平成17年11月定例会一般質問(平成17年12月9日)No.1

人権侵害救済推進及び手続きに関する条例について>

 
 初めに条例が制定されるまでの経過について確認します。
 この人権侵害救済推進及び手続に関する条例は、平成14年の6月県議会において、一般質問でのやりとりの中で、知事としても地方レベルでの人権救済制度が必要という見解が示され、平成15年9月に、鳥取県人権尊重の社会づくり協議会に制度のあり方、条例案の検討を諮問され、平成16年8月の常任委員会に人権救済制度の概要について報告されるとともに、県民の皆さんに意見募集が行われ、11月の鳥取県人権尊重の社会づくり協議会において最終的な条例案が確認され、12月の定例議会に鳥取県人権救済手続条例として提案されたわけです。しかも、鳥取県人権尊重の社会づくり協議会のメンバーには、DVや障害者関係者の代表を初め、学識経験者として弁護士も入っておられたと私どもは認識しておりますが、経過を含め、事実関係について知事に確認したいと思います。
 このことは事実だろうと思いますし、県として条例を提案されるまでの一連のプロセスとしては何ら問題なかったではないかと思いますし、他の条例でも同様なプロセスであると認識しております。そして、知事から投げられるボール、つまり条例を議会としても真摯に受けとめ、各会派でいろいろな議論を重ねる中で、修正の域を超えた補強が必要であることから、県の提案条例を基本としながら、大きな条例の修正が必要という見地から、議員提出議案としてボールを投げ返したものと思っております。完全無欠な条例ができたとは思っていませんが、あくまでもベースは県の提案条例です。条例を補強した中には、すべてではありませんが、弁護士会の意見も相当反映したものと思っております。私はこれからの対応を考える上で、今日までの経過と、どこに問題があったのか、どうしてもきちんと総括をすべきであると思うのです。
 そこで、情報公開の中で時間をかけ、用意周到に取り組みが進められた県の条例が、提案に至ってから、弁護士会を初め、マスコミの皆さんからバッシングを受けるようになった要因は何か、どこに問題があったのか、知事の感想をお伺いしたいと思います。
 次に、知事が提案された条例と私たちが提案した条例を比較され、知事としての感想をお聞かせください。  
 
