鳥取県東部医師会報用に準備した≪随筆≫原稿 : 本稿は2013年9月号(No.407 p.53-56)に掲載

パリに魅せられて (1) モンマルトルで奔放に
モンマルトル点描:Metro 12号線ラマルク・コーランクール駅で下車し、階段・坂道を登ったシャンソニエ・ラパン・アジル横(左)、その至近にゴッホゆかりのカフェやパン屋さんなどが並ぶ賑わい(中)、ユトリロで知られるテルトル広場(右))

◇ モンマルトルには私的あこがれ・思い出がある。
 モンマルトルの丘を初めて訪れたのは、初めての海外旅行で西欧に出かけた1990年11月4日(日)午後で、第1回鳥取市勤労青年海外研修団の一員としてパリに3泊した際の自由時間帯だった。好天に恵まれ、観光客を対象とした似顔絵を描く画家や自作を露店で売る画家が目立つテルトル広場からパリのランドマークである白亜のサクレ・クール寺院を巡るなど、憧れの地に来た幸福感を抱いた。テルトル広場界隈では画廊に入り、バイオリン等が描かれた小品を記念に購入した。

モンマルトルの丘で、シャンソンが聞こえ、近寄るとストリート・パーフォーマーが歌っていた。「良かった!ステキだったよ!」のお代にコインを入れる際に、コラボした(下)
◇ 2回目は1997年11月、自治体病院協議会西欧医療視察団の一員としてパリに3泊した際、皆でモンマルトルの丘の麓にあるキャバレー[ムーラン・ルージュ]“研修”をし、フリータイムの夜には、7年前の土地勘を活かして老舗シャンソニエであるラパン・アジルに仲間3人を伴って訪れた。

◇ [ムーラン・ルージュ]では、シャンパンを飲みながら食事をし、この後にショーが始まる。前半は起きて舞台を楽しんだ。が、アルコールは好きであるが、弱く、直ぐに酔ってしまう小生であり、いつしか頬杖を突いたまま熟睡していた。意識が回復した時は、何と終演後のざわめきの中だった。つまり、[ムーラン・ルージュ]の名物である、踊り子たちが裾野をまくしあげて通常見せないアソコを露出する劇場での生々しいフィナーレを見損なってしまった。フレンチ・カンカンの際に流れる彼の有名なオッフェンバックの喧騒とも言える「天国と地獄」を含め、豊かな音楽が子守唄になっていたとは・・・。

◇ 自身にしてみれば、旨いシャンパンを飲み過ぎたことでの大失態だった・・・。さらに、店内に入れない添乗員はロビーのガラス越しに小生を見ておられたようで「大谷さんは微動だにせず、食い入るように見ておられましたネェ!」と。嗚呼、何と残念なことだったか・・・。前半、料理とシャンパンの心地良さ(天国)と、後半、ショーのメイン・名物を見損なったこと(地獄)は忘れない!

◇ ミュージカル映画ムーラン・ルージュ(2001年・米)には実在のロートレックも“出演”する。ロートレックはモンマルトルの裾野にあるキャバレー[ムーラン・ルージュ]に通い詰め、踊り子たちの赤裸々な多くのデッサンが著名で、そこでの多くのデッサンを活かした当時としては斬新・先進的なポスターは、周知の通り今日では芸術品扱い。この映画でムーラン・ルージュの雰囲気に浸り、残念な思いを癒せたことは幸いだった。
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◇ 2012年10月には、妻の還暦記念として、二人で初めて、パリに7連泊した。定番となったが、会員登録済のフィンエアーを正規格安航空運賃58,800円で購入し、同時に座席も指定した。フィンエアーは、往復とも生活時間帯での出発ダイヤで、コンパクトなヘルシンキ空港での乗換を含め、利便性が良い。西欧へのほぼ飛行ルート上にヘルシンキが位置する地の利も効率性を高めている。
モンマルトルの丘の象徴、白亜のサクレ・クール寺院には聖ルイ王と共にジャンヌ・ダルクの騎馬像(下右)も

◇ 主翼先端を含めた北極側のシベリアの景色を(寝ずに)眺め続け、好機を逃さずに撮るのが趣味・生甲斐の一つであり、よって、小生のVIP席は、エコノミー・クラスでないと得られない後方窓側(:往路は対A側・復路はA席)です。蛇足だが、1990年の初渡欧時から、往復の機内研修は、自身の体力テストを兼ねている機会と認めている。幸い、今日まで20余年で機内の研修姿勢が変わらないことに感謝至極です。

◇ ホテルは四つ星だが格安で、1990年に馴染んだMetro 6号線にある駅(Dupleix)前にあるメルキュール・タワー・エッフェルを選択した。ホテルの紹介文にエッフェル塔が眺められる部屋があるとのことで、下手な英文をメールし、願いが適ったことは幸いだった。
:メトロ6号線は市中心部の南側にあり、セーヌを越える界隈は高架鉄道となっており、エッフェル塔を垣間見ることができる。夜にはライトアップされた塔が美しく、セーヌを越える際は圧巻の景色になる。)

