平成14年12月定例会一般質問(平成14年12月13日)bP
<市町村の自己責任、自己決定のあり方について> |
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地方分権一括法が2000年4月に施行されて、地方の時代と言われる自治分権の時代を迎えました。あわせて、市町村は地方の政府として自己責任、自己決定という大きな責任が伴う時代になりました。そして、地方分権一括法が施行されて約2年が経過しようとする中、市町村においては、まさに市町村合併の問題の取り組みが自己責任、自己決定、さらには説明責任の試金石として大きく問われていると考えます。 市町村合併のあり方論については、これまでの一般質問を初め、さきの9月定例会の代表質問など、片山知事とは再三にわたり議論をしてまいりましたが、このたびの一般質問におきましては、市町村の自己責任、自己決定について片山知事と議論をしたいと思います。 市町村合併の問題は市町村の自治事務ではありますが、今まさに県下全域で議論が佳境を迎え、合併協議会の立ち上げについて最後の選択に入っていると思います。護送船団方式に進められてきたまちづくりの中にあって、学校統合など一部の問題で住民が議論をすることがあっても、市町村みずからが15年後の将来を真剣に憂い、町のありようを議論することは過去になかったことであり、民意を中心とした議論を形成する手法になれていない市町村にとっては、地方の時代だ、自己責任、自己決定の時代だと言われても、戸惑いの方が大きく、依然としてその大半は旧態依然の政治手法で合併議論が進められているように思うのは私だけでありましょうか。 全国各地で合併問題に対する取り組みへの手法、さらには決定のあり方をめぐりさまざまな問題が発生しています。県内では余り表面立って大きな問題としては取り上げられておりませんが、大なり小なり合併問題に対する取り組みへの手法、決定方法には釈然としない住民が多いものと思います。つまり、地方分権一括法が施行されて2年になろうとしているわけでありますが、市町村においては全般的に新しい時代への体質改善が進んでおらず、相も変わらず旧態依然のままの手法で、なぜ合併が必要かという議論の前に市町村長や議会が合併の結論を見出そうとしているから、大きな無理が生じていると思います。 広江議員の代表質問の中で、現在県下で進められている一部の合併議論のあり方について、片山知事は「帝国主義的な蚕食」などと厳しく批判をされましたが、私は、学校週5日制の問題のときと同じく、同じ手法で厳しい批判の声が上がることを覚悟と、そして期待をしながら県民に問題を投げかけられたと理解をしました。ただし、私も表現がまずいと思います。私なら気がせいてもあのような表現はしませんし、もう少し気を遣います。(笑声)また、古風な表現は頭のよい片山知事ゆえの発言であったと思います。 私は、地方分権一括法が施行される前から、この議会の場において、地方分権における基礎的自治体として、民意を柱としながら自己責任、自己決定等のあり方について知事と何度となくやりとりをしてきたところですが、このたびの合併問題の議論を見てみると、結果的には、おしりに火がついたような状況の中で駆け込み的に結論が出されていることに危機感を感じております。 そこで、片山知事にお尋ねしますが、市町村が合併するに当たり、すり合わせをしなければならない業務がどの程度あると考えておられるのでしょうか。私が聞き及ぶところ、 3,000以上に上ると聞いています。いずれにしても、合併協議会を立ち上げたとしても、膨大な時間と労力を必要とすると言われております。つまり問題なのは、合併を進める上で膨大な時間が必要とされているのに、国は期限を区切り、合併を強引に進めようとしていること自体に無理があり、その前段として合併の必要性、さらには是非を問う議論に十分な時間をとることができない状況をつくっているということ、まちづくりを検討するのに必要な税源移譲、補助金の見直し、交付税の見直し、つまり三位一体の改革については先送りされたままで、ただ合併特例債だけを前面に出し、国の思惑どおりの合併を進めようとしているところに大きな問題があると思います。 そして、もう1点、県としても大きな責任があると私は思います。