いなばにあん 時々嘘つかないTOPへ
my foolish heart

「べんとーさん忘れてもかーさん忘れるな」,雨と無知との遭遇いなばにあんいのの日記。

2011年3月31日(木)年度の終わりにいただいた
 3月31日というのは特別だからと,自家製「つくしの佃煮」を持ってきてくださる方がおありだった。ご夫婦で。ありがとうございます。ほどよい春の味加減でした。突然の訪問があっても,何とか2名様までならお待ちいただかなくても上がっていただけるまでになった。身辺整理のおかげである。
 実は,いらっしゃる前にメールをくださっていたのだが,それが迷惑メールフォルダに分類されていたのだった。最近,光通信からケーブルテレビ回線のネット接続に変更されたらしい。スパムに振り分けられるようなキーワードはなかったと思うのだが,どういうわけだったのだろう。けっして,PCの持ち主が迷惑だと思っていたからではないんです。ほんとうです。
 さらに別の方からは,お心配りのイベントの案内もいただいた。ありがとうございます。って,新たな締め切りが生まれてきたということである。
 ...。
 負荷をくださる方というのは大事にしないとね。感謝しているんです。いや,ほんとうです。

2011年3月30日(水)マーブル柄の小鉢のなかに
 晩のおかずが一品多い。さすが,お局さま。
 もちろん,多いのはボクのおかずではない。お局の食卓。とはいえ,ステーキが一枚多くのっているというわけではなくて,納豆の小鉢がひとつ余計にあるだけのことだ。
 幼少のころから納豆で育ったらしく,時々納豆を食べないと落ち着かないのだとか。お気の毒なことである。ボクは,幼児期も少年期も納豆というものの存在さえ知らなかった。知っていたのは甘納豆だけである。江戸に出て初めて知った。
 訪問した友人の部屋が異様に臭う。部屋の住人はわからないらしい。臭いの元を探してもらった。一週間程忘れられていた納豆というものが棚にあった。近くで嗅いでみるとひどく腐った臭い。それが,世界でも相当に不幸と思われる納豆との出遭いである。臭いには敏感な方だ。納豆がさらに腐っていて,好きになれるわけがない。そんなわけで,納豆の小鉢が三つ四つ多く並べられていたとしても一向にかまわないのである。
 子ども達によると,関東地方では納豆がなかなか入手しづらくなっているのだとか。東日本には,お局のように納豆好きがたくさんいらっしゃるのだろう。ボクが食べない分をどんどんみなさんにまわしていただきたいものである。ボクは絶対に買い占めはいたしません。ほんとうです。

2011年3月29日(火)ペットボトルの天然水を
 今日も朝のうちに電話を3本いただく。午後にも2本と訪問者。お局も,一体どうなっているのとあきれている。ボクにもどういうことだかさっぱりわからない。どちらにせよ,やわらかくきっぱり。ここのところ日記を書かなくなったので,こちらに記録しておくことにした。2011年の3月は,ひときわ忘れることのできない月になったのだった。
 たまたま寄ったドラッグストアに,天然水「奥大山」2リットルが98円で売られていた。ひとり2本まで。他のお店でも水は入手しやすくなったのか,それとも郊外にあるお店のせいでお客さんが少ないからか。
 いずれにせよ,お局の友人のご家族が茨城で赤ちゃんをお育てらしい。ちょうど今週が友人の誕生日だとか。プレゼントは98円の水2本とその他。
 何という年であろう。

2011年3月28日(月)やがて曜日を忘れるような
 どうせ暇にしているだろうということで,食事に誘ってくださる方があった。我が家の近くまで来てくださるという心配りのうえ,久しぶりにお会いする方にも声をかけていただいていた。懐かしい。一緒に飲食をしてくれる人というのは,関係性のなかでも最上級に大切にしたい方々である。ありがたいことだなあと心で泣いておりましたよ。
 「元気でしたの?」
 「話を聞いてびっくりしました。なんでですかあ?」
 というような会話をしながら,みなさんと出会ってから10年間のすべった話や転んだ話を楽しませてもらった。オヤジを,ちゃんづけで呼んでくれるというレアな存在なのである。ボクには,「さま」より「ちゃん」が断然よい。
 そんな本人はのんびりお気楽に過ごしているのだが,なんだかまだ波風も送られてくる。新年度まで数日のこの期に及んでそんなことでよろしいんですの。一体全体,そちらの世界はどうなっているんだか,ちょっと不思議。

2011年3月27日(日)真夜中に名前を書いて
 この週末は,『ジャイアント・ステップ』ならぬ,亀の歩みのようなちいさな一歩を踏み出したのではないかと思っている。方向を少し変え,ちょっとだけ前進したような気がしているのである。
 人が溢れている場所でたくさん学ぶことができた。真夜中に入ったうどん屋さんからも。そんな問題意識を持つようになったからだろうが,世界は学ぶことばかりである。いなばでは気がつかないことだった。
 さて,久しぶりにカメラも右手に持って歩いた。写してもよさそうな都市部の光景を撮らせてもらった。大きな市場でもおもしろそうな場面に数回遭遇。お断りしても許可がもらえそうにない場面ばかりだったのが残念である。
 街の貴重な記録になると思うのだが,そんな表現意識を持ったり,地域の人との関係を作りやすい人しか,これからは撮影できないような気がした。怪しいオヤジより,街の人たちがフレンドリーに接してくれそうな外国人や女性が活躍しやすい分野になってゆくのだろう。

2011年3月26日(土)どの靴の紐を締めるか
 昨日は,予約していたいくつかのことを当日にキャンセルしなくてはならなかった。キャンセル料は払うからなどと言われたけれど,もちろん払ってもらうわけにはいかない。再予約をして,本日が決行日。楽しみ楽しみ。よく歩くことだろう。さて,靴はどれを履いて出かけることにしようか。
 そういえば,ここのところ毎日のように宅配便屋さんへ行っている。いつの間にか,わが家の親類・縁者は地元より関東在住の方が多いのではないかということに気づいたのだった。そんなわけで,クロネコヤマトさんのミニカーが増殖中である。
 お聞きすれば,東北方面への宅配便も復旧しつつあるようだ。とりあえず,関係者のみなさんが元気のでそうなものも今日は探してみることにする。

2011年3月25日(金)閉じられた部屋から見えし
 こぼれ種から生まれた大量のシクラメンがとても元気だ。夕食後に,液肥をやることにした。外に出て,びっくり。帰宅した時には降っていなかったのに,わずか2時間足らずで自宅前の道路が真っ白だった。鉢も雪をかぶっている。
 元気とはいえ,霜や雪はこたえることだろう。かぶった雪を取り除き,軒下に移動。とりあえず,こんな3月下旬の降雪を,備忘のために記録しておくことにした。他にもいろいろ記録しておくことのあるいち日だったのだけれど。
 お昼抜きで,4時間以上の「軟禁」生活だった。軟禁なのに,その間視界が一気に広がって,大変クリアな眺め。そういう動きが知らないところであったのかと,ちょっと感心した。気持ちよき軟禁。身近だと思っていたなかにも,意識的だったり,黙っていることによるウソというのがいくつかあるらしい。
 そんなところで過ごす純真なみなさんのことを考えては,ちょっとばかり沈痛な気分になったりもするのだった。元気なシクラメン苗のように,たくましく過ごされますように。

2011年3月24日(木)カタログを三つ並べて
 ウォシュレットから水漏れ。15年くらい経っているらしい。とりあえず,ご近所の専門店に見ていただく。交換した方がよいのだとか。再び,カタログと見積もり書を持ってきてくださった。高い。ホームセンター等の広告に掲載されている価格の2倍以上である。
 他の会社のものはないんですか,たとえばパナとかイナとかとお尋ねすると,1社の商品しか扱っていないとおっしゃる。
 「じゃあ,結構ですわ。」
 「では,出張費として6000円いただきます。」
 「....。」
 1回の訪問が3000円らしい。
 「うちでやらせてもらえれば,このお金はいただきませんけどね。」
 イヤイヤ,払いますよ。それにしても,歩いて5分ほどの距離なのである。ビジネスライク。まっ,そういう規定なのだろう。ご近所は大事にしたいと思うのだけれど。
 結局,ホームセンターの下請けの方にやっていただいた。出張費を払っても,当初の見積もりの半分以下の出費で済んだのだった。

2011年3月23日(水)水のボトルを詰め込みし
 お昼は,レッド・ツェッペリンの『Trampled Underfoot』を聴きながらランチ。うるさい。よくこんな曲をかけますなあ。まっ,ボクはスイングしながら快食快飲で問題はないけれど。とはいえ,お客さんはボクの他にひとりだけ。たくさんのお客さんに来てもらおうというお気持ちがおありなのだろうか。心配。
 そんな今日も,長いいち日だった。わざわざ常駐している部屋までやってきて,長話をしてくださる方も。ありがとうございます。みなさんのおかげです。あれこれ残務整理も完了し,めずらしく周りがスッキリ。
 いゃあ,星がきれいだ。空を見上げながら帰っていると,「おねえちゃんに水を送ってあげた方がいいよ。」とメール。えっ,なんで。今日はまだニュースを見てなかったよ。
 そんなわけで,スーパーに寄ってみた。2リットル100円くらいのボトルは全部売り切れていた。小さいエビアンや地元の300円を超す2リットルボトルしか残っていない。
 うちの水道からくんだ水で十分じゃないかな。砂丘の片隅の蛇口から出てきた,いなばの白水。

2011年3月22日(火)ドリンクバーの二杯目は
 なかなか思い通りにいかないものである。いや,こちらの話。
 先週末ですっかり完了したつもりだったのだが,本日は1時間30分ずつ他人様の話を聞かせていただくというダブルヘッダー。二試合目は,もちろんナイト・ゲーム。
 「組合で交渉していた時の話と違うんじゃないの。」
 いきなりそういう変化球でこられましたか。コントロールも悪くない。うーん,そんなクセ玉は見送るしかないナ。ストラーイック・ワン!
 その後も,様子見のボール球を交えながら追い込まれた。なかなかコントロールが良いのである。フォアボールは期待できそうにない。自慢だが,パワーはない。三振か内野安打しかなさそうだ。と思ったが,足も早くない。
 デッドボールに期待することにした。って,何の話やねん。

2011年3月21日(月)なかみを見ずに求めたる
 会合がふたつバッティングしていたが,さらに優先順位の高い項目があったので,どちらもキャンセル。
 終了後は,身辺整理ををおこなう。自宅分は,グラム買いをして放置していたレコード盤の本格的整理。を進めようとしたのだけれど,ついつい懐かしいアルバムに針を落としたりするので,進まない。整理整頓をするときのいつものパターンと同じである。結局,次のまとまった休みにすることにした。
 グラム売りで詰め込まれている1980年前後のアルバムには,カルチャークラブやアバやワム等が多い。そのころのポップス状況はよく知らないけれど,相当売れたのだろう。
 個人的には,間違ってJoy DivisionとかPop Groupのアルバムが入っていることを期待していたのである。もちろん段ボールのなかにそんな間違いは滅多にないのだった。

2011年3月20日(日)道を外れた走行の
 今日は終日葬儀の予定。
 ちょっと余裕をもって家を出たつもりだったが,ジャスコ・レーンも車の列が長いし,片側二車線がひとつに収束する相当手前にも長い渋滞が出来ている。とりあえず,脇道に入って山道を利用しようと思った。が,同じように抜ける車も多数。走行距離のことを考え,結局何十台かを追い越した辺りで,海沿いの道に合流して走った。
 到着時には,すでに読経が行われていた。すいませんでした。
 東北の燃料不足等もあるゆえ,みなさん外出は控えるのかと思ったけれど,さすが三連休。県外ナンバーもある。墓参りや行楽のみなさんの車なのだろう。
 あとでお聞きすれば,山道ではマラソン大会が行われていたようだ。そちらの交通規制等を避けたみなさんも多かったらしい。
 他人様の苦労を自分の身に引き寄せて考えることはなかなか難しいことである。

