<知事の基本姿勢について>
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我が国は、第2次世界大戦の敗戦の中から、先人のたゆまない努力の中で飛躍的に成長してまいりました。貧困の時代から大量生産・大量消費の時代を経て、今は質の時代を迎えております。経済は、バブルがはじけて以来長期にわたる景気低迷が続いていますが、好景気、不景気を繰り返しながら大きく成長し、世界でも屈指の経済大国になりました。特に20世紀最後のこの50年間というものは、極めて速い流れの中で時代が流れ、世界のあらゆる社会構造が大きく変化をした時代でもありました。だれがこうした社会を想像したでしょうか。人間の限りない想像力の豊かさに、同じ人間でありながら、ただただ敬服するのみです。
こうした大きな社会の流れの中で、我が国においても、1990年代に入るとあらゆる社会システム、社会制度が硬直化し、十分に機能しなくなると言われてまいりました。そうした状況の中で、行政制度を初め教育、福祉、金融等あらゆる分野において、制度やシステムの見直し、規制緩和などが積極的に推し進められております。21世紀を目前とした今、まさに時代の流れの大きな節目にあるととらえております。
過去の歴史的経過から、時代が混迷したときにはカリスマ性のある指導者が求められてきましたが、鳥取県においても、昨年の知事選挙において、多くの県民の皆さんの支持の中で片山県政が誕生したわけです。この時代の節目に誕生した片山知事には、多くの皆さんの期待が寄せられているわけです。別に片山知事がカリスマ性が極めて強いと申し上げているのではなく、こうした時代の変革期にあっては、力強いリーダーシップのある知事を県民は求めているものと思っております。
私は、カリスマ性と強いリーダーシップは紙一重だと思っております。片山知事はこうした県民の期待にたがわず、就任早々から多くの県民が驚くような、鳥取環境大学の見直しを初め県立美立館、砂丘博物館、カニ博物館等の見直しを大胆に提言をされてまいりました。
そこで、片山知事に、この1年6カ月の片山県政を振り返って、2点のことについて基本姿勢をお伺いします。
まず第1点は、片山知事が思いをはせるところの県政が、この1年6カ月の間に進めることができたのかどうかをお伺いします。もし不満があるとするなら、どこに問題があり、今後どう対応されていきたいのか、お伺いします。
また、就任前に考えていたことと知事に就任してみて現実のギャップとして何かあったとしたら、それは何なのかをお伺いします。
第2点として、知事に就任以来、厳しい財政状況を反映し、あれかこれかという事業の選択を迫られる中、県民が驚くような見直し提言を次々とされ、県民の皆さんの声を聞いてきておられるわけです。しかし、一昨日の小玉議員の質問に対して、それぞれの大プロジェクトについて答弁がなされてきたところですが、すべての事業が、検討していただいておりますとか、検討していただく予定ですとかという答弁でした。多くの県民は、あれかこれかを選択する議論の一端として理解していると思います。何か事業を実施するための議論のように思われてなりません。片山知事は、議論の方向性を明らかにすべきであると思いますが、御所見をお伺いします。
また、片山知事は、大プロジェクト事業についての議論の時期を限定しないということでしたが、私は、結論の出ないだらだらした議論をいつまでも続けても切りがないと思います。一定の期限の中で集中的に議論をし、一定の方向を出すことが、県民の皆さんの期待を引きずることなく賢明な方向であると思いますが、いかがでしょうか。
さらに、議論終結の政治決断は、例えば議論の自然消滅を待たれるのか、中部ダムのように片山知事みずからが政治判断をされて議会に提案されるのか、それとも議会に判断のすべてをゆだねられるのか、あわせてお伺いします。
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●知事答弁 |
最初に、私、昨年4月に知事に就任しまして、今約1年6カ月たちました。この1年6カ月を振り返って、思いどおりに仕事を進めることができたのか、不満はないのかという御質問でしたが、私なりにこの1年6カ月の間一生懸命県政に取り組んでまいりました。大変充実した手ごたえのあった1年6カ月だと思っております。
思いどおりにできたかどうかというのは、一つ一つ挙げれば切りがありませんが、1つは、私が選挙のときの公約で一番重要だと思って言っておりましたオープンな県政、情報公開をして、オープンな議論をして、その中から合意を形成しながら県政を進めていくという手法について、当初ある程度の戸惑いを県民の皆さんとか県職員に与えたことがありましたが、だんだんとその私の手法というものが受け入れられてきたのではないかなという満足感を持っております。これからもぜひわかりやすく透明性の高い行政にしたいと思いますが、その一歩二歩進みつつあるという実感を持っております。
これはどこの県もそうですが、県政が従来中央志向といいますか、中央集権体制の中で何につけ中央に伺いを立ててから物事を判断するというくせがありましたが、鳥取県政はこれからは現場、当事者の方に視点を移して、そこに関心を持って、そこから課題を見つけて県政を進めていこうと、常に私は申し上げているところでありますが、その視点の転換ということについても、徐々に理解を得つつある。これは県庁の中もそうですが、少しずつ前進をしてきたという気持ちも持っております。
もちろん個々の具体的な施策についてみますと、必ずしも全部が理想どおりといいますか、私が考えていたとおりになったとは申せません。現実の政治や行政を行っていくのは合意を形成していくわけですから、私一人の考え方ですべてが進むというのは、これはまた逆に言えば変なことで、独裁や独善につながるわけです。議論の中からそれぞれ当事者が妥協しながら合意をさぐり、そして、それを具体的な施策にしていくということですから、当たり前のことだろうと思います。民主主義とはそういうものだろうと思います。そういう意味で、私の思ったとおりできなかった面はありますけれども、だからといって不満があるとかということは一切ございません。
