平成17年9月定例会代表質問(平成17年9月26日)No.1
<知事の基本姿勢について> | |
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●知事答弁 | |
例えば比較的期待どおりに進んだと思われるのは、先般も少し申し上げましたけれども、県政の透明化という点で、情報公開でありますとかオープンな議論を通じて物事を決めていくという、その透明性の点についてはかなり進んだと思っております。この透明化を進めることが県政遂行の過程で非効率を排除し、不公正をできるだけ除去するという効果につながってきていると思っています。その他、例えば教育環境を充実させる、これももちろんまだまだの面はありますけれども、以前に比べると、例えば少人数学級を導入するとか、それから学校図書館の人的基盤を整備するとか、いろいろな分野で教育面での環境整備も進んできたと思っていますし、これもまだ途上ですが、文化芸術の面でも従来よりもすそ野が広がってきているのではないかと思っています。 反面、なかなか難しいなと、自分でやってみて難しいなと思う面もあります。例えばDVの問題などは、DV被害者支援対策というのは随分進んで、全国でもモデルと言われておりますが、肝心のDVの発生抑制というか、発生をいかに減らし、なくすかという面では、これはいまだしの感があります。何とかならないかと思うわけですけれども、なかなか思いどおりにいかないというもどかしさも感じているところです。 そういう面でいいますと、例えばこれも先般少し議論しましたけれども、雇用面で民間雇用をできる限り創出する、特に若い方々の雇用の場を創出するということについても、これは民間企業がどれだけ雇用の場をつくるかということに尽きるものですから、行政でいろいろ後押しをするとか補完的な措置を講じても、基本的に民間経済の動向によるということで、これももどかしさを感じたりもしています。 いろいろなことがありますけれども、ただ、自分としては不満といいますか、そういうことは余りありません。というのは、ひとりよがりで思い上がっているというわけではないのですが、自分なりに精いっぱいやって、できるものは進むし、難しいものはなかなか進まないということで、何か手抜きをして後悔をするというようなことはないものですから、結果は甘んじて受け入れるといいますか、結果にはそれなりの自分の満足感を得ているところです。進んでいる点はさらに進めたいと思いますし、進んでいない点は、まだ自分が努力をしなければいけない、その余地だと思って頑張りたいと思っています。 今後、どの部分に、どういう点に重点を置いていくのかということですが、これは常日ごろ申し上げているように、できるだけ自立度を高める、これは県の自立度、県庁の自立度を高めるということだけではないわけで、県内の各層、例えば農業においてもしかりですし、それから市町村もそうですし、一人一人の県民の皆さん、各企業、それぞれの主体ができるだけ自立度を高めていくということがこれからの県政の大きな課題だと思っています。それは従来、ともすれば国や行政に依存する傾向が強い、これは日本どこでもそうですけれども、そういう傾向が強かったのですけれども、これからは政府自体が従来のように頼りにならないといいますか、従来からそんなに頼りがあったかどうかわかりませんけれども、必ずしも従来どおりにはいかないという面があるものですから、やはりそれならば我々自身が、一人一人が自立度を高めていかなければいけないということだろうと思います。 政府が進める改革に対してどういう感想を持っているかということですが、政府がいろいろな改革を標榜して、いろいろなことに取り組まれています。今回の総選挙の争点になった郵政民営化などもその1つだと思います。そのほか例えば国立大学の改革ですとか地方財政の改革ですとか道路公団の改革ですとか、いろいろなことを政府はやられていますが、私はその政府が手がけている改革に幾つかの顕著な特徴があると思っています。それは1つは、政府が改革をするというのは、当然システムがうまくいかなくなったから、それを改善しようということで改革をするわけです。では、そのシステムがうまくいかなくなった原因は何か、責任はどこにあるのかということ、これが一番重要なのですけれども、そこのところに手をつけないというのが政府の改革の一つの特徴です。 例えば今般の郵政民営化について、よく言われるのが、郵貯が肥大化をしている、それから経済原則を無視して郵貯が集まり過ぎている、これは肥大化ということですけれども、それから郵貯の貸出先が焦げついているのではないか。例えばその貸出先は道路公団などですけれども、焦げついていると。よって郵貯は民営化しなければいけないと、こういう筋書きがあるのですけれども、よくよく考えてみますと、郵便貯金が肥大化した原因は何かというと、それは郵便局の職員が集め過ぎたということではなくて、郵便貯金制度のシステム、例えば金利の決定の仕組みですとか、それから集めたものはどんどん財政投融資の方でのみ込んでいくというシステムが背後にあったからです。その金利の決定も、決して郵政省が勝手に決めたわけではないのです。それから運用の方は、従来ずっと大蔵省の資金運用部が運用していたわけです。その運用先を決めるのも、予算で大蔵省の方で決めたわけです。もちろんそれは最終的には予算の承認ということで政治が最終的な決定権を持っていたわけです。そうすると、郵貯がこんなになった、こんなになったと言うと失礼ですけれども、いろいろ問題を抱えるようになった原因は何かというと、もちろん郵政省にも、郵便局にも原因はあった、その一端はあったわけですけれども、一番大きいのは、むしろ財務省とか政治にあったわけで、本来そこの責任を問わなければいけない、そこから改革は始まるのですけれども、そういうことは一切言わないというのが政府の改革の特徴です。 地方財政が今破綻寸前になっています。本県でも日野町がいずれ近いうちにいわゆる準用再建団体を目指そうというような発表をこの間されておられましたけれども、似たり寄ったりの悪い財政環境に今あるわけですけれども、その原因は何かというと、それは個々をとってみると乱脈をきわめたとか、そういうところもあるかもしれません。