片山知事は、町村が合併する規模の人口としては2万から3万人が理想であり、市を中心とする大規模合併はお嫌いのようでありますが、なぜ県は、自由選択のパターンを含めてでありますが4種類の合併パターンを示されたときに、東部1市、中部1市、西部1市という現実的でないパターンをあえて示されたのか、私にはいまだに理解できません。私は、このパターンがあったために、東・中・西それぞれにおいて市を中心とする大枠の合併議論から入ったため、議論が遠回りしたのではないかと思うところでありますが、片山知事の御所見をお伺いします。 また、知事は以前、地方分権の時代だから、合併議論においても市町村の責任で議論を深め、結論を出してほしいと答弁をされていましたが、私は、市町村としては自己責任、自己決定を十分に理解できていないところもあり、議論のための情報公開のあり方、そして議論の透明性が少ないため、議論の本質に踏み込むことなく、住民の皆さんの不信を招く議論になっているのではないかと思いますが、片山知事の御所見をお伺いします。 |
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●知事答弁 | ||||
市町村合併を具体的に進めるに当たって、どういう事務作業があるのかということですが、これはもう既に先行しております東伯郡の東郷、羽合、泊の3町村で、ここは一番最初に合併協議会をつくったところでありまして、本当に地道に事務のすり合わせをされております。敬意を表したいと思います。 ここなどの経験によりますと、事務のすり合わせをする必要がある件数が 3,000件ぐらいあるのではないかということであります。それぞれの地域によって、また組み合わせによって違うと思いますけれども、おおむねこの程度のすり合わせは必要ではないかという気がいたします。これは非常に技術的な問題であって、かつ地道に作業を積み重ねなければいけない問題ですけれども、それぞれの地域でぜひ真剣に、どうすれば、どういう事務のすり合わせをすれば、住民の皆さんにとってより適した行政になるかということを双方で考えていただきたいと思います。 ただ、そういう実務のすり合わせも大切でありますが、一方では違った視点として、今までよりも区域も大きくなるわけでありますし、人口もふえるわけであります。そうしますと、一般論としてはどうしても行政と住民との間のつながりの度合い、密度がやはり薄くならざるを得ない、これはやむを得ない面があるのだろうと私は思います。ただ、市町村というのは住民の皆さんにとって本当に一番身近な、最後のよりどころとなる一番大切な行政主体でありますから、ここが接触の密度が薄くなるということは、やはり問題もあるわけであります。合併する場合に、そこのところをどういうふうにバランスをとるかということを、真剣に考えていただきたいと思うのであります。 民主主義の不足ということがよく言われて、私もよく使うのでありますけれども、民意がちゃんと行政に反映するかどうか、ここが一番のポイントであります。地方自治というのは、まさしく地域のあり方、地域の経営を、地域の住民自身で決めようということでありますから、民意ができる限り反映しやすい、そういう仕組みとして地方自治の制度はできているわけであります。ところが、広域合併によって民意が反映しにくくなるという、そういう側面があるわけであり、ここの問題をうまくバランスをとらなければいけない、解決をしなければいけないわけであります。 特に市と周辺が合併をする場合には、周辺地域の住民の皆さんの代表というのは激減しますので、従来は20人ぐらい議員さんがおられたところが、途端に1人とかゼロとかなるわけでありまして、それをどうやって補うのか。この民主主義の不足をカバーするということを私は真剣に考えていただきたい。特に首長の皆さん、議員の皆さん、そして一番大切なのは住民の皆さんでありまして、ここに当面ぜひエネルギーを投じていただきたいと私は思うのであります。そこのところがどうも余り見られないというのを私は従来から危惧をしておりまして、いろんな機会に申し上げるのでありますけれども、財政問題の方の推計は皆さん一生懸命やられますけれども、民主主義の不足をどうやって補うかという点についてはなかなか議論されない。これに少し懸念を持っております。ぜひここに力を入れていただきたいと思います。 