●知事答弁
 
 いわゆる人権推進条例の件ですが、今日までの経過について、伊藤議員の方からかいつまんだ要約がありまして、私が認識している事実経過とほとんど一致しております。多少重複するかもしれませんが、当議会でこの人権推進条例のようなものをつくるべきではないかという議論があったのが平成14年頃だったと思います。その趣旨は、本来ならば、人権侵害の事案というのは司法的解決を図るのが基本です。すなわち、例えば名誉毀損などで人権を侵されたという被害者の方が、裁判所にその権利の回復なり損害の賠償なりを求めるという司法的解決を図るのが基本です。ところが、世の中では、刑法犯に至る前のような事例ですとか、本来ならば、司法的解決を求めれば、刑法犯として裁かれるなり、民事の訴訟で損害が回復されるというようなことになるケースでも、今日までの日本の風土ですと、裁判所が縁遠いというようなこともあり、なかなか本来の解決が果たされない。そういう実態があるならば、とりあえず県で何らかの救済手続の条例をつくったらどうかということだったと思います。
 私もその必要性を認めますし、多くの県議会議員の皆さん方もその必要性については同感されたことだと思います。自来、いわば議会から促された形で執行部の方で条例案づくりの作業をしたわけで、その過程では、第三者の皆さんの入られた協議会で幅広く意見も伺ったわけですし、その中には法曹、すなわち弁護士の方もおられたのです。特に、弱者の人権問題に対して、非常に造詣の深い、関心の深い弁護士の方もおられたわけで、その方々の意見も踏まえて条例案をつくったのです。
 正直に言いますと、その条例案をつくる段階でいろいろな異論があったことは事実なのです。条例案をつくる事務局的作業をした県庁の組織と言いますか、職員と言いますか、それと一部の委員の間に意思の疎通を欠くとか不信感をもたらすというようなことは、実は途中経過ではあったことは事実なのです。それらを経て、一応の最終案をつくり、さらにいわゆるパブリックコメントもやったのです。その段階でかなりの意見が出るのかなと思っていましたけれども、存外、パブリックコメントをやりましても意見が出ませんで、執行部案がすんなりと決まり、それを議会に提案したのが昨年の12月県議会だったわけです。
 そうしたら、提案した次の日だったでしょうか、鳥取県弁護士会から異論ありとクレームが出たわけです。しかも、それは微修正というようなものではなく、かなり根幹に触れる問題について異論、反論が出たわけです。これも、正直言いまして、私も実は戸惑ったのです。そんなに大きな異論、反論があるなら、なぜ2日前までに言ってくれなかったのかと。パブリックコメントの期間をあれだけとって、どうか自由に意見を言ってくださいといって投げかけたのに、その期間中はナシのつぶてで、議会にも出して、取り戻しができない状態になったときに、その条例案は直せという、こういうかなり強い異論があったわけで、手続的にはもう我々の手を離れていますから無理なのです。もしそれがパブリックコメントの期間中でしたら、案に何らかの改変を加えることは可能でした。それは、私どもが見てもなるほど、と思う意見もないわけではありませんでしたから、もっと早く言って下されば、議会に提案する前に、知事提案の条例案を修正をするということは可能でした。しかし、それは先ほど言ったような事情で、手続的にはもう無理であるということでしたので、非常に残念でしたし、正直言いまして、出しおくれの証文みたいなことではなくて、もっと早く出してくれればいいのにという不満もいささかありました。
 そういう状態で去年の12月を迎えたわけですけれども、その段階で私はここで議員の皆さん方に申し上げたはずなのですが、今のような事情ですので、我々としては正規の手続を踏んでおりますけれども、しかし、弁護士会という、すなわち法曹の皆さん方というのは、人権救済の手続の中で大変力強いといいますか、大きな役割を果たしていただかなければいけない人たちですので、やはりその方々の協力を得なければいけません。それを前提にして、弁護士会の皆さんから異論、反論がありますので、どうか議会の審議の過程において、この条例案の処理の過程において、できれば弁護士会の皆さんとも意見交換をしていただいて、意思疎通を図るようにしていただきたいと言う、そういういわば注文つきというと非常に失礼かもしれませんけれども、結果的には、私の方からも依頼、お願いを込めた提案になったわけです。それが去年の、1年前までの事態です。それから後は、これは議会の手にゆだねられておりますから、私どもの手を離れておりますので、皆さん方の審議、継続審査、さらには、最終的には議員提案、議決と、こうなったところです。
 次の問題ですけれども、マスコミなどからこの問題について大きな批判を浴びることになった要因は何かということですが、これは事柄としては幾つかあるわけです。例えば、人権侵害という用語の定義があいまいではないか。これがひとり歩きをすると、俗に言う、別件逮捕みたいに、本来ならば人権侵害にならないけれども、それを拡大解釈することによって、逆に人権の2次侵害を生むのではないかと、こういう懸念が一番大きいのだろうと思います。それから、表現がちょっと悪いかもしれませんが、鶏を割くに牛刀をもってするという言葉がありますけれども、公表ですとか勧告ですとか、協力を拒否した場合の過料ですとか、そういうものが少し事柄の性格から見て、手法が強過ぎるのではないかという批判もあります。それから、表現の自由を妨げることになるのではないか。これは主としてマスコミの取材制限というようなことに実質的につながるのではないかという批判もあります。
 その他いろいろありますけれども、要は、せんじ詰めれば、それは弁護士会の皆さんの考え、異論というものが、最終的な審議、議決に至るまでの間によく伝わっていなかったのではないかということだと思います。
 議会の皆さん方にはそれぞれ言い分もあるだろうと思いますけれども、弁護士会の皆さんからすれば、自分たちの真意がよく伝わっていなかったと。伝わっていないまま議決に至ったと、こういうことがバッシングというと大げさですけれども、不満、異論の根幹ではないかと思います。
 あと、この条例にはマスコミの皆さんからも強い批判がありましたけれども、これは先ほど私が申しましたように、表現の自由を一番大切にするマスコミに対して、この人権済推進条例が妨げになるのではないかという、その歯止めがきかないのではないかという、そういう危惧の念が一番大きな要素だったのではないかと思います。 次に、昨年12月に執行部提案した条例案と最終的に議決になりました議員提案との間にどんな差があるのかということですが、これは細部を見ますと、いろいろ差はありますけれども、基本的にはそんなに差はないのではないかと私は思います。管轄区域をかなり広くされたとか、いろいろないわけではありませんけれども、基本的に、今、世間から批判を受けている一番重要なポイントについてはさほど差がないのではないかという気がします。むしろ問題は、さっき経緯で申しましたけれども、我々が提案する前に聞いていれば手直しができたという問題、それは我々は手続的、時期的にできなかった。議員立法の場合には、そういう弁護士会の意見を聞いて、修正しようと思えば、期間、時期的にはできたけれども、結果的にはなされなかったという、そこが経緯から見て一番違う点ではないかと思います。
 
