いなばにあん 時々嘘つかないTOPへ
my foolish heart

「べんとーさん忘れてもかーさん忘れるな」,雨と無知との遭遇いなばにあん いの の日記。

2011年9月30日(金)このような人がいるなら
 ナビのバージョンアップ完了。DVDだけ入れ替えればすぐに使えるというわけではなく、アップデートディスクを使用したバージョンアップ作業が必要である。面倒くさい。おまけに、本体が古いせいか、なんだか動作が遅くなったような気もする。大丈夫か。わざわざナビを買う人がいなくなるわけである。
 いなばにはじめてできた無料高速道路を案内してくれるだろうか。それとも、原野がまだたくさん残っているのだろうか。
 ついでに、オイルも交換しようと思ったが、「自動後退」(翻訳違い)さんも、黄色い帽子のお店も、棚卸しとかでお休みだった。仲良くなのか、偶然なのか。せっかくの金曜日に商売っ気のないことである。
 GSへ行ってみた。顔なじみの店員さんが、リッター1300円ほどですから、「自動後退」(違います)さんなんかの方がずいぶん安いですよと言われた。だよね。じゃあそうしますということで、オイル交換は10月に入ってからすることにした。それにしても、よい店員さんである。そんなよい店員さんばかりで大丈夫か? 

2011年9月29日(木)陽のささぬ裏には裏の
 キンモクセイの香りが漂ってきた。開いている花は少ないが、つぼみは大量である。わが家のキンモクセイは、咲き年のようだ。そんな匂いをかぎながら裏の仕事をする。
 裏の仕事と言っても、お代はスイス銀行の口座に振り込んでねという仕事ではなく、本当に家の裏の仕事。雨漏り箇所の修繕なども兼ねて。ちょっと前まで、 裏はブドウ畑だった。気持ちよい風の入ってくる、表のような裏。エアコンも不要だったし。それが、土がもられ高台になって家も建った。作られた壁とのすき 間は50cmほどしかなく、足を踏み入れることもなかった場所だ。水の流れない側溝があり、タヌキは一時期ここで暮らしていたのだろう。
 そんな陽のあたらない場所に足を踏み入れると、雑草がひょろひょろと伸びている。けなげ。雑草だけでなく、大きくなりすぎて処分したはずのリュウゼツランが何回か世代交代をしたのか、15cmほどのかわいい苗状態に化けていた。
 リュウゼツランは、大きくなると先端が危険である。玄関脇にあったのを裏にやっていたのだった。それを再び陽の当たるところへ持ち出してきたのだった。小さい時はかわいい。獰猛な動物もきっと。
 懲りないというか学習が生かされないというか。 

2011年9月28日(水)つぼみばかりがかたまって
 曼珠沙華が新しく2本の花芽をつけていた。合計13本である。そんなわけで、曼珠沙華の成長を調査してみた。24時間後にどれだけ伸びているかという観察である。本当に1日に10cm伸びるのか。昨夜のうちに、こっそりと長さを測っておいたのである。
 昨日いちばん花芽の長かったのが30cm。その1本が、24時間後には39cmになっていた。第2グループの先頭にいた17.5cmだったのが、25cmに。7.5cmの伸長である。最短グループの3.5cmものの本日は、6.5cm。ちいさいのに、よくがんばったね。観察は以上。これをどうやって自由研究にまとめればよいのだろう。
 とりあえず、曼珠沙華が24時間で10cmくらい伸びるというのは本当である。とはいえ、かなり伸びきっている個体の一日の成長率は30%。いちばん短い曼珠沙華が100%近い伸長を見せるのに比べれば、かわいいものである。一日で2倍近くの長さになるというのも、ケースによってはまんざらデタラメでもないのだった。秋休みの自由研究にどうだろう。
 それにつけても、曼珠沙華のように大きく成長する箇所のないわが身がちょっとかなしい。

2011年9月27日(火)かくまでに頑なでいる
 思わず目眩のするようなFAXが届いた。せっかく立ち上がったクララが、また立つことに弱気になってしまいそうである。「クララの意気地なし。もう知らない。」
 気を取り直して、しげしげと見る。数字は8のようにも見えるが、3のようでもある。クールに客観的に見れば、しげさんの背番号のようだ。栄光の欠番をここで見ることになるとは。一種低層は永遠に不滅なのであろう。
 今度は中身をよく読んで見る。理解力が不足しているのか、笑えそうでもある。が、一体どうやって笑えばいいのだろう。ふふふっ、へへへっ、ほほほっ。いっそセレナーデ、がわわわっとかギャハハか。つかれる。涙がでるぜ。泣ーくのはいやだ笑っちゃおー、進めー、ひょっこりクララがたーった。
 というどうしようもなくわけのわからない日に、CDのひと山になだれが発生。弱り目にとじぶたである。救助隊派遣。ティトー&タランチュラのアルバムが一種低層から発見された。確かメヒコのグループだ。山が崩れるのも多生の縁。聴いてみる。
 雑駁で埃っぽくてジャンクな雰囲気が心地よい。そんな細かいことを言わんでもええやん、もっと大らかにいきなはれっちゅう感じ。いいなあ、メヒコ。国歌は「メヒコの強者は雄々しく勇ましく」ではじまるから、ちょっと恐そうだけど。
 まっ、おかげでなんだか大雑把な気分になれた。がんばれクララ。クラックラ。

2011年9月26日(月)赤すぎるから近づいて
 今年最初に曼珠沙華を見たのは10日ほど前のことだ。中国山地の向こう側で。こちら側でも、彼岸の墓参りの際にはほぼ満開状態だった。
 しかし、鉢植えをしているわが家の曼珠沙華は静かである。土の中で元気にしているのかどうかさっぱりわからない。なにしろ、葉っぱが出るより先にいきなりの開花なのである。庭に放置していた素焼きの10号ほどの鉢に、冬には確かに葉っぱがあった。水やりを忘れたこともあったから、枯れてしまったのか。と思っていたのが、この数日、やっと花芽が出始めた。本日、11本の花芽を確認。1日に10cmほど伸びるのだとか。
 野に咲いている曼珠沙華に比べ、開花が大分遅いようである。と思って調べてみると、去年は花芽が出てきたのは10月上旬だった。今年の方が成長が早かった。気温や土の湿り加減も開花に影響するとか。乾燥気味の土は開花が遅いのだろうか。なにはともあれ、もうじき自宅で曼珠沙華を楽しむことができそうだ。というようなことを喜んでいるボクを見れば、屋敷に植えるもんじゃないと言っていた祖母はビックリすることだろう。

2011年9月25日(日)夜の海に漁り火遠く
 珍しくまじめに過ごした。行楽日和最終日だというのに、どこにも出かけず趣味の世界に浸っていたのである。とはいえ、例によって大した成果がないのが残念。
 なにはともあれ、ご褒美に、夕方、砂丘界隈をドライブ。って、どこがご褒美やねん。
 キャンプ場にも砂丘にも観光客はいないけれど、海の向こうに漁り火がことのほかきれい。大量のイカ釣り船だ。鴨川土手の等間隔のカップル以上に接近して見える船もある。もちろん、明かりの加減が違うから、岸からの距離はそれぞれなのだろう。
 そんなきれいな漁り火なのに、砂丘界隈は木々が邪魔になっている場所が多い。砂丘より高台にあるのだから、ゴルフ屋さん界隈もホテル付近も、もう少し樹木を整理してくださらないだろうか。
 馬の背や西の岬に立てば、パノラマワイドな光景が味わえることだろう。もうちょっと若かったらなぁ。

2011年9月24日(土)カマキリが見下ろしている
 この夏いただいたエゴマのキムチが大変おいしかった。おいしいモノはすぐになくなる。もっと食べたい。とはいえ、自家製にしようと思ってもエゴマの葉っぱがない。作ってもいないし。
 と思っていたのだが、庭に似たような葉っぱがあった。こぼれ種から毎年雑草のように生えているシソだ。エゴマとシソは同じ科らしい。エゴマの代わりに、シソの葉のキムチというか醤油漬けでも楽しめるのではないか。
 わが家のシソの葉には、いつもショウリョウバッタとかオンブバッタが止まっている。ちなみに、二匹重なっている場合、上の小さいのがオスである。シソの葉はバッタの貴重な食材だったのだと思うが、そんなわけで今年はバッタが食べるのと競いながらシソの葉を摘んだのだった。
 シソは雑草から貴重食材に格上げである。バッタにとっては食糧難の夏だったことだろう。悪かったね。おい、しそーはあきらめてくれ。ワンランク下の緑黄色葉の摂取に切り替えてもらいたい。たとえばカタバミとか。
 そんなシソも花が咲き始めた。そろそろ今シーズンは終わりのようだ。本日はシソの収穫最終日ということにして、最後のシソの葉キムチづくりなのだった。

2011年9月23日(金)もう秋の感じなれども
 「朝持って来たときはまだぬくかっただで。出てきんさらんだけ、冷めたが。」 9時過ぎに、ご近所のおばちゃんがおはぎを持ってきてくださった。千尋の眠りに落ちていて、チャイムに気づかなかったらしい。ありがとうございます。しかし、おばちゃんの朝は何時なのだろう。早い朝にはおはぎが完成しているということは、起床が夜なのではないか。9時ぎは正午か。すいません、わが家の休日は大体そのころからが朝なんです。
 午後は、夏の雲に向かって走った。渋滞気味。いつもの小さなスーパーで花を買おうと思ったら、売り切れだった。こんなことははじめてである。近くの野菜市のお花も売り切れ。補充を頼んでいるところだとか。結局、隣町のスーパーまで走ることにした。ちょうど花屋さんが追加の花を持って来たところだ。休みの続く晴れた日は、墓参の人も多いのだろう。
 赤飯や卯の花炒めもいただいて、本日は三軒のおうちのそれぞれの味を楽しませてもらった。おはぎをくださったおばちゃんがいつもくださるおからは甘めだが、今日いただいた別のおうちのおからはそれより少々甘さは抑えめである。わが家はその中間。食べ物の味付けは家庭ごとだ。
 ご近所のみなさんがおいしいと思ってくださる卯の花炒めを作るのは無理だということがよくわかった。

2011年9月22日(木)裏側をずっと前から
 なるべくモノはこれ以上増やさないようにしている。本当に必要なモノを買うようにしようと思っているのである。そんな決心が揺らいでいる。
 ピンク・フロイドのオリジナルアルバムに、最新リマスタリングが施され再発されるのだ。キャンペーンがアナウンスされた春から悩ましかったのだが、いよいよ第一弾の発売日が近づいてきた。
 アルバム単体だけでなく、全14タイトル入りBOXセットもある。ちなみに35800円。『The Dark Side Of The Moon(狂気)』は、6枚組コレクターズ・ボックスも別に発売される。こちらはちなみに16000円。
 プログレの時代でもないと思うのだが、一体このセットをだれが買うのだろう。今どきの若者が40年前のプログレのアルバムを買うとも思えない。往年のプログレ・ファンはすでにLPやCDを所有しているはずだ。EMIさんのターゲットはだれですの。もしかして、ボクのような昔プログレかぶれ小僧なのだろうか。11月には『炎〜あなたがここにいてほしい』の、来年2月には『ザ・ウォール』のコレクターズ・ボックスも発売される。もちろんどちらも16000円。とてもそんなことすべてにお付き合いはできない。でも、聴いてみたい。同じように悩んでいらっしゃるかつてのプログレ・ファンもいらっしゃるかも。
 40年ほど前の、『原子心母』も『おせっかい』も『狂気』もLP盤は2000円。いなかの高校生には高価だった。当時も相当悩んで買ったのである。さっぱり成長のない人生らしい。

2011年9月21日(水)わけもなく戸外にでたし
 「心配の電話がこないよ。」
 ごめん、ごめん。ラッキョウの追加植え付けをしていたんだよね。雨に濡れて少々寒い。
 急いで、ニュースのチェック。都は交通網も大変らしい。散らばっている関係者に安否確認のメール。本日はたまたま仕事が休みだったり、3時で会社が終わったり、帰宅途中の池袋で足止めをくっていたりのようだ。そんな私鉄利用者も21時には無事帰宅。心配の完了。
 遠くで思うだけで何もできない。役に立つことは何もない。詮ないことだ。とはいえ、だれからも心配されないというのもさみしい話である。嵐の日に無事にしているかどうかを確認する人が、ひとりくらいはいてほしいなと思ったのだった。

2011年9月20日(火)雨の降るまま更けてゆく
 警戒が必要とアナウンスされている地方には、友人も何人か。とりあえず、名古屋に電話をしてみる。
 庄内川が増水し、動かなかった電車もあったらしい。乗り継いで帰宅したとのこと。今のところ大丈夫のようだ。雨の話の後、近所のスーパーで二十世紀梨がなかなか手に入らないよというような話題になった。愛知方面の皆さんは、赤味噌と同じように赤梨がお好きなのだろうか。という脳天気な会話をしていたけれど、大きな被害がありませんように。
 ここまで台風の被害の少なかったわが家だが、今までの雨によって屋根が密かにダメージを受けていたらしい。ナント、庇付近の接合部からの雨漏りを発見。堪え性のない屋根である。
 如雨露で雨を受けるという夜を過ごしているのだった。

