平成13年12月定例会一般質問(平成13年12月10日)No.1

幼保二元制度について

事前に通告をいたしておりますとおり、就学前の子供のありようについて一般質問をしたいと思いますが、先ほど申し上げましたとおり、石原都知事のような態度でなく、片山知事なり有田教育長の忌憚のない御答弁をいただきたいと思います。
 私は以前にも申し上げましたが、私自身の基本的な思いとしまして、子どもは未来からの授かり物であり、今を生きる私たちは、子ども達に夢を与えて次の未来に責任を持って送る義務があると思っています。このことは人類普遍の原理であり、経済が低迷し財政が厳しいから予算がないなどという議論の問題外であると考えております。したがって、あらゆる犠牲を払ってでも、子ども達の目線で私たちが最優先に取り組まなければならない極めて重要な行政施策であると考えています。
 そうしたことから、シリーズ的に教育全般にわたって一般質問を行っていますが、このたびは就学前の幼児教育を中心に幾つかの問題点を指摘しながら議論をし、政策提言をしたいと思いますので、為政者として大胆な発想のもとでの御答弁を期待をいたします。
 先日もNHKで、感動の家族愛としてシロオオカミの親子が厳しい大自然の中で生きる様子が放映されていましたが、今、数多くの動物の中で子育てや家族愛を一番忘れてしまった動物は人間ではないかと一抹の寂しさを覚えました。つまり、子育てができない今の親たちをつくってきたのはこれまでの教育であり、それを支えてきたのは私たちでもあります。今こそ未来永劫に子育てや家族愛を伝えるためにも、これまでの反省に立ち、子育てができない親たちを二度とつくってはいけないと思います。
 バブル崩壊から10数年、社会、経済とも絶頂期からのシフトダウンが思うようにできないまま、真っ暗やみの景気低迷のトンネルに入りっ放しで出口の明かりさえ見えない現在、不登校、引きこもり、学級崩壊、中途退学等、小・中・高等学校においてそれぞれに大きな問題を抱えております。特に構造改革、不良債権の処理が実施されていない現段階の中でも厳しい経済情勢なのに、もし構造改革、不良債権の処理が実施されたと想定するならば、想像を絶する社会情勢になるものと心配することとあわせて、こうした社会の不安、社会の荒れの影響をもろに受けるのは、結局は社会的立場の弱い子ども達でなかろうかと極めて心配をするのです。
 こうした中にあって、高等学校の先生は、中学校がもっとしっかりしてほしい。中学校の先生に言わせると、小学校がもっとしっかりしてほしい。小学校の先生に言わせると、幼稚園、保育所がもっとしっかりしてほしいと異口同音のように言われます。つまり、責任の行き着くところは就学前の子供たちが通う幼稚園と保育所にあるように言われています。
さらに、今子ども達の教育の問題を考えるとき、特に一番注目しなければならないのは、小学校低学年の子ども達の姿の変化ではないでしょうか。じっと集中して人の話が聞けない、食事の仕方など基本的な生活習慣が身についていない、我慢することが苦手で自己中心的な行動が目立つ、友だちがうまくつくれないなど、近年小学校に入学してくる子ども達の姿が大きく変化してきているという声を多くの教育関係者の皆さんから耳にします。
 しかし、この就学前には、児童福祉法に規定され家庭の保育に欠ける子どもを預かる保育所と、学校教育法に基づいて幼児の心身の発達を助長することを目的とした教育を行う幼稚園とがあります。さらに、認可外保育施設もありますが、基本的には大きく大別すると保育所と幼稚園であります。
 ところが、保育所と幼稚園がこのように法整備されたのは第1次産業が主体の戦後で、家庭保育第一主義の時代であり、それはそれで一定の成果は果たしてきたものと思います。しかし、産業構造、就業構造が大きく変化した現在において、法が整備されたころとは当初の目的が大きくかけ離れてきているものと思います。この間、幼保一元化または保育一元化として世論も何度か高まった時期もありましたが、結果的には一元化に至らず、今日を迎えています。
 先ほど申し上げたとおり、現在、保育所は厚生労働省の管轄下で児童福祉法という法律に基づき、家庭での保育に欠ける子どもを保育するという大義名分のもと、あくまでも福祉事業の一環として位置づけられています。また、幼稚園は文部科学省の管轄下で学校教育法という法律に基づき、幼児の心身の発達を助長することを目的として、教育の一環として位置づけられています。
 大きく違うのは、保育所がゼロ歳児から就学前の子供を預かるのに対して、幼稚園は3歳以上児に限定されています。つまり、もともと家庭の中にあった保育機能、教育機能が、近代社会が成立する過程の中で、それぞれの家庭の中で欠けてきた家庭教育を補完するのが保育所であり、家庭の教育を補完するのが幼稚園だと私は理解をいたしております。
 しかし、幼稚園であっても、保護者の現実のニーズから、ほとんどの幼稚園において、幼稚園終了後の午後は預かり保育と称して保育所と全く同様な機能となっております。そして、保育所にあっては保育所保育指針に基づき保育され、幼稚園にあっては幼稚園教育要領に基づいて幼児教育がなされていますが、今日の保育所保育指針と幼稚園教育要領を見る限り、保育所保育指針にもしっかり幼児教育の分野も入っているし、幼稚園教育要領にも保育の分野が入っているわけであり、日々保育所なり幼稚園で過ごしている子ども達にとっては、指導内容に大差はないと思っています。このことにより、子ども達が小学校に入学した時点で、保育所であれ幼稚園であれ格差がないのです。
 私は、保育所であれ幼稚園であれ、自治体が設置し、管理運営しているわけですから、今の時代にあっては何らかの形で一本化になればと思っていますが、保育所は厚生労働省、幼稚園は文部科学省という縦割り行政の名残の中で、奇妙な幼保二元制度で現存していると思っております。本来なら、国の省庁再編成の時点で、この奇妙な幼保二元制度を一元化してほしかったと思います。しかし、現実として残っている以上、それぞれの個性というか、よいところを伸ばしながら幼児教育、幼児保育に当たってほしいと願うのです。
 このような中で、就学前教育といいますか、いわゆる幼児教育の重要性を改めて再認識する必要があると思います。保育所に通う子どもも幼稚園に通う子どもも、いずれも小学校へ入学してくるわけで、基本的には幼児教育を縦割りに考えるのではなく、両者を横断的にとらえた検討が必要ではないかと考えます。片山知事並びに有田教育長に、幼保二元制度について現状認識並びに御所見をお伺いしたいと思います。

