いなばにあん 時々嘘つかないTOPへ
my foolish heart

「べんとーさん忘れてもかーさん忘れるな」,雨と無知との遭遇いなばにあんいのの日記。

2010年12月31日(金)雪掻きをしているうちに
 雪はホント静か。目覚めてびっくり。さらに終日降り続けたことにびっくり。雪が降るという年末の予報を裏切って晴れ間を提供してくれた分を,一気に返してもらいまっせというような降り方である。
 どうしても線路の向こうまで出かけなくてはいけない用事がある。南方を走ってみると,我が家界隈より積雪が少ないように見える。こたびの雪は,いなば北極圏の降雪が多いようだ。夕方5時の我が家の公式記録地点の積雪は,36cmだった。
 こんな日に,近所の融雪装置が不良である。一番難所の坂道にバスが乗り捨てられている。というか代替バスが運行していた。夜も,生活道路のあちこちで車がスタックしている。午後9時過ぎに帰ってきた我が家の手前のおうちでもスタック。迂回して横道に入ると,そこでもスタック。結局,大回りをしていつもとは入れ方の違う車庫入れである。
 ということで,今年は雪かきで終わっていくのだった。

2010年12月30日(木)染め直したる髪を切り
 若者に誘われ忘年会。残り少ない押し迫った時期だというのに,たっぷり5時間も。
 子どもから「二つ目小僧」と言われたとか,「豚汁」と呼ばれたというような話を肴にしながらである。若いお嬢さんなんですぜ,豚汁は。人を二つ目小僧って,あなたはひとつ目小僧ですの。子どもの思考にかえってみたいものである。なにか,新しいモノが生まれないだろうか。
 というようなことはさておき,みんな笑わせてくれる。若者が豊かな物語を紡いでいる様子を聞かせてもらうというのはありがたいことである。
 笑ったり,大声をだしたり,食べたり飲んだり。喉に負担がかかっているのだろう。相変わらず喉がいがらっぽい感じ。来年には持ち越したくないものである。

2010年12月29日(水)突然の光に揺すらる
 昨夜の雷は激しかった。3軒向こうのおうちに落ちたのではないかというくらいの稲妻と音の近さである。振動がわが家にも伝わってくる。年賀状を印刷していたデスクトップの電源を,念のために落として休憩したほどだ。きっと雪起こしである。明日はきっと積雪で,車も走りにくいだろうねえ等と話していたのだった。
 それがどういうわけだろう。青空の見える今日である。おかげで,車が運転しやすいだけでなく,年末の業務を頑張ろうという気持ちがわいてくる一日だった。年末の晴天はわれらのやる気を高めてくれたのである。
 お局の車に置いてあった『篤姫』のサントラの『まっしぐら』をリピートで聴きながら,一気に年末モードで一日を乗り切ったのだった。マスクはしたままで。

2010年12月28日(火)ちぎりたる餅を丸める
 餅つき日。マスクをして。
 電化製品でつくる場合も,三臼と数えるのだろうか。餅つき器(機?)の場合は,三器か。等と冗談を言っている場合ではなく,できあがった餅を手でちぎるのは熱いのである。代わってよおっしゃるけれど,白魚のような猫舌の手なので,わたくしめには無理でございます。つき上がった餅を丸める作業だけにさせてもらった。
 臼ならこんなに熱くないわよねえとおっしゃるが,臼で搗けば別のところに負荷かがかかりそう。電気製造の餅で我慢していただきたい。
 丸めた数は92個。わが家だけでは食べきれない。角餅文化圏のみなさまに,角のない文化を大事にするいなばからのプレゼントにした。
 それにしても,冷めてから切る方が相当合理的である。ちぎる時に熱いんだよね等と言っても,冷めてから切ればいいじゃんバッカみたいと言われそうだ。わが家が角餅文化圏に飲み込まれる日がやがて来るのかも知れない。

2010年12月27日(月)不具合な喉に手を当て
 ここのところ体調が大変安定している。声が出しにくくて,咳がつくというバッド・コンディションのままで。風邪をなめていたわたくしが悪うございました。お代官さま,もうお許しください。と泣きがはいりそうである。なにしろ,年賀状の投函は今日は完了している予定だったのである。完了したのは,お局様ばかり。
 そんな体力的にはきつい状況であるが,ありがたいことに今年の職場の業務は本日で終了。仕事を残したままの一時棚上げ状態なのでちょっと不安ではあるけれど。
 今日はのんびりと若者とランチやお茶をさせてもらった。とはいえ,マスクをつけたり外したりしながらの落ち着かないお茶だ。30日に忘年会をしましょうという相談もあって,若者はお気楽である。年賀状もほとんど書かないらしい。
 そんな若者にオヤジがおつきあいさせてもらうためには,気力だけでも回復しないとまずい。今夜は気合いを入れて眠ることにした。

2010年12月26日(日)分からない言葉にであう
 今日は風邪やっつけている予定の日である,が,歳のせいだろう。さっぱり回復しない。マスク生活3日目である。
 そんな今日は勉強会。他にも風邪をひいている方がいらっしゃった。今日のために段取りをつけながら,出席を断念された方もいらっしゃる。申し訳ないことである。
 何回か出てきたことであるが,どちらに読むのがよいか悩む時は歌がいきるように読むとか,最後の体言止めは難しいとか,正直すぎても面白くないとか,固有名詞をどう扱うか等について学習をさせてもらった。
 10人のうち,何人の人が分かる固有名詞を使うのがよいか。分かりすぎるありきたりでは面白くないし,かといってレアな言葉でも困る。読者をどう想定するかといういつもの課題も議論した。
 みなさんを信頼するということを忘れないようにしようと思ったのだった。

2010年12月25日(土)テラスに戻す針葉樹
 マスクをして年末のドライブ。海が白い。白兎海岸のあたりは,国道脇の歩道に砂が厚く堆積している。スコップでかき出し作業をしていらっしゃる方もおありだ。砂掻きは雪掻きよりチカラが必要そうである。ごくろうさま。
 白兎神社へつながる石段には,すでに参拝客の姿が何名もみえる。子どもたちと初詣に行っていたころはほとんど参拝客のいなかった白兎神社だが,12年前の卯年は大混雑だった。年末から参拝客があるということは,1週間後はツアー客なども混ざって賑やかになるのだろう。
 大体が氏子でもないのである。いなばということと,参拝客がいなくてのんびりできるところが気に入っていた神社だ。来年は,近場の砂丘脇にあるお種弁天にでもするかと車の中から考えていた不心得者である。
 そんな今日は,餅米や白菜等を大量にいただいた。ありがとうございます。餅米は玄米。ぜいたくなことである。白兎神社に参拝した効果が1年経って現れてきたのかもしれない。神を粗末にしてはいけないな,などとクリスマスのケーキを食べながら考えていたのだった。

2010年12月24日(金)フロントガラスにつもりたる
 マスクをつけての勤務である。化学物質系のような臭いが苦手。安物ゆえメガネも曇るし。マスクをするのはきらいなのである。それでも,そんなマスクをしている人間に最低限の声をかけてくださる方が何人かいらっしゃる。ありがたいことである。まっ,大体普段からよくできた方たちばかり。マスクをすれば,他人様の一部がみえることもあるのだった。
 とりあえず,今日も寡黙に過ごした。
 そんな夕方はみなさんの足が早い。さすがである。ひとり残って仕事をしている若者にサンタをやらないのかとお尋ねしたら,サンタはもう昨夜来たのだとか。そっかー,わが家のサンタは毎年今夜だったよ。加藤紙店で買ってきた包装紙に贈り物を包み替えたりしながら過ごしたんだよね。懐かしいな。
 サンタが来るのを楽しみにしたり,サンタになるのを楽しんだころが人生の中では幸せなころだったのかもしれんな,ボクの場合は。
 そんなわけで,やることのないオヤジは年賀状でも作ることにしたのだった。まっ,とりあえず風邪が治るだけで幸せと思うことにした。

2010年12月23日(木)何もせず眠っていたい
 声の出ない2日目。本格的な風邪はしんどいということがよくわかった。ごめんなさい。明日からは真面目にしますので,週末までには元気にしてやってください。って,だれに頼んでいるんだか。
 そんなわけで,きょうは終日パジャマで過ごそうと思ったのだが,スーパーのパンに飽いたという方がいらっしゃる。どんなもんでしょうかと,アンパンとチーズパンをお届けしてみた。当方は遊び半分だったけれど,ご夫妻から過分なお言葉をいただいた。ありがとうございました。なんでもやってみるものである。
 そういえば,ステージに立つ人からのお誘いも受けていたのを思い出した。会館へ。見事である。
 さらに今日は締切がひとつ。なんだかんだで,日付が変わるころになっても体力回復の兆しが感じられないのだった。早くパジャマに着替えることにしよう。

2010年12月22日(水)いつもより長く湯船に
 大きな声を出していたら,声をだすのがつらくなった。掠れた声はどんどんしゃべりにくくなって,もうささやくようにしか喋れない。ミツバチのささやきを思い出すぜ。
 間の悪いことに今日は忘年会。とりあえず最初だけ顔を出して失礼することにした。すぐ抜けられるよう,角地に隔離状態だったのだが,ご近所にお座りのお嬢さんが,風邪がうつってもいいですよなどとバカなことをおっしゃる。寝込みたいらしい。ウルウル。
 なるべく口を開かないようにして,スクラッチやビンゴゲームにつきあう。結局ずるずると最後までおつきあいしてしまったのだった。困ったオヤジである。ごめんね。
 それはさておき,会場は漁港のお店。予算の関係なのかも知れないが,ボクの親ガニ半身には薬指と小指がなかった。ズワイガニは冷凍物をコンロの上で蒸して食べるらしい。刺身も一部解凍もの。終了10分前にご飯ものとフルーツが出てくる。早く食べろということらしい。お嬢さんたちも,途中なのに空き皿と一緒に箸を下げられたとか,小鉢がひとり分足りないとか。
 書き入れ時でお忙しいのだろう。喜ばしいことである。とはいえ,以前いちど来たことがあって,その料金の高さにもう二度と来ないと決めていた店である。今夜で今後の方針再確定。
 もう絶対この店にはこないぞ。とささやいた。大きな声を出せなかったのが残念である。今年忘れられないことのひとつが忘年会でできた。

2010年12月21日(火)群衆の向きたる先に
 テレビを見てくださいねというハガキが届いていた。どれどれ。今年何度か一緒になった少年の物語である。大山でも奈良でも話かけてくれた。奈良での夕食もランチも一緒に食べたいとおっしゃるので,串カツ屋さんに一緒に行ったり。
 なるべく写り込まないようにしていたのだが,新薬師寺の横で外国人を撮影している場面の奥にいたのが写っていた。本人しか気づかないような小ささ。それでも,メールをくださる方もあったりでビックリである。
 そういえば,先日の新聞にも自分の顔が載っていて驚いた。イベント時の群衆の写真なのだが,後ろ姿のみなさんの中で,ひとりだけ横顔が写っているのだった。
 新聞を見たお局から,「どこを向いているのよ。」とあきれられた。幸い,となりに楊貴妃のような女性は写っていなかった。よかった。間違ってそんな人が隣に写っていたら,わが家にも西太后がやってきたかも知れない。
 悪事はどこで発覚するかわからないのである。フォトフォトに。

2010年12月20日(月)西太后から届くメールに
 ちょっと風邪気味。今日の勤務はきついことになりそうだなと思いながら出勤した。とはいえ,働きはじめるといちいち自分の身体のことを考える暇もなく,次々と何種類かの業務に対応。ちょっとでも空き時間ができると,テープ起こしをしているうちに,家を出てから12時間ほど経つような時間になっていた。
 風邪が完全に逃げたわけではないけれど,気分的には朝よりずいぶん楽になっている。少し休んだらどうかという身体からの信号かと思ったのだが,気にするほどじゃないぜこれくらいということらしい。困った身体である。
 そんなことを考えていると,「おっと電話や。だれからやねん。」とおっしゃる方がご近所にいらっしゃった。バイブがメール到着を知らせたようだ。
 「いゃあ,西太后からでしたわ。」
 「へっ?西太后と知り合いなの。というか,西太后って誰よ。」
 どうも同じ屋根の下の方のようにも思える。
 「その名前で登録してんの。見られたらまずいっしょ。」と思うのだが,ただの西太后の愛人なのかも知れない。すごいなあ。
 いゃあ,わが家の場合はそんな恐ろしいことはことはとてもできない。とはいえ,楊貴妃とも書けないけれど。というようなことを書いてもいいのだろうか。早く寝ないと風邪がぶり返しそうだ。

2010年12月19日(日)早く終われと念じたる
 夕方の西の空があかね色である。シルエットの中国山地が美しい。そんな美しい光景が消えて真っ暗になったころに町内の役員会である。ここのところ開催される日曜の夜の会合のおかげで,日曜日の夜の過ごし方がすっかり変わってしまった。龍馬伝の最終回も見なかったし。夕食のはじまりは9時なのである。
 とりあえず来年度の役員の決定である。いつものように町内会長はくじ引き。すべて決定した後,班の再編のおかげで3年連続班長や役員をさせられているという昔のお嬢さんがクレーム。フムフムフム。みなさんが聞いてあげる。じゃあ次の議題にいこうかとすると,またぶり返し。フムフム。まあまあまあ。では,総会資料の印刷製本はと切り出すと,やっぱり向き不向きがあると思うんですよ等とクレームのループ状態。
 集団のしばりと個人の自由や人権のバランスは難しい。昔,一揆をすることに決めた村で気乗りのしなかった人は大変だったんだろうなあなどとボクは考えていたのだが,みなさんは優しく対応してあげる。すごい。大人である。
 やっと気持ちがおさまったようだ。理屈を言っても詮無いときは,時間が遅くなってもみなさんが聞いてあげるのがよいらしい。
 ただ老朽化しただけの住宅地でもないようだ。