2011年9月19日(月)原野を走るゴリラを見れば
 宿泊先から飛行場まで送ることになっていたのだが、あれこれゆっくりとしていて、バタバタの出発になった。ナビで到着時間を確認すると、飛行機が離陸する時間の10分前に到着と出た。それはまずい。
 三連休の最後である。走っている車も結構多い。渋滞のせいで、さらに到着予定時間が遅れるというアナウンス。飛行機に乗れなかった時の対策を考えていた方がいいかも。
 と思いつつ車を走らせていたら、ゴリラが道のない緑の原野を走り始めた。古いナビなのである。中のDVDに入っているのは10年以上前のデータ。その後、飛行場までの新しい道路ができていたらしい。郊外に出れば、スピードを上げることができた。原野も走ったおかげで、出発の15分前に到着。搭乗することが出来た。よかった。
 当面、便利な携帯にヴァージョン・アップする予定がない。とはいえ、ナビはもったいない。新しいソフトをオークションで探してみた。あるある。新しい版は参加されている方が多い。無理だよねえと思いつつ、冗談で入札に参加。なぜか落ちてしまった。他に出品されている同商品即決価格の半分以下だというのに。評価欄等を確認しなかったけれど、なにか問題があったのだろうか。オークションにもナビが必要かも。
 なにはともあれ、これで原野走行生活が減り、舗装道路を走ることができそうだ。

2011年9月18日(日)低音に加算のされし
 ちょっとびっくりの音である。お願いしていたアンプ部分がどちらも完成したというご案内をいただき、手作りのスピーカーに接続して音を聴かせてもらった。得意の中音域だけでなく、高音の伸びも大変よい。低音も、その姿からは想像できないくらいしっかりと響いている。エッジを、力の限りふるわせながらがんばっているのである。けなげ。
 もちろん、アンプとスピーカーだけでなく、DACやアップコンバータも接続してある。元々の音質がよいのだが、それでも、かわいいスピーカーを目にしながら音を聴くと、ちょっと驚きのサウンドだった。
 中途半端なアメリカ製スピーカーの導入も考えているけれど、メーカー品がサブになるかも。なにしろ、スピーカーユニットの良さに加え、箱にも相当手がかかっているらしい。寒いタイガで育った木の合板なのだとか。スピーカーは、エンクロージャーの材質や作り方が大事ということがよくわかった。
 とりあえず、音の準備はほぼできあがりである。お世話になりました。

2011年9月17日(土)スーパーの駐車場にて
 友人と連れだって通夜へ。亡くなったのは同級生である。介護の必要なご両親を残して去っていった。本人とは、いつ会ったのが最後だったっけ、というくらい最近は会っていなかった。こんなことになるとは思っていなかったのである。朝のこない夜だったらしい。
 結婚したのは似たような時期。よくあることだが、それぞれの子どもふたりが同級生だった。子どもも偶然仲のよい友人になったりもし、ボクはお子さん達の方とよく会った。なにしろ、ひとりとは毎日のように会っていたことがあるし、もうひとりとは東京で会ったこともある。親より先に死ぬのはいけんなあとか、20代で喪主は早すぎるね等と、お経がはじまる前につまらない声かけしかできなかった。
 高校最後のクラスの仲間が、これでふたりいなくなった。

2011年9月16日(金)この道を通らなくても
 窓口で話が弾み、意外な展開になりそうな雰囲気だった。が、電話してもらってもご不在のため、じゃあまた今度、ということになった。
 そんな窓口からの帰り道のリバーサイド・ロードで、左側の路側帯に屋根のランプがクルクルまわっているセダンを発見。覆面レスラー。デストロイヤーかミル・マスカラスか。『スカイ・ハイ』が懐かしい。
 ドロップキックを決められているのは、白のワンボックスである。エスティマのように思えるが、ワンボックスはさっぱりわからない。というか、ランプが点いている高級そうなセダンだってよくわからない。色は、グレーだったかシルバーだったか。トヨタのマークが見えた。多分、王冠か。
 かつては、大概を見分けることのできた時期があった。それが、いつの間にか、さっぱり分からなくなった。若いころに関心があったものが、次々とリアルに感じられなくなってきている。歳を取るというのは、そういうことらしい。

2011年9月15日(木)証紙購う人の手に
 移転してからは初めての警察署エリアへひっそりと潜入。普通、めったに立ち寄るところでもないと思うのだが、どこからともなく、次々と訪問客がおありだ。繁盛している。結構この場所がお気に入りの方も多いらしい。
 竹箒を積んだ軽トラや、市内のカメラ屋さん。広島ナンバーの出版社の車に、県のパジェロミニ。サングラスをかけたミニのお嬢さんや、手に緑色の長い紙をお持ちのブロンド頭がロッド・スチュワートになっているおにいさん。領収書を折りたたむ人もいたり、収入証紙をお買い求めだったり。それぞれ、豊かな物語がおありのようだ。
 当方は、レンタル商品を貸してくださいというお願い。レンタル料は無料なのである。返却は10月17日までにとのこと。1カ月間も無料で貸してくださるのだった。ちょっと重たいブツだが、ありがたい。もちろん、南部式鉄瓶とかトカレフ板とか練りからし2個ふー、というようなブツではないんですけどね。

2011年9月14日(水)サイレンは通りを曲がり
 ご近所のおねえさま方にコーヒーやお茶やケーキをごちそうになった。代理で。週にいち度の、言わば会食日なのである。猛暑の夏も雪の冬も、同じ場所での開催だ。世話をされる方がいらっしゃればこそである。関係性の希薄な場所にお住まいのみなさんの貴重な仲間作り。年齢を聞かれ、昭和ふた桁ですよと答えたが、このボクがいちばん若いらしい。かわいがっていただいた。
 さて、ラッキョウを植えたのはいいが、当分雨が降りそうにない。水をたっぷり入れた如雨露を両手に持って、畑へ。歩く距離が長いと、結構腕が疲れる。しかも、水は1回では足りなかった。再びの水運び。
 そうこうしていると、救急車のサイレン音が近づいてきた。サイレンは、どうもわが家の前の通りに入ったようだ。急いで帰宅。空の如雨露2つと懐中電灯を持って。なにしろ、夜の9時を過ぎているのである。お隣からもお向かいからもみなさんが道路に出ていて、角のおうちは2階の窓から見下ろしていらっしゃる。救急車に運ばれたのは、ご近所のひとり暮らしのおばあさん。
 救急車のサイレンからもご近所のつながり加減がわかるのだった。

2011年9月13日(火)花にらを束ねて持てば
 畑の畝の周りに植えているニラの花が満開である。小さな白い花がたくさん咲いている。ひと茎に30の花が咲いていた。見ごろ。そんなニラの花見をした後、ラッキョウの植え付けをおこなった。
 大した量ではないが、それでもしゃがみっぱなしの作業は腰が痛む。何度か立ち上がる。腰を伸ばしたり空を見上げたりしつつの作業である。プロは大変なことだろう。農作物は、みなさんのそんなご苦労の成果なのだった。
 お隣の畑のおばさんは、日没ころには作業終了。おつかれさま。当方は遅い時間からの作業である。陽が沈んだくらいで作業を終えるわけにいかないのである。辺りがすっかり暗くなるまで作業を続けた。帰宅したら、7時を過ぎていた。
 そんなわけで、今日はご褒美にいただきもののビール。シメイ。ありがとうございました。

2011年9月12日(月)欠けてゆくばかりになりぬ
 プロはすでにラッキョウを植え付けられたことだろう。ど素人もそろそろ植え付けたいと思うのだが、乾燥した砂地に慈雨のくるのを待っているうちに、遅くなってしまった。明日は、予定している業務終了後にラッキョウを植え付けることにした。
 さて、そんな今日は満月である。明るくきれい。近所の街灯より明るいのではないかというまぶしさ。せっかくである。夜の10時が近かったけれど、庭木の水やりをした。
 隣接地に2軒ある独り暮らしのおうちはすでに真っ暗。もっと低い場所にあった満月をご覧になっておやすみになったのだろう。葉っぱにあたる水やりの音がうるさかいかも知れないと思ったけれど、同じくらいうるさかったのがスズムシの鳴き声。
 ちょっとくらいの音で眠れないようでは、この辺りでは暮らせないのである。

2011年9月11日(日)防潮堤につらなりし
 定員は2名。本当なんです。それなのに、乗車人数がオーバー。って、別に2人乗りの車の話ではないのだけれど。しかも、それほど乗り心地がよいとは思えないのに、みなさんやけにくつろいでいらっしゃる。本日の予定は大きく変更。まっ、業務は夜にやればいいしね。
 乗員となった人の中にはジャズがお好きだという方がいらっしゃった。100人に出会っても、ジャズの話題になることは滅多にないような気がするのだが、こんなレアなこともあるらしい。シャンソンもチャイコフスキーもお好きだとか。ついて行けない。ビル・エバンスさんのお話しだけに付き合わせてもらった。
 音楽はさておき、もっと苦みがあった方がよいのではとか、もっと小さくてもとか、貴重なご助言をたくさんいただいた。ありがとうございました。
 定員オーバーのおかげで盛り上がったのかも知れない。

2011年9月10日(土)退いてみればいいのに
 フウセンカズラの下の方についている実が薄い茶色になり始めた。袋のなかには、黒い小さな粒が3つ入っている。その黒の粒に白いハートの模様がついているのだった。
 そんなフウセンカズラは、蔓物なのに、枝がサクサクと上へ向かって伸びる。支柱の棒のエンドから、さらに40cmも真っ直ぐに上へ伸びていた。何の支えもないのに。すぐにしなだれかかるゴーヤーや朝顔とは随分違う。自立性が高いらしい。
 もちろん、自立するためには、途中までの支えは必要である。その支柱に沿って伸びているうちに、あとは自立というか、今まで伸びてきた勢いでいけるところまでいこうとしているように見える。茎もそこそこ固くて、芯もしっかりしているようだ。といって、放っておけばそのうち折れることだろう。
 支えはやっぱりあった方がいいのだと思うけれど。 

2011年9月9日(金)走りたる人はどこにも
 車を5分ほど走らせた交差点を、首から「要介護者」のように読める札をぶら下げて歩いている人がいる。周りにはたくさんの人が同行。なんやねん。いいのかそんな札をぶら下げたりして、等と思いつつ通過。
 目的地に到着した。しばらく車で待機。10時になるとサイレンが鳴った。庁舎の辺りは、いつもこの時間にサイレンが鳴るのか。それも二度・三度。
 その後、ぞろぞろと職員のみなさんが玄関界隈へお集まりだ。2階の屋根に出ている人も。道路をはさんだ庁舎からも集合である。70〜80名ほど。やっと気がついた。避難訓練だったらしい。それも、庁舎だけではなく街をあげての。窓口の方によると、震度5〜6程度の地震を想定しての防災訓練だとか。交差点にいた首から札をぶら下げていた人は、訓練における役回りがおありの方だったのだろう。
 行政が発行している冊子や新聞をよく読まれている方には、本日が訓練だというのは常識なのだろう。首から、「要情報支援者」という札をぶら下げた方がよさそうだ。。 

2011年9月8日(木)おたがいの落としどころを
 結構たくさんの人と会わせてもらった。どなたもスマートで、大人の対応をしてくださる。ついつい甘える。
 「いゃあ、ここも6割くらいは非正規なんですよねえ。しょっちゅうありますからねえ、いつでもどうぞ。でも、今のままでもいいんじゃないですか、無理をされなくても。まっ、ボチボチいきましょう。」というようなぶっちゃけ話までされて、オヤジの相手をしてくださるのだった。
 お立ち寄りいただく方も。
 なにか流しますかねえ。「ではブルースで。」ギターが趣味の方なのである。ブルースを聴きながら、「稲はほとんど倒れませんでしたよ。そろそろ稲刈りですわ。」とか、「月の光熱費を調べてみますね。」等と、楽しい時間を過ごさせてもらった。
 最後は、PP&Mをリクエストされる方が。めずらしい。ゴソゴソ探してCDが1枚だけ出てきた。ラジオで流れていたのだとか。紅茶をお飲みのようだ。マルコ・ポーロでどうでしょうか。
 という、久しぶりに忙しい充実のいち日を過ごさせてもらった。明日もいいことがありますように。 

2011年9月7日(水)裂果したひとつをつまむ
 プランターで栽培しているミニトマトが割れる。トマトは地中の水分が多すぎると割れるという話を聞いたことがあるが、ここのところの雨量のせいだろうか。プランターの底に水がたまっているのだろう。抜けるまでしばらく水やりをせずに放置しておくことにした。
 そんなトマトに比べ、当方は、割れるどころか干からびてきているような水気の少なさ。幅広いインプット作業を怠っているからであろう。インプットの少ないところからはアウトプットも生まれてこないのだった。
 そんなわけで、今日はさまざまなカルチャーに取り組んでみた。目からも舌からも聴覚からも。なんでもありのごった煮インプット作業である。
 最後は、映画鑑賞二本立て。そろそろ締め切り日である。いいのかそんなことをしていてと思いつつ、きっとなにかのアウトプットにつながると思い込むことにした。 

2011年9月6日(火)思いつくことのできない
 窓口へ出向き、新しい免許証を受領した。従来の免許証を2枚重ねたほどの厚みになっている。免許証に記載されなくなった本籍は、ICチップに登録されているのだそうな。暗証番号が2つ記載された用紙もいただく。ご丁寧にどうも。
 どこかのエージェントであれば、こんな数字2種類は即座に覚えるのだろうが、どちらも普段使わない数字にしていたらしい。プリントされている2つの暗証番号は、登録したことをすっかり忘れていた数字だった。たった2週間のことなのに。そういう業界にお伝えするパスワードを、キャッシュカードやヤフーのパスワードと同様にするのはちょっとイヤだったのである。
 暗証暗号が書かれた用紙は免許証とは別に保管するようにと書かれてある。残念ながらエージェントではない。この調子ではどこに保管したかすぐに忘れることだろう。どうせ保管するのであれば、免許証の裏にでも貼り付けておくのがいちばん確実そうだ。
 それにしても、感熱紙のようにも思える用紙だ。数年後に消えているということはないだろうか。念のために、数字をボールペンでなぞっておくのがよさそうである。 