●知事答弁

今保育所と幼稚園の幼保二元の仕組みになっているのをどう考えるかということですが、私は今伊藤議員の御質問を聞いておりまして、そのお考えに全く同感であります。やはり世の中は随分変わったにもかかわらず、制度が追いついてないという一つの例だろうと思います。
 振り返ってみますと、例えば私は幼稚園に行ったのでありますけれども、その年ごろのころには保育所に行く人は例外だったように思います。なかったかもしれません。私の育ったところはそうでありました。保育に欠けるということも希有な例でありまして、ほとんどが幼稚園に行っていたという状況でした。ところが、今はどうかといいますと、農村部であっても保育所に行く方が随分多いだろうと思います。そういう産業構造の変化、就業構造の変化に対応した制度の変革というものは当然あるべきだろうと思います。
 ただ、今お話を聞いていまして、両方が並立して縦割りでばらばらになっている、これは大いに弊害があるのですが、両方が同じ地域で縦割りで並立しているのはまだいい方だと私は思うのです。ついこの間、米子で子育てサークルの皆さんと意見交換をしたのでありますが、そのときに西伯郡の方だったのですが、自分のところは幼稚園がない、保育所だけ。そうしますと、集団生活を体験させようと思ったら保育所に行くしか道がない。しかし、自分は保育所に子供を預かってもらう資格がない。そこで便法として、どこかに就業している体裁をつくろって、それで何とか入れてもらっているのだという話を率直にされておりました。
 私は、その方の気持ちは非常によくわかります。しかし、制度の建前からいうと健全ではないのでして、どうも現場では、幼稚園があればまだいいのですけれども、幼稚園もないようなところでは本当に困っている方がおられるということも伺って、なるほど事態は深刻だということを実感をしました。
 これは、今日的な地域の実情に即して、幼稚園の問題と保育所の問題を一元的に扱えるように、子育てをされている保護者、子ども達のためにどういう制度をつくればいいのかという基本に立ち返って再検討すべきだと思います。この問題は、これから本腰を入れてぜひ国にぶつけていきたいと思います。

