平成16年9月定例会一般質問(平成16年9月28日)No.1

<職員団体に対する知事の認識について>

 私は、赤碕町役場に在職中、町職の執行委員長を経験しておりました。折しも当時、事業のし過ぎにより、他町より一足早く財政危機に直面、予算編成がままならない状況に陥ってしまいました。そこで私たちは、仕事が終わってから連日、組合独自でなれない財政分析を行い、財政見通しを立て、財政再建に向けた計画案を町当局に申し入れを行うとともに、組合としても全組合員に1年間の昇給延伸を実施したという苦い経験があります。

 今思い起こせば、当時一番つらかったことは、組合組織のトップリーダーとして全組合員に事のてんまつをすべて明らかにするとともに、納得していただき理解と協力を得るという作業でありました。つまり、今で言う情報公開と説明責任でした。過去の一般質問でも言いましたが、鳥取県版ニューディール政策を実施されるにあたり、職員給与の5%カットにおいては、それまで交渉責任者であると言われた総務部長にすべてを任せるのではなく、片山知事みずから組合交渉に臨まれる姿は、使用者責任がみなぎり、とてもりりしく感じたところでした。

 ところが、最近、6月定例議会並びに定例記者会見における片山知事の発言に対して、公務員の皆さん以外にも県内の労働者の皆さんから、使用者責任が薄いのでは、組合軽視だ、強引だなどと知事の発言に対して違和感を唱える声が私のもとに届いてまいりました。私なりに考えますと、少し説明不足の部分があったのではないかと思うところですが、知事の本心をお聞かせください。

 確かに今日の成熟した社会にあっては、労働者と使用者の関係も新たなるステップに入ろうとしていると思うのです。過去の一時期のように、取れるものは何でも取ろうという時代ではなく、特に公務職場においては、本当に必要なものは必要なものとして情報公開し、説明責任が果たせるものでないと納税者の皆さんの理解が得られないのが現実で、そうした共同作業が労使間に必要ではなかろうかと思います。知事は交渉当事者として、今日の鳥取県における労使の認識並びに交渉能力についてどのように理解をしておられるのか、お伺いします。

 ここからは少し込み入った質問をさせていただきたいと思います。

 知事も御存じのように、地方公務員法第52条においては職員団体について定義され、目的を勤務条件の維持、改善を図ることとされております。このことは最高裁の判例にもあるように、地方公務員も勤労者であり、労働基本権は原則に保障されていることから、職員団体とは実質的には職員組合を、勤務条件とは労働条件を意味するものです。つまり、みずからの勤務条件の維持、改善を求めることは、民間労働者と同様に県職員においても重要なことであるとともに、職員相互の士気を高め、県民への行政サービスをより充実したものにするためにも大きな意義があります。このことから、使用者である知事と県職員で組織する職員組合との間に安定した信頼関係があって、初めて職員は安心して職務にも邁進できるものと思います。

 確かに過去、公務員の労働運動は社会運動と連動し、政治的闘争色が強く、鳥取県だけの労使の関係の中では解決できる問題ではありませんでした。また、行政の中身や行政サービスのあり方についてもほとんどが機関委任事務であったため、労使で協議すること自体にも限界があり、すべてに解決能力を持てなかった時代でもありました。民間では経営が労働者の利益配分に直接影響を与えることから、すべての課題について労使で協議するようになっております。このことは、競争原理が強まる中、労使とも同じ危機感を持たなければならない状況からです。公務員における労使関係についても、公務の特殊性から来る制約は存在するものの、基本的には民間と同じ考え方に立った上で、労使とも社会情勢を考慮した交渉を行い、合意したものについては労使協約を結び、条例化するという誠実に履行する責任ある労使関係、成熟した労使関係が求められていると考えるのですが、知事としては労使関係のあり方をいかがお考えなのか、お伺いします。