人権侵害救済推進及び手続きに関する条例について> No.2

 
 私たちは知事が提案された条例に、弁護士を委員として含まれるよう努力義務を課したり、再調査申し立て権や再調査義務、自主的な解決の推進、加害者に弁明の機会、訴訟援助など、かなりの補強をして、バージョンアップしたと理解しております。したがって、知事にはよく補強していただきましたと我々にお礼を言われてもいいかなと思うくらいで、確かに議員立法ですから、基本的には我々の責任ですけれども、議会が修正したから議会が責任をとれというような発言は少しいかがなものかと私は思っております。

 逆に、過去の議会のように、知事が提案されたものをそのままうのみにして、知事が提案されたからそのまま議決した方がよいということの方がよかったのか。本当に知事の御所見をお伺いしたいと思います。
 

●知事答弁

 議会が修正したから、議会が責任をとるようにと言ったつもりは私はありません。そうではなくて、条例が制定された直後に、私もマスコミその他からいろいろな質問を受けたのです。そのときに、例えば、なぜこの時期に議決したのですかとか、議員立法で提案をして、あっという間に可決をしたけれども、どうして次の議会まで審議期間をもっと延ばさなかったのですかとか、議員立法ですから、新しい案ですから、なぜその段階でパブリックコメントをやらなかったのですかとか、そういう話をよく伺ったのですけれども、それは議会に聞いてくださいと言うしかないのです。私に聞かれてもそれはわかりません。皆さん方の段取りで提案されて、一定の審議をされて、そして議決をされたわけですから、この時期にとか、なぜパブリックコメントをやらなかったのかと言われても、私にはわかりませんので、それは制定された議会に聞いてくださいと、こういうことです。ですから、その種の説明責任は議会が果たされるべきですよということを私はあえて申し上げたわけです。
 これはこだわるわけではありませんが、知事提案のものをいろいろ改善を加えて成立させたのだから、お礼があってもいいではないかと言われましたけれども、条例というのはそもそも議会がつくる作業をするものですから、私どもは、理論的には議会がつくるべき条例の、つくるお手伝いをしているのです。例えば、執行部だけの何か便宜のためにまげてお願いしたいというなら、多分お礼を言いたくなるのでしょうけれども、それは県民の皆さんのため、地域がよくなるために一つの手段として、条例というものを手法として使おうということで、それは、実は制定の権限は議会にあるわけで、だから、本来ならば、アメリカのようなところであれば、実は議会が全部条例をつくる、立法するのですが、日本の場合はなかなかそうはいきませんので、我々の方でかなりの部分を、案をつくりますけれども、これは議会の作業の事前手続、お手伝いをしているということですので、お礼を言ったり、言われたりするということではないのではないかと私は思うのです。

人権侵害救済推進及び手続きに関する条例について>No.3


 弁護士会を初め、マスコミの皆さんから、さらに県外から多くの批判を受けて、知事はまさかこの条例を提案したことは時期尚早だったと思っておられるわけではありませんか。まさかそういうことはないと思いますけれども、もともとの提案者である知事には、もっと自信を持って条例の趣旨、条例の必要性を県民の皆さんにアピールをすることが必要でないかと思いますけれども、いかがでしょうか。県民の皆さんはマスコミの皆さんの報道だけで判断されるわけですから、何かとても悪い条例を議員提出議案として提出したように思われ、我々議員としても困惑はないわけではありません。具体的な問題だとするならば、ちゅうちょなく改正する姿勢は持っておりますし、真正面から対応していくつもりです。知事にこれからの運用に当たって力強い決意を改めてお聞かせ願いたいと思います。

 

●知事答弁


 人権推進条例ですけれども、伊藤議員の表現でいえば、まるでこの条例が悪い条例であるかのように言われて、提案し、かつ議決をした議会としては心外だと、こういうことだろうと思いますけれども、お気持ちはよくわかります。冒頭私が御答弁申し上げましたように、残念ながら、もともと世の中にやはりこの種の条例を求める素地があるわけで、それを何とか解決したい。それは本来裁判所だけれども、そこに至るまでの過程で、講学上、準司法的機能によってその解決をしたい。そのための枠組みをつくりましょうというのがもともとの条例の意図ですから。ところが、いざ条例ができてしまうと、表現の自由を奪う道具だとか、権力が2次侵害をもくろんでいるだとか、そういうことばかりが出てきて、何か本来の条例の趣旨、目的というものが吹き飛んでしまって、ひょっとしたら想定されるかもしれない、あり得るかもしれない副作用の部分、これは全くないとは、起こり得ないとは私も言いませんけれども、ひょっとしたらあるかもしれない副作用の部分だけが誇大に強調されて、批判の対象になったというのは、議会の議決された議員の皆さん、賛成された議員の皆さんにはさぞかし心外だったと私は思うのです。
 ただ、この条例を円滑に施行しようと思いますと、やはり想定される副作用というものをできるだけなくさなければいけないということがありますし、どうしても法曹の皆さん、弁護士の皆さんの参画というものが求められるわけで、そうしますと、条例の円滑な施行のためには、弁護士会の皆さん方の理解と協力というものが必要になってくるわけです。では、そのためにはどうすればいいのかということが現下の一番のポイントで、そのためにはやはり、自信を持って議決をされた議員の皆さんにとっては不本意かもしれませんけれども、執行する側としましては、やはりこの際協力を求めるための前段階として、法曹の皆さん方からの意見というものに真摯に耳を傾けてみたいと実は今考えているところです。そこからこの条例の施行に向けて取り組んでみたいと、今こういうことです。
 したがって、時期尚早であったとか、そういうことは思っていませんけれども、そうではなくて、やはり誤解ですとか、理解不足ですとか、大変失礼ですけれども、最終的な議員立法の提案、議決の過程で、やはりもう少し何か配慮があれば、多少違った状況になったのか、という感想も実は持っているのですけれども、そんなことも含めて、ちょっと広く意見を伺ってみたいと思っているところです。
 