2011年3月19日(土)地方からきて出会いたる
 やっと宮城県と電話がつながった。震度7のすぐ隣町である。8日目。みなさん無事だった。よかった。最近家を新築したばかりだったらしいが,家もほとんど無事のようだ。落ちついたら遊びにおいでよと,お誘いまでしてもらった。
 ただし,ライフラインのうち水道が回復していないとのこと。地震以来,風呂に入ることができていないらしい。もちろん,ガソリンも入手困難。通常は車が4台稼働しているのだが,ガソリンの入っているのは1台だけ。それも非常用の待機状態で,あまり使わないようにしているのだとか。
 ボクも無闇に車を使うことは控えます。
 そんな電話を切って1分しないうちに,電話音が。話し忘れたことでもあったのかと思ったら,愛知県在住の共通の友人からだった。
 「宮城県と連絡とれた?」という内容である。なんというタイミング。
 「ええっ,たった今つながって話をしたばかりだよ。元気だったよ。」
 彼も,毎日,宮城県に電話をかけていたのである。今朝は,ボクが情報のひとつでも持っているかと思い,最初にいなばに電話をしたらしい。こういうのを,シンクロニシティというのだろうか。ポリスの『見つめていたい』でも聴きたくなるような気分。
 江戸で,ボクのような者とつながった友人達との不思議を感じた朝だった。

2011年3月18日(金)凍りたる路地を走って
 道路がカチンコチンのアイスバーンである。日陰部分は特によく凍っている。そんな冷たい空気の晴れた日は,遠くの山がきれい。だったけれど,慎重に運転して,駐車場に無事到着。
 到着後も,滑らないように,丁寧に一歩一歩進んだ。そんなボクを中学生の男の子が追い越していく。いつもの仲間に遅れたらしい。走りながらである。びっくり。中学生は,こんな凍結道路を走りながら進むことができるのか。
 転んだりしないだろうねえとオヤジは心配したのだが,まったく大丈夫そうだ。スタッドレス・シューズでも履いているのだろうか。それとも,グリップするチカラがボクよりはるかに強いのか。ゆっくり歩いても,おじさんは転びそうなことが2回もあったよ。
 アイスバーンをスニーカーで走ることのできるのが若者なのかも知れない,と思ったりしたのだった。

2011年3月17日(木)新雪を選んで歩く
 キュッキュッと鳴る新雪が気持ちいい。なるべく新雪を選んで歩いた。とはいえ,小鳥殺し。スキー場のみなさんはさておき,この時期の降雪を喜んでいる人は少ないだろう。
 出勤時に5cmくらいだった積雪は,わずか2時間ほどで10cmを超えていた。中国山地寄りは,平野部より倍以上の積雪だとか。
 そんな早朝,関西方面から車でいらっしゃった方がおありだ。もちろん,ノーマルタイヤ。よくご無事でいなばまで。業務を済ませ,夕方には関西に帰っていなくてはいけないらしい。市内を走ることだけでも,ノーマルタイヤでは危なそうだ。まして,中国山地を越えるのはもっと大変だろう。すっかりお困りである。
 「そうだ,チェーンがあるじゃん。」
 あちこちのGSに電話をしてみた。
 どこにもなかった。
 大雪の時に完売したというGSもあった。こんな時期までチェーンをかかえても,そりゃあ邪魔になるだけなのだろう。
 結局,くだんのかたは,JRでお帰りになった。もちろん,車は置いたままで。今度はJRに乗って車を取りにくるのである。おつかれさま。ここにも,この時期の雪をうらめしく思っている方がいらっしゃったのだった。

2011年3月16日(水)スーダンで合流をする
 大きな雷が鳴って,雪が降ってくる。いつもであれば,この時期の雪は積もることはないさと,ちょっとの辛抱をすればいいだけの話だ。けれど,今日の雪は,暖房器具やすっかり身も心も疲れているだろうみなさんのことが思い浮かぶ雪で,うらめしい。なんと容赦のないことであることか。
 そんな今日は,久しぶりにアンプのスイッチをオンにして音楽を聴いた。そんな気の起こらないみなさんがたくさんいらっしゃるのだろうし,服喪期間なのかも知れないが,ちょっと聴いてみたい曲がひょんなところから思い浮かんだのである。
 テナーサックスのビリー・ハーパーさん。アフリカンなコテコテの70年代ジャズである。コルトレーンさん系。お気の毒なことにアメリカ制作がほとんどない。日本やヨーロッパでの制作盤の多い人だ。日本向けにはソーラン節まで演奏された。いなばにも79年にいらっしゃったことがある。市民会館だというのにお客さんが少なく,終わってからクインテット全員のサインをもらったのも懐かしい。
 そのハーパーさんの『Love On The Sudan』を聴いている。かつて,B面を何度も聴いてチカラを溜めたアルバムである。メロディやリズムが次々と変わり刺激的。いま聴いても何だか気力がわいてくる演奏だ。とりあえず,明日もなんとかなりそうだ。
 疲れ切っていらっしゃるジャズ好きな方に聴かせてあげることができればよいのだけれど。

2011年3月15日(火)なにも買わずにいることが
 原子力発電所のニュースを少し見た後,帰宅後はほとんど印刷に従事していた。といっても,完成版ではなく,途中までの仮印刷をするつもりだったのである。プロトタイプ。1セット分を打ち出してすぐに終わる予定だったのだが,両面印刷の調子が悪い。さっぱりボクの思い通りにならない。給紙方法を自動選択にし,マルチパーパストレイから印刷しようとしても,勝手にトレイ1から給紙をしてしまう。トナーも用紙もずいぶん無駄に使ってしまった。
 その間,東京の関係者から次々とメールや電話が入る。今日もトイレットペーパーがないとか,米が買えないとか。チェルノブイリの場合はどこまで飛んでいったのだろうとか。明日は自主判断勤務だとも。お局は,バラエティをやっている局があるわよと怒っている。やがて,また静岡の方で地震が起こったらしいという情報も。
 余計なものを買わないとかバタバタしないということも,遠くの人間が協力できることなのではないか。
 結局,片面印刷の繰り返しをすることにして今回は作業をごまかすことにした。命がけでさまざまな作業をしていらっしゃる方のスキルやその大変さと比べ,まったく役に立たない情けない男である。

2011年3月14日(月)黙祷で始まる週に
 東北へお見舞いを送ろうとしたが,東北地方への宅急便は取り扱ってくれない。東京でさえ,1週間かかるかもしれないと言われた。昨日東京へ送った支援物資は今日届いたから,取扱量が今日辺りから増えているのかも知れない。
 ホームセンターの店長さんは,乾パンとかペットボトルの水が売り切れですわとおっしゃる。いなばのみなさんも,生活用品や非常食などをいつもより多めに購入されているのだろうか。日々を過ごすなかで,そこそこのたたずまいは大事にしようと思ったのだった。柄にもないことだが。
 東京からは,トイレットペーパーがないとか,納豆の棚が空っぽとか,パン屋さんやGSには長い行列が出来ている等と写真付きのメールが入ってくる。それぞれのお店の出入り口には,お釣りの小銭を入れるような募金箱を設置されるといいんじゃないかな。

2011年3月13日(日)予定通りの番組を
 カーテンを開ければ太陽が出ている。青い空。外へ出てみれば暖かい。東北地方はどうなのだろう。岩手にはつながったが,宮城県への電話は相変わらずつながらない。
 なにができるのだろうと思いつつ,とりあえずストーブの温度をいつもより下げるくらいしか午前中はしなかった。食欲がないこともあって,昼食はなんとなくふたりとも抜いた。
 わからなかったことが次々と明らかになる。テレビから目を離せない。
 募金に協力します。
 パソコンも早く切ります。
 日本中が休みになって東北地方を向けばいいと思うけれど,もちろんそれぞれの生活がある。
 些末なことだが,自分にもやらなければいけないことはある。なんだか,申し訳ない気持ちになりながら,テレビから離れ自分の仕事をすることにした。

2011年3月12日(土)流れゆくポートレイトは
 近所のコンビニやスーパーの商品棚が空っぽ。パンもカップ麺も乾電池もないと,職場で一夜を過ごした娘が電話をかけてきた。東北方面ではなく,高円寺界隈の話である。東京のみなさんも不安を感じ,食料品などを買い占めされているのだろうか。
 そんな娘の部屋に滞在しているお嬢さんのおうちがなくなったらしい。いわき市ご出身。お父さんは漁業を営んでいらっしゃるのだとか。どんな会話をしながらふたりは過ごしているのだろうと,ちょっと心配している。
 生活に必要なものがなくなっただけでなく,家族のアルバム等もなくなってしまったに違いない。
 今まで買い集めたゴミが本物のゴミになってしまうのはもちろん悲しい。けれど,子ども達のビデオや写真等がすべてなくなるのはもっと切ない。あちこち分散管理した方がよさそうだ。娘の救援物資の中には,アルバム写真をコピーしたCDでも同梱しておくことにした。

2011年3月11日(金)つながらぬ電話の前で
 日付が変わるようになっても電話がつながらない。結婚式の司会をしてくれたひとりが,震度7の市の近所に住んでいる。そこから少し北の岩手にお住まいの方は,関東在住の娘経由で無事が確認された。娘その1は日付が変わるころに自宅に到着し,娘その2は職場で一晩を過ごすらしい。関東も発信制限がかかっているようで,なかなか電話がつながらなかったけれど。
 深夜の気仙沼市もおそろしい光景である。明日の朝はどんなことになっているのだろう。
 そういえば,今朝の長い雷がとても不気味だった。朝の8時だというのに街は暗く,スモールランプやヘッドライトを点けて走っている車も多かった。なんだか,不吉ないち日のはじまりだなあと車を運転しながら思っていたのである。
 理不尽な不幸があちこちで起こっているのであろう。文章の最後をどう終わればいいのかわからない。

2011年3月10日(木)謎めいた話を読めば
 『NEVER LET ME GO』は古い曲である。演奏されたアルバムはそこそこあるだろうと思い,ちょっと探してみた。が,これがなかなか見つからない。わが家には少ないようだ。
 定番のビル・エヴァンスさんやキース・ジャレットさんの他に,スティーブ・キューンさんや,キム・リッチモンドさん,ロバート・ラカトシュさんなど。サックスはさておき,ピアノは内省的な演奏が多い。とはいえ,キースさんの場合は,例によって微妙なボーカル付きなのだけれど。
 CD1枚にまとめて読書のBGMにしようと思ったのだが,あまりに作品が面白い。BGM用のCDを作成する前に読み終えてしまいそうな勢いである。400ページ以上あるというのに。

2011年3月9日(水)風にも揺れず枯れている
 「これはなんて言えばいいの?」
 「ミニ・リサイタルですかねえ。」
 「それだと,なんだかジャズのソロピアノともとれるし,アリアかと思う人がいるんじゃないの。ミニ歌謡ショーとか?」
 「そんなところですかねえ。」
 というような,録音済みのオケが音割れ寸前の音量で流される中,いのちをつなぐとか,生かされているとか,ともに生きてとか,風に揺られて等といった素敵なフレーズがてんこ盛りの歌をお聴きした。心のきれいな方は感動されるのだろう。ボクは,頑固な汚れのザブと,白さと香りのニュービーズをミックスして洗濯機にかけてもらった方がよさそうだなと反省をしていた。
 今日は,そんな歌謡ショーを聴いていればよいという業務。ありがたい職場だ。いつまでもお勤めさせていただきたいものである。

