<市町村の教育委員会のあり方について> |
未来へ子どもを送るためにということで、市町村の教育委員会のあり方について質問します。
私は、昨年の12月の一般質問でも申し上げましたが、私自身の基本的な政治方針として、子どもは未来からの授かり物であり、今を生きる私たちは子ども達に夢を与え、次の未来に責任を持って送る義務があると思っております。つまり、今を生きる私たちが現状に満足することで終わるのではなく、子ども達を次の未来に送るためには、あらゆる犠牲を払ってでも最優先に取り組まなければならない極めて重要な行政施策であると考えております。
そうした中、教育の地方分権ともいうべき「今後の地方教育行政のあり方について」が、平成10年9月に中央教育審議会から答申されたところです。その中には、国、都道府県及び市町村の役割分担のあり方を初め、教育委員会制度のあり方などについて答申がされておりますが、それぞれの見直しということで具体的な言及は避けられております。しかし、中には市町村教育長の任命承認制度の廃止等、この4月から改革が実施に移されているものもありますが、大半は不透明なものばかりです。
しかし、これまでの教育行政は、文部省、県教委、市町村教委と極めて太い上下関係で進められてきた経過もあり、このたびの答申は、これまでの教育のあり方について大きなくさびを打ち込むものと理解しております。また、偏差値中心の教育、閉鎖的な学校運営、画一的な教育、家庭の教育力低下など、硬直化した現状の教育を根本的に見直すため答申されたものと理解しております。
確かに荒れる17歳とか言われているように、新聞紙上に取り上げられている子ども達が起こしている事件は、過去に例を見ない悲惨なものばかりです。しかし、事件の悲惨さだけがクローズアップされておりますが、本当に悪いのは子ども達だけでしょうか。こんな子ども達の環境をつくってきたのも今の大人であり、逆に、ある意味では今の子ども達は大人の社会のひずみの犠牲者であると考えております。こうした子ども達の環境をつくってきた私たち大人は、今こそ真剣に議論し、そのあり方を早急に模索しなければならないと思います。
そこで、有田教育長にお伺いします。県と市町村の教育委員会のあり方が、これからの一つの大きな課題であろうと思います。上下という関係でなく、それぞれの地域の実情、実態に合った教育の取り組みが大きく問われる時代であると考えますが、有田教育長としては、具体的に県と市町村の教育委員会のあり方、つまり相互の関係をどう考えておられるのか、お伺いします。
また、市町村の教育委員会のあり方としてどんな姿を理想としておられるのか、お伺いします。
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●教育長答弁 |
御案内のように、一括法が今年4月に施行されて、教育行政の面におきましても、従来の国、県、市町村の関係が見直されて、国や県の関与が縮減しております。したがい、市町村の教育委員会は、住民の方々のニーズを今まで以上により的確に把握して、より身近な教育行政を展開し、さらに地域の実情や特性に応じた施策を自主的に、主体的に実施していただく、こういったように、政策形成から事業の実施に至るまで、今まで以上により独自に、主体的に仕事を行っていただくと、こういったことが期待されているわけです。
理想的な姿ということですけれども、市町村教育委員会は地域に根差した、より主体的かつ積極的な施策や取り組みを展開されるような力をつけていただく、体制を整備していただく、このことが理想の姿であると考えております。
一方、県と市町村の教育委員会は、一人の子どもの成長過程を見ますと、やはり県も市町村もともにその育成にかかわっていますので、対等な立場で連携協力してそれぞれの役割を果たすことが、今まで以上により強く求められていると受けとめております。
こうしたことで、県教育委員会としては、市町村の教育委員会が自主性や自立性を十分に発揮いただくように支援することが、特に今強く求められていると認識しております。したがい、私ども県の教育委員会事務局職員の従来の意識を大きく変えていく、いわゆる意識の改革はもとより、連携・協力のための事務の進め方、あるいは組織のあり方、こういったことの点検なども引き続き行い、市町村にも十分理解いただくように努めたいと考えているところです。
