間が過ぎて外に出れば大雨である。台風は本当に接近しているらしい。次の店までたっぷり濡れることになったのだった。

2010年9月6日(月)催促はせずに待ちたる
 今日はお留守番。車検を依頼していた日である。若者おふたりが車を取りにいらっしゃった。具合の悪いところとか調子が悪いところとか,なにか困っていらっしゃることはありませんかとおっしゃる。
 オイルとエレメントは最近交換完了。バッテリーも大丈夫ですねえ。走行距離も短いし。いちばん困っているのは,車検代がすぐにお支払いできそうにないことですけど。
 あっ,いやいや急がれなくてもいいですよ。見積もりは,いちど見せてもらってから連絡しますね。
 ということで,見積もりの連絡があった。何カ所か交換したりすれば13万円ほどになるとか。
 「何とか交換なしでがんばってもらえませんの。」
 「うーん,じゃあグリスをたっぷり塗っておくとかにしますかね。次の車検時には交換しないと通りませんよー。」ということで,見積もりより2割ほど安い値段で交渉が成立した。よかった。
 33年になるおつきあい。支払いの遅いことが多いのに,催促もせず根気強く待ってくださるモータースなのである。良好な関係が長く続くというのは,なにかとありがたいことも多いのだった。

2010年9月5日(日)死にそうなどと会話する夏
 毎日乗ってないの?とあきれられるのだが,怖くて乗れないのである。とはいえ,この夏危険水域を超えたような気もする。乗ってみた。
 やっぱり超えていた。
 夏バテとか夏痩せに縁がない。バテてはいるが,痩せない。バテるのは夏だけでもないし。毎年,夏にステップアップしているような気がする。成長の夏だ。大して運動もしないのに成長だけはするのである。食べる量もそれほど変わらないと思うのだが,水分やその不純物の摂取量が多いせいだろうか。昨日も今日も水分の取りすぎである。熱中症対策というより,会話を弾ませるために。ということで,日頃の目標の他に,明日からの新たな目標ができたのだった。
 今日の弾んだ会話は,「感覚を研ぎ澄まして」とか,みどりは大事だよねえという話だったような気がする。
 昨日も今日も,もうお腹いっぱいである。

2010年9月4日(土)名前を思い出せない人の
 朝方,駅周辺で,何とかパトロールというようなゼッケンをつけた方に声をかけられた。ラフな格好をしていたのだが,「お仕事ですか」とニコニコ話しかけられる。「あっ,えぇ,これから今日の仕事場へ行くところですわ。」
 と答えて会話がさらに続いたのである。が,名前がどうしても浮かんでこない。確かにどこかでお見かけしたこともあるし,話しぶりにも覚えがある。あちらもボクのことを確実に知っていらっしゃっての話しかけだ。「いゃあ,この仕事をはじめてから,毎日2万歩あるいているんですよ。」とか,「給料は大したことははないんですけどね,健康になれますよ。」等と話される。その間も,お名前を思い出そうと努めたのだった。同級生だったっけ,業務上でのお知り合いだったかも。パソコン通信のオフミ関係の方だっけ,趣味の関係かも等と自分の狭い世界をそれぞれ思い浮かべてみるのだが,結局名前が出てこなかった。
 夜はアルコールを身体に取り込む業務。酔っぱらって帰宅後,今日は何があったっけと振り返ったら,名前を覚えていないことを覚えていたというわけである。
 自分の顔も覚えやすい顔ではない。街でボクに声をかけられた人が,あいつの名前はなんだったけと思う人も多いことだろう等と思いつつ,記憶力の低下を嘆いているのだった。

2010年9月3日(金)暗鬱なシングルトーンの
 なんとか無事にここまで辿り着くことができた。峠近くの展望台。公私の業務をとりあえずつつがなくクリアできたのではないかと思われる。夏の疲れで入院していらっしゃった方も退院されていて,よろしおましたなあ等と話したりもできた一日だった。人に柔らかい人は暑さに弱いのかしらん等とも思ったり。
 そんなわけで,峠の茶屋で流しソーメンを食べさせてもらうというか,ロングピースを一服している気分である。「たばこしんさいな」。当分は流れに身を任せておいても,離岸流などで溺れることはないのではないかと思われるのだった。
 惜しむには猛暑すぎる夏だが,とりあえず『サマータイム』ばかり集めたピアノトリオを流してたばこである。ゆっくりしたテンポのブルース・フィーリングの『サマータイム』がしみる。ちょっとだけ余裕が感じられた夜である。
 元に戻らないのは,竜宮城でついた余計なお腹周りの肉である。これを元に戻すのは難しそうだ。峠はまだ先なのだろうか。

2010年9月2日(木)坂のある街に暮らせば
 夜だというのに町内会長さん達がわが家の周辺をお歩きである。道路脇を懐中電灯で照らしながら。どうされましたの?
 お聞きすると,ご近所の側溝の問題のようだ。坂道に面した両方のおうちの側溝は,道路から1メートルほど下がったところがある。ボクが朝夕必ず歩く道路だ。子どもが落ちたり,酔っぱらった人が落ちたり,車が脱輪する可能性があるというご相談があったらしい。お仕事でお疲れだろうに,ごくろうさま。
 側溝を上げるようにというご要望である。とはいえ,側溝を上げたり大きな空洞を作ることになるとコストがかかりそう。安くあげようと思えば,ガードレールを取り付けるという方法もあるのではないでしょうかねえ。と思うのだが,ご相談者はそんなことでは済ませてくれないのだろうか。
 基本的にボクは酔っぱらって歩くことのない道路だ。慣れているから,道の端っこを歩くこともないけれど,よく見れば確かに危険区域にも思える。私設街角チェック隊の今後の活躍に期待したいものである。そうはいっても,会長さんをあまりいじめないようにね。どうすればいいかお悩みでしたぜ。

2010年9月1日(水)長月の夜にやってきて
 人生は9月からはじまった。下り坂や平地もあったような気がするけれど,この歳の9月の初日はなかなか急な坂道が用意してある。とはいえ,あと少しがんばれば勾配が緩やかになりそうだ。
 ということで,今日は夜の買い物である。明日のために大量の小麦粉などを。キャベツは売り切れだった。もう1軒スーパーをはしごである。1玉200円もした。高い割に,この時期のキャベツは柔らかさに欠けるね。
 こんな遅くに夕食を食べていては身体の線が崩れそう。せめて就寝時間だけでも遅くしようと思っているけれど,明日は大丈夫だろうか。
 そんなわけで,提出したCDにファイルが書き込まれていなかったという方に頼まれたファイルをCDに焼き付けたり,エアサプライが聴きたいという方のためにCDを編集しているうちに日付が変わったのだった。

2010年8月31日(火)指先に集中をして
 勤務時間後もたまった業務をサクサクと処理。ちょっと調べ物。調べ物をするため立ち寄った部屋に,印刷物を15種類ほど並べて製本作業をしていらっしゃる方がいらっしゃった。ごくろうさま。こちらの方も残業がお好きらしい。しかも人知れず。ご遠慮されるのだが,自分の仕事だけを済ませそのまま知らんぷりで退室するわけにはいかない。
 「ボクが一式集めるから,ホッチキスで綴じなさいよ。」
 と言ったのはいいけれど,A4の紙をいちまい一枚めくるには指の脂が不足しているらしい。めくれない。指をなめるのも見苦しい。こんな業務の際はいつも指サックのお世話になるところだ。とはいえ,わざわざ取りに行くのもなんだかなあと思いつつ,紙をずらして紙の端っこをつまみ上げる作戦で切り抜けた。
 便利なグッズがあればもっと早く仕事を片付けることができたはずだ。仕事は道具のもんでもある。メモリが6GBのPCのようなものだろう。しらんけど。
 ちょっと脂汗のでた夏の夕方だった。

2010年8月30日(月)夏の終わりの稲妻を
  ここのところ竜宮城生活だった。牡蠣やホタテやサザエの舞いや鳥取牛や大山地鶏の踊りに酔いしれていた。もちろんその間にも時間は進んでいたのである。気がつけば,締め切り直前の業務が貯まっている。白髪も増えたことだろう。
 とりあえず,先週の外部のみなさんとの会議のまとめを作成し,全員に添付ファイルをお送りしてひとつめの業務は完了。とはいえ,ご要望をあれこれとおっしゃる。追加フレーズをたくさん盛り込み,これでどうやねんと気合いをいれてみた。不本意であるが。シンプル・イズ・ブレッド&ベターなんじゃないのかな。
 夕方には雷雨である。帰りにお会いしたご近所の方も,「もっと降ってもらってもいいわよねえ。」とおっしゃる。いやほんま。今日は,蚊に刺されながらの水やりも免除だ。珍しく天はわれに味方してくれたのだった。
 そんなわけで,勝手に自分でいち日延ばした締め切りの業務を急いで片付けている。竜宮城には長居をしてはいけないのである。

2010年8月29日(日)竹馬に乗りながら
 「いい外交官ですねえ。」などとおっしゃる方もあったりする。もちろん本物の外交官ではない。比喩である。そんな外交官につきあっていたこともあって,ほぼ終日,自分の好きなように使える時間がなかった。そんなわけで,すべての業務がストップ中。明日から業務が立て込んでいる。
 ラーメンズのコントに,竹馬に乗った「怪傑ギリジン」シリーズがある。「ギリギリギリギリジンジン なんでもぎりぎりで解決するぜ ギリギリジンジンジン」という,片桐さんの不条理な歌が楽しいコント。言語能力の高いおふたりではないかと思われる。
 明日からは,業務上も非業務上も締め切りだらけ。そんなわけで,ギリジン生活に突入である。竹馬には乗らないけれど,ギリジンの歌をつぶやいているかも知れない。変な歌を歌っていても放っておいていただきたい。