2011年3月8日(火)階段のいちばん上で
 昨年は,毎日何度も階段を上下するのが業務だった。階段くん。4階まで。仕事をしながら健康維持ができるというありがたい職務形態だったのである。それが,今年は平行移動が中心で,階段の上り下りは少ない。身体のキレが悪くなるわけである。体重を毎日記録して折れ線グラフの模様を楽しんでいるくらいだ。体重のことなど,昨年は考えたこともなかったのである。
 そんなわけで,なるべく平行移動の歩幅を稼ぐようにしているのだが,今日はありがたいことに,5階まで急いで上るという外での業務があった。びゅいーん。のつもりだったが,上がりきったところで立ち止まり,しばらく呼吸を整えないといけなかった。残念。
 さいわい,5階まで上り下りする業務は当分続くらしい。明日からは相当元気な身体になるような気がしてきた。階段くんの復活である。

2011年3月7日(月)師走の雨に濡れた手を
 NHKの秋からの朝ドラのヒロインに,尾野真千子さんがお決まりだとか。ほとんど演技経験のない新人が選ばれたりもする中,くさらずにオーディションを受け続けられたのだろう。よくがんばられましたなあ。
 数年前に生写真入りで書かせていただいたことがある。昔いなばで撮影された映画に出演された女優さんだ。その撮影の以前に『萌の朱雀』という作品があったらしいが,ボクの中では知名度はまだ低く,身体を張って演技をされていたように見えた。
 雨の降る12月の寒いJR岩美駅の柱にもたれかかっていた,女子高生の制服姿の尾野さんが強く印象に残っている。映画のラスト近くの場面。その時に撮らせていただいたピース写真の1枚を小さく載せ,「肖像の無断使用なので,問題があればご連絡をください。」と書いたが,もちろんあるわけがない。
 これでも,いちおう応援しているんです。そんなわけで,尾野さんに限らず,朝ドラのヒロインのみなさんがこれからもご活躍されますように。って,どんなわけやねん。

2011年3月6日(日)ゴミ箱のリーフレットは
 チャイムがよく鳴った一日だった。訪問客がつぎつぎあるというのはうれしいものである。いちばん早かったのは10時過ぎ。だと思っているが,本当はもっと早く訪問された方があったかも知れない。ポストには,新聞の他に顔写真入りのパンフレットも入っていたのだった。
 なにしろ,昨夜は3時まで映画を観ていたせいで,いつもの休日に輪をかけて遅い起床だったのである。居留守と思われた方もおありかも知れないが,玄関から遙か離れた大奥が寝室。チャイムは聞こえないんです,いやホント。とりあえず10時に着替えていてよかった。
 さて,訪問客はうれしいとはいえ,本日わが家のチャイムを鳴らされたのは,すべて選挙についてのお話のみなさん。ガッカリカリ。公職選挙法等というようなことはさておき,突然の訪問はできれば午後にしていただきたいものである。電話でもいいけれど。
 もちろん,いちばんうれしいのは放っておいていただくこと。よろしくです。

2011年3月5日(土)一回は失敗をする
 午前中に会合あり。途中にはビンゴ等も挟みながら。
 そんな今日は,一度失敗をすることは大事なことだよねえとか,いつものように,写実を大切にしようねという学習会である。
 それはさておき,ユニクロさんは夜10時まで営業らしい。楽しい会合を終え,5分前に入店したのだった。
 時間がない。入り口にいらっしゃった店員さんにブルーノート売り場を尋ね,商品棚に直行。とりあえず,4枚のTシャツを選んでみた。ジャッキー・マクリーンさんは2枚。いずれも白地のTシャツ。
 それ以外では,サムシング・エルスとミッドナイト・ブルーがいい感じ。購入。お店の人にお聞きすれば,ブルーノート・シリーズはそれなりに売れているとのこと。売り切れないうちにどうぞ。って,ユニクロ伝道師?

2011年3月4日(金)リー・モーガンのTシャツを
 雪の降るなか,中部までドライブ。東の山々はアルプスのようだったが,平野部は中部の方がたくさん降っているようだ。
 今年度最後の会合。司会者が指名しなくてもみなさん自由に発言される。終わってからも,この会は言いたいことが言えてよい会ですよねえとおっしゃる。来年度も継続されることがわかっている方もおありだ。次年度もよろしくお願いしますという声に,「いゃあ,ボクはもう3年目ですから替わってると思いますよ。」という方も。
 「ボクは今年が初めてでしたけれど,どうなっていますかねえ。」等と言いつつ,気温3度と表示された道路を帰ったのだった。

 BLUE NOTE MEETS UNIQLOというメールが届いていた。ブルーノートのジャケットでTシャツをお作りらしい。また余計なことを。ジャッキー・マクリーンさんのジャケットは4枚もある。カッコイイからネ。大好きな,『LET FREEDOM RING』も。ターゲットはオヤジなのだろう。LPもCDも買わせて,次はTシャツ。阿漕なことよのうEMI屋。かような商売はやめていただきたいものである。なにしろ,明日は午前中から業務があって,ユニクロに買いに行く時間がないのである。
 そんなわけで,久々の『LET FREEDOM RING』の夜になった。

2011年3月3日(木)雪をかぶりし枯れ枝に
 道路にはほとんど積雪がなかった。ありがたい。そんな朝の通勤路から見た久松山がすこぶる美しい。
 雪が多ければ,白すぎてボリュームがありすぎる。少ないと,白の寂しいやせた寒そうな山だ。それが,今日は降雪のバランスがちょうどよかったようだ。北側の山際は深い緑の稜線が見え,正面は9割ほどの白色に覆われているように見えた。
 そんなわけで,今朝は正面の山ばかり見て歩いていたのだった。たたずまいのよい人とすれ違ったような気がしたが,すでに後ろ姿しか見ることができなかった。おそるべし久松山。山の他にも見た方がよいものはあるらしい。
 そんな今夜の庭を見ると,いつの間にか昨夜とほとんど同じ状態。白い庭。明日も山はきれいなことだろう。今日の学びを生かせるとよいのだが。

2011年3月2日(水)もうすでに交換をして
 夜半にカーテンを少し開け,外を見てビックリ。庭が真っ白である。それなりの予兆は昼間にあったけれど,帰宅したときからわずか3時間あまりの積雪である。
 GSの若者に,タイヤ交換した人はまだいないだろうねえと,今日聞いたばかり。行きつけのGSでは,先週末に5台ほどの車のタイヤ交換をしたのだそうだ。燃費や乗り心地を考え早めの交換をされる,何でも段取りよく余裕をもって物事に取り組むタイプの方なのだろうか。1年中冬用タイヤをはいているズボラだったり,お局用もすっかり春になってから交換するギリギリ人には無縁の性格である。本日の締切ものは,締切時間12分前の提出だった。これでも,結構余裕のある生活。
 そんな段取りのよいみなさんのためにも自分のためにも,とりあえず明日の朝に積雪や道路の凍結がありませんように。

2011年3月1日(火)鼻くそをなすりつけたる
 月が変わって楽しい時間を過ごしていたと思ったら,いつの間にか日付も変わっていた。楽しい時はブロークン・アローの如し。
 今日は宴。宴席のボクの周りではおもしろネタがつぎつぎ出てきて,なごやかなひとときを過ごさせてもらったのだった。
 たとえば,さいきん本業が忙しくて子どもさんの相手をあまりしていなかったお父さんの話。ここのところ,お子さんが,盛んに抱きついてきたり腕につかまったりと,なにげに可愛かったらしい。
 「よしよしお父さんがそんなに好きだったのか,お前は。」
 ということで,お父さんご満悦。そんなある日,お父さんはジャージの腕を見てびっくり。服に大きな鼻くそがたくさん付着しているのを発見。えっ,誰の鼻くそ?よく見てみると,小さなお子さんが鼻くそをほじって,椅子の下やお父さんの服にこすりつけていたのだった。わが家にもそんなことがあった。子どもは鼻くそ遊びで成長するらしい。
 まっ,指で飛ばすよりはいいような気もするけれど。

2011年2月28日(月)よみがえる記憶の中の
 酒粕がテーブルに置かれていた。LDLコレステロール値対策としてスーパーで買ってきたようだ。健診で,ボーダーギリギリの項目。悪玉コレステロールを減らしてくれる効果があるのだとか。
 子どもの頃,火で炙った酒粕をよくつまんだものである。もちろん粕汁も。おいしいと感じたことはあまりないけれど。そのころはタダで大量にもらえるもののように思っていたのだが,最近のスーパーでは,200gが198円。カスの割にはなかなかいい値段がついている。同じカスでも,おからならもっと安く買えることだろう。
 子どものころに食べた酒粕より厚みがある。約8mm。オーブンで焼いてつまんでみる。柔らかくて食べやすい。食感はチーズのようでもある。とはいえ,日本酒が苦手なお局は,特有のクセがダメらしい。
 マーガリンを塗った上に塩をふりかけ焼いてみた。あとくちに若干のクセは残るけれど,チーズ感が増して食べやすくなった。ぐっじょぶ。時々は,これを肴にビールを飲むことにする。今年の健診は期待できそうである。

2011年2月27日(日)触るのを待っていたのだ
 タマネギとラッキョウの追肥作業。
 1月のわが家の畑は完全に厚い雪に覆われていた。葉っぱが腐ったり溶けてしまってもおかしくないような,タマネギ苗にとっては豪雪地帯。それでも,ほとんどの苗が元気にしている。
 太い白ネギ等ならわからないでもないが,まだ細い苗なのである。いつものことながら,タマネギやラッキョウ苗のたくましさに驚く。見習って,腐ることなく明日も仕事に精をだすことにする。
 化成肥料をやった方が効果的なのであろうが,油かす等を苗の周辺に埋め込んでおいた。一応,有機系ままごと農業。今年の厳しい寒さを乗り切ったご褒美にいつもより多めに与えた。よろこんで大きな玉になってくれるとうれしい。
 しかし,このタマネギと同等かそれ以上に元気なのが,雑草の数々。苗のそばや苗とほぼ合体して生えている草は特に大きい。誰のそばにくっつくとおいしいかがわかっているのであろう。雑草のようには生きていけそうにない。

2011年2月26日(土)光のあたるゴミ置き場には
 近所のゴミステーションに市の可燃ゴミ袋がふたつ置かれている。カラスやネコ対策のネットもかけないで。
 わが家界隈の可燃ゴミ収集日は,月曜と木曜。昨日の帰宅時にはなかった。昨夜か今朝のうちに,どなたかが出されたようだ。
 近づいてみると,袋の口もしばってない。中の一部が見える。赤ちゃんの使用済み紙おむつがある。名前のような文字が上から見えるわよ,とお局。「まゆ」だとか。
 ご近所の方によれば,先週もあったらしい。出したのは他の町内の方だろうというのがみなさんの見立てだった。先週のわが家はバタバタしていたから気がつかなかったのだろう。
 以前にも似たようなことがあり,その際は,ご近所のおねえさま方が中身をチェック。出し主を特定されたこともあったとか。この辺りに捨てるのはやめた方がいいと思うよ。ルール無視で捨てるときは,身元が特定されるようなものはゴミ袋に入れないようにね。念のため。

