鳥取県東部医師会報用に準備した≪随筆≫

パリに魅せられて (10) ジヴェルニー村〜モネの庭を訪ねて

 絵画の好みは人それぞれだが、印象派は多くの人に愛されよう。1990年11月、竹下登首相時代の“ふるさと創生1億円”を活かした鳥取市の事業、第1回勤労青年海外研修団員に参画し得て、パリに3泊した際、団員10名が揃ってルーブル美術館を訪れる計画があった。それは、パリとロワール地方のオルレアンを結んでいた旧国鉄駅が美術館に改造され、印象派絵画の名品が納められて話題になったオルセー美術館が開館して間もない頃だった。
 小生は、人が多く、広大なルーブルを短時間で巡るよりは、オルセー美術館が良いと提案したが、添乗員の彼は、仲間の希望も聞かず「大谷さんダメですよ〜」との返答だった。「ルーブルに入るより、オルセーを堪能する方が良いのに・・・」との確信があったが、敢えて、強くは進言しなかった。
 ところが、当日、ルーブル美術館は(予定外の?)休館で、結果として、オルセー美術館を初体験することになった。「屋上テラスのある最上階に名画が連なっているので見逃さないように」と仲間に話し、館内を巡った。
 1997年11月の全自病協企画、西欧医療施設視察団の一員としてパリを訪れた際も視察が出来ない日曜日に(皆はツアーバスで名所巡りに出かけ、)一人でオルセー美術館を再訪した。その後、全面的な展示室の改修が行われ、壁面が灰色調であったのが、黒など明度を落とした壁面になり、相対的に絵が際立つことになった。改修後、オルセーの人気が高まっていた。
 印象派を代表する巨匠の一人がクロード・モネであることは周知の通りで、セーヌに面したオルセーの川向いの至近地にオランジュリー美術館がある。ルノワール、ピカソなどの名品も多々あるが、特筆すべきは楕円形の大きな展示室2室を構成する8つの壁面に、モネの睡蓮の連作が圧倒されるほどに描かれている。
 1997年に単独で訪れた後、オランジュリー美術館も大改修が施され、2012年、妻の還暦記念で、二人で初めてパリに滞在した際にも訪れた。半地下から2階部分にモネの睡蓮の部屋が移動していたのには驚いた。まさしく、大改修であった。

ネット購入のチケットを発券(左端)。列車番号等を確認し、ホームへ。ジヴェルニー方面へは、モネが
描いたサン・ラザール駅が起点で、覆う屋根は当時の雰囲気を感じさせる。IC車内は優れたデザイン

 恵まれて、翌2013年10月にパリに7連泊した際には、モネの聖地とも言えるジヴェルニーを訪れることを決めていた。つまり、出国前に、レイル・ヨーロッパでパリからジュヴェルニー至近のフランス国鉄ヴェルノン駅までの往復を早割で購入した。
 モネが描いたサン・ラザール駅は、当時の産業技術の先端で、象徴的な蒸気機関車が力強く吐き出す煙と共に三角屋根の連なりが印象的で、代表作の一つ。駅舎は、今なお、その印象を残しており、ホームに入線している電車と屋根、雰囲気を体感して嬉しくなった。
 オーストリアやフランス国鉄は新幹線同様の標準軌(:山陰線など在来線は狭軌)で、車両は一回り大きく見える。新鮮なデザイン・色彩の外観、横2・2席の2等車の空間・座席幅にはゆとりが感じられ、車内の雰囲気に好感を抱きつつ、乗車した。
 乗車したのはIC(Inter City都市間特急)であり、かなりの高速で走る車内からはセーヌが散見され、鉄道ファンにとっては嬉しい限り。
 が、残念ながら、この日の天気は雨模様の予報で、傘をさすことを覚悟して臨んだ。パリを発つ頃は若干の青空も見えていたが、どんよりとした雲が広がり、途中、車窓に雨粒が流れ・・・。

10月(9日)にしては、驚くべき花の多さに驚嘆:十二分な手入れが施されていた庭とモネの家(右)

 特急が停車するヴェルノンは小さな駅だった。特急の停車に連動して発車するジヴェルニー村を結ぶ、専用バスは、HPで確認済の白塗りで、ジュヴェルニーをイメージしたロゴが描かれており、迷うことはない。乗車の際、運転手から記念品になるカードの往復乗車券を購入し、乗車した。容易な乗換だった。
 バスは街を抜け、セーヌに架かる橋を渡り、対岸の人家がまばらな、セーヌと並行する田舎道をパリに戻るように走り、間もなく専用駐車場へ。幸い、雨は降り止んでいた。
 静寂なジヴェルニー村は、綺麗な佇まいで、至る所、花々が出迎えてくれた。村の概要、モネの庭や近代美術館等の位置はネット地図で確認済でもあり、先を急ぐ観光客から遅れて、のんびりと歩いた。現在、財団形式で、モネ自身による植栽等を復元し、維持・管理されているモネの庭と晩年を過ごした家(日本感覚では館)には迷うことなく到着した。