2011年9月5日(月)鳴き声が途切れるころに
 スズムシがにぎやか。ここのところ、鳴いている数が一気に増えた。梅雨時のカエル以上の合唱である。って、羽音か。いずれにせよ、相当うるさい。ご近所迷惑ではないのか。
 念のために外に出てみる。わが家に限らず、どこの家からも鳴き声が聞こえてきた。よかった。カエルの鳴き声も、どの家からも聞こえてくれば、それほど疎まなくてもよかったのだろうか。そういう問題ではなく、元々の音質というかメロディというか鳴きのフレーズが、スズムシとカエルとでは違うのか。鳴くのは一緒なのに、気の毒なことである。
 ギターの作品は多いけれど、バリトン・サックスの作品は少ないようなものか。って、楽器が違うし。本当にバリトン・サックスのアルバムは少ないのか?探してみた。ジェリー・マリガンさんとハミエット・ブルーエットさんの2作品があった。同じ楽器なのに、なんだかスズムシとカエルのようでもある。
 まっ、そんなことはさておき、スズムシもカエルも別に人間を相手にしているわけではないわけで、近所の、趣味が同じグループの仲間に気に入ってもらえればよいだけの話なのだと思うけれど。 

2011年9月4日(日)とにかくも眠りたる夜に
 これからやって来るという風雨のさなかに出かけ、過ぎ去ったあとは家にこもっているという、摂理に反するような生活。とりあえず、今日は自宅で身を慎むことにした。
 部屋を片付けつつ、それぞれが、何かあった時はこの抽斗に貴重品が入っているからヨロシクねというような作業をしていたのだった。といっても、それほどの貴重品があるわけもなく、お互いが勝手に場所を言い合うだけで、相手の保管場所はうろ覚えである。
 そんな今日は、肩胛骨に意識を集中するようにして過ごした。肩胛骨を意識しながら、手を上に上げたり横に伸ばしたり後ろに伸ばしたり。そのせいか、立ち上がる際も、どこにつかまらなくても大丈夫。身体の筋がそれほど痛まない。姿勢が、普段よりよりちょっとだけ良いいち日だったようだ。

2011年9月3日(土)網戸のままで雨音を聴く
 ご心配の電話をいただく。こんな日でもあるから、どこにも出かけず静かに過ごそうと思っていたのである。が、今晩をいつも通り過ごすために必要なものが空っぽになっている。予備がないらしい。それ以外にも、今日あれば仕事が進むよねというモノ一品が欠品状態だった。仕方がない。買い物に出かけることにした。幸い、雨脚も風もまだそれほどでもない。
 一級河川に架かる橋の橋桁の近くまで土色の水が増えていた。中国山地側の降水量は多いのであろう。
 店舗に到着。いつも駐める辺りの駐車場はスカスカだったけれど、店内はそこそこの人出。屋根付き駐車場をご利用の方が多いようだ。ご家族連れのお知り合いともバッタリ。お元気そうですなあ。
 目的のモノだけを買えば良いのに、ついつい余計な買い物をする自制心のない男である。生きの良さそうなサンマがいた。そんなわけで、今晩はサンマの刺身を食べることになってしまったのだった、ありがたいことに。出かけたればこそ。
 そんな夜も更けて、さあこれから暴風域か。

2011年9月2日(金)ひとしきり風は吹きたり
 リアウィンドウが元通りになった。7万円弱。保険で対応してもらった。それはありがたいのだが、ディーラーの請求書にあるガラス清掃代としての6300円は保険が使えないのだとか。なんだかなあ。そんなことなら、ボクが掃除をしたのに。ディーラーよりも先に馴染みの工場や保険代理店に連絡した方がよいらしい。
 結局、いつもお世話になっているモータースの大将が交渉してくださったのか、ディーラーの無料サービスということになったようだ。ありがとうございました。
 そんな今日は調律もしてもらった。調律代は14000円ほど。ケチくさくも、1年半間隔くらいでいいんですけどねえと以前頼んだのだが、いつの間にかまた1年間隔になっていた。端から端まで2時間ほど。基本的に、いち日に3件程度しかできないお仕事らしい。
 モノを売った後にも、それぞれの業界でさまざまな仕掛けがあるのだった。

2011年9月1日(木)寝返りをすれば痛みし
 喉がなんだか調子が悪い。部屋の塵芥が多いのかも知れない。そんなわけで、年末でもないのに部屋の大掃除を続けている。
 いつもの部屋を移動し、ここのところ就寝は畳の部屋。マットレスが薄い。薄い布団で寝てきたせいか、喉に加えて、こんどは身体の節々が痛む。横になると右胸あたりがつらいのだった。結構、デリケートな身体だということがわかった。
 喉の痛みに加え、胸のあたりの筋肉痛という二重苦。
 そんな夕方から学習会。修飾より、大事な情報をどう発信するか。そう見えるなどといった丁寧さは時になくてもよい等と。勉強になりました。最後は、なんだか気を遣っていただいていた時間だったような気がするけれど。

2011年8月31日(水)たい焼きを尻尾から食む
 タイ焼きにはまっているというお嬢さん達と楽しい時間を過ごさせてもらった。とりあえず、中国地方のタイ焼きのマップでもつくろうかというご計画である。タイ焼きオタク。あちこちに生息していらっしゃる種なのか。
 東京を歩けば割合簡単に見つかるけれど、地方はタイ焼き屋さんの数が少ないらしい。
 家族が多い時にはおみやげにタイ焼きを買って帰るということもあったけれど、現在のわが家ではタイ焼きを買うという状況があまりない。いつ食べたのが最後のタイ焼きだったっけ。
 粒あん、こしあん、カスタード等。皮も白いのがあったり、モチモチ、パリパリもあったりで、なかなかバリエーションが豊かなのだとか。
 絵を描くのが上手なお嬢さんである。1時間かけて描いたというタイ焼きをスマホ格納の画像で確認。うまいねえ。ちょっとだけ、食べてみたくなった。
 ダーリンはタイ焼きくんという4コマにしてはどうかとか、タイ焼きキャラクターグッズをつくろうか等と話題は広がる。タイ焼きブームがきますように。

2011年8月30日(火)電話では通じぬ音を
 スズムシ(だと思い込んでいる)の鳴き声が聞こえてくる。1か所からだけ。まだパートナーはできていないのだろうか。寒くなれば生きられない。2か月ほどの命。命短し恋せよスズムシ。周波数の関係で、電話では鳴き声を送ることができないのだとか。実験してみたいが、送ってほしいという相手がいないのが残念である。
 そんな秋の入り口に、久しぶりのメールをくださる方があった。漏れ聞かれたボクの生活をうらやましがられ、同じような道を辿りたいものだとか。
 誤解をしていらっしゃるらしい。いやもう大変なんです。思い通りにいかないことばかりで。というか、人のためより自分や所属集団優先というのは、そこここに散見されることである。例外をつくりたくないというのも、あちこちの業界の業務の基本だったりするのであろう。そんなみなさんを相手にするために、本日も、遅くまで対策会議におつきあいいただいたりしているのである。いちからやり直しかも。
 まっ、そんな苦労話をやがて楽しく語る日がくることを期待しているのだ。などと言いつつ、自慢するほど節操があるわけではないけれど、目的のために手段を選ばないというのもなんだかイヤ。政治的チカラのある人にすり寄ったんだよね、でもダメだったんだけどね、というような物語はあまり残したくないのである、ボクの場合は。

2011年8月29日(月)法師ゼミ近くにおりし
 畑に駐めていた車の景色がなんだかいつもと違う。1週間置きっぱなしだったから、蜘蛛が巣でも張ったのか。近づいてビックリ。リアウィンドウというか、バックドアの硝子全面に罅が入っている。ひょえーである。この物いりの時期に。
 よく見ると、ウィンドウ右隅に固形物が当たったような形跡がある。触れば、粉々に崩れ落ちそうだ。だれかがスーパーボールでもぶつけたのか。恨まれているのかも知れない。
 後ろは見えないし、走るとガラスを道路にまき散らしそうだ。このまま自力でサービス工場へ行く自信がない。サービス工場へ連絡した。早速に来てくださり、検分開始。固形物が当たっている場所が、ウィンドウ中央部ではなくボディとの境目のようなところなので、道路をはさんだ砂利敷きの駐車場から石が飛んで来たのではないかという見立てである。恨まれてのことではないらしい。知らんけど。中央を狙ったけれど暴投だったという可能性はないのだろうか。
 「7万円くらいかかりそうですねえ。保険には?」
 えっ、保険。そうか保険が使えるのか。契約書をチェック。車両保険に加入していた。衝突と盗難と火災・台風の欄に○印がある。単独事故とあて逃げには×印だ。石が飛んで来た場合はどうなのか。単独事故か、当て逃げか。エーン、お金が出ない。台風の扱いにしてもらえないだろうか。いつもお世話になっている整備工場に問い合わせをしてみた。
 「他の自動車との衝突扱いになると思いますよ。」
 よかった。そうだよなあ、衝突だよ衝突。
 サービス工場のお二人は、ガムテープをリアウィンドウ全面に張ってお帰りになった。ドアを1枚開けた状態で張るのが作法らしい。勉強になった。危機管理能力がちょっとだけ上がったような気がした。
 それにしても、石が当たったのが車でよかった。人に当たっていたら、知らん顔ではすみませんぜ。

2011年8月28日(日)ポリ容器両手に持ちて
 おじいさんは山へ水くみに。おばあさんも山へ水くみに。って、だれがおじいさんとおばあさんやねん。それはともかく、10リットルの水が1週間でなくなる。もっぱら食後のお茶用の水。
 自宅の蛇口から出てくる水を使うより、少しまろやかになるような気がするのである。道路脇にあるいなばの銘水。たぶん。
 常時、蛇口から水が出しっぱなしになっているところがありがたい。と思ったが、垂れ流しの水である。ありがたみが薄れているような気がしないでもない。じゃあ募金箱にお金を入れたらどうかねと言われると、燃費の悪い車での水くみゆえ、ちょっとそこまではね。いちおう、蛇口を閉めてみたんです。閉めても水は止まらないんです。
 さて、問題は水質である。そのうち簡単な検査をしてみたい。とりあえず、今のところおじいさんとおばあさんは無事である。って、だれがおじいさんとおばあさんやねん。

2011年8月27日(土)カタバミはいよいよ繁り
 ここのところ買い物に行っていない。まっ、ミョウガやゴーヤー、さらにゴーヤーの葉っぱでもテンプラにすればよい。豊富にあるカタバミの葉はちょっと怖くて食べる気はしないけれど。とりあえず、買い物をしなくても今晩の飢えはしのげそうである。が、冷凍庫にカリカリ君がない。ギリギリ君だったっけ?まっ、どちらでもよいが、カリカリ君のない夏の週末はちょっとだけ寂しい。
 土曜日に冷凍食品やアイスの安いのは確かあそこのスーパーだったよね。念のために広告をチェック。おっとっと、その店は火曜日が安売り日になっていた。さらに広告を点検。
 アイスを半額にしてくれるのは、市内方面の橋の向こう側のお店だった。では、いざ。と思ったら、他の商品を1000円以上お買い上げの方に限り、しかもアイスは5個までが半額なのだとか。なかなかせこい。って、せこいのはこっちか?
 結局、なくても困らないようなものを1000円以上買って、ちょっとだけ寂しいだけで、なくても特に困ることはないカリカリ君を半額にしてもらった。得をしたのだろうか。

2011年8月26日(金)不器用なスリーコードを
 ここのところ、毎日ブルースを聴いている。アフリカン系もホワイト系も。とはいえ、わが家のブルースのアルバムはジャズとロックの間に埋没していて、すぐに探せないアルバムも何枚かある。今日は、どうしても聴きたい一枚のために、床に積み上げているCDの中から捜索活動を行った。いい汗をかいた。発見されたのは、マイク・ブルームフィールドさんの1969年のライブアルバムである。ブルージー。タメと、間の絶妙さが気持ちよい。
 どうしてこんなにブルースは気持ちがよいのだろうと思うのだが、自由奔放のロックと違い、フォーマットの決まっているところが心地良さの原因かもと思ったりした。
 定型。3行詩。韻踏み。多くは12小節。
 「昨日はバッドデイ、今日もバッデェイ、明日はきっとエブリデイ。」という感じだ。
 定型を持たず、はみだそうとする散文のロックをしんどく感じることもあるらしい、わが身体は。というか、精神状態か。結構いい精神状態になってきているのかも知れない。

2011年8月25日(木)ボン・ジョビの音にまじりて
 終わったら雨が降っていた。傘を持って来ていなかった。雨に打たれながら歩いて帰った。とぼとぼ。
 本当にわかりが悪いのか、わかろうがわかるまいがどうでもいいから、面倒はご免だぜということなのか。なかなか頑固。オレの時に面倒なものをもってくるなよ。ぶいぶい。
 令はすべてカバーできるわけではない。内閣で決めた令でカバーできていない部分は国会の決めた法にしたがって特定行政庁が判断するようにねという決まりだと思うのだが、それはなかなか事務的にも作成書類も面倒なことである。そうなる前に令でつぶしておくのが楽。まっ、そんなところなのだろう。すいすい。
 参りましたお代官様。そんな仕事のやり方があることがよくわかりました。すーだらすーだら。

2011年8月24日(水)みじかい夏の夜に脱ぐ
 久しぶりの夏である。気持ちがよい。ここのところ涼しすぎた。汗を流すためにはたっぷりと身体を動かさなくてはいけなかったのである。それが、今日は簡単に汗ばむことができた。20分動けば充分。
 たくさん汗を流したおかげで、いつもより身体のキレの良いいち日だった。問題は、汗で背中に張り付いたポロシャツを脱ぐのが大変だということだ。脱ぎ方が一瞬わからなくなるのである。首元を引っ張り上げても脱げない。あれ、どうやって脱ぐんだっけ?
 とりあえず、つれがいるとよいこともあると思うことのひとつである。もちろん、他者に依存したくないという人は、たかがポロシャツいち枚でここまで楽しめるのかという、苦闘体験を味わうことができる。
 そんなわけで、肩以外はいい仕事ができる状態だったと思うのだが、今日は大した業務がなかった。身と心を使うのは明日のようである。さて、明日もいい汗をかけるだろうか。冷房の効いた部屋で冷や汗ばかりかいているかも知れない。