2010年12月18日(土)要約は出来ぬと言いつつ
 午前中は先週の夢の続きをみさせてもらって,午後は業務。大会名の書かれた横断幕をぶら下げ,領収書に押印。講演者の著作の紹介文を現地でノートPCに入力し,プリントする仕事も頼まれている。事務局長はPCも大きなプリンターも持参されているのだった。
 「ワープロは一太郎2010なんですね。お若いのに。」
 「お試し版なんですけどね。一太郎が使いやすいですわ。」
 御意。仲良くできそうな方である。
 講師が持参された著作は5冊。自作の小さな絵本もある。太ゴシックで著書名や価格を書いて掲示。とりあえず,講演前の業務は完了である。
 メインの業務は,昨日と同じ記録係。つらい。
 喋りと同じスピードで講演内容をキーボード入力できるわけもなく,デジタルプレーヤーをセットする。講師のしゃべりは,エーとかアーとかホントに等の繰り返しもなく,聞きやすい。スマートなお話である。とてもつらい過去がおありとは思えないのだった。思いやりや優しさやいたわりってなんやねん,よく考えてみようねというような内容だったような気がするが,パターナリズムに注意しましょうだったかも知れない。ひたすらキーボードを打ち続けた。すごく肩が凝った。いなば言葉のけんびき状態。
 何はともあれ,これで年末年始はテープ起こしが楽しめそうだ。
 夢ばかりみているわけにはいかないらしい。

2010年12月17日(金)ひとむかし前のソフトを
 他人様に向けて大きな声で言うことでもないけれど,急ぐ際の表計算ソフトは「ロータス1-2-3」を使っている。というか使っていた。職場で使っているのは多分ボクだけ。スラッシュを押してからの操作を指がほとんど覚えている。頭を使わなくても大概の仕事ができるのである。
 今般,リース期限の終わったPCの機種交換が行われた。OSはWindows7である。Officeは2010。慣れるまでは使いにくそうだ。とりあえず「ロータス1-2-3」をインストールしておこうと思った。
 2回ばかり挑戦。いずれもエラー表示がでる。2000年版の「ロータス1-2-3」のCDは,新しいOSが読み込んでくれないのだった。わずか10年ほど前のソフトなのに,通常の方法ではもう使えないらしい。XPmodeもあるらしいが,自分のPCでもないからやめた。
 マルチプランより使いやすくて重宝していたソフトも,年貢の納め時というか本家に吸収である。結局,今日の業務はエクセルで片付けた。グッドバイ・ロータス。
 これからは,もっと頭を使って生活するようにという,MSさんからのありがたい贈り物なのかも知れない。と思いこむことにした。

2010年12月16日(木)そんな笑顔ができるなら
 「申し訳ないけどもう少し大きな声で話してもらえませんか。」若者にお願いをする。
 今日は,外部の会合での記録係。ヴァージョンアップしたポメラの変換速度は一段と快適である。とはいえ,自分の耳の聞き取り能力が落ちたのかと不安になるほど,発言がボクの耳に届かない男子がいた。なるべく,発言内容通りに記録するようにねと頼まれているのである。
 歯が欠けて以来,滑舌は悪いし,口をはっきりとあけてしゃべらないボクが言うのもなんだが,声がこもるというか,クリアに抜けていかない感じ。トーンに抑揚がないのも聴き取りにくい原因のように感じられる。司会者から順番に指名されたけれど,ちょっとテーマが難しくて答えにくかったのか。
 それでも,頼んだあとはかわいい笑顔を向け,少しだけボリュームをあげて話すようになってくれた。ウンウンとうなずきながら聴き取る。
 ちょっと聞きにくいですよと誰かに言ってもらうのを待っていたのだろうか。若者は,ひと押ししてもらうことによって少し変わることができるのかも知れない。

2010年12月15日(水)スリーコードのブルースを
 業務が佳境である。いつもの通り誰も言ってくれないので自分で言うのだが,たぶん給料以上に自分の時間を提供しているような気がしている。めずらしいことである。
 もちろん業務だけで生きているわけではない。花芽をつけた胡蝶蘭の手入れだってやっている。その他にも迫り来るものがいくつかあって,先のことを考えるとちょっと怖い。と言いつつ,積んでおいたクラプトンさんの自伝やジミヘンさんの『鏡ばりの部屋』を夜な夜な読んで,現実逃避をしたり。
 父を知らないクラプトンさん。17歳の女の子が出産したジミヘンさん。ヴィンチ村のレオナルドさんと同じように,どちらも恵まれた状況の中で神が地上に送り込んだ天才というわけでもないらしい。手を抜けば閉じる扉がだれにもあるのだ。しんどくても続けないとね。
 そんなわけで,ここのところの疲れた身体にはブルースが気持ちよい。アルバート・キングさんの,ディープな『BORN UNDER A BAD SIGN』を聴きながら明日のために態勢を整えているのだった。

2010年12月14日(火)抑えきれない夕方に
 「30年以上やってきて,今日がいちばん頭にきたよ。もうちょっとで大声を出すところだったわ。」
 「よーがまんしたね。エライエライ。」と他人事のようなボク。
 「いゃあ,おふたりは対照的ですもんねえ。」とそばにいらっしゃった若手がかまってくださる。どういう意味ですねん。
 確かに,同い年の彼はおだやかで優しい男である。もてる。性格がよいので,いじられやすい。周囲を安心させたり,和ませる男なのだった。そんないい男を怒らせるとはよほどの凄腕の方がいらっしゃるらしい。さすがのボクでもできなかったことなのに。ん?
 それにしても,30年ほどで今日がいちばんというのもすごい。ボクなんか,いちばん頭にきた日の連続だよ。毎日記録更新右肩上がり。めずらしく,今日はおだやかに過ぎたけれど。

2010年12月13日(月)ウールのコートにしみ込んだ
 今シーズン初めてのコートである。安物はちょっと重い。
 知人からの又聞きだが,冬のコートと言えばいつも思い出す話がある。
 東京の山手線内のできごと。若い母親と3歳くらいの男の子が乗りあわせていた。よくありそうな話で,男の子がおしっこをしたくなったのである。トイレがついている田舎の鈍行列車もありそうだが,もちろん山手線にトイレはない。大人なら次の駅までがまんするところだ。しかし,子どもはそうはいかない。
 困ったお母さんは買い物袋にさせようとした。けれど,男の子のおしっこは紙袋に入らず袋に当たって飛び散る。困った若いお母さんは,とっさに男の子を抱きしめたのだった。男の子は母のコートに用を済ませたのである。
 男の子のおしっこが終わったあとも,母親は列車内で我が子を叱ることなく抱き続け,次の駅で降りていったのだとか。男の子を抱いていた若いお母さんにとって,次の駅まではずいぶん長く感じられたことだろう。どれほど切ないことであったろう。
 恥ずかしい思いをした時,人の視線を意識して子どもを責めたり叱ったりする人もいそうだ。ボクなら,どうしてもっと早く言わないんだ等と子どもを叱るような気がする。叱責もせず,濡れたコートにじっと我が子を抱き続けることのできる母のすごさを思い知ったのだった。
 母親にならなくてよかった。というか,ボクは母親にはとてもなれない。女性には勝てないと思った。それからしばらくして,食後の皿洗いをさせてもらうようになったのである。

2010年12月12日(日)人の言葉が気になって
 ビオラの苗をたくさんいただく。植え付けを担当させてもらった。ビオラが雑草化されているおうちもあるようだ。わが家は,ローズゼラニュームやミントや朝顔や猩猩草や子宝草に加え,今年からシクラメンが雑草の仲間入りである。ポインセチアも屋内で雑草状態。それぞれ,種を取っておいて蒔くわけでもないのに,あちこちに自生するようになった。生きる力はたくましいのであった。
 最近テンションがさがってちょっと投げやりな若者を元気づけるというか,頑張る気の起こる映画がないかと相談された。ナイーブな若者なのである。わが家に元気のでそうな作品はないと思うけどね。そこをなんとかということで,探してみた。
 ベタのような気もするが,『ショーシャンクの空に』はどうだろう。夢や希望を持つことやコツコツ頑張ることの大切さが描かれていたんじゃなかったっけ。元気の出る映画があれば教えていただきたいものである。そんなものを見なくても,たくましく生きていけるというチカラが芽生えている人もいるのだろうけれど。うらやましいことである。

2010年12月11日(土)さまたげになりたることを
 ささやかな夢を聴いてもらった。おつきあいいただきありがとうございました。夢や小さな望みくらいは持ちたいと思うのである。宝くじを買うとかではなく。
 今日は,砂丘で電飾の点灯式。お知り合いの応援にちょっと立ち寄ってみた。雨や雪もないからか,そこそこの人出。
 みなさん歩きながら電飾をお楽しみだ。どこで見るのがいちばん眺めがよいのだろう。とりあえず上から見ることにした。リフトの乗り場へ。ちょっと見にくい。リフト乗り場よりもう少し奥の方がよさそうだ。ホテルの脇へ。ちょうど電飾の上あたり。しかし,ここも木が邪魔だった。
 ホテルの上階からだとよく見えるのかも知れない。フロントのお嬢さんに客室からの眺望を尋ねてみた。上の階でも眺めはそう変わらないとおっしゃる。えっ,そうなの。客室へ入れてくれと頼まれるのを心配して言ってるわけじゃあないよね。
 フロント横のロビーには座席がたくさんある。余計な木を取っ払い,もっと眺望がよくなるようにしてはどうだろう。法などのしばりがあったとしても取っ払うよう努力するとか。電飾を10分ほど見て帰るのではなく,眺めつつお茶を飲んでもよいし。
 ただ電飾をつくるだけでなく,見せ方を考えることも大切だと思うのだ。電飾のそばだけでなく,上からも楽しめるようにしてみよう等と夢をもっていただけないだろうか。

2010年12月10日(金)話がこじれないように
 料金の支払いに行った窓口に先客。昔のお嬢さん。どこやらの看護士さんの態度が悪いとか,一緒に行った焼き肉店で自分に全部お金を払わせたというようなお話。どうもクレーマーらしい。しかも話の内容と窓口はまったく関係ない職場である。買い求めたケーキがおいしくなかったと自転車屋さんに言われてもね。それでも,お嬢さんは困った顔をしながらも聞いている。えらいなあ。
 昔のお嬢さんは,いつ終わるともなく一方的にしゃべり続けている。対応していたお嬢さんがよんでくれた別の同僚の方が対応をしてくださり,ボクの支払いは無事終了。思わぬところで,クレイマーのライブを楽しませていただいたのだった。
 夜は町内会の三役会。議案は,町内会総会の準備や新役員選出についてである。主に,町内会長の選出は今のくじ引きでよいのかというようなこと。お隣の町内会では,今年,三人の子育てで忙しいシングルマザーがクジに当たったのだそうな。代わってあげる人もいなかったらしい。
 わけのわからないクレーマーもいれば,町内のために時間を削っている人もいるのである。会長業務の軽減や他の役員がフォローしてあげることもあったのだろうか。なにもかにも公平にしなくたっていいと思うんだけどな。

2010年12月9日(木)孝子さんだったんですね
 喪中による新年のご挨拶ご遠慮というハガキが毎日のように届く。家族分を含めると,すでに12枚。数少ないおつきあいしかないのに,これでは年賀状を出す相手がいなくなってしまいそうだ。せっかく購入した年賀状を無駄にしないためにも,みなさん健やかにがんばっていただきたいものである。って,他人事ではない年齢だったりするのだが。
 中にはお亡くなりになった方の年齢が書いてある。最高齢は102歳だった。亡くなられてからお名前がわかった方も。相次いでお母さんとお父さんを見送られた方もおありで,近ければ参列させてもらわなければいけない人である。生憎,杜の都。わが家の仏壇に手を合わせておいた。申し訳ない。
 官製ハガキは,すべて地味な胡蝶蘭が描かれたものだ。弔事用のハガキがあるらしい。胡蝶蘭を地味に表現するという,なんだかアンビバレントなデザインのようにも思える。菊ではいけませんの?私製ハガキの場合の切手は,すべて「葦に流水」の渋いデザインだった。
 わが家は,年賀状の段取りが例年になく早い。そんな弔事ハガキを眺める余裕がちょっとだけある今年の師走なのだった。