そのほか、具体的な事務とは角度はちょっと違いますけれども、やはり地域には地域の持っている個性、ユニークな魅力、歴史、伝統、地域文化、行事、祭り、いろんなことがありますけれども、そういうものをぜひ失わないようにしていただきたい。大きなくくりになったからといって、それが希薄になったり喪失してしまうというのは、大変もったいないことであります。過去ずっと長い間築き上げてきた伝統とか文化とか歴史とかそういうものが、行政の便宜、財政の効率化のために行政を広域化して、そして、そのために貴重なものが失われてしまう、これは本当に忍びないことであります。一たん失われたらなかなかもとに戻りませんので、そういうものが広域合併になっても脈々とこれからも息づくように、地域に根づくように、そういう配慮も大切だろうと私は思います。 伊藤議員が、政府は日限を決めて、そこまでにとにかく追い込むような、そういうやり方をしているのだとおっしゃいますけれども、私もそう思います。やはりいろんな地域でいろんな問題があるわけで、合併をしようというのは本当に並大抵のことではないはずです。簡単にそんなに時間をかけなくても問題を解決する地域もあるかもしれませんが、やはり住民の皆さんの納得、合意を形成する過程でいろんな課題があって、もっと時間をかけなければ解決しないという地域もあるはずでして、そういうのを十把一からげにして、何年何月何日までならばこんなに優遇措置がある。その日を一日たりとも徒過したら一切なくなるという、オール・オア・ナッシングのやり方というのは、私は伊藤議員と同じように賛成できません。ですから、例えば何月何日までに合併したところは、こういう優遇措置があるというのは結構でありますけれども、それに遅れた場合には、途端に全部なくなるのではなくて、少しずつ激変緩和しながら少なくなっていく、これならまだ常識的でありますけれども、政府にはもうちょっと柔軟な、常識的な対応をしてもらいたいと、私も常日ごろ申し上げているところです。ですが、今日まで、まだそういうことについて聞く耳を持っていただいておりませんので、今の枠組みで考えるとすれば、伊藤議員のように、特例措置が一切なくてもいいのだ、という割り切り方もあっていいと私も思いますけれども、心情としては、可能であればその日限の中で合意を形成した方が、表現は悪いですけれども得だということ、そこを少し念頭に入れておいていただいて、できればその期限内にまとめていただければと思っております。 一方、政府の方も合併については実はやることがいっぱいあるわけです。合併はそもそも地方分権のために、受け皿といいますか、主体として、市町村がもっと力量を備えなければいけないということが本来根底にあるはずであります。財政問題だけで、効率性だけでの合併という問題ではない。それでは余りにも理念がない。寂しいことであります。やはり私が申し上げておりますように、これからの、本当に住民の皆さんのために重要な今日的な課題を解決するためには、基礎的自治体の市町村に力量がなければいけない。地方分権時代の主役として市町村により力をつけてもらいたい、これが根底にあるわけであります。そのためには、規模もさることながら、財政構造も変えなければいけない。それは今までのように補助金漬けで市町村が財政運営を行うのではなくて、自主的に財政が行えるように補助金を減らし、税、交付税という一般財源で財政がおおむね賄えるようにしなければいけない。これが小泉総理の言う三位一体の改革のはずであります。 私は、全国知事会のときに小泉総理に直接そういうことを申し上げたのであります。総理も本当にいい答弁をしていただきました。これからは教育にしても何にしても、ちゃんと自治体が柔軟に、地域の実情に基づいて自由に行えるようなそういう改革をしなければいけない。そのために今、義務教育の国庫負担制度の見直しもやっているのだと、こういうことを10月8日におっしゃったのであります。みんなで心の中で拍手をしました。 ところが、出てきた答えは、 5,000億円削りますと。それは、教職員の退職手当と年金の財源です。これを削って、これからは地方で賄いなさい。自由な選択。これは余りにも違うのであります。教職員に退職手当を払わなくていい、年金を払わなくていいというのなら自由な選択は効きますけれども、そんなことはできないわけで、総理のおっしゃっていることと、現実に今、国の方で改革と称して行われていることが全く違うのであります。ちょっと違うというのならまだかわるのですけれども、全く違うのです。 