2011年2月25日(金)生きてるうちは生きたいと
 たまたまであるが,そろって今シーズンのハイライトのいち日だった。ここのところ,二人ともこの日を無事に過ごすために準備をしてきたのである。それぞれがつつがなく業務を終了。したのではないかと,たがいが思い込んでいるのだった。
 ご褒美にプレミアム・モルツを開けた。プハーッ。うまい。泡は大事である。食前のお酒は,これからは量を減らすことにして,発泡酒系からビールに乗り換えることに決めた。老後の生活費はさておき。
 今夜のBGMは懐かしのボン・ジョヴィ。クイーン好きの若者が,ボン・ジョヴィのベストをご所望なのである。とりあえず1曲目は『It's My Life』にしてみた。若者なれば,気に入ってくれることだろう。オヤジだって好きなんだから。明日はもっと厳しくなるのである。
 さて,帰ってからもそんなことをやっている。その他の業務も滞っているのだった。公私あれこれ。タマネギの肥料やりとか赤ペンを買ってくるとか。
 週末もそれなりに楽しめそうだ。

2011年2月24日(木)入り口のドアが開くたび
 約束していた時間にちょうど90分遅れでお会いすることができた。予定の時間に30分ほど遅れるという連絡はもらっていたのである。それでもそこから60分。文句も言わず,黙ってよく待っていたものだ。意外に,我慢強いよゐこらしい。
 あらっ,私はこれ以上の時間をあなたに待たされたことがあったじゃない,と急に。えぇー,そんなことがあったっけ?
 ボクがまだ若かりしころ,新宿西口地下のサ店の真ん中辺りのテーブルで,数時間待っていたのだとか。目立つ席だったから恥ずかしかったわとおっしゃる。
 携帯電話もない時代だ。お店の番号もわからず,連絡もしなかったようだ。しかし,座った席のこととか細かいところまでよく覚えているものである。ボクにはまったく記憶がない。そのころ,ログを書く習慣があればお詫びの言葉を綴ったのに。残念。
 「でも,その日会えたのかどうかよく覚えていないわ。遅れた理由を聞いたのは別の日だったかも。なんだか大事なモノを探していたということだったじゃない。それにしても,会ったのか会わなかったのかどっちだったのかしら。」
 覚えているのは,待たされたことだけらしい。待たせるより,待つ方が記憶に残りやすいのだろう。わずかな額のお金でも,貸した方は忘れないけれど,借りた方は忘れやすいようなものだろうか。

2011年2月23日(水)宅配便のミニカーを
 宅急便をよく利用させてもらっている。我が家からいちばん近いので,もっぱらクロネコヤマトさん。どれくらいお世話になっているかというと,宅配便のミニカーが14台とロングトラックのミニチュアが3台になるほど。スタンプが5個たまるとミニカー台。ロングトラックは宅急便の3倍くらいは値打ちがありそうな交換レート。
 もちろん,ポイントカードと交換してくれる商品は他にもある。マグカップやミニタオルやぬいぐるみなど。どうしてもほしいというものがない。しかたがないので,ミニチュアカーばかりもらっているのだった。子どもは働く車が好きなのである。
 部外者ゆえ詳しいことは知らなかったけれど,わが家にある宅配便のミニカーは4種類もあった。ミラーの位置の違う車やクール便,引っ越し車などである。小さな違いが子どものコレクター魂をくすぐるのである。

  「もういやだ俺はペリカン便に行く」クロネコヤマト倉庫の壁に

 そんな歌をお詠みの方があったけれど,ペリカン便の方が交換商品は豊富なのだろうか。あるいは,スタンプ2個でミニカーがもらえるとか。そんな落書きを書きながら,本当はペリカン便ではなく,ゆうちょやJR東海に行ってたりして。
 とりあえずボクはクロネコヤマトひと筋。

2011年2月22日(火)Y軸の幅を広げる
 風呂上がりの体重を記録し続けて1か月が経った。記録用紙は,本当にLotus1-2-3である。Windows7ではインストールすることさえできなかったソフト。マクロ講座は,除籍というか自主退校だったが,スラッシュを押せば指がほとんど勝手に動くくらいには馴染んでいるのである。一太郎ならESC。たいへん便利。今どきエクセルもワードもほとんど使わないという,誰も危惧しない絶滅種である。
 折れ線グラフは結構上り下りがあるように見える。けれど,この1か月間の上下の幅は,たった1.15kgである。それが縦7cmほどの表に表示されるから,ゴシック建築の教会のような鋭角のグラフ。グラフはドラマティックだが,1か月前と比べるとたった0.45kgしか減ってない。グラフの上下を圧縮して2cmくらいにすれば,ほとんど晴れた日の日本海である。モチベーションを高めるためには上下の幅を広げた方がよさそうだ。
 まっ,それにしても他人のこんな話を読まされてもね。って,毎日こんな話なんですけど。

2011年2月21日(月)電話してみただけなんだ
 スティービー・ワンダーとクイーンの曲の中でどれがいちばん好きですかという質問をされた。むずかしい。若いのになんでそんな昔のアーチストなのと聴けば,お母さんがレコードやCDをお持ちなのだとか。趣味が代々引き継がれるとはうらやましい。我が家のレコード類は小型破砕ゴミであろう。
 「で,あなたはなにが好きなの?」と聞いてみると,『I just called to say I love you』とか,『I was born to love you』というお答え。ストレートなタイトルである。loveに目がない年代には,タイトルだけでも魅力がありそうだ。こちらもうらやましいことである。
 どちらもいいねえ。『I was born to love you』の方は,クイーンというにはちょっとだけ異議を唱える人がいるかも知れないけどね。フレディさんなき後,残りのメンバーが作ったらしいよ。
 若者のおかげで,スティービー・ワンダーさんとクイーンを聴いてみているのだった。さて,ボクはどの曲が好きだったんだっけ。

2011年2月20日(日)八百屋お七の覗きからくり
 あれこれあって落語を聞きに行く気分ではなかったけれど,チケットが2枚ある。もちろん,つれあいはそんなことに付き合っている時間はないらしい。
 ボクにもやらなくてはいけないことがいくつかあったが,どうせ昼間はろくなことをしそうにない。なにかをするにしても夜だ。時間よりもお金がもったいない。仕事は後回しにして,ひとりで行くことにした。貧乏性である。
 それほど広い会場ではないが,ほぼ満席。畳席もあって,着物姿の女性も数名いらっしゃる。年輩の方が多い。そんな中,ボクの横の空席ひとつおいた向こうに,ロング・ヘアの若い女性がおひとり。
 くだんの女性は,落語がはじまってしばらくすると,前後左右に大きなスウィングをしはじめた。キース・ジャレットさんのソロ・コンサートでも聞きに来ているかのような身体の揺れ。ちらりっと見ると,乗っているのではなく,船を漕いでいらっしゃるのだった。
 『初天神』も『くしゃみ講釈』も趣味に合わなさそうだ。あるいは,落語を聞くためではなく,熟睡を求めてチケットを買われたのかも知れない。そんな落語との豊かなつきあい方というのもあるのだろうか。貧乏性にはわからない世界だった。

2011年2月19日(土)おかっぱが似合っているね
 冬の底を抜けましたねえ。日差しが柔らかくなってきましたし。という会話を先日していたけれど,今日はポカポカ。外の方が暖かい。
 紅梅は満開で,庭には小さなフキノトウが芽を出していた。まだ,紫色でかたそう。もう少し待った方が良さそうだ。今日のところは記念撮影だけにしておいた。
 本日はその筋のプロの方にお世話になり,想定外の展開の一日になった。餅は餅米というか,さすが長年のご経験と人脈。頼んでみるものである。わが家初体験の出来事だった。記念の備忘メモ。
 そんなわが家で話題になったのは,「おかっぱがいちばん。」という言葉。個人的にはセンターセパレーツの方がいいのだけれど。そんなおかっぱないち日だった。

2011年2月18日(金)右から先に通したる
 今日から袖は左腕から通すことにした。
 とはいえ,長年右腕から通す習慣が染み着いている。そういえばズボンも右足から。なるべくバランスよく生きたいと思っていたが,右翼系だったらしい。まっ,真ん中から着るわけにいかないし。
 のびがよくて余裕のあるパジャマは左腕からでもそれほど難しくなかったが,Yシャツとジャケットを,左腕を通した後に右腕を入れるのは予想外に難しい。おまけにコートもある。時間が過ぎる。朝の貴重な時間だというのに,おさなごのように着衣に苦闘しているのだった。
 背後からだれかがYシャツや上着を持って着させてくれるのがいちばん楽そうだと思いながら,左腕優先第一日が終わった。新婚のころに五十肩になればよかった。

2011年2月17日(木)こころもち口角を上げ
 ということで,今日も業務の1/4が全国チェーン店の方の対応。くだんのお二人と面談である。なかなか細かい。こちらの提示に色々とご注文がおありなのである。腰は低く,要求は高く。とぼけるところはとぼけて。全国を渡り歩いて磨かれた交渉テクニックなのであろう。いゃあ勉強になる。とはいえ,小心者は実践できそうにないけれど。何はともあれ,急に割り当てられたこの業務が早く終わってほしいものである。
 そんなことが関係しているわけでもないのだろうが,五十肩がさっぱりよくならない。衣類を通すときにひねる左腕にいつも痛みが走る。ふと思い立って,ジャケットやYシャツを脱ぐときに左腕から抜いてみた。
 らくちん。
 パジャマも左腕から着た。いつもの習慣を繰り返すのではなく,発想の転換が必要だったらしい。逆らわず,業務も相手に合わせてやっていこうぜということなのかも知れない。ラジャー。

2011年2月16日(水)いい加減な相づちを
 ご返信が遅れ申し訳ありませんでした。添付していただきましたマル秘文書で資料をつくらせていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。というメールが送信22時間後に届いていた。さすが若手である。至急送っていただきたいということだったのである。よかった。
 一方,別の文書を至急お送りしたボクと同年代と思われる方からは,結局到着連絡はなかった。まっ,全国チェーン店の管理職の方である。たくさんの業務がおありなのだろう。いちいちかまってはいられないのだ。初めてのメールだが多分届いているのだろうと思うことにしたのだった。まっ,店じゃないけど。マル秘でもないし。
 ひとりで仕事をしていた部屋に,当日渡せなかったのでと,お届け物をしてくださった方があった。ありがとうございます。たたずまいには気をつけていたつもりだったが,背中に哀愁が溢れていたのかも知れない。余計な気苦労をおかけしたことである。修行が足りないようだ。

2011年2月15日(火)ワルツのうるさく聞こえたる
 めずらしく業務がたて込んでいる。
 訪問された方のお相手を1時間以上させてもらい無事に済んだと思えば,メールにファイルを添付して送ってほしいとか,文書を添付するから見てくだされと別の人からメールが届いていたり。
 どちらにもすぐに返事を出したのだが,さっぱり到着の連絡はない。届くのが当たり前だと思っていらっしゃる方々なのかも知れない。日の浅いおつきあいなんだから,もう少しかまってやってほしいものだ。強気で業務をハードに遂行されているプロなのだろう。素人はつらい。
 その後,通常業務の他にデータの処理,会議や文書作成。印刷した文書をみなさんの机に配布して本日の業務は終了。
 経験的に,ミスが発生するのは大体こんな時である。態勢を立て直しておいた方がよさそうだ。基本は,上原さんより久しぶりのビル・エヴァンスさん。それでも,ワルツがちょっとうるさいような気がするのだった。

2011年2月14日(月)動物を象りし菓子
 雪が降っていないので安心していたら,路面が凍っていた。車のフロント・ウィンドウも凍っているということであろう。途中で引き返して,ペットボトルにお湯を入れてもらった。三日間ほったらかしにしていた車である。フロント・ガラスはガチンコ状態。小さなペットボトルでは半分ほどしか視界が開けなかった。しばらくアイドリングをしてからの出発である。
 そんな寒い朝は,水墨画状態の久松山が大変美しい。滑らないよう上を見上げながら歩いたのだった。今日も良いいち日になりそうだ。
 ところで,道行く女性の多くが紙袋を持って歩いていらっしゃるように見える。職場でお配りになる件のものが入っているのだろうか。とはいえ,みなさん小ぶりの袋。巨大な紙袋をお持ちの方は見かけなかった。デフレ対応なのかも知れない。
 そうか,ボクも帰りには大きな紙袋が必要だったかも知れない。と思ったが,巨大な紙袋はまったく必要なかった。とりあえず,小さな紙袋をロッカーから探し,帰りはうなだれて歩いていたのだった。