2010年12月8日(水)その気になれば簡単と
 ジョン・レノンさんを聴く日である。あれはもう30年も前のことで,生きていらっしゃれば70歳らしい。あのころボクは歯医者さんに通っていたことくらしか自分のことは思い出せないのだけれど。
 スピーカーを置いている部屋がここのところ寒い。いちいちアンプやCDプレーヤーのところまで立つのが面倒である。たった5歩なのだが。そんなわけで,PCのそばのラジカセで音楽を聴いているのだった。ケンウッドのU−K323。どこかの製品のパクリのような商品だ。とはいえ,本家より圧倒的に安価。コンパクトな割に高音がきれいに聞こえるような気もする。
 そんなラジカセから流れる『妬み男』や『夢追い人』などを聴きながら,日本時間の8日を過ごしているのだった。
 パールハーバーでは2400人近くの人がお亡くなりになったらしい。ハワイの69年前の朝を想像しつつ,ジョン・レノンさんの夢に思いを馳せてみている。

2010年12月7日(火)伐採をされたるのちも
 朝も夕方も,顔見知りにお会いすると,朝や夕べの挨拶の他に,寒くなりましたねえを付け加えたいち日である。
 駐車場のそばの分割された空き地のひとつに家が建てられはじめたのが9月20日。完成予定は12月19日。新年は新しいおうちで迎えようというご計画だったのだろう。家は3か月もあれば建つらしい。
 その横の空き地でも土地に囲いがされ,基礎の準備が行われていた。こんな寒くなる時期に外での工事は大変だと思うのだが,春が来るころに新居に引っ越しをされようというお考えなのだろうか。
 気持ちよく働ける季節の方がよい仕事をしてもらえるのではないかと思うのだが,どんな時でもいい仕事をされるのがプロというものか。
 そんな囲いの看板に「Feel Wood」という文字が書いてある。木のおうちが建つらしい。フィル・ウッズさんが思い浮かぶ看板である。ジャズの好きな方が林業関係の方にいらっしゃるのかも知れない。
 完成の際は,『WARM WOODS』を聴きながらお祝いするといいと思うな。

2010年12月6日(月)花の好みに気づきたる
 山椒の木に巻き付き雑草化した小さな朝顔が,毎日のように咲いている。暖かい日が続いているからだろう。明日から冷え込むらしい。山間部は雪だるまのマークが出ていた。たくましく生き延びてきたわが家の朝顔も,今日あたりが最後かも知れない。とりあえず,備忘のために記録しておくことにした。ミニトマトも2個収穫できた。こちらもこれが最後のようだ。庭に咲いているのは山茶花くらい。寒い冬の到来である。
 朝顔と言えば,通勤路にも朝顔が毎日咲いている。小さな朝顔ではなく,巨大な朝顔である。木立朝鮮朝顔。エンジェルズトランペット等ともよばれる,下向きに咲く花だ。この花も夏のころから延々と咲いていて,今日も黄色の花をつけていた。とはいえ,あまりかわいさを感じないような気がするのはその花の巨大さのせいだろうか。花は小さいのが好みだったらしい。

2010年12月5日(日)冬枯れの歩道を歩く
 通常通りの時間に出勤。小学生が集団登校をしている。登校日らしい。休日に早起きをする仲間がいるとうれしい。とはいえ,いつもの交通整理のおじさん方はいらっしゃらなくて,先生や黄色のタスキをかけた保護者のみなさんが交差点界隈で交通指導をされていた。ボランティアのおじさん達には日曜日をプレゼントされたのだろうか。毎日のように挨拶をしている人がいないのはちょっと寂しいけれど,優しい配慮である。
 エブリデイが日曜日になっても,ボクにはとても真似ができそうもないボランティアだ。
 当たり前のように毎日交通指導をされているので,周りのみなさんもあまり気にとめてくださらないこともあるらしい。ご近所のおじさんが時々こぼされるのである。小学校の代休の際の連絡がないとか,行事の時の終日ボランティアにも弁当を忘れられたりするのだとか。
 そんなおじさん達が今日はいらっしゃらないなあとボクが気にとめさせてもらった。

2010年12月4日(土)日の暮れになれば座りし
 日曜の明日は業務である。おまけにしゃべりも必要らしい。思いつきでしゃべるわけもいかず,とりあえず頭の中を整理。といっても,抽斗の中はシンプルである。サクサクッと終えた。
 その後,タイヤ交換をさせてもらったり,黄砂で汚れた車をきれいにさせてもらった。もちろん,1年中スノータイヤのボクの車の話ではない。ボクの車は,黄砂と金曜のロングドライブで汚れたままである。
 1本5分が目標だったタイヤ交換は,25分もかかった。インパクトレンチがあればもっと短縮できることだろう。春までには,道具を揃えたいものである。
 こぼれ種から芽が出たシクラメンの植え付けや,胡蝶蘭やデンファレを暖かい場所に移動してやっているうちに日は暮れた。
 他にもやらなくてはいけないことがあったような気がしたが,気のせいだろうか。

2010年12月3日(金)妨げになりたるあかり
 風雨と黄砂の中をドライブ。対向車や前を行くトラックのはねる水しぶきと黄砂できれいな車になったことだろう。
 職場へ帰り,めずらしく遅くまで業務。終了後,今度は高速の夜のドライブ。それにしても,終点出口辺りのカーブの状況というか狭い道路の圧迫感はちょっとイヤな感じ。事故が起こりそうな道路である。
 すべての業務を終え帰路に。そういえば,ご近所の電飾がバスの運転の妨げになるというクレームがあったとか。終バス前に帰った昨日は電飾がなかった。今日はどうだろう。
 そんなわが家の町内の手前で大規模な検問に遭遇。免許証を見せろとおっしゃる。ガムを噛んでいるかどうかの検問だろうか。まずい。さっき噛み始めたばかりだ。
 気取られないよう,「なにか事件でもありましたの。」と聴いてみた。「全車検問です。」としか答えが返ってこない。行ってもいいらしい。よかった。ガムには気づかれなかったようだ。
 坂道を上ってカーブを曲がる。盛大な電飾が迎えてくれた。いゃあ帰ってきたよ。

2010年12月2日(木)ブルースの流れる部屋の
 青空である。ロックでも聴きながらランチを食べることにした。くだんの道路は電線等埋設工事が着々と進んでいる。さらにドウダンツツジは切り取られ,ポプラもなくなっている。切り株の直径は30cmを超えていそう。まだこれから切り取られそうな植え込みがある。誘導していらっしゃる方とお話。
 「このドウダンツツジは切り取らないで抜いてやってもらえませんかねえ。」
 「はっ????」
 「いゃあ,抜いてその辺に置いといてもらえば持って帰りますから。」
 まっ,なんと答えて良いかわからない戯れ言である。困っていらっしゃった。切り取られる前にボクが掘ってもよいけれど,そんなことはさせてもらえないのだろう。残念。助けることはできそうにない。
 さて,そんな今日のランチ屋さんで流れていたのはロックではなかった。バディ・ガイさんのブルース・ギター。ライブである。いいなぁシカゴ・ブルース。身体が揺れるぜ。スイングしながら味噌汁をすすっていたのだった。

2010年12月1日(水)工事場で誘導したる
 メインストリートの隣の道路は,最近,電線等の埋設工事や水道工事がはじまった。交通整理のみなさんが大変丁寧である。ごくろうさま。
 この通りの100mほどに渡って,ドウダンツツジが植えられている。葉の落ちた枝もあるが,まだ十分紅葉を楽しむことのできる通りである。朝の出勤時の楽しみのひとつ。植えられている間隔は20〜30cmほどで,意外に密集して植えてあるなぁ等と,植木の勉強もさせてもらっているのだった。
 そんな通りの工事のいちばん端っこまで歩いてビックリ。
 工事作業の邪魔になったせいか,植え込みのドウダンツツジがごっそり根本から切りとられてしまっている。切られた株を数えると,30本弱。もったいないというか,かわいそうなことである。
 掘り返して土をつけておいてやればすぐには枯れないと思うのだが,短期間で終わる工事ではないのだろうか。人に優しい割に,木には冷たい。
 まっ,どうせ税金で植えた木だからまた新しく植えればいいのかも知れない。どこかに喜ばれる方がいらっしゃるのだろう。

2010年11月30日(火)実験は失敗でした
 メインストリートの若桜街道に自転車道がつくられ,車道が狭い。12月12日まで続くらしい。安全に,安心して買い物や街歩きが楽しめる商店街をつくるための実験だとか。商店街でちょっと買い物をしようと思ったが,クルマが駐められないのでやめた。若桜街道とは違うお店で買うことにした。
 宮崎のメインストリートは広い歩道の中に自転車道があった。それに比べればいなばのメインストリートの歩道は狭い。不安を感じる歩行者もいらっしゃることだろう。とはいえ,通勤時間以外にどれほどの歩行者があるのか。雨や雪が降ったら,自転車に乗ったボクはアーケードの下を走るだろう。日照時間の短いこんな寒い時期に,よくもまぁつまらない実験をするものである。あるいは自転車道を設置しなくても良いという世論を誘発させる実験ですの。
 当然実験費用はどこかからでているはずだ。税金。それを獲得してくる能力に長けた方がお役所にはいらっしゃるということか。仕事のできる人という評価なのだろう。
 こんな実験にお金をかけなくてもいいと思うのだが,若桜街道を殺すとか,メインストリートの渋滞を増やして都市らしくするというような立派な目的をお持ちなのかも知れない。平和なればこそである。

2010年11月29日(月)アラームがステップアップする前に
 週末にラジオのボリュームを絞っていたのを忘れていた。目覚ましラジオである。鳴ったのは35分遅れに設定してある最終予備装置。通常は,起床後,鳴る前にベルを止めておく時限爆弾である。めったに聴かない音だ。いつもの目覚めの時とは違う音が鳴ってビックリ。慌てて起床。あぶないあぶない。二度寝注意報発令中どころではなく,一度目の目覚めさえ自力でできないのだった。
 ゆっくり新聞を読む時間分をすべて省略し,出勤準備完了。なんとかほぼいつも通りの時間に家を出ることができた。
 そういえば,昨夜は遅くまでPCに向かっていたからなあ。歳をとれば朝早く目覚めるようになると先輩方から教わってきたのに,相変わらず目覚ましなしで起きることができない。正しい年齢の重ね方をしていないのだろうか。
 そんな朝は,いつもの通学中読書女子中学生にも遭遇。ナント彼女は読書をしていた。手袋をしたままである。指先があいている手袋にも見えない。手袋をしたままでページをめくる技術を体得したらしい。
 そんなことを書き散らかして過ごしていると,すでに日付が変わっていた。とりあえずボリュームを上げておくようにね。

2010年11月28日(日)日曜の夜に集まって
 ジョアンナで久しぶりのロングドライブ。いつ止まるかと心配しつつ走るも,ノートラブルだった。高速も他人様に迷惑をかけることのないスピードで走ることができる。31歳のよい子。まっ,人間なら働き盛りというか,これからの年齢である。
 広場に駐めていたクルマに帰ってみると,おじさんがこんにちはと声をかけてくださる。昔乗りたかった車が二階の窓から見え,クルマのそばまでいらっしゃり,持ち主を待ってくださっていたらしい。ありがたいことである。オートマに改造されたんですかとおっしゃるけれど,ミラーもウィンドウもパワーなんですよ等といつもの会話をさせていただいたのだった。なんでも大事にしておくものである。
 さて,日曜の夕方6時30分から町内の会合。最初に役員会。7時から町内を住みよくするための研修会,というか意見交換会。男女ほぼ半分のご出席である。お集まりのみなさんは,少し遅い時間に最終回をご覧になるのだとか。ごくろうさま。
 という,早く終わりましょうモードでご参加の方もいらっしゃったようだが,グループごとの話し合いも盛り上がり,全体会でも笑いの連続。みなさん,時間を忘れて結構楽しまれたようだ。終了は9時をまわっていた。
 子ども会のイベントをやっても集まりが悪い。子ども達が外で遊ばないという保護者のご意見もあって,Wiiやソフトの景品をぶら下げて子ども達を公園で勝負をさせるとか(喧嘩ではなく,げんじいやコマ回しや一輪車等),町内の通りを花や電飾で特色付けてはどうかとか,ひとり3000円の負担でTDLかUSJに連れて行ってください等と騒いでいたのだった。
 まっ,そんな与太話で騒げるというのはいい町なんじゃないかな,と思ったりするのだった。

2010年11月27日(土)棗の枝を握りたる
 今日は近在の漁港でカニ祭りが行われていた。わが家の東の方でも西の方でも。いちばん近い漁港のお店へ問い合わせ。
 「今日は船が帰ってくるんですの。」
 「帰ってくるのは明日の予定なんですけどね。」
 今日の祭りに使われるのは,親ガニや茹でたカニなのかに。「人の行く裏道に道あり花の山」というのは,高い授業料を払って身体に定着した法則のひとつである。おそらく今日は道路もイベント会場も混んでいることだろう。漁港へ行くのは明日ということにしたのだった。
 そんなわけで,カニの日ではなく150本のラッキョウや650本のタマネギに肥料をやる日である。道ばたに花を植えているおばさんと話をしながら,とりあえず4kgの袋を空っぽにした。
 その後,剪定ばさみや鋸を使って竹や棗や野バラも始末。太陽はすっかり沈んでほぼ4時間の作業。よく働いた。右手の平と親指,薬指の皮がむけていた。
 「思いの外よく働いたよ。」と帰って言えば,ねぎらいの言葉が返ってきた。
 「ホント,めずらしいわね。」

