鳥取県東部医師会報用に準備した≪随筆≫

パリに魅せられて (9) イル=ド=フランスのプロヴァンを訪ねて

 自由旅行の利点だが、天候により、思いつきで日程を変更することは定番である。勿論、出国の数か月前に“超割”的安価なTGVやIC(都市間特急 Inter-City)乗車券のネット購入を済ませている場合は例外だが・・・。
 2013年10月7日(月)は全日快晴の予報だった。前日に彼女の了解を得て、イル=ド=フランス(地域圏)の東南東端に位置するプロヴァン(Provins)を訪ねることにした。旧市街はユネスコから2001年に認定された世界文化遺産〔中世市場都市〕で、NHKが放映した番組を見たことが動機にあった。都市とあるが実態は小さな街で、旧市街は村の印象です。なお、“イル=ド=フランスのプロヴァン”と形容的に称するのは、著名な南仏のプロヴァンス(Provence)地方との混乱を避けるためと理解している。過日、スペインのグラナダに行く予定だった夫婦がグレナダに到着し、手配した会社を訴えていたニュースに接した。会話での構音の拙さや、文字列の確認が不十分だと、とんでもないことになる。プロヴァンのアルファベット表記はProvinsであり、末尾に‘s’が付くことから、ローマ字読みすると、「プロヴィンス」となり、Provenceと誤認される懸念がある。
 さて、プロヴァンに行くと決めた後、ホテル至近のメトロ駅の発券機に対峙した。要は、モビリス(Mobilis)と称する一日乗り放題券の最大域ゾーン5までの切符を購入するためであった。駅改札口至近に設置されている券売機での購入時に、フランス語は0点なので、最初に英語表記にして臨む。今時、何処でもそうだが、現金で払うのは容易だが、カードの扱いに難渋することが多々ある。カードを出し入れするタイミングなどナド、奮闘することが多々ある。この際も若干の戸惑い的努力をして、鳥取駅の発券機で購入する近距離切符サイズの一日乗車券を購入することが出来た。

パリ東駅から、準急相当の国鉄車両に乗車。乗車券は自販機で最大ゾーンの一日券を購入
ステキな車両・閑散とした車内。手にしているのはゾーン5のモビリス

 パリ東駅に移動し、プロヴァン行電車のホームを確認した。正しくは、確認したつもりになって、初めての駅でもあり、早々とホームに立った。二人で呑気に雑談していたが、人が増えず、電車も入線しない。フト時計を見ると、発車予定の数分前であった。「こりゃぁおかしい!」と、急ぎ、電光表示が集中しているゾーンに戻ったら、ホームが異なっていた。かつ、乗車したが、何やら雰囲気がおかしい。スペイン語と思えた言葉を話していたガイジンさん家族も乗車し、下車し・・・。われわれも下車した。で、どうやら、ホームの先頭側の電車がプロヴァン行と判断出来て、向かったが、既に遅し!出発に間に合わなかった。
 自由旅行ならではの失態だったが、一方では、貴重な文化体験研修になった。ウィーン、オーストリアでは、入線時刻とホーム番号、出発時刻や路線図など、きめ細かい情報を、ウィーン市交通局、オーストリア国鉄のHPで得ることが出来る。が、フランス国鉄のHPでは、これらの情報は出国前に得ることが出来ないでいた。現地で体験的に判ったのは、どうやら、その日の運行状況に応じて、入線ホームが決められることだった。流石、ラテン系のお国柄と言える方式である。思い出したのは、1997年11月に、全自病協の西欧医療施設視察団に参加した際、ロンドンからユーロスターでパリ北駅に到着したのは予定時刻より12分早かったことで、新幹線の定時運行が当然と心得る我々には驚きだった。
 本随筆欄「ウィーンを愛して」にも記した(2013年7月号 No.406 p.47-51)が、オーストリア国鉄は鉄道とポストバスが一体経営されており、実にきめ細かい情報を得ることが出来るので、旅行者には安心至極!
 なお、スイスはさらにきめ細かい情報が得られ、列車・バスの運行も厳密だと理解している。鉄道ファンゆえに、スイスパスを使った多様かつ勝手気儘な旅の体験研修も是非・・・!
 さて、プロヴァン行は1時間に1本なので、パリ東駅構内を歩き、お土産に良さそうなチョコレートのお店を確認するなどした。出発時刻近くになり、確認をして、乗車した。日本に例えると、準急のような駅停車で、特急並に快走した後、目的地に近付いたら各駅停車し、支線は鈍足になり、所要1時間24分で到着した。