2010年8月28日(土)活発に活動をする
 そろそろ岩牡蠣のシーズンが終わる。とりあえず今年の夏をしまうため,昨日と今日は,ビールの後にまず岩牡蠣を食べさせてもらった。ヒモの歯ごたえや貝柱の食感を楽しみつつ,コクのあるミルクが口に広がる。冬場に食べる真牡蠣もよいが,この時期に生で食べさせてもらえるのは,日本海側に生まれたよさであろう。
 お店の方によると,お盆を過ぎれば産卵期だとか。身が小さくなり,ミルクも味が落ちるようだ。冬の牡蠣は活動が鈍くなり不純物?がたまることもあるらしいが,夏は活動が活発である。からだはきれいなのだ。「売り場に並べとっても1週間くらいは生きとるし,あたることはめったにあらせんけえ。」とおっしゃる。
 そんなわけで,天然ものをライムと醤油で食べ,わが家の夏は終わりということにした。
 あまり動かないわが身である。活動的な夏なのに不純物がたまっているかも知れないな,と思ったりもしたのだった。

2010年8月27日(金)感情は変換されて
 ここのところ熱心にジャズを聴いている。どれくらいかというと,『クル・セ・ママ』や『ゴースト』や『ゴールデン・サークル』を立て続けに結構なボリュームで聴くほどの熱心さである。
 『クル・セ・ママ』の最初はどこに旋律があるのだろうかという作品だ。再び聴く日が来るとは思わなかった。リラックスできる演奏とはとても思えない。それでもコルトレーンさんはなにか伝えたかったのだろうと思いながら今日も聴いてみている。終盤には穏やかなメロディも登場するのだった。アルバート・アイラーさんやオーネット・コールマンさんを聴いたのも久しぶりだ。
 いずれも,これからジャズを聴こうとする人にはあまりご紹介しない方がよいのではないかと思われる,アヴァンギャルドな作品である。発表された当時は,すぐには評価されなかった方々ではなかろうか。塚本さんとか,穂村さんのようなものだろうか。
 そんなアヴァンギャルドだった作品を流してもそれほど苦痛ではなくなっていた。平安は嵐のあとにこそやって来るのだろう。そんなことがわかるようになった。その時代に追いつけたのかも知れない。『クル・セ・ママ』や『ゴールデン・サークル』は45年前の作品である。この歳になって,やっと1965年がわかるようになってきたのだった。

2010年8月26日(木)丸められたる模造紙を
 この辺りの小中学校は今日から学校が再開されるらしい。丸めた模造紙を持ったり持たなかったりの登校風景である。締め切りは守るようにね。って,大人の世界の締め切りも何段階かあったりする。大人の対応の先生方もいらっしゃって,しばらくの猶予をあげるのだろう。まっ,今度の週末が勝負という児童もいるのかも知れない。なかには,学校に行きたくないよーと絶叫している子どももいたことだろう。自分の経験からだが。おじさんは脳天気に昨日の夜を過ごしていたけれど,あちらこちらで悲壮感が漂っていた夜だったらしい。
 さて,おじさんは久しぶりの夜もお仕事。入れ替わったり立ち替わったりで,10人以上の話を聴かなくてはいけない集まりである。聴く人は大変なことだろう。と,同情する側だったのである。
 今日の残り時間が2時間も残っていないころに帰宅。ご褒美は発泡酒と食後の二十世紀梨。わがやに梨をくださる方があった。パラフィンの袋入り。ありがとうございます。今シーズン最初の二十世紀。3Lほどでもなく,まだ緑のつよい個体だったが,大変あまい一品だった。長雨などで玉太りは期待できないらしい。とはいえ,日照時間が長かった分,甘さは期待できそうだ。
 暑かったけれど,耐えていれば時々よいこともあるらしい。

2010年8月25日(水)落ち花の掃かれておりぬ
 百日紅が歩道にのびていて,桃色の花が毎朝大量に落ちているおうちがある。庭の草木や土の上に落ちている時には感じなかったけれど,歩道に落ちた花は,まだまだきれいなピンク色でかわいい。こんなにきれいなのにもう枝から離れてしまうのかと気の毒である。
 とはいえ,落ちてしまった花だ。くだんのおうちは,毎朝,歩道の百日紅を媼が掃いていらっしゃるのだった。腰をまげて。今朝は,そのおうちの駐車場にエッフェル塔のような脚立を乗せた軽トラが停まっていた。それっきり忘れていたのだが,帰りに通りかかったら,百日紅の花はすべて刈り取られ,つるんとした木の肌と形よく手入れされた緑があるだけだった。朝の軽トラは,人材センターの方か植木屋さんだったのだろう。
 百日紅の花というのは,盛りが過ぎたら切り落とすものなのか。わが家はほったらかしだった。百日紅を探しながら歩いてみた。花の色の薄くなった家も白が盛りの家も,花を刈り取ってある家はない。どうでもよいが,キンモクセイのあるおうちには百日紅の咲いていることが多いようにも感じられた。
 媼の朝の掃除がしんどくなられたのだろうか。楽しもうと植えられた花がストレスになるのでは切ないことである。自分たちだけでなく,道行く人にも楽しんでもらおうと思われたのだと思うけれど,歩道の側にはあまり植えない方がよいらしい。

2010年8月24日(火)僕のリズムを聞いとくれ
 オンラインショップのお勧め商品に,カルロス・サンタナさんとエリック・クラプトンさんの新譜があった。どちらも9月下旬に新作が発売されるらしい。
 サンタナさんの新作は,ギター天国。『胸いっぱいの愛を』とか『サンシャイン・ラブ』とか,『スモーク・オン・ザ・ウォーター』とか『バック・イン・ブラック』等,ロックの有名どころが並んでいる。加えて,ビートルズやドアーズの曲もある。ヨーヨー・マさんが参加された曲も。ラテン系が入ったり,泣きのフレージングが入るのだろうか。待ち遠しいぜ。
 クラプトンさんの新作には,『ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン』や『枯葉』がある。ブルースだけはなく,ジャジーなギターも楽しめそうだ。
 もうそれほど稼がなくてもよさそうな方達である。なにか新しいモノを作り出そうというのではなく,還暦を過ぎたおふたりが同世代のみなさんの喜ぶアルバムで楽しんでもらおうというような趣向だろうか,肩の力を抜いて。
 とりあえず,この1ヶ月間は楽しくすごせそうだ。手に入れるまでが愉悦なのである。

2010年8月23日(月)それをわたしも持っていた
 雨が降りそうな雲行きである。遠雷も聞こえる。勤務時間が終わるころ,駐車場の車を取りに行くことにした。途中,からくり時計が回っていた。金太郎や花咲かじいさん等のメロディが聞こえる。その下で,2歳くらいの男の子がぴょんぴょん跳びはねているのだった。お母さんと一緒に来ているらしい。おじさんは一瞥してその横の通りを過ぎゆくだけである。ここのところ,さっぱりいいことがないなあ等と考えながら。雨でも降ってくれると水やりがちょっと助かるのだが。
 ちょうどからくり時計が動いている時に通りかかったことが何度かある。けれど,いちども椅子や階段に座ってその動きを眺めたことがない。ぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶくらい面白いのに。
 そんなわけで,かつて子どもであったことを覚えている大人は少ないというフレーズや樹村さんの『こうふくな話』を思い出した。サンテックスさんの本や樹村さんの本をペラペラめくっているのだった。
 結局,雨は降らなかった。天気も味方してくれない。

2010年8月22日(日)座り心地はこちらの方が
 PCの前に置いている椅子のシート部分がへたってきた。座り心地が悪い。ただでさえ姿勢が悪いのに,いちだんと座っている時の身体が曲がっているような気がする。あちこちの骨がずれて肩凝りや腰痛につながるのではないか。というような理由をつけて,椅子の物色に行った。というか,2度目の家具屋さん訪問。1回だけでは決めることができなかった。優柔不断が取り柄なのである。お店の方も,椅子選びには何回か来店される方が多いですねえとおっしゃる。そっかー。普通に近い男らしい。
 バーゲン品もある。定価の半額近く。おいしい価格である。が,へたりの来るのが早くて,後悔が早いかも。我慢した。
 定価販売のコーナーであれこれ座ってみる。良い値段の椅子は座り心地がぐっど。あぁいい仕事が出来そうだ。と思うが,お金が足りない。結局,そこそこの椅子にした。そういえば,車とかオーディオ等でも,上級レベルの車種や機種を選ぶことのできないのを思い出した。結局,いつも貧しいモノ選びなのである。
 そんなわけで,これからもいい仕事は期待できそうにないのだった。

2010年8月21日(土)心配事はカバンに入れて
 『ゴールデン・スランバー』以来,久しぶりに伊坂さんの本を読んだ。『バイバイ,ブラックバード』である。ここのところ伊坂ファンが期待しているような作品が少ないというようなコメントが目についていたのだが,こんなタイトルの作品を出されるとスルーできない。
 元々は1920年代に流行した曲らしい。ポピュラーにしたのがマイルスさん。『ラウンド・ミッドナイト』のB面である。A面はタイトル曲だったから,学生時代に両面ともよく聴いたアルバムだ。
 だれも分かってくれないし愛してもくれない。歌を口ずさみながらボクを待ってくれる人のところへ行くよ。バイバイ,ブラックバードというよう内容だ。1920年代のことである。ただの男女のことだけでなく,白人と黒人の関係もあるのだろうか。今もそこここにブラックバードはいるのかも知れない。ちなみに,ビートルズの『ブラックバード』は,夜の闇に差し込む光に向かって飛び立ちなと励ます1曲。
 マイルスさん以外では,ヘレン・メリルさんやコルトレーンさんやキース・ジャレットさんやアルバート・アイラーさんが思い浮かぶ。キースさんのジャケットは印象的だ。アイラーさんは,若々しい声の自己紹介のあとに,フェードインでゲゲゲの鬼太郎が吹くような不安定な音が登場してきて驚く。そのあとの『サマータイム』の方にもっと驚いたけれど。
 ということで,それぞれの『Bye Bye Black Bird』を聴きながら読了。伊坂さんらしいあぶない楽しいお話だった。ブラックバードはなんだろうと考えたり。『グッド・バイ』を読んでおけば,もっと楽しめそうだ。

