鳥取県東部医師会報用に準備した≪随筆≫集 : 本稿は2012年11月号(No.402 p.53-57)に掲載

ウィーンを愛して (2) 心地良い朝の散策が嬉しくて
◇ 夜はオペラ・演奏会、昼間は朝8時前から活動開始の日々。同志は西欧初体験だったが、それを感じさせないほど元気で、天候等でアレンジする小生の行程を共に堪能し得た。
ウィーン滞在中、印象深かった朝の陽光・木漏れ日や心地良い散策と印象などをオムニバス的に記した。
中央墓地に眠る大作曲家:左から並ぶベートーベン、モーツァルト(記念碑)、シューベルト。至近にブラームス、シュトラウスII世と同父(右端)などのお墓も。朝の光に輝く大きな木々の木漏れ日が心地良い
1.ウィーン中央墓地の朝
◇ ウィーン到着の翌朝は天気予報通りの快晴であり、出国前からの念願でもあったウィーン中央墓地へ出かけた。中央墓地に詣でた理由は、ベートーベン、シューベルト、ブラームス、ヨハン・シュトラウII世や同父などのお墓が1か所に集められているが所以であり、クラシック音楽が(妻に劣らず)わが人生の伴侶なので、今回のウィーンでは大切な参拝だった。モーツァルトは、埋葬場所が不明(遺体が不明)であり、ベートーベン、シューベルトのお墓の間に記念碑が立っている。(王宮庭園にモーツァルトの立像が乗る記念碑は超有名で、ウィーンの絵葉書では定番。中央墓地の記念碑はモーツアルトを慈しむがごとくの女性像)

◇ ホテル至近の南駅からトラム18号線で東進し、71号線に乗換えて南下すると中央墓地に至る。1号門を過ぎて、2号門で下車し、正面に教会が見通せる立派な門を抜けると、大きな木立・木漏れ日の中、小鳥の囀りを聴きながら、お目当てのゾーンに至る。偉大な音楽家のお墓ゾーン以外も、立派な彫像・墓碑が整然と並んでいる。330万基のお墓が250万m2の地にあると中央墓地のホームページで知った。250万m2は甲子園球場(1.3万m2)の192倍の広さであり、下車場所を間違えると、とんでもないことになる。

◇ 同HPを読むと、1870年に分散していた墓地の中央化計画が始まっている。時期を同じくして、毎年元旦のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートの会場として著名な“黄金のホール”等があるウィーン楽友協会(Wiener Musikverein)の大ホールが1870年に建設されている。なお、本拠地が出来る前、いわばソフトの組織であるウィーン楽友協会は(ベートーベンやシューベルトが生存中の)1812年の設立で、今年2012年は満200年の記念年だった。想定外だったが、200周年記念演奏会を同HPで購入し、“黄金のホール”で、巨匠ダニエル・バレンボイム指揮・ウィーンフィルの演奏で体験出来たのは幸運だった。
朝日に輝くアイゼンシュタット:エスターハイジー城と子どもたち。木立が多く、花で飾られた旧市街は心地良い

2.アイゼンシュタットの朝
◇ ところで、モーツアルトが敬愛し、親交厚かったハイドンは、アイゼンシュタット(ウィーンの南方約50km)地方を統括したエスターハイジー家に仕え、幸せな人生を終えており、お墓は同地にある。晩年不遇で無残な死を遂げたモーツァルトと対照的な幸せな“パパ ハイドン”です。

◇ ウィーンに到着した夕刻、世界文化遺産のウィーン旧市街を歩き、ハイドンゆかりのエスターハイジーケラー#を訪れ、飲食した。一方、後日、世界自然遺産地区にあるノイジードラー湖畔のルストに出かけた。主目的は一般住宅の屋根にコウノトリが巣を作り、子育てをしているルストの街を訪問することと、ノイジードラー湖畔を貸自転車でサイクリングすることだった。サイクリング自体が楽しみだったが、毎年夏のオペレッタで著名なメルビッシュ音楽祭の会場を目的地とした。ルストからワイン畑沿いに約7km南下し、メルビッシュに着き、さらに、湖畔の道を2kmほど東に走るとゴール。2012年7・8月はシュトラウスの喜歌劇【こうもり】が、キャストを変えながら、28公演!ウィーン近郊地における夏の風物詩である。
#:アイゼンシュタット界隈はオーストリアで有数のワイン産地で、同地を統治したエスターハイジー家のワインヤードで採れたワインを提供するケラー、即ち、ワイン倉を改造した半地下のレストランで飲食した。