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<市町村の教育委員会のあり方について>No.2 |
私は、これからは一つの教育委員会のありよう、そして力量が大きく問われる時代であると考えております。確かに教育委員会には教育の裁量権と教職員の人事権しかなく、肝心の財政権といいますか、予算権がないのが泣きどころですが、市町村の中には教育委員会自体が形骸化し、教育の裁量権すら実質ないところもあり、危惧するところです。
しかし、市町村の教育委員会の中には、みずからその町の教育の重点を心の教育、3大目標と位置づけるなどして、積極的に地域教育を検討しているところもあります。そうした中、市町村の教育委員会は、新たなる時代に向け、自立性・自主性をもっと発揮すべきだとありますが、残念なことに、町村の教育委員会には学校教育のプロパーがいないのが1つの問題であると考えます。したがって、これだけ教師の資質が問われる時代でありながら、市町村教育委員会は、児童生徒から信頼されたり、保護者の皆さんから信頼される教師に育て上げる力もなく、ただ信頼のない先生は他校へ異動させるだけというような問題の先送りだけで、根本的な問題の解決ができる状況ではないと思います。
そこで、社会体育にしろ、社会教育にしろ、社会教育法に基づき社会教育主事の設置が明記されており、鳥取県においても社会教育主事の設置を促進する手段として昭和46年度から平成9年度まで派遣社会教育主事制度があり、大きくその役割を果たしてきました。しかし、学事係は置いていても教育指導主事を置いている町村はなく、教育事務所がその役割を果たしているのが現状です。
不登校を初め学校現場で次々と発生する問題は、地域により、また学校により、その背景はまちまちで、共通する特効薬はなく、一つ一つ個別に対応するしかありません。したがって、それぞれの地域教育のあり方を考えたり、心の教育や不登校の問題を現場の教師が構えることなく気軽に相談でき、アドバイスできる教育指導主事を派遣社会教育主事制度にかわる制度として全市町村に派遣すべきと考えますが、いかがなものでしょうか。
ちなみに、高知県では平成9年度から教育改革の一端として、学校、家庭、地域社会が全体として教育力を高めていく教育的な風土づくりと、心豊かで自立できる人づくりを推進することを目的に制度が運用されております。平成11年度からは53の全市町村に1名ずつの教員が派遣されております。今、鳥取県でも求められているのは、社学一体となった地域教育の推進です。財政的には厳しい問題もありましょうが、39人の教員を県下全市町村に派遣することにより、鳥取県内の子ども達が明るく伸び伸びと育っていくことは、1つのプロジェクトをするよりも、50年先、いや100年先には大きな成果となってあらわれるものと思いますが、片山知事及び有田教育長の御所見をお伺いしたいと思います。
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●知事答弁 |
市町村の教育委員会に県から主事を派遣してはどうかと、こういう御提言だと思いますし、それにかかわらず、市町村の教育委員会のあり方についての伊藤議員のもどかしさといいますか、私もよくわかります。共感できるところがございます。
市町村の教育委員会に予算権がないというのは、これは我が国の地方自治制度の中で予算は長がすべて統括をするということになっておりますから、やむを得ないのです。予算権を持たすという仕組みもないわけではありません。アメリカなどでは教育委員会が課税権を持って、みずから教育に要する経費は、固定資産税みたいなものですが、独自にプロパティータックスというものを課税して、それで教育予算を調達をしているというケースもあります。そういうやり方もあるのですが、我が国の場合には、長が統括する予算の中で教育委員会も配分を受けることになっております。
そこで、十分な予算が市町村で教育委員会に回っていないのではないかという、これはそれぞれ市町村によって違うと思うのですが、もし教育委員会に必要な予算が配分されていないということになりますと、それはやはり、1つには長の見識の問題だろうと思いますし、先ほど申し上げたように、その町村の議会がどういう議論をしているのか、してないのかということも大変関心のあるところで、私は、その辺が一番ポイントになるところだと思っております。これは県があれこれあれこれ言うよりは、まず住民の皆さんが本当に教育の大切さを痛感して、我が町の教育行政はどうなっているのかということを、議会の傍聴も含めてきちっと関心を持つべきだと思います。そのことが、迂遠なようでも一番近道ではないかと思います。