2010年8月20日(金)クーラーの効きたる場所で
 GSで満タンにしたあと,カー・ショップでオイル交換をしてもらった。
 「SLのいちばん安いやつで。」「エレメントはどうされますか?」「あっ,お願いしますわ。」「オイル会員期限が切れていますので更新料も含め全部で4780円いただきます。」まっ,ほぼ1年ぶりだから仕方がないね。
 GSでもオイル交換でも,担当されたみなさんはめざとい。来月車検ですねえとおっしゃる。プロはいつでも車検のシールを見る習慣がついているのだろう。GSでは,8万でどうよと尋ねてみた。「小型車料金ですよ,それは。」とあきれられ,カー・ショップでは10万で出来ますかと聞いてみた。快諾はもらえなかった。
 「何年目の車ですか?」
 よくぞ聞いてくださいました。13年前の登録ですねん。新車を買えば25万円安くなるらしい。利用させてもらいたいと思うのだが,生憎ノートラブルで来た車だ。現在もすこぶる調子がよい。まだ105788kmしか走っていない。とはいえ年数が経ちすぎで,下取り価格はつかないだろう。25万円だけではちょっと不足。
 そんなわけでまだ別れる時期ではないと思うのだ。まっ,目移りするような車がないということもあるのだけれど。税金は結構納めているのにな。

2010年8月19日(木)陰を慕いて晴れの日に
 暑い。
 駐車場から職場まで5分ほど歩く。重いカバンをぶら下げて。行きも帰りも汗ばむのである。そのうち,せめて日陰を通って通勤しようと思うようになった。最短距離と思われる通常の通勤コースではなく,陰の多そうな通りを曲がり角でチェックしながら歩くのである。したがって,朝と帰りの歩くコースが大幅に違う。
 高いビルのない民家が中心の地域だ。ブロック塀などがあると大変ありがたい。広い駐車場をお持ちだったり,路地から奥まったところに邸宅を建てていらっしゃるおうちはなんの役にも立たないのである。何回かの微調整の結果,朝は85%,夕方は95%以上の割合で,日陰を歩けるようになった。遮光率平均9割。
 おかげで,枝の先端に固まって咲いているみごとな百日紅や,歩道の半分くらいまで伸び散らかっているランタナなどを楽しませてもらうことができた。おぉ,こんなところに吾亦紅も。特に百日紅は,ちょっと見たことがないくらいの色の濃さとボリュームである。ひと枝いただきたいくらい。
 とはいえ,花盗人は本物の日陰者だ。似非日陰者を目指しているのである。太陽は,コートを脱がせるだけでなく,日陰者も育てているのだった。

2010年8月18日(水)レプリカの並ぶ通りで
 福部の方と,福部の「再生」について世間話というか与太話。わがとなり村である。砂丘とラッキョウと海水浴場等が主な収入源。
 「とりあえずラクダの撮影料をなんとかならん?」と軽くお願いしてみた。
 「.....。」
 まっ,いいや。さて,福部のルネサンスである。
 砂丘の福部側では「砂像」の展示が恒例化している。毎年,多くの砂像が制作される。しかし,そこはそれ「砂」である。どんなに固めてもやがて風化していく。写真には作品の記録はできるが,立体としての記録がない。水木しげるロードのように,それぞれの作品の小さなレプリカを制作し,「福部砂像ロード」を作ってはどうだろう。砂丘とかオアシス広場とかラッキョウ畑の近くに。
 レプリカ制作費は,それぞれ寄付金を募って。レプリカの下に寄付をしてくれた企業や個人の氏名を記載してあげるのだ。10月のラッキョウの花はぞれだけでも見る価値はあると思うけれど,観光客のお楽しみが増えるのではないか。
 お金をはらってネズミさんを招き地域住民に喜んでもらうのもいいかも知れないが,砂丘のリピーター増加や滞在時間を長くする工夫を考えられてはどうだろう。

2010年8月17日(火)選ばされたることのありけり
 訃報の多い一日だった。それなりの年齢の方はさておき,ボクから見ればまだ若いと思われる方のご逝去のお知らせに驚いた。
 亡くなられた方と,その人がかつておつきあいされていた人も知っているのである。クールで賢い人だった。同年代で席が近いこともあってか,ちょっと相談があるんですと言われ,結婚間近のおふたりに発生していた問題をお聞きしたことがある。若い単純な男にはシンプルなことなのだが,村社会に暮らす世間の大人には簡単なことではなかったらしい。ふたりだけで解決することができなかったのだろう。結局,婚約は解消されたのだった。ボクは何の役にも立たなかった。
 その相手の方とひょんなことで出会った。相談時に,住んでいる場所と名前を聞いていたからすぐにわかったのである。その人も,別れた相手と同じ職場にいたボクのことはご存じだったらしい。そのことについての話をすることはなかったけれど,お会いするたびにとてもフレンドリーに接してくださった。趣味もいくつか共通することがあって,そのうち音楽でも聴きながらいい話し相手になってくださるのではないかと思っていたのである。
 あの時あっちを選んでいればどうなっただろうと考えることは時々ある。人生は選択の連続だ。それぞれ幸せな家庭をお作りになったのだが,今の時代ならあのふたりはどうなっていただろう,等とも思うのだった。

2010年8月16日(月)嫁殺し作業の桶は
 飲んで食べての盆休みの間に,身体のキレが一段と悪くなった。今朝は朝飯前にふた仕事に取り組み負荷をかけてみた。早朝からよく働いたのである。が,その後の三食でさらに悪くなったような気もする。形状記憶ができず,徐々に型くずれするYシャツのごとく。
 朝飯前だけでなく,晩ご飯前に傘踊りを3時間ほどやれば,以前の体型に戻ることができるだろうか。こんな暑い夏のお祭りは大変なことだろう。おつかれさま。
 さて,畑の水やりはどうか。日没ころに稲妻が光り,空にも怪しい雲がでていたけれど,雨は降りそうに思えない。夏野菜はさておき,さつまいもの収穫時期はまだ1か月ほど先である。夕食前の仕事は,水運びとたっぷりの水やりである。お嫁さんを殺すわけにはいかないし。
 さつまいもや山芋が豊かな体型になりますように。

2010年8月15日(日)畑から眺めておりぬ
 夜のドラマがはじまったころ,花火の音が聞こえてきた。納涼花火大会である。ドラマ終了後,畑の水やりをしながら花火鑑賞会。風がさわやか。オレンジがかった三日月もきれい。東京からの最終便も飛んでいる。飛行機から花火を見た人もいることだろう。上から見ても球形の花火は同じような景色のような気もするが,飛行機から見た花火の方が贅沢のようにも思える。まっ,外の見える窓際に座らなければいけないけれど。8月15日は東京からの最終便で帰って来るというのも面白そうだ。
 今日の花火に次いで,明日が傘踊り。昔の日にちに戻されたらしい。とはいえ,Uターンラッシュのニュースもある。すでに日常の生活の場にお帰りの方も多いことだろう。月曜日に祭りというのもどうなのか。明日の祭りの人出やいかに。
 そういえば,「砂丘のラクダを撮影するのにお金を取られるの?」というご質問があった。たしかにそんな看板があるね。ボクは実際にお金を請求されたことはないけれど,本気でお金を取るのだろうか。以前にも書いたけれど,砂丘の印象が悪くなると思うな。なんとかしてもらえないだろうか。まっ,砂丘を撮っていたらラクダが勝手にフレームに入ってきたことにするように話したけれど。
 そんなわけで,8月15日は比較的平和にすぎていったのだった。

2010年8月14日(土)緑の中の枯れ木立ち
 今年の棚経は2分。仕事のあとのビールが楽しみですわとおっしゃりながらお帰りになった。お世話様。
 その後,墓参りへ。海岸沿いの道路は混んでいることだろう。山道を利用した。同じようにお考えの方も多いらしい。山の道も車が多い。神戸やなにわナンバーまで。
 その山の道から見える広葉樹がすでに紅葉しているかのようだ。近づくと,紅というより,濃い茶色である。枯れているのだった。緑の中に茶色の固まりがあちこちに散見される。ナラ枯れだとか。山の木々にも,厳しい日照りだったのである。
 砂丘界隈にも枯れそうな松の木があったけれど,山はそれを上回る枯れ木の状態に見えた。稲も,暑さを防御するために皮を大きくして実が小さくなるおそれもあるのだとか。雨乞いの傘踊りをした昔の人の気持ちがちょっとわかる山の光景だった。

2010年8月13日(金)ラップの流れる炊事場で
 夕方から砂丘のキャンプ場でBBQ。すでに大量のテントが張り巡らされていて,タープやテーブルセットやコンロ2つをセッティングするスペース探しが大変である。テントサイトはほぼ満室状態なのだった。ひところのキャンプ熱も少しさめてきたのかと思っていたのだが,再びアウトドアをお楽しみの方が増えているらしい。
 結局,エリアの隅っこの方にセッティングさせてもらった。ご近所にはフィリピンの若者や岐阜のご家族も。高校野球勝利記念キャンプだろうか。
 そんな15人ほどのBBQのわが家の担当はコンロやテーブルの準備。キャンプ場から車で2分の場所という近さがその理由である。うちのは古いっすよと言うのに,焼ければなんでもいいらしい。おしゃれなキャンプ用品が多い中,時代物仕様のBBQグループだった。そんなわけで,ゴミの持ち帰りもわが家なのである。近いことはなにかと不便。
 とはいえ,いのししの肉を持ってきてくださる方や食後のケーキを提供してくださる方もおありだ。それに比べれば楽な係である。ごちそうさまでした。。

2010年8月12日(木)満たされし気持ちになれる
 そろそろお盆の休暇の時期だ。といいつつ,明日も勤務。
 さて,「お盆玉」は美しい日本の習慣になるのだろうか。近頃の子どもはお金がもらえることがいろいろあって羨ましいことである。とはいえ,なにもなかった時代の子どもでよかったような気もする。
 夏物バーゲン品を集めた「お盆袋」というのもあるのだろうか。やがて,お盆袋を求める長い行列というのも見ることができるのかも知れない。ところで,わが家の今年の棚経は何分だろう。封筒にはいくら準備しておこう。
 そんなお盆の時期に,「もみじ饅頭」や「ままかり」や「韓国海苔」などを頂戴した。さらに「桃」まで。ありがとうございます。
 「万惣」からやってきた桃である。なにか良いことがあってから食べようと思ったけれど,さっぱりない。とりあえず,悪いことがないので良し,ということで食べさせてもらった。
 濃厚で複雑な赤色をしばらく楽しみ,甘くて優しい果肉を味わわせてもらった。満ち足りた気分で一日を終われそうだ。