2011年2月13日(日)みぞれの中に紅梅は
 「花眼」ってなんだかいい表現ですねえというお嬢さんがいらっしゃった。俳句を勉強されていたらしい。コンタクトをお遣いのようだが,外すと花もきれいに見えるのだろうか,お若いのに。「老眼」で良いことはそれほどないと思うのは凡人で,良い歳のとりかたさえすれば,ボクの周りの世界はもっと美しく見えるのだろうか。
 すでに相当な老眼である。10代からの近視も加わり,立派な「花眼」になっているのかも知れない。
 とりあえず,メガネを外してあちらこちらの風景を見てみた。1メートル以上離れると,なにひとつクリアなものがない。けれど,老眼や近視ではなく,花眼という見方でボーッと世界を眺めてみれば,ぼやけた状態が美しく見えるような気もしてきた。クリアばかりがよいわけでもないのだろう。

2011年2月12日(土)ピアノトリオのベースの弦は
 昼過ぎから会合。夕方から懇親会。お嬢さんから,いなばでジャズを聴けるお店はどこですかねえと尋ねられた。ジャズを聴いて元気になることもおありなのだとか。ボクの音楽の趣味の一部をご存じらしい。いゃあ奇特な方がいらっしゃるものだ。
 さて,どこなんでしょう。有線やBGM的に軽いジャズを流していらっしゃるお店は多いと思うが,コルトレーンさんやマッコイ・タイナーさんのアルバムをそのまま流すお店は少ないのではないですかねえ。とりあえず,お風呂屋さんの上階とか小さなLP盤専門店をご紹介しておいた。
 そういえば,砂丘方面にジャズを流すお店ができるというような話を聞いたことがありましたけれど,あれはどうなっているんでしょうねえ。
 そうなんですか,聞いたことがありませんけど。
 あっ,ただの噂だったんですかね。
 というような会話で楽しく過ごさせてもらった,三連休の谷間の業務。

2011年2月11日(金)窓の外には蔓用の
 お姉さんがカフェをやっているという知人に遭遇。割引券をくださる。後学のために寄らせてもらった。
 外装も内装も和風レトロな雰囲気。地元の骨董屋さんが協力されたらしい。とはいえ,元はプレハブの平屋のようだ。あまりお金をかけずに手作りしました感たっぷりである。
 音楽は,ワムの『ラスト・クリスマス』のあとにライオネル・リッチーさんの『セイ・ユー・セイ・ミー』が流れたかと思うと,スターダスト・レビューや氏名不明の女性J−POP曲も流れてくる。『マイ・ファニー・バレンタイン』ではなく『ラスト・クリスマス』。時間を超越した空間である。有線ではなさそう。お聴きすれば,スタッフのみなさんの好きな曲をつないでいらっしゃるのだとか。なかなかゆるいカフェのようにも思える。
 それでも,ランチタイムを過ぎているというのにカップルが入店される。顔なじみのカスタマーのようだ。いなばの若いみなさんの好みも,桜梅桃李,ワムにスタレビらしい。

2011年2月10日(木)それぞれに役目はありて
 会合のできる部屋をお借りしようと,お電話。すると,電話にでられた方が,本日は担当者が不在のため,のちほどこちらから電話をさせていただくとおっしゃる。席を外していることも多い。じゃあ,また明日にでもかけさせてもらいますわ,ということで電話を切ったのだった。
 しかし,考えてみるに,その施設がお持ちの貸し出し用の部屋はひと部屋しかない。そんなひと部屋しかない研修室の管理者が特定のお一人だけなんですの。
 スケジュール表とか,月別の施設利用カレンダーを,職場のどなたが見てもわかるようにしておけばいいと思うのだが,深いご事情がおありなのだろうか。なんだか働きやすそうな職場のように思える。うらやましい。
 極細の縦割り事務室なのだろうか。助け合いも大事だと思うんだけどね。

2011年2月9日(水)レスをしてみるアド変を
 夜になってから,ケータイのメールアドレス変更のお知らせが2件届いた。どちらの元のアドレスも,ボクより長い。文字数は10字程度。もちろん,英字と数字も組み合わせてある。
 英字と数字を組み合わせてアドレスを長くすると迷惑メールが届きにくくなるのかと思っていたのだが,10文字くらいでは効果がないのか。
 ボクのケータイのメアドは英字だけ。以前は大量のスパムメールが届いていたけれど,なぜか最近ほとんど受信しなくなっている。ケータイのメールをあまり使わないからだろうか。
 そんなケータイに対し,たった3字のPCのメアドには,毎日大量のスパムが届く。9日の23時台には10通がスパムのフォルダにふりわけられていた。もう見慣れたいつもの光景。
 とはいえ,スパムではないメールもスパムフォルダに振り分けられていたのを最近発見。今までにいただいたメールの中に,ゴミ箱に直行していた大事なものがあったかも知れない。ちょっと心配している。

2011年2月8日(火)街角のカフェで過ごした
 ゲイリー・ムーアさんがお亡くなりになっていた。まだ若いとボクは思うのだが,年齢を自分中心に考えすぎているからだろうか。
 ご出身はアイルランド。スキッド・ロウやシン・リジィ時代から馴染んでいるというのはオヤジ世代か。ハードロック時代もよいけれど,ブルースをベースに演奏されだしたソロ時代は,ロックをあまり聴かない人にもギターの音色が気持ちよく聞こえると思うのである。
 泣きのギター。ちょっとセクシーすぎることも。『パリの散歩道』のロングトーンは,下品に片一方の足を突っ込んでいてやり過ぎという人もいらっしゃることだろう。ボクは好き。
 ギター世界の革新者というわけではないかも知れない。ドラムンベースの世界にも顔を突っ込まれたし。けれど,ボクはずいぶんお世話になった。革新者だけでなく,新しいものを作ろうとあれこれ迷った人もいるから,ロックやブルースも豊かになってきたのであろう。
 とりあえず,いちばんたくさん聴いたアルバムは,ブルーの影が美しい『BALLADS&BLUES』。1994年の12月9日の購入らしい。まだ628枚目のCD。LPレコードの枚数の方が多いころだ。クリスマス・シーズンはこのアルバムをよく聴いていたのだった。
 新作を楽しみにしている人だったのである。そんな人が次々と減っていく。まっ,聴く方も減っていくんだからバランスはとれているのだろう。おつかれさま。

2011年2月7日(月)丁寧に梱包されし
 オペラをDVDで1本見た後,そういえば先日テレビ放映されていた『プリティ・ウーマン』の二人が『椿姫』を見ていたのを思い出した。ジュリア・ロバーツさんが涙ぐんでいた演目である。かろうじてこのDVDもあった。未体験の連日のオペラ鑑賞はどうかと思ったが,残念,業務が入った。週末の楽しみにすることにする。
 マーケットプレイスで注文した古書が到着していた。パッケージの中に,A4版のお便りが入っている。古本屋さんの通信らしい。連歌のことや中臣鎌足などのことも書かれてあって,面白そう。何号も発行されているのかと思い,ネットへ立ち寄ってみた。
 残念,通信は1号しかなかった。まっ,1号だけの通信もあるのだろうが,ちょっと期待はずれ。立ち上げたら,更新してほしいな。そんな残念二連発で月曜日が終わった。

2011年2月6日(日)余白をつくる言葉をさがす
 休日の読書で,オペラを観たくなる箇所に遭遇。『魔笛』。モーツァルトが完成させた,最後の歌劇である。読書の途中だが,20年以上前にドイツで上演された舞台のDVDを鑑賞することにした。
 「夜の女王」のアリアも,よく頭が痛くならないねえという迫力。音楽もシンプル。いいメロディが続く。たくさんの曲を作ったモーツァルトも,余計な装飾を外したシンプルな音の方が普遍的になるかもと考えたのだろうか。「余白のある音楽は聴き飽きない」とは,村上さんのお言葉。
 若い頃は,ミュージカルやオペラにあまり関心がなかった。インド映画とかも。それが,見ていて苦にならないどころか,ゆったりした気持ちで受け入れることができ,楽しめるようになっていた。
 歳をとってもそれほどいいことがあるとは思えないけれど,楽しめるものが増えてきているようだ。歳を重ねたご褒美というのもあるらしい。

2011年2月5日(土)自分では分からぬことの
 ビールやワインなどを飲ませてもらい,時計を見ればもう12時。日付が変わる方の12時である。トータルで11時間を超すような勉強会だった。みなさんとても学習意欲が高い。大変濃い時間を過ごさせてもらった。ありがとうございました。
 表現に寄り添うとか,地道な活動が大事とか。日々の実践こそが世界につながるというような会話もあった。
 本の好きなみなさんが勧めてくださったのは,『私を離さないで』のカズオ・イシグロさんとか,『千年の祈り』のイーユン・リーさんとか,『ムーン・パレス』のポール・オースターさんとか,ミランダ・ジュライさん。
 『小さな赤い花』や『クロッシング』などの映画も。
 自分では気づかないことのアドバイスがもらえたり,世界を広げてもらえる人があるというのはありがたいことだな,と思ったいち日だった。

2011年2月4日(金)マスクしているからでなく
 今年は外部の会合にたくさん出席した。あと2回ほど残っているが,大きな集まりとしては本日が今年度最後の集会である。多い人とは,年間30回くらいお会いしたような気がする。いちばんの新参者であるが,ほとんどの方が,ユガッタ・フレンというか,ラヴミ・テンダー・ラヴミ・スゥィで接してくださった。ありがとうございました。お友達にしてもらいたいような方も数名。告白はしなかったけれど。
 とはいえ,ちょっと苦手だった人が若干名。文書の改訂案を出しても,ひとことクレームがつく。集団に対する帰属意識やこだわりが強いらしい。簡単には変更したくないのだろう。生憎,当方は集団の詳しい歴史も知らなければ何のこだわりもない。ラディカルに考えたいと思っているのである。
 とりあえず,いったん受容してから反論をすることを心がけようと,少しわが身を振り返ったのだった。

2011年2月3日(木)大胆な豆まく声に
 お知り合いのお嬢さんが太巻きをお持ちくださるというので,とりあえず今年も2本購入。例によって安い方でいいんです。380円。結構,いい値段だ。スーパーやコンビニの商売には乗せられないという方もおありだったが,まっ,金は天下のまわり道だか遠まわり。やがて,わが家に巡ってくることがあるだろう。
 残念ながら今年も方位計が付録につけられていない。方角が不明。沈黙はもちろん無理。いつものように,それぞれが多分南と西を向きながら,ぺちゃくちゃとしゃべりながら食べた。願い事を思い浮かべてはみたけれど,だれも叶えてはくれないような気がした。
 そんな太巻きをほおばっている時,裏のおうちが節分になった。子ども達が,わが家に向けて豆をまきはじめたのだった。自我に目覚める前の大きな声。小学生は元気である。
 われわれはオニだったらしい。人間にしてもらうことを願っておけばよかった。

