平成25年6月定例会一般質問(平成25年6月20日)No.3

<国、県、市町村等の事業の連携について>


 5月10日、大山隠岐国立公園の船上山山頂に休憩舎が完成し、記念式典が行われました。船上山は、名和長年が後醍醐天皇を奉じて北条氏の兵を破った古戦場で、「太平記」の舞台にもなり、1333年に隠岐を脱出された後醍醐天皇が京都に帰還されるまでの80日余りを行宮として過ごされたゆかりの地です。
 この船上山山頂は、大山隠岐国立公園の特別保護地区に指定されており、それまでは昭和39年にコンクリートブロック平家建ての休憩舎がありました。建築から45年以上経過し、老朽化が著しいことから、地元琴浦町の要望を受け建てかえられたもので、船上山少年自然の家を利用し登山する子ども達や一般登山者に大変喜ばれています。完成した休憩舎は、木造2階建てで太陽光発電と蓄電システムがセットで設置され、水洗トイレは汚水土壌浄化装置で浄化水も再利用されるようになっており、環境に優しい建物です。
 これまでなら県や市町村が自然公園法に基づき環境省に許認可を申請してこうした工作物を設置するのが通例でしたが、特別保護地区の許認可の手続はとてもとても大変で、多くの時間と多くの事務作業が必要とされていました。ところが、このたびは許認可権を持つ環境省、土地所有者である林野庁、申請業務の仲介の県、申請の立場にある地元琴浦町と行政四者が縦割りの壁を乗り越え、登山者や利用者のニーズをもとに必要性を共有した後は、環境省が予算を計上し、鳥取県が施行委任を受け工事を担当、完成後は地元琴浦町が施設の維持管理と、それぞれが利活用を担うというように行政のコラボで取り組まれた事業です。特に、このたびの休憩舎の建築に当たっては、県担当課のコーディネートが大変よかったと町の関係者は感謝しておられました。最近環境省の公園整備事業については、このような国、県、市町村という縦割りではなく、コラボでの事業が多くなっていますが、すばらしい取り組みだと称賛します。平井知事の所見をお伺いいたします。
 許認可を伴う事業は、お互い必要性は認めながらも、事務手続が煩雑な上多くの時間がかかるのが通例です。できるならこうした取り組みをもっともっと他の分野でも進めてほしいと願うものですが、環境省以外の事業でこうしたコラボによる事業がほかにもあるのかお伺いします。

●知事答弁

 
 

 
今回の環境省の船上山の休憩舎ですが、伊藤県議を初め地元の長年の願いだったわけで、7年越しの完成ということになりました。なかなか前へ進まなかったところですが、結果としては国のほうが事務配分の変更があり、それに基づいて県のほうが事務委任を受けるという珍しい手法を今回採用することになりました。それで県がいわば仲立ちをして、町のほうが全面的に協力して、地元の方々も応援していただき、これが完成をするということになりました。県が仲立ちをしたものですから、いろんな意見を、地元の意見だとか、あるいは現場の自然環境の状況だとかをつぶさに現場感覚で考えながら環境省と折衝しつつ、直轄といいますか、事務委任の事業として国費において施工するということになりました。そういうテストケースだったものですから、その意味でいろいろと苦労もありましたが、こうしたやり方もあるということで関係者に協力していただいたことに感謝を申し上げたいと思います。でき上がった施設もこれからの船上山、もともとは名和長年であるとか後醍醐天皇であるとか、そうしたこの地域のプライドにかかわるようなスポットにおいて、未来に向けたいい休憩舎ができたと思います。
 今回国のほうも最終的にいろいろと協力をしてくれたわけで、評価させていただきたいと思いますが、これについては地方団体としては完全な事務移譲を求めている分野ということもあります。途中経過として申し上げると、例えば自然環境を保全するということからすると、ヘリコプターでは周りに実は猛禽類の営巣地等もあったり、貴重な植生等もありますので、そういうところに影響しかねないということで、地元のほうの願い等もあってモノレールでの作業という、これまた珍しいことをやったわけです。ただ、やはり国のほうはお役所ですので、前例がないといって、そこで折衝事が結構厳しくありました。最終的には国も理解を示して、モノレールでの施工ということになったわけです。
 あるいはトイレの設置についても、これもいろいろとやりとりがあり、地元の要望はあったのですが、国との調整に時間をかける必要が出てしまったということもありました。ですから県が直接施工していればその辺は手間が省けたのかもしれませんが、国のほうでの施工ということでしたので、そういうような調整が必要だったことです。
 人件費も含めてそうした県側というか、地元側の負担はありますが、ただ建物自体は国の方の負担でできており、そういう意味では地元としては苦労も共にしながらこうした施設を仕上げる一つのモデルケースになったのかなと思います。
 このようなことはいろいろほかでも出てきており、分権の議論が随分盛んになってきたころ、さらに地方への事務移譲を迫る議論が全国で高まったこともあって、国の方としては逆に我々もサービスをするぞと存在感を示すような傾向も出てきていると思います。例えば平成22年に中国地方整備局、国土交通省と鳥取県で、これは多分全国で初めてだったと思いますが協定を結びました。災害時に国土交通省の持っている例えばポンプ車であるとか、いろんな資材があります。そういうものを投入する。それから県のほうで万が一対策本部をつくるということになれば、そこには国土交通省から職員を常駐させる、こうしたコミュニケーションをしっかりとってやっていこうということがありました。
 こういうようなこともあり、最近の災害に当たり国の方はいろいろと協力的にやってくれています。例えば日野川、法勝寺川の水系でいつも水が出る青木とか、あのあたりのところについては、ポンプ車の配置を今回もやっていただき、その前で言えば平成23年の台風災害のときにも現場サイドで速やかにそうした出動をしてもらったということもありました。また、佐陀川や加勢田川を初めとした大災害になったわけですが、その復旧・復興についてもコラボレーションよろしく割と早くに仕上げることができています。先般、佐陀川も随分早く完成して、そのオープニングといいますか、お披露目をさせていただきましたが、この辺も国と県や市町村とのタイアップのたまものであろうかと思います。このようなことの象徴として東日本大震災のときのTEC−FORCEと言われる国の方の直轄部隊、この活躍が目立って報道もされていました。これからもいわば住民サイド、国民サイド、現場サイドに立ち、国だ、県だ、市町村だということではなく、コラボレーションを強化してサービスの実を上げ、スピード感を高めることが大切だと思います。