2011年8月23日(火)許されて道をはしれば
 ところで、新しい運転免許証は現在手元にない。穴が2つあけられた古い免許証をまだ使っている。有効期間はあと3週間。案内のハガキに、写真は自分で準備したものでも可とあったから、持参してみたのだった。
 写真持参でOKといいながら、係の人は休憩時間に全員が撮影するというのが前提のような対応だった。写真を持ってきているんですと係の人に話すと少し驚かれ、ボクだけが撮影室ではなく窓口へ行くことになった。他の16人は、どなたも写真は持参されなかったらしい。
 ボクが持って行ったのはやや難のある写真。何か言われるかも知れないと思っていたのだが、想定通りちょっとしたクレーム。とはいえ、どこからみても本人である。ホクロの位置もあっていますねえ等とおっしゃりながら、結局受理してもらった。
 完成後に送付してもらうと800円かかるとか。そりゃあ高い。結局、また受け取りに行かなくてはいけないのだった。みなさん賢い。

2011年8月22日(月)かろうじてたもっておりぬ
 運転免許の更新へ。1番窓口でハガキと免許証を提出。2番窓口で手数料の支払いである。3600円。担当者は3人。運の悪いことに、美しいお嬢さんである。オジさんだったらよかったのだが。
 手数料を受け取るだけでは足りないようで、交通安全協会への入会をおすすめくださる。男はだまって、である。胸の前で合掌。勘弁してくださいのポーズ。勇気がいるぜ。それでも、熱心にお金の使い道等を説明される。ああそうですかで終わらず、協会の存在意義を個々に伝えるようにというようなマニュアルがあるのだろう。ごくろうさま。
 なによ、打率の高い私を断るなんていい度胸してるじゃないのこのケチオヤジと心のなかで思っているだろう、というのは、僻みやすいオヤジの発想で、お嬢さんはつゆもそのような下品なことはお考えではなく業務に忠実なのであろう。たぶん。
 講習の開始は受付終了の20分後。視力検査までの所要時間は10分ほどである。そう急いでいかなくてもよかった。何も用意していないと、携帯を見るか、家族が不幸になるビデオを見ているしかない。この次は文庫本でももって行こうと思ったのだった。5年後である。さて、次回はあるのか。

2011年8月21日(日)刈り込みのハサミは錆びて
 予定通り草木のお相手。まず草刈り。その後は、切れ味の悪い刈り込みばさみが相棒のにわか床屋。自分の髪を自分で切ってきたことを思えば、おそれることはないのである。庭木にはお気の毒さま。
 とはいえ、良く切れないハサミゆえ余計なチカラを使ってしまい、肩の痛みがぶり返してきたようだ。五十肩はまだ完治していないのである。よい仕事はよい道具から。安物でなく、もう少し良く切れる道具を用意した方がよさそうである。
 路地からの目隠し用カイヅカイブキが、道路側にも空側にもボリュームたっぷりに伸びている。ご近所のおばさんに、冷やかされたり励まされたり見守られたりしながらの散髪作業。照れるぜ。
 作業を終えてよく見ると、道路側は凹凸がある。空側はもっとでこぼこ。ウェーブがかかっているわね、というやさしいお言葉があった。『シザーハンズ』のエドワードくんならもっとよい仕事をしてくれることだろう。
 ストレートのカットには向いていないようだが、パーマやウェーブをかける業務には向いているような気がした。

2011年8月20日(土)ピンポイントで忘れたき
 手間がかからないので放っておけば育つ。けれど、どちらかというと湿地系好みである。砂地の多いこの辺りではあまりないと思われるミョウガに、花がついて子が出来ている。植えた時の3本ほどの株が地下茎で広がり、ちょっとした茗荷谷だ。というか茗荷林。いや、アリさんが立ち止まって上を向けばそう見えるだろうというたとえである。庭の水道の周りは、芹と三つ葉とミントとこのミョウガの勢力争いなのだった。もちろん、ドクダミやカタバミも参戦中。つまり、雑草だらけ。明日は草刈り日にします。
 ミョウガを食べ過ぎると物忘れがひどくなると言われた。そんなことを言われなくても、子どものころにおいしいと思ったことのない食材である。それが、いつのころからか、シャキシャキとした食感と腰の抜けそうな香りを楽しめるようになってしまっていた。ここのところ食べ過ぎたせいか、夕方買って帰った土の袋をどこに置いたのか忘れるしまつ。自分で置いたのを忘れ、置き場所を人に聞いているのである。あぶないあぶない。
 いただき物の話が多くて恐縮だが、備忘のためでもある。本日もたくさん野菜をもらった。ツルムラサキは1枚でわが家の4枚分はあろうかという巨大さ。土が肥えているらしい。カボチャはきんぴらカボチャでいただいた。ありがとうございました。よかった、もらったことは忘れずに覚えていた。

2011年8月19日(金)三ケタの数字の語尾が
 お役所めぐり。玄関は三か所、窓口は4つ。夏季休暇でお会いできなかった方もいらっしゃった。残念。お話しした方は、どなたも気持ちよく対応してくださる。あたりまえだが、お役所にも柔らかい人はいらっしゃるのだった。
 待っている間に、「親身になって考えてくれらぁせんっちゃ、わしらみたいな年寄りには。」とこぼしていらっしゃるサンダル履きのじっちゃんもいらっしゃった。まっ、とりあえず行政には高い親身を期待しないで行けば、ちょっとした優しさでもうれしくなるもんですって、等と余裕のオヤジ。親身どころか戦っている相手なんですぜ、旦那。というようなことは言わずにおいた。大人に成長したものである。
 フットワークの軽い方は、今朝も早くから電話をくださる。お忙しい身だと思うのだが、望外の動きがあると、オヤジは単純に喜んでしまうのだった。ありがとうございました。

2011年8月18日(木)逆接の接続詞しか
 厚塗りである。メイキングというわけではなく、油絵のことでもなく。悲しみの壁。『ショーシャンクの空に』の主人公はよくあんな小さなノミでがんばられましたなあと思いながら、雨のなかを歩いていたのだった。
 ワープロ書きの回答書を見ると、中身もよく分からないのだが、50m2等という表示もあって驚く。専門分野なのに「u」を使われていないのか。あるいは、このような回答書を書くことさえレアケースなのかも知れない。
 いつものように最初はダメ出し。他地域のケースを紹介すると、帰ってお調べになるということになった。結局、いつものように最終判断を提示することができない。あちらの腹筋は鍛えてあるけれど、パンチがこちらまで届かないのである。あるいはクリンチばかりとか。いい試合をしようぜ。頼む。といいつつ、そろそろ終盤。TKO負けもあるかも。
 立会人も「壁は厚いねえ。」とポツリ。
 希望を持っていればなんとかなるんでしょうかねえ、ティム・ロビンスさん。いや、モーガン・フリーマンさんか。

2011年8月17日(水)触れるまで巻きひげ伸ばす
 朝顔、ゴーヤー、フウセンカズラ。わが家の夏の蔓モノ三種である。それぞれやや遅くタネを蒔いたり苗を植え付けた分がただいま盛り。やっと最初のつぼみをつけはじめた朝顔一鉢は、七月に咲いていたブルーを見てきれいとおっしゃられたおうちに、先日鉢ごとお届けした。無理矢理の押しつけ。迷惑な話である。が、たぶんそんな無理無体も許容できるキャパの広い方なのだと思い込んでの振る舞い,乱暴狼藉。アメリカ文化はこうやって日本に浸透していったのかも知れないと思わせるようなアメリカン朝顔の広がりである。日本人の受容力は大きかったのだろうか。
 ゴーヤーは、小さめの1本を摘んでみた。ラムのようなものだ。大きいのは簡単に入手できる。自家栽培は小さなものも収穫できるのがよいところでもある。ちょっとぜいたくな生食。ラムかと思ったが、栴檀のようだ。ゴーヤーは親指のころより苦し。
 さて、地味なのがフウセンカズラ。花は注意しなければ目にとまらないような小ささ。オオイヌノフグリの方が大きい花びらである。おまけにみどりの中の小さな白は目立たない。そんな花なのに、風船はいつのまにか大きくなっている。成長が早いようだ。そんなフウセンカズラは、タネの模様がおもしろい。タネにハートが浮かぶのである。ハートシード等とも言うらしい。学名はカルディオスペルマム。スペルマとつけるほどタネにインパクトがあるということなのだろう。
 なにはともあれ、三種とも周りに気を遣うことなく蔓を伸ばしていく。蔓モノは強い。

2011年8月16日(火)ひぐらしの音の届かぬ
 朝方、蝉の鳴き声が聞こえてきた。ジージーでも、ミーンミンでも、カナカナでもなく、しわしわしわしわしわしわ。徐々に語尾が上がってくる。えっ、クマゼミの鳴き声。
 ボクが幼少期のいなば界隈では生息していない蝉で、図鑑のなかでしか知らなかった憧れの蝉である。
 やがて成長し、夏の熊本や宮崎へ行くことがあった。市街地の木の中で、しわしわしわだかわしわしわしだか、やかましいほど聴かせてもらったのがクマゼミである。こんなに風情なくうるさい蝉だったのかとちょっと驚いたのだった。
 蝉の生息分布図が変わっているという話を聞いたことがあった。2011年の夏、砂丘界隈にクマゼミは確かに生息していたことを記録しておくことにする。憧れのままでよかったような気もするけれど。
 それにしてもうるさい。子どものころは、その鳴き声を知らず、大きさと近くにいないというレア感で憧れていたのだと思うが、かえってミンミンゼミの鳴き声が聞こえない方を寂しく感じるようになったのだった。幼少期の蝉の王者はミンミンゼミだったのである。今年は未だミンミンゼミの鳴き声を聞いていない。暑さが厳しいせいだろうか。うるさいクマゼミが静かになるのを待っているのかも知れない。

2011年8月15日(月)土砂降りに音だけを聴く
 ドアーズを見ていたせいで、黙祷は12時30分になってしまいました。すいません。
 夕方お訪ねした近所のお嬢さんが浴衣姿だった。花火大会にふたりで出かけるのだとか。
 わが家でも、食後に久しぶりの花火鑑賞をすることになった。みなさんは、近所の標高24mの公園にいらっしゃったが、川沿いの土手まで近づくことにした。自転車道では、自分たちで買ってきた花火を楽しんでいるご家族も。遠くの大輪より、近くの火花らしい。
 16番目の月は雲から出たり隠れたり。川からは魚のはねる音が聞こえる。夜風も気持ちよい。花火は少しでも近くで見るに限るな。来年は、ビールとコンロを持参してもいいねえ等と、上を見上げて楽しんでいたのである。
 終了15分前。さあ、そろそろ最後の見せ場だ。と思っていたら、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。えっ、これはあやしい降り方。急いで土手を降り帰宅態勢をとった。葡萄畑の横を歩くころには土砂降りである。とりあえずバス停までたどり着き、雨宿り。一向にやみそうにない。公園のみなさんは大正解である。バス停は床下浸水になった。足元もよく見るようにということらしい。
 土砂降りのなか、花火の音は21時を過ぎても聞こえていたのだった。ごくろうさま。われわれよりもっと花火の近くにいたみなさんはどうされたのだろう。浴衣のお嬢さんは無事だったのだろうか。
 ビールとコンロの他に傘も必要らしい。来年のための備忘である。

2011年8月14日(日)宗門を改めるため
 11時11分から棚経の開始。往生安楽国までは110秒。南無阿弥陀仏唱和で130秒棚経終了。その後、ご自身が経験された介護や延命治療回避について、自然がいちばんいいですでというありがたいお話しだった。かつては宗門検察も兼ねていたのだろう、棚経は。こんなご時世なのだから、領収書を発行していただけるともっとありがたく感じると思うな。
 結構な数のお経に付き合ってきたことや、ジャズやロックのライブのおかげで培われたこともあってか、お経をあげる方の声の良さだけでなく、フレージングや抑揚だとか息継ぎのうまさ加減、あるいは深みや厚さも感じ取ることができるようになった気がする。お経はライブである。
 ただし、わが家の棚経の場合は、本業ではない一族の方のアルバイトということもあって、パフォーマンス的には大きな期待はできない。なにしろ、テンポは16ビート。ロケンロールお坊ちゃま。いわんや説教をや。人のふり見て、他山の岩石落とし。
 それにしても、ジャズやロックの場合は、録音されたものを繰り返し何度も聴こうという気になるけれど、お経はそんな気が起こらない。今のところ、ライブだけで満腹茶釜である。
 けれど、やがて部屋の中や車の中でもCDのお経を聴くのが好きになる日がくるのだろうか。ありがたがりつつ。JBLのスピーカーからお経のCDが流れるというのは、ボクの場合は、身も心も相当現世に失望している時のような気がするのだった。