2010年8月11日(水)夜のゴーヤーは風に揺れ
 役員会を欠席の班長さんに,班内の敬老会員名簿等をお届けした。名簿に載ったことによって年齢がばれてしまったじゃないという方がいらっしゃったり,90歳到達の表彰のあるおばあさんは,89と90は気分的に全然違うとおしゃったり。90歳と,あまり言ってほしくないのだとか。
 49から50というのもなんだか大きかったような気もするが,それ以上に,89から90というのは大きな繰り上がりらしい。経験できるだろうか。
 80歳を過ぎたご近所のおばさんは,今年の猛暑に相当まいっていらっしゃる。雪かきもするし畑まで水を運ぶ。道路脇の草刈りもする元気な方なのである。それが,お年寄りにとっては,生きていくだけで大変な日照りの夏だとおっしゃる。呼吸するのがやっとのようだ。7月28日と30日に雨がちょっと降ったくらいで,先月16日から今日まで毎日がほとんど晴れとおっしゃる。さて,台風はどうなるのだろう。
 という,ご近所にお住まいの昔のお嬢さん方の話になってしまった。そういえば,自分ではなにもしないくせに,孫などに「してやりなさい」(オリジナルは,「したれーやー」である。念のため)という態度の夫の姿勢が腹立たしいという話題で盛り上がった,敬老会予備軍井戸端グループもあったらしい。
 雷が落ちる前に早めの対応をされた方がよい方も,ご近所にはいらっしゃるのである。って,他人事?

2010年8月10日(火)鶴亀の旗は舞台に
 業務上のデッドラインをとりあえずひとつ片づけた。猛暑記念ニコニコ夏季営業キャンペーンも本日無事終了。明日はちょっと休憩ができそうである。今日はのんびりしようと思っていたのだが,町内の役員会のある日だった。しかも開催時間は19時30分である。
 食事を取ってからお集まりくださいという配慮による開始時間だろうか。アルコールが入らないと食欲がわいてこないという人には,中途半端な時間なのではないか。って,思うのはボクだけ?
 協議するのは敬老会について。昭和11年より前にお生まれの方を小学校の体育館にご招待し,保育園児やコーラスグループ等の余興をお楽しみいただくらしい。
 プログラムには,「少年花笠踊り」や「番場の忠太郎」や「夜来香」や「蘇州夜曲」や「岸壁の母」という文字が並んでいる。ボクが招かれるようになってもそんな題目なのだろうか。それとも,「チロリン村とクルミの木」や「ブーフーウー」や「ひょっこりひょうたん島」や「ナショナルキッド」や「夜をぶっとばせ」や「サティスファクション」もやってもらえるのだろうか。楽しみなことである。
 とはいえ欠席される方も多いらしい。不参加者への記念品配布係等も決められたのだった。無事終了して帰宅。名簿を見ていたお局が,「あら,このおばあさんは亡くなられてるわよ。」とひとこと。大丈夫か?わが町内会。

2010年8月9日(月)見積もりの額聞きたれば
 パピルスの電源が入らなくなった。シャープの電子辞書。購入して4年ほどの製品である。電池のせいかと思い色々試したが,どうも本体に問題がありそうだ。見積額を確認されてからにされますかと受付のお嬢さんがおっしゃったけれど,技術料5000円に少し色がつくくらいだろう。とりあえず直してもらう前提で預けたのだった。
 そのパピルスが直ったという連絡をもらった。ビックリ。総額が14070円なのである。事前に見積額として聞いていれば,修理を依頼するか微妙な金額である。というか,やがてスマートフォンなどに切り替えることを考えると,「じゃあ修理は結構です」という選択肢もあったかも知れない。昔ならさておき,それほどしょっちゅう使うわけでもない電子辞書の修理に14070円は痛い。
 明細を見ると,キバンユニットが8715円だった。その他,ホジョザイリョウヒや技術料で5355円。修理完了報告書には,「末筆ではございますが,○○様の益々のご健勝をお祈り申し上げます。」と書かれている。ボクの健勝を祈ってくださるより,パピルスの健勝を祈っていただきたいものである。

2010年8月8日(日)カロリーも糖質もない
 庭の栗の木がピーンチ。イガグリはまだゴルフボール以下なのに,黄色い葉っぱが目につくようになった。害虫でもくっついているのか。他の雑木との密集地域のため,風通しや日当たりもよくないのかも知れない。日照りの中の水やりのうち,栗の木界隈のやり方がゆるかったような気もする。そういえば,葉っぱに水をかけることもしていなかった。葉っぱから水を与えると害虫が落ちることもあると聞いたことがある。今日は,木の上の方からたっぷりと水をかけてやった。
 そんな作業のあとは発泡酒で当方の身体にも水分を補給してやりたいところだ。が,本日は夜間送迎ドライバー。夜の街へお届けしたあと,ノンアルコール・ビールを物色してみた。アルコールが入ると,お帰りの際のお迎えができないのである。どこかのガラスを割っても困るし。つらい。まっ,ボクもお世話になるし。ギブ・アンド・テイクというか,ギミー・シェルターというか。
 お酒売り場では,それほどの市場になるとも思えないノンアルコール・ビールの種類が増えていた。カロリーも糖質もアルコールもゼロの飲み物が売りになる時代になったのだろうか。
 どれどれ。3種類買ってみた。スーパーの売り場に置かれていた缶はあまり冷えていなかったようだ。泡だけは豊か。それだけ。ぬるいノンアルコール・ビールは飲んではいけないということがよくわかった。って,ノン・アルコールに限らないけれど。
 ボクが枯れそうな時は,たっぷりではなくてもよいからプレミアム・モルツを少し与えてもらえるとうれしい。

2010年8月7日(土)火を点ける係であれば
 18時30分から町内の納涼盆踊り大会である。聞けば,東京からネズミさん達がいらっしゃっているのだとか。同じような時間に市内メインストリートでパレードである。そのため,町内会の中には納涼祭の日程をずらされたところもあるらしい。ネズミなんか怖くないチャレンジングなわが町内会である。どんなもんだい。
 そんな納涼祭の花火係だった。基本的に,花火は線香花火を見ているだけで十分である。とはいえ,町内の役員の業務。20時40分からが業務スタートなのに花火係の集合時間は18時である。つ,つらい。
 杭をうち,その杭に花火をガムテープでくくりつける。あとは時間がきたらチャッカマンで火をつけるだけ。その間,いたずらっオヤジが火を点けたりしないよう見張り番である。
 1つ1000円程度の花火が100発あった。火付け係は花火を見るどころではない。子ども達は喜んでいたけれど,ちょっとしょぼいというご意見もあった。
 量より質の花火にした方がいいんじゃないかな。

2010年8月6日(金)土砂降りのごとく鳴きたる
 今年は黙祷を覚えていた。ひとりの部屋でしずかに目を閉じた。平安が続きますように。
 それにしても日照りである。暑い宮崎だって雨が降っていたのに。ということで,宮崎で耳に入ってきた小ネタ集。
 宮崎の民放テレビは2つしかないらしい。テレビ宮崎 (UMK) と宮崎放送 (MRT)。地上波のチャンネルはNHKの2つを入れて,1・2・3・6だけだった。民放が2局しかない県は山梨県や福井県だとか。民放は見ない方を「裏」と呼ぶとか,仲間内で「表」と「裏」に分類しているというような話も聞いた。「きのうの表のバラエティは面白かったねー。」「きのう9時から裏みたー?」等と使うのだろう。
 リアルタイムで放送を見るケースが少ないらしく,「月9」は土曜日に放送されるそうな。いなばも昔似たような状況だった。今でも「テレ朝」系は地上波ではカバーできていないけれど。そんなわけで,宮崎のみなさんはケーブルテレビに加入されている方が多いらしい。数値的な裏付けは不明だが。それにしても,表でも裏でもないNHKはなんとよばれているだろう。聴くのを忘れた。
 現在食べることのできる宮崎牛肉は,口蹄疫問題発生以前のストックである。そろそろ底をつきそうだとオープンキッチンのお嬢さんがおっしゃっていた。まっ,全国のブランド牛の多くは,いなばの隣の但馬で育てられた子牛がセリにかけられ全国へ散っていくケースも多い。どこの産でもおいしい部位はおいしいのである。スジとかバラとか。
 朝は蝉の鳴き声がうるさい。やかましい。すこし静かにしてもらえないだろうか。ワーシワシワシワシワシワシワシワーシ。クマゼミだ。街路樹で自己主張をしている。意外に姿を探すのは大変だった。顔やスタイルより声に自信があるのだろう。
 街路樹といえば,センターラインにフェニックが等間隔で植えられている。市内中心部はもちろん,郊外の幹線道路にもフェニックスが延々々々々々と続いている。これが桜の木だったら日本でいちばん長い桜並木になったことだろう。残念である。

2010年8月5日(木)真夏日に猛スピードで
 「お客さーん,忘れ物ですよー。」
 お店のお嬢さんが追いかけて百均の扇子を届けてくださった。お昼は近場でざるうどんだったのである。「週刊ポスト」を読みながら。すでにお店から100メートルほど歩いてしまっていた。走って追いかけてこられたのだった。久しぶりの全力疾走だったのではないか。もうしわけないことである。余計な汗をおかきになったことだろう。ありがとうございました。
 読み終えた週刊誌を本棚に返すことに気を取られ,テーブルの隅に置いていた扇子を忘れたのだった。復権を果たしつつある官僚のみなさんはいいなぁと,週刊誌を読みながら思っていたのが後を引いたのかも知れない。集中力の欠如というか,記憶力はオーバーザレインボウというか,忘却とは君の名はである。
 扇子には,「うぁっ さむっ」と涼しげなひらがなが書いてある。お嬢さんが開いてみるような時間はなかったと思うけれど..。