2011年2月2日(水)うたがいを抱えながらは
 わけあって,ここのところエルビス・プレスリーさんを聴いている。
 残念ながら,『ハートブレイク・ホテル』や『ハウンド・ドッグ』や『監獄ロック』は同時代的には聴けなかった。
 ラジオ番組の毎週のヒット・チャートを記録していたころにランキングされたエルビスさんの最初の曲は,『イン・ザ・ゲットー』だった。次のランク・インは『サスピシャス・マインド』である。ゲットーって何やねんとか,サスピシャスってどういう意味やねんと,田舎の高校生はまだ新しい英和辞典をめくっていたのだった。1977年に42歳でお亡くなりになったエルビスさんの「晩年」に,かろうじて間に合ったのである。
 やがて,ジョン・レノンさんとは戦争等の見解の相違があったらしいということがわかったり,関心がHRやプログレに移ったこともあって,結局,『バーニング・ラブ』あたりまでしかおつきあいしなかった。
 そんなエルビスさんの,わが家に1枚あるだけのベストアルバムを聴きながら短歌を読んだりしている。艶やかないい声である。ついつい聞き惚れてしまいページが進まない。なんだかドーナツまで食べたくなった。

2011年2月1日(火)前をゆくハイブリッドの
 我が家界隈の路地は,今年一番のアイスバーンだったのではないか。つるんつるん。朝から駐車場前で緊張して歩く。いつも,集団登校の待ち合わせ場所まで家から走って行く小学生の女の子も,今日は慎重である。挨拶をしても氷に気をとられているのか,上の空。まっ,もともとオヤジに関心があるはずもない。
 ペットボトルにぬるいお湯を詰めていったのに,フロントガラスは凍っていなかった。ありがたい。雪の日は,車の屋根の除雪等で時間をとられるが,今日はすぐに出発できた。そういえば,昨日はご近所の学生さんと遭遇し,後ろの席に乗せてあげた。「バスがいつくるかわからないんです。」とおっしゃる。そんなことはしないのが最近の流儀だろうが,雪の日の通勤路にスピードを出す場所はないから,普段の時ほど大事故にはならないだろうと思ったのである。
 帰りがけに,朝は緊張して運転するけれど,意外に冷え込んでくる夕方も危ないんですよとアドバイスしてくださる方があった。夕方の雪道で後ろの車に追突されたご経験がおありらしい。ご助言感謝。帰りも慎重に運転した。無事に到着。
 車から降りて,ぐじゅぐじゅの雪道を歩いていたら,ズルッと滑って転びそうになった。まっこと,危ないのはアイスバーンだけではないのだった。

2011年1月31日(月)スプーンを握ればいつも
 目がやや疲れている感じ。どれだけ効果があるというものでもないと思うが,ここのところブルーベリー・ヨーグルトを食べている。
 どのヨーグルトもそうなのだろうか。フタのアルミをはがすと,フタの裏側にヨーグルトがくっついている。そんなものはすぐにゴミ箱へ捨てるという方もいらっしゃることだろう。けれど,ボクは捨てることができない。スプーンでこすりとって食べる。貧乏性である。お金持ちかそうでないかという分岐はこんなところにも現れるのかも知れない。
 とはいえ,今のところフタの裏側をなめてきれいにとるところまでになっていないのが残念。そのあたりが,中途半端な生き方を表しているようでもある。
 こんなくだらないことで悩まなくてよいよう,裏ブタにヨーグルトがくっつかない技術改良をしていただきたいものだ。

2011年1月30日(日)朝の道にスコップの
 カーテンを少し開けてみる。せっかくの日曜にたっぷりの積雪。今日は雪かきに費やす時間はないのである。が,やがて聞こえ来るスコップが地面にこすれる音。窓のサッシが安物で,外の音がよく入ってくるのだ。雪かき好きのおばあさんはすでに作業を開始していらっしゃるらしい。
 雪かきをひとりでするのはつらいのである。音が聞こえているのに知らん顔をするわけにいかない。とりあえず,玄関から道路までの雪かき。新聞を配達してくださった人の足跡さえ残っていない積もり具合である。
 おばあさんと合流し,おばあさんの家側の道路を片付ける。その後,わが家の前の道路の除雪。この辺りだけ,地面が露出している。
 結構,大きなスコップの音がしていると思うのだが,ご近所の方はどなたも出てこない。防音効果の高いサッシのおうちにお住まいなのかも知れない。

2011年1月29日(土)あと少し届かぬ光
 少し晴れ間があった。砂丘へ行ってみた。ソリ遊びをしているファミリーが,あちらこちらに10組以上。
 砂地の見えない砂丘である。海側は雲が厚い。馬の背にはなかなか光が届かない。そんな馬の背を歩いている人が何名かいらっしゃる。鳥取雪丘の思い出ができたことだろう。
 しばらく眺めていると吹雪いてきて,海も見えなくなった。撤退。雪がきれいにかいてある道路を通って帰った。以前はすぐには雪かきがされず,二本のタイヤの跡しかない道路だった。早期の除雪がしてもらえるようになったらしい。対向車が来てもすれ違うことができる。
 その道路脇の松は,枯れていたり折れていたり。春になると,砂丘の植林部分は無残な姿をさらすことだろう。

2011年1月28日(金)こんなにも騒いでおりぬ
 ここ数日,天井や壁の向こうがうるさい。何かをかじっているような音も聞こえる。歩くときの音の雰囲気から,ネズミよりネコに近い大きさの動物のように思われる。
 晩秋のわが家の庭で目撃されていたのはイタチのような小動物。詳しい方にお聞きすれば,大きさや体型から,イタチというよりどうもテンらしい。目がテン。
 ここのところ,外は雪に覆われた状態が続いている。食料が確保できないので,わが家に潜り込んだのかも知れない。天井にはごちそうが転がっているらしい。
 しばらくドタドタとにぎやかだった後,静かになった。深夜は断熱材等にくるまって眠るのだろうか。電気コード等をかじられても困る。調べてみると,木酢等の臭いがきらいとある。芳香剤ではなく,悪臭剤を設置しないといけないらしい。雪は,こんな楽しいことも運んでくれる。

2011年1月27日(木)雪かきをしない男の
 借りている駐車場の雪かきをするとか,自宅周辺の雪かきをするとおっしゃりながらみなさんが急いでお帰りの中,業務上のお酒を飲む会である。7時から。まったく間の悪い日時設定である。
 とはいえ,ボクより若いみなさんは降雪に関係なくお元気。雪かきもしないで飲んでいていいんですかねえとか,映画やキタロウズの話等で次々と話題が続く。一度寝てから準備したとおっしゃる方が中心となったサッカーの話題だけは,静かな聞き役に徹したけれど。
 さて,宴も終了。ボクの雪かきは,朝出かける前に自宅前を軽くかいただけだ。許してもらえているだろうか。
 我が家界隈の道路はことのほかきれい。晩ご飯の前にご近所のみなさんと雪かきをしたのだろう。おそるおそる帰宅した。寿司折りを手にすることもなく。
 大丈夫だった。松本清張さんをお楽しみらしい。
 雪のおかげで,車の運転以外のよけいな心配までしなくてはいけないのである。ほどほどにしてほしいな。

2011年1月26日(水)会葬のお礼を開けて
 リアシートに乗せてもらってあちこちドライブに連れて行ってもらった。若者が運転である。ラクチン。海寄りの山間部の方(どんなところやねん)が,平野寄り山間部(どこ?)より積雪量が多いように見えた。とはいえ,今夜はすでにこの界隈も相当の積雪量である。明日も早く家を出ないといけないようだ。一晩のドカ雪も困るが,毎朝のダラダラ降雪やアイスバーンのおかげで,通勤も仕事の前のひと仕事で,疲れる。
 今日は会葬御礼をいただいた。茶の子。開けてビックリ。お米だった。「無洗米魚沼こしひかり」と書かれている。単一原料米22年産。
 もちろん,10kgとか5kgではない。
 280g。
 真空パックに閉じ込められていて,大型のおにぎりのような大きさ。ハンカチやクオカードや筆ペン等,茶の子の選択範囲は限られているのかと思っていたが,予想もしないものをいただける時代になったようだ。心がこめられているのかも知れない。

2011年1月25日(火)給油ホースを持ったまま
 大晦日以来のGSでの給油。まだ350kmしか走っていない。60リッターの給油である。燃費はリッター6kmほどらしい。
 スタンドのおにいさんが,「あの駐車場は夜に誰かに貸してるんですか。」とおっしゃる。
 「へっ。」
 「いや,夜になると毎日駐める人がいますよ。頼まれたので許可されたんですか。」
 「そんなことしてないよ。そういえば,休日出勤の時に駐められていて困ったことがあったよ。」
 「近所の,ラーメン屋さんですわ。以前も,トラブルがあったんです。うちのお客さんだから,なんとも言い難いですけどね。」
 「ボクの土地でもないし,ボクが駐めてない時は,駐められても仕方がないんじゃないの。」と話したのだが,若者はなんだかそういうことが許せないような口ぶりだった。
 そんなことより,給油口に張り付いていないで,ガラスを拭きましょうかとか,ゴミはありませんかくらい言ってもらえないだろうか。時々ガラス拭きを断ったりすることがあるのをいいことに,ちょっと慣れすぎ?

2011年1月24日(月)壁に映りし光と影に
 午前中は監禁状態の業務。パンを食べて,午後の会議に参加。会議を終えて外を見れば,コンクリートの壁に光が当たっていてきれい。フォトジェニックな光と影だ。太平洋側のみなさんには当たり前の光景だろうが,ここのところ光も影をゆっくりと見ていないのである。
 ネットの天気情報記録を見ると,東京の1月は雲のマークが一日だけで,昨日までの残り22日はすべてオレンジの太陽で埋められている。いなばの太陽は13日間だけ。15時頃の記録らしいが,そんなにあったっけというくらいボクの身体には太陽の光は当たっていない。
 いなばには天然のUVカットが上空にセットされているのである。まっ,月の光にも電球の明かりにも紫外線はあるのだろうが。
 今夜から雪らしい。

2011年1月23日(日)おあがりください梅昆布茶でも
 午後からお局の関係者が来訪。お客様ゆえ,一応,客人をお通しすることになっている部屋を提供する。デスクトップを置いている部屋だ。
 そんなわけで,いつも使っているPCが使えない。台所にあるノートPCを借りて仕事に取り組んだ。サクサク。狭いPCラックで物事を考えるより,広いテーブル上のノートPCの方が,仕事がはかどるような気がした。ノートPCのメモリはデスクトップよりはるかに少ないのに。PCの性能より,机の広さの方が大事だと思ったりした。
 午前中にいらっしゃった方には慣れていただいていると思うのだが,午後のお客人は,部屋のきたなさぶりに感心してお帰りになったらしい。本当にこんな部屋があるんですねえとおっしゃったとか。いや,お恥ずかしい。
 隣の部屋はもっときたないんですよ。

2011年1月22日(土)円形のテールランプに
 桜井真一郎さんがお亡くなりになっていた。プリンスでスカイラインをおつくりになった方だ。スカイラインには縁がなかったけれど,桜井さんがおっしゃっていたことを結構守っていた時期があった。
 正確な言い回しは覚えていないが,人は右足と左足を交互に動かして進む。だから,車も両足を使って運転するのがよいということと,四つ足動物は後ろ足が軸足というか駆動の足だ。四輪ある車も,自然にかなった駆動システムの方がよいという2点。
 オートマよりマニュアル車,FF(前輪駆動)よりFR(後輪駆動)ということである。
 とはいえ,FR車は雪に弱い。緩やかな坂道の続くスキー場の駐車場までたどり着けなかったことや,轍にはまり職場に遅刻をしたこともあった。そんなこともあって家族全員が乗れる四駆に変更。ディーゼル車に懲りていたから,ガソリン車を選んだ。ところが,ガソリン車にはマニュアルが設定されていなかったのである。そんなわけで,桜井さんの教えを守らなくなっていたのだった。まっ,牛車も馬車もFF車。
 その後,すっかりオートマの便利さに馴らされてしまい,足腰だけでなく肩まで弱ってしまった。言いつけを守らなかったせいだろう。