◇ 当初、ルストに直行する計画だったが、ハイドンにゆかりのアイゼンシュタットも散策しようと、出国間近に計画を変更した。三角形の二辺を走ることになる鉄道でも行けるが、時間的に大差ないことから、往路はポストバス(路線バス)とした。人と物そして郵便物を運んだ郵便馬車の歴史が残っており、ポスト、つまり、郵便局もしくは、その機能を果たしている店の前・至近にバス停があり、これらを結ぶノンビリ小旅行となる。整備されている高速自動車道を快走するのではなく、生活道路を結ぶバスの旅で、生活に密着していることが、乗客の服装・持ち物や運転手との会話等から伺えた。自由旅行の利点といえる。

◇ オーストリアは鉄道と路線バスの経営が一体化され、オーストリア連邦鉄道(ÖBB)のHPでは、発着地(宿泊ホテル名などランドマークや都市名など)や出発日時を入れ、交通手段を選択して検索することが出来る。ポストバスを選択すると、列車番号同様のバス番号や各バス停の到着時刻、路線概要地図を見ることが出来るので心強い。

バーデン市のインフォメーション(上左)・市庁舎前のペスト記念柱(右)~台座に3人の成人女性、大きな木立が多い温泉公園、バラ園の巨木と手前にあるベートーベンの頭部石像と小生。咲き始めていた薔薇とウィーンの森から流れ出る澄んだ小川(下)
◇ 5月24日(木)の朝、ホテル至近の南駅でチケットを購入した。窓口の彼女に保有しているウィーン市内(ゾーン1)の8日間フリー切符を提示し、アイゼンシュタットからルストを巡る計画を話したら、ゾーン5までの往復チケットが提供された。これに彼女はゾーン1枠にボールペンで×印をし、往復16 EURを請求した。購入後に料金体系が分かった。1ゾーンが2 EURであり、許されたゾーン内は交通手段を問わず、移動可能になります。アイゼンシュタットとルストは、どちらもゾーン5にありますが、往復チケットなので、アイゼンシュタットからルストへの移動には料金が付加されません。分かり易く便利ですね。

◇ 朝食を済ませ、ホテルから約500mにあるバスターミナル7:55始発のポストバスにタイミング良く乗れた。(バスダイヤは30分毎の運行で、8:25始発に乗る予定だったが、同士共フットワークが良く、思いがけず30分プレゼントされた感覚!)

◇ 運転手はラジオで音楽を選曲し、これを流しながらの運転(~走り慣れた路線なのでしょう)で、ウィーン市街から住宅地、そして、広々とした田園地帯の村々を走る。交差点はロータリー、各村の入り口は非直線化されており、各々でバスは速度を落とす。バス停のある場所は、例外なく、木々が目立ち、花で飾られている。やがて、事前研修で見覚えのあるエスターハイジー城を視認し、アイゼンシュタットの旧市街中心地に到着した。

◇ 至近の市庁舎にあるツーリスト・インフォメーションを経由し、資料を得て、ハイドンが暮らした記念館を訪ね、エスターハイジー城を訪れた。予想以上の好天に恵まれ、すがすがしい朝の陽光・木漏れ日を浴びつつ、心地良い散策が出来た。1時間半ほどの滞在で、同じバス停からルストに移動した。

3.バーデンの朝
◇ 1994年10月に妻と初めてウィーンを訪れた際、国立歌劇場近くに、特徴的な赤い路面電車(トラム)と異なる青色調で行き先が Baden とある車両を見て、あこがれを抱いた。その際は、時間・情報がなく、乗車できなかったが、今回は「チャンスがあれば!」と機会をうかがっていた。