口幅ったいことですが、私は市町村の教育委員会の教育委員の皆さんの人選にも、これまで以上に意を払って、真剣な委員の人選をぜひ心がけていただきたい。場合によっては審議会の委員と同じような任命をしているところもあるように聞いておりますし、叙勲に有利だから任命しようというところもあるようなことも聞いておりますが、そういうものではないわけで、教育については本当に責任を持った教育委員ですから、委員の選任と、選任を同意する市町村の議会においても、真剣に取り組んでいただく必要があるだろうと思います。
その上で、市町村の教育委員会にはスタッフの充実が必要だろうと思います。その点の認識は伊藤議員も私も同様です。市町村の教育委員会は、ともすれば建物を建てて管理をする、あと教員の問題は県がすべてやるという、そういう実態にあるとすれば、これからはそれではいけないと思います。市町村の教育委員会にも、ちゃんと教育を指導できる体制、人材の充実が必要だろうと思います。
その際に、伊藤議員は39の市町村に県から派遣してはどうかということを言われるわけですが、私はそこは見解が異なり、やはり県からあてがいぶちを出すのではなくて、市町村の方で自主的に人材を得る努力をされることが大切だろうと思います。県からあてがわれた主事がその市町村の教育のあり方を考えるというのは、私はちょっと不自然な感じがします。違和感を覚えます。やはり自分のところで集めたといいますか、調達をしたスタッフが真剣に考えるということが必要だろうと思います。
例えば、これは例えでありますが、文部省から47都道府県に主事を各県の教育委員会に派遣すると言われても、私は多分断るだろうと思います。それならば、自分でそういうスタッフをそろえるという道を選択するだろうと思います。
ただ、これから市町村において本当に適切な人材を直ちに得られるかどうかというのは、いろいろ事情もおありでしょうから、例えばその間しばらく県から出向させてくれ、県から貸してくれということがありましたら、それは私は県の教育委員会も積極的に対応すべきだと思います。これは教育委員会に限りませんが、これからの地方分権の時代で市町村が人材をそろえるということは大変重要なことで、まずは人材です。先般も会見町の新しい町長さんから、優秀なスタッフを貸してくれ、出向させてくれというお話がありましたので、ついこの間、県の幹部を助役として出向させたところですけれども、これからも、市町村からそういう意味での人材の手当ての依頼がありましたら、県としては積極的に対応するつもりです。
いずれにしても、伊藤議員の御指摘はもっともです。ただ、手法としては市町村で自主的にやっていただきたい。必要な協力は県がしたいと思います。
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●教育長答弁 |
ただいまの知事の答弁の内容ですが、私は、改めて知事に対して十分内部で検討しながら、さらには市町村教育委員会とも検討しながら協議したいと思っておりますけれども、お話のように、完全学校週5日制が目前となっている、大きな社会情勢の変化もある、そういう中にあっての地方分権です。
確かに知事もおっしゃったように、私もお答えしたように、この4月から県と市町村との教育委員会の関係が大きく姿を変えてきたと。その中にあって、かつてこうしたけれども、引き続きこうできないかという話は一般的には通用しない、通らない、これは筋だと思います。しかし、派遣社会教育主事制度、これは3年間ローテーションということで、いわゆる呼び水的に実施した制度であると思っておりますけれども、あるいは鳥取県独自の期限を設定してのやり方としてどのような方法が考えられるのか、あるいはふさわしいのか、あるいはお望みなのか、これは県と市町村の新たな役割分担を十分に認識しつつ、過渡的に、今の教育課題を解決すべく、両者が協調して、共同してどうあるべきか、これは引き続き急いで検討しなければいけない課題のように受けとめております。
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