2010年11月26日(金)いにしえのロックを聴いて
 ここのところオークションにちょっと手をだしている。といっても,追っかけているのは特定の出品者だけ。東北方面の業者さんらしい。最初に落札したものを取り置きしてもらって,すでに4日が経過。
 レコード関係で入っていた先だと思うのだが,出品されている品物の守備範囲があまりにも広くて,ついついくだらないものにも入札しているのだった。しかも,少しずつ新しいものがアップされる。それでも,ほとんどの商品に複数の入札があって,4日前には15ページほどあった出品リストは,本日9ページまでに減っている。追加より売れていく方が多いのである。
 なにしろ初期設定価格が破格。ニコンのAFの300mmズーム・レンズが500円とか,ロックのレアLP3枚が100円とか,COM10冊が500円とか。その他,バッグも時計も絵画等も,ひとりしか入札しなかったらどうするんだろうという設定である。
 なんとなく怪しいような気もするけれど,ニコンは7000円になっていたり,100円ではじまったEP盤が4400円になっていたり。まだ4日も残しているのである。アップされたばかりで残り時間6日のヒプノシスのジャケットはもう7倍になっている。
 最初の価格がこれほど安いのは,ほしがる人が複数いるはずだという自信がおありなのか,それとも協力者でもいらっしゃるのか。ちょっと不思議。
 履歴には同じIDがあちこちに散見される。驚くような価格設定につられて入札に参加しているのはボクだけではないらしい。

2010年11月25日(木)紅い葉の寂しく見えし
 ドウダンツツジを見物に行くというロングドライブのミッション。というようなわけがなくて,ドウダンツツジに囲まれた建物の中をウロウロするという業務だった。その業務はさておき,この建物周りに植えられているドウダンツツジの数は凄い。いなば界隈ではいちばんの本数ではないか。それとも寡聞にして知らないだけか。
 盛りはちょっとだけ過ぎている。関係者のみなさんにお聞きすれば,先週あたりが見頃の最後だったらしい。とはいえ,樹によってはまだまだ紅い葉のついているものもあって,解説付きで楽しませてもらったのだった。もちろん紅葉もきれい。山やお寺に行かなくても紅い秋は楽しめるのである。
 花の咲くころは一鉢2000円も3000円もするらしいが,今の時期は700円や800円くらいで鉢植えのドウダンツツジを買うことができるのだそうだ。
 「ところで,どっちを通ってきんさっただ。」
 「あっ,上の高速です。」
 「下の道路を通った方が紅葉を楽しめるで。帰りは下の道を帰りんさい。」
 ありがとうございます。業務終了後,仰せ通り古い国道を帰った。針葉樹のみどりと広葉樹が道路の左右に広がっている。上の道路と違い,スピードを出したり煽る車もない。ゆっくりと秋の景色を楽しみながら帰ったのだった。って,早く帰りたくなかっただけかも知れないけれど。

2010年11月24日(水)助走はいらぬ
 テレビに教えてもらったというおろし汁を試食。おろしの割には甘くてまろやかである。300円くらいでどうやねん等とアホな会話をしながら,夜のニュースを見ていたのだった。
 孤立するとしか思えないようなことをあえてするというのは,それなりの事情が内部にあるということなのだろう。気の弱い小心者には想像のつかない世界だ。かり出されるかも知れないという不安のある若者もいるのに,くだらない身辺雑記を書くしか能のないオヤジである。ごめんね。
 昨日の駐車場の話で思い出したのだが,スーパーの駐車場等で,前後2台駐められるスペースが2つとも空いているのに,わざわざバックで駐車する車を見かけることがある。うらやましい。贅沢なことだと思うのだ。どうして,頭から進入して前方の駐車スペースに駐めないのだろう。ギアを1回「R」に入れれば,ギアが消耗すると思ってしまうのだった。貧乏性である。
 脳天気に過ごしているように見えるかも知れないが,入り口から離れていてもなるべくレンジを「R」にしなくてすむ駐車スペースを探す生活をしているのだった。古い車に乗っていると,ギア・チェンジ一回も一期一会のようなものなのである。切ない。

2010年11月23日(火)黙して歩く道の辺に
 この5〜6年ほどで有名になった県外の観光地へ寄った。建物付属の駐車場は,この時期満車。路上駐車するしかない。観光バスや自家用車が道路脇にたくさん駐められている。神戸や大阪や和歌山等,関西系ナンバーが中心である。ちょうどカーブになっている場所で,車で道幅が狭くなるとちょっと危険。
 そんなわけで,気の弱い真面目なボクは,関西ナンバー等がたくさん駐められている場所から大きく離れた,少し道の広がっている交通の妨げにならない場所に車を駐めた。散歩も楽しめるなどと強がりながら。
 大変美しい。関係者のみなさんは,今どきめずらしいほど善良。来年はさらに観光客が増えることだろう。ということで,見学終了。
 目的を達し,トボトボと歩いて車まで帰ってくると,遠く離れた場所なのに,ボクの車の後ろにもう1台自家用車が駐められていた。いゃあ,同じように気の弱い真面目な方がいらっしゃったのである。
 ナンバーを見れば「鳥取」だった。
 いなば方面に善良な人の多いことがよくわかった。

2010年11月22日(月)電飾の少ない町に
 ご近所の冬の電飾がはじまった。
 先週の土曜日は垣根部分だけに取り付けてあった電飾が,今日は庭にサンタやトナカイが置かれ,ほぼ勢揃いである。ごくろうさま。
 街全体で電飾に取り組んでいらっしゃるところも多いのだろうが,この辺りで電飾のおうちは少ない。というか,以前はそこそこみなさんが電飾をしていたのに,ずいぶん減った。このおうちが毎年ヴァージョンアップされることによって,他のみなさんの意欲が削がれていったのではないかと思ったりする。ガリバーは他の競争意欲を削減させるらしい。イオンのようなものだろうか。なんでも,バランスは大事である。
 そんな今日は,たまたまひとりで居た部屋の蛍光管が点滅をはじめた。何回かの点滅のあと蛍光管をはずしたのだが,「蛍光管が点滅していましたね。」と新しい蛍光管を持ってきてくださった方があった。廊下を通りかかった時,蛍光管が点滅しているのを見かけたらしい。びっくり。あとでボクの方から蛍光管をもらいに行こうと思っていたのである。
 人に喜んでもらってナンボという方が結構あちこちにいらっしゃるのだった。

2010年11月21日(日)投票所への坂道をゆく
 暖かい休日が続いた。ありがたいことである。
 ガーデンシクラメンの鉢に,小さな葉がたくさん伸びている。こぼれ種から芽がでたらしい。苗屋さんというのは,結構もうかるご商売なのかも知れない等と思ったりした。
 庭で雑草化しているアサガオは,昼を過ぎても花がひらいたままだ。夏より少し小さな花だけれど。葉が色づきはじめたブルーベリーに巻き付いているツルにも花が咲いている。小さな紅葉とアサガオを一度に楽しむことができるのだった。
 世間は小春日和というところなのだろうが,わが家の庭は小夏日和。
 そんな今日は,市議会議員選挙である。定数が36人。小さな地方都市に36人の議員さんが必要なのだろうか。ボクなら議員定数を減らすことや報酬を日当制にすることを掲げるんだけどな。
 開票速報の際,開票率81%の時に得票数0の候補者がいらっしゃった。100単位での発表だったから,3ケタに達していなかったということなのだろう。わが身で考えると,ちょっと哀しい。
 どのような公約の方だったのだろう。議員定数大幅削減を主張されていればボクの票が入ったかも知れないのに。

2010年11月20日(土)ひたすらに下を向きつつ
 ここのところ,繰り返し聴くというアルバムが少ない。
 とりあえず,めぼしいベーシストのリーダー・アルバムはチェックするようにしているのだが,デンマークのANDERS CHRISTENSENさんというベーシストの,『DEAR SOMEONE』のジャケットは笑ってしまうというか,微笑ましい。ついついジャケット見たさに何回か繰り返して聴いている1枚である。
 このジャケットを見れば,ロック好きの団塊世代のみなさんが思い浮かべるアルバムがあるのではないか。寒そうではないし,細かい仕草は違う。男女の位置も違うけれど。
 ボブ・ディランさんの『THE FREEWHEELIN'』。『Blowin' in the Wind』が収録されている2作目だ。曲作りという点ではデビュー・アルバムのような有名盤である。1963年の発売。ディランさんが21歳ころの作品だ。
 そんなよく知られたアルバムのパクリのようなショットを採用したクリステンセンさんは,あえて2作目はディランさんのジャケットのようにしたいと思っていたのだろう。お気に入りのアルバムだったのかも知れない。やったぜ。自分の作品のジャケットを眺めながら,きっとニコリッとしていると思うのだ。
 何かを成し遂げるにはそういう強い意志が必要なのだろう等と思いつつ,ピアニストがリーダーのような穏やかなアルバムを聴いているのだった。

2010年11月19日(金)風圧に逆らいながら
 ちょっとドライブ。道路工事が多い。トンネルを過ぎた辺りでも片側一車線。しばらく待っているうちに,昆虫がフロントガラスに張り付いていた。運転席の真正面である。おしりにトゲのある蜂の仲間のようだ。
 よほど居心地のいいフロントガラスだったのか,車が走り出しても逃げだそうとしなかった。その後は延々と信号機のない道を走った。昆虫は風圧で逃げ出せなくなっていたのだった。
 それでも身体の向きを変えることは出来るらしく,一カ所でクルクルと方向転換をして,態勢を整えていたように見えた。そんな昆虫を見ながらのドライブだったのである。
 そんな今日は,あちこちで融雪装置の点検をしていらっしゃった。そのうちの一つは,大量に水をまき散らしながらの点検である。フロントガラスに大量の水が飛んでくる。慌ててワイパーを作動。
 融雪装置道路を走りきったあと,フロントガラスを見た。あれ,昆虫がいなくなっていた。というか,融雪装置からの水をしのいでいる間,すっかり昆虫のことを忘れていた。本日の無視された虫だったのである。

2010年11月18日(木)おもむろにケータイ電話を
 外部での業務中,イレギュラーな案件が発生。しかも,本日の業務が終了する間際である。ケータイであれこれ連絡をとりあい処理を済ませる。が,いろいろ事情もあって,直帰を変更。ちょっとしたロングドライブのあと,職場でとりあえずの処置を施したのだった。帰宅した時には,すでにニュースがトヨタの電気自動車開発を伝えていた。
 それで本日のすべての業務を完了したつもりだった。
 ところが,「灯油はこれから買いに行くの?」のお言葉。
 そうであった。帰宅後に灯油を買いに行くから,灯油缶を出しておいてくれと頼んでいたのだった。灯油の他に,もうひとつ別の買い物もしなくてはいけなかった。業務終了間際まではしっかり覚えていたのである。それが,イレギュラーな案件の出現によってすべて頭から吹っ飛んだらしい。疲れに疲れが重なり,買い物は延期することにした。
 急に発生した案件もうまく片付け,上出来の本日終了だと思ったのだが,朝からの案件を2つとも処理していないのだから,さっぱりな一日である。処理能力の低さがよくわかった。というか,とっ鳥頭らしい。

2010年11月17日(水)成分が凝縮されし
 寒い。電気ストーブだけではPCに向かう気持ちもわいてこない。そんなわけで,今シーズンはじめての石油ファンヒーターの使用である。ありがたいことに,缶の中に昨シーズンの灯油が少し残っていたらしい。温かい。
 とはいえ,PCの側でファンヒーターをつけて暖気に当たっていると,ただでさえ水分の少なくなっている肌がさらに乾燥する。昔のしっとりやわらかお肌が懐かしいぜ。
 肌のことになると,ヒアルロン酸という言葉をよく聞く。保湿成分が豊富だと教えてくださる方がおありだ。残念ながら熱に弱いのだとか。フカヒレや豚足や鶏のトサカを生で食べるとよいということだろう。ボクには無理。このまま肌は荒野のようになっていくしかないらしい。

2010年11月16日(火)手袋が邪魔をしている
 いつも読書をしながら登校している女子中学生が,今朝は本を読まずに下を向いて歩いている。どうしたのかなと思ってよく見ると,手にブラウンの手袋をはめ ている。手袋をしていると本のページをめくれない。寒い冬の朝は,本好きの少女にはつまらなさそうだ。安全な登校になって良いとは思うけれど。
 だれかと待ち合わせして登校すれば,寒い朝も気持ちくらいは温かくなるような気がするのだが,ひとりの方が温かいのかも知れない。ボクは車のヒーターでぬくぬく。スピーカーからは中島みゆきさんの『ファイト』が流れているのだった。
  とはいえ,外気は冷たい。昨日は冷たい雨も激しく降った。いくら寒さに強いタマネギであっても,初めての砂地でふるえているのではないか。撒いたもみがら も少しケチったし。自分だけ温かく過ごすのも申し訳ない。月明かりの中,もみがらをたっぷりかけてやることにした。暗闇に怪しい「籾殻撒く人」である。冬の初めを温かく過ごしたお礼に,ふっくらと太ってくれるとありがたい。