2011年8月13日(土)近くまで来ているらしい
 目的地には、はじまりの10分前くらいには着くだろうと思ったのである。余裕を持って出発したつもりだった。が、レーンの絞られる辺りで微妙な渋滞。山道を行くか海沿いを行くか、悩ましい。
 いつもより少ない渋滞のような気がして、海沿いを選んだ。けれど、合流後の進み方が異常に遅い。この先の海水浴場に、まだお客さんはいらっしゃるらしい。このまま海沿いを行けば大きく遅刻することになりそうだ。結局、合流して途中まで進んだのち、引き返すかたちで山道経由にした。初期対応の選択ミスである。失敗を消すのは難しそう。15分くらいの遅れを覚悟したが、山道は大きな渋滞もなく5分遅れで到着することができた。いゃあ遅くなりましたすみませんと謝ったら、主役級の方も遅れていて、会を始めることができないのだとか。
 おかげでミスが消え、どなたにも迷惑をかけずに済んだ。ラッキーマン。
 そういえば、一昨日に発送したと連絡のあった商品が珍しく到着していない。配送状況を確認すると、「お近くの配達店まで輸送中です。」と表示される。帰省ラッシュで遅れているのだろう。渋滞のおかげで助かったりもしたので、少しくらいの遅配には本日は寛容なのだった。

2011年8月12日(金)夏に若さの失せてゆく
 15日が経過。そろそろお返事をいただいてもよいころである。進捗状況を聴かせてもらった。
 「あれ、連絡がいってなかったですか、盆明けの予定にしているんですけどね。」とのこと。
 こちらから問い合わせないと、ご自分の方から進んでは連絡をされない習慣がおつきのようである。大雑把に分類すれば、サービスの分配が業務の中心だと思うのだが、サービスは小出しに、受けたければ自分から取りに来ないとダメだよという窓口らしい。いい仕事をされていますなあ。というか羨ましい職場である。
 採用試験の面接では、たとえば黒澤さんの『生きる』を見たことがありますかとか、『ゴンドラの唄』を歌ってみてくださいというような質問をしてもらえないだろうか。まっ、公正な採用選考に反します、等と言われるんだろうな。

2011年8月11日(木)見えているのは小さな花で
 午後4時の万歩計の数字が250歩ほどである。驚異的に異常な数字だ。調子が悪くて伏せっていたわけではないのである。もちろん、なにも生産的仕事をしていなかったわけでもない。ほとんど一か所にいて、仕事に取り組んでいたのである。何とか、予定の時間に終了し、夜のお楽しみに出かけたい。とりあえず、シャドウ・ランニングで5000歩まで近づけた。よくがんばったのである。
 そんな苦労のおかげで、本日もおいしいビールをいただくことができたのだった。
 勉強会では、おっきい歌を選ぶ方もいらっしゃるし、違和感とか受容とか諦観にシンパシーを感じるケースもあって、「譲れないもの」を語り合う関係は大事にしたいと思ったのだった。
 閑話休題、ロンドン行きは諦めていないらしい。諦めないことは時に大切である。まだまだボクも諦めない。
 おみやげもありがとうございました、とこっそり。

2011年8月10日(水)パンクバンドの演奏を
 お盆休みにロンドンでミュージカル等を見てくる予定という人がいらっしゃった。『ボーン・アルティメイタム』とか『レット・イット・ビー』のDVDをお渡ししてみたが、ロンドン北部で起こった暴動もあり、中止を検討中かも知れない。
 アビーロードで写真を撮ってくるとか、コールドプレイがライブをやっていたBBCにもぜひ、等という会話をしていたばかりだったのである。
 『レット・イット・ビー』の終盤に、ビートルズがアップル社の屋上で予告なしの演奏をするシーンが収められている。1969年、ビートルズ最後のライブである。真冬の舗道には、屋上を見上げる人たちがたくさん。近くのビルの屋上でもライブ鑑賞だ。ちょっとした混乱というかお祭り騒ぎのようなものか。もちろん、帽子をかぶったお巡りさんの登場である。それでも、すぐに制止するような映像には見えなかった。警察が止めに入れば暴動でも起こりそうな雰囲気もあったらしい。
 結局、屋上まで上がってきた警察官によって演奏は47分で終了した。すでにご高齢になられていると思われる映画に記録されたライブ目撃者のみなさんは、今のロンドンをどう思っていらっしゃるのだろう。あの日のライブの騒ぎを思い出すこともあるだろうか。
 『ボーン・アルティメイタム』で描かれていた監視カメラ社会がどう対応するのかを見守っている。

2011年8月9日(火)ひさびさに会いたる人は
 滅多にないことだが、今日は午前中からいただきものが続いた。海外のおみやげや東北のおみやげを持ってきてくださるかと思えば、丸ごとスイカ、丸ごとハマチ、丸ごと桃である。なにがしかのチカラをお持ちだったりする方には珍しくもないことだろうが、いち日にこんなに続くのはわが家ではレアなことなのである。
 なにしろ、わが家に何かをお持ちくださっても、何も見返りは期待できないし、良いこともないはずなのだ。何のチカラもないのである。こちらが、みなさんのおチカラをお借りしたいくらい。もちろん、そんなことはみなさんはよくわかっていらっしゃるはずだ。あるいは、そんな身過ぎ世過ぎをしているから、様子を見に行ってやろうかという際の、手みやげに困られたあげくのことなのだろうか。申し訳なくもありがたいことである。見捨てないでこれからも付き合ってやっていただきたい。
 そんなみなさんのおかげで、本日の食事はことのほか豊かな夕餉。ついつい気分が大きくなってしまい、お裾分けもした。ヤブ蚊にである。みなさんのご厚意は他の生きものの命につながっているのだった。ただし、逃げ足の早い一部の蚊にしか分けてやれなかったのが残念。逃げ足も大事な世界がある。

2011年8月8日(月)生きるとは吸い取りしこと
 日照り続きだ。当地の過去の天気をみると、この1か月間はくもりか晴れである。雨なんか降らない方がよいという方もいらっしゃるだろうが、とりあえずわが家には、適度な水分を必要としている野菜や樹木がある。旧年の日照りで枯れた百日紅の近くに新たな枝が花をつけている。とりわけこの枝は枯らすわけにいかないのである。夕方になると水を撒くのが毎日の仕事のひとつなのだ。
 さて、そんな庭の木々がひと息ついているころ、夕食時間のはじまる集団がある。ヤブ蚊だ。モスキート・ガーデン。住居費を取ることもなくタダで棲まわせてやっているというのに、家主を食材にする、鶴の恩返しも亀の恩返しも知らない厚かましい連中なのである。水やりはヤブ蚊とのバトルロワイヤル。
 学習のないことに、ついつい部屋にいる姿で水撒きに出てしまう。短パンにTシャツ。顔や首周り、ふくらはぎや足の甲、ホースを持つ手や二の腕等が食べ放題のバイキングになるのである。鮮度抜群、だと思う。
 どの部位がいちばんおいしいのだろう。個人的には、二の腕の内側辺りが柔らかくておいしそうだと思うのだが、連中は、皮っぽいところにも林のようなすね毛のあるところにももぐりこんでくる。しかも、命がけで。もっと安全な食材を選んではどうか。あるいは、時々は食事を抜く日があってもよいのではないか。ダイエットはしなくてもよいのか。毎日同じ食生活では、生活習慣病になるぞ。
 彼らの生活習慣病を予防するには、雨が降ってくれるのがいちばんである。聞けば、傘踊りの祭もはじまっているのだとか。ボクが血まみれになる前に早く雨を降らせてくれ。たのむ。

2011年8月7日(日)タンデムシートでしがみつき
 暑い。それでも、ご近所の若者が午前中から庭木の手入れをしていらっしゃる。隣でも斜め前のおうちでも。みなさん働き者である。ボクにはそんな若さはない。残念。とりあえず、車のクーラーで涼むことにした。お祭り会場や古本屋さんやスープの溢れそうなラーメンの出てくるお店等へ寄ってみたのだった。
 お祭り会場に行った時間には、ハヤブサは350台ほど集まっていらっしゃったようだ。鹿児島ナンバーも。とはいえ、もう少しイベントの中身をヴァージョンアップしないと、一部の人たちの局地的な集まりになってしまうような気もしたのだった。
 そんな今日は、野菜をたくさんいただいた。ナスとトウガラシの辛味噌炒めとか、ペンタゴンの角度と同じように食感が柔らかい品種の茹でたオクラとか。ミルクたっぷりの1個100円の岩牡蠣と一緒に、お金のかからないおいしい夕餉だった。ありがとうございました。
 唯一いまひとつだったのが、本日の食事の中でいちばん高価格のスペイン産ワイン。198円。さすがである。

2011年8月6日(土)ブルースを聴きたるのちに
 今年は、ブルーベリー4本のうち3本が豊作である。今日はまとめて収穫することにした。ぷちぷちぷっちんと摘んでいたら、右人差し指第一関節にチクリと痛みが。えーっ、もしやイラガの幼虫?こっちの木にもいたのかよ。
 刺されてから枝をよく見れば、虫に食べられている葉っぱがいくつか。いるいる。イラガの幼虫3匹を発見した。簡素に黙祷をしたあとだというのにもうしわけないことであるが、土にかえってもらった。すまぬ。自分のことが優先なのである。
 子どものころにさんざん刺されて免疫ができているのか、数日前の被害者に比べ、痛みは長引かなかった。あるいは、普段の行いがよいからかも知れない。それにしても、イラガの道が広がっているのはボクもであるということがよくわかったのだった。

2011年8月5日(金)優先順位を三つまで
 今日は、朝から若い女性のありがたい講義を聴かせていただく日である。そういう時間を過ごせばポイントがかせげるらしい。休憩をはさんで2時間ほど。大変有意義に過ごさせてもらった。有意義の中身をあまり公開できないのが残念である。スタンプを押してもらい、今月分のノルマはこれで無事達成である。そのあともあれこれグッジョブ、と本人だけは思っている。
 さて、ひょんなことからお世話をしてみようかという方がおありだった。奇特な方がいらっしゃるものである。それでも、そのうちの話かと思っていた。ところが、速攻だった。ちょっとびっくり。普段から行動力のある方なのか、それともボクのために特別な対応をしてくださったのか。
 フットワークが軽い人は格好いいな。いつも締め切りが近づいてから取り組むことの多い我が身を反省したのだった。仕事は後回しにせず早く着手するようにしようと思った。
 思ってばかりいないでやれよ。

2011年8月4日(木)へたくそな社交辞令を
 個室の部屋に入った。「こんにちは。」
 「やせたんじゃないの。ちょっと締まった感じ。」
 「いゃあ、トレーニングしてますからねえ。」
 とは言ってみたが、いつと比べてやせたと言っていらっしゃるのだろう。この前お会いしたのはいつだったっけと思い出してみる。頼み事があったから、1年前のこの頃にお会いしたのは確実である。その後、寒い時期にもお会いしたことがあったような気がする。7か月ぶりくらいか。
 その頃からのデータは記録してある。チェックしてみた。減っていた。約1kg。
 しかし、これはやせたようにみえる重さなのか。社交辞令?やせたと言われると人は喜ぶと思っていらっしゃるのか。そんなことを言われるのはイヤな人もいると思うけれど、ご当人はなかなか恰幅のよい方なのである。
 やせられましたねえと、ボクが先に言えばよかったのかも知れない。

2011年8月3日(水)木造の無人駅舎は
 バイクである。ボディに書かれている文字は,「隼」だ。駐車の場所はもちろん「隼」駅である。大阪からやって来た20名ほどのみなさんがひと所に集まっていらっしゃる。1台にトラブルが発生し,なかなかお帰りになれないらしい。
 地元の方は,「なんにもないところだのに,よーけきんさるだがあ。」とおっしゃる。ブルー・トレインや数多の風鈴や等身大人形が置かれている以外は本当に何もない。自販機と自然。無人駅の売店にはグッズも置かれているのに,平日はクローズドのようだ。商売っ気のないことよのお,因幡屋。
 この時期,平日でもそこそこの訪問客がおありなのだった。さらに,7日はお祭りが開催され,もっと大変なことになると地元の方は微苦笑。今年で3回めだとか。バイクが5〜600台お集まりになるらしい。本当はハヤブサの日がよいのだろうけれど。8月8日。
 ハヤブサのエンジンは1340cc,水冷4ストロークDOHC直列4気筒である。最高速度は300km/hだとか。念のため。

2011年8月2日(火)腕細き人の書きたる
 今日は元々業務が立て込んでいる日だった。午前中に立ち寄った場所だけで7か所。何時になるのかわからないが,午後は客人を待たなくてはいけない。午後の業務もすべて午前中に詰め込んだのだった。すでに,万歩計は一日の予定量の手前の数字である。おかげでぐったり。おまけに,盛大なランチだったせいか,身体のきれが悪い。午後も飛び込みの業務が入ってくるし。
 そんな一日だったが,とりあえず奈良漬け等をいただきつつ,ビールだけはおいしい夕食だった。
 さて,近年,お届け物をお店で頼む場合,PCのタッチパネルを見ながらそれぞれの住所や氏名を入力するシステムに遭遇する。今回はお嬢さんが担当である。ボクの苗字を言ったら,えっそんな字を入力するの?という文字をお書きだ。「伊」である。そんな人は初めてだった。不安。名前は,音読みをよくある熟語で言った。タッチパネルで「成」の字を書かれる。えっ,どうして?ますます不安。漢字に強い人を配置した方がいいんじゃないの。
 と思ったが,「飛」という字の書き順はボクが思い込んでいる筆順と同じだった。同じレベルの方だったらしい。不安なことである。

2011年8月1日(月)近づいてくる車から
 買い物を終え,路地を横切ろうとしたら,後ろから車のクラクションが鳴った。狭い街である。そんなことはよくあることだが,助手席と運転席を見て,ちょっとびっくり。この暑いさなか,出歩いていて大丈夫なんですの。運転されていたのは,手術をされたり,時々病院で検査をされるご高齢の方なのである。ご夫婦で買い物に来られたらしい。こんなアウェーのような場所に来なくてもよいと思うのだが,いつでもご夫婦で出歩かれるのがお好きなのだとか。そういえば夫婦でパチンコへ行くのもご趣味。年金の有効活用というか,人助け?ここにも仲の良いご夫婦がいらっしゃったのだった。
 「先日,奈良に行って土産を買ってきたから,明日,寄らせてもらってもいいかな。」とおっしゃる。バッタリお会いしてしまったので,そんなことを咄嗟に言われたのだろうか。お気の毒なことである。ホーム近くで買い物をされれば遭遇することもなかったと思うのだ。とはいえ,ここのところ,ご厚意は素直にもらおうと心がけるようになったのである。遠慮は敵だ本能寺。
 「じゃあ,明日,部屋を涼しくしておきますね。」

