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『愛犬家通信ふりふりテ〜ル』2008年3・4月号

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ふりふりテ〜ル2008年3・4月号 ようやく春がやってきました。
年末に家族ごと、店ごと大移動して、かなり消耗したつもりでしたが、なんとか日常生活もそれらしく軌道にのってきました。消耗の激しかった財布だけは、なかなか元気になりそうもありませんが、一日三度のご飯はいただいてるので、まずまず人間らしい暮らしができることに感謝しています。
さて、マーフィーファミリーの新しい名物にしようと思って用意したつもりのドッグランが、実は水はけが悪く、足もとを気にせず使える日がほとんどない状態なのを悩んでおりました。
開き直って「長靴ドッグラン」「ワイルドドッグラン」「鍛えるドッグラン」などと新企画を気取ってみようかとも思いましたが、より多くの愛犬家にご利用いただくには到底無理とみて、この際、再整備に踏み切りました。
工事は三月下旬に終了しましたが、そのあと草を生やしてグリーンフィールドもどきにする予定です。
そうなると、根が定着するまで犬を入れることができません。そういうわけで、マーフィードッグランは、新たにガーデンドッグランという感じで6月上旬にはオープンできるよう準備を始めましたので、なにとぞよろしくお願いします。
貸切専用ですので、予約が必要ですが、空いているときはご利用可能です。ただし、規約をお守りいただくことが条件です。楽しく、事故のない時間と空間を提供できれば幸いです。ご利用希望の方にはファックスやホームページ上で規約をお読みいただき、ご了解いただいてからのご予約となります。
準備中につき、今しばらくお待ち頂きますようお願い致します。緑の上を思いっきり駆け回る犬たちの姿を思い浮かべながら、完成を楽しみにしていただければ嬉しく存じます。

動物と人間との いい関係

つい先日、NHKの「ダーウインが来た」という番組で、ミャンマーの森林作業従事者と象とのいい話が紹介されて胸を熱くしました。
森林から伐採された大木を谷の下に降ろす作業は、山の斜面が難所となって、とても人間の力ではできません。森の中で暮らす象を呼んで命じると、象は、危ない崖の上から切り倒した木を、得意技の鼻や前足を器用に使って落下させます。
彼らに身体をはった仕事をしてもらうために、男たちは、象をお互い小さい頃から馴染んで可愛がって、そして仕込んでいくそうです。
象は普段は森の中で生活していますが、呼ばれると出てきて、ちゃんと用事をしてくれるのです。まるで「アラジンのランプ」に出てくる魔法使いのようです。
人間と力を合わせて作業をこなす場面も感動ものですが、実は、象が年を取って働けなくなってからが「見モノ」なのです。なんと、男たちは 米を炊き、心を込めて象のご飯を作り、森の中にいる自分の「相棒」に毎日運ぶのです。そして、弱った「相棒」に自ら食べさせてやり、語りかけている場面には目頭が熱くなってしまいます。かつて自分を手伝い、生活を支えてくれた相棒を、彼らは最期まで面倒見るのだそうです。相棒が命終わるその日まで、何十年でも世話を続けるといいます。感謝の心を決して忘れないその姿勢に心打たれました。
一方、どこやらの国では、老いたり怪我したりで猟ができなくなった猟犬を山に捨てて帰ったり、撃ち殺してしまうという話を聞いたことがあります。誰のおかげで獲物が捕れるのだと怒鳴りたくなる衝動を覚えたものです。こんな恩知らずなことが、なんでできるのかと泣きたくなります。また、都合が悪くなって飼えなくなった犬猫を保健所に捨てる無慈悲な飼い主にも腹が立ちます。「不用犬」なんて言葉すらおぞましいですよ。
ミャンマーの森で続いている気高い関係に、心からの敬意と声援を送りたくて、テレビに向かって思わず拍手をしている自分が居ました。この人たちは素晴らしいと思います。人としての道を律儀に全うしています。人間としての教養や心の文化の高さには脱帽です。
私も、これまでいろいろなことを気づかせてくれたり、尊い教訓を残してくれた犬や猫たちに、存命中はもちろん、死後も感謝の念を終生忘れることなく生きていきたいと思います。