2010年11月15日(月)ダウンロードをする前に
 『rockin'on』の広告ページが少なくなったような気がする。気のせいだろうか。念のために今月号と先月号を比べてみた。通常表紙裏から続くグラ ビア広告が,12月号は4ページで,11月号は10ページだった。半分以下。調べてみると,今年の他の号にも4ページがあった。
 そこで,過去5年 間の12月号で比較してみることにした。2007年から2009年の表紙裏に続く連続広告は10ページで,2006年は14ページだった。もちろん,冒頭 一連以外にも広告ページはある。たとえば,ツェッペリン特集の2007年は,冒頭の広告以外に34ページの広告があった。ちなみに,価格は282ページで 550円。今年の12月号はたった5ページである。186ページで650円。3年間で約100ページ減って,価格は20%アップ。なかなか厳しい数字のよ うに思える。
 CDが売れないから広告費が出せないのか。『rockin'on』の費用対効果がよくないのか。あるいはそれぞれの相乗的な原因か。CD離れの進んでいる若者相手に音楽雑誌を出版するのが,いよいよ難しい時期にきているようだ。
 この春に店じまいされたジャズ雑誌だけでなく,ロック雑誌の経営もなかなか苦しそうに見えるのだった。まっ,よけいなお世話だと思うけれど。

2010年11月14日(日)ビニール袋のもみがらは
 紫タマネギ系の猩猩赤の苗は,苗屋さんに5束しかなかった。1束50本で300円。もっとほしかったけれど,とりあえず猩猩赤の5束全部と早生の苗を買った。
 「今年の苗はちいさくないですか?」
 「どうも全国的に小さ目らしいで。大きい苗は種まきを早くしているやつだから,来年のトウ立ちが早いだないか。」と苗屋のおじさんがおっしゃる。天候不順は,こんなところにも影響がでているらしい。ホームセンターは,298円。3束買った。今日は450本の植え付けである。もみがらは20リットルで398円。高い。
 作業をしていると,散歩をしていらっしゃる方が声をかけてくださる。
 「ラッキョウの花がきれいですねえ。」
 「ちょっと生育が遅れているかもですけどね。」
 「タマネギも,砂地だから水やりが大変でしょう?」
 「いゃあ,タマネギはそんなに水やりをしなくてもいいんですわ。とりあえず最初にお湿り程度ですよ。」
 だからタマネギを植えているんです。
 88回も手がかかるという米や,交配や袋掛けや消毒で大変な二十世紀梨などをお作りの方は,ホント偉いと思うな。

2010年11月13日(土)手垢のついたフレーズは
 タマネギの苗を買いに行った。ホームセンターではなく,ここのところお世話になっている苗屋さん。しっかりしたみどりである。とはいえ,わが家が食べたいタマネギはスライス。オニオンスライスに適しているのは猩猩赤である。その猩猩赤の苗はなかった。入荷は明日の日曜日なのだそうな。明日も早起きをしなくてはいけないらしい。週末くらいはゆっくりしたいな。雨が降ったら植え付けは中止だが,明日の天気はどうなのだろう。
 そんなわけで,本日購入したのは早生のソニック等200本。1170円。苗からだと,タマネギはひとつ約6円というわけである。肥料代はさておき。種からであればボロ儲け?この時期は,ゆっくりできない休日と天気との相談だ。わが家のタマネギ作業はニッチ利用なのだった。まっ,いい加減ということか。
 そんな昼間は勉強会で,夜は反省会だった。「使い古された言葉は使わないようにしようぜ」とか「飛躍しようよ」というようなことが主な話題だったような気がしている。

2010年11月12日(金)室内にいた人たちは
 マフラーをしている若者が目につき始めた。軽いので夏用のズボンを履いているのだが,そろそろ冬のズボンにした方がよさそうである。
 そんな日に海岸沿いを走った。もちろん車で。おまけに助手席。おかげで,外の景色をゆっくり眺めることができた。山の木々が白っぽい葉裏を見せている。強風である。たいへん視界が悪 い。遠くの景色が見えないのだった。季節はずれの黄砂らしい。
 運転をしてくださっている方は,昨日,花粉症のような症状が出たとおっしゃる。鼻水が止まらなかったのだとか。重たい砂が飛んでくる前に,身体によくない軽い成分が先に飛んできているのだろうか。
 さいわい,ゴミと一緒に生活しているようなボクは,黄砂くらいはなんとかやり過ごすことができる。問題は,車の汚れである。一昨日GSに寄ったけれど,失敗だった。明日,きれいにしてもらえばよかった。
 それにしても,発生源付近にお住まいのみなさんは,遠く離れた地に車の汚れを心配していたり鼻水を垂らしている人間のいることなんか想像もつかないんだろうな。どこで迷惑をかけているかわからないんだから,少しは謙虚になろうぜ。いや,自分に言っているんです。

2010年11月11日(木)這いつくばってシャッターを
 砂丘の隣でラッキョウの花がまだ咲いている。緑と紫の絨毯。神戸や岡山の県外ナンバーの車もラッキョウ畑の農道を走っていた。砂丘観光のついでだろうか。 県外でも知られるようになったのだろう。ここは北海道かと思うような光景なのである。って,ちょっとオーバーだが,ついでにしておくにはもったいない眺め。
 車なしで三脚とカメラを持ち歩いていらっしゃる方も。おっ,路面にはいつくばって接写である。マクロレンズ撮影のようだ。撮影等のサービス用に,密集して植えてある場所だ。紫がひときわ深い。ディープパープルである。ラッキョウ・フロム・フクベ。
 中には花の終わっている畑もあって、生育に差があるようだ。そんな広大なラッキョウ畑と砂丘を挟んだわが家のラッキョウは,わずか100本ほど。かわいい。絨毯や座布団やコースターどころか,箸置き以下なのだった。

2010年11月10日(水)キャンドルの灯を消さぬよう
 雨の中を走るのだろうと覚悟していたのだが,虹や晴れ間も見えた。大山の上の方は見えなかったけれど。そんな快適なドライブである。
 キャンドルの灯を消さないように歩く若者の姿を見せてもらった。男性も2割ほどいらっしゃる。中には,最初の5,6歩の勢いが強すぎて,灯りが小さくなる人も。おっと危ない。って,そう簡単には消えないのだろうけれど。
 若者は,そこで歩みをゆるめる。他者との関係性を強く意識しなければならない仕事へ向かおうとしている人達である。自分のペースだけではダメなんだよ,というようなこともキャンドルサービスでも学ぶのかも知れない。
 30年前に卒業された方等,先輩のみなさんのスピーチがとてもスマートだった。スタンダードの高さを感じた式典だった。
 ボクがやがてお世話になると思うな。よろしくです。

2010年11月9日(火)きみのひとことさえあれば
 今週はア・ハード・デイズ・ナイトの毎日である。特に本日は,あいぶびーんわーきんらいかどっぐ。ノンストップ・ハイテンション。10分ほどのランチタイムのあとにも会議が待っていた。最後は夕方の街を徘徊して勤務終了。これほど業務が立て込んだ一日は今までにもそれほどなかったような気がする。あぃしゅどびすりーぴんらいかろぐ。明日の朝は,いつもより30分ほど早く車に乗って,大山方面まで走らなくてはいけないのである。
 帰りに寄ったGSのみなさんが,「よくガソリンが入る車ですねえ。」とおっしゃる。これでリッター30km走れば,通勤だけなら11か月と4日ほど給油をしなくてもいいらしい。残念なことに,リッター7km。
 屋根に白いものを積んでいる車も走っていましたよと教えてくださる。西の方から走ってきた車らしい。大山辺りは麓の方まで雪が降るようになったのだろうか。明日も疲れそうだ。

2010年11月8日(月)鍵穴のむこうに見えし
 アメリカ村では,巨大なお猿さんの名前をもつ中古レコード屋さんにも寄った。とりあえず世間の中古盤相場を押さえておかないと,いなばにおける適正価格やネットでの落としどころもわからない。
  ジャズはそれほどでもないけれど,ロック系の品ぞろえは豊富である。レジの上に飾られている「ストロベリー・アラーム・クロック」のアルバムに18000 円という値段がついていた。他人様の趣味は多様で奥が深いということをうかがわせる価格である。CDなら1000円でお釣りがくる。YouTubeで聴く こともできるのである。
 ジャズでもロックでも輸入オリジナル盤志向があって,国内盤は比較的安価。バンドではビートルズの価格が安定的で固いらしい。
 全体的に値段は手頃。300円ほどの盤もそこそこある。とりあえず,ヒプノシスがジャケットを担当しているアルバムを数枚購入した。部屋に飾るジャケット買い。手に持った感触がとてもしっくりくる。紙はいいな。

2010年11月7日(日)傘をくばりし人の目と
 「気いつけやーあんたのことやでそのバッグ」
 細い路地の電柱に標語が貼られている。さすが大阪。って,どこがやねん。
 そんなわけで,本日はアメリカ村を歩いた。カラフルでフォトジェニックな街である。
 パチンコ屋さんの前に椅子があるくらいは通常のことなのかどうか知らないが,アメリカ村では警備員さんがビニール傘を何本も持っていらっしゃる。今朝は少しだけ雨が降ったのだった。開店前に傘のないお客さんにお配りになるらしい。日本全国どこでもやっているサービスなのだろうか。あいにく,雨の日の開店前にパチンコ屋さんに並んだことがない。晴れていても並ばないけれど。
 なにわ商人の芸の細かさというか,さりげなくポイントを稼ぐ技術を学ばせてもらったのだった。負けて帰るときに雨が降っていればそのまま貸りることができるのだろうか。
 さて,本日午前中の阿修羅の行列時間は5分だったらしい。正倉院は90分。奈良へ行っていたというお知り合いに,ひょんなところでお会いしたのだった。

2010年11月6日(土)行列の最後に立ちて
 前夜は,本場仕込みのアジアン料理を食べさせていただいた。おいしゅうございました。
 本日も奈良に滞在。
 朝の9時前から,国立博物館へ向かう人たちが数珠つなぎである。奈良の街の人出はたいへん多い。今日も正倉院展はにぎわったことだろう。
 業務を終えた午後,久しぶりに興福寺国宝館へ向かった。奈良へ来た時には,いつも阿修羅にあうことにしているのだ。
 ところが,到着してびっくり。国宝館から離れた観光バスの駐車場の後ろまで行列ができていた。琵琶だけでなく,阿修羅よお前もか。
 最後尾には,40分待ちという札を掲げたおにいさんがいらっしゃる。3年前の土曜日は行列なんかなかったのに。残念。あうのをあきらめた。なんでも人気者になると困るね。

2010年11月5日(金)まほろばで過ごしたる夜の
 「平城遷都1300年祭」の通季イベントは11月7日までの開催らしい。この1ヶ月間は平城京フェアである。そんな大和の「螺鈿紫檀五絃琵琶」を見に来るようにね,というミッションをいただいた。ありがとうございます。
 宿舎は,ミッション遂行メンバーの米子方面の方がとってくれた。ホテル名を見てびっくり。数少ない大和の知り合いのひとりが住んでいる駅の近くのホテルだった。重ねてありがとうございます。
 ホテルからすぐのところで営業をしていらっしゃるのである。顔も見ないで帰るわけにはいかない。そのお店に立ち寄りたっぷりと話をする,というミッションも自分で下したのだった。わくわく。
 ということで,つづきはのちほど。
 つづき。
 正倉院展を見学した。権力者のコレクションなんかというご意見もあるかもしれないが,せっかくのまほろばである。「琵琶」だけでも見ておきたい。 夕方の5時を過ぎている。オータムレイトを利用することにした。格安料金である。2列の行列ができていた。その横を,通常料金の方や団体の皆さんがスイスイと入場される。チカ ラも金もない者はつらい。待つこと10分。それでも,オータムレイト入場開始時間ちょうどの5時30分になると入れてもらえた。
 「琵琶」の周りは 行列である。お嬢さんは、「並ばずとも見えます。」とおっしゃるけれど,できるだけ近くで見たい。並んだ。20分で1m近くまで接近。別のお嬢さんが, 「立ち止まらずに前へとお進みください。」とおっしゃる。そうは言っても19年ぶりの公開である。ついつい立ち止まって見入ってしまったのだった。美し い。いいものを見せていただいた。
 それにしても,いい商売をされていますなあ。お○○さん,まる儲け?