大阪市のようにいろいろな変なことをやったということもあるかもしれませんし、いろいろなことがあるのですけれども、全体を通じて言えることは、それは例えば政府の政策に忠実であって、その中で景気対策を一生懸命やったとか、単独事業を積極的に実施したという、そういうところが借金まみれになっているわけです。その借金も政府が後でちゃんと面倒見るからねというメッセージがついていたわけですけれども、それが実施されていない。そこで今日の自治体の財政破綻というのがあるわけで、それならば、原因を追及していったら、各自治体ももちろん責任は免れませんけれども、政府の大きな政策、財政政策というものがその背景にあったということは、これ火を見るよりも明らかですけれども、政府はそういうことは一切言わないわけです。規模が小さいから自治体がおかしくなったので合併しなさいと、こういう処方せんしか出てこないわけです。要するに物事が悪くなった、システムが破綻するに至った原因、責任というものを解明しない。そのままびほう策といいますか、取り繕って改革をしていこうというのが今の政府の際立った特徴だと私は思っています。そういうところから何が出てくるかというと、それはちゃんとした改革はできないということです。物事の原因、悪くなった原因を明らかにしないで、つまびらかにしないで改革をしようと思っても無理なのです。 もう1つは、物事のシステムが悪くなった原因をつくった人たちが実は改革の旗を振っている。今、地方財政を何とかしようとか合併しろと言って旗を振っているのは総務省の人ですけれども、総務省の人たちが一生懸命単独事業をやれ、公共事業をやれ、後で交付税で面倒見るからと言った、そのことには一切口をぬぐっているものですから、本質的な解決にはならないわけで、したがって今日の財政破綻を招いたと同じような合併特例債の大盤振る舞いだとか、そんなことにつながってしまうわけです。これが私は、多少手厳しいかもしれませんけれども、今の現下の政府が行っている改革の大きな特徴だと思っています。 もう1つは、官が手放して民の世界に移行させればうまくいくという、この手放しの――手放しといいますか、無邪気な考え方があるのではないかと思います。官がやってうまくいかないものが、それが民に移ったらすぐうまくいくというのは一種の幻想だと思います。もちろん民に移ったらうまくいくかもしれません。でも民に移ってもうまくいかないかもしれない。民に移ったらもっと悪くなって倒産するかもしれない。これはわからないのですけれども、とにかく官から民へ移せば物事がすべてうまくいくという、そういう単純な発想にとらわれているのではないかという気がします。したがって、民営化ということが非常にもてはやされるわけです。けれども、何度も、これも申し上げたと思いますけれども、道路公団の民営化一つとっても、民営化だけでは道路公団は立ち直らないわけです。それは、はしなくも先般の橋梁談合汚職が発覚したことに伴って、それが道路公団に飛び火して、道路公団の発注の問題が明るみになって副総裁が逮捕されるということになったのですけれども、あれは、民営化の過程ではああいう問題は明らかになっていないわけです。ですから、もし橋梁談合汚職が発覚しなかったら、あのまま、あれが内包されたまま民間会社になっていて、しかも今度は国会などのチェックがきかなくなりますから、あれがもっと増幅されるかもしれないということも当然予想されるわけで、民営化が決して切り札にはならないということです。 もう1つは、民営化しか手段がないような感じですから、民営化できない部分については改革が全く手つかずになるという傾向もあります。これは例えば外務省の腐敗の問題が先年ありましたけれども、外務省改革は一体どうなったのか。うやむやになっております。あれも、外務省はもとより民営化できませんので、そうすると政府の改革の持ちごまの中に民営化という手段しかないとすれば、外務省なんかは改革できないということになってしまって、現実に改革できていないわけです。こういう特徴が政府の改革にはあるのだろうと思っています。 これをどうすればいいのかということですけれども、答えは簡単で、民営化よりも透明化です。透明化すれば、よって来る原因とか責任というのははっきりします。したがって一番のキーワードは透明化です。透明化によってそのシステムがまずくなった原因を明らかにして、その責任を追及していく。さらに二度と同じことを繰り返さないようにシステムを改善していく、その過程で民営化ということが有効な手法であれば、それをとればいいわけですし、その他の選択肢があれば、その選択肢を選べばいいわけです。民営化ではなくて透明化ということが私は――民営化してはいけないというわけではないのですけれども、まず透明化が先行すべきだということです。 このたびの選挙でみずから国政を変えようという元気がわいてこなかったのかという御質問でしたが、私も国政は変わってもらいたいというのは、体質が変わってもらいたいと思っていまして、であるがゆえに先ほどのように政府の改革に対する若干の憎まれ口もたたいているわけですけれども、そういう意欲はもちろんありますが、それはいろいろなアプローチの仕方、手法があると思います。例えば私の親しくしております武蔵野市長、東京の武蔵野市の前市長の土屋さんのように、みずから国政に打って出るという方ももちろんおられますし、それから長野県の田中知事のように、知事と党首を兼務するという、そういうやり方で国政に関与するというやり方もありますし、私の場合にはそのいずれでもなくて、自分でこの鳥取県政というものを真剣に改革すべきところを改革しながら一つのモデルというものを提示するという、こういうやり方も国政への、間接的ではありますけれども、影響を与えるということはあるのだろうと思います。国政が本当に透明性が低いという中で、鳥取県政のように透明性が高い一つのビジネスモデルといいますか、改革モデルができると、おのずからそれを両者が比較をして、国政も改革すべしという声が沸き上がってくるはずで、そういうやり方もあるのではないかと思っております。 今後どうするのかというのは、これは先般の藤井議員の代表質問のときにもありましたけれども、本当に私は、今何も考えていないと言うと何か考えなしみたいに思われるかもしれませんが、本当にその後のことは何も考えておりません。ありきたりの答弁になりますけれども、この今の任期を全力で全うするということです。 |
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