2010年8月4日(水)定めしことはいささかも
 地頭鶏も宮崎牛もマンゴーも食べた。同行のみなさんが満足らしい。おまけに,麦も芋も楽しませてもらった。しっかりと宮崎を支援できたのではないか。
 ホテルも5日ころまで久しぶりの満室だとか。フロントのみなさんもバタバタである。お客さんから苦情もあるように見える。みなさんいい人なのに,客が多すぎるのである。がんばれ,研修生。大概のお店が,昼も夜もにぎわっていて,とても忙しそうだった。
 そんな中,会場のすぐそばだというのに,月曜は定休日というステーキハウスがあった。たくさんの人が集まる機会であるが,通常のお休みの方を優先されるらしい。商売っ気のないことである。
 事前に,この数日間はいつも通りの営業にするか特別営業にするかお考えの結果だったのだろうか。それとも,そんな会合の波及効果を想像されなかったのか。ペースは変えない主義かも知れない。県外者にはもったいないように思えたのだった。
 まっ,普段から儲かっているお店なのかもしれないけれど。

2010年8月3日(火)食べ終えた容器の底に
 マンゴーを食べたいという方がいらっしゃる。ネットで下調べをされていたようで,果物屋さんのマンゴー・パフェが今回のおまけのひとつらしい。お店の地図もある。熱意に敬意を表し,おつきあいをさせてもらった。
 マンゴーはもちろん高い。果物屋さんでは2個で15000円だったりする。ボリュームたっぷりのマンゴーのパフェは1580円。「ヒレは親指大で500円,マンゴーはその半分の値段だねえ」等と笑う。普段なら手を出さないところだが,異県人は暑さのせいで正常な判断ができないのである。
 マンゴー入りかき氷を食べさせてもらった。900円。ボクが食べる前に同行のみなさんがスプーンを出される。大変好評。
 スーパーには398円のマンゴーも売られていたけれど。

2010年8月2日(月)クマゼミはワシワシワシと
 宮崎県庁のみなさんは,とてもフレンドリーかつ親切である。先に挨拶もしてくださるし,カメラを持っていれば積極的に声をかけ,シャッター切ってくださる。入り口に,知事の等身大人形がおかれていたりするのである。
 県庁は,有名観光スポットなのだった。知事室というプレートは外されているようだったが,2階のその部屋の前まで自由に上がることができる。そこへたどり着くまでの階段の手すりは,4億年ほど前の化石入り大理石製だ。やるなぁ,宮崎県。
 水木ロードといい宮崎県庁といい,そんなことでお客さんを集めることができるのかというレベルのような気もするが,いなばも何かそんな工夫をされてはどうだろう。
 さて,いなばの「そんなこと」ってどんなことなのだろう。

2010年8月1日(日)変換作業はもう終えた
 暑中お見舞い申し上げます。
 そんなわけで,今夜は九州にいる予感。
 列車の中にミューズが降臨することを期待して,MUSEのアルバムもデジタル・オーディオ・プレーヤーに入れることにした。そういえば,フジ・ロックでのMUSEはどうだったのだろう。夏は,みなさんそれぞれお楽しみがおありのことだろう。
 乗り継ぎのための長い待ち合わせ時間もあって,到着まで約10時間もかかるのだとか。デジタル・オーディオ・プレーヤーの連続再生時間は大丈夫だろうか。ちょっと心配。
 ということで,当分掲示板生活の予定ですの。

2010年7月31日(土)ギターレンジのベースは軽く
 アマゾンご紹介のブライアン・ブロンバーグさんの新譜が到着。全編ジミ・ヘンドリックスさんのカバーである。相手は,ヴィニー・カリウタさんだけ。中島みゆきさんやジェフ・ベックさん等とも共演されているドラマーである。ちょっと期待したのである。
 が,最初に出てきた音は,えっ,これベース・ギター?普通のギターじゃないの?という高音。なかには,アコギかと思うようなフレーズもある。
 テナー・ベースやピッコロ・ベースもお使いなのだそうだ。ピッコロ・ベースは通常のベースより1オクターブ音程が高いらしい。何種類ものベースを使って曲を仕上げていこうという試みのようだ。通常のベースの枠を広げていこうとされているのだろう。ギタリスト不要である。すごいと言えばすごい。
 とはいえ,ギターパートは凄腕ギタリストに任せ,本来のベースでジミ・ヘンさんらしさをだしていただきたかったな。と思ったが,ピアノやビッグバンドはさておき,ジミ・ヘンさんをギターでカバーしよう等と考える真面目なギタリストはあまりいなさそうだ。ベースが本業だからできることなのかも知れない。
 結局,ご本人の『Valley of neptune』を引っ張り出すことになった。1969年の断片集である。あらためて,ジミ・ヘンさんの偉大さを思い知ったのだった。

2010年7月30日(金)追い越しもせずにトラックの
 「道草人生 航海中」と書かれた島根ナンバーの保冷トラックのうしろを,延々とついて走った。今週2度目の西部からの帰り。
 なにしろ,R9はほとんど一車線だ。時々,短い追い越し車線があるけれど,ボクを信頼して眠っている同乗者だけでなく,心配で眠れない人もいらっしゃる。「道草食わずにはよ走れや」と見つめているのであればよいが,「ほんまに人生道草やからゆっくり走りまひょ」と思っていらっしゃるかも知れない。そんな方に,過激な追い越しでご不安を与えてもお気の毒だ。あぁ,ボクの今日も道草ですわ等と考えつつ,丁寧に運転したのだった。
 途中,圧縮した段ボールの固まりを道路にこぼしたトラックとも遭遇。道路に段ボールの固まりが散乱している。おまわりさんが交通整理。後ろを走っていたらしいメルセデスが直撃を食らったのだろう,トラックの後ろに停まっている。
 島根のトラックやボクより,本日道草人生の方がいらっしゃるのだった。段ボールを積んだトラックの後を走ったことを後悔中だろう。おつかれさま。

2010年7月29日(木)今日は再びこぬけれど
 これほどタイミングのよいことは滅多にないだろうという雨の降り方である。昨日も今日も。勤務を終えて帰るころに降り,やがてやむ。水やりをどうしようかと考える前に降ってくれるのだ。おかげでトウガラシが生き返った。このあとの予報も降ったりやんだりらしい。「(都合の)よい天気ですねえ」とご近所のおばさんに会ったら言おうと思っていたのだが,雨のせいかお会いできなかった。残念な天気である。ん?
 女子的に瀬戸内よりは住みにくいらしい当地のわりに,他地域で起こるような災害がここのところ大変少ないような気がする。災害に見舞われたみなさまにはお気の毒なことであるが,道路や鉄道等の生活の不便さを自然が相殺してくれているのだろうか。
 砂地の孤丘にもよいことが時々あるらしい。たしかな明日はないけれど。

2010年7月28日(水)夕食は先に済ませて
 宮崎へ行く準備は大丈夫ですか?と心配して電話をくださる方があった。10年ほどのお付き合いで,早くから準備をする男ではないということがおわかりになっているのだろう。すいませんねえ。彼は8カ月前から駅前のホテルを押さえてくれている,仕事のできる人物なのである。
 とりあえずチケットは買えたんですけどね。ゴールデンタイムは混んでいるらしく,第一希望は無理でしたよ。到着は夜。夕食は先に済ませてくださいな。
 彼も,九州の特急券の確保が大変だったようだ。出発時間が早いんですよとおっしゃる。それにしても,当地がこんなに暑いんだから,宮崎はもっと大変なんだろうな。緯度だと3.5度も違う。宗谷と函館くらいである。って,どれくらいかよく分からないけれど。
 そんな宮崎で,口蹄疫の終息宣言がだされたらしい。いつまでも騒動が続き,このあとに控えている各種イベントが中止になれば経済損失は計り知れない。弱り目にたれ目とか,参議院選挙後の代表選挙のようなものである。ような気がする。
 そんなわけで,日向に喜捨するお金を貯める日々なのだった。

2010年7月27日(火)カクテルに徹することの
 来日されたせいもあってか,ビージー・アデールさんが売れているらしい。女性ピアニスト。72歳の日本デビュー・アルバムという売られ方をされているようだ。
 デビューというのは日本だけのことで,安価な輸入盤がたくさんある。ビートルズ集とか,シナトラ集とか,エルヴィス集とか,エリントン集とか。それらをつまみ食いして1枚に仕上げた日本盤が『マイ・ピアノ・ロマンス』というコンピ盤である。
 深く音楽に入り込むことなく,シングルモルトなどを飲みながらくつろいだ夜を過ごす際に最適なピアノではないかと思われる。カクテルでもよいけれど。レッド・ガーランドさんをエレガントにした雰囲気だ。新しい解釈や意表をつくアドリブを展開するというより,原曲を気持ちよく聴かせることの方を重視していらっしゃるのだろう。革新者ばかりでも疲れるし。
 とはいえ,作曲家をリスペクトすることが大切とか,これでいいと思ったら終わり。今いる場所が目的地ではなく,いつも「旅」をしていることが大事等というご意見はいいね。表現する際に,リスペクトは大切だと思うな。

2010年7月26日(月)仲間を続けてゆくために
 粛々と業務を遂行した。主に涼しい部屋へ移動して。暑さにも弱いのである。
 夕方,雷の音。辺りが暗くなって,いきなりの夕立である。傘踊りの練習をしているみなさんのおかげだろうか。いゃあ,ありがたい。と思ったら,すぐに止んだ。土に雨粒の跡を残すような降り方である。
 帰宅したころも雷がなっていたが,雨は期待しないほうがよさそうだ。結局,水やりが必要だった。ナスは葉っぱが焼けてすでにシーズンオフである。
 そういえば,117グループのみなさんに生存証明をしなくてはいけない月でもあった。脱退勧告まであと5日ほど。何か書かなくては。ということで,久しぶりにエンジンをかけてみた。一発でかかった。エンジンのかかりのよい車である。鳥取砂丘までドライブをした。たった2分で到着。今ごろが漁り火のピークではないかと思われる。夏の夜の日本海は美しい。
 とはいえ,「瀬戸内で育ったほうが女子的に絶対有利日本海より」などという佐藤真由美さんも思い浮かんだりもした。どういう意味やねん。わかるような気もするけれど。
 というような暑中見舞いを書いて,6ヶ月間の延長作業が無事終了である。