人権侵害救済推進及び手続きに関する条例について>No.4

 
 
私は、鳥取県議会だからこそ、この条例を含めてここまで多様な議論ができると誇りに思っております。しかし、この条例を、モデルの条例1件を通して、私は、外圧や議員個人への攻撃等で議論が封じられるということがあるとするならば、まさに議会の立法権が損なわれるとともに、建前論だけの議会になってしまわないのかと危惧しております。想定論も大切ですが、これからも県民の目線に立った現実論もしっかり議論できる議会でありたいと思います。あれば知事の感想をお伺いしたいと思います。

●知事答弁

 
 人権条例について、どういうのでしょうか、想定論とおっしゃいましたけれども、こんなこともあるかもしれない、あんなこともあるかもしれないという危惧の念だけで、何か空中戦をやっているようなところがあると、私もそういう印象を持っております。私も今回いろいろな方から取材を受けたり、意見を伺ったりしたのですけれども、その中で1つ気がついたのは、これは鳥取県の条例として議会がつくられたわけです。ところが、多くの反対は鳥取県外から寄せられました。そのときの論拠は、こういう条例ができると、ひとり歩きすると、こういう話が多いのですけれども、いや、うちの県は、例えばこの運用を私は今、誠実にやろうとしている。でも、人間のやることですから、ひょっとしたら間違いがあるかもしれない、勘違いがあるかもしれない。そのときはマスコミの皆さんの批判も当然出るでしょうし、立法した当の議会から運用誤りになるという指摘だか、場合によっては条例自体を変えてしまうということにつながるのですよ、うちの議会はそうなのですよということを申し上げるわけです。例えば、男女共同参画推進条例なども、ちょっとこれは似通ったようなところがありまして、それは議会の議論を経て直しましたが、そういう例も引き合いに出しながら、柔軟に、行き過ぎがあったりすれば是正になるのですよということを申し上げるのです。いや、おたくの議会はそうかもしれないけれども、うちのは違うと。どこそこと違うと。そういうところでこういう条例を運用したらとんでもないことになると、こういう議論なのです。それはそちらで考えらたらどうですか。私たちは、私たちのところの条例なのですからと申し上げるのですけれども、いや、これはひとり歩きすると。コピーがいっぱい、いろいろな自治体に出るとか。そういう議論が多かったのです。これは、地方分権時代の常識といいますか、そういうものがなかなか広く世の中では受け入れられていないということを私は思ったのです。
 もう1つは、万が一そういう暴走ということが起こったときに、それは当然最後は司法によって暴走は食いとめられるわけです。当県議会でつくられた人権推進条例が憲法違反という指摘もありますけれども、万が一例えば運用誤りとかその他によって憲法違反だということが具現化した場合には、それは司法で当然、憲法違反の条例というのは駆逐されるわけです。司法的に排除される。これが違憲立法審査権でして、そういう歯どめが我が国にちゃんとあるわけです。なかなかそういう面も担保としてあるということについて、共通の理解が世間にはない。できてしまったら、これがひとり歩きしてしまって、未来永劫副作用が生じるばかりだという、そういう物の見方がかなり根強くあるものですから、なかなかこれは法律に基づく行政とか、司法の役割とか、理解されていないなと思って、ちょっと残念なのですけれども、そんなことを感じました。
 ただ、繰り返しますけれども、この条例を誠実に施行しようと思いましたら、法曹の皆さんの協力が欠かせない、不可欠だとは申しませんけれども、欠かせないという表現に近い状態だと思っておりますので、できる限り法曹の理解を得るために、まずはさまざまな努力をしてみたいと思っております。