1998の秋、モンブラン会の山行が木曽御嶽山で行われた際、当時の会長の鳥飼和清さんが、今度はスイスのメンヒとユングフラウに行こうと提案され、山の資料や行程表などを持参され熱心に勧められた。
しかし、その年の夏に福嶋がマッターホルンに登り、その時の感激を話したものだから、他のメンバーがマッターホルンに心を引かれてしまい、鳥飼会長の提案は流れてしまった。
メンバーは、マッターホルン目指して岩登りのトレーニングを積んで、翌年の1999年鳥飼会長たちはマッターホルンに望んだが、冬並の悪天候でヘルンリ小屋に行くだけで退却を余儀なくされた。
2000年の夏、さらに厳しい訓練を積んで、メンバーは再挑戦した。しかし、この時鳥飼会長は身体の調子をこわされて、登山には参加されず名古屋空港にご夫妻で見送りにこられた。幸いにも、この年は天候に恵まれてメンバーはマッターホルンの頂に立つことができた。
福嶋は、この年はヴァイスホルンという別の山に登ったが、道中はメンバーと行動を共にし、帰途、名古屋市郊外の春日井市に鳥飼さんを見舞った。玄関先で、電気髭剃りでヒゲをそっておられたが、相変わらずのダンディな鳥飼さんであった。しばらくして鳥飼さんは亡くなられた。
メンバーは、鳥飼さんの死を悼んで、追悼の登山などをされた。
このような経過があり、この夏は、ゆかりのメンヒ、ユングフラウとその隣にあるアイガーに行くことを計画した。メンヒとユングフラウは、雪と岩のミックスで比較的難易度の高くない山だが、アイガーは北壁の厳しさが有名な岩山で難しい山だ。
一度に三つの山を登るという欲張りな計画である。
冬から余り調子が良くなく、春の台湾の玉山と雪山では、トレーニングをかねて出かけたものの、重い靴での疲労と靴擦れがひどくとても苦労をした。ストレッチとリハビリでようやく回復して、7月ころより1時間くらい走れるようになって、ぎりぎり間に合った。
スイスの天候が気になる。予報を見ていると、連日、雨または曇りで気温が低く、夏らしい天気とはいえず、積雪が心配される。
8月12日(月)
10:00 名古屋空港に、末原義人、みとせ夫妻、前田辰弘さん、福嶋の4人が集合して、ルフトハンザ機でフランクフルト経由でチューリッヒに到着。17:00
時差7時間。チューリッヒのホテルでチェコのオストラバに出張中の水谷進さんと合流する。
8月13日(火)
7:30 チューリッヒ発。ルッチェルン、インターラーケン経由でグリンデルワルド着。11:10
ルッチェルン経由は、ベルン経由に比べて、電車のスピードはゆっくりで、自然が豊かで牧歌的な雰囲気だ。
グリンデルワルドに着いて、ガイド組合に行って翌日の打ち合わせをする。
相手をしてくれたのは、デボラ(デビー)さんという若い女性で、日本語を流暢に話すのでびっくりしてしまう。
3年前に日本に留学し、毎年日本を訪問しているという。名古屋にいたということで、いっぺんに親しくなってしまう。
明日は、ガイドと駅で会う約束をする。天気は、2日前までは山では雪が降ったが、これから1週間は好天が続くということで、とりあえず一安心する。
夜は、デビー推薦のピザハウス、アンクルトムで夕食。ワインの品揃えもよく、おいしかった。
ホテルは、アイガーブリックといい、グリンデルワルド駅の下手にある。以前、ツェルマットでマッターホルンブリックというホテルに泊まったので、タクシーの女性ドライバーに「ブリックってどういう意味?」と聞くと「ルック」という。
アイガーがよく見えるホテルという意味なのだ。
8月14日(水)快晴
7:15 グリンデルワルド駅発。満席の列車は、のどかな牧草地帯を通り抜けてクライネシャイデック(2061m)着。
ここで乗り換えて、アイガー北壁直下のアイガーグレッシャー、北壁に開いた窓のアイガーバンド、南壁側のアイスメアーを経てユングフラウヨッホ駅に到着。ここは3454mで、鉄道の駅としてはヨーロッパで一番高所にあるという。
このアイガーの岩盤をくりぬいた鉄道が100年前に建設されたというから驚く。
途中のアイスメアー駅の窓からはアイガー東山稜のミッテルレギ小屋が切り立った稜線のうえにポツンと見える。
ユングフラウヨッホ駅で、登山ガイドと落ち合う。
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