2010年7月25日(日)お知らせは机の上に
 4日ある夏休みのうち,とりあえず1日を使わせてもらった。3連休。定期購読の雑誌が週末に届いているだろうと思い,職場へ寄った。雑誌の他に「健康診断結果のお知らせ」も置いてあった。
 どれどれ。
 総合班判定は「差し支えなし」,メタボ判定は「非該当」だった。とはいえ,ここのところの目標であった,LDLコレステロール値(悪玉らしい。基準は119mg/d1以下だとか。)の大幅引き下げは成功しなかった。前回よりたった6ポイントマイナスである。クッソー。きっと,検診前の数日間の酒の飲み過ぎが主な原因だと思うことにした。思いこみもたまには必要である。
 「体操や有酸素運動(歩行など)を日常生活に取り入れましょう。」というありがたいご助言も添えてある。体操も鉄棒もトライアスロンも長風呂も苦手。大体,足をきちんと上げて歩くのも苦手なのである。すり足歩行派。有酸素運動をしない場合の助言もいただけるとうれしい。
 豚バラ肉やビールやスナック菓子の摂取をやめましょう,というような野暮なアドバイスはなしで。

2010年7月24日(土)この街に生まれていれば
 土曜と日曜くらいですよ人出があるのは。お店の方はそうおっしゃる。いやいや,たとえ土日だけでも,これだけの人出は立派なことだと思いますよ。同時間帯の若桜街道にどれほどの観光客がいらっしゃることか。商店街はすでに死んでいたんじゃないですか。さあさあ,ロードが出来たおかげですわ。
 ロードに設置されている各種ブロンズ像には,経済的支援をされた法人や個人の名前が記載されている。お寺や寺院がされるやり方と同じである。砂丘に頼っているように見える東部とはずいぶん違った街づくりだ。
 かつての和菓子屋さんは「妖怪食品研究所」になっていて,モードショップの文字が店頭に残るお店は「妖怪饅頭」を売っている。同じ饅頭は,元不動産屋さんの店頭でも売られていた。海産問屋さんは海産の他に小物やお菓子のおみやげを売り,油屋さんはかき氷,カニ直売店は夏の間おにぎりと水を売っていらっしゃる。上手に商売を切り替えられた方も多いようだ。
 とはいえ,ビクター系列と思われる電気店や陶器専門店はシャッターがおりたままだったり,相変わらずの精米一本のお店もある。
 ビッグウェイブに乗れた人ばかりでなく,商店街のそれぞれにご事情がおありだったことだろう。ボクがこの通りのお店に生まれていたら,どういう商売をしていただろう,等と思いながら街を歩いていたのだった。

2010年7月23日(金)口も目もなき肖像画
 日照りである。とうがらし系がことのほか弱っている。ここのところ毎日楽しませてもらっていた「かんぞう」も,つぼみの水分がいよいよ不足気味。雨乞いの踊りを早くやっていただきたいものである。
 狭いフロアでの展示だったが,ピカソさんがお描きの「ヘレナ・ルビンスタインの肖像」を何枚か見せてもらった。こんな肖像画を描いて大丈夫なのだろうかというデフォルメぶりだ。中には輪郭だけの肖像画もある。完成した作品を見せてもらった時のルビンスタインさんの反応はどうだったのだろう。
 「あら,かわいい。」とか,「まあ,そっくり」とか,「こんなに気をつかって描いてもらってありがとね。」などと感想を述べられたのだろうか。
 シンプルは美しい。ピカソさんの,表現に対するチャレンジングな姿勢が伝わってくるスケッチ群だ。精神の水分補給は当分大丈夫そうである。

2010年7月22日(木)匿名を望みし人の
 大学から募金芳名帳が送られてきていた。個人で1000万円を寄付されている方が3名。その次の700万円の方は匿名希望らしい。喜捨される方に幸がありますように。
 リーフレットの左肩から金額順に記載されている右下には,1000円以下の方の名前もある。777円というのはパチンコがご趣味の方だろうか。その次が583円,500円と,ひとりずつ続く。228円の次の100円におふたりのお名前があって,個人の部は終了である。
 寄付金付きオリジナル年賀状を買っても芳名帳に記載されているようだ。100円などのみなさんは,そんな寄付の仕方だったのかも知れない。1000万円の人と同じように名前が並ぶと思っていらっしゃったのだろうか。「年賀状協力者」コーナーは別にしてあげた方が良かったのではないか。
 とはいえ,ボクは1円だって寄付をしていないのである。静かにしているのが作法というものであろう。金額はどうあれ,喜捨されたみなさんに幸がありますように。

2010年7月21日(水)ランニング姿で庭の
 今夜も夜間業務。出発するころのご近所では,下着姿で植木に水をやっている人がいたり,煮魚の匂いが漂っていた。すでにビールをお飲みの方もいらっしゃることだろう。いいなあ。
 現地到着。
 残念なことに昨夜と同じ方のお話を聞かなくてはいけない。同じタイトルで。しかも,今日のボクの席は,正面後方。話される人も,同じ顔があればちょっとイヤなんじゃないかな。わずか50人ほどの集会なのである。お気の毒なことだ。なるべく下を向いていることにした。
 つつがなく終了。
 帰りの道路は夜間のため交通量が少ない。さらに信号まで味方してくれた。スタートして17分間,信号で止まることがなかったのである。おかげで予想していた帰宅時間よりちょっと早かった。10時が近くなると,夏の夜の空気も爽やか。快適な夜のドライブだった。
 空の月はおぼろ状態である。欠けている側はおぼろも少し欠けている感じ。そんな月の下でキュウリやトマトに水をやって本日の業務は終了したのだった。

2010年7月20日(火)交配で選抜をして
 業務開始が7時30分。とりあえず夜の。明日は,7時ちょうどからが業務開始時間。もちろん通常の業務もある。サービス残業のようなものだ。
 とはいえ,昨日完了しようと思っていたジャガイモの収穫が一部残っている。今週末はちょっと忙しい。最初の勤務時間終了後に,畑で収穫を済ませてから,会場へ向かったのだった。
 昨日の生け垣の散髪のあと,一気にジャガイモも収穫しようと思っていたのだが,バテバテ。水分をたっぷり補給しないと,体温を37度以内にキープできそうになかったのである。いわんや,80代のみなさんをや。まったくもって,こんな暑さの中の作業は「無理されんがええですでー。」なのである。
 今期のジャガイモは,ノーザンルビーとシャドークィーンが中心だ。昔のアンデスのみなさんは芽欠きなんてしなかったんじゃないの,と思いつつの放置栽培。かわいい大きさだが,中にはひと株で10個ほど収穫できるものもあった。ジャガイモを食べたいんじゃが今。ということで,外も中もピンクのノーザンルビーを茹で,自家製バジルソースをかけて食べさせてもらった。美味。

2010年7月19日(月)アシストの自転車に乗り
 今日も朝からひと汗かくことにした。まず,カイヅカイブキの手入れ。脚立に乗って散髪である。道行く人が声をかけてくださる。顔見知りの若い女性やおばちゃんやクルマからも。「暑いですけえ,無理されんがええですで。」ほんまに。とはいえ,無理しないとこんなことはやってられませんぜ。剪定ばさみの切れは悪いし。
 そうこうしていると,隣のおじいさんが買い物からご帰還。アシスト付き自転車に乗って。すごいなあ。標高24mなのである。敬意を表し,脚立から降りてご挨拶。お買い物お疲れ様でしたぁー。
 「もうワシャー100年と4ヶ月歩いとるだでー。」
 「ニューギニアの方から帰って65年も経つっちゃ。よう生きたもんだわ。」
 「そげなヒバのような木は,石谷とか田部のような分限者が植えるような木だけな。貧乏人は,ブロック塀でええだ。」御意。
 「大体,1年に2回は手入れをするもんだわいな。」すいません,2年に1回なんです。
 「植木屋さんの年収を払ってあげるような旦那が,縁側でお茶を飲みながら仕事を見とるもんだでー。」
 御近所のみなさんに見てもらっているんです。ボクのいい加減な仕事ぶりを。
 ちょっと耳が遠くなったようだ。人の話はあまり聞かず自分の話が中心になる。それなりの哲学をお持ちというかカバチたれのじいさんなので,面白い。40年のおつきあいである。ラッキョウの切り方やしめ飾りの作り方や下ネタでかわいがってもらった。当地区の高齢者記録を更新していただきたいものだ。
 そんなひと汗と冷や汗の出た散髪ごっこだった。

2010年7月18日(日)葉裏を見せてプラタナス
 朝8時から町内の公園の草刈り。ラジオ体操会場の整備である。ちょっと強風。切れ込みの弱い葉のプラタナスの大半が葉裏を見せつつ,うるさい。プラタナスは自己主張が強いのだった。滅多にお会いしない方が旧車ネタで話しかけてくださったり,よく働いている小学生に学年を聞いたりしながら草刈り終了。
 その後,消火訓練も行われた。消火栓のふたを備え付けのハンマー状の工具で開け,ホース設置用のユニットを接続。「放水準備完了−。」ふたりの女性も模範演技をされた。
 昨夜の町内役員会では,今年の地区盆踊り大会の役員業務の打ち合わせが行われた。櫓の設置班や模擬店,交通整理や治安維持班などの業務がある。大したチカラのないボクは「踊り子班」に向いているのではないかと思ったのだが,踊り子は女性が中心らしい。結局,花火係になった。
 公然と火薬に火付けをする係である。初体験。楽しみ楽しみ。100発ほど用意されるのだとか。杭をうち,花火の筒を杭にガムテープでくくりつけ,チャッカマンで火を点けるのである。以前,筒が倒れて観客の方向に飛んだこともあるのだ。ちょっと危険。
 万一の場合は,今日の消火訓練で模範演技をされたみなさん方も助けてくださることだろう。事故がありませんように。