 次に、勤勉手当への成績率の反映についてお伺いします。

 6月期末手当における成績率を反映した勤勉手当の支給については、職員の皆さんから随分不満の声が聞かれました。また、成績率を判断する管理職の皆さんからも、判断する基準が明確に示されず、職員に説明できないというぼやきや苦情があったと聞いております。職員から聞く不満の声の多くは、成績率を判定する期間が12月から5月であるのにもかかわらず、職員組合を通じて提示されたのは1カ月前の4月末であったこと。また、どの職場にも努力不足の職員が必ずいるという前提での相対評価であったこと。組合との合意、つまり職員への説明と納得を得る時間と努力が不十分であったことなどです。
 そのためか、現業職員で組織されている公営企業労働組合の皆さんは、制度上の権利として地方労働委員会へあっせんを求める事態に至ったそうです。最終的に労使間により自主的な解決が図られたことは、お互い解決能力を持っていたことと大変評価をしますが、労働行政を一つの業務として推進している行政組織としては、県内の労使関係のモデルともならなければならない立場にあることから、地労委へのあっせんということは余り好ましくないことではないかと考えます。12月期の勤勉手当支給に向けては、一度白紙に戻して、労使間で協議、交渉を重ねていかれると聞いておりますが、これらの対応について知事の所感を求めます。

 次に、労使合意と議会の関係についてお伺いします。
 憲法28条では、すべての労働者の労働基本権を保障しており、最高裁もこのことを認めているように、一般の地方公務員も労働者である以上、その給料を初めとする労働条件の決定は、労使対等の原則のもとに労使自治による労使交渉で決定することは、現在の民主主義国家において広く認められている基本的な原則です。
 民間の労働者の場合、当然これらのことは労使間で決め、労働協約を締結していますが、地方公務員の場合、給与、勤務時間、その他の勤務条件については条例で定めると地方公務員法第24条に定められております。したがって、条例で定めることは、憲法及び労働基準法の諸規定と連携して、地方公務員の勤務条件を保障することを前提にしていると理解すべきであると思います。

 現業職員以外の公務員には争議権と労働協約締結権がないなど労働基本権に重大な制約があり、勤務条件を条例で定める意義については、地方公務員という労働者としての生活権を保障するという観点から、職員組合との交渉による労使合意を尊重した勤務条件を条例化することで保障する趣旨と解釈すべきで、使用者である当局が、合意された勤務条件を一方的にその決定を否定し、議会が排他的に条例を定めることを想定していないと思うのです。このことをさらに保障するために、別の条、つまり第55条において、職員団体と当局の交渉によって勤務条件が決定される手続が予定されているのです。

 また、現業職の地方公務員は、地方公営企業労働関係法に基づき、団体交渉により労働協約を締結されることが認められ、例えば、条例規則に抵触する労働協約が締結された場合には、条例規則を改正しなければならないと定められております。つまり、現業職員の地方公務員は、労使交渉において合意し、労働協約として締結された労働条件に関しては、条例や規則に優先することを法が保障していることを意味すると同時に、労働協約において締結されている勤務条件については、労使合意のない変更を排除しているのです。

 しかし、現業職員以外の地方公務員には、交渉する権利は認められておりますが、労働協約を締結する権利は剥奪されており、労使の合意に基づかない勤務条件の変更であっても、条例化し、実施することが規定はされていないのです。このことは、労使の合意に基づかない勤務条件の決定や変更を容易にするものではなく、権利が剥奪されていることを考慮して、より誠実で合意を目指した誠意ある労使交渉の必要性を求めているものと解釈すべきだと考えます。このことについて片山知事の認識をお伺いします。 

●知事答弁
 
 最初に、労使の関係ですが、私が、記者会見だとか議会での発言もそうかもしれませんが、組合軽視で強権的だということで違和感を訴える方が多いという御指摘がありましたが、私自身も直接組合関係の皆さんからそういう話を伺ったことがあります。そこで、何が組合軽視と映っているのかということが私もおおむね了解できましたが、要は最終的には議会が決めるのですよというその1点です。
  ちょっと強目の表現をしますと、組合の皆さん方は、労使が一番大事なのだから、労使で決めたことが絶対だという認識を持っておられる方が多い。ところが、今の地方自治法とか地方公務員法の制度の中で、実定法の中で私たちは仕事をしておりますから、実定法に照らし合わせて考えると、労使で決めたことが決して絶対ではありません。最終的には議会の条例、予算で措置がされなければ、幾ら労使で決めてもそれは効力を生じないのですよという、ここのところの考え方の違いが実はあって、組合の皆さんからすれば、私のように最終的には議会が決めるというシステムになっているのですよと言うことについて、組合軽視だという御批判をいただいているところです。
 この種の誤解──私から見ますと組合の皆さんの考え方は誤解だと思うのですが、この誤解が生じたことについては、やはりゆえなしとしない面があり、従来鳥取県では、労使で決めたことが絶対というようなことが現実にあったようです。労使で決めたことは何が何でも実現させる。逆に議会の方は、言うとまた失礼になるかもしれませんが、労使で決めたことに対して余り吟味をしない、そのまま通すということがずっと長い間続いていたことから、そういう一つの錯覚が生まれたのではないかと思います。