ある愛犬の死について

愛しい家族が不治の病にかかり、悪化し、その苦痛が増していく過程を直視するという不幸に遭遇した時、あなたならどうしますか?
私は、愛犬、愛猫数匹を見送ってきましたが、ありがたいことに、耐えがたい苦痛を目の当たりにした経験がありません。ほとんどは、静かに衰え、しなやかに病み、穏やかに終わって逝きました。どの子も老衰による自然死で、彼らが命を燃焼し終わり、朽ちていくのを冷静に見守ることができました。
しかし、この度、ある飼い主さんが遭遇された悲しい体験から、安楽死についてあらためて考えてみる機会に出会いました。Mさんは、親戚の方が病気で入院することになったため、その飼い犬を引き取ることにしたそうです。ところが、飼い主には色々と事情があって、犬をまともに世話できないまま、ほとんど放置状態であったため、犬はすっかり痩せ細り、糞まみれで悲惨な状況下にあったそうです。犬嫌いのご主人も、余りの気の毒さに、犬を引き取らざるを得なかったそうです。しかも、犬はジャーマンシェパード。歩行も忘れるほど衰弱していたそうですが、夫妻の熱心な世話で元気を取り戻し、散歩も楽しめるように回復しました。
ところが、ほどなくして、末期のフィラリアが判明し、やがて衰弱し、歩行もできなくなり、ついに立つこともできない身体になってしまいました。Mさんはもう一度元気になってもらおうと懸命に介護しましたが、ついに肺に水がたまり、尿毒症に至って苦しみ始めました。
それまでも余命が少ないことや末期の苦痛を避けられないと予告された折、幾度も安楽死について考えましたが、どうしても罪悪感、嫌悪感に悩み、獣医師からの勧めにも応じられぬまま、最期の苦しみを見守りました。助言を求められた私は「犬は生きたがってるというより『逝きたがってる』と判断できる状況下では、せめてもの愛情で苦痛を長引かせないことも救いの一つ」とアドバイスしました。いつ逝かせるかという判断に迷いながらも、ついにMさんは人工的に苦痛から『救う』という選択に踏み切りました。そして、地獄からの救出から新しい家庭で愛情に包まれる幸福を知った二ヶ月余りの日々はあっけなく終止符を打ちました。
Mさんの腕の中で静かに11年の生涯を閉じた愛犬は穏やかな表情だったといいます。
後日、店を訪れたMさんを労いながら、辛い気持ちを抑えて愛犬を助けてあげたね、と亡き愛犬に成り代わって感謝の言葉を述べたい衝動を覚えました。きっと、その子が そうさせたに違いありません。安楽死は忌むべきことですか?「安易な」という形容詞がつかない限り、それは肯定されていいものと私は信じています。臨終までの過程が苦しすぎる場合、自分の腕の中で安らかに命を消してあげるのも飼い主として許される選択肢ではないかと思います。
たった二ヶ月ばかりでしたが、その子にとっては、思いがけなく手に入れた濃厚な幸福だったに違いありません。もっともっと続いて欲しかったとは思いますが・・・・。
Mさんもまた、思いがけずシェパードという愛犬と出会って、その健康を取り戻し、これから大型犬としての本領発揮させてやりたかったことでしょう。これからというときに、無念この上ないことです。
飼い主として愛犬の最期を見届けたあと、思い出話や経緯を語りに来られたMさんでしたが、正直言って、まだ生々しい余韻を払拭する術もなく愛犬との思い出に浸っています。しかし、医師の助けを借りて安らかな最期に導いたことを今となっては後悔していないと言っておられました。踏み切るまでは 精神的に苦しんで「自分の方が呼吸困難になりそうだった」とのことですが、やはり、穏やかに息を引き取る瞬間に立ちあってみて、こうした状況での「安楽死」を非難する気にはなれないどころか、むしろ、それを肯定することも必要だと感想を述べておられます。悲しい別れを経験したあとのMさんは これから捨て犬問題などにも目を向けて、なんとか抑止啓蒙活動に手を貸したいと抱負を語って帰路に就かれました。
そうですね。我々飼い主全員の宿命でもある愛犬の死を乗り越えて、いや、それを力に変えて、前向きな活動に意欲を燃やすことこそ、愛犬の何よりの供養になる気がしています。
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