2010年11月4日(木)わたくしだけのよろこびを
 懐かしいアルバムジャケットを見かけた。相当レアなアルバムである。10年以上前に輸入盤で購入した,マーカス・シェルビーさんというベーシストのトリ オ・アルバム。タイトルは『THE SOPHISTICATE』だ。中身のわからない輸入盤を購入していた時期に,珍しく「アタリ」と思ったアルバムである。トリオの緊張感があって,ベース もよく歌っている。ジャズを流していたお店のマスターにも気に入ってもらった1枚。そんな昔のアルバムがネット・ショップに置かれているのである。
 ちぇーっく。
 なんと,あの寺島靖国さんがCDの販売をはじめられていたのだった。その記念すべき「寺島靖国監修寺島レコード・インポート第一弾」が,マーカス・シェルビーさんというちょっとレアなベーシストのアルバムというわけ。
 こっそり愛好していたものが人に知られると,うれしいような寂しいような気持ちになる。裏通りや木陰で密かに楽しんでいた遊びを,太陽の当たるひろい空き地でたくさんの人とやるようなものか。
 こうなってしまってはもう仕方がない。身体の動くピアノトリオがお好きな方はどうぞ,などと寺島さんをフォローすることにしたのだった。

2010年11月3日(水)寒くなるのを待っている
 文化的に過ごしなさいという祝日なのに,通常より早い時間から勤務。サクサクと業務を終えて,日没前に帰路についた。
 畑のラッキョウが紫の花をつけている。生育が遅れ気味のわが家のラッキョウが咲いているということは,砂丘脇のプロのラッキョウ畑はすでに見ごろを終えているのかも知れない。沈む夕陽と競争しつつ鳥取砂丘の向こうまでドライブ。案ずることはなく,今が満開だった。週末も大丈夫。作業をしていらっしゃったお嬢さんにお聞きしたら,今年はいつもより開花が遅いとか。残暑のせいらしい。
 という文化の香りの薄い一日である。夜くらいは文化的に過ごしたい。とりあえずフレーズをいくつか書き上げてみた。しばらく寝かせておけば,ある日ミューズが降臨してくれるかも知れない。ラッキョウは漬けてから1カ月ほどで食べることができるようになるが,さてフレーズがほどよく熟成するにはどれくらいかかるのだろう。

2010年11月2日(火)渋柿であるからこその
 西条柿の季節である。本来渋柿だが,ドライアイス等で渋が抜け,大変甘い。柿の中ではいちばん好き。そんな西条柿を使った「柿菓子商品開発試食茶会」に寄ってみた。
 今年で2回目。というか,今年は商品のお披露目会のご予定だったようだ。もう少し改良を加え,本格商品化は来年にしたいというのが参加店のみなさんのご意向らしい。
 「柿もなか」や「柿ようかん」や「柿巻き」や「柿ドラ」や「柿にしき」や「柿っこ」と名付けられた和菓子が並んでいる。洋菓子屋さんがお作りの「柿ムース」も。
 どれどれ。
 茶道部の女子高生が点ててくれた抹茶をいただきつつ,「西条菓子」全種目制覇。といってもWHOLEではなく切り身だったりしたのもあって,ちょっと残念。
 それぞれ柿の香りがつまっているけれど,さて大事な恋人へのお土産にどうかということになると,ちょっとためらうお菓子もあるような気がする(恋人はたとえばの話である,念のため)。
 ウサギさんが乗っかっているように見える「柿ムース」は,ちょっとボクには甘すぎる感じ。食べさせてもらった中では,柿の香りたっぷりの「柿ゼリー」がいちばん舌に合っていたような気がする。さらに美味しい西条菓子にしていただきたい。
 とはいえ,夕食後に食べたちょっと固めの西条柿はさらにおいしいのだった。

2010年11月1日(月)ふるえることで形になりぬ
 サンタナさんが演奏する『While My Guitar Gently Weeps』を,GyaO!で見ることができる。ヨーヨー・マさんつき。ラテンフレーバーなギターだ。今は亡きジョージ・ハリソンさんの曲である。レコーディング時にクラプトンさんがソロを弾きにやってくると,関係悪化中のビートルズのみなさんも気をお遣いになったという曲だ。2枚組のホワイトアルバムは,いなかの貧しい高校生には買うことができなかったのも懐かしい。
 サンタナさんのキャラを考慮してあるのか,ややセクシーな動画である。
 そんな動画と一緒にパソコンから流れ来る音は,ちょっとチープ。ホームセンターで買ったアンプ内蔵の安いスピーカーなのである。世の中には,DAC(Digital to Analog Converter)という,デジタル信号をアナログ信号に変換してくれる便利な装置があるらしい。
 パソコン経由でこんなに音楽や映像が簡単に手に入るようになると,パソコン周りの音のシステムアップを考えた方がいいかもと思ったのだった。

2010年10月31日(日)たぶん明日も転ぶ予定で
 先週の「ニッポン全国短歌日和」の際のわが家界隈の日和はよくなかったけれど,本日の「いなば伯耆全県短歌日和」には少し参加させてもらったような気がする。宮崎からいらっしゃった伊藤さんにたくさんのことを学ばせていただいたのである。
 「つまずいた石を宝石に変える」とか,「今日がいちばん若い」とか,「弱い自分を客観的に見つめる」とか,「問いをみつけたら解決したようなものだ」とか,「時々笑いもね」とか。
 大和言葉も大切のようだが,外へ出て行って,失敗したり傷ついたりすることも重要らしい。そういうことなら得意分野である。あちらこちらで失敗続きなのだ。ネタは結構あるけれど,それを液体や気体にする作業が足りないのであろう,ボクの場合は。
 とりあえずそんなことがわかっただけでも,今日はたいへん有意義な一日だった。ような気がしたのだった。みなさんありがとうございました。

2010年10月30日(土)柄眼目に生まれしことを
 夜は寒い。自分だけ電気ストーブをつけているのは,寒がりの植物に申し訳ない。デンドロやシンビジュームを屋内やガラスケースに格納することにした。ナメクジまで一緒に入ってくることが多い。ちぇーっく。裏にたくさんへばりついている。ナメクジも寒いのはイヤだろうが,すまないね。
 そんな10月の終わりにプチトマトが赤くなっていて,琉球朝顔が20以上の花をつけている。夏はそれほど咲かなかったのに。雑草になっている庭の国産朝顔も数多。種をたくさんつけているノーリアンズブラックも,ひとつふたつみっつ咲いている。
 大ぶりだった琉球朝顔の花は少し小ぶりになっているが,開花期間はほぼ二日。二日目は色を淡くして。二日青である。「あきのそら」ということにした。秋にちょうどよいような色と大きさの朝顔になっている。昨年は11月中旬ころまでは楽しませてもらった。さて,今年はいつまで咲き続けるのだろう。
 それにしても,夏の花だと思っていた朝顔は,暑さに弱く寒さに強いらしい。わが家だけのことかも知れないけれど。

2010年10月29日(金)あなたのうちに帰れたら
 アヴィシャイ・コーエンさんの新譜が届いた。親切な方がカモに新譜のおすすめをしてくださるのである。トリオ演奏。重量級の不規則単音ベースとピアノが聴けることだろう。まずは包装のセロファンをはがす作業。ジャケット裏のクレジットを見て,あれれ?アヴィシャイ・コーエンさんはトランペットを演奏していることになっている。えっ,トランペットも吹けるの?
 と思いつつプレイボタン。トランペットとベースとドラムのトリオである。なんちゅう珍しいトリオやねん。それにしてもと思い検索をすると,なんと同姓同名の別のアヴィシャイ・コーエンさんだった。もう4枚もトランペットアルバムを発表されているらしい。
 イスラエルには,アヴィシャイ・コーエンという名前がごろりごろりと転がっているのだろうか。田中実さんとか鈴木実さんのように。って,ボクにはそのようなお名前の知り合いはいないけれど。思いこみや早とちりをしないようにという警告だったかも知れない。反省。
 とはいえ,このトランペットのトリオ・アルバムは,キンキンしたところの少ない穏やかな演奏で,金管好きの人には面白いかもと思ったりした。『You'd Be So Nice To Come Home To』だって演奏されているし。通して2回も聴いてしまったのだった。
 あなたがわが家へきてくれてナイスだったわ。と思い込むことにした。

2010年10月28日(木)テューバの音を追いながら
 ライブを聴くという業務らしい。
 そんな時間の過ごし方でよいのかと思うのだが,そなたの案ずることではない,それで面倒をみてやるとおっしゃる。素直に会場へ。
 ライブは金管がメインである。戦いを鼓舞するには良さそうだが,ハードな今週だったせいか,もう少し柔らかい音をボクの身体は求めているようだ。主にテューバの音に意識を集中させながら過ごしたのだった。重いし,息を吹き込むのも大変。そんなテューバを吹いている人は,なんだかキャパが広いように見える。どうして高校生の頃,もっとテューバを大事にしてやらなかったのだろう。イヤイヤ吹いていたのである。
 ライブの中には,『りんご追分』の中途半端なジャズっぽい演奏もあった。ジャズを聴きにきている聴衆ではないから,本格ジャズを求めても詮無いことである。
 帰宅後に,本格派『りんご追分』を聴き,気を取り直した。とりあえずバロンさんと,順子さんのピアノ。
 すっきりした。

2010年10月27日(水)風車のすべて回りたる
 大山のあたりをうろつく業務である。いつもより早く自宅を出発。海は大荒れである。海に沈むにはまだ時間がかかりそうだが,月が西の空に傾いていた。2時間ほど走って目的地に到着。
 寒いだろうと予想はしていた。それ以上だった。なんと大山は雪だったのである。ニュースによると初冠雪らしい。山には雲がかかっている。てっぺん付近は見えない。しかし,何カ所かのスキー場が雪で白くなっていた。なかなかハードな業務である。みなさんおつかれさま。長い間エンジンを切っていた車の中があんなに暖かいとは思わなかった。
 このまま秋が終わるわけではなく,ちょっとした冬のリハーサルなのだろう。わざわざ練習をしなくても,ぶっつけ本番で十分だと思うんだけどな。毎年きちんとやっているのだから。

2010年10月26日(火)イチジクの濡れた葉っぱに
 くだんの少女もさすがに今日は傘をさすことに集中していた。通学通勤時間は,傘の骨が折れた人もいるのではないかというほどの,ちょっとした雨風嵐だった。桜土手は枯葉の中国山地。
 車を降りてからは,なるべく細い道路を選びながら職場へ向かった。風が弱いのではないかと思ったのである。とはいえ,細い道路ばかりあるわけでもない。広い道路も歩かなくてはいけない。さすがに風も大量である。建物側に張り付くように歩行。雨をよけることに気を取られ,歩道にはみ出したイチジクの葉っぱが顔に当たって濡れたりする,味わい深い朝だった。
 昼間も寒かったそんな日の夜はますます冷え込んできた。こんな時期から引っ張り出していいのかと思ったが,今シーズン初めての,電気ストーブスイッチオーン。ぬくい。次年度の参考のため,とりあえず記録しておくことにした。とはいえ,400Wひとつだけである,念のため。

2010年10月25日(月)ひんやりとした空気の朝に
 文庫本を読みながら登校しているメガネをかけた女子中学生と毎朝出会う。歩道ではなく,車道の隅を歩きながらである。雨が降っている今朝も,傘をさしながらやっぱり本を読んでいる。一緒に登校する友達はいないのか,友達と登校するより読書の方がよいのか。
 それほど広い道路でもない。緩やかなカーブもある。対向してくるのは自動車だけでなく自転車もあって,車から見ていると危ないように思うのだが,運転をする人を信じ切って本の世界に没頭していらっしゃるようだ。そんなに面白い本があるなら,おじさんにも教えてほしいものである。
 携帯を操作しながら歩いている人はなんだかなあと思ってしまうけれど,本だとついつい甘くなりそう。とはいえ,二宮さんのころとは道路事情も違う。本を読んでいるんだからみなさんの方がよけてねという態度が通用するのは中学生くらいまでのような気もする。事故に遭わず,早く中学生を卒業するようおじさんは期待しているよ。

2010年10月24日(日)優しい雨に朝顔は
 雨が降っている。残念。いろいろと戸外での計画を立てていたのである。畑へ行くとか,ムカゴを採りに行くとか。そんな雨の日のテレビの中はニッポン全国短歌日和らしい。
 雨とはいえ,テレビ番組にべったりとおつきあいするわけにもいかない。雑草化しているバジルを摘んだり,高根の出ている蘭の手入れや,鉢からこぼれまくっている多肉植物の子ども達を新しい鉢に移してやったりした。
 そんな日の晩ご飯には,毎年のようにいただく四方竹の煮物がついていた。使い捨て手袋をつけ,ふたりで皮むきをしたのである。トウガラシがふられ,ちょっと大人の煮付け。おいしい。感謝。
 さて,テレビにあやかり,思い浮かぶフレーズがないか頑張ってみた。ありきたりの言葉しか出てこない。BGMのフュージョンがいけなかったのだろうか。
 残念。ニッポンのなかでこの辺りだけ,短歌詠めない日和だった。

2010年10月23日(土)退屈な比喩をつかって
 午前中の業務を終えた帰宅途中,信号待ちをしている時に隣からクラクション。「いゃあ,こんにちは。珍しいところで。」「これからタワーレコードのようなところの勉強会ですよ。」「えらいなあ。」
 遠くまで勉強会にお出かけの人もいらっしゃるのである。オヤジもちょっとはがんばらないとね。そんなわけで,午後は昼間から珍しくひとり勉強会をしてみた。といっても,余白の多い書籍をひたすら読み続けてみただけである。ついでに門の入り方なども。
 わかりすぎるのはおもしろくないとか。言い過ぎるのはよくないとか。説明はやめようねとか。感動のピークをキャッチとか。無警戒はだめよ,理に注意など。つかれた。
 コレクションとか何かが好きですという時には,とりあえず100くらいそろえたいと思っている。さて,余白の多い書籍はどれくらいあるのだろうと数えてみたのだった。
 まだ修行が足りないようである。
 『24』のつづきを見ることにした。

2010年10月22日(金)この次に交換をする
 白熱電球を交換することにした。LED電球。手頃な値段になったと思ったのである。ところが,安いモノは,調光器機能のあるものには対応していない電球だった。残念。こんなことが起こるとは思いもよらず,2段階調光器を取り付けていたのだった。
 一度にたくさんは購入できそうにない価格である。とりあえず,沖縄のビールのような会社の電球を4個ほど買ってみることにした。電球色より白昼色の方が2割ほど安い。ついつい安い方を買うことにしてしまった。
 今までのウォームな雰囲気から,一気に,みすぼらしいというか寒々しい明かりの下で過ごすことになった。見てはいけないところが白熱灯よりクリアに照らされている。部屋がチープに照明されるような気もする。そのうち慣れるだろうと思うことにしたのだった。
 消費電力は一般の白熱灯の1/8,寿命は約4万時間と表記されている。1日10時間ほど点灯しても,次の交換までには10年ほどかかる計算だ。5時間だったら20年。
 もうほとんど電球の交換をしなくてもよい人生になりそうだ。ちょっとさみしい。

