鳥取県東部医師会報用に準備した≪随筆≫  |  [鳥取県医師会報に掲載された写真

パリに魅せられて (3) 彼女の思惑とプチ・トリアノン
巨大・豪華なヴェルサイユ宮殿と比べて、小さく質素なプチ・トリアノンの建物(左)、狭いと感じた居室や楽器が置いてあったサロン(中)。建物の裏側に出ると、爽やかで心地良いが目に入った(右)。

◇ ヴェルサイユ宮殿は著名な観光地であるが、私事、公的にパリに滞在した過去2回(1990年・1997年:計6泊)は、パリ市内中心部の名所巡りと、限られた自由時間に留まったので未体験だった。妻の還暦記念で7連泊した2012年10月は、時間的なゆとりがあったので、ゆっくりとした行程で、現地を訪れることを出国前に決めていた。

◇ 西洋史に疎い小生、ヴェルサイユ宮殿には、大きな規模と建築・庭園に係る関心を抱いていた程度だった。調べると、キーワードの一つにマリー・アントワネットがあった。とは言え、マリー・アントワネットに係る知識は、ギロチンとモーツアルト6歳時の午前演奏での逸話程度だった。政略結婚でオーストリア・ハプスブルク家から嫁いで、やがては王妃となって・・・は、今回初めて知った。受験勉強の一夜漬け水準です。
かくれんぼ遊びも出来る箱庭的な庭園(上)、進むと緩やかな丘陵地に小川が景色に変化を産み(上中)、向こうには林があり(中下)、さらに、予想外に広い池と景色を楽しめる塔が目に入った(下)

◇ 関心を抱いたのは、本丸的なヴェルサイユ宮殿よりも、自由が無い宮廷生活から逃避するがごとくに、広大な敷地内に、アントワネットが自給自足が可能な“田舎”を造らせたことと、それらが保存され、通常の観光コースでは訪れることのない、秘められた観光地としてあることだった。その地は、プチ・トリアノン(Petit Trianon)の“王妃の村里”。

◇ 何故、アントワネットが、宮殿生活から逃避したのかについて、備忘録として整理した。
*ウィーンでの幼年期に、女帝・母親のマリア・テレジアが、家族的な関係性・私生活を大切にした育児方針としていたこと
*ヴェルサイユ宮殿では、生活の一部始終を貴族に公開するのが伝統で、それらは、想像を超える内容だが、着脱衣を含めた衣食住全般に留まらず、夫婦生活や出産にも及んでいたこと
 出産場面の公開は、新生児が誕生した後、生死・性別やすり替え等を排除する目的があったようなのだけれど・・・。当然、貴族間の嫉妬・中傷誹謗や権力争いが日常的にあった。
 アントワネットは、宮殿生活から逃避せざるを得なかったのだと、共感するに至った。



◇ ところで、自由旅行の身であるゆえ、チケット類は効率を考慮して購入することになる。ヴェルサイユ宮殿、ルーブル・オルセー・オランジュリーなど、多くの美術館がフリーとなる2日間用のミュージカル・パスの購入を決めていた。日本でもネット購入可能だが、手数料等が付加される。現地・パリのインフォメーション等での購入をと心していたが、その機会がないまま過ぎた。連続した2日間の連続利用が使用条件にあり、帰国が土曜日なので、木・金曜日に用いることも決めていた。

◇ 駅舎を改造して1986年にオープンし、印象派を主体とした展示作品で人気のオルセー美術館は、四半世紀を経て初めての大規模な内部改修を終えていた。NHKテレビや旅行関係本等で紹介されており、かつ、大行列になるとの情報もあって、朝一番(入館は9時半)の入館を心していた。が、ミュージアムパスの事前購入が出来なかったことで計画の変更を強いられた。9時に入館出来る(モネの睡蓮で著名な)オランジュリー美術館に先に入り、同館でミュージアムパスを購入することにした。

◇ 結果は大正解だった。オランジュリー美術館の玄関には、入場券保有者と非保有者の2列があり、前者の短い列に次いでの受付窓口への移動開始となったが、5分弱の待ちで、全く苦にならなかった。オランジュリー美術館でゆっくり過ごした後、セーヌを渡り、大行列のオルセー美術館に移動した。

◇ ミュージアムパスの利便性の一つには、一般的な入場券とは別の専用入り口からの入館が可能な点がある。

◇ オルセー美術館のパス専用入り口は、セーヌから受付ゾーンを反時計回りに歩いた側にあった。当日券窓口の大行列を尻目に、全く並ぶことなく入館が出来た。

◇ 翌、金曜日のパリ市内は、雲り空だったが、近郊線(RER-C線)で移動中、晴れ間が広がり出した。ヴェルサイユに到着すると、強い風が雲と埃を吹き飛ばしたかの如く、透明感のある青空に恵まれた。宮殿前の広大な駐車場には実に多くのバスが駐車しており、入り口に近づくに連れて人が多くなり、長い行列になっていた。
“Petit Trianon”の奥まったにゾーンにある「Le Hameau (ル・アモー 王妃の村里)」の静寂な異次元空間は心地良かった。