そういう分権時代の国と地方の財政関係のあり方、地方財政のあり方について、政府は本当に真剣にやっていると私は思えません。地方分権のために制度改革を真剣にやっているとは到底思えません。何かつじつま合わせとか、国の財政の、自分たちの庭先だけきれいにしようという、そういう改革が余りにも多い。ですから、政府もちゃんと日限を守って本来の改革をやらなければいけないのに、怠っているのであります。地方だけに、何年何月までに合併しないとこうだというような、あめとむちという制度をちらつかせるのは矛盾していると私は思います。そういうことを私も申し上げておりますけれども、どうか御関係の皆さんも、いろんなところでおっしゃっていただければと思います。 合併について、以前県の方でパターンを示したわけでありまして、そのことについての御質問がありましたが、合併のパターンを示すというのは、国の統一方針で、県が何らかの合併の参考資料として、どういう組み合わせが可能であるかというようなことを市町村に示してくれという話がありまして、全国一斉にそういうパターン作成作業というのがあったわけであります。鳥取県でも、これは県がこうしなさい、ああしなさいという話ではありませんから、基本的に市町村の方で、住民の皆さんの考え方を基本にしながら、どういう組み合わせがいいかというのを考えていただく。本来ならばこんなパターンを示すことはないのでありますけれども、議論がなかなか進行しないということもありまして、それで全国的にパターンを示すことになったわけであります。 鳥取県でどんなパターンを示すのかというのは、いろいろ考えたのでありますが、一番現実的な数カ町村でまとまるというパターンを一つの参考として提示しました。もうちょっと大きいくくりのパターンも考えてみました。 それだけでもよかったのですが、実はそれまでに県内のいろんな団体、例えば青年会議所などがいろんな構想を出されておりまして、その中には東部一円で因幡市構想とか、中部一円で東伯耆市だったでしょうか、西部一円でまた1つの市をつくろうとか、そういう若い方々の一つのアイデアもあったものですから、そんなものも一つ入れて、モデルといいますか参考資料をつくったわけであります。それはあくまでもいわば討議資料でありまして、どういうパターンにするとどういう利点があり、また短所があるか。利害得失はどういうものがあるか、それぞれ長所もあり短所もある。そういうものを考えていただきたい。小さければ小さいなりのメリットもあるし、またデメリットもある。大きくなればデメリットもあるし、またメリットもあるかもしれない。そんなことをよく考えて、最後はそれぞれの住民の皆さん方の考えですよという意味で、第4案としては白紙の白地図を載せたようなそんなものでありました。 いずれにしても、それは考えていただく材料であります。これがいい、あれがいいということを示すものではないわけであります。それはそのときにもお断りをしました。 私は、きのうも申し上げましたけれども、2〜3万が理想的だと申し上げているわけではないのです。国の方が、余りにも、あくまでも20万がいいとか25万がいいとかというメッセージを出されるものですから、誤解があって、20万ないとこれからの自治体はやっていけないのではないかというような、そういう誤ったメッセージが伝わりかねませんでしたので、そうではなくて、今の市町村のことを考えると、例えば町村ですと最寄りの市と合併するということも一つの選択肢でありますけれども、そうではなくて、同じようなところが3つ4つまとまって、2万ないし3万ぐらいでもやっていけますよ、それでも構いませんよという話を私はかねてしているわけであります。 合併論議の現状はどうかということでありますが、これはここで何回も申し上げましたし、私も現状を踏まえた上で発言をしたつもりであります。本来は、市町村合併を考えるというのは、地域のあり方を住民の皆さんに真剣に考えていただく、主体的に地域の住民の皆さんが地域のあり方を考えるに最もふさわしい絶好のチャンスだと私は思っておりました。例えば今の町、町政でどういう点に問題があるのか、どこに不十分な点があるのか、自分たちの願い、思いと違うところはどの辺にあるのか、そういうことを真剣に考えていただいて、それを解決するためには、量的にも質的にもどういうふうにすればいいのかということを改めて考えるいいチャンスだと思っておりました。 