 もっと言いますと、労使で決めたことの全部を必ずしもオープンにしていなかったのではないか。すべてを議会に話もしていなかったのではないか。これは使用者側の方も悪いのです。あとは根回しとか談合とかで通してもらっていたと。したがって、結果として見れば、労使で決めたことはすべて実現している。こういうことがずっと慣例としてあったものですから、労使が絶対だというそういう意識が生じてもやむを得ない面があったのかもしれないと思いますが、これは実定法から見たら間違いだということを、私は今組合の皆さんにもお話をしているわけです。

 もちろんそれならば、最後は議会が決めるのだから労使は何でもいいのだ、適当に決めておけばいいのだというわけではありません。労使は、やはり使用者側と労働者側とで誠実に話し合って、真剣に交渉して、そして、交渉の結果は真剣に誠実に実現に向けて努力をしなければいけない、これは当然です。

 使用者側だけで、知事側だけで、執行部だけで実現できることはあります。例えば規則を変えればいいとかそういうことはできます。しかし、それが条例事項に及ぶ場合には、当然今度は誠実に組合との約束事項を議会に諮って、議会で承認してもらわなければいけない。いわば国際関係における条約の批准のようなものかもしませんけれども、議会で承認してもらわなければ効力は発揮しない。また、必要な予算も予算案として提出して議会の承認を得なければ発効しない、これは明白です。

 したがって、そのために何が大事かといいますと、誠実に交渉する。そして、妥結するに当たっては、当然議会で承認が得られるかどうかということを我々はよく念頭に置いておかなければいけない。何でもかんでも妥結するわけにはいかない。ぎりぎり議会がここまでは承認してもらえるだろうということをよく頭に入れて交渉をする。そして、妥結した内容については、今度は議会に対して誠心誠意その実現をお願いする。条例なり予算なりの承認をお願いする。こういうことが使用者に課せられた義務だと私は思うのです。

 ただ、ここまでは当然議会が承認してもらえるだろうと思っていても、思い違いだとか意見の食い違いはありますから、場合によってはせっかく妥結したことも議会で修正されたり、場合によっては否決されたりすることがあるということはよく考えておかなければいけない。そういう了解をやはり労使の間であらかじめしておかなければいけない。そんなことは絶対認められなくて、労使で妥結したことは是が非でも、羽交い締めにしてでも議会を通さなければいけないということになると、誠実で真剣な交渉はなかなかできないということになるわけで、そんなことを私も直接来られた組合の皆さんには申し上げたところです。

 もう1つは、労使で合意したものを承認してもらうということを先ほど言いましたが、これが一般的ですけれども、先ほど鉄永議員から御指摘があったように、現行の制度であって、確かに条例なり規則なりでそれは有効だけれども、かつてつくった制度が今となってはなかなか県民の皆さんの理解が得られない状態になっているのではないか。これについては早く直せというような指摘も従来ありましたが、そういう点について、例えば労使の間で見直しの努力を怠っているようなことが現実にあれば、そのときには議会が労使の交渉を経ずしても条例を変えてしまうということも、実定法上、制度的にあり得るわけで、我々もそうならないように社会情勢とか県民の皆さんの目線というものをよく見ながら、労使の間で必要な見直しをやっていかなければ、ぼやぼやしていると議員立法で変えられてしまうということもよく認識しておかなければいけない。こういうことを申し上げているのですけれども、多分こういうことが組合軽視だと言われているのだろうと思います。

