鳥取県東部医師会報用に準備した≪随筆≫

パリに魅せられて (12) 岸 惠子のサン・ルイ島で気儘に

 2年間の連載「パリに魅せられて」の最終回です。2012年10月、妻の還暦記念に初めて夫婦で訪れたパリは魅力的で、奥が深く、7連泊、実質6日間の滞在では限界があった。帰国後、間もない頃に妻曰く「しまったパリの雑貨屋に行きそびれた!」と。小生「ナ何?! “花の都パリ”で雑貨屋?!」と「何故、滞在中に希望を言わなかったのだ」との思いが・・・。
 結局、機会に恵まれて、2013年10月に2年連続でパリに7連泊した。
 関空からはエアフランスの直行便はあるが、ヘルシンキ経由のフィンエアーと比べて高いので、結局、定番的に後者での往復とした。恒例だが、シベリア飛行はAirbus A330機の後方北極側の窓側座席(50L)を指定した。航空機からの景色を眺め続けることも趣味・生甲斐である小生のこだわりは、主翼と北極側の水平線、主翼とシベリアの大地等を含めて、心が動けば、写真を撮ることにあった。1990年の第1回鳥取市勤労青年海外研修団の一員として初渡欧して以来、今尚、止むことのない重要な“研修対象”であり、かつ、体力テストを兼ねることにもなる。幸い、全く意欲・体力が衰えていないのが実感できることに感謝至極・・・。

サン・ルイ島から見たシテ島のノートルダム大聖堂と観光船(左)
高級住宅街地域の雰囲気(中)と自身お気に入りのミニカー(右)

 パリの雑貨屋をネットで調べると、ナルホド多様性があり、奥が深そうに思えた。NHKが放映した番組で、岸 惠子の家がサン=ルイ島にあり、そこは高級住宅街であり、歴史的には、セーヌの下流側隣、ノートルダム大聖堂があるシテ島と共に、パリ発祥の地とあり、かつ、雑貨屋が数件ヒットしたので、時間をかけて散策することにした次第。
 ホテルから路線バスでサン=ルイ島に向かうことにした。全日市内巡りと決めていたので、ホテルからの始動はゆっくりで、10時過ぎの出発とした。パリ交通公団(RATP)のHP(www.ratp.fr/)でホテルの住所と、目的とする地にあるカフェなどの住所(や著名な観光地等は名称)を検索枠に入れ、出発日時を決めて、バスを選択し、行程図も確認して臨んだ。
 オペラ座に近いホテルを選択していたので、少し歩けば、多様なバス路線の活用が可能であり、ヒットしたBus67路線は、乗換なしで、かつ、市内車窓観光を兼ねつつ、のんびりした移動がイメージできた。迅速、最小限の乗換、歩行距離最小限などを選択し、また、希望する交通手段も選択するなどして、調べることが容易である。かつ、走行する概要地図表示も出来るのでありがたい。
 パリ市内の移動は、時間的利便性からはネット網が充実しているメトロが上だが、時間が許せば路線バスが良い。或いは、(ロンシャン競馬場など)目的地によっては路線バスを用いることになる。
 バスには大きく路線番号が示されているので、迷うことはない。市内巡り用(ゾーン1〜3)の1日乗車券(モビリス)はメトロ駅の自販機で購入済。バスに乗車し、専用の機械にチケットを挿入し、チーンの音を聞いて抜き取り、自席に座した。バスはやがて車窓右側にルーブル美術館を半周するように走行した後、セーヌ右岸に出た。パリ市庁舎を車窓左手に見て、サン=ルイ島ほぼ中央を南下する橋を渡った島内のバス停で。そのまま南に歩きセーヌ河畔に出た。対岸はパリ大学など学生街ゾーンのカルチェ・ラタン地区になる。
 セーヌにあるサン=ルイ島であり、観光船を眺めることは少なくない。この時も“右側通行”する観光船を眺めた。シテ島とサン=ルイ島のゾーンは南側(セーヌ左岸)がサン・マルタン運河など上流方向に向かう船、北側(右岸、市庁舎側)がルーブルやエッフェル塔など下流域に向かう船を見ることになる。

島の中心部にあるサン・ルイ教会はステンドグラスが美しく、彫像・壁画も秀逸
パイプオルガンの響きに憧れをいだくが、教会内は静寂そのもので息を潜めた

 下流から来た観光船を追うように、反時計回りに、歩いた。サン=ルイ島の東端からは、サン・マルタン運河の入り口方向や左岸の植物園の緑が見える小公園になっている。火曜日の10時半過ぎ〜11時前だったが、憩う人はわずかであり、閑散としていた。公園の雰囲気に浸り、セーヌを眺めた後、サン=ルイ島の東西ほぼ中央にあるメイン路であるサン=ルイ=アン=リル通りに北東側から歩き始めた。セーヌに面した道路には、西欧では定番的だが、自家用車が縦列駐車していた。が、島内の道路は狭いこともあり、かつ、商店街に相当することもあり、例外を除いて、駐車している車はなかった。集合住宅と分かるゾーンでは、観光地のように、窓が花で飾られており、心が和んだ。
 間もなく、教会を通りがかった。壁面は暗黒調で、中は立派なステンドグラスであろうと期待した。道路沿いの入り口から、静かに教会に入る。われわれ二人だけの静寂な世界だった。道路側からは想像出来ない、大きな美しいステンドグラスに見入り、また、素晴らしい彫刻や装飾も・・・。パイプオルガンの響きに期待したが、勿論、静寂なままで、日曜ミサの案内などを確認して・・・としたいところだが、日程が合わない。