そういうことを期待しておりまして、そういうことが行われているところもあると思いますけれども、必ずしもそういうチャンスを生かし切っていない地域もあるのだろうと思います。これは、今からでも遅くはありません。合併協議会というのは出口ではないわけでありまして、合併協議会をつくったということは、いわば検討の正式な入り口に入ったわけでありまして、今の示されております組み合わせの案が、本当にそれぞれの地域の住民の皆さんにとっていい案か、そうでないかということを一つ一つ実証的に検証していく、この手続をぜひやっていただきたい。 ともすれば、もうここまで来たのだからということで、異論反論を差し挟まないで、考えないで、もう結論だというような認識もうかがえるのでありますけれども、それは間違いであります。ここからが検討、検証、点検の始まりでありますから、地域の住民の皆さんにとっていいことなのか、そうでないのかということをぜひ点検をして、克服をしていただきたいと思います。 |
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<市町村の自己責任、自己決定のあり方について>No.2 |
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先ほど申し上げましたとおり、地方分権の時代といいましても、多くの市町村におきましては、現実的には首長にしても議会にしても、また住民の皆さんにしても、旧態依然の考え方、そして手法はそのままであります。子供たちの将来のためにどんな町を残すのか、そして、どんな地域をつくり上げていくのか、まだ自信を持って、胸を張って未来の子供たちに説明できる状態でないと私は思います。したがって、私自身、合併問題が地方分権の時代の試金石にはなかなかなり得ていない議論であるというふうに思っております。このたびの合併議論のあり方を踏まえて、政策の決定に当たり、情報公開のあり方、そしてコンセンサスの得方、自己決定のあり方について、今こそ研修並びに一定のルール化、もしくはマニュアル化が必要ではないかと思うところでありますけれども、知事の御所見をお伺いしたいと思います。 |
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●知事答弁 | ||||
今回の合併が今のままで推移すると、情報公開、行政の透明性の確保の点とかコンセンサスを得るやり方が旧態依然としたままではないかとかというようなことに懸念を示されているわけでありますが、今まで見ていますと確かにそういう面がないわけではない。今回、たまたまひょんなことで合併問題、合意形成のあり方について大きく報道もされたり、議会で議論もされたりしましたので、ぜひこれを、災い転じて福となすとまでは言いませんけれども、一つのいい機会でありますから、大いに議論をしていただきたいと思うのであります。本当に住民の皆さんのためにこの合併をどう生かしていくのか、障害はないのか、お互いちゃんと情報公開しているか。何度も申しますけれども、市町村の財政というのは、県もそうでありますけれども、どこも決していい財政状態ではありません。市だけがよくて町村だけが悪いわけでもないです。ですから、お互いそれを腹蔵なくさらけ出すということが必要であります。一般会計だけで地方債残高を比較し合うということは、ごく一部の情報公開にすぎません。やはり特別会計も関連の団体もすべて情報をさらけ出して、その上でお互いが納得して合併をする、これが必要だろうと思います。ぜひそういう透明度の高い議論を進めていただきたい。いい機会でありますから、県の方から市町村の方にはそういうふうに要請をしたいと思います。 コンセンサスの得方も、何かの会で何対何で決まった、だからもう終わりと、ともすればこういうやり方になるのでありますけれども、基本的に一番重要なのは、住民の皆さんが本当に合意するかどうかということでありますから、そこにやはり焦点を置いていただきたい。今回たまたま、あれだけ注目された高速道路の民営化推進委員会で、ああいう合意の形成の仕方をしたわけであります。それで、多数決で勝ったからこれで決まりとおっしゃるのでありますけれども、それは決して決まったことになっていない。それは多くの国民や国民の代表である国会議員の皆さんが納得していないからであります。