2011年7月31日(日)いつでも海がある場所に
 同じ新聞が二紙あるという方から,ローカル新聞を一部いただいた。どれどれ。まずは広告から。あれっ,わが家が購読している新聞にこの折り込みは入っていたっけ,という広告があった。チェーック。やっぱりなかった。パチンコ屋さんのお知らせである。わが家に入っていたのは「海 日本一決定戦」版だけ。ローカル紙には「海 リフレッシュオープン」版と「銀河鉄道999」版の2種類がはさみこまれていた。購読者数の多い新聞にはパチンコ屋さんのお知らせもたくさんあるようだ。ご親切にどうも。
 高校の卒業式が終わった後はじめてパチンコをやったという真面目な少年にギャンブルの厳しさを教えてくれたのは,今はなきリバーサイドのグランド会館。その後,麻雀とか競馬とか,ギャンブルの一部を経験してみたが,学んだことは,人生はギャンブルのようなものであるということや,自分が勝負事に向いていない性格であるということや,負けたあとは言い訳や愚痴をこぼさず笑顔でいるのが格好いいんじゃないのということだった。
 そんなわけで,ついつい愚痴をこぼしたくなる性格でもあるゆえ,基本的にパチンコも競馬もしないというつまらない大人になったのである。とりあえず,今のところローカル新聞は購読しなくても困らないような気がした。

2011年7月30日(土)ひそやかに詠もうと午後は
 引っ越しのお手伝い。午後には,クリーニングがはいるらしい。よく働いた。途中,腰を痛めそうな瞬間もあった。蹲踞の姿勢を繰り返しつつ,飲まず食わずで,完全終了は2時。さすがに水分を補給したい。このまま放置されれば,数時間後に熱中症を経験できたのではないかと思われる身体の感覚だった。そんなわけで,愛用の万歩計は一日のノルマ分をすでにクリア。これで首が3つでも並べば,本日の首尾は上々である。
 他人様の引っ越しを手伝うことは何度かあったが,葛飾北斎さんなどと比べ,悲しいほど引っ越しの少ない人生だ。学生時代に,豊島区と渋谷区と杉並区をうろついただけ。大事なものは,自分で作ったスピーカー・ボックスとレコードと本くらいだった。レンタカーはスカスカである。
 すでに今の場所に35年。がらくたばかり増え続け,レンタカー1回では荷物は運べそうにない。手ぶらで夜逃げするようなことも引っ越しするのも面倒くさいと思っているのだった。
 そんなことを考えていたせいか,首尾はサッパリ。

2011年7月29日(金)膝頭立てて見ている
 きれいな夕陽。そのあとは,ちょっと苦しくなるような蒼と灰色の混ざり合った美しい空だった。
 お見舞いに行った。
 隣のベッドの脇で,かいがいしくおばあさんの世話をしていらっしゃる男性がおいでだった。4人部屋の3つのベッドが使用中。カーテンはそれぞれがオープン状態である。挨拶をしても,小さな声がかえって来ただけで,シャイな印象。
 褥瘡を防ぐためだろう,姿勢を変えたり,バスタオルをまいた枕を足に挟んであげたりされている。
 一段落してぽつりぽつりと語られるところによると,奥さまだった。血流障碍が起こり,胃瘻の手術もされたのだとか。もう3か月になるらしい。
 一般病院に入院されたお年寄りは3か月の規制がかかるのかと思ったのだが,例外もあるようで,どこにも移らず,これからもここでお世話になる予定だとおっしゃる。本当に,ぽつりぽつりと。巡回に来た看護士さんも,このおばあさんのご家族は毎日のようにお見舞いに来られると感心をされる。
 病気になる前から優しかったように見える男性は,言葉を話せないおばあさんの横に毎日のようにやって来ては,静かに長い時間を過ごされているらしい。気持ちをつなげるふたりだけの方法があるに違いない。切ないって,語源はなんだったのだろう等と思ったりしたのだった。
 たとえば,心が切れるほどの思いだとか。

2011年7月28日(木)立ったまま氷菓をかじる
 前例のないことや誰もやったことのないことに出くわすとうれしかったりする場合も多いと思うのだが,イレギュラーのきらいな方もいらっしゃる。昨日と同じようにとか,先月と同じようにとか,昨年と同じようにとか,50年前と同じようであることがお好きだったりするらしい。江戸時代のごとし。
 判断基準は,どこかでだれかがすでにやっているか。だれもやっていなければダメ。みんなと同じようにしてね。わかりやすい。得心しやすい論理でないのが残念である。
 本日の面談で,すでに58日が経過した。漫画の中くらいしか知らないボクシングで言えば,10ラウンドの試合開始のゴングがなってそろそろ6回あたりか。毎回ダウンをしつつ,それでもノックアウトされることなく,テンカウントの前に立ち上がっているようでもある。とりあえず,ファイティングポーズ。いつか使うぞクロスカウンターと念じて過ごすことにした。トリプルクロスを出されると太刀打ちできないけれど。
 それにしても,明日を待つ目的のある生活は楽しい。いや,ホント。生きている実感。

2011年7月27日(水)裏側にしがみつきたる
 栗の木の葉に水をかけると,アブラゼミが飛んで逃げた。今年はじめてのアブラゼミ観測である。いつもはニイニイゼミのあとに見かけるのだが,今年のわが家にはニイニイゼミがなぜか現れない。不順な陽気のせいだろうか。
 そんな庭でイラガの幼虫に刺された方が。お気の毒なことである。急いでケア。ボクなら,天誅でござるといわれたくらいのような気もするけれど。
 ブルーベリーの木にいたらしい。どれどれ。いるいる,葉の裏に。体長25mmほど。その数15匹。かつて刺されたわが家の子どもによって「メロンの虫」と命名された,黄緑色の鮮やかな毛虫である。刺されると,大変痛い。しかも,結構長く続く痛みである。イラガに刺される経験を一回しておくというのも豊かな人生の一歩になるのではないか。あるいはイラガの道への免疫がつくというか。
 そんなイラガ退治は,殺虫剤をひと吹きすれば簡単である。けれど,ブルーベリーはすでに大きな実をたくさんつけている。ボクが食べるのである。噴霧は避け,トングでおつまみさせていただいた。
 大量に栽培されているみなさんは,どうされているのだろう。ご自分が食べる場合。

2011年7月26日(火)みずからが掘りたる地面
 予定していた本日の業務が,思いの外,サクサクと片付いた。いつもの時間より早くルーティンワークが進んだおかげで,いつもであれば食事を準備している時間に夕食が終わってしまった。
 ご褒美に今日はDVDでもということになった。
 そういえば,以前から準備していた『闇の列車、光の旅』は,WOWOWで明日の夜中に放映されるらしい。このままDVDを見ないのはもったいないというか,お間抜けな話だ。とりあえず,いち日だけでも早く見ることにしたのだった。これはいつの話ですの等と思ったのだが,もちろん現代の状況がベースになっているのだろう。アメリカのヒスパニック系が増えるわけである。悪は簡単には滅びない。
 1970年代の韓国が舞台だったのが『冬の小鳥』。ベトナム戦争で親をなくした子どもも多かった時代らしい。東京でご覧になった方が勧めてくださったのが,昨年の11月のことである。半年ほどの遅れでいなばでも見ることができるというのは,いい時代というべきであろう。
 イライラする時は布団打ちがよいのである。というのどかな話ではない。笑うためには,新しく生きなおすためには,自分を葬る儀式を行わなくていけないのである。
 どちらの映画もエンドロールに流れる音楽が静かできれい。余韻も楽しめる作品だった。

2011年7月25日(月)所有者が名前を書きし
 今月の雑誌に,中西さんという人の楽しいエッセイがあった。メインの話もよいのだが,枕部分がボクには面白く感じられた。ネットで歌集を買われた時の話である。
 購入したのは,中城ふみ子さんの『乳房喪失』の初版本だ。1954年の発行である。書き込みと記名があるということで格安だったのだとか。その記名は<妙子>さん。
 ボクがすぐに思い浮かぶ妙子さんは,小学校の時の同級生なのだが,中西さんは,葛原妙子さんが閃かれたのである。筆跡鑑定。同筆。俄然,この本は新たな価値が生まれたのだった。葛原さんがどんな歌に丸印をつけ,どんなコメントを書かれたのか。だれでも興味をもたれるだろう。それを独り占めされた中西さんは一本の原稿が書け,価値あるものを安く買われたというわけである。それにしても,葛原さんのような方の蔵書であっても,死後はそんなことになるのかとちょっと驚きもしたのだった。
 オークションやマーケットプレイスで古書を購入する際,書き込みがあるものは極力避けてきた。どんなに安くても,書き込みや所有者名があれば,本としての値打ちが下がると思っていたのである。ボクが書き込みを承知で買ったのは牧水さんの『別離』だけだ。二重丸やただの丸やコメントが書かれていて,自分の本のような気がせずなんだかいやだった。けれど,書き込みのある古書でも楽しめるということがよくわかった。楽しめるだけでなく,超レア本にもなるのである。これからは,記名ありの古書もいやがらずに購入することにした。
 とはいえ,わが家の『別離』には所有者の印等がなく,どなたが書き込みをされたのかわからない。ほとんどほしがる人のいない,ただの落書き入り古本である。仮に名前が書かれていたとしても,名前を見て同級生しか思い浮かばないような男には,やっぱりただの落書き入りの古本かも知れない。

2011年7月24日(日)本日で終了しました
 とりあえずどんなことになるのかと確認しておこうと思ったのである。なにしろ,ほぼ同い年。いつもはそんな時間帯にテレビは点けないけれど,点け忘れることがないよう,昼前からテレビを垂れ流しにしておいた。アナログ放送で。
 正午になった。砂嵐状態になるのかと思えば,ブルーの画面に終了しましたという文字と電話番号が書かれている。BGMつきで。日付が変わると,画面は砂嵐になっていた。さようならわが家のテレビ1台。
 原発等と同じように利権の構造があって,あちこちでおいしい思いをした人たちを支えるのは,結局,ボクやボクのようなみなさんなのだろう。お上が決めたことにはさからえない。江戸時代と一緒か。いや,そんな人たちを選んだボクの責任か。すまぬ。米原さんや田部さんのように山陰の民放もその業界のみなさんがお作りになったようなものだ。メディアをコントロールできる人たちは強い。ニュースもコントロールして,関係者においしい内容にできるんだから。
 地方局は,キー局の番組を放送させてもらうだけでなく,CM収入等の分け前にもあずかるらしい。護送船団業界。そんなメディアはもうどうでもいいと思うアナログ放送終了日なのだった。

2011年7月23日(土)暮れてゆく小さな通りを
 ちょっと別の国まで出かけたのだが(国というのは昔の隣国のことです。とはいえ渡米というほどではないんです。ちなみに渡米の米とは米子のことですよ。つまりいなばは出たけれど,伯耆の西のエッジ界隈までは行っていないという意味です,念のため。),6時過ぎに帰宅して万歩計を見れば,たった1000歩ほどしか稼いでいなかった。まずい。今日は頭を使うだろうから,ご褒美にアジアのビールを飲もうと思って楽しみにしていたのである。この数字では,麦茶かノンアルコールしか飲ませてもらえそうにない。ほとんど椅子に座っていたのが歩数を稼げなかった原因である。頭も大して活動していなかったかも知れないし。
 帰宅後,急いで歩数を増やす活動をした。近所を歩いたり,シャドウランニングをしたり。いちどに6000歩を稼ぐのは結構たいへんである。が,目的のためにはなんでもするタイプ。それほど暑くなかったけれど,結構汗をかくことができた。つつがなく目標数値をクリア。
 シンガポールとスリランカのビールを飲ませてもらった。どちらも猛獣系のビール。まったりこってりおいしゅうございました。

2011年7月22日(金)急いでつくりましたのごとく
 こんなオヤジの相手は大変だと思うのだが,本日も2か所の窓口のお嬢さんと話し合い。どちらもサクサクである。気持ちがよい。最初の窓口では,1か所○印をつけるのを忘れていた。ご助言痛み入ります。どんな人に対してもフレンドリーなのではなく,こちらが笑顔の低姿勢だからよいサービスを受けることができるのだろうと,少し勘違いをした時間を過ごしていたのだった。
 帰宅したら以前予約していたCDが届いていた。たとえば『2CELLOS』とか。男性2人によるチェロのデュオである。
 チェロが好きな人はたくさんいらしゃることだろう。もちろん,ロックが好きな人も。では,チェロとロックが好きな人も多いのだろうか。『2CELLOS』で演奏されている題材は,最近のロックナンバーである。U2とか,スティングとか,ミューズとか,ガンズとか,コールドプレイとか,ニルバーナとか。『VIVA LA VIDA』まで収録されている。若者達なのである。
 新しい音楽の世界を創り出そうという意識は強く感じられる。早弾きも自在である。が,そのテクニックが結構やかましい。サーカスとは違うんだしね。アドリブがたくさん出てくるわけでもなく,アップテンポの曲は意外に飽きがくるのが早いかもと思ったのだった。早ければいいというものではないのである。今夜はバラードばかり聴いている。

