平成21年6月定例会代表質問(平成21年6月12日)No.8

<出納長制度廃止後の県のトップマネジメントについて>


 平成18年5月に改正地方自治法が成立した時点で既にわかっていたことですが、青木出納長の任期満了に伴い、出納長のポストがこのたび廃止されることになります。これにより、知事を補佐する特別職は副知事1人という体制になります。
 青木出納長は、会計責任者としての本来の任務に加え、産業振興、国際交流等、重要な折衝を県のナンバースリーとして、知事にかわり支えてこられました。やはり対外折衝の場面では理屈抜きに地位が重視されることが多々あることから、特別職としての出納長ポストは、県政運営上、非常に重要な意味があったのではないかと私は思います。
 青木出納長にお尋ねしますが、これまでの出納長職を振り返り、県のナンバースリーとして職責はどうであったのか、その所感をお伺いします。
 出納長廃止に係る制度改正は、平成17年12月の第28次地方制度調査会の答申に端を発したものであり、各地方公共団体がみずからの判断で適切なトップマネジメント体制を構築できるよう新たな制度に改めることをねらいに、時代の変化に合わせ、会計責任者としての出納長、収入役制度が廃止されるものです。
 ただ、これにあわせて副知事、副市町村長は、実情に合わせ条例で定数を定めることができるなど、その職務は知事の代理にとどまらず、知事の命を受け、政策及び企画をつかさどる等、その権限を明確にするよう制度改正が行われています。
 知事は東奔西走の毎日で、息つく暇もない激務をこなしておられますが、このたびのナンバースリーとしての出納長が廃止されるに当たり、知事の激務に拍車がかかるのではないか、その結果、県政に停滞が生じることはないのか、私は一抹の不安を感じます。
 一昨日の廣江議員の代表質問に答えて知事は、県庁業務を横断的にマネジメントできる職を検討したいと答弁されていますが、今日の経済対策、環日本海貿易等を考えると、出納長が勤められていた業務を空白することは避けるべきと考えますが、知事の所見をお伺いします。
 

●知事答弁

 
 
廣江議員の代表質問でお答えしたとおりですが、私は各県の動向もよく見させていただいていますし、自治法の改正についても思いをいたさせていただきました。
 出納長の廃止に伴い、それぞれの県でそれぞれのやり方をしております。例えば徳島県では出納長が廃止されて、そのときに今度は副知事の定数を2にしています。副知事さんが2人おられたのですが、お一人はこのたび兵庫県に競馬を見に行ってやめられてしまったわけで、2人が今1人になってしまったと。ただ、徳島の場合はさらにもう一つ政策監というのを置いたりしていて、要は横串的な人をつくろうではないかという問題意識だと思います。
 私は、そういうのについて一考の余地は十分あると思いますので、ぜひ考えてみたいと思っておりますが、ただ片方で、これだけ財政も厳しい状況ですし、失業で苦しんでおられる方々もおられるという県民感情も考えれば、副知事の定数をふやすことが果たして今得策なのかどうかと思いますと、今は控えるべき状況ではないだろうか。むしろ現在の体制の中で、まずは私としてのぎりぎりの努力をやってみる必要があるだろうと。職員の協力も求めながらしていく中で、今後の組織のあり方を今年度いっぱい考えてみたいと思っています。