有田教育長答弁

就学前教育全体について、あるいはまた御説明できる機会があるかと思いますけれども、さきの9月県議会で松田議員の御質問にお答えしたように、共通して、私自身も学校教育を見ていますと、やはり学校に入ってくるまで、行政の所管は違っても、ともに鳥取県であればこそ、みんなが一緒に子ども達をより健全に育みたい、それがゆえに就学前教育の重要性を最近特に強く感じています。
 幼保二元制度ということですが、これも松田議員にお話したように、いわゆる国の縦割り行政の弊害が子ども達に落ちてきていはしないか、このことを非常に危惧をしています。法律の制定された年は一緒でも、設置目的は当初は異なっていたかもしれません。これは先ほど伊藤議員お話しのとおりです。
 しかし、今日、保育指針であれ、あるいは教育要領であれ、平成元年改定当時とは違って、特に平成12年の改定にあっては、両者がかなり重なり合わなければならないという方向が出てきています。教育内容の面では実質そのようになっている。しかし、現実の制度面では2つの路線がある。この悪影響が子ども達に出ないようにということは、関係者の方々からも引き続きよく御意見をちょうだいしたいと思っています。設置目的は異なっていても、就学前教育の重要な部分を担っているということを感じています。
 特に私自身、誤解かもしれませんが縦割り行政の弊害かなと感じていますのは、現在、県内の7つの町の中の8つの幼稚園は5歳児のみであって、4歳までは町内の保育所で保育をしてもらう。5歳だけが幼稚園と。これも何か縦割り行政の弊害のあらわれの一つではないのかという、誤解かもしれませんがそんな気持ちも持っています。できれば、やはり今日的な実態に合った制度にならないかという気持ちを私も強く持ちます。
 しかし、制度が変わらなければ、法律が変わらなければということではなくて、子ども達は日々成長しているわけですから、幼稚園、保育所双方がこれまで培ってこられた共通の財産、あるいは得意の領域、こういったものを共有をしながら、ともに連携を深めた充実方策がとれないか、私どももそれをどういう支援の仕方があるのか、このことは引き続き努力をしていきたいと思います。
 蛇足かもしれませんが、現在、境港市、気高町、東伯町、この3市町にありましては、市長さん、町長さんのもとに市町の中に一元化の検討委員会を設置して検討しておられるという具体的な動きも既に始まっているようです。こうした市町村独自の、あるいは本来の取り組みに対して私どもがどういうかかわりが持てるのか、引き続き関係者の御意見も十分お聞きしながら考えていきたいと思っています。  


幼保二元制度についてbQ

先ほど知事の方から、保育所、幼稚園、一元的に扱えるところがあれば努力したいということでしたけれども、現在、現実的には確かに市町村は、力量的にはないのが現状です。特に保育所にあっては、県が補助金を交付している関係で、監査指導という形の中での点検指導が現実です。しかし、3歳以上児の幼児教育の適切な助言ができるかというと、私はそれはできないと思うのです。もしできないとする現状ならば、専門職の多い教育委員会に幼児教育の助言はすべて任せる、県は単なる補助金の有効執行に専念した方がいいと私は思います。
 教育長にお伺いしますけれども、教育委員会も幼稚園の計画訪問をされているわけですが、実際には担当者は幼稚園と小学校をかけ持ちですから、3年に1回というのが実態だと思います。したがって、現状では十分な対応ができないと私は見ています。
 そういう中で、幼稚園のみならず保育所も含めたところで、保育、幼児教育、保護者への子育ての助言のあり方等、これらをきちんと積極的に推進するために、今ある東・中・西それぞれの教育事務所に幼児教育専任指導主事を配置して対応したらどうかということを私は提言いたしますけれども、有田教育長の御所見をお伺いしたいと思います。


●有田教育長答弁

 
 幼児教育を充実するための指導主事の配置ということです。
 先ほど触れましたように、設置者である市町村の役割と県教育行政の役割、こうしたものを改めて整理し直す中で、私どもの新たに果たすべき役割として、お話のような内容も含めて鳥取県全体の就学前教育の充実のために、多様な方策について現在検討を進めているところです。
 その中にも、まだ知事まで話していませんけれども、人員体制の充実、このことについても現在検討していまして、確かな方向性といいますか、そういったものを見きわめながら強くお願いをしたいと思っているところです。


幼保二元制度についてbR

先ほど教育長の方から幼児教育専任指導主事の配置については前向きに検討しているということでしたけれども、やはり現実的に保育所の皆さん、例えば保育に対する助言を受けたくても、助言を受けるところがないというのが実態であります。先ほど知事も言われたように、保育所、幼稚園一元化できるところ、内容的に充実できるところはしたいということでしたので、市町村の力量を待ってもとても対応できません。今子ども達の教育は本当に待つことができませんので、ぜひともできるところから取り組んでいただきたい、そういう思いです。

●知事答弁

幼児教育、これは保育所も含めてですが、本来市町村で力量をつけていただくということが基本ですが、現時点の現状にかんがみ、また将来的にもそうだろうと思いますが、やはり助言を求める何らかの場所というのは必要だろうと思います。それはまさしく県の役割だろうと思います。これは教育委員会のお考えもよく聞いた上で、市町村の幼稚園とか保育所に幼児教育の面で助言ができるそういうスタッフなりをそろえることは、私も必要だろうと思います。