 以前のように、労使の間でいわば密室で話を決めて、必ずしも全貌を全部議会の皆さんに明らかにしないで大体 100%実現していた時代というのは、確かに組合重視だったかもしれません。しかし、それは私は、反面から見れば議会軽視だったと思うのです。県民軽視だったと思うのです。それではいけないのです、決して組合軽視ではありませんけれども、組合との話し合いもオープンにして、そして全貌を明らかにした上で、県民の皆さん、その代表である議会の皆さんの承認を得なければいけないというのが私の考え方です。

 しからば交渉能力はどうなのか。それだったら交渉能力が完全ではないのではないかと言われるかもしれませんけれども、しかし、今の自治法、地方公務員法上の仕組みがそうなっているのですから、そこは御了解をいただきたい。要するに何が言いたいかといいますと、使用者側が一たん労使の間で認めたことが、議会の承認を得られなければ必ずしも 100%守られないことがあるのではないですか。したがって、不完全な交渉当事者ではないですかと言われれば、それはそうなのです。そういうものとして交渉しなければいけない。もちろん交渉は誠実に行いますということは当然です。

 ただし、その結果というものは、先ほど申しましたように、県民の皆さんの大方の理解と納得が得られるもの、その県民の皆さんの代表である議会の皆さんの承認が得られるものでないといけないと思います。

 そういうことを念頭に置いて誠実に交渉することによって、恐らくは使用者側も労働者側も、県民の皆さんの代表である議会の皆さんから信頼を受ける、信頼される交渉当事者として認められるのではないかと考えているところです。

 労使関係のあり方についてということですが、これは今私が申し上げたことに尽きるのだと思いますけれども、多少重複する面があるかもしれませんが申し上げますと、合意したものについては誠実に履行するというのは当然です。ただし、先ほども申しましたように、首長限りで実現できるもの、実施できるものはできますけれども、事柄が条例とか予算に及ぶもの、条例の変更とか予算措置を伴うものについては、それぞれ所定の改正の手続、予算の承認の手続が要るという制約があるということです。したがって、議会の了解を得られる内容でないといけないということです。

 勤勉手当の成績率の反映についてですが、さきの6月の勤勉手当については、やり方について労使の間で必ずしもスムーズな合意に至らず、現業労組の方が地労委にあっせんを申請をして、その後調停があって解決を見たということの経緯の御説明が伊藤議員からありました。それはそのとおりです。

 実は現業労組の皆さんが地労委にあっせんを申請したということが、労使の間の関係が円滑さを欠いている。これは知事のというか、執行部の姿勢に問題ありという、これも実は批判を受けたのですが、労使の間はやはり対立もあります。意見の食い違いもあります。いつも全部が円滑に調整できるものでもありません。対等の立場で交渉して、どうしても決裂するということはあるので、その場合には、それぞれ所定のアンパイア、現業の場合ですと地労委になりますけれども、そういうアンパイアにオープンな場で調整をしてもらうということはあっていいのだろうと私は思うのです。

 我が国の場合には、訴訟ですとか、訴訟でなくても裁判でなくても、いわゆる争訟機関などに案件を持ち込むことについて非常な抵抗感があるという指摘があります。例えば司法に持ち込む場合には、裁判ざたになったと、まるで裁判に持っていくのが悪いことのように言われるのですけれども、私はそれはむしろ間違いだと思います。こじれてこじれて本当にどろどろになってという状態になる前に、あっさりと裁判とか調停、あっせん機関の調整にゆだねる、アンパイアにゆだねるということが我が国社会はもっとあっていいのではないか。

 ですから、今回も労使の間で合意がつかない。それならばアンパイアである地労委の方に現業労組の皆さんが駆け込んだというのは、私は実はむしろ結構なことだと本心思っているのです。これで例えば労使の信頼関係が全く失われたとかそんなことは決してありません。根に葉に持ちません。ですから、最終的には調停ということになりましたけれども、もっと別な形でアンパイアの裁定が下っても、それはそれでいいと私は思っておりました。そんな考え方を持っております。これもまた組合軽視だと言われるかもしれませんけれども、そういう考えであるということを御承知おきいただきたいと思います。

 そこで、12月はどうするのかということですが、一応の案をまたつくりまして、その案というのは、6月に実施した勤勉手当の成績率の反映の仕方とはまた異なった案をつくって、今組合の皆さんにも提示をして、話し合いをしているところです。できれば円満な調整ができて、ぜひスムーズな実施に結びつけたいと思っております。