<国、県、市町村等の事業の連携について>bQ

 
 本当に県民からすれば国であろうと県であろうと市町村であろうと全て行政でしかないのです。しかし、縦割りの壁をつくってきたのはまさに行政で、県民からすれば関係ない話なのです。したがって、エンドユーザーである県民の目線を大切にして、やはり政策を進める上ではこうしたコラボが本当に私は大切だと感じています。県としても積極的にこうした行政のコラボを進めていただきたいと思いますが、知事の所見と意気込みをお伺いしたいと思います。
 

●知事答弁
  
 コラボレーションをぜひ積極的に進めるべきだという指摘については、全面的に私も賛成でして、以前からハイブリッド行政ということを申し上げていますが、それぞれの国、県、市町村という主体はありますが、住民目線に立つとどうでもいいことだと思うのです。どうでもいいと言ったら悪いですが、県が提供しても市町村が提供しても、あるいは一緒になって提供してくれても構わないわけです。
 ですから、一つの実験として日野郡では協議会をつくり、日野3町と県とで相互乗り入れをしながら新しい行政課題に向かっていくなり、共同化できることは共同化していこうということをしています。例えば道路の維持補修であるとか、除雪であるとか、障害者対策であるとか、またこれからは鳥獣被害対策も共同してできないだろうかと。県だ、市町村だということではないだろうと思います。こうしたことの実験は、鳥取県のようなコミュニケーションをとりやすい小規模な県だからこそできる面もあろうかと思いますので、積極的に取り組んでいきたいと思います。

<最後に>

 
 副知事は、長年にわたり教育長や副知事と大役、本当に御苦労さまでした。私とは全てに対照的で、小さな体でありながら性格も温厚なキャラで、県政に尽くされた功績は立派でした。同級生として一抹の寂しさを覚えますが、何か思い残すことはありませんか。一言あればお聞かせください。これから人生のステージが変わっても県政を支えていただきたいと思います。本当にありがとうございました。また赤碕の道の駅で会いましょう。

●副知事答弁

 

 
 大学を卒業してから、昭和50年ですが鳥取県庁に入り、いろんな部署で仕事をしてきました。昔はもうちょっとスリムで、若いころは国立公園とか国定公園の許認可の担当もしており、大山の頂上はもとより先ほどお話がありました船上山の山頂にも上がったことがあります。とても懐かしく思いますので、また上がってみたいなと思ったりしています。
 性格はともかくとして、結構思ったことは口にするほうで、若いころに、あんた生意気だなと言われたこともあります。そういうことで口に出さなかったことは余りないような気もしております。時々職員研修のときに講師をしますが、県行政の中でも物事を決めたり判断したりすることがいろんな場面であります。悩みながらそれぞれの立場で判断したり意見を言ったりするわけですが、やはり自分の思いがあったらきちんと述べるようにしましょうということを言っています。話さなかったことで、後で後悔するようなことがあってはならないということです。

 管理職も国際課長をスタートに財政課長、県民室長、福祉保健部長、そして教育長などいろいろやらせていただきました。これまでも県議会の皆さん方に、そして県民の皆さん方に励ましや、時には苦言、そして温かい目で見ていただいたと思っております。感謝申し上げたいと思いますし、まだ期間が残されていますので、残された期間一生懸命職務を果たしたいと思っております。
 また、特別職でなかったら本当は今年の3月末が定年退職のときで、おかげさまで植樹祭にも出席させていただきました。記念の植樹もさせていただき、鳥取県の緑の豊かさとか自然の恵み、食べ物のおいしさなども改めて実感させていただきました。
 当然のこととしてこれからも鳥取県で暮らしますので、お言葉のとおり県や地域のために尽くしたいと思っております。
 赤碕の道の駅のお話もありましたが、幸いなことに鳥取にも米子にも自宅があり、土曜日や日曜日には行ったり来たりもすると思いますので、赤碕の道の駅を初め道の駅には立ち寄りたいと思っております。これからもどうぞよろしくお願いいたします。