●青木出納長答弁
  
 まず、任期満了を迎え、この晴れの本会議で花道といいますか、こういう機会を与えていただきまして、本当に伊藤保議員に厚く御礼を申し上げたいと思います。

 先日の廣江議員からも御指摘があるように、それから先ほどもありましたが、自治法の改正によって、平成19年の4月から出納長は置かなくてもいいという制度改正がされたわけですが、平井知事のほうからは任期までこのままでという温かい言葉をいただいて、きょうまで勤めることができました。改めまして平井知事の厚情に対して御礼を申し上げたいと思います。
 先日の廣江議員のところの答弁で、身に余る知事のお言葉をいただいて、本当に面映ゆく答弁しにくいのですが、少し時間をいただいて、4年間を総括してみたいと思います。
 まず、会計責任者としての職務ですが、大きく現金、それから有価証券、これの出納保管、それと支出の確認といいますか、チェックが大きな仕事です。おかげさまで会計経理上は大きなミスもなく、それから、資金管理上はこういう金融情勢の厳しい中で、年々利子収入は増額しています。平成20年では4億 8,000万余の収入を確保することができました。でも、これは私だけの仕事ではなくて、本当に会計職員を初めとする会計事務に携わる多くの職員の、例えば収入・支出の見込みだとか、早期収入を図るとか、こういう地道な努力の積み重ねであると思います。改めて皆さんに感謝をしたいと思います。
 会計事務以外の仕事ですが、生来私は机に座っていることが大嫌いで、平成17年のこの職につく折に、片山知事に、暇をつくって現場に出させてくださいというお願いをしました。商工労働部長時代に片山知事から、商工行政とは統計的に物を見るのではなくて、鳥瞰図的に物を見るものではなくて、個々の企業がどういう課題を抱えているか、どう行政が支援してきたらよくなるか、そういうことを現場で把握しろということ、いわゆる現場主義を教わりましたから、この現場ということは即オーケーでした。
 その後、自立型経済構築プロジェクトチームのチームリーダーという特命を受けました。さらに、平井知事の次世代改革推進本部の中では、産業振興、雇用確保チームのチームリーダーということで、商工、農林水産業、観光と本当に幅広い分野にかかわりを持ってこさせていただきました。さらに、企業立地推進本部の本部長として、それから食のみやこ戦略会議の座長として、部をまたがる横断的な調整役をさせていただきました。そういうこともさせていただきましたけれども、企業誘致という面では、本当に大きな成果は上げることができませんでした。ただ、たくさん種をまいてきましたので、景気の回復ができたら芽吹くものと確信をしています。それから鳥大初の世界最先端の染色体工学の技術ですが、バイオ産業として地元に根づくものと思っていますし、鳥取大学初の技術が地場産業としてどんどん花咲くことを期待いたしています。
 最後になりますが、最後まで本当に気をもませたのが、DBSクルーズフェリーです。昨年20年の2月の県議会でありましたが、小谷議員の質問にお答えをしたことがあります。私が10年前に境港管理組合の局長をしている折から、この環日本海航路の就航というのは悲願であります。そういうことで、私の就任中に就任すればいいなと本当に期待していましたが、今日を迎えています。ただし、平成20年の2月の折では、その年の夏には就航するということで計画されておりました。しかし、不況の波をもろに受けてしまい、就航延期、さらに大株主の撤退ということになったわけです。
 DBSのこの1年間というのは、ほぼこの株主を探すという仕事が主な仕事であったろうかと思います。しかし、11月には資本金の3分の2を出資する大株主があらわれました。しかし、2月まで法人登記といいますか、資本金登記するのを延ばしたり、慎重に検討されてきています。こういう経済情勢だからやむを得ないのかなという気がしていますが、その後も船の購入だとか船の改造についても、1年前の契約をもう一度白紙に戻して再度交渉するという、本当にこれも慎重に、初期投資を抑えるという意味で検討がされましたわけでありますが、就航の免許期限が迫る中でじれったく思いましたけれども、初期投資を抑える、こういう最終的に経営責任というか、経営リスクを負うのは経営権を持っている大株主ですから、やむを得ないのかなという気を持ちました。
 しかし、いずれにしても、こういう経済環境の中で本当にこの2年間計画を練ってきたという自信か、それから信念かわかりませんけれども、パワーに本当に感銘を受けました。ぜひこの航路を成功させたい、成功してほしいという気持ちでいっぱいです。どうか官民挙げてこの航路が安定的に、そして継続的に就航することを皆さんで努力していただけたらと思います。
 いろいろなことをさせていただきました。余り多く持っていませんが、経験と人脈を本当に生かせたかなと思います。そして、平井知事のもとで平井知事が重点とされる事業にかかわってくることができた、これは本当に私にとって一生涯の光栄です。そして、多分これからの私の生涯の思い出になろうかと思います。
 最後になりますが、職務命令を与えていただきました平井知事、そして一緒に仕事をした職員の皆さんそして議員の皆さんからは指導も御理解もいただきました。この場をおかりして皆さんに厚く御礼を申し上げ、答弁にかえさせていただきます。本当にありがとうございました。

<出納長制度廃止後の県のトップマネジメントについて>2
 知事答弁ありがとうございました。また、出納長も本当に幅広い人脈を生かして、今日まで本当に御苦労さまでした。私も敬意を表したいと思っています。