2010年7月17日(土)みどりのふかき雲の影
 中国山地に向かって走った。山が美しい。特に目立って形のよい山があるわけではない。だらだらと山が続いている状態だ。緑だらけ。これが他の色なら暴力的な感じもするが,緑は許容範囲なのだろうか。ムハンマドさんもお好きな色だったらしいですよと教えてくださったのは,前日のパキスタンの方だ。たっぷり高密度の緑を楽しませてもらった。
 山の上には夏の雲が出ている。そんな山や雲の光景を美しいと思うようになったのはどういうわけだろう。この夏は何で年寄る山に雲。
 夏ヴァージョンの雲の影が,遠くや近くの山の上にかかっている。「雲の影」という言葉は,ピンク・フロイドのアルバムタイトルで初めてボクのなかに入り込んだ。それまでは,そんな光景が目に入っても特に意識することはなかったのである。飛行機の上から見たり,草原の上にできる雲の影というのも美しそうだが,山の緑にできる雲の影は,緑をさらに深めてくれたり,光の当たっているところを際だたせてもいる。
 美しい光景の中にいると自分まで美しくなったように錯覚するな,と思いながら運転をしたのだった。

2010年7月16日(金)ハラール肉のない時に
  ムスリムの方のお話を聞かせてもらった。難しい質問をされる方もいらっしゃる。「シルクの罪」とか「天使」のこととか。聞きたいと言うより,自分の知っていることを話したい感じ。日本語のわからない人達にそんな難しい質問をしてどうするのかね。そんなところでカッコつけんでもいいのにね。質問はわからないからするんじゃないの。アホな質問くらいがちょうどいいのである。
 説明は英語。パキスタンやインドネシアご出身の方だ。ちょっと聞き取りにくい単語もあったが,ところどころわかる。英語の勉強もさせてもらったのだった。
 女性の方のご意見。お酒を飲むことや,結婚せずにセックスをすることや,豚肉を食べること,ギャンブルをすること,宝くじがあることなどが日本の不思議なところだとおっしゃる。宝くじは公平ではないからダメなのである。お肉は,食べ物が他になくて死にそうな時だけに緊急的に食べるかもしれないのだそうだ。ムスリムの関取が現れれば,相撲界はちょっと変われそうだと思うが,肉なしで豊かな体型を作ることができるだろうか。
 ボクは勉強会のあと,播磨からのお友達とおいしいお酒を飲んだ。人生はギャンブルだと思っている。豚バラが好き。
 宝くじは当たると怖いので買わないことにしている。ムスリムになる資格はこれくらいしかなさそうである。 

2010年7月15日(木)贅沢な路地を歩いて
 駐車場の車止めのブロックに女子中学生が座っている。メール中のようだ。ボクの車が見えたのだろう,空いている隣の車止めブロックに移った。
 駐車場はちょうど歩道沿いで,押しボタン式信号機のある場所だ。彼女は,道路の向こうからやってくる友達とそのあたりで合流し,一緒に登校するのである。今までは挨拶もしたことがなかった。車から降りたらたまたま目があった。ついつい声をかけた。挨拶が返ってきた。何だか,お互いがちょっと微笑みながら。こんなふうに挨拶がはじまることもあるのだった。
 ボクの進路の向こうには,3人になった男子中学生が歩いている。2年生になったのだろう。去年はゆっくり歩いていたのに,最近は2年生の歩みになったようだ。差が縮まるのにちょっと時間がかかるのである。通学のありようも学年の進行で変わっていくらしい。
 改札口から大量にはき出される学生さんより,細い路地で遭遇する中学生というのは,なにがすごいというわけではないが贅沢な光景のような気がする。朝が幸せだとあとはどうでもいいや,などと思いながら職場へ向かったのだった。 

2010年7月14日(水)水かさの増したる土手を
 いつも60%以内におさまっている部屋の湿度が,今日は70%台だ。洗濯物を干す部屋だからか。部屋の気温は28度ほど。それほどの高温でもないけれど,汗と空気中の水分のおかげで,疲れている身体が一段とだるく感じられる。部屋には除湿乾燥機をかけ,風呂場で汗を流す。ちょっとリセット。水分も多すぎると迷惑である。
 わが家界隈の雨量はそれほどでもないが,各地で大雨らしい。倉敷からも雨のメールが届く。広島方面へ行っている同僚は,中国道が通行止めになって足止めをくらっているとか。
 雨を全部落として夏の準備をしているのだろうか。そんなに一気にこぼしていきなりの夏にならなくてもよいのである。身体が対応できるまで夏になるのはもう少し待ってほしいな。 

2010年7月13日(火)立ち上がり発言をする人ありて
 今日は5種類の会議に参加した。レアなことである。一応,そんな日があったことを記録しておくことにした。
 8時までやった最後の会議がいちばん濃い内容だった。とはいえ,レジュメというか企画書をどなたも持参されない。結局,万一に備えてボクが作成した雑駁な提案書をベースにした会議になった。なにもなければさらに帰宅時間は遅くなったことだろう。会議は準備も大切らしい。
 そんな本日は,久しぶりにクスリを飲んで臨んだ一日だった。けれど,そのようなわけで,あまり体調のことを意識することなく過ごせたのだった。ありがたい。
 と思っていたのだが,帰る道々というか,帰ってからわが身を振り返ると,あまり体調が回復していないような気もする。帰る道か,帰った場所に問題があるのかも知れない。 

2010年7月12日(月)体温計はきっぱりと
 だるい。頭が痛い。胸も痛む。体調不良である。絶対,熱があるよな。結構ハードないち日だったし。帰宅後,さっそく体温を計ることにした。
 「熱があったらさらに気分が落ち込むから,計らない方がいいんじゃないの。」
 うるうる,なんと優しくも適切なアドバイス。さすが,長年苦節をともにしただけはある。涙が出るぜ。とはいえ,絶対記録的高温が出るはず。そんなノーテンキなことを言っていられるのも今のうちだ。無理して岡山産の桃でも買ってこようかしらという気持ちになるはずである。わくわくドキドキしながら検温をした。
 ピッピッピッ。36度5分。へっ。
 再検温。
 ピッピッピッ。36度3分。えっ,何で下がるの。壊れてんじゃないの−?このデジタル体温計。
 「あらっ,この前38度もちゃんと計れたわよ。」
 「おっかしいなあ,顔色もわるいだろー?」
 「普段と変わらないと思うけど..。」
 体温が低くて体調が悪いのだろうか。自分がよくわからなくなった。とりあえず,本日は早めに休んでみることにした。 

2010年7月11日(日)出口調査は軽やかに書く
 角地の畑の道路を挟んだ向かいはおなじみの苗屋さんのハウスである。もう一方の道路を挟んだ向かいは,広い月極の駐車場だ。そんな駐車場の一隅に,白いテントが立っている。有機野菜,無農薬・減農薬野菜販売の午前中だけの市らしい。ご家族で倉吉界隈からいらっしゃったようだ。わが家の畑の野菜が目に入らないかのような挑戦的なご商売である。目に入っていないと思うけれど。
 どれどれ。
 新鮮そうなキュウリが3本で100円とか,5〜6個入りトマト1袋が250円とか。有機にしては(信じるしかないが)安い。来週もいらっしゃるようで,売り逃げの商売でもなさそう。とはいえ,目立たないなりに自家製の夏野菜は今が盛りである。キュウリを買うわけにもゆかぬ。結局,かんぞうの花10個入り200円だけを買ってみたのだった。茹でて,マヨネーズをかけてみた。ヌルッと美味。
 投票日である。
 こんな怪しそうな男なのに,メディアの若い男性出口調査員が声をかけてくださる。せっかくだから,投票した候補者とは別の人や政党名を答えておいた。まっ,真面目な方が多くてボクの回答は何の意味もないと思うけれど。各放送局の出した「出口調査当確」の逆転がもっとたくさんあればいいと思うのだ。出口調査も当てにならないな,メディアのありように疑問を抱いてる人間も結構いるのかも知れないなと,メディアが気づく絶好の機会なのではないか。あるいは,余計なことに人件費をかけるのはやめようと思うとか。選挙のショー化より,選管発表の確実な数字で当確を出してもらえばよいのである,とりあえずボクは。
 何はともあれ,仲間の数や自分の給料をもっと減らしましょうとがんばる人に当選してほしいな。そんな人ってだれ?

2010年7月10日(土)オプティミストの作りたる
 MUSEというレーベルがあったり,作品のタイトルになることもあるが,そんなおそろしいネーミングのバンドもある。すでに7枚ほどアルバムを発表しているイギリスのスリーピース・ロック・バンドだ。U2のようにポップなヒット曲は多くない。どちらかというとヘビーで,ポップ性に欠ける。それでも,他のバンドがやらないことをやろうとする拡張性の高さが感じられる。過激で壮大で美しい曲が多い。「いろんなバンドやったけど,他のやつらと違うレベルまで行きたいと思っていたのはぼくとマットとクリスだけだった。」というコメントが雑誌にあった。そんな意志のある人だけが世界を拡張していくのだろう。
 苗場のフジ・ロックにまた来るらしい。残念,宮崎で牛肉を食べているころだ。ウェンブリーのDVDで我慢することにした。といっても,映像を見れば,ライブに行きたくなるような気合いの入った演奏である。3人のロックバンドとは思えない(サポーターはいるけれど)派手なライティングのステージは目の毒。
 そんな彼らの演奏を見ていたら,ピアノのロゴがKAWAIだった。クラシックのスタインウェイ等はさておき,日本製ピアノではヤマハよりちょっとシェアが低いような思い込みがあったが,MUSEが使っているのだからカワイのピアノも相当よいのだろう。
 フィル・ウッズさんといいミューズといい,アメリカやイギリスのアーチストのみなさんのおかげで,音楽を聴きながらちょっとパトリオット・モードである。

2010年7月9日(金)金の話をする人の
 聖蹟桜ヶ丘でも暮らしていたつれあいは,ジブリ作品の中では『耳をすませば』が特別のようだ。登場する風景の多くを懐かしがる。テレビ放映のたびに見るのが常である。
 ところが,本日は『耳をすませば』を見ている場合ではないらしい。同じ時間に,西原理恵子さんの自伝エッセイを原作にした物語が放映されるのだとか。そんなわけで,ほとんど見ない日本のテレビドラマにつきあわされたのだった。共通の趣味は探偵ナイトスクープと西原さんなのである。
 西原作品は,結構実写化されている。けれど,映像化された西原さんの物語は,ボクにはどれも今ひとつのような気がする。毒のある原作の登場人物を生身の人間が演じるのはなかなか大変。
 「最下位には最下位の戦い方がある」という貧乏時代の西原さんの哲学が第1回目のテーマである。金のないやつが夢を追ってはいけないのだ,と金持ちに言われてあきらめる西原ねえさんではないのだ。
 大概の仕事は断らないのである。プライドだって,さておくのである。さて,ボクはいつまで夢を追い続けることができるのだろう。夢はなんだったっけ。 