◇ ミュージアムパスはヴェルサイユでも利用可能であり、それらしい人の流れを見て、係員にパスを見せると、ススメの動作を得て、有料ゾーンにあっさりと入れた。ここでも大行列とは無縁だった。

◇ なお、今回7連泊したパリの最終日にヴェルサイユを訪れた後、市内に戻り、これも自身初体験のルーブル美術館に入った。金曜は夜時間帯までの開館日で、団体観光客が少なくなる夕刻の入館であり、実際、大行列はなく、かつ、パスの特性を活かして、速やかに入館出来た。

◇ パリで自由時間を有効利用する際に、ミュージアムパスはお勧めです。



◇ ヴェルサイユは、ツアーで訪れる宮殿を型どおりに(?)驚嘆研修した後、裏の広大な庭園ゾーンに出た。宮殿内の混雑から解放されて、安堵感を抱いた。
 奥まった場所にあるプチ・トリアノンに行くために、かつ、移動で足の疲れと時間の負荷を軽減するために、ミニ機関車が牽引する列車「プチ・トラン」を用いた。ゴトゴトと路上を走るプチ(可愛い)・トラン(トレーン:列車)で、景色を楽しみながらの移動となった。

◇ パリと言えばファッションの都でもありブランド品・・・がしかし、我々にはその願望がなく、かつ、街中よりは西欧の公園・庭園や郊外などの環境に関心を抱いている。今回、写真集や映像で馴染みのヴェルサイユ宮殿を実体験研修すること以上に、“アントワネットの田舎・村里”への期待が大きかった。

◇ 立派な門があるグラン・トリアノン(Grand Trianon)前で下車せず、目的地プチ・トリアノンで下車した。プチ・トランが方向転回する広場前にパステルカラーの、宮殿の呼称にしては非常に小さな2階建・箱型の建物があった。内心「エ、まさか、ここにアントワネットが住まいした?」との思いを抱きつつ、中庭のある住居に入った。アントワネットと一目で分かる肖像画や、当時使われていた家具・楽器等をゆっくり見ても短時間(写真記録を見ると12分)で終わる規模だった。

◇ 我々の期待は、建物の後方に広がる庭園や「Le Hameau 王妃の村里」」と称せられる“田舎”にあった。私事、既述したが、テストに例えれば、フランス語は0点。Le Hameau (ル・アモー) を調べたら、英語では the Hamlet、意外にもハムレットだった。Le Hameau はまた、Hameau de la ReineQueen's Hamlet)との呼称もある。ハムレットは、つい連想するシェークスピアとは無縁であり、小村・村落の意味であって、即ち、王妃の村里だと本稿を書きながら知った。浅学の身である。

◇ しばし王妃の村里に身を委ねた後、元の道に戻らず、反時計回りに歩道を歩き続けた。案内板は途中にあったが、フランス語は読めず、英語表記を見ても、その意味(地名)が分からず、土地勘に頼って呑気に歩き続けた。3m程度あったであろう壁面や、動物たちが移動しないように大きな深い空掘がある界隈に出て、いつしか案内板を見なくなり、放牧されている牛と我々だけの世界に浸ることになった。

◇ 流石に、若干の不安を抱いたが、元に戻るよりは、進んだ方が短時間でグラン・トリアノン界隈に出るとの読みで、農耕車が通った跡も視認しつつ、緑の木立の中、上質な環境に浸り続けた。

◇ やがて、心的疲労感を抱いた頃、建物が見え、グラン・トリアノンの裏と期待したら、違った。集合住宅とマイカーと思しきが・・・。出口を尋ねようと声をかけたが、人がいる気配がない。同敷地内から出て、さらに歩き、アスファルトの車道に出て間もなく、開いていた門扉と広場に至った。広場にはプチ・トランの発着場があり、グラン・トリアノンの前だと分かった。至近に整備されたトイレがあり、別の面でも安堵した。

◇ 彼女が出てくるのを待つ間に、門扉には看板があり、英語では「Staff Only」とあるのに気づいた。
 一体、どこで観光コースから外れ、稀有な体験研修をしたのか・・・。これって自由旅行の醍醐味?!
農家と表して良い建物(左)と、その周りには多種の家畜が放し飼いされており(左中)、日本では見ない形相の牛(中右)も。ほぼ反時計回りに歩き続けて、綺麗に整備された職員住宅ゾーンに入り込んだ(右)
鳥取県医師会報に掲載された写真  私の印象 〔プチトリアノン|マリー・アントワネットの村里/ヴェルサイユ宮殿〕
≪随筆≫ パリに魅せられて 
(1)モンマルトルで奔放に (2)サン・マルタン運河で遊ぶ (3)彼女の思惑とプチ・トリアノン
(4)オペラ座ガルニエ宮に驚嘆 (5)天晴れプチ・パレ (6)ラパン・アジルで歌う
姉妹編 《随筆》 [ウィーンを愛して