線についての雑感



「自分だけの線」

〜「日本の線」それこそがグローバル〜<温故知新>

私もめざすは、「自分だけの線」。1本の線を見て、これは誰だとわかる。ピカソやマチス、シーレやベン・シャーンは線の一部を見ただけで、誰の線かわかる。

最近、感動した発見がある。
それは、浮世絵の「線」についてのすばらしい考察を読んだこと。歌麿や北斎の線は、描かれた「線」ではない。彫られて、刷られた「線」である。しかも、彫師は熟練の江戸の職人。その人の使う彫刻刀は熟練の鍛冶職人の作った刀。刷り師もまた、熟練の刷り師。彼の使うバレンも職人の手になる。そんな人たちが作り出した「線」である。

・・・・・当たり前のことなのですが、これを読んだ時、「そうだ」と感動した。

極めつけは、広重の「雨」の線による表現。
「世界中でこれほどの突き刺すような雨の表現はないであろう」その雨の線は、やはり職人たちが作り出した線なのです。彫られ、刷られた線なのです。



去年の暮に見たホックニーの作品にシルクスクリーンで刷られた雨の表現があったが、浮世絵には及ばなかった。 江戸時代の彫師の腕はすごい。それを刷った刷り師、彫刻刀を作った鍛冶職人もまたすごし。

昔、10年間、木版画をやっていたので、紙、木、線、色などには興味津々。和紙は「鳥の子」の16番というのを、よく日本橋の「清水青林堂(?)」という老舗に買いにいっていました。

今は、銅版画をやっていて、使う紙はフランスやドイツのコットン紙BFK、アルシュ、ハーネミューレ。名前だけでも美しい。使うインクもフランス製シャルボネール。1865年以来世界中で使われているインク。長年使われてきたのには、それだけの「理由」がある。黒の色相、粘りけ、ふき取りの良し悪し。こんな由緒あるインクで表現するのだから、いい作品が出来ないわけがない。

刷り取られた1本の線は本当に美しい。

美しい黒である。

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鉄筋彫刻の作品を見て「永字八法」ですね、と言った人がこれまで2,3人ある。

「永字八法」って何?

その後、石川九楊さんの書を紐解く。言われてみると、書き始めや終わり方がそういうことらしい。

1枚の白い紙に向かうとき、どこから書き始めるか一呼吸置く。ここぞと決めて、一気に描く。早く遅く、線を切り、方向を変えてまた引く。速さと力、まさにベクトルである。私の使う数種類の鉄の太さは、力の違い。ボリュームをも表現する。


<宙に描いたドローイング>
・・・・2次元のドローイングをもう一度3次元に開放

均一な太さの線が曲がりくねる。鉄によるドローイングに他ならない。鉄という重みのある、存在感のあるまっすぐな線をどう料理できるか。にじみやかすれのない、一定の太さを持った無機質な線を魅力的な線に生まれ変わらせる。勝負!

モチーフを見た時に感じる感情が全て。後は、勝手に手が動く。ジャズを聴いて、音楽に乗ると、もう自分では描いてない。音に描かかされている。本当にそう思う。だから、感じない演奏だと手が動かない。

昔よく描いたヌードクロッキー。「目で犯す」くらいの感じで、目の前のモチーフ「モデル」に向かった。力不足で、その美しい曲線を描きとることはできなかった。あの時のくやしい思いが今ジャズメンに代わり向けられている。


<これしかない「形」>

日本の水墨画など、「ぼかし(濃淡)」(=翳り)のある絵画と「線」による描写の浮世絵を並べて見ていると、北斎や広重の風景画も歌麿呂の美人画もある点において非常に「彫刻的」であると思える。すなわち、明確な「形」というものがそこにある、という点においてである。もちろん、二次元と三次元の大きな違いはあるのだが。
 水墨画の墨の濃淡は「あいまいさ」とも言えると思うが、その中にこそ意味のある深い空間が存在する。浮世絵の「線」は「あいまいさ」や「迷い」の許されない1本の線で形が作られている。「これしかない」線である。彫刻の塊も多くもなく、 足りなくもない、これしかない量の粘土で形が作られている。

  風景版画の中には空気遠近法としてのぼかしが多用されているが、美人画の色使いの中にはあまり「ぼかし」は見られない。色ベタか装飾的な模様が線で囲まれた空間を埋めている。
 北斎にしても広重にしても、風景画の浮世絵は「ぼかし」を多用し、空とか水とかを表現している。まさしく「ぼかし」は「あいまいさ」であり、「ふくみ」を持った空間(空気)の表現である。
 北斎の有名な「赤富士」にみられる雲の彫り=「ぼかし彫り」は、1つの雲という小さな形の中にも「ぼかし」を使用することで、空間を巧みに表現している。傑作である。富士山そのも のの形としての「線」、そして空の一文字ぼかし、雲の彫りでのぼかし。


<「圧力」が産み出す空間(深み)>

広重の空のぼかしは、バレンによる圧力が作りだした表現でもある。そして、同じ色を2度3度刷り重ねることで、色の深みを出している。紙の厚みの中にまで精神的深みを作り出す、 日本独特の遠近法といえよう。

<現代・日本の「線」は? >

藤田はパリで西洋人の彼らと異なる東洋人としての自分の画風を模索した。十分なお金のない彼は、ある朝、いつもと同じようにミルクとパンのささやかな朝食をとる。トレードマークのおかっぱ頭から、ミルクの表面にパラリと1本の髪の毛が落ちた。・・・・・ミルクの乳白色の上に細い黒い髪1本・・・・・「これだ!」と彼は叫んだ(聞いた話ですが)。これがきっかけで、彼は裸体の輪郭に面相筆で細い線を引いた。それ以降、日本画の加山又造の「線」。「線」に絞ってみて見ると、これぞ現代の日本の線、といえる物が見当たらない。めざせ日本の線!



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