2011年7月21日(木)音楽を言葉にすれば
 信号機にほとんど邪魔をされないリバーサイドの道路で,対向車線の軽自動車が白の覆面パトに呼び止められていた。お気の毒さま。ついついスピードを出してしまう片側2車線の道路であるが,そういう取締をやっていらっしゃるらしい。あぶないあぶない。免許証の更新が近づいてきている。ブルーであることを自覚しつつ運転することにした。
 ネットに,中村とうようさんが自殺か,という記事がある。自殺等とは遠い人かと思っていたのだが,歳を重ねるとそんなこともあるのだろうか。
 プログレ好きのボクはちょっと音楽傾向が合わなかった。言語能力も低かったせいで,「ミュージック・マガジン」は敷居の高い音楽雑誌だったのである。時々しか買わなかった。もっと若い渋谷さんの雑誌にお世話になっていたのである。音楽雑誌なのに,とうようさんのコーナーには政治ネタも多かった。
 「MM」の「とうようずトーク」の次のページには,今野雄二さんの随想があった。筋金入りに思えたロック評論家おふたりが,どちらもみずからということになると,ロックやジャズが回復の助けにならない日がくることもあるということだろうか。健康やお金の問題はさておき,現実逃避だけではなく,回復力もあると思っていたのである。幻想らしい。音楽も限界があるのだと思うと,ちょっとかなしい。
 とりあえず,今のところボクはいい音楽を聴いていると思うことにする。で,久しぶりに『BLACK RENAISSANCE』を聴いてみているのだった。チャレンジング。明日のために。

2011年7月20日(水)送電線にとまりたる
 某原発業界御用学者リストでは御用メディアに分類されている「朝日新聞」が,わが国が原発国家になった経緯を連載中だ。中曽根さんとか正力さんのご活躍ぶりが少しだけ書かれている。
 共産党や社民党のみなさんはさておき,中曽根さん達に限らず,国会議員のみなさんには原発でおいしい思いをされた人が多いことだろう。岩手や福島ご出身の大物議員さんが静かなのは,誘致に関わられたことなどもあってなのかと下司の勘ぐり。
 もちろん,電力会社や電気事業連合会からお金をもらわれたのは,メディアや東大等の研究施設も同じである。だから,メディア顔出しの政治家や大学の先生には原発擁護の論調が多い。テレビはそれを放送して自己防衛。電気料金はそんなことにも使われている。御用の基準や定義等,リテラシーは個々の責任だが,とりあえず名簿を見ながら,だよねえ等と思う人もいるのだった。
 街を暗くしたり,計画停電で不便さを強調する。経済の先行き不安も煽る。どうです嬢ちゃん坊ちゃんアレがないと困るでしょという空気を作りたいのであろう。ボクはテレビはなくても暮らせるようになった。情報は乾電池式のラジオを装備。クーラーも10年ほど前までわが家にはなかった。昔に戻れると思う,たっ,多分。等と強がるのだが,乾電池式のデジタルプレーヤーにヘッドフォン生活は寂しい。音楽はしっかりしたスピーカーで聴きたいものである。そういえばネットも。そこそこの電気はほしいかもと,弱気になったりする。イカンイカン,アレと人体は相性がいいわけがない。元々,人を殺すためのものである。大体,アレがないと本当に停電になるのか。
 テレビはあまり見ないようにねとか,放送時間は夜の10時までにしますというテレビ局は出てこないのだろうか。その局の信頼度も高まるし,アレがなくてもそこそこの生活はキープできることが証明されるような気がするのだ。
 あちこちでお困りの方もいらっしゃるとは思うが,命よりアレの方が大切という考え方にはちょっと与することはできないのである。

2011年7月19日(火)台風に備えて鉢は
 いくつかの窓口やいくつかの機械の前に立ったり座ったりしながら業務をこなした。よく働いたような気がする。
 ここのところお世話になっている窓口の担当者は,今日はお嬢さんだった。知り合いだったっけなあと思うくらい,笑顔で迎えてくださる。フレンドリー。
 「どうですかあ。プリントとかされましたか。」
 「ここなんかどうかと思うんですけど,性別はどうでしょう。」
 「そうかも知れませんねえ。じゃあ,きょうのところはそんなところでいいですか。今度は週末ですね。」
 ふふふ。忖度加減が絶妙なのである。若いのにできたお嬢さんらしい。大人の対応。どこでもこれくらいの大人の対応をしてくれると暮らしやすい社会になりそうである。
 さてそんな業務を終えて帰ると,ちょっとした福音。お世話になりました。スピードは期待していなかったんですよね。各駅停車で行くしかないのだろうと思っていたのでした。スーパーはくとくらいで行けそうである。ありがとうございました。

2011年7月18日(月)蟻塚に竹串をさす
 植物に蟻がたかっていれば,わが家の場合は大概アブラムシにたどり着く。アブラムシはさまざまな植物に寄生する。ナスとか梅の枝とか山椒の枝とか,朝顔にも。アブラムシの分泌物を求めて蟻が接近するのである。その代わり,蟻はテントウムシ等からアブラムシを守っているのだとか。互いが共生関係らしい。なんであんなやつとつきあうのだろうと思うのだが,ぜありずのーあかうんてぃんぐふぉていすとである。ボクが苦手な人であっても,その人と仲良くしている人はいるし,右に行きたがる人もいる。というようなことはさておき,アブラムシとはおつきあいしたくないのである。
 ビタミンAとCが含まれていて目にいいらしいという思い込みで,パセリはたくさん食べるようにしている。ところが,ここのところ栽培しているすべてのパセリの根元に蟻が蟻塚を作っているのである。茎部分にうずたかく。伯耆富士の如し。
 高い位置から如雨露の水を落としたりしても,蟻もアブラムシも一向に散らない。野菜にやさしい農薬もあるが,もろに口に入る野菜でもあり,ちょっと使いたくない。とりあえず,牛乳を薄めることなくぶっかけてみたのである。
 こぼれた牛乳に蟻が集まっていた。ほぉ,牛乳も好きだったんだね。砂糖をまいたら,当たり前だが砂糖はじきになくなった。
 アブラムシが絶対の親友ということでもないらしい。義理や人情や共生より,目先の甘さ優先なのか,蟻は。って,1日の歩数が蟻以下の人間に言われたくはないと思うけれど。

2011年7月17日(日)無事に終わりしいち日の
 暑い。毎日の過酷なトレーニングのせいか,体力が落ちているような気がしてきた。体調を維持するためにトレーニングをしていたつもりだったが,逆効果である。というか,ビールを飲むことが目的になっている不純な動機がいけないのかも知れない。それでも,命からがら本日は1万歩をなんとかクリア。
 健康に越したことはない。けれど,あまり強靱でもなく,時々壊れかかるくらいがいいのではないかと思ったりもするのだった,身も心も。そうだからこそ,音楽が身体に滲みたり,言葉や文字が身体に落ちていくのではないかと思うのである。
 ここのところ滲みている音楽はブルース。古い人達のブルースももちろん良いけれど,よく聴いているのは懐かしのスティービー・レイ・ボーンさん。ボクより遅く生まれているのに,すでにお亡くなりである。ウィスコンシンのライブ後のヘリコプターが落ちてしまって。
 早弾きのギターではなく,真夜中にはスローなブルースがちょうどよい。そんなバラード系を流しながら物思いに耽っていると,いつもとは違うフレーズが浮かんだりすることもあるのだった。

2011年7月16日(土)辞書引けば歌の一首も
 今月号の角川の「短歌」に,島田修三さんという某大学長さんの32首が掲載されている。その中に,こんな歌がある。

 『新明解国語辞典』のもの深さ「魔羅」引きたまへ感じ入るべし

 『新解』さんはマニア本が作られるほどの面白い辞書である。「恋」とか「恋愛」を引いてみて,その感動的な過剰感や偏り加減を楽しませてもらったものだ。女性に対する偏りはよくないと思うけれど。ちなみに,有名な「恋愛」はこんな感じ。
【第四版】「特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。
【第五版】「特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。
【第六版】「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。
 渦中の二人はそんなことは言われなくてもよくわかっているわけで,恋愛という言葉を調べてみたいとか定義が知りたいと考えるカップルはあまりいないような気もするのだが,この懇切丁寧さ。そんなことがあったとわが身を振り返られる方も多いことだろう。版によって,精神が加わったり,合体や肉体的やまれが外されたりと,編集のみなさんのご苦労がしのばれる。ちなみに「合体」とは,[A「性交」のこの辞書でのえんきょく表現。](【第四版】)である。参考にしていただきたい。
 そんなわけで,「魔羅」もちょっと引いてみたくなるのは当然である。野暮を承知で無断転載。これはどの版も不変である。『新明解』普遍の定義らしい。

 [男女いずれにとっても,煩悩を起こす元になる]陰茎。

 御意。
 女性にとってもかどうかはよくわからないけれど。
 感じ入りました。

2011年7月15日(金)稻藁の上に寝転び
 いくつかの窓口でお話しをする業務。今までとは違い,今日はさらに上の方が登場される窓口もあった。前進である。ような気がするが,だからといってまだ正式な話ではなく,それでもまだ準備段階らしい。手強い。ずるずると伸ばしていって消耗戦に持ち込もうという作戦なのかも知れない。といっても,当方が主に消耗しているのは万歩計の数を増やすことである。あまり効果的ではない作戦だと思うのだった。
 次の窓口の方は,ボクに都合の良いような方策をいろいろと考えてくださる。ここでお世話になるとは思っていなかったのである。大した情けというわけではなかったけれど,人のためでもなかったらしい。よかった。
 ところで,その窓口へ行く前に声をかけてくださる方があった。よく知っている顔である。が,苗字が思い出せない。顔を覚えるのが得意でないのか,思い出すのが得意でないのか。話し終えて10分ほど真剣に思い出そうとした結果,フルネームがでてきた。最後にお会いしたのは,2年ほど前のことである。2年経つと忘れる可能性があるらしい。
 そんなわけで,あまり間を置かず,みなさん時々は会ってやってください。

2011年7月14日(木)音声の指示の通りに
 朝方ケータイを見れば,「今メール大丈夫??」というメールが入っていた。今って何時やねんと時間を見れば,2時55分である。夜が好きな方であるが,残念,さすがに寝ていた。それだけの文字の,わりあい謙虚な部類に入るスパム・メールもあるというお知らせ。
 スパムではないが,おつきあいで入っていたカードがいくつかあって,年会費がばかばかしい。先日も銀行でひとつ解約した。書類を書かされて面倒だった。解約はそんな風に面倒かと思っていたのである。それでも,暇なので勇気を出して大阪の番号に電話。生身の声ではなく,自動音声の指示に従って数字を押していたら,あれあれという間に解約が成立した。すごく簡単。
 こんなことならと,もういち枚のカードの裏にある番号に電話。同じ処理でも押す番号は違うようだ。カード番号を押したあと,暗証番号を入力したつもりだったが,違うらしい。もう一度。また違った。さすが使っていないカードである。その後,電話は生身の男性の声に変わった。生年月日や家の電話番号を答えているうちに,こちらもめでたく解約成立。もっと早くしておけばよかった。カード解約はこんなに簡単というお知らせである。
 ところで,最後に男性が「今回はこのカードだけでよろしいですか。」とおっしゃっる。えっ,そちらの会社にまだカードがあったんですの。探さなくっちゃ。

2011年7月13日(水)体力をあまり使わぬ
 身体を動かすことが減った。どれくらい減ったのか,とりあえず万歩計をつけてみたのである。2000をカウントしない日もあった。ビックリ。体内に歩数計を持っているらしい蟻さんはいち日に何歩歩くのか知らないが,蟻以下は確実である。歩数がほとんどなさそうなナメクジの運動量にも負けていそうだ。ナメクジ以下の人生を送っているらしい。
 そこで,5000を超えないと発泡酒は飲めないことにしたのである。7月に入ってから。人参である。さらにビールは7000にした。ハードルが低いとお思いの方がいらっしゃるだろうが,1万にするといつまでもビールが飲めないような気がしたのである。
 特に,昨日今日は工場(農村制家内手工業)でのデスクワークが中心の業務だ。発泡酒どころか,麦茶も飲ませてもらえそうにない歩数である。食事前に,萱草を取りに畑まで走ったり,玄関でシャドウ・ランニングをしたのだった。
 そんなわけで,本日は7052歩。ビールのために生きているのだろうか。

2011年7月12日(火)うわべだけ記しておりぬ
 痛みのかたちを変えながら続いている五十肩は別にして,ここのところ原因不明の体調不良だった。今月の頭あたりから急に。面倒くさいので,誰にも言わずやり過ごしていたのだが,昨日・今日と身体が回復に向かっている感じがしている。まだ,自己治癒力が残っているらしい。
 とはいえ,回復をアシストしたものがあったのではないかと考えてみた。食事がよかったからだろうか。ここのところ毎日食べていたのは何だったっけ?ビールとかご飯とかミニトマトとかタマネギは毎日飲んだり食べたりしているが,痛みがはじまる前からの習慣である。回復とは関係なさそうだ。らっきょうは食べなかった日もあるし。などと考えていたら,7月5日から毎日食べているものがあった。
 薮萱草。
 豊作なのである。悲しいことを忘れることができるという効能はさておき,シャキシャキぬめぬめだけの食材かと思っていたのである。ボクの身体とは相性がよかったのかも知れない。1週間食べ続けたら,身体から病原菌を駆逐してくれたようだ。と思い込むことにした。
 とはいえ,つぼみは残りわずかである。賞味期間は短いのである。つぼみがなくなったら何を食べればいいのだろう。