幾ら1つの議論の場で何対何ということで決まったといっても、それは一つの作業にすぎない。本当に国民の意見を取りまとめたことになっていないわけでありまして、反面教師としていい例がありますので、決してああいうことにならないように、本当に住民の皆さんが知った上で納得する、こういう手続作業をしていただきたいと思いますし、県の方も働きかけていきたいと思います。 伊藤議員のおっしゃった透明性、合意形成のプロセスというのは、合併問題に限らず行政一般をやる上で普遍的に大切な原理であります。ですから、合併だけではなくて、日々の行政、政治を行う上で、このことはぜひ市町村も気をつけていただきたい。県は、私が知事に就任しましてから、透明性と合意形成のプロセスについては一番大切にしてきて、実践をしているところであります。そういう県の実践も、市町村においてぜひ参考にしていただければありがたいと思っております。 市町村合併が進むと、これから県のような団体がどうなるのかということでありますが、市町村合併がどういう成り行きになるのかまだ決まっておりませんけれども、その成り行きによっては、国と市町村との中間段階にある都道府県の役割とか規模の問題というのは、当然これから議論になるのだろうと思います。既に県でも中国5県で、特段目標とか一つの結論みたいなものを決めているわけではないですけれども、いろんな幅広い角度から議論しようではないかということにしています。 特に今やろうと言っていますのは、共同でできることはないだろうか。今までは、フルセット方式と言ったらいいかもしれませんけれども、各県単位で自分の県の中にすべてのものをそろえてきているわけでありますけれども、そうではなくて、共同できるものは共同したらどうだろうか。例えば試験研究にしても、各県ごとに全部同じ研究を5県でやるというのは、ちょっと不合理な面もあります。ですから、得意な分野に特化して、何とか県はどういう点を中心にやる、うちの県はこれをやるとか、そうやってその成果を共有するということもあってもいいのではないかとか、教育機関なども、需要がだんだん落ちたような教育機関などは、隣県とか5県とかそういう連携をしながら、分業体制を敷いたらどうだろうかということもあります。 最近注目しますのは、北東北3県の岩手、青森、秋田、ここがよく連携していろんなことをされているのであります。先般も私、日韓知事会議でソウルに行ったのですけれども、そのときにちょうどたまたま青森、秋田、岩手、さらにそのときには北海道も加わっておりましたけれども、北東北と北海道とでソウルに共同事務所を出しますと。従来はソウル事務所など各県単位に出すのですけれども、外国から見て日本の47の何県何県というのはなかなか特定できないわけで、それよりはもっと地域的なまとまりをもってPRしようではないかということで、なるほどこれは非常にいいことだなと思いましたけれども、都道府県の中でもそういう広域連携というのが最近出てきておりまして、とりあえずはそういうところからいろんな試行錯誤を始めるのがいいのではないかという気がしております。 それでは、将来道州制とか県の合併をどう考えるのかということになりますと、私は、やっぱり余り広いのはよくないと思います。県は必ずしも基礎的自治体というわけではありませんけれども、そうはいってもやっぱり地方公共団体として住民の皆さんのために仕事をする機関でありまして、それが余りにも疎遠になる、住民の皆さんと行政機関とが疎遠になるということでは、意義は本当に小さくなってしまうと思います。 私は今、この3年9カ月の間、全力で知事の仕事に当たっておりますけれども、今の鳥取県の範囲というもの、区域というものが決して小さいと思いません。本当に行きたくても行けないところとか、いっぱいあります。ですから、鳥取県よりも区域の広いところの知事さんは大変だろうと思いますけれども、私は、県というものが今の鳥取県の3,500平方キロメートルで小さいというような感想は持っておりません。ですから、道州制がいいとか、府県合併をどんどん進めたらいいというそういう考えは、自分で一生懸命仕事をしておりまして、経験上そういう考えにはなかなかならないということを申し上げておきます。 |
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