 非現業の地方公務員、現業以外の公務員の労働基本権についてどう考えるかということですが、その前に、伊藤議員が先ほど述べられた中に、私伺っていて多少違和感のある説明がありましたので、それについてちょっと言及したいと思いますが、まず現業の公務員について、伊藤議員がおっしゃったのは、労使交渉において合意をして労働協約として締結されたことは、条例や規則に優先することを法が保障していることを意味しているとおっしゃいましたけれども、これは必ずしも正確ではないと私は思います。

 地方公営企業労働関係法という法律がありますけれども、実定法に則して言いますと、労使交渉において合意をして、労働協約として締結されたことの中にはいろんな意味内容が含まれるわけで、例えば規則を改正すれば済むこと。規則というのは長がつくりますので、長が規則を改正すれば済むことについては、基本的には労働協約で締結されたことは長はその規則を改正しなければいけない、これは当然だと思います。

 ただし、もちろんこれは当然のことですが、条例に違背してはいけないということは当然あります。条例に違背しない範囲で労働協約として締結されたことは、長は規則を改正しなければいけない。それはそのとおりです。したがって、この部分においては規則に優先するということが言えるのだろうと思います。

 しかし、条例につきましては議会が決めるわけですから、長が勝手に決めるわけにいきません。議会に提案する義務はあります。労働協約として締結したことを議会に誠実に提案する義務は長には当然ありますけれども、判断は議会にゆだねられております。したがって、伊藤議員が言われたように、労働協約で締結されたことは条例や規則に優先するということは意味しておりません。これは実定法で明らかです。条例の方が優先しております。

 もう1つ重要な条文もありまして、地公労法の10条ですけれども、予算上不可能な支出を内容とする協定は、議会によって所定の行為がなされるまでは地方団体を拘束せず、かついかなる資金も協定に基づいて支出してはならないということが明記されております。したがって、労働協約として締結したことは予算にも優先しない、これも明白です。したがって、労使交渉において合意し、労働協約として締結されたことは、条例や規則に優先することを法が保障している、意味していると先ほどおっしゃいましたけれども、規則には優先しているけれども、条例や予算には優先していないということはよく確認しておきたいと思います。

 長々申し上げましたけれども、肝心の非現業でありますが、非現業は、一般の民間企業の労働者や先ほど述べた現業の公務員に比べて、労働基本権を制約されております。したがって、その代償措置として、地方公務員の場合には中立的な機関である人事委員会というものが設置されております。

 人事委員会はいろんなことをやりますけれども、その1つの大きな役目として、給料表などの条例で決めた処遇内容が適当であるかどうかを毎年度調査する。そして、議会と長に報告をする。議会と知事に報告をする。必要があれば是正を勧告するということになっており、ここで労働基本権が制約されている代償として、中立的な第三者が給料の水準などが妥当かどうかというものをチェックしてくれて、それを議会と長にそれぞれ報告をしたり、勧告をしたりするということになっているわけです。

 したがって、先ほどひょっとしたら既存の条例でも議会が勝手に──勝手にと言うと失礼ですけれども、労使の合意がなくても議員立法で改正するかもしれないというのも理論的にはあり得ますよという話をしましたが、もしそういうことが行われて、給与の水準などが妥当を欠くようになったときには、当然のことながら人事委員会によって、水準が低くなり過ぎていますよということを長だけではなく議会にも勧告する。こういうことで是正されることが制度的には保障されている。これが公務員関係をめぐる実定法上の仕組みです。 

<職員団体に対する知事の認識について>No.2

 ことし2月の県議会でも鉄永議員が職員手当の見直しの質問をされました。その中でもいみじくも鉄永議員は、知事と職員組合との円満な労使交渉の必要性を訴えておられました。

 今日の県政にあって、議員の皆さんの大半が、交渉の当事者である知事には職員組合の皆さんと良識ある交渉がなされるものと信じておりますし、それだけの交渉能力は双方にあると思っております。こうした厳しい時代を乗り切るためにも、また県政を発展させる上にも、職員の皆さん一人一人が生き生き仕事のできるいわゆる環境整備と、良識ある労使の信頼関係が不可欠であると思っております。ぜひ民間を含め他の労使関係のモデルともなれるような職場環境、労使関係を築いていただくことをお願い申し上げます。