鉄で出来た歌麿

これは、鉄筋でできた歌麿です。何種類かの太さの鉄筋で出来ています。浮世絵から色を取り除き、線だけを取り出すとこうなります。画家が名画を「模写」するように、私は歌麿(2次元)を3次元に模写しました。肌や手の表現は繊細な細い線。着物の線は強弱のある力強い何種類かの太さの異なる線。しかも書のように線の太い細いがあります。

筆で描く

 考えてみれば昔は何でも筆で描きました。肌の細い線をどうやって引いたのだろうと思います。歌麿たち絵師はあれほど細く均一な線を引くことができたのでしょうか。原画はもう少し強弱があったと思われます。それをあれだけ細く、繊細でしっかりした1本の線として表現できたのは彫師の成せる技です。浮世絵の線は、木を彫り、紙に摺り取られたものなのです。それ故、なめらかな曲線で長く、シャープで均一な太さの細い線が表現できたのです。
この「彫られたシャープな線」である点が最も重要な点だと思われます。それぞれの線の太さに違いがありますが、1本の線は起筆から終筆まで均一な太さのままです。・・・・・この点が今私が使用する「鉄筋」という素材と一致します。すなわち、あるパートの1本の線はどんなに曲がっていても「均一な太さの線」です。

圧力がもたらした表現

浮世絵は木版画ですから、「バレン」で押さえて摺ります。圧力が作った表現なのです。バレンは竹の皮を短冊にして結い芯にした部分と 和紙を何枚も膠で貼り合わせた丸い板の部分からなり、それを1枚の竹の皮で包んで仕上げてあります。これも日本人の知恵ですね。程良い圧がかけられたことで、あれほど細い線もしっかり和紙に定着できた。色の面も絵の具に適量のノリを混ぜ均一に伸ばし、圧力のおかげで均一な色の面に仕上げられた。=このことが、日本の絵画の「平面性」に大いに寄与しいると思う。手描きで広い面積を1つの色で均一に塗ることは大変難しい。版画ならではの美しい平面ができたわけです。



浮世絵の様式美

 浮世絵の線画は、デザイン的で様式化されたものです。手の指の表現にその事がよく現れています。 写実でありながら、実物以上に色っぽく、指が多くを物語っています。1本1本の曲げ方で表情を出しています。また、春画に見られる足の指の表情は、最高です。指の先まで力が入り、エクスタシーの瞬間を表現しています。大首絵の指、春画のつま先だけを見ても楽しめます。
人物表現の場合、顔や手(人の皮膚)の部分は大概の場合、細い均一な線、着物その他は筆文字のような強弱のある線で描き分けられています。


鉄筋彫刻と浮世絵の共通点

鉄筋彫刻の1本1本の線は、同一の太さの鉄線で構成されているため、 3次元的に曲がっていること以外に表情を持ちません。その点において、浮世絵の皮膚の線と類似しています。そして、どちらも描いた線を彫られた線や鉄に置き換えている点でも同じです。

浮世絵の様式美

浮世絵の大首絵の美しさ、迫力はどこからくるのでしょうか。私は、その大きな要因は、巧みな様々な線の組み合わせにあると考えています。太く力強い着物の線があることで顔や手の細い線がより細く感じられ、そのことが、女性美(繊細さ)につながっているように思います。
また、鉄筋彫刻についても同様なことが言えます。
顔や手などは細い線、楽器や服の線は太く表現しています。たとえば、肩の線を1本の太い線で表すことで、肩の膨らみまでも感じることが出来ます。

写楽の線に改めて感動

4大浮世絵師展を見た時、発見をしたことがある。それは、人物では歌麿が一番と思っていたが、写楽をまじまじと見た時、その線のすごさに感動した。これでもかという程、精巧に彫られ極細なのだ。特に顔の輪郭、鼻の線、指などだ。歌麿にしても顔の線は細いのだが、写楽は一番だった。江戸時代の浮世絵は人気商売でもあり、版元が競い合い、技術を高めていった。そうしないと売れ行きに影響したわけだ。いくら絵師達が面相筆できれいな1本の線を引いたとしても、鋭く彫られた線にはかなわない。当時の印刷技術(木版画)の高さと意匠のすばらしさがヨーロッパの印象派をも唸らせたのだと実感した。
 また、役者絵や大首絵の美人が着る服のデザインされた絵柄も色彩的に美しく、それらを忠実に浮世絵に取り入れることで、さらに引き立てた。そうすると、江戸のファッションのセンスもすばらしかったということになる。粋に代表されるようなファッションのセンス、その色彩感覚、全てが江戸の文化を作り、日本の文化となったのだ。


観る人に委ねる想像力

鉄筋彫刻の最も大きなオリジナリティは、「線の省略」でしょう。
線だけで表現されていながら、3次元の中に立つ。その不思議さです。空間に線画スーと消えて行く。でも観る者は、あたかも空間に線画描かれているように見えるのです。この省略された部分は一種の「間」であり、線だけで3次元の塊を表現することの「矛盾」を解決(ごまかしているとも言えます)しています。言葉を代えれば、辻褄合わせをしていることになります。
そして何よりも、「音楽が聴こえてきそう」と言っていただけるのは、 20年近くライブに通い、現場で感じ、観察し、描いてきた数千枚のスケッチが裏付けています。どえだけよく観て、1枚でも多くの絵を描いたかなのです。もちろん、それらをどれだけ造形したかが大きな要員であることは、言うまでもありません。


「女手」の感性

書、特に「ひらがな」の持つしなやかさ、女性らしさ、この日本特有の線に対する感性をなんとか自らの作品の中に取り入れ、モダンに昇華し、世界にアピールしたいと思っています。わたしが考えるに、日本はやはり「美しい線」の国ですから。