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とうもろこしいろ
●玉蜀黍色
夏休みになると郊外にある旧家に行くのが楽しみだった。
周囲には年々新しい家が立ち並び、広々とした田や畑は姿を消し続け
その家だけが申し訳なさそうに佇んでいた。
バスを降り、「高校生にはもう似合わない」と言われた麦藁帽子を被り
埃っぽい道をあちこち眺めながら歩いて行くと
いつも畑仕事に精を出す一人暮しの祖母の姿があった。
声を掛けると振り向いて汗を拭いながら、大きく手を振り応えてくれた。
私は未だあれ以上の笑顔を知らない。
この家で退屈な思いをした事はなかった。
ゼンマイを巻く振子時計の音は珍しく
長い廊下は深緑のビー玉がいつまでも転がり
見慣れない虫たちはどんな機械よりも精巧で
翅は宝石よりも輝いていた。
いくら早起きしても、台所には採れたばかりの野菜や果物がもう置いてある。
大きなたらいには西瓜が浮かび
流水でトマトがくるくると回っている。
曲がった胡瓜や茄子。
そしてきれいに剥かれたとうもろこしが艶やかに光っている。
「今日のおやつだよ」
と言いながら湯を沸かす祖母には
いつも笑顔が絶えなかった。
茹で上がったとうもろこしの一粒一粒を齧って模様を作るのが楽しい。
輪を作ったり、市松にしてみたり。
時々歯に当ってキュッと音を立てたり
口の中でプチリと弾けるのもいい。
給食のたびにいつも遅いと叱られていた私は
心ゆくまで食べる事の贅沢を楽しんだ。
「少し塩っぱくない?」
と訊ねる祖母の表情に微かな蔭りを感じた。
「ううん」
と訊ね返すように答えると、一瞬の沈黙。
「あのね、お祖父さんと出会った頃にね」
思わず手を止めた。
いつもと少し違う声の調子にどきどきしてしまう。
「内緒で会ってたの。好きで好きでどうしようもなくて、でも会いたくて。
昔は今の人みたいに堂々と会えなかったのよ。だから人の来ないような
ところを探してね。ほら、あの神社の裏とか、河原とか」
祖母の手ぬぐいが小さく畳まれてゆく。
「ある日ね、背の高くなったとうもろこし畑でお祖父さんを待ってたの。でもなかなか
来なくてね、退屈だから実の先のヒゲを抜いたり皮を剥いたりしてて、気がついたら
一本全部剥いちゃってたのよ」
そう言いながら手を膝に置き、ゆっくりと反対の手をさすっている。
働き者の手がしっとりと動いているのを初めて見た。
「そこにようやくお祖父さんが来たの。あわててそのとうもろこしを折って浴衣の
ふところに入れて隠したのよ。そして一緒にあぜ道に座って手を握って。でも何も
話さないの。会えて嬉しくて気持ちがいっぱいで言葉が出なくて。うつむいて前かがみに
なると、ふところに黄色いとうもろこしが覗いててね、そればかり見てたのよ。その黄色が
つやつや光ってて、気になって仕方なくて」
祖母に少しずつ女の表情が広がってゆく。
私も目を伏せてしまう。
「その日の別れ際にね、初めて抱きしめてくれたの。もう頭の中が真っ白になって、
何も考えられなくて。そうしたらお祖父さんが笑うの。胸に何か当るって。そう、あの
とうもろこし。なんだか急に恥ずかしくなって、お祖父さんを突き飛ばして逃げだし
ちゃった。それからとうもろこしが嫌いになってね、気に入ってた黄色の綺麗な着物も
着なくなっちゃったのよ。一度しか袖を通してないのに。おかしいでしょ」
食べかけのとうもろこし。その光る黄色に私もなぜだか恥ずかしくなった。
「だから今はあなたの分しかとうもろこしを作らないの」
その日に手渡された古い小袖の着物。
陽に当らないのでいつまでも鮮やかな濃い黄色。
小さくて着られないけれど、箪笥から出すたびにあのとうもろこしの塩味と
今はもういない祖母が一度だけ見せてくれた女らしい表情を想い出す。
あの頃の夏は、この着物と同じ色だった。

●玉蜀黍色(とうもろこしいろ)
Golden Corn 2Y 8/8
18世紀後半(安永、天明年間)に流行した色。
現在染色のレシピは残されていない。
このページで表示される色はあまり正確ではありません。
必要でしたらマンセル値をご確認下さい。
資料:「日本の傳統色」 京都書院
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