2010年10月21日(木)まさか飲んでも効き目があるとは
 ここのところ,眠る前にコミックを読んでいる。
 来週中頃までが業務上の山場のひとつ。珍しく,昼間に頭を使っているのである。せめて寝る前くらいはのんびりとコミックでもと思いつつ,その前に『24』を見たりもしていて,懲りないヤツ。
 枕元には,『珈琲時間』とか『コーヒーもう一杯』とか『カフェめるへん』とか『テルマエ・ロマエ』とか。『テルマエ・ロマエ』は,ローマ帝国と「平たい顔族」日本のお風呂を行き来する建築技師というあり得ないお話。湯は洗うためではなく,心身を健やかにさせる為にあるらしい。おかげで,今までは100まで数えて「おまけのおまけの汽車ぽっぽ」で湯船から上がっていたのが,200まで数えて「ぽーっと鳴ったら上がりましょ,ぽっぽー」まで湯船につかるようになったのである。おそるべしコミック。
 そういえば,相変わらずコミック原作のドラマが制作されていて,『モリのアサガオ』というちょっとレアな場所が舞台になった物語も放映中。ちょっとクセのある画風で好き嫌いがありそうな原作に対し,なかなかよくできているドラマのようにも思われる。
 『テルマエ・ロマエ』のテレビドラマ化は相当難しいと思うけれど。

2010年10月20日(水)廃業の告知は白き
 ここ数日閉まっていることの多かった最寄りの喫茶店が完全閉店されたらしい。最寄りと言っても,6〜7分は歩かなくてはいけない距離である。営業にご協力することもほとんどなかった。申し訳ないことである。その近くにも似たようなお店がある。同じような場所にあっても,そちらのお店の駐車場には車の駐まっていることが多かった。その違いは何だったのだろう。
 ちょっと人目をひく塗装の外観。大きな観葉植物が何鉢かあって,コミックや週刊誌や新聞が置かれていた。カフェレストランと言いつつ,メニューは昔ながらの伝統的喫茶店メニューというか,よくある洋食屋さんの定番が中心。
 あまり笑顔を見せてもらえなかったような気がするのは,常連というほどにならなかったせいだろうか。残念。仲良くさせてもらい,お店を継続する難しさやリスクなんかを聞かせてもらっておけばよかったな。いゃ,聞いてみるだけですけどね。

2010年10月19日(火)立ち止まり聴く人のなき
 久しぶりに人の集まる場所へ出かけた。あれこれを兼ねた業務。バス乗り場とか。高速バスは6枚綴りの回数券もあるのだった。切離無効。
 公園脇の東屋付近に立っているおまわりさん3名を発見。座っている男性に職務質問である。顔が赤い。お酒を飲んでいるのだろう。まだ17時にはなっていない。勤務時間中の人もいらっしゃるわけだが,そんな時間であっても,公園近くの東屋で酒を飲むくらいは自由だ。公園内の屋根のある場所に常駐している方には声をかけないので,通報でもあったのかも知れない。ごくろうさま。もっと雰囲気の悪そうな光景を見かけたけれど,そんなところにはおまわりさんも近づきたくないのだろう。
 その場所と反対側では,乾電池駆動アンプで増幅したメロディアスなアコギを弾いている若者が1名。うまいなあ。自転車に乗った状態でしばらく聞かせてもらう。職務質問を終えたお巡りさん達も近くに接近。いつもの光景なのか,もう許容されているストリート・ミュージシャンなのか,おまわりさん達は一瞥しただけで去って行った。よかった。
 すべてルール通りではなく,時には片目をつむることもないとね。

2010年10月18日(月)籾殻の燃える香りの
 いなばの国分寺界隈をドライブ。野焼きというか,籾殻でも燃やしているのかあちらこちらで煙がまっすぐに上がったり,霞のように横にも広がっている。車の窓を開けているので,植物の燃えている懐かしい匂いが入ってくる。都市部ではなかなか体験できない貴重な秋の香りであろう。風景だけでなく,匂いも楽しめる田園の中のドライブである。
 とはいえ,住宅街に隣接している畑でも煙が広がっている。野焼きのマクロ的見解や法律のことはよくわからないけれど,住宅の密集地帯で広範囲に煙を作り出せば,洗濯物を干しているみなさんは困っていらっしゃるのではないか。秋の香りのきらいな人はいないのだろうか。
 住宅より田んぼや畑の方が先にあったわけで,あきらめていらっしゃるのかも知れない。それとも都市部では楽しめない香りを満喫されているのか。
 廃棄物の野焼き禁止の例外事項であったとしても,気の弱いボクはとてもできないけれど。

2010年10月17日(日)切り倒す相談のある
 早朝から一斉清掃。鎌を持っていつもの公園へ。今年度3回目の公園の草刈りである。過去2回に比べ,参加者が少ない。巨木になりすぎたプラタナス対策の話題の後,「三分の一も出とんさらんでないか。」「昨日の夜か今朝に,マイク持って町内を歩かないけんわいなー。」というような長老のみなさんの会話が聞こえてくる。
 それでも,中学年くらいまでの小学生が7人参加。「よー働くなあ。」等とひとりに声をかけると,遊んでいたメンバーも鎌を持って作業に加わる。ボクの抜いた草を集めに来てくれたり。公園の清掃に参加する大人になるようにね。まっ,しゃべりに来るだけの大人でもよいと思うけれど..。
 そんな朝早くから働いているボクを慰労してくださるという奇特なみなさんがおありらしい。お嬢さん方と居酒屋で楽しい夜を過ごさせていただいたのだった。ありがとうございました。お嬢さんというのはボクから見た場合なんだけどね,念のため。
 そういえば公園では,めでたく100歳になられたお隣のおじいさんが総理大臣からお祝い状を受けたという話題もあった。おめでとうございます。多分,世の中のほとんどの女性はお嬢さんですよね,谷川さん(仮名です)。

2010年10月16日(土)終齢の幼虫のいる
 そろそろサツマイモの収穫期ではないかと思われる。バケツを持って芋掘りへ。とりあえずひと株抜いてみた。7個の赤紫色鮮やかな芋がついていたけれど,もう少し育ちそうな気もする。結局,収穫はひと株だけにした。あかね色の空を見ながら,軽いバケツで帰宅。今夜は,いまどれサツマイモの豚汁。
 庭を見ると,クチナシの柔らかい葉っぱがほとんどない。クチナシの葉の好きな,おしりに黒い角をつけた蛾の幼虫がいるのである。オオスカシバ。申し訳ないが殺虫剤散布。葉っぱからみどりの幼虫が次々と姿を現してくる。下半身側の足で葉につかまり,頭部を懸命に振り回す。突然の危機を回避しようとしているように見える。ごめんね。
 17時を過ぎても朝とほとんど色の変わっていない花をつけている琉球朝顔にも幼虫発見。紫陽花にも。幼虫から見れば,わたくしはゲシュタポのようにも見えたことだろう。こんな蛾の幼虫がいるのに,桑の葉を食べる幼虫がいないのが不思議である。
 さて,地面にはあちらこちらに穴があいてる。相変わらずイタチが暗躍しているようだ。10cmほどの深い穴も。働き者である。とはいえ,わが家で暮らすつもりなら,のんびり怠惰に過ごしてもらいたい。念のため,こちらのみなさんには木酢液をばらまいてみた。働き過ぎを改善してくれるとよいのだけれど。

2010年10月15日(金)マザーボードのチップをひねる
 正常動作をしなくなった先代のデスクトップを分解した。HDDは,1290円で落札したIDE用3.5インチHDDケース,IDE光学ドライブは,1980円で落札のケースに格納し,どちらも外付け仕様として復活。使うあてはないけれど,韓国製メモリ・ボード2枚も外して保管することにした。
 他にも使えるものがあるのだろうが,素人には宝かゴミかわからない。残りの基板等の部品は,それぞれ最小単位まで解体作業を行った。コードはザクザク切断。小さな部品はつまみ取り,外のケースの天板部分も簡単に小さく折りたたむことができた。
 ということで,本日の小型破砕ゴミ回収日に合わせての作業である。さて,小型破砕ゴミとして持っていってもらえるのだろうか。
 そんなわけで,帰ってからの第一声は「持ってってもらえた?」だったのである。

2010年10月14日(木)頼りなきあかりの下を
 駐車場から自宅へ帰る途中,街灯付近を女子高生が歩いてくる。小中学生とは登校時によく会うけれど,高校生には朝も夜も会うことは少ない。顔もはっきりとはわからない。挨拶をしても不審者と思われるくらいだろう。スルーしようとしたら,向こうから「こんばんは。」と声をかけられた。ちょっとビックリ。
 わが家界隈の小学生も中学生も自分達からはほとんど挨拶をしない。朝は,すべてこちらが最初に挨拶の声をかける。大きな声で返してくれる男の子はそれなりにいるが,女の子には声の小さい子が多いように思われる。そういう指導を家庭でされているのか,よほど人相のよくない不審者と思われているのか。
 それに比べ,今晩の女子高生はいい挨拶だったな。玄関までの歩みがちょっと軽い感じ。道路に壁が倒れるというような災難がふりかかることもあるらしい。ひどい話である。
 ボクに挨拶をしてくれる女子高生に,そんな災難が起こりませんように。

2010年10月13日(水)いきどおりとどまらめやも
 「世間というものがやっとわかったわ。」とお怒りである。どなたも手をさしのべてくれなかったらしい。「わたしだったら,子どもを連れていても助けてあげるのに。」
 ニュースではチリの救出作業ぶりが報道され,あたたかい空気が流れているというのに,身近なところではそれどころではないのである。とりあえず,大変な難作業ごくろうさま。
 それにしても,この歳になってやっと「世間」を思い知ったとは,それまでがそれほど悪い人生ではなかったということである。ボクのおかげだろう,きっと。めでたいことだ。
 ちなみにボクは,砂丘のゴルフ場でキャディのバイトをした高校時代や,山手線の駅前でビラ配りをした時や,池袋のピザ屋さんでバイトをした時に,すでに世間の冷たさを思い知った。それ以後,一部の例外を除いて,世間はほとんど厳しかったような気がするのだ。
 そんなボクよりよほどよい人生だったということである,昨日までは。めでたいめでたい。

2010年10月12日(火)忘れてもいいけどボクの
 離れ小島の部屋を出た時には,忘れないようにしようと意識して出たのである。それなのに,そのことを思い出したのは,自分の机で別の仕事を片付け,再び小島のデスクに戻ってからだった。
 一体,手漕ぎのボートが大海原のどの辺りにいた頃まで覚えていたのだろうと思い出してみるが,もちろん思い出せない。何人かの人に話しかけたり話しかけられたりの道中とはいえ,鳥頭になりつつあるのだろうか。三歩で忘れる鳥頭。三歩歩いてもうケッコー。
 念のため,島から本土までの歩数を数えてみた。たった115歩だった。三桁とはいえ,最後の歩数まではもたなかったということだから,鳥さんと大してかわらないかも知れない。鳥さんには失礼な話であるが。どこから鳥さんはそんな忘れっぽいことの代名詞になってしまったのだろう。まっ,どうせならりっぱな鳥をめざすことにしよう,『バードランド』を聴きながら。
 おっと忘れてはいけない。「五日紅」だった。

2010年10月11日(月)叫ぶのは漢字ではなく
 「四日紅」に変更。「したまがり」は本日も元気だった。
 さて,身体を動かす日らしい。サイクリングをされている方もおありだ。ビールがおいしかったに違いない。どこにも行けなかったので,午後からでも間に合う観光地に行くことにした。ついでに,ラッキョウ畑と,梨狩りでにぎわっている梨農園の農道も走った。車で走っているのが残念。
 ラッキョウはわが家の三倍くらいに伸び,つぼみのついている株も多い。緑と紫のコラボは近いようだ。梨農園の近くには,カラスの捕獲場というか罠のカゴが設置されていた。去年はなかった場所だ。20羽ほどのカラスが大きなケージに閉じこめられていた。その近くには,子猫三匹が捨てられていた。かわいい。梨農園の近くで,そんな観光もしたのだった。
 本日の観光の目玉である砂丘の駐車場はどこも満車状態。都市部の観光地と違い,無料の駐車場のあるところが良いところである。
 砂丘の中心で愛を叫ぶというイベントも計画されているらしい。女性は目をあけて,男性が目をつむっているのが素敵な砂像に案内の看板があった。24日だとか。馬の背付近がにぎやかくなることだろう。
 愛は静かにささやくのが大人だと思うな。