2011年7月11日(月)フェイドアウトでレゲエが終わる
 夏至はとっくに過ぎているというのに,日が長い。7時を過ぎてもまだ十分明るい。出かけていて,帰ろうとしたら8時前になっていた。びっくり。今日は,カレー風味麻婆茄子を作ることになっていたのだった。
 カレー粉を買わなくてはいけなかったのである。遅くなりついで。安売りのお店へ寄ってみた。この時間帯なら,それほどレジで並ばなくてもよいだろう。
 あれこれカゴに放り込んだので,ずいぶん重くなった。カートにすればよかったと後悔。そんな重い買い物なのに,レジでの合計金額を聴いてびっくり。えっ,たったそれだけ,という額である。果物あれこれやジャガイモや牛すじ肉や鶏ムネ肉や挽肉,紙パックの牛乳や飲み物も買っているのである。カレールーだって3個。って,考えてみれば安いモノばかりか。
 いゃあ,ホント助かりますわ。唯一残念だったのは,カレー粉が置いてなかったことである。って,どんな店やねん。
 そんな今日は,そういえば雲の種類が豊かだった。しばらく空を見ていても飽きなかったのである。なんだか,地球にいるみたいだねえ等というアホな会話をしていたのだった。

2011年7月10日(日)待ちたる人のいる場所へ
 日曜日だというのに,こんなオヤジをランチに誘ってくださる若いみなさんがおありだった。ありがたいことである。時間に余裕をもって出発。待ち合わせの時間の10分前には着いた。が,すでに駐車場が埋まっていた。席は予約してあっても,もちろん駐車場が予約できるわけもない。ここのところ疎遠にしていたお店だったけれど,はやっているらしい。結局,少し離れた場所にある有料駐車場に駐めて,約束の時間ギリギリの入店になってしまったのだった。
 店内入ったところには,座って席の空くのを待っているみなさんも。家族連れ等で満席である。その中から,懐かしいみなさんのお顔を探す。いるいる。「いゃあ,久しぶり。」
 積もる話やいただきもの等を開けて騒いでいるうちに,周りのテーブルのお客さんはいなくなっていた。楽しく飲食ができる人がいる幸せを毎日感じているのだった。
 人気のあるらしい広いお店なんだから,もう少し駐車場を広くしておいたいただきたい。またいつか誘ってくださる人がいた時のために。

2011年7月9日(土)あの夜もあの夜のあの夜よ
 丁寧に大胆に精密機械も大切にしましょう,というような話をしていた。ような気がする。東大阪市にあるような工場は大切なのである。
 何のことか,わけのわからない人にはさっぱりわからないかもという勉強会だった。帰る頃にはすっかり日付が変わっているのだった。責められたり,プレッシャーをかけられるのは,期待されているからでもある。
 そういわれてみると,いつも水に濡れている石もあるということに気づかされた。石の運命に思いを馳せたり,詩歌にふさわしい言葉かどうかを吟味することも忘れないようにしようと思ったのだった。ありがとうございました。
 そんな今日の午前中,満開の朝顔の色合いの美しさの感想を述べられる方がいらっしゃった。自分だけでなく,まったく関係のない第三者の方も美しいと思ってくださるのかとちょっとうれしくなった。
 種を蒔くのを少しずらしていた苗がある。今度お持ちすることにしますね。

2011年7月8日(金)お知らせの大きな文字が
 あと16日である。カウントダウンの数字。すべてのアナログ放送に案内されるわけではなく,BS放送と,通常はこの地域で視聴できないABC放送,サンテレビ,テレビせとうちを選んだ時に,お知らせのスーパー・インポーズが表示されるようだ。
 これがなかなか大きなサイズである。画面全体に対し,ほぼ十分の一の比率。わが家の場合のスーパー部分は,BS放送の場合の「アナログ放送終了まであと16日!」という同じ大きな文字で表示されるパターンと,民放の場合の,文字は小さく16が特大数字で表示されるパターンの2種類。
 表示位置は左下画面だ。番組内でスーパーが入る場合,文字を読むのに苦労することがある。だから,早くデジタル放送にしなさいよということなのだろう。ご親切なことである。
 中途半端な位置ではなく,いっそのこと画面中央に表示してもらえれば,テレビを消してもっと時間が有効に使えそうな気もするのだった。

2011年7月7日(木)萱草の花をまとえば
 さて,2週間ほど経った。そろそろ確認をさせてもらってもよさそうな時期である。とりあえず電話をいれてみた。まだ回答文書ができていないらしい。お忙しい部署なのである。たぶん。文書が完成したら連絡をしますとのこと。ついでのように,今のままではあまり期待されない方がいいかも知れません等という付け加えもあった。文書完成を待つのではなく,途中であっても顔を見ながら確認をした方がいいようである。
 そのような福音のない日々に食べているのが,八重咲のやぶかんぞう。萱草と書いてわすれぐさとも読むらしい。わすれな草ではないので,念のため。甘草でもないので,念には念を入れて。
 申し訳ないことであるが,花の開く前のつぼみを食している。非道の行いである。まっ,フキノトウとかブロッコリーも似たようなものだよねと言い訳をしつつ食べているのだった。とりあえず茹でて。サリサリぬめぬめとした食感は,ねばり強い身体に育成してくれるような気もする。
 悲しい(忘れたい)ことがあった時に効能があるらしい。当分,萱草なしでは暮らせそうにない。

2011年7月6日(水)返却をしなくてもよい
 アメリカン・パンクバンドのCDが届いた。名前しか知らないバンドだ。わが家には1枚もそのバンドの作品がない。もちろん,注文した覚えもない。マーケット・プレイス扱いの店舗である。自分の注文履歴を確認してみた。この店舗に注文したのは,中古しか在庫のない別のバンドのアルバムだった。早速電話連絡。調査しますとのこと。
 1時間ほどしてから調査結果報告があった。商品を間違えて送ってしまいましたとのこと。丁寧な対応である。で,ボクが注文したアルバムは実は在庫がないのだとか。なんやねん。返金させてもらいますとおっしゃる。で,手元のパンクバンドのCDはどうしましょうと尋ねると,別のお客さんの注文と入れ替わったというわけではないので,返送がお手数でしょうからそちらで処分してくださいとおっしゃる。御意。
 せっかくだから処分の前に聴かせてもらった。単純なリフからはじまった。イントロはグッド。と思ったら,1分ほどでパンク全開のボーカル。やかましい。コルトレーンさんとは違った音の難行苦行である。マーケットプレイスでの間違いは初めてだが,おかげでいい修行をさせていただいたのだった。

2011年7月5日(火)新作は聴けない人の
 さすがコルトレーンさんである。昨日と違って,目覚めたら朝からやる気が満ちていた。とりあえず,オイル漏れ無料応急修理の終わったクーペとドライブしてみた。ガソリンを満タンにして。信号待ちになるとアイドリングの回転数が下がり気味だったのも,少しネジをまわしたおかげで,快適な回転をキープしてくれる。ムラのない安定した機械はストレスも少ない。ますますやる気がわいてきた。せっかくわいたやる気から何を生み出すかというのが次の問題である。
 さて,きょうは思いがけない到来物いろいろいろ。どうなっていますねんというご心配なども。ありがとうございました。気にかけてもらえるというのはとてもうれしいことですねえ。そんなわけで,とても良いいち日だったのである。
 なにはともあれ,わが身体に気合いを入れるためには時にコルトレーンさんが有効だということがわかった。明日のために,今夜も真夜中の音楽はコルトレーンさんにしてみた。とはいえ,神に近づこうとされたころの演奏を毎日聴くほどには信心深い人間になっていない。とりあえず,プレスティッジ時代の演奏にさせてもらった。『GOOD BAIT』をボリューム下げて。

2011年7月4日(月)ベースの長いイントロに
 本格的な夏が来るころには終わってしまうのではないかと思うほど,ここのところ朝顔が連日満開状態である。太陽がでなければ、昼近くまで楽しむことができる。が,今朝は,せっかく咲いたというのにほとんどの花が早くからすぼんでしまっていた。風が相当強かったようだ。雨が降るのも気の毒だが,強風も朝顔には相当迷惑なのだった。
 そんな今日は,ダラダラした,達成感や充実感の少ない一日だった。基準値を大幅に下回っていたのである。ボクの場合はそんな日ももちろん大切なのだが,とりあえず反省するため,夜はコルトレーンさんを聴くことにした。1966年の『 LIVE IN JAPAN』である。精神がしっかりしていないと魂の入った音楽はできないぜという激しい演奏だ。とてもCD4枚を続けて聴くことはできない。『MY FAVORITE THINGS』だけで許してもらった。1曲57分。
 強風というか,嵐のような壮絶な演奏を聴いて身体を痛めつけてやったのだった。鈍った身体にちょっとだけ気力が戻ってきた。ような気がした。

2011年7月3日(日)コウボウムギの群生を
 部屋の気温は30度前後。窓から気持ちよい風が入ってくる。扇風機もエアコンも我慢して過ごしてみた。人骨が埋まっていたあたりの砂丘も,今日の風で新たな風紋ができ,なにもなかったような光景になっていることだろう。
 砂丘といえば砂地を歩くのが相場である。しかし,昨日歩いたのは,林の中や,砂丘とその林の境界線あたりが中心だった。弘法麦やピンクのハマヒルガオが群生していて,ちょうど見ごろである。林の中には,フォトジェニックな枯れた枝も多い。馬の背ばかりではなく,砂丘のこちら側も結構楽しめるのである。
 松がたくさん枯れていることなどもあってか,林の中ではショベルカーが数台入り,間伐作業が行われていた。わが家側の斜面の反対側は,間伐ではなくすべての防砂林が抜かれている。そちら側からわが家の方へ向かえば,ポニーの背のような砂地の駆け上りが体験できる。馬の背を登り切れば海だが,こちらのポニーの背を登れば,街並みや川や海を眺めることができる。このまま松などを植えない方が,みなさんに楽しんでもらえそうな気もするのだった。
 こんな風の日は,風と一緒にわが家には砂も入ってきそうではあるけれど。

2011年7月2日(土)病死者を埋めたる場所に
 骨や死体が埋められているというのは,以前から聞いていた。この辺りの漬け物石によさそうな石を拾って帰ると,墓石かも知れないから早く元に戻すようにおばあさんに叱られたという話も聞いたことがある。
 鳥取砂丘で4体分の人骨が見つかったのだとか。相当古いらしいけれど。サンダル履きで行ってみた。一面を太陽光発電のパネルにしようという提案もあったらしいわが家側の斜面を越えれば,現地はすぐだろうと思ったのである。
 違った。結構遠かった。直線距離にしてわが家から1200mくらいか。もちろん,直線では歩けない。曲がり道や起伏を越えて到着。ほとんど海の手前である。現地から海に向かって100歩あるけば,浸食された砂丘の絶壁。灰色の海はすぐそこ。
 これほど人里離れた場所まで運ばれるとは,よほどきらわれる病気にでも罹患した人達だったのか。明治・大正期にはコレラも流行ったらしい。あるいは,日本海を漂流して砂丘に到着した時には息絶えていた人達だろうか。日露戦争辺りまでさかのぼれば,漂流者の可能性はもっと高まるのかも知れない。
 いずれにせよ,埋葬場所としては相当さみしい場所である。埋葬されるのであれば,あまり生活の場を離れていない方がよいと思うのだった,ボクの場合だけれど。
 現地には目印になるようなものは何もない。明日強い風が吹けば,場所を知らなかった人達にはもうわからなくなる。やがて,同じような場所から新たな人骨がまた見つかるのだろうか。

2011年7月1日(金)二枚しかないドアを閉め
 ワイン・クーペが地上から1台消えた。置き場所もなくなる予定であるし。117クーペは,いなばやほうきには13台あったらしい。そのスジの方からのお知らせによれば,2010年時点で全国には2219台が残っているのだとか。生産を終えてから30年経っているというのに,まだそんなに残存しているのかと驚く。台数の経年変化を見れば,1年間に100台ずつ減り続けている計算のように思える。
 消えたといっても,もちろんそのまま廃棄したわけではない。同好の方々が,日の出から日没近くまで解体作業をされたのである。わざわざ遠くからおいでになって。生憎,会合があって立ち会うことができなかったけれど,それはそれは丁寧に解体され,猫またぎ状態のタイの骨のようだったらしい。別の車に移植されて役に立つことだろう。ボクには,ステアリングのホーンボタンが残された。恐れ多くも唐獅子さまである。
 年間100台の減少ということになると,あと20年ほどすればクーペも相当レアになりそうだ。それとも,所有していらっしゃるみなさんがことのほか大切にされ,現在に近い数字が長くキープされるのだろうか。
 今日はオイル漏れを点検してもらった。ボクはもう明日をも知れない状態なんです。

2011年6月30日(木)デクレッシェンドも織り交ぜて
 物好きにもほどがある。築45年ほどのわが家を見たいという方がいらっしゃるらしい。連れだって。建物も人間も見どころはないと思うのだけれど,2時間ほど滞在されてお帰りになった。なにが見えたのかお聞きしたいような気もするが,空っぽだったかも知れず,聞くのがこわい。とりあえず松江のお茶はおいしかったようだ。なにより。
 ここのところ,ご近所に葬儀が続いている。わが家をはさんで。ボクとそれほど歳の違わない方も。赤ちゃんの声は聞こえてこないけれど,去られる人は多い。みんないなくなっていくんだなあ。
 いなくなられて気づいたのだが,わが家の東西南北のそれぞれ2軒までにすべて警察署勤務の方がいらっしゃった。わが家は,警察官のみなさんに四方を包囲されていたのだった。そういえば,ネズミ取りのことを書いたりしたこともあったし。マークされていたのだろうか。それでも,空き巣が入ったけれど。
 今日の葬儀はいなばでは珍しい宗派だった。この宗派の葬儀に参列したのは二度目。テンポのよいリズムとメロディが心地よい。いや,お経の話。お気に入りの宗派なのである。どういう経緯で,この宗派になられたのだろう。
 わが家に立ち寄られるより,よっぽどおもしろい物語が聞けそうな気がするのだった。

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