ユネスコの世界文化遺産、旧市街の象徴と言えるセザールの塔は、日本なら地震で倒壊・・・

 オーストリアのメルク、アイゼンシュタット、ルストやウィーンの温泉保養地バーデンなどの小都市・街で体感し、ここプロヴァンでも同様に惹かれたが、新市街や住宅地自体が小奇麗で、歩いていて心地良い。西欧の街を歩く際に、再々試みるのが、頭に入れた記憶を基に、勘を働かせて目的地をめざして歩くことで、敢えて、地図や(非旅行時も通勤バッグに)常備している方位磁石を見ないことにしている。
 プロヴァンの駅前に、線路と並行する小さな川に架かる橋を渡り、住宅地に入る。見覚えのある教会を過ぎて・・・、ン?グーグル地図でイメージした街の景観に至らない・・・。若干の廻り道をして、新市街一の繁華街で、先が歩行者天国になっているセザールの塔に至る商業路に出た。一方通行に狭められた車道に比して歩行者専用路が広く、背の高い道路設置型のフラワーボックスが多く配され、車の走行を妨げている。大都市であっても一般車を締め出しているミュンヘンの旧市街地区ほどではないが、日本の都市も見習って良いと感じた。
 間もなく坂道になり、旧市街に向かうことになる。旧市街は城砦に囲まれており、いかにも古いと感じられる城砦壁の横を歩き、小路を選んで急な登りを上がり、新市街を眺めつつ、城砦の中にある旧市街へ。城砦内はゆるやかな傾斜がある台地になっていた。
 セザールの塔が見えてきた。裾野を歩き、登り口を探し、入り口で暇そうにしている係りのおばあちゃんに支払い、石造りの狭くて、擦り減った床石の暗い階段を上がった。最上階は木組みであり、「日本なら地震で崩れてるなぁ」と話しながら、光眩い回廊に出た。

セザールの塔から4方向を俯瞰:農業国を実感する水平線。塔西側は旧市街中心部の家並(右)

 フランスは農業国とも称せられる。セザールの塔の上部回廊から360度の景観を眺めて、実感できた。見渡す限りの水平線・・・。記録に残そうと、縦に構えたデジカメの中央に尖塔を置き、水平線の高さを揃えて北・東・南・西方向を(写真左から)撮影した。西側至近は、旧市街の中心地区。
 12世紀の建物であるセザールの塔は、この地を治めたシャンパーニュ伯爵家の権力の象徴で、監視、牢獄などの役目を果たしてきた由。構造上珍しいとのことだが、主塔を囲むように4つの小塔がある。なお、これら小塔の奥に入ると、牢獄であったなごりを体験することにもなる。
 セザールの塔を降りて、旧市街地区を散策し、周囲にカフェレストランが多いシャテル広場に出た。雰囲気に誘われ、テラス席に座り、13時半過ぎの遅い昼食タイムとした。と言っても、飲み物を別として、彼女分を注文し、二人でシェアすることになる。注文をする場合に、指で二人を交互に示しながら「シェア―」と言えば、理解が得られ、余分に取り皿とフォーク等を持って来てくれる。西欧では、スープ、サラダであっても、まず間違いなく日本で注文する量の2倍以上あり、食べ過ぎないためにも一人分を注文し、シェア―することにしている。底の深い、大きな皿に入ったスープの量は日本の4倍、いや日本のレストランでわずかに入っている例からすれば8倍量以上にも相当し、「スープだけでお腹が一杯になる」との妻の発言もある。食事の付いた日本人団体のパックツアーでは、近年は食べ残しが出ないように、日本人のお腹を勘案した量が出ていようが・・・。

世界遺産〔中世市場都市〕プロヴァン旧市街の中心部。写真左中はシャテル広場

 心地良い環境の中で、ゆっくりした後、往路とは異なる路を歩き、プロヴァンの国鉄駅に向かった。またもや、地図・方位磁石に頼らず、現地の人に駅の方向を確認のために尋ねたり、また、花で飾られた小さな広場など気にいった場所で、丘の上に位置する旧市街地区を含めて撮影したりしつつだった。
 パリ東駅への帰路、車内検察に来た車掌が何やら話しかけてきた。断片的に単語が聞こえ、勘を働かせ、フランス語表記のみの一日乗車券モビリスに使用者の氏名と使用日をボールペンで手書きした。彼は笑顔で去って行った。帰国後調べたら、なるほど、モビリスには使用者名と使用日を記載するのがルールと分かった。
 パリ東駅の出発が失態により1時間遅れたことで、プロヴァン滞在は約3時間、パリ発着からは約6時間の日帰り旅でした。
 最後に、パリ東駅は、映画〔愛と哀しみのボレロ〕の中で、ドイツが占領した際に、ユダヤ人を収容所に送り出す護送列車が出るシーンと、戦後、逆に、ドイツ兵を送り返すシーンでも出ていた。これらのことや、徴兵制がなく、平和な日本・・・など、話していたにせよ、何故、パリ東駅で電車に乗り遅れたのか・・・、何故、電車が入線しないし乗客が来ないホームに出発時刻直線まで、互いに声をかけることもなく、二人が立っていたのか・・・、今も謎である。
 ともかく、フランスではドイツ、スイスと異なり、入線・出発するホームは変化し得ることが体験学習できたことは財産になった。

≪随筆≫ パリに魅せられて (7〜12)は、2013年[124歳/2人]
(7)日曜日 朝モンソー公園の賑わい (8)ブローニュの森〜孔雀と戯れる公園 (9)イル=ド=フランスのプロヴァンを訪ねて
(10)ジヴェルニー村〜モネの庭を訪ねて (11)国鉄でロワール地方の古城を巡る旅 (12)岸 惠子のサン・ルイ島で気儘に
≪随筆≫ パリに魅せられて (1〜6)は、2012年[122歳/2人]
(1)モンマルトルで奔放に (2)サン・マルタン運河で遊ぶ (3)彼女の思惑とプチ・トリアノン
(4)オペラ座ガルニエ宮に驚嘆 (5)天晴れプチ・パレ (6)ラパン・アジルで歌う
姉妹編 《随筆》 [ウィーンを愛して