2011年1月21日(金)前に割り込むトラックの
 倉吉までドライブ。路面の乾いたところもあるけれど,対向車や前を行く車の水しぶきで車が汚れるという,あまり走りたくないバッド・コンディションのドライブである。
 それはさておき,外食しようと思っていたランチのタイミングを,出発時間の関係で逃してしまった。今日は昼抜きにすることにした。楽しみ楽しみ。なにしろ,この年末年始で記録を更新していたのだった。人生初の未体験ゾーン。身体のキレも悪い。時々の雪かきくらいでは,カロリーの消費がほとんどできていないようだ。
 さて,風呂上がりに計量。とりあえず年末並に戻っていた。食べないのがいちばん。毎日記録するのことが効果的らしい。今日から,表計算ソフトにデータを入力することにしてみた。XPでは動く,ロータス1・2・3で。

2011年1月20日(木)厚着する時期に痛みし
 この道はいつか来た道というような痛みに苦しんでいる。1か月ほど前からなんだか変な感じだとは思っていたのである。ここ数日の痛みではっきりとした。徐々に痛みが増すようになって,今日あたりがピークではないかと思われるのだった。今度は左側。
 五十肩である。
 50歳というわけでもないけれど。遅れてきた五十肩。
 とりあえず困るのが,服の脱着。腕をひねった後の痛みがことのほかつらい。朝夕,下着とYシャツとジャケットとコートの4回の脱着が必要である。一粒で4度おいしい。密着度の高い下着も,結構楽しめる。よせばいいのに,職場ではジャケットを脱いでカーディガンに着替える。軽いカーディガンが楽なのである。けれど,肩の軽さのためには,少しばかりの肩の苦痛を我慢しなくてはいけないのだった。つらい。
 右腕が上がらなかった期間は,それほど長くはなかった。ちょっとの辛抱である。と思い込むようにしている。
 六十肩や七十肩というのは聞いたことがない。多分これが最後の肩の痛みのはずだ。と言うか,その歳になればもっと別のところが痛むようになり,五十肩どころではないのだろうか。つらい。

2011年1月19日(水)甘辛く炒められたる
 テーブルにプラスティック容器に入った大学芋とかき揚げがある。ご近所のおばあさんがくださったらしい。特に好きなわけではないけれど,大学芋をひとかけらつまみ食いしてみた。うまい。冗談抜きで。
 パリパリで甘い大学芋は苦手だ。大体,子どもの頃からさんざんふかしイモを食べさせてもらったから,サツマイモはそれほど食べたいと思わないのである。しかし,いただいた大学芋は,柔らかい食感で甘辛い。砂糖と醤油の加減が絶妙だ。これならたくさん食べることができる。ぜひ,わが家でもこの風味をだしていただきたいとお願いをしてみたのだった。
 昨日は別のおばさんがおからの煮付けをくださり,その前はお嬢さんが金箔のふられた高級梅干しをくださった。どこの農村に住んでいるのかねというようなご近所づきあいをさせてもらっている。ありがたいことである。これからも,突っ張らず,みなさんにもたれかかって生きていきたいと思っているのだった。
 おばあさんはパソコンをお持ちではない。感謝の気持ちを読んでいただけないのが残念である。

2011年1月18日(火)スタッカートで豪快に
 100歳のおじいさんがお亡くなりになった。救急車を呼ばれたが,すでに息がなかったようで,パトカーもやって来た。先日の町内の総会でも,総理大臣から祝状をもらわれたと話題にあがっていたおじいさん。
 40年来のおつきあいである。ボクも我が家もいろいろとお世話になった。本当かどうか知らないが,ボクのクラスメイトの中におじいさんの隠し子がいて,ボクを見れば父親と名乗れないその息子を思い出すのだとか。よくかわいがっていただいた。
 いなばに来たばかりの頃のつれあいは,包丁をたてるラッキョウの切り方を教わったり,廊下を歩いている蛇をつまみ出してもらったり,下ネタで大人にしてもらったりと,思い出はたくさんあるらしい。我が家のしめ飾りは,つい最近まで毎年おじいさんが作ってくれたものだった。藁で,鹿野傘や簑やブーツを作るのも得意。わが家には藁製ブーツがある。遺品。
 町内の歴史を聞きに行った時には,そんなことはもうどうでもよいとあまり語ってもらえなかった。下ネタと戦争に行った話はよくしてくれたけれど。それが人生の大事なことだったのだろう。おつかれさま。

2011年1月17日(月)黙祷を知ることもなく
 いつもより10分早く家を出た。積雪はあるが,さいわいフロントガラスは凍っていなかった。ペットボトルに入れたお湯は雪の中に捨てる。雪よけの作業時間が少なくて済んだ。
 下りの坂道はみなさんがゆっくりである。ブレーキを小刻みに踏みながら降りる。無事通過。その後も,オーバードライブを外したセカンドで走った。緩やかな,ほんとうに緩やかなカーブなのにハンドルが思い通りにならなくなる箇所が2つほどあるのだ。ここも無事通過。
 いつもより10分早く出て,いつもより到着が10分遅れただけで済んだ。寒い冬に早起きをして早く家を出なければいけないのが,豪雪地帯の住民のつらいところである。
 いゃあ,いつもより10分早く出たので楽勝でしたわと話したら,ボクは6時に家を出ましたとおっしゃる方があった。中国山地方面にお住まいの方である。さらに豪雪らしい。
 7時30分のことでした,ボクの出発は。すいません。

2011年1月16日(日)その他になれば発言は
 当地の融雪装置の不良は,水不足が原因らしい。2本あった地下水の1本の水量が減っていて,今年は節水モードで稼働しているのだとか。25m下には水の豊富な川もあるのだから,なんとかくみ上げることはできないんですかねえというような意見が会合で出ていた。まっ,水は豊富でも,そんな財源はないのだろう。事故を起こしても自己責任ですから,安全運転をしてくださいとおっしゃる。明日の朝が心配。
 そんな総会のあとの懇親会は,4時間も続いた。少しずつ抜けていかれて,結局残ったのは今年の役員。近所に,みなさんが集まることのできる集会所があればいいんですけどねえとか,会社を辞められたり,ひとり暮らしの方が人に会う場所がほしいとか。将棋や麻雀をやりたいとおっしゃる方も。
 要望にお応えしたいなあと酔っぱらった頭で考えていた。

2011年1月15日(土)紅梅の画像を貼って
 明日の朝は怖いことになっていそうだが,日中は日が射していた。誘われて積雪のある庭に出てみると,紅梅が一輪だけ咲いている。さすが百花に先がけて咲くと言われるだけの木だ。4本ある梅のうち,剪定をこまめにやっているいちばん背の低い梅。ほとんど雪害のなかった1本。背の低くてよいことがもちろんあるのだった。
 とはいえ,折れている残りの木の枝の先にもたくさんのつぼみがついている。たくましい。寒い寒いとこぼさず,梅のようにがんばってみることにした。とりあえず,明日は起きたら雪かき。
 梅以外にも,山茶花やラベンダーやユリオプスデージーも咲いていた。いずれも折れたり傷ついたりしながら。金柑や紫陽花や花梨は枝がたくさん折れている。わるかったねえ。一部の枝には支柱をくくりつけてやった。
 泥縄人生である。

2011年1月14日(金)近づかないで進みたる
 ここのところ毎朝の車の運転がちょっと疲れる。坂道に設置してある融雪装置の水の出が悪くて路面に圧雪や新雪があるのだ。ちょっとした勾配のある坂道を下りながらの90度のカーブ。結構あぶない。
 それに加え,1年中はいているせいか冬用タイヤのグリップ加減がいまひとつ。そんなわけで,前の車には近づかないようにして,オーバードライブも外し,セカンドで進んでいるのだった。一日の集中力をすべて消費しているのではないかという坂道である。
 さいわい,帰宅時は路面が乾燥している場所もあった。ドライは走りやすい。さて,受験生のみなさんにとっては大事な明日の朝。あの坂道を利用されるみなさんが無事に通過されますように。
 明後日の町内会総会では,水の出ない融雪装置をなんとかしてよという声がでることだろう。これだけ雪が降っているのだから,水はたっぷりあるんじゃないの。

2011年1月13日(木)切手を貼ってもういちど
 よほど真剣に探しまわってくださったのだろうか。今ごろになって年末に投函した年賀状が帰って来た。住所変更を聞いていたっけ。今年帰って来たのは3枚。同じ町内で引っ越しをされた方の分はもっと早く帰って来ていたけれど,国府町から吉成に転居された方のハガキは結構あちこちたずね歩いてくださったらしい。今ごろ年賀状をもらっても間抜けなことだと思うが,とりあえず住所を書き直して明日投函することにした。
 ところで,今年は年賀状がまだ来ていないなあという方が7人ほどいらっしゃる。毎年来ている人なのである。もちろん,ボクの方からも投函している。仮に,あちらが事前に投函されていなかったとしても,ボクの賀状が届けば,そのまま放置されるような人たちではないと思われるみなさんだ。それとも,今年から縁を切りますという方が今年は異常に多いのか。こんなペースでいけば,10数年でだれからも年賀状が届かなくなりそうだ。
 日頃の行いが悪いからそういう可能性もないわけではないが,ちょっと配達ミス等を疑ったりしているのだった。

2011年1月12日(水)雪をどかせばワイパーは
 駐車場に到着。ロックをして車を後にした。しばらく歩いてから,フロントガラスのワイパーを立てておくのを忘れたことに気づいた。先日,雪でワイパーが壊れたというお嬢さんの話もあった。引き返そうかと思ったが,朝というのはそんな1分ほどのことがもったいなく思えたりして,結局そのまま放置。それほど雪は降らないだろうと思ったのである。
 そんな小雪状態だったのが,昼頃になるとボタン雪になった。路面はすでに真っ白である。心配。
 その後,そんなことも忘れて業務に没頭した。終わった時には,勤務時間がすでに2時間も過ぎている。今日もよく働いたぜ。
 朝の心配通り,車のフロントガラスには雪がたっぷりと積もっている。ワイパーの根本付近は雪が厚くなりロールケーキが乗っているようでもある。スポンジとゴムのついた水切りワイパーを使ってガラスの雪を向こう側に押しやる。雪に押さえつけられていたワイパーがプルンと元の位置に戻ってきた。重たかったことだろう。
 車に悪いことをしたと謝るなんてことはほとんどないのだが,雪に埋もれたワイパーだけは何だか申し訳ないと思うのだった。悪かったね,立てるのを忘れて。

2011年1月11日(火)この雨を見てるだろうか
 席を立った時呼ぶ人があって,机の側まで行った。島が違うので,最近はめったに声のかからないお嬢さんからである。
 「なんですの?」
 「この映画は観られましたか。」と,DVDを何枚か渡してくださった。
 「えーっ,なんでこの映画をボクが観たがっているって知ってるの,誰にも言ってないのに。」ビックリした。
 『クロッシング』
 去年のGWのころに紹介してくださる方があり,DVD化されるのを待っていた作品である。昨年末の発売。買おうか借りようかと思いつつまだ手に入れていなかった。
 それにしても,お嬢さんよく成長されましたねえ。以前は,それほど映画に関心のない方だったのである。そんな彼女にひたすら好みの映画を押しつけているうちに,ボクの喜びそうな映画もおわかりになってきたらしい。映画の話ができたり,作品を紹介していくれる人がいるというのも有り難いことだ。押しつけてみるものである。
 雨に打たれてみたくなるような映画だった。