2010年10月10日(日)雲厚き日の砂丘に立ちて
 曼珠沙華はまだ萎えておらず,今朝も見ごろだった。おっと,昨日と同じはじまりである。玄関先の曼珠沙華は3日目も楽しむことができた。とりあえず「三日紅」である。読み方は「したまがり」でどうか。
 そんな曼珠沙華や地植の琉球朝顔を眺めていたら,トレーニング・ウェアを着た方がお通りである。
 「こんにちは。お久しぶりですねえ。ウォーキングですか。」
 「いや,卓球でひと汗かいた帰りですわ。」
 そういえば,卓球を趣味にしていらっしゃったのを思い出した。以前,町内で一緒に仕事をさせていただいていたのである。
 「仕事は,相変わらずあっちの方ですか。」と,ボクの勤務先方面を指さされ,「仕事があるのがええですで。」と付け加えられる。好きなことをやるのもいいですけどねえ,ボクは。
 思わぬ晴天。昨日と同じところへ出かけ,あちこち歩き回ったあと,砂丘へ行ってみた。虹がかかっていたり,海が空の白さを映しているのか,美しい水平線だった。

2010年10月9日(土)影のない日の静かな海を
 曼珠沙華はまだ萎えておらず,今朝も見ごろだった。水滴を撮ってみたりしながら朝の鑑賞会は終了。「うちの主人がこの車がほしいと言うんですよ。」等とおっしゃるご近所の若い女性もおありだ。うーん。また塗料が浮いてきているところがあるんですわ。
 続いて,ゴーヤーの整理に着手。茎は立派に育っていたけれど,収穫量はいつもより少なかった。激暑のせいだろうか。
 約束していた時間になんとか雨は小降りになった。海岸に行ったり漁港に行って業務。個展をやっていらっしゃる方の所へも行き,ご挨拶。本日はこれで解散である。影のなかったのが残念。続きはあした。影は期待できそうにないけれど。
 帰宅後,畑をチェック。植え付けたすべてのラッキョウの芽が出ていた。長いものは20cmほどになっている。あまり肥料をやり過ぎると柔らかくなるとか。固いやつに育ってほしい。タマネギ用の肥料を心持ち少なめに施しておいた。ネダニ対策というのも必要らしいが,まっ収穫できなかったらあきらめることにする。

2010年10月8日(金)秋休みはじまる朝の
 今朝は鉢植えの曼珠沙華がほぼ満開だった。朝顔もにぎやか。ノーリアンズブラック5世はもちろんだが,琉球朝顔は今が盛りのごとく夕方まで花が咲いている。暑さですぐに萎れそうな夏場は,よほど花を開かせたくなかったのだろう。
 曼珠沙華も,どうせ咲くなら朝がゆっくりできる明日にしてくれればよいのに。朝方,2・3枚シャッターを切って出勤したのだった。
 家を出たら,いつもわが家の隣で友達を待っている中学生に会わない。欠席か?と思ったけれど,交差点には交通指導員のみなさんもいらっしゃらなかった。2学期制で秋休みに入った学校がおありらしい。四連休?それとも五連休?いいなあ。ゆっくり朝顔や曼珠沙華を眺めることができそうだ。
 エアポケットを抜けたらいろいろと業務が待ち受けていた。締切もある。遠出はできそうにない連休である。朝がゆっくり出来るのだけがせめてもの救いだ。
 明日の朝は,萎んだ花の美しさをゆっくり探してみることにする。

2010年10月7日(木)しごいておりぬこんな夜更けは
 ご近所のおばさんから紫蘇の穂の甘辛煮をいただいた。もらいものらしい鯛とかキスも。明日は胃カメラを飲む日なのだそうだ。せっかくの新鮮な魚なんだからということで,わが家にまわってきたのだった。ありがとうございます。
 紫蘇の穂はテンプラにするのが手っ取り早い。けれど,いつの頃からか甘辛煮もおいしいと感じるようになった。多分,ラッキョウを食べることができるようになった頃だ。結構なアダルトになってからである。18歳未満のころは,紫蘇の穂の甘辛煮もラッキョウの漬け物もあまりおいしいと感じたことがなかったのだ。子どもにはわからないアダルトな食べ物らしい。
 わが家にも雑草化した紫蘇の穂が大量にある。作ろうと思えば甘辛煮はできる。とはいえ,穂をしごくのが大変。かつて膨大な紫蘇の穂をしごかされたことのある同居の妻は,一生分の紫蘇の穂をしごいたらしい。そんなわけで,甘辛煮を作ってもらおうと思えば,自分でしごいてねと言われるのである。
 なにはともあれ,いただきものの質素な紫蘇料理,おいしそ。

2010年10月6日(水)警告を受け入れている
 PACIFICやintro等のマイナーレーベルの作品を,EMI Music Japanが「ジャズ名盤ベスト&モア999シリーズ」として発売されている。輸入盤に近い価格である。2000円だと買わないけれど,その半分であれば買ってもいいなという作品が何枚かある。失礼なことであるが。
 たとえば,クレア・フィッシャーさんとかジミー・ロウルズさんとか,マット・デニスさんとか。アマゾンで購入した商品が送料無料の1500円に届かないような時に,ちょっとずつ追加してみたりしている。
 ところで,そのシリーズのいくつかの商品をアマゾンで探すと,画像部分にジャケットが表示されず,「警告アダルト商品」と表示される。たとえばマット・デニスさんのアルバムをクリックすると,赤い文字で,「警告 このストアは、アダルト商品および18歳未満の方には不適切な表現内容が含まれる商品を取り扱っています。18歳未満の方のアクセスは固くお断りします。あなたは18歳以上ですか?」と尋ねられる。どゆこと。とりあえず18歳はちょっと前にクリアした。「はい」をクリック。やっとアルバム・ジャケットが表示される。「ウェルカム」と女性を招き入れるマットさんが写っている。アダルトと言えばお茶目なアダルトである。
 アート・ペッパーさんの「モダン・アート」も「ジ・アート・オブ・ペッパー」も,ソニー・クリスさんの「ゴー・マン」も「警告アダルト商品」だ。足を露出している女性をバイクに乗せているのがいけないのだろうか。それとも,演奏が浪花節だからアダルトなのか。
 ボクは,10代の頃にこれらのLPを入手し,ペッパーさんやソニークリスさんにすっかりはまることになったのである。若いときに危ない商品を買い揃えながら,なんとかそこそこのアダルトに育っていったらしい。その頃に「買ってはいけない」と警告しておいてくれれば,ちがうアダルトになったかも知れないのに。残念なことである。

2010年10月5日(火)そこだけにのびたる影は
 明日の業務の準備は完全完了。とりあえず,急いでやらなくてはいけないことのないエアポケット状態である。
 音楽を聴いたり,本を読んでみたり。ついついオークションなどものぞいてみたり。暇な時に行く場所は大体決まっている。コレクターズ・アイテム。ほとんどの人にはゴミということだ。どれどれ。20ページほど商品が掲載されているが,煮詰まっていてめったに掘り出し物は出ない。
 ところが,ページをめくっていてビックリ。いつぞやそこそこの価格で買った1枚が,超格安で売り出されている。どうしてこんな低価格で出品するのだろう。傷でもあるのか。それとも低価格でもそのうちつり上がると思っていらしゃるのか。いずれにせよ,すでに所持している者には迷惑な話だ。
 結局,終了時間が近づいてもだれも食いつかない。再出品されるのだろうか。こんな低価格が世間にさらされ続けるとありがたみも薄れる。仕方がないので,入札してみた。株式売買のナンピンのようなものか。
 競争相手もなく落札。平均購入単価は下がったけれど,さらに下がっていくのかも知れない。高値づかみだったらしい。

2010年10月4日(月)カスタマイズをしたる部屋
 住んでいるところも陸の孤島であるが,昼間も陸の孤島のような場所で時間を過ごすことがある。配流の身かも知れない。まっ,それはそれで島巡りの訪問客もあったりするから楽しい。ME搭載のPCだってあるし。
 とはいえ困ることがあって,孤島にはお湯がない。コーヒーは本土へ行けば何カ所か飲ませてもらえるサーバーがある。今日は,大陸から届いたジャスミン・ティだって飲ませてもらった。しかし,味噌汁のためにわざわざ白湯を本土からもらうのも面倒。
 帰りに,ホームセンターで電気ケトルを物色した。いちばん安いのが1980円だった。飲みたいときにすぐに沸く系らしい。それでも400ccが沸騰するのに3分12秒かかった。すぐに沸くというは1分くらいかと思っていたけれど,もっと高級品の話なのだろうか。カップ麺を食べるためには6分かかる。
 白湯はプレーンではなく,ちょっと香りがついて口に残る感じ。どうせ濃い味噌味になるのだから贅沢は言うまい。ということで,使われていなかったPCにソフトを入れたりしつつ,ちょっとだけ孤島のカスタマイズ中。
 もちろん,よい仕事をするためなのである。念のため。

2010年10月3日(日)素焼きの鉢に伸びている
 庭にイタチがいた。冬に備えているのだろう。いい体つきである。最近,ちょっと大きめの鉢やプランターの土が掘り返されていたが,土の中の幼虫などを補食していたのかも知れない。オランダイチゴの苗が3本ほど被害に遭っている。木酢液でも撒いておこうと思ったら,雨が降ってきた。残念。撒くのは雨が上がってからである。
 キンモクセイがつぼみをつけている。が,香りはいまひとつ。
 彼岸はとっくに過ぎたというのに,鉢植えの曼珠沙華もやっとつぼみが見えた。鹿野産。曼珠沙華の葉は花が終わってから出てくる。花芽が伸びてこないから,てっきり今年は球根が枯れてしまったのかと思っていたのだった。気温が下がらないと開花しないらしい。今年の天気のイレギュラーさの記録として,画像も載せることにした。緑の中の曼珠沙華ではなく,コンクリートの上の鉢植え。この花が咲けばわが家は秋なのである。
 さて,毎日の日記もまた3か月分がたまった。格納の準備。こうしてゴミがかさばってゆく。役に立つ情報のないゴミのような散文をよしとしているのである。おつきあいされる方は大変だと思うけれど。

2010年10月2日(土)昼間のバスの乗客に
 昨夜は駐車場に車を置いて帰った。そんな時に送ってくれるはずの人は,すでに自分の用事で出かけて行ってしまっている。13時からの会合に自力で出かけることができない。久しぶりにバスに乗ることにした。とはいえ,普段からバスに乗らないから時刻表がない。事前にバス停まで行って調べ,12時19分のバスに乗ることにした。
 5分前に我が家を出発。バス停には,畑でお会いするおねえさんがいらっしゃった。公共交通機関でいつも買い物に行かれるらしい。小型のバスが到着。バスには,年輩の女性ばかり5人が乗っていらっしゃる。われわれが乗って合計7名。
 おねえさんは前に座り,ボクは中ほどに着席。バスの後ろに座っている人が大きな声で前に座ったおねえさんと会話。
 「福田さん,駅まで行ってコーヒーを飲みましょうよ。」
 「デートの誘いはそんな大声でするもんじゃありません。」
 「いいじゃない,地元のバスなんだから。」
 バスの中でお茶の誘いが行われているのだった。いゃあ,ローカルなバスは社交場なのである。
 という夜は,楽しい懇親会。「文芸は屈折である。」などというフレーズが飛び交っていた。そんなわけで,今夜も愛車は市内の駐車場に置かれたままなのだった。

2010年10月1日(金)絶好の日和の夜は
 絶好のドライブ日和である。あるいは絶好のネズミ取り日和。かとも思ったけれど,さいわいなことに遭遇しなかった。道路にある気温表示が27度だったりするので,今日はパスしようという話になったのかも知れない。海は穏やかできれいだった。いつもより遅い彼岸花も。
 そんな今日は,帽子をかぶせてもらう厳かな儀式。男性も多い。割合で言えば,30%。そんな時代になってきたらしい。こんなみなさんにやがてボクは助けてもらうのであろう。よろしくお願いします。
 ということで,夜は飲み歩いた。街を歩いていたらキンモクセイの香りがする。公園は途切れることのない秋の虫の鳴き声。彼岸花とキンモクセイは同時に咲くものだったのだろうかというような話をしながら,日付が変わるまで楽しませてもらっていたのだった。

2010年9月30日(木)こうしてはいられないので
 夕方の空がきれい。東に向かって雲が拡散している。なんという名の雲なのだろう。好きな雲は何ですかと問われて,ちゃんと答えられるようになりたいなと思った今日の雲だった。
 閑話休題,サルスベリというのは相当強い木らしい。過日,枝を切り落とされていた通勤路のサルスベリが,2軒とも再び桃色の花をつけている。おばあさんは,またまた毎日ホウキで歩道を掃いていらっしゃるのだった。ごくろうさま。花の少ない夏に延々と咲き続けるのだから,ありがたい木だと思わないとね。楽しんでいる通行人もいるんです。
 そのうちの1軒のサルスベリは,夾竹桃の花かと思うほど濃い赤。淡いピンクは見慣れているけれど,あまりの濃さに,ついつい枝を2〜3本厚かましくもいただいたのだった。挿し木の時期としてはちょっと遅いようだが,根が出るかどうかこの秋の楽しみということにしてみた。ついでに落ちている花や種ももらった。こちらは春の楽しみである。
 どんなことであれ,先の楽しみや希望が少しくらいはあった方がおもしろい。ということで,朝のやる気のない気分を取っ払い,発泡酒も飲まずにちょっと集中してみた。結果がほぼみえているから大した楽しみではないけれど。まっ,冬場にもなにかないとね。

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