東西の主路沿いにはシャレた雑貨屋や個性的なブティック、アイスクリーム店などが多く、女性は堪能

 教会を出て、西に進むと、雑貨屋さんがあった。シャレたデザイン、色の多種多様な日用品などがあり、小生も娘や孫娘への土産にと見て回ったが、決めるに至らずで、彼女に委ねた。帽子、スカーフなどを扱う、衣類の雑貨屋さんと称すべき店もあり、彼女は気に入った様子で、自身の帽子、娘への土産が増えた。
 さらに、店頭の看板に惹かれた美味しそうなアイスクリーム屋さんも目に留まり、写真(中)のごとくに・・・。お店の全景を撮った写真を確認すると、店名が「Amorino」であり、本稿を書く際に調べた。「2002年、サン=ルイ島で創業されたアイスクリーム店」「創業地のサン=ルイ島をはじめ、“ギャラリー・ラファイエット”店内にも店舗があり・・・」「人工香料や着色料等を使わず、放し飼いにした鶏の卵や高級全乳等を原料に使ったイタリアン・ジェラートで、花びらのようにした盛りつけ方も特徴」「店名のアモリーノは、ルネサンス絵画中に描かれる赤子の姿をした天使のことであり、トレードマーク」と分かった。店頭に示してある金額を決めて、アイスクリームを指定すると、まさしくお花のように整えられて、内心驚きの心で、受け取った。なめらかで、粘りが強いがゆえに高く、大きく花弁の形が維持できるとみた。そう、コーンのサイズをしっかりはみ出す盛り付けだが、溶けだして困ることのないアイスクリームの粘りに驚いた。滑らかで、舌触りも良く、味も・・。 “百味(聞)は一見に如かず”で、是非、パリで味わえる機会を!と念じておきます。
 今回の日程最終日、パリ最大の百貨店である“ギャラリー・ラファイエット”に入ると、創業店で見たのと同様の花のようなアイスクリームのポスター写真が数か所にあった。機会があれば、是非また!
 チョコレートとマカロンの上質なお店も隣接地にあり、われわれには稀有なことだが、連続して入った。マカロンは彼女主体、小生は極味見程度で、定番のエスプレッソ珈琲ダブルで優雅な一時。
 サン=ルイ島、パリの高級住宅街であり、お店の質が高いことを体感した。

サン=ルイ=アン=リル通りを抜け、西外れのサン=ルイ橋界隈で記念写真を撮った後、マレ地区方面へ

 東西に伸びるサン=ルイ=アン=リル通りは、約400mで、サン=ルイ島自体がセーヌに沿う長径が500mもないほどに小さい。西隣のシテ島を結ぶサン=ルイ橋界隈にはカフェもあり、心が動いたが、お腹が許さずでパスした。サン=ルイ橋を渡り、シテ島に向かうのも良いが、北に向けた。ルイ・フィリップ橋でシテ島のシンボル、ノートルザム大聖堂を撮り(写真右)、マレ地区へ。前年パスしたカルナヴァレ博物館(美術館)などへ・・・。
 最後に、岸 惠子。一世を風靡した映画『君の名』に真知子役で主演した岸 惠子の名にあやかり、当時、惠子と名づけられた女の子が多かった由。映画は1953年9月15日に封切られ、この前に“NHKラヂオ連続放送劇”として人気が高まった由だが、これには岸 惠子は出演していない。岸 惠子は1932年生まれで、齢80を超えるが、今もあでやかさを残し、チャーミングである。サン=ルイ島に住まいしているが所以であろうと確信出来たのは、写真に撮れたわが彼女も四半世紀は若返っていた?! 映画が封切られる前に、岸 惠子の名にあやかったことと合わせ、摩訶不思議。女性なら(女性を伴うなら)、是非、パリに出かけられた際に、サン=ルイ島でのショッピングとスウィーツ体験を!

≪随筆≫ パリに魅せられて (7〜12)は、2013年[124歳/2人]
(7)日曜日 朝モンソー公園の賑わい (8)ブローニュの森〜孔雀と戯れる公園 (9)イル=ド=フランスのプロヴァンを訪ねて
(10)ジヴェルニー村〜モネの庭を訪ねて (11)国鉄でロワール地方の古城を巡る旅 (12)岸 惠子のサン・ルイ島で気儘に
≪随筆≫ パリに魅せられて (1〜6)は、2012年[122歳/2人]
(1)モンマルトルで奔放に (2)サン・マルタン運河で遊ぶ (3)彼女の思惑とプチ・トリアノン
(4)オペラ座ガルニエ宮に驚嘆 (5)天晴れプチ・パレ (6)ラパン・アジルで歌う
姉妹編 《随筆》 [ウィーンを愛して