◇ 自身、鉄道ファンでもあり、せっかくなら始発から乗車をと、ホテルからトラムで一旦中心部に出た。バーデン(Baden bei Wien)はウィーン南方25kmほどの位置(ゾーン3)にあり、2ゾーンのチケット(4 EUR)を自動発券機で買い足した。既に、ルスト行きを体験しており、ゾーンが示された路線図を見て、“勝手知ったる”の購入だった。

◇ 当地は、ローマ時代からの歴史ある温泉保養地で、ベートーベンが滞在した家や名を冠した通りが現存していることや、モーツアルトの妻コンスタンツェが当地で保養した(~映画【アマデウス】では愛想を尽かした彼女が息子を連れて逃げた)場所として著名で、モーツアルトは小作だが珠玉な“アヴェ・ベルム・コルプス”を捧げていることなどから、是非、訪問したかった。

上段から、世界文化遺産のシェーンブルン宮殿と庭園、宮殿奥の戦勝記念建築物グロリエッテ。登って振り返った宮殿とウィーン市街(尖塔はウィーン旧市街の象徴シュテファン大聖堂)、早朝の庭園は手入れ中
:ÖBBと異なる私鉄のWLB(Wiener Lokalbahnen)であるが、乗車券ルールは同一である。該当する日の最初に車内にある刻印機で刻印をすれば、チケットを保持しておれば、ゾーン内の昇降が可能で、乗降共に改札口はないので、車内検札がある場合を除き、ポケットに入れっぱなしとなる。もしも、該当乗車券がない場合は罰金(調べていないが、高額のペナルティ)が科せられる。
 ウィーンを発つ朝、近郊線で空港に向かう際、ウィーン市内のフリー切符は前夜で失効しており、本来なら自動発券機で2ゾーン分(4 EUR)のチケットを購入し、車内で刻印してから座席に座るべきであった。が、帰国に向けた空港への移動に緊張感・達成感や安堵感といった複雑な心情があり、(往路は空港インフォメーションで購入したが、逆となる復路は初体験であり、)同志共にチケット購入の概念を完璧に逸していた。で、何と、呑気に会話していて、(ウィーン市内路線では初めて!)車掌が検札していることに気づいた。前夜までに残していた現金(5 EURのみ!)の中から4 EURを差し出しつつ、車掌には「We are Japanese. Back to Airport. We lossed to buy tickets.」とか何とかシドロモドロで英単語を羅列した。幸い、ペナルティなしで、4 EURで 2 zone の乗車券を発券してくれた。ヤレヤレ・・・ これらの失敗も自由旅行の楽しみ?!(車掌は「こいつらにペナルティ云々説明しても分からないだろうし、正規の運賃でOKにしてやろう。国際親善だ!」とか考えたのでしょうか・・・??)

4.シェーンブルンの朝
◇ウィーンに滞在中、同志が「ウィーン記念にジョギングしたい。設定してくれ」と要望してきた。結論的には、ウィーンを発つ前の日の朝、それこそ“朝飯前”に、世界遺産に指定されているウィーン第一の観光地でもあるシェーンブルン宮殿に出かけた。といっても、宮殿が目的ではなく、自由に入れる広大な庭園を同志のジョギング場所としたのである。

◇ 実は、シェーンブルン(宮殿・庭園)は、今回既に訪れていた。好天の日にメルクやルストに出かけることにしていたので、曇天・少雨予報の午前中に当地を訪れた。予報通りの曇天で、時折、小雨がパラつく程度であった(~小生は記念に傘をさした!)が、快晴の朝、同庭園を散策したい願いがあった。
◇ 二人の願いが合致した。小生は予備のナップサックを準備して臨み、宮殿のテラスで彼が着替えた後、背負い、彼の出発を見送った。彼は、宮殿正面(南南東)にあるグロリエッテまで走り登った後、広大な庭園の周囲を走った由で、「広かったぁ!」と。この間、小生は、朝日に照らされた庭園をゆっくりと散策した。
≪随筆≫ ウィーンを愛して 
(1)気分は学生・クラシック音楽三昧 (2) 心地良い朝の散策が嬉しくて
(3)ベートーベンの小路とホイリゲ (4)教会ミサ~生活に根付いた音楽
(5)クリムト生誕150年記念イヤー (6) トラム ・ 列車 ・ 船 と ポストバス

姉妹編 《随筆》 [パリに魅せられて