いずれにしても、私はこれからも常に私自身の理想を持って、志を失わないようにしながら、理想と現実の間を一歩一歩埋めていく努力をしていきたいと考えているところです。
大規模プロジェクトの見直し、いわゆる大型箱物の見直しについて、中部ダムを思い切って見直したと同じように、この際結論をつけてしまえばいいのではないかという御指摘だったと思いますが、中部ダムの場合と美術館や砂丘博物館などの大規模プロジェクトとは、事情や性格がやや異なるのだろうと私は思っております。
といいますのは、中部ダムの場合には、ダムをつくることによって達成される目的というものが、コストのより安い別の手法で達成できるということが明白になったわけで、もうダムをつくるかどうかというのはその時点で選択肢としては著しく後退したというか、ほとんどなくなったと判断をしたわけです。もちろん長年悩んでこられた地元の皆さんの納得をどうやって得られるかということは残った課題でしたが、いずれにしても、ダムをつくるという選択肢はもうないということがほとんどの人にとって明白だったと思います。したがって、ああいう見直しを提言したわけです。
しかし、いわゆる大規模プロジェクトといいますのは、美術館にしてもそうですが、あった方がいいのかない方がいいのかと言われれば、あった方がいいにこしたことはないと思うのです。財政事情の問題さえなければ。要は財政の現状において、今つくる必要があるのかないのか、もっと先にした方がいいのかどうか、つくるとしてもどういう内容のものがいいのか、論点はそこだろうと思うのです。
美術館はない方がいいというのは、私は少し暴論だろうと思うのです。ですから、余り急ぐことはないということを申し上げたのです。もっともっとこの議会でも議論をしたらいいと思いますし、県民の皆さんからも意見を聞いて議論して、そして、その中からおのずから議論が収れんする時期もあるだろうと思います。また、財政事情も今とは変わることもあるかもしれません。そういう中でもう少し余裕を持って議論をすればいいのではないかという気がしますので、今性急にあれもこれもやめてしまえという、そういう結論を出す必要はないと考えております。
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<知事の基本姿勢について>No.2 |
長らく行政に携わってきた私にとりまして、知事の発言の中で極めて印象でありましたのは、行政の絶対性をさらりと否定されたことです。つまり、執行部が提案したものが議会で否決されたり修正されることは執行部の不信任という既定概念が、長い間官庁勤めしておりました私にとりましては極めて新鮮でした。市町村の段階では執行部不信任の概念が依然として強く、根回しが充実した議会であり行政であるため、議会での議論が成熟しないものと思っております。片山知事に執行部不信任の概念について御所見をお伺いします。 |
●知事答弁 |
いわゆる長の不信任という問題ですが、その前段階で、従来は、首長が提案したものが議会で修正されたり否決されたりするのはすなわち不信任と同じだと、そういう物の見方があったが、ということです
しかし、私はそれは間違いだと思います。議会というのは、執行部が出したものを全部100%そのまま通すというものではないと思うのです。我々も、私を含めて一人一人の人間の集まった執行部ですから、間違いもある可能性は十分ありますし、決して無謬絶対ではないわけですし、一つ一つの政策ですとか物の考え方というのは極めて相対的なものが多くあるわけで、私がいいと思っても、他の人はそれよりもこっちがいいとか、そういう相対的比較の中で物事を決めていくわけです。したがって、こういう大勢の住民の皆さんの代表の議会で最終的には物事を決めようということですから、当然執行部が提案したもので間違ったものは正していただければ結構ですし、よりいい考え方があれば、そちらの方に修正をして切りかえていただくということが議会の本来の役目だろうと私は思います。長が提案したものが一部修正されたり否決されたりすることが、すなわち長の不信任につながるというのは、誤った考え方だと思います。
しからば不信任とは何かといいますと、これは自治法上明らかで、議会で長の不信任の決議をしたとき、これは明らかに不信任です。その後の手続は、議会を解散するか長が辞めるかというような手続がございます。
それと同じように、信任のための議決案件を出したとき、それが否決されたという場合も、恐らく同じような意味合いになるだろうと思います。
さらには、多少技術的でありますけれども、議会の議決に対して長が再議に付した場合で、災害復旧費の予算、これはどうしても要るということで長が再度議会に再考をお願いしたときに、議会がさらに削除とか減額をしたとき、これも、それは長に対する不信任だとみなすことができるということが自治法に書いてありますから、そういう場合が不信任ということになるのであろうと思います。
日常さまざまな議案を提案して議論して、大半の場合は長の提案のとおり可決していただいておりますが、今後修正があったり否決されても、それは不信任ではないという、そういう了解が私どもは必要だろうと思います。
そうでなければ、本当に議会が始まる前に全部100%の根回しをして、水も漏らさぬ体制を敷いて議論をしないということになってしまい、それでは私は、重要な案件が議会の議論を通して県民の皆さんに伝わるというオープンな行政ではなくなってしまう、こう考えております。
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