睡蓮の連作で著名な日本風情もあるモネの池・界隈

 モネの庭が優れていることは、HPや旅行本で知識として知ってはいたが、現実はそれ以上だった。例えば、伯耆大山に初登山した際に、事前に写真や知識として理解していたつもりだったが、結果的には、全く異なった大きな感動体験をしたことを思い出す。東大紛争の影響もあり(と弁解しているが)、自宅浪人時代の夏に下宝珠越で三鈷峰を仰いだ際、さらに、天狗ヶ峰方面の縦走路に立った際の感動は、45年を経過した今尚新鮮である。
 同じことが、モネの庭に関しても当てはまろう。10月9日に訪れたモネの庭は、機会があれば5〜6月、そう日本の庭に影響されて設けたという太鼓橋や柳の木などが配置された池を含め、再訪したい。
 モネの庭を巡り、セーヌに沿う道路を専用地下通路で川側に移動し、池ゾーンを堪能した後、記念館になっているモネの家に入った。モネが他界するまでの43年余を生活した当時の遺品が多々あり、必要な復元もされている。
 モネの書斎は2階にあり、庭が綺麗に見下ろせた。進路に従い、部屋を巡ると、数々の浮世絵が壁面を埋めていた。中学校の美術の授業でも馴染みのある写楽、歌麿、北斎など・・・。モネの日本趣味と収集に驚嘆した次第だった。

モネの家の2階から見下ろした庭。花のある淑女・・・ン?と、モネとのツーショット

 転じて、妻が、母の遺品を整理していた中に、記念切手があり、売ることも含めて、処理を考えた由だが、表示額以上の売値にもならず、つまり二束三文といった切手市場とのことだった。で、押し花などを処理する小型のラミネート器具で、記念切手や孫娘が描いた絵などで、栞を作っていた。今回、浮世絵や日本画の記念切手を持参していたことを承知しており、パリ市内で偶然古切手屋さんを通りがかった際に、日本人的に価値がありそうな浮世絵のシートを提示したが、門前払い的に扱われた。古切手とするには新し過ぎたようだった。
 モネの家の出口に相当する、最後の部屋に係員の男性が佇んでおられた。で、妻に、ラミネート処理した浮世絵や日本画の栞を出すように指示した。怪訝に思った妻だったが、受け取った後、係員の男性にたどたどしい英語で、モネの庭・家が素晴らしかったこと、浮世絵の多さに感動したことなどの感謝表現を話した後、プレゼントだと栞を見せた。彼は、(悪意のなさそうな単純な笑顔の)小生の提案を喜んで受けてくれた。かつ、職員が付けているモネ財団のピンバッジをお返しにとプレゼントしてくれた。
 実は、この様子を笑顔で見聞きしていた高級そうなデザインの服を着た淑女がおられることに気づいていた。家から出てすぐに、彼女にも同様にプレゼントを申し出たら、喜んで受け取ってくださった。結果、和やかな笑顔の二人の記念写真に結実した。この写真は、拡大し、額に入れて、寝室の入り口を飾っています。小生も記念写真を撮った。モネの庭の入り口、受付前の壁面に実物大とみた、モネの写真があり、ツーショットを!
 この後、庭が綺麗な近代美術館を巡るなどして、ジヴェルニー村には4時間余の滞在、パリ発着では約8時間の日帰り旅行だった。業者による、パリ発着のバスツアーは半日企画が多く、ジヴェルニー村滞在はかなり限定されるので、我々は随分とのんびりした日帰り旅行になった。

≪随筆≫ パリに魅せられて (7〜12)は、2013年[124歳/2人]
(7)日曜日 朝モンソー公園の賑わい (8)ブローニュの森〜孔雀と戯れる公園 (9)イル=ド=フランスのプロヴァンを訪ねて
(10)ジヴェルニー村〜モネの庭を訪ねて (11)国鉄でロワール地方の古城を巡る旅 (12)岸 惠子のサン・ルイ島で気儘に
≪随筆≫ パリに魅せられて (1〜6)は、2012年[122歳/2人]
(1)モンマルトルで奔放に (2)サン・マルタン運河で遊ぶ (3)彼女の思惑とプチ・トリアノン
(4)オペラ座ガルニエ宮に驚嘆 (5)天晴れプチ・パレ (6)ラパン・アジルで歌う
姉妹編 《随筆》 [ウィーンを愛して