2010年7月8日(木)湿度の高い真夜中に
 アルト・サックス奏者フィル・ウッズさんの新作が届いた。タイトルは『Solitude』。プーさんでおなじみのミルンさんにインスパイアされてお作りになったという『Children's Suite』の中の1曲がタイトル曲だ。バックは,シカゴのデポール大学のジャズ・アンサンブル。
 学生ビッグバンドをバックにしたフィル・ウッズさんのワン・ホーンアルバムである。
 きらいな人が思い浮かばないくらい,アルト・サックス奏者は誰でも好きだ。気がついたときにはお亡くなりになっていたバードさんはさておき,アート・ペッパーさんやジャッキー・マクリーンさんやリー・コニッツさんにはずいぶんお世話になった。
 そんな中で,フィル・ウッズさんはまだ現役である。1931年生まれ。現在78歳だ。セルマーではなく,YAMAHAがお気に入り。キラキラと艶のある音色は,学生のころに聴いていた音色とほとんど変わらない。あの音色をキープするために,今でも練習は欠かさないのであろう。その割には,フィル・ウッズさんが好きという人にあまり出会わない。湿り気の少ないその明るさがかえって印象に残らないのだろうか。
 バードさんのように新しいものを作り出したわけではない。けれど,音色では断然ウッズさんの方が美しいと思うな。何はともあれ,この年齢までアルバムを発表し続けるウッズさんの次の作品も期待しているのだった。  

2010年7月7日(水)食べもののことばかり書く子のありて
 畑の竹を2〜3本切らせてもらえないかという方がおありだ。ありがとうございます。2〜3本とおっしゃらず,全部持って行っていただきたい。できれば,途中で切るのではなく根こそぎ掘っていただけるとうれしい。ただし,棗や柚の木のトゲや,花梨やプルーンや柿の木にイラガがくっついている可能性もありますから注意してくださいね。
 お孫さんと七夕飾りをご家族で楽しまれるらしい。笹の葉の触れ合う音が神を招くのだとか。今日は赤い夕陽もきれいだった。日付の変わるころの空には星も見える。街灯のあかりのせいで天の川までは見えないけれど,今年はご夫婦が久方の逢瀬をお楽しみだったことだろう。
 わが家も,夜中に庭から1本だけ切ってきて願い事を書くことにした。が,そういえば去年の願いはかなわなかったわねえ。短冊もないし,今年はやめたら等の声もあがる。結局,画用紙を切って「家内安全」「火の用心」が最初の2枚。その後に書いた1枚は却下されたのだった。とりあえず,願い事が全部かないますように。  

2010年7月6日(火)クリームを舌で溶かしつ
 わけあって自分用に持参していたデザートのケーキを,バッタリお会いした方にお裾分けした。というか,一方的な無理矢理の押しつけ。お気の毒なことである。
 それでも,食べ終えると,「生クリームがおいしいですねえ。」と言ってくださる。「今日は朝からちょっとテンションが低い状態だったんですけど,おかげでやる気が出てきましたよ。」だとか。
 うまいなあ。いゃあ,大人の対応である。ボクが作ったわけではないが,そんな言葉を聞けば,生クリーム製造担当者も喜ぶことだろう。
 少々アルコール入りのケーキだ。めっぽうお酒に弱い方で,アルコールが体内に回って意識がおかしくなっただけかも知れない,と思ったりもしたのだけれど。
 そういえば,ボクもちょっと体調が思わしくない。どなたか,やる気の出る魔法をかけてくださらないだろうか。

2010年7月5日(月)ドリンクバーには連れだっていく
 同じ職場でもないのに,金曜日に別れて,また月曜日にお会いするという方々が何人かいらっしゃる。平均すると,春から週いち以上のペースになるのではないか。しかも,向き合っている時間が長い。今日は18時まで。ボクより善良そうな方ばかりなので,落ち着いて過ごせる。1週間まるまるこちらで過ごした方がストレスが少なそうにも思える。
 そんな業務の後,ファミレスで余韻に浸った。何か生まれるかも知れないと思ったのである。
 お近くに女子高生3人組。テスト期間中なのだろうか。「もりおうがいわー」「まいひめー」「たけくらべー」「...。」「きにとおるにくちー」などとにぎやかだ。ひとりが問題を出し,残りのふたりが答えているようだ。答えがすぐに出ない時はヒントを与えながら。
 「おうごんやしゃー」「おざきもみじー」とか,「りゅうのすけー」「なんちゃらもーん」「ほら,あれだがー」「いけん,いっちゃあ。...。らしょーもーん」などとさらに盛り上がっていく。そのうち,「これでもやしってよむだかー。もやしもんもこのかんじをつかえばいいのに。」と漢字の勉強に変わっていったようだ。
 あとから入ったおじさんの方が先に出ます。なにも生まれてはきませんでした。

2010年7月4日(日)なすびの脇のエノコログサは
 畑にエノコログサが群生している。エノコログサは抜きやすい雑草だ。休日に余裕さえあれば抜きまくるのだが,草ボウボウということからみても,週末に余裕がないか天気が悪かったのであろう。念のために,カレンダーを開いてみた。5月29日の土曜日からこの6週間,週末になんらかの業務やイベントがあった。
 このあとも,播磨や江戸方面の客人の接待などが待っている。その後は宮崎でステーキを食べさせてもらうという行事もあるのだった。
 日曜日も,それなりに出かけていることが多い。今日は,宮崎からの帰りの列車に乗るちょうど1か月前の日。復路のチケットを買いに行った。9時過ぎに窓口へ行ったら,1か月前のチケット販売は10時からだそうな。同姓のお嬢さんが優しく教えてくださるので,予約をしたあと,ぶらぶらと時間つぶし。
 10時ちょうどにチケット入手。宮崎を13時に出発して,当地到着は21時30分。5時間の東京行きよりはるかに大変である。乗車券は往復切符で1枚だけなのに,その他の特急券等でチケットの枚数は合計10枚にもなった。どんなところやねん,宮崎。
 この夏,わがやのエノコログサは怖いものなしで成長してゆくことだろう。

2010年7月3日(土)もっと上手に抜いてくれぬか
 食べものも飲みものもコントロールしていた。先週末の健診のためである。それなのに,集団健診の日に出張が入った。
 保健事業団に連絡すればいつでも見てもらえるらしい。都合の良かった水曜日に受けることにして連絡。残念。当日予約は受け付けないらしい。木曜日は女性の日だそうな。金曜日は,こちらがまたも出張である。結局,土曜日の午前中ということにされた。
 その間,外で飲まなくてはいけないことがあった。しかも,楽しい。遅くまで深酒をしていたのだった。そんなわけで,健康的だった先週までと違い,ここのところ身体のアルコールが抜けきらない状態が続いていた。やめればよいのに昨日もアルコール摂取。飲めば何だかすっきりする。というような最悪のコンディションで健診を受けた。
 身長・体重のあとに血圧測定。「あら,高いですよ。」「もう一度計りましょう。」とお嬢さん。最初から悪い予感。気合いをいれて平静を保つことにした。二度目はなんとかクリアできた。
 とはいえ,その後の尿も血液検査もなんだか自信がない。おまけに,採血後の右腕には直径2cmほどの内出血のあとが残った。くっそー,先週やっていればこんなことにはならなかったのではないか。
 そんな午後は学習会。七七から思い浮かぶのがよいらしいとか,薄めることとか抑制することの大切さを学ばせていただいた。そのあとはいつもの飲酒反省会。
 あした健診を受けるより,今日の方がちょっとだけよかったのではないかと思い込むことにしたのだった。

2010年7月2日(金)受難の花の実を割って
 遅い時間に段ボール箱が届いた。小笠原の父島からである。パッション・フルーツ。6月30日という日付がみえる。竹芝桟橋から船で1日くらいかかるとか,週に1〜2回くらいしか便がないと思い込んでいた。タイミングがいいと,当地までたった2日で届くこともあるのだろうか。
 毎年同じことを書いているような気がするが,パッション・フルーツを初めて食べたのは25年ほど前のことだ。どうやって食べるのかわからなかった珍しい果物を送ってくれた友人は,亡くなってしまった。もう15年になるらしい。その後も,彼のパートナーだった優子さんが送ってくださるのだった。
 とはいえ,ボクは優子さんの顔は知らない。電話で話すだけの関係である。名前通りの穏やかで優しい話し方をされる女性だ。そんなありようであっても,ボクには貴重な関係のひとつである。
 この果物が届くと,友人の顔だけでなく,部屋の様子や高円寺で一緒に騒いでいたことが思いだされる。そして,「受難」という果物を送ってくれたことの不思議も感じるのだった。

2010年7月1日(木)湿り気で豊かになりぬ
 大雨である。なぜかそのあとは晴れたり,ふたたび夕方は湿度の高い中での勤務。勤務時間終了後にも別のお仕事があって,夜の街へ。ちょっと楽しかったので,帰ったら日付が大幅に変わっていたのだった。
 それはさておき,湿度が高い。おかげで,髪の毛が水分を吸収しているのだろう。いつもより頭の上がふさふさしているように見える。手で触っても春先より髪にボリュームがある感じ。身体は不快だが,髪の毛だけが気分のよい状態である。梅雨時にもいいことがいくつかあるようだ。
 そんな今日は,太平洋岸にお住まいの方から,部屋中カビだらけというメールをもらった。押入れ,キッチン,風呂場,布団,窓とカビだらけで,もののけの森状態だとか。
 乾燥することが大事だよね。湿度は50%を切るようにしましょう。とりあえず,除湿器はどうよ?というような会話をしていたのだった。なにか他にいい方法があるのだろうか。

TOPへ