◇ 旅行業者を通さないということは、空港からホテルへの移動も研修となる。10月6日(土)夕刻、ヘルシンキ経由で、雨模様のパリに着いたが、市内に移動する近郊快速線(RER)の駅界隈は暗くて、人気がなくて困惑した。フランス語は0点(:女性はバレエへの憧れからか、1・2・3をフランス語で言える人が多いが、小生はこれもダメ)で、英会話も全くの欠点水準(:小生が単独でロンドン#に行った後に、鳥大神経小児科の後輩で米国生活体験のある彼女が「英語ができましたっけ?」と、呆れていたのを思い出すほど)だが、幸い?最終的な国際語となる表情・動作で目的は達成できる。(#本会報 No.395-400 随筆欄
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◇ ド・ゴール空港に到着し、アナウンスを聞くが理解できず、案内所で尋ねたが説明が何故か複雑でチンプンカンプン、唯一VAL云々・・・。困惑至極だった。人の流れを信じて、VALこと空港内移動用無人電車に乗り、別のターミナルから、バスに乗った(~お金を払おうとしたら、運転手が無料だとの所作をした)頃から、乗り場で渡された概略地図付のフランス語の読めない案内情報で、RER空港線が運行を停止しており、別の駅からRERでパリに移動するのだろうと判断した。当たりをつけるために、混雑するバスの先頭に立ち、緊張感を抱きつつ、夕暮れ時の雨が降る中、車窓研修をした。

◇ 思いがけず、長時間に感じられたバス移動(約30分)で、想定外の駅に着いた。バスを降りて、別路線のRER駅舎に入り、ホームに移動する際に、自身、西欧では稀有なことだが、雨に濡れた。ホームに入った車両がパリ市街に向かうRERであることの確認をし、座席に座り、やっと安堵!冷や汗の研修だった。
パリ市街が俯瞰できるサクレ・クール寺院前の賑わい。サッカーボールを用いたアクロバット的パーフォーマーは大きな注目を集めていた。街灯に登る際も手でボールを持つことはなかった(下)
 車中で肌が濡れた感覚が残ったが、エスカレーターがない田舎駅でのホーム移動の際、小雨が降る湿度の高い環境でスーツケースを運んだ汗、それとも過緊張由来の冷や汗?
 RERからMetro6号線に乗換、ホテルにチェックインしたのは当初予定より約1時間遅れた20時半過ぎで、自由旅行ゆえの体験研修だった。自室に入り、窓からライトアップされたエッフェル塔を眺め、やっと安堵した。

◇ 情報を収集し、土日主体の全日工事が行われていたと知り得たが、日本なら、列車の運行がない深夜帯の工事となるのが常であり、お国柄の違いを体験研修した。ところで、VALはVéhicule automatique léger 軽量自動車両 の略と、帰国後に調べて分かった。
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◇ 翌日曜日の天気は一転して快晴に恵まれた。モンマルトルの丘は、1990年に体験したのと同様、観光客で大賑わいだった。お昼時に、彼女はパン屋さんに入り、小生はアイスクリームを買い、段差のある路端を伴う広場に他の観光客に混じって座し、行き交う人たちを観察し・観察されつつ、ストリート・パーフォーマーのバイオリンを聴き、寄ってくる鳩や雀にパンをちぎって手渡しで与えなど、時間制約のない呑気なひと時・・・。雀に手渡しでパン屑を与えたのは初体験だった。

◇ 似顔絵描きが目立つユトリロでお馴染みのテルトル広場に出て、サクレ・クール寺院に向かう途中、シャンソンが聴こえて来た。広場で人の輪が出来ており、しばし雰囲気を楽しんだ。志のコインを置く際に、小生ゆえ(?)ボリュームを上げてハミングしつつ寄ったら、これに呼応し、ジェスチャーをしてくれた。
 青空に生える白亜の聖堂、サクレ・クール寺院は、いつ見ても美しい。聖ルイ王と並ぶ剣を持ちあげたジャンヌ・ダルクの騎馬像は凛々しい。ガイドブックに高さ5mとある。

◇ パリ市街を俯瞰する大聖堂前は、日曜日の午後ゆえに、階段に座して語り合う若者たちや、ギターを弾いて歌う彼、そして、今回はサッカーボールを巧みに操る黒人の彼など、小生には居心地が良かった。

◇ 振り返りつつ、環境・景色にゆっくりと馴染み、降りて行った。日本なら表参道といえる商店街も賑わっていた。チョコレートで造られたエッフェル塔などがある店内に入り・・・。

◇ 自身の初体験から22年目に念願が適い、モンマルトルを伴侶と共に満喫できたことに感謝至極でした。

〓 モンマルトル関連 : 自学用備忘録 〓
ピサロ(Pissarro: 1830/7/10~1903/11/13)
ルノワール(Renoir: 1841/2/25~1919/12/3)
ゴッホ(Gogh: 1853/3/30~1890/7/29)
ロートレック(Lautrec: 1864/11/24~1901/9/9)
ピカソ(Pablo Picasso: 1881/10/25~1973/4/8)
ユトリロ(Utrillo: 1883/12/26~1955/11/5)
モディリアーニ(Modigliani: 1884/7/12~1920/1/24)
ルノワールによる絵画 『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』 1876年 オルセー美術館所蔵
ゴッホによる絵画 『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』 1886年 ベルリン新美術館所蔵
トゥールーズ=ロートレックによる絵画 『ムーラン・ド・ラ・ギャレットにて』 1891年頃 ポーラ美術館所蔵
ピカソによる絵画 『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』 1900年 グッテンハイム美術館所蔵
ユトリロによるポショワール 『霊感の村より「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」』 1950年
ユトリロによるリトグラフ 『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』
ユトリロによるリトグラフ 『ムーランドラギャレット』 1955年
≪随筆≫ パリに魅せられて 
(1)モンマルトルで奔放に (2)サン・マルタン運河で遊ぶ (3)彼女の思惑とプチ・トリアノン
(4)オペラ座ガルニエ宮に驚嘆 (5)天晴れプチ・パレ (6)ラパン・アジルで歌う
姉妹編 《随筆》 [ウィーンを愛して