2011年1月10日(月)のし紙にプリントされし
 お届け物が届いた。野沢菜を毎年送ってくださる関東在住の方からである。お局のお友達。なんですの今ごろ。何かのお返しかしらと,本人も心当たりがないらしい。包装紙をはがす。のし紙がつけてあった。
 「雪見舞」
 チョコレートが入っていた。雪でお見舞いをもらったのは初めてである。ありがとうございます。
 豪雪とはいえ,米子方面に比べればわが家界隈はまだかわいい方だ。けれど,関東の人にはいなばと伯耆の違いというのはよくわからなくて,ニュースで鳥取と出てくるからご心配をされたのだろうか。ご出身が新潟ということだから,大雪の大変さをよくご存じなのかも知れない。
 そんな心遣いをされる方がわれわれの周りにいるというのは有り難いことだなあと,ふたりで感謝したのだった。
 お局の関係者というのが残念であるが。 

2011年1月9日(日)焦げたみかんの転がって
 8時前から町内の「とんど焼き」のお世話。そのまんまだったり,新聞紙にくるんだり,スーパーの袋に入れたり,キース・マンハッタンの紙袋に入れてしめ飾りを持参される。それぞれの流儀がおありだ。破魔矢も結構お買い求めである。ボクは買ったことがない。わが家のしめ飾りは廃品活用するため,手ぶらで参加。そんなわけで,朝からお神酒を飲んで酔っぱらっていたのだった。
 昔かわいがってもらった88歳になったというおじいさんから,何歳になりんさっただいなとか,まだ働いとんさるだか等と尋ねられる。おじいさんはストレートである。お集まりのみなさんが注目されてるじゃあないですか。もごもご。
 終了時間を過ぎてもしめ飾りを持参される方があって,終わったのは10時10分。公園の隅に穴を掘って燃えかすを埋めた。
 さいわい晴れていたとはいえ,風があってすっかり身体が冷えた。煙を浴びたら無病息災などと言われたが,風邪がぶりかえしたようだ。
 町内のおつきあいは,時に身体によくないこともあるのだった。

2011年1月8日(土)旅物語の旗をもつ
 町内会総会用レジュメの印刷・製本のため,三役は9時に公民館に集合である。午前中かかる予定だったらしいが,わずか16ページである。ステイプラーを使わず,両面印刷をして差し込んではどうですかと提案。ほぼ1時間で約150世帯分が製本終了。早く帰れると思ったら,時間が余ったので明日のとんど焼きを行う公園の雪かきをすることになった。今シーズンの除雪用体力はもうわずかしか残っておりませぬ。大雪が来ませんように。
 午後は,花園の試合の録画予約をして西へ。帰宅後見れば,いゃあいい試合。締切1分前でもあきらめないようにしようと思った。
 それはさておき,西からの帰りに初詣に寄ってみた。30年来のおつきあいの白兎神社。もう参拝客も少ないだろうと思ったのである。それがビックリ。8日の午後4時前だというのに,鳥居のあたりまで行列ができている。10分は並んだ。いつもは宇倍神社組らしいボクの前に並んでいるおばちゃん3人組も,「行列した初詣ちゃな初めて」と話している。JTBの旗に続くご一行様もおありで,奈良や神戸等の県外ナンバーも多い。
 神社専用駐車場は駐車禁止になっていて,酒ノ津の塩鯖やうさぎ焼きが売られている。塩鯖1本400円とか500円。タイ焼きの型がウサギ型。白兎は「恋人の聖地」だとか。稼げるときに稼いでおかないとね。
 とはいえ,節度をもって生きるようにしたいなとも思わせていただいた,ありがたい神社でもあった。

2011年1月7日(金)冬晴れの雪道をゆく
 業務上の締切日。完成までに思いの外時間がかかった。結局,勤務時間を2時間ほど過ぎてからの提出。世間様が相手であれば減点である。お昼に関東在住の懐かしい人に遭遇し,少し話し込んだのがいけなかったようだ。ご家族が倒れたので今日の飛行機で帰って来たのだとか。雪道をスニーカーで歩く41歳というのはこんなに若々しいのかと驚いていたのだった。羨ましいね。
 業務を終えて帰ろうとしたら,近くの席のお嬢さんが,車のキーを探されていた。コートのポケットに入れていたのが行方不明らしい。個人売買の車で,キーはひとつしかないのだとか。自分の車であることを証明する何かが必要だと思うけれど,ディーラーや鍵屋さんに頼めば簡単に作ってもらえるのだろうか。後日談が楽しみ。
 そんな夜,電気ストーブが消えたというのでコンセントに触わる。いきなり火花が出て,コードカバーの焦げる臭いが部屋に充満した。ビックリ。目に火花が飛び込んだような気がした。今のところどちらの目も見えているけれど。タコ足配線で,コードの余った部分を束ねていたのがいけないのだろう。
 減点気味の小さなできごとの重なった新年7日目である。

2011年1月6日(木)レシートの印字は消えて
 ほぼ終日監禁された状態で業務を行った。サービス残業つき。解放されて外を見れば,路面には結構な積雪がある。今日は,町内会総会用の会計監査や資料点検などの三役会が行われる日だ。すっかり遅くなったけれど公民館へ急ぐ。めずらしく,わが町内に近づくにしたがって積雪量が少ないように見える。今回は,日本海側より中国山地側の降雪なのだろうか。
 不謹慎にも,もう終わっているといいなと思いながら会場へ。残念。会議たけなわだった。若いのに,会計さんのノートは丁寧で細かい。補助金が入っていた封筒までファイルされている。会計はボクのいちばん苦手な分野だ。おつかれさま。それでも,町内会費から募金を供出してしまったことを反省されていた。請求があったから,ついつい支払ってしまわれたらしい。通常は班長さんが集める。くじ引きの単年度で役員を決めているいるんだから仕方ないよね,などと慰労したのだった。
 町内には細かいことにうるさい人もいる。ご心配らしい。もしかすると,会計係は町内会長さんより大変ではないか。そんな大変な業務をやって,みんなから感謝されないというのはおかしいと思うな。文句がでたらフォローしますからね,ということで本日の会議は終了したのだった。

2011年1月5日(水)満月の夜に犯したる
 今年も卓上用のムーン・カレンダーをいただいた。フロッピー・ケースに入れて使うサイズ。京都で学生時代をお過ごしの方が,京都ホテルオークラで買ってきてくださった。ありがとうございます。
 ノートPCが常駐しているため,ほとんどモノを置くスペースのない業務用机であるが,インドのおみやげにもらった象や,拾ってきた玉虫,もらいものの極小クワガタと一緒にカレンダーも並べさせてもらった。
 ネットの中や新聞を見れば月齢はわかるけれど,夜空の深い紺と月の黄色,日にちを表す白抜き数字とのバランスがなかなかきれい。去年はこのカレンダーを見ながら,新月のころは生まれくるものが少ないなあと感じたのを思い出す。昨年は中旬から初旬にかけてが新月だった。
 今月は昨日が新月。そんなわけで本年はさっぱりのスタートである。月がふくらんでくるこれからに期待することにした。満月は19日。楽しみである。

2011年1月4日(火)バックする車を押せば
 雪かきをするために生まれてきたかのような,4日連続の雪かきである。雪かきを知らない人より,豊かで幸せなことだと思うな,多分。
 まずは,駐車場でスタックして車を動かせなくなった同僚のお手伝い。新雪はないけれど,まだ雪が消えていないのである。先に駐めてある車とバンパーが接触しそう。雪をどかして車を押してあげた。雪があればこその貴重な朝のできごとである。
 その後,広大な中庭の雪かき。軽いアルミ製ではなく,スチール製スコップしか残っていない。重い。わが家の軽量スコップを車に積んでおけばよかった。おかげで,左腕と腰のあたりに疲れがたまった感じ。
 明日一緒に業務をする方に,目覚めた時に腰が立たなくなっているかも知れませんから,おひとりでもよろしくとお伝えして職場をあとにしたのだった。
 雪があればこそ。ありがたいことである。

2011年1月3日(月)裂けたる枝に綿雪の
 あちこちで雪の被害が散見される。近所には折れた街路樹もあるし,垂れ下がった電線もある。漁港では沈んだり転覆した漁船もおありだとか。
 漁船の持ち主のみなさんの落胆と比ぶべくもないが,わが家の場合は庭木が3本ほど折れていた。いずれも高く伸びていた木である。1本は25年目の紅梅。ちょっと物語のある木。もちろん実をつける。梅干し用の青梅の木でもある。昨年の正月にも雪で途中から折れたのだが,今回はかなり根本の方で折れていた。
 こまめに剪定もしない,梅折らぬバカである。大事な木ならもっと面倒をみてやれよということかも知れない。反省した。
 残った枝がたくましく物語を続けてくれることを期待することにしたのだった。

2011年1月2日(日)新年の目標らしい
 わが家にとっては未明のような時間のお客人。あぶないあぶない。なんとかパジャマを着替えてセーフだった。
 お昼にお帰りになった後,雪かきをしていると,再び若者夫妻の訪問があった。ナント,このきたない部屋をこれからの部屋づくりの目標にしたいのだとか。それはそれで立派な志である。と思うのはボクだけで,愛想づかしされないように祈るばかり。
 3日連続の雪かきのおかげで,喉以外はすこぶる体調は快適。道路も,わが家界隈は路面がみえている。誘われて,こちらの道路をご利用の方もいらっしゃるけれど,その先にはブロックにぶつかるかも知れないという轍が待ち受けているのだった。
 足下をみることも大切だが,先を予測する想像力も持った方がいいと思うな。

2011年1月1日(土)轍を走る軽トラの
 朝から雪かき。といっても自慢するほどの朝ではなくて,年賀状の配達のころ。早いですねえ,ごくろうさま。積雪量は昨夜より一段と増えている。ご近所のみなさんと,スコップを持って新年の挨拶である。去年の元日と同じ。豪雪地帯恒例の元日風景である。
 「これが少しは銭になればいいのにねえ。」等と会話をしながらの雪かき。まっ,いい運動をさせてもらえたと思うことにした。
 わが家の前の通りには,車が2台立ち往生である。こんな日に車を使わなくてもよいのにと思っていたら,飛行機が飛んだから帰ってきたという娘を迎えに飛行場へ出かける羽目になった。
 ジャスコレーンあたりのR9の路面の雪は消えているが,飛行場界隈や通行量の少ない生活道路は車高の低い車は大変そう。R9の合流地点の坂道でバスが止まっているし,右折してR9に合流する箇所でも動けなくなった車を2台発見。パトカーが助けてくれるようだ。
 とりあえず何事もなく無事に帰ってくることができた。運がよかったようだ。こんなことに運を使ってしまいたくなかったけれど。
 そんなこんなで,本年もよろしくお願いいたします。

2010年12月31日(金)雪掻きをしているうちに
 雪はホント静か。目覚めてびっくり。さらに終日降り続けたことにびっくり。雪が降るという年末の予報を裏切って晴れ間を提供してくれた分を,一気に返してもらいまっせというような降り方である。
 どうしても線路の向こうまで出かけなくてはいけない用事がある。南方を走ってみると,我が家界隈より積雪が少ないように見える。こたびの雪は,いなば北極圏の降雪が多いようだ。夕方5時の我が家の公式記録地点の積雪は,36cmだった。
 こんな日に,近所の融雪装置が不良である。一番難所の坂道にバスが乗り捨てられている。というか代替バスが運行していた。夜も,生活道路のあちこちで車がスタックしている。午後9時過ぎに帰ってきた我が家の手前のおうちでもスタック。迂回して横道に入ると,そこでもスタック。結局,大回りをしていつもとは入れ方の違う車庫入れである。
